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最高裁「他人の誘惑により犯意を生じ又はこれを強化された者が犯罪を実行した場合に、わが刑事法上その誘惑者が 場合によつては麻薬取締法五三条のごとき規定の有無にかかわらず教唆犯又は従犯として責を負うことのあるのは格別、

その他人である誘惑者が一私人でなく、捜査機関であるとの一事を以てその犯罪実行者の犯罪構成要件該当性又は 責任性若しくは違法性を阻却し又は公訴提起の手続規定に違反し若しくは公訴権を消滅せしめるものとすることのできな いこと多言を要しない」

一見するとおとり捜査の許容性と言うのはこれですでに解決しているようにも見えなくもない。しかし、捜査の適法 違法と、その法的効果の有無内容とは、別個のものである。たとえば、捜査は違法であっても、証拠排除という法的 効果が生じないことはある。それゆえ、25 事件の判示と言うのは判決文通りに理解しても、被告人が公訴棄却、免 訴にはならないことを示したにすぎず、これがすでに適法であるとは示されていないのである。

おとり捜査の適法性で言えば、おとりの行為が教唆犯または従犯として刑事法上違法と評価されうるとしているわけ で、これが訴訟法上も違法と評価される可能性は示唆されている。

またこの事件の被告人は、おとりのはたらきかけの前に既に犯意を有していたのだから、犯意を生じたものに関して 述べている判断は傍論とも取れる余地があった。その後の判例には、おとりによって被告人が犯意を生じた事件につ き、それだけでは無罪とはならない旨しめしたものがあるが、訴訟法上の救済措置はないと見るべきかどうかは明ら かではない判断であった。

最判昭和 29・11・5 刑集 8 巻 11 号 1715 頁

「いわゆる囮捜査は、これによって犯意を誘発された者の犯罪構成要件該当性、責任性若しくは違法性を阻却するもので ないことは、すでに当裁判所の判例とするところである〔教材 25 事件のこと〕」

このように、おとり捜査については両判例は適法性を認めたものか曖昧なものであり、違法収集証拠排除の主張など と結びつきながらもしばしば争われてきた。

そのなかで、ついに一定の場合におとり捜査の適法性を正面から確認した教材 24 事件が重要なのである。

b.任意捜査としてのおとり捜査

◎任意捜査性はあるか

★おとり捜査は、意思の自由を制約しないので任意捜査としてよい。

この事件では、まず注目されるのは一定の場合のおとり捜査が任意捜査とされていることである。これは強制の処分 を用いないのであるから、197 条を根拠に行うことができる。

今日では教材1事件の判示に従い、対象者の意思に反した重要な権利利益の処分を伴う処分が強制処分だが、おとり 捜査はこのような処分ではないことになる。この点でおとり捜査について従来から問題として指摘されたものを確認 すると、以下になる。

①犯罪を防止すべき国家が自ら犯罪を作りだし処罰する矛盾

②対象者を欺罔に欠け犯罪に導く不公正さ

これにくわえて、新たな権利利益侵害に着目すると、以下が加わる。

③国家が犯罪を創出することにより、国民一般に対し刑事実体法が保護していた法益が失われる可能性がある

④捜査対象者の人格的な利益や権利が損なわれる

このうち①と②、③については、捜査対象者に対しての権利利益の侵害は直接問題にされていない。対して④はそれ を問題にするが、この場合もおとりの働きかけは、対象者の意思決定の自由そのものを奪うものではないことを前提 にしている。なぜなら、仮に意思決定の自由が失われれば、それによって犯罪に陥っても責任が取れず、おとり捜査 の意味がなくなるからである。そうすると、人格的な権利利益が侵害されるとしても、それは意思決定の自由そのも のではないということになる。

そこで制約される権利利益は、みだりに国家の干渉を受けない自由とでもいうべきであり、それにとどまるのである。

そうだとすると、まあこれらの点はいずれも既に述べたような強制処分の定義を見るに、任意捜査と位置づけること が可能であるように思える。

c.任意捜査としての適法性

おとり捜査が任意捜査だとしても、やはり無制約とはいかない。教材 24 事件は、薬物犯罪では通常のやりかたでは 摘発困難であることを強調する。

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◎二分説(主観説)とバランシング説(客観説)

★おとり捜査は特殊なので二分説と言う任意捜査一般の枠組みとは離れた判断基準が提示されていたが、やっぱりな んやかんやでバランシングしていくべきじゃないかというのが最近の議論となっている。

従来の有力な考え方は、ここでアメリカ法理(罠の理論)をうけ、おとり捜査についても、既に犯意あるものへの「機 会提供型」と、そうでない「犯意誘発型」を区別する理解(二分説)をとった。

で、前者は許されるとして、下級審にも二分論信者っぽいのがちょこちょこあった。

近時は、二分説が捜査対象者の主観に着目していた点を反省して、適法性はその捜査の必要性と客観的態様の相当性 に注目して判断されるべきだとする考え方(客観説)もとかれている。

教材 24 事件の決定は、直接の被害者がいない薬物犯罪であり、通常の方法では摘発困難で犯意は既にあるというが、

これを「必要性」に着目していたと見ることもできる。そういう人に対しては働きかけることも一定程度許されるし、

行為態様も判例中に詳細に示される。

これまでふまえると、必要性と客観的相当性との総合判断と見ることもできなくはない。最高裁は、任意捜査におけ る有形力行使につき、必要性緊急性を比較衡量して、具体的状況で相当とされる限度でやれよと教材1事件で示して いたわけで、任意捜査というのはこの枠組みに従うのが基本であるから、やはり教材1事件の枠組みに従い、必要性 とそれによって制約される権利利益とを比較考量し、具体的な状況で必要と認められる場合にしようぜというのが適 当にも思えるし、判例のやっていることをそう見ることもできるだろう。

まあ二分説、バランシングという二つの論を示したが、機会提供型と範囲誘発型をの区別の理由がそもそもわけわか らんともいえる。国家が犯罪を作り出すことを問題視したわけだが、おとりの働きかけと実行行為に因果関係がある のだから、国家が犯罪を創出したことには疑いが無いし。

また、必要性と態様の相当性とで総合考慮するやり方は方法の不相当性を重視しているようだが、その「不相当性」

の実態は必ずしも明らかではないし、これをポイントとして判断をすることが出来るのかという余地がある。

◎判断基準の検討

★教材 24 事件において示されたおとり捜査の3基準は、教材1事件において示された任意捜査の判断枠組みとは異 なるが、実はこれはおとり捜査独自のポイントを指摘しているのであって、客観説の理解からも矛盾しない。

では、比較衡量していくんだ!というときに、この判決があげた3つの場合はどのような効果を持つのだろうか。

①直接の被害者がいない薬物犯罪等の捜査において、

②通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難である場合

③機会があれば犯罪を行う意思があると疑われるものを対象

議論していくが、ここでは「少なくとも」この時には認められるという言い方がされている。よって、これらの条件 がすべて完備されなくてはならないわけではない。しかし個別に見ていくと、二番目のほか三番目の事情は、捜査手 法としての特殊性から必要とされる事例と言えるのである。

②…一種の補充性と言う特別の必要性を付与している。

捜査の公正さや廉潔性に反すると多少なり言えるわけで、他の捜査手法にはない特別の弊害がある点から導かれる。

24 事件の決定は、2番目の事情を1番目の事情とは別に掲げているから、一番上の事情から導かれる一般的な捜査 の必要性に比べ、具体的事情をも要求する主旨と見ることができる。

実際、②の事情の存在を認めるにあたって、麻薬取締官において、これじゃないともう無理だったんですからという ことを超絶丁寧に認定している。

③…これは、二分説からは機会提供型であることを言い換えたようにも見えるが、将来の犯罪に向けられたおとり捜 査と言う点に注目すると、犯罪発生の蓋然性と言う要件にもとれる。このような事情に欠けばそもそも蓋然性がなく、

ゆえに捜査も認められないわけである。

ということで、②と③は欠けるアウトな、おとり捜査に特殊な判断ポイントとして理解できる。

※おとり捜査はどの犯罪を捜査対象としているのかが既に問題である。将来の犯罪の捜査は行えないと言う立場をと れば、すでに行われあるいは現在行われている犯罪の証拠収集ということになる。

たとえば現に薬物を所持していると思われる被疑者につき、その場所特定が容易でないとき、その人に麻薬売買を 持ちかけるというのは、発生しあるいは継続しているものの捜査である。

そして捜査中の犯罪の被疑者に、新たな犯罪を行わせることにより、過去の同種犯罪について推認が出来る場合も あるから、過去の犯罪の捜査ともいえるが、やはり起訴されるのは普通おとりにかかった将来の犯罪なのである。

やはりおとり捜査については将来の新たな犯罪に向けられていると言う方が、おそらく実態に即している。

d.おとり捜査の法的効果

違法だったらどのような効果があるのだろうか。