5.2.1 タイムウィンドウの変化による事象数の変化
上記の方法でタイムウィンドウの変化によって変化した事象数の変化を調べるため図5.5左図 のように広いタイムウィンドウによって得られた高エネルギー領域の時間スペクトラムからタ イムウィンドウを15 nsに固定した時間スペクトラムを引いたもの (図5.5右図) をフィッティ ングする。なお、図5.5 で得られた時間スペクトラムはT1カウンターのダブルパルス分解能 によって生じるパイルアップ事象を示している。また、π+→e+νe事象の影響をほとんど受けな
い100 ns以降をフリーパラメータτ とN を用いて指数関数Nexp(−t/τ) でフィットした時、
τ = 1059±151.2 nsと誤差の範囲内でミューオンの寿命の半分で下がっていることが分かる。
図5.5 左図:赤線が225 nsのタイムウィンドウ、黒線が15 nsのタイムウィンドウの時間スペ クトラムを示す。赤線のスペクトラムを見ると、225 nsあたりからパイルアップ事象が立ち上 がっていることが分かる。 右図:赤のスペクトラムから黒のスペクトラムを引いた結果。これは T1カウンターの225 nsのダブルパルス分解能によって生じるバックグラウンドを意味する。
フィッティングする際の関数は式(5.2)、(5.4)、さらにパイルアップを受け入れているため、通 常は除かれるπ+→e+νe 事象にコンスタントなバックグラウンドとパイルアップを起こしたもの が存在すると考えられるため、επ→eνe(t)の3つの関数でフィットする。なお、フィッティングの 際は式(5.2)、(5.4)を全範囲で積分したときの値が1になるように規格化した関数FU′(t)、FL′(t) を用いる。つまり、
AFU′(t) +BFL′(t) +Cεπ→eνe(t) (5.7) でフィッティングを行う。なお、A、B、Cはフリーパラメータであり、各バックグラウンドの事 象数を示す。図5.6に図5.5で得られた時間スペクトラムを式(5.7)でフィットしたものを示す。
図5.6 図5.5の右図を3つの関数でフィットしたものである。緑は式(5.2)、青は式(5.4)、紫 色はεπ→eνe(t)でのフィットしたものである。赤はこれら3つの関数を合わせたものである。
なお、図5.5でビンの幅を変えてたものをフィットしている。
図5.7 タイムウィンドウとバックグラウンド事象数のプロット。誤差は統計誤差を示す。
このような方法でタイムウィンドウを変えていき、タイムウィンドウ毎とバックグラウンドの事 象数をプトットしたものを図5.7に示す。タイムウィンドウが小さくなるにつれてFU′(t)とFL′(t) の関数形が似てくるため、AとB の値を求めるのは非常に難しい。しかし、両者の事象数の合計 値A+B を用いることでAの上限値を得ることはできる。図5.7の測定点を∆T= 0へ外挿した ときの縦軸との切片の絶対値が∆T=∆Tresoとした時のA+Bを与える。切片を外挿する時の誤 差を考慮するため、1∼9次関数でフィットした結果を表5.1に示す。
n次関数 χ2/ndf 切片の中心値の絶対値±誤差 1 385.7/11 (2.50±0.03)×104 2 30.30/10 (3.71±0.07)×104 3 15.32/9 (3.19±0.15)×104 4 11.73/8 (3.77±0.34)×104 5 10.66/7 (4.45±0.74)×104 6 10.42/6 (3.67±1.77)×104 7 9.364/5 (7.98±4.56)×104 8 6.929/4 (2.71±1.31)×105 9 6.602/3 (5.15±4.44)×105
表5.1 フィット結果。ndfは自由度。
ただし、図5.7の誤差は各プロットの統計誤差を表しており、これらのプロットは同じパイオン データから得られたものである。そのため、ランダムに起こる統計誤差ではなく、誤差間で相関を もつものであると考えられるため、得られたχ2/ndf は規格化されたものではないと考えられる。
しかし、6次関数以降でフィットした際に得られた切片の誤差は大きく、また1·2次関数でフィッ トした際は明らかにプロットのから外れたものになり、3次関数は切片の中心値が他の関数より 小さい値となったので、切片の外挿時の関数は4次関数を用いることにする。図5.8に4次関数 p4·∆T4+p3·∆T3+p2·∆T2+p1·∆T+p0(p0 p4はフリーパラメータ)でフィットしたものを示す。
図5.8 タイムウィンドウとA+Bのプロットを4次関数でフィットした結果。
5.2.2 バックグラウンド事象数の決定
FU(t)の事象数の上限値U Lは図5.8より
U L= (3.77±0.34)×104 (5.8)
と求められた。そして、この値を用いて式4.8にT1カウンターの時間分解能から生じるバック グラウンドの成分、式(5.2)、(5.4)を加えてフィッティングを行うので、高エネルギー領域での フィッティング関数は
PIENU(t) =aH(t){Brεπ→eνe(t) +cG1(t) +dG2(t) +rεπ→µ→e(t)}
+eF(t) +b·rεµ→e¯νµνe(t) +f FU′(t) +gFL′(t) (5.9) となる。f は先程得られた値(5.8) の中心値を固定パラメータとして用いる。FL′(t) は前述の ように t = 0 から立ち上がるため他のバックグラウンドに埋もれてしまい、また Case3·4 の π+→µ+→e+がT1カウンターにヒットする事象と同様の式で表されるため、gはフリーパラメー タとしてフィットする。フィッティング結果を図5.9、5.10と表5.2に示す。
図5.9 フィッティングの残差分布。上側は高エネルギー領域、下側は低エネルギー領域、左は
t <0、右はt >0を示す。縦軸はデータとサンプル点の差であり、誤差は統計誤差を示す。
Brと誤差 FU′(t)とFL′(t)を加える前 (1.2215±0.0036)×10−4 f、gをフリーパラメータとしてフィッティング (1.2179±0.0052)×10−4 f を固定パラメータとしてフィッティング (1.2192±0.0039)×10−4
表5.2 FU′(t)とFL′(t)を加える前後での崩壊分岐比Brとその誤差の変化。
図5.10 フィッティングを行った高エネルギー領域の時間スペクトラム。濃い緑の破線が FU′(t)とFL′(t)によるバックグラウンドを示している。
図5.9はフィッティングの残差分布であり、各エネルギー、時間領域のχ2/ndf を示している。
スペクトラム全体のχ2/ndfは1.156であり、FU(t)とFL(t)を加える前後で差は見られない。し かしこれはCase3·4の成分が完全に考慮されていないためであると考えられる。
表5.2を見ると、f を固定パラメータとフリーパラメータでフィットした場合の誤差の比は約 1.3となっており、これは2倍近くの統計量によって生じる誤差に相当する。
また、値(5.8)は上限値であるので、この値をフィットに用いるのが妥当であるかどうかを調べ
る必要がある。そこで、式(5.2)と(5.4)の比率の変化が崩壊分岐比にどのように影響を与えるか を調べる。その方法は、フィッティング関数(5.9)のパラメータf とgを固定パラメータとして
f =U L∗R (5.10)
g=U L∗(1−R) (5.11)
として高エネルギー領域のスペクトラムをフィットする。ここでRは0≤R≤1であり、f とgの 比を表している。パラメータf とgの比Rを変化させてフィッティングを行っていく。その結果 を図5.11に示す。この誤差は統計誤差であり、それぞれのプロットの誤差の大きさは中心値の約 0.3%であり、RがBrに与える影響はR = 0とR = 1の時のBrの相対誤差の約0.4%である。
しかし、これらは同じパイオンデータを用いて得られた誤差であるので、ランダムで起こるもので はなく各プロットの誤差、例えばRが0と1のプロットの誤差には相関があると考えられる。こ の誤差間の相関を考慮した実際の誤差はもっと小さくなると考えられる。また、解析に用いたデー タは2010年に得られたものの一部であり、2012年までにこれの13倍以上のデータが得られてい るので、誤差の相関と統計量よりRがBrに与える影響は0.1%よりも小さくなることが期待さ
れる。
図5.11 パラメータf とgの比Rを変えてフィットしたもの。各プロットの誤差は統計誤差を示す。
6 まとめ
PIENU実験はπ+→e+νe 過程とπ+→µ+→e+過程の崩壊分岐比の比を0.1%以下の精度で求 めることを目指している。Rは時間スペクトラムにモデル関数を当てはめることで得る。
高エネルギー領域の時間スペクトラムにはπ+→µ+→e+とオールドミューオンのパイルアップ によるバックグラウンド事象が存在し、それを加味したモデル関数を用いなければ時間スペクト ラムにゆがみが生じてしまう。本研究ではT1カウンターの有限のダブルパルス分解能により除き きれなかったパイルアップ事象の評価を行った。方法としてはT1カウンターがもつダブルパル ス分解能をオフライン解析で設定し、設定したウィンドウ内に生じたバックグラウンドを受け入 れ、ウィンドウ幅∆Tによるバックグラウンド事象数の変化を評価するというものである。この 方法により得られたバックグラウンド事象数の上限値をモデル関数に加味して時間スペクトラムを フィットした。また、モデル関数に加味したのバックグラウンド事象数は上限値であり、上限値を 用いる妥当性を議論した。FU(t)とFL(t)の比率を変えたときに崩壊分岐比の比に与える影響を考 察したところ、0.4%の誤差の範囲に影響を与えるという結果が得られた。しかしこの値は相関を もつ統計誤差により過大評価されたものであり、全パイオンデータは本解析で用いたデータの13 倍以上であり、0.1%以下の影響であることが予想される。
しかし、この誤差間の相関を考慮した上でのFU(t)とFL(t)の比率が崩壊分岐比の比に与える 影響を考察していく必要があり、さらにCase3·Case4が時間スペクトラムに与える影響を評価す ることが今後の課題である。