本章では、ローカリゼーション・モデルを枠組みとした考察から導かれた、日本 映画に付けられる英語字幕の訳出は標準化される特徴があるとする仮説(ここから は「英語字幕の標準化仮説」と表記する)の検証を行う。具体的には、日本映画(『Shall we ダンス?』『千と千尋の神隠し』)につけられた英語字幕を対象に、起点テクスト の中の異文化要素がどのように訳出されているのかを翻訳方略の視点から分析し、
英語字幕の訳出の特徴を探るというものである。まず、検証に先立って、異文化要 素および方略分析の枠組みについて再度確認する。次に、『Shall we ダンス?』と『千 と千尋の神隠し』の選択理由を確認した後に、両作品の梗概を記す。その上で、各 作品の起点テクストに含まれる異文化要素を抽出し、それらの訳出に用いられた方 略を同定すると同時に、各方略の採用頻度を算出する。このようにして、対象作品 の英語字幕において異文化要素がどのように訳出されているかを分析する。
7.1 異文化要素と方略分類の枠組み
はじめに、本論文が行う事例研究の対象となる異文化要素と、訳出分析の枠組み となる方略分類について確認しておきたい。本論文では、異文化要素をある言語の 文化に特有の事柄を指すもの、つまり、「文化的言語表現による言及であり、言語 外の存在物やプロセスと関連するもの」(Pedersen, 2011, p. 43)と定義し(第4章を 参照)、異文化要素が存在するとされる固有名詞、度量衡、通貨、商標、料理、政府 機関名、娯楽、教育などの領域(ibid. pp. 56-60)に着目して分析を行う。日本映画 における異文化要素の具体例としては、「~さん」「~先生」「殿」(『Shall we ダンス?』
『たそがれ清兵衛』)といった呼称、「スキヤキ」「ラーメン」(『おくりびと』『タン ポポ』)などの料理名、「八百万の神様」(『千と千尋の神隠し』)のように宗教に関す るもの、「お年玉」「元服」(『誰も知らない』(2004)、『子連れ狼』(1973))など習慣 や儀式に関するもの、「キリンレモン」「アポロチョコ」(『誰も知らない』)などの商 品名、「袴」「腹掛け」(『千と千尋の神隠し』)などの衣服、「石(こく)」(『たそがれ 清兵衛』(2002))のように(この場合は大名・武士などの知行高を表す)単位に関 する言葉などが挙げられる。このように異文化要素となる言葉は、目標文化に同じ ものを表す言葉が存在しない場合が多いのであるが、形式的に同じ言葉が存在して
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も、起点文化と目標文化において社会指標性が異なる場合には異文化要素と捉えら れることもある。簡単な例として「きつね」という言葉で考えてみよう。日本語の
「きつね」には動物としてのキツネのほかに、「巧みに人をだます人」(広辞苑〔第 六版〕)という意味がある。また、キツネには稲荷神との関連(ibid.)から宗教的な 意味合いもある。一方、英語の「fox」には「ずる賢い」(リーダーズ英和辞典〔第2 版〕)という意味はあるものの、人をだますという連想はない。したがって、「巧み に人をだます人」として用いられたり、宗教的な意味合いで使用されたりした場合、
「きつね」という言葉は英語圏の読者にとって異文化要素となるかもしれない。こ のように異文化要素は起点文化に特有のものを表すため、たとえ起点テクストと目 標テクストの間で辞書的な部分的意味対応が見られたとしても、起点テクストがも たらす効果や含意が伝わらない場合があるのだ。
そうした課題に対処するために用いられるのが翻訳方略(translation strategies)で ある。翻訳方略という用語の意味については、訳出全体の方針を決定するマクロ的 な方策という捉え方と、個別の翻訳課題に対処するためのミクロ的な方策とする考 え方の二つがあるが、本論文では翻訳方略を後者と捉えた上で「訳出作業における 個別の問題に対処するための方法」(Pedersen, 2011, p. 70)と定義し、英語字幕翻訳 における異文化要素訳出のための方策という視点から分析を行う。分析の枠組みに は下の表7.1に示された7種類の方略を用いる。この方略分類は、パイロット・スタ ディとして実施した『おくりびと』における異文化要素の訳出分析(篠原,2013b) で用いられた方略分類(Pedersen, 2011)を、日本映画の英語字幕の分析向けに改訂 したものである(第4章を参照)。表に示された1から7の数字は、目標テクストに おける異文化要素保持のレベルを表し、1は異文化要素が保持される割合が最も高く、
7は最も低いことを示している。
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高 1. 音訳(transliteration):英語化された語も含む
2. 詳述(specification):目標言語による情報の追加
3. 注釈(annotation): 創作による情報の追加
4. 直接訳(direct translation):逐語的な訳
5. 一般化(generalization):同一カテゴリー内の上位語
6. 置き換え(substitution):「公的等価」を含む、度量衡
低 7. 省略(omission):異文化要素の削除
表7.1 翻訳方略における異文化要素保持のレベル
この方略分類においては「音訳(transliteration)」を採用した場合に、英語字幕に含 まれる異文化要素が最も保持された訳出となり、それ以降は順次、起点テクストに 含まれる異文化要素が低減された訳出となる。そして「省略(omission)」の方略が 用いられるときには、異文化要素が完全に削除された英語字幕が作られる。
以下において、この分類法を枠組みとして、日本映画(実写)『Shall wenダンス?』
と日本製アニメーション映画『千と千尋の神隠し』の英語字幕を分析し、採用され る翻訳方略とその頻度について考察していく。はじめに、2作品を分析の対象とした 理由を確認し、アメリカ版DVDについて述べる。
7.2 2作品のDVDについて
本論文では事例分析として2本の日本映画、『Shall we ダンス?』(1996)および
『千と千尋の神隠し』(2001)を取り上げ、両作品のアメリカ版DVDを用いて分析 を行う。これらは制作から時間を経てはいるが海外市場において広く受容された作 品であり、英語字幕における視聴者の多様性が反映されていることから、分析対象 とした(第4章を参照)。アメリカ版DVDの内容は、両作品が多言語展開されてい ることを示唆している。具体的には、『Shall we ダンス?』には英語、フランス語、
スペイン語の字幕(3言語)、『千と千尋の神隠し』には英語字幕、英語吹き替え、
フランス語吹き替え(2言語)がそれぞれ収録されている。仮に、アメリカ以外の地 域で販売されているDVDを調査した場合には、英語、フランス語、スペイン語以外 への訳出も確認されるかもしれない。両作品は29か国(周防・白石,2014)1と73
1 『Shall we ダンス?』の海外公開に関しては、2005年の時点では19か国となっているが
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か国(IMDb)で一般公開されているため、それぞれの地域言語によって展開される 場合もあり得るからだ。本論文が分析の対象としたアメリカ版DVDでは、字幕翻訳 者名はパッケージにも本編中にも提示されていない。そのため、日本語からフラン ス語やスペイン語に直接訳出されたのか、それとも英語を仲介言語として重訳が行 われたのかは明らかではない。
7.3 アメリカにおける『Shall we ダンス?』
アメリカにおける日本映画受容は、日本映画の芸術性に関する肯定的な評価とは 必ずしも一致せず、上映された劇場数からみると、興行的に成功した作品が多いと はいえない(JETRO, 2013.1,pp. 16-18)。特に1990年代に入ると日本映画は劇場で の公開から遠のいていくようになる(北野,2005,p. 174)。そうした状況の中、1980 年代に『タンポポ(Tampopo)』(1985)などの作品で注目された伊丹十三の助監督を 務めた周防正行による『Shall we ダンス?』が人気を集めた。同作品は1997年に全 米公開されて成功を収め、興行収入 976 万ドルを記録する。これは当時までにアメ リカで公開された日本映画の興行成績では歴代最高記録であった2。また、同作品は アメリカのエンターテインメント業界有力誌バラエティ(Variety)による「All-Time Foreign Language Films to 2000」3にも選ばれ(Balio, 2010, p. 309)、2004年にはハリ ウッドでリメイク版も制作された。こうした事例は、アメリカにおける『Shall we ダ ンス?』の受容の高さを示している。「軽快なメロドラマタッチをもって現代のサラ リーマン社会に生きる者たちのささやかな希望を描いた」(四方田,2000,p. 224) とされるこの作品は、「ふと立ち止まってしまった時、いかに勇気をもって次の新し い一歩を踏み出すことができるか」というテーマによってアメリカの視聴者の共感 を呼んだのである(周防,2001,p. 142)。『Shall we ダンス?』が全米公開されるこ
(周防,2005,p. 186)、2014年には29か国と増えている(周防・白石,2014)。9年間に 海外公開がさらに進み、受容地域が拡大したことがわかる。
2 この記録は後に『ポケットモンスター(Pokemon: The First Movie)』(8500万ドル)、『借り ぐらしのアリエッティ(The Secret World of Arrietty)』(1900万ドル)、『千と千尋の神隠し
(Spirited Away)』(1000万ドル)、『ゴジラ2000(Godzilla 2000)』(1000万ドル)などにより 塗り替えられた。(JETRO, 2013.1, 2013.3)
3 バラエティ誌(Variety, February 21-27, 2000)は、1960年から2000年までにアメリカ国内 で上映された外国映画の中から、各年の最高(all-time)作品とされる映画(59作品)を選出 した。各作品について、タイトル、製作国、制作年、配給会社、アメリカでの興行収益、監 督名が記載されている。その中には『Shall we ダンス?』のほかに、黒澤明による『乱』(日 本・フランス)(1985)も含まれる。