第 2 章 「98 年の世代」の文壇
2.2.4. マチャード
詩人として名高いマチャードは、晩年に散文作品として『フアン・デ・マイレーナ』を
残した。副題には「ある架空の教師の格言や雑談、メモ書きと思い出」とあり、作品はこ の架空の教師が生徒たちに語りかけた記録という体裁をとる。1934年の『ディアリオ・デ・マドリード』紙に掲載を開始し、翌年には『エル・ソル』紙に紙面を移した。それら
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をまとめた単行本が
1936
年に出版されたが、直後にスペイン内戦がぼっ発した。戦争中 も国内にとどまったマチャードは、1937年1
月に『オラ・デ・エスパーニャ』誌で掲載 を再開する。単行本化はされなかったが、これら一連の記事も、「フアン・デ・マイレー ナとアベル・マルティン先生の助言と格言、雑談」の副題のもと、『フアン・デ・マイレ ーナ』に含まれる。このような成り立ちから、本作は架空の舞台で語られた発言を記録し フィクション作品としての新聞記事といえる。フェレールはマチャード全集に寄せた解説のなかで、『フアン・デ・マイレーナ』に類
似する作品として、自伝的エッセイと言われるバローハの『青春、自画自賛』(1917年)や、マチャードよりも若い作家エウヘニオ・ドールスが小記事を集め出版した一連の『論 叢』(1906~43年)などを挙げる。ただし、マチャードの作品は、本来のエッセイという ジャンルに分類するには対話を多用しすぎているとも指摘する(Machado, 1986: 11,41)。
もっとも本稿では、バローハのエッセイも含め、このように従来のエッセイの概念から逸 脱した要素を文学的なものととらえているため、『フアン・デ・マイレーナ』もエッセイ と呼びうると考える。
『フアン・デ・マイレーナ』では、生徒が「先生はこう言われた」と、教師マイレーナ
の発言を再現する。あるいはマイレーナ自身が、かつての自身の師アベル・マルティン先 生を回想する。マルティン先生にはモデルとなる人物があるが、主人公はあくまで架空の 人物であるという前提はほぼ崩れることはない。彼は実に様々な話題に触れる。その姿勢 は、ある明確な結論を生徒に説いて教えるというよりも、彼らが視野を広げる一助になる よう、生徒に問いかけているようである。しかし、主人公が作者の文学、哲学、宗教的思 想を代弁していることは確かである。したがって、全体的にフィクションを適用したマチ ャードのエッセイと解釈できる(Machado, 1984: 12)。他の「98
年の世代」の作家たちと異なるのは、スぺイン内戦下の国内でも発表した点で ある。当時、同世代の彼らは皆60
歳を過ぎた老年期にあり、ウナムーノやマエストゥは 内戦開始の1936
年に亡くなった。またアソリンやバローハは亡命し、その後はペンの勢 いが衰えたのに対して、マチャードは亡命を選ばす、戦前と同様に『オラ・デ・エスパー ニャ』誌や『バングアルディア紙』に寄稿し続けた。例えば1936
年の初めには、政治に ついて次のように左翼勢力を批判もしている。スペインでは―忘れてはいけない―進歩的な政治活動は弱々しいものになりがちだ。なぜなら独 自性がない。反動的な勢いに乗って物まねをしているに過ぎない。我々の反動という力を借り ないと我々の社会機構はちゃんと機能しないと言うべきかもしれない。未来を見据える政治家 は、スペインでは表面的な動きの奥に潜む反動というものを念頭に置かねばならない。左翼と
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呼ばれる―軽薄な、とも言おう―政治家は未来志向の言い回しという銃弾を撃つとき、銃床の反 動は意外と発砲よりも強烈だということを計算していないのだ 21。(Machado, 1986, I: 86)
また内戦ぼっ発後の 1937
年の『オラ・デ・エスパーニャ』誌では、ドイツを例にとり ながら戦争を広い視野でとらえる見方を説く。ただし、主人公のフアン・デ・マイレーナ は1909
年に亡くなったことになっており、ここで触れる戦争は19
世紀のプロイセン=オ ーストリア戦争という設定だと思われる。何度も言ったように、戦争とは―マイレーナ先生は生徒に語った―民族間の紛争を解決する最良 の手段ではない。しかしながら戦争は、不完全ではあっても許容できる解決に導くことはでき る。たまたま勝利が相応しい者の手に落ちれば、良くも悪くもそれが戦争のもたらす解決とい うものなのだ 22。(Machado, 1986, II: 105
)
さらに戦況が進んだ 1938
年の『バングアルディア』紙では、「あの世のマイレーナよ り、戦争の展望台から」と題し、より観念的な発言になっている23。何度か言ったように、―フアン・デ・マイレーナ先生ならこう言われるだろう―戦時には思考す ることは難しいものだ。思考とは争うものではなく、本来穏やかなものだからね。しかしなが ら私はこうも言ったはずだ。時として戦争は眠れる意識を大いに刺激し、目覚めている意識も 新たな思考に向かわせることができると。確かに戦争は我々の論拠を委縮させ、敵側との接触 を乱暴に切断する。しかし我々の論拠を深め、磨きをかけ、鋭いものにすることで、有効な銃 弾とすることができるのだ。ところで、戦時にあって、いわゆる知識人たちの存在意義はどこ にあるのだろうか? 24(同)
21 “En España -no los olvidemos- la acción política de tendencia progresiva suele ser débil, porque carece de originalidad; es puro mimetismo que no pasa de simple excitante de la reacción. Se diría que sólo el resorte reaccionario funciona en nuestra máquina social con alguna precisión y energía. Los políticos que pretenden gobernar hacia el porvenir deben tener en cuenta la reacción de fondo que sigue en España a todo avance de superficie. Nuestros políticos llamados de izquierda, un tanto frívolos -digámoslo de pasada-, rara vez calculan, cuando disparan sus fusiles de retórica futurista, el retroceso de las culatas, que suele ser, aunque parezca extraño , más violento que el tiro.” (Machado, 1986, I: 86)
22 “No es la guerra, como tantas veces os he dicho -habla Mairena a sus alumnos- el mejor modo de resolver cuestiones litigiosas entre los pueblos. Pero la guerra puede llevar a una solución aceptable, aunque incompleta, si por azar la victoria recae sobre quien merece, y en todo caso es una solución -buena o mala- del pleito que por la guerra se ventila.” (Machado, 1986, II: 105)
23 この副題は、後にボス・デ・マドリード紙に再掲した際に付けられたものである。(同、184)
24 “Algunas veces os he dicho -así hablaría Juan de Mairena a sus almunos-que, en tiempos de guerra, es difícil pensar; porque el pensamiento es esencialmente amoroso y no polémico. Mas tampoco dejé de advertiros que la guerra es, a veces, un gran avivador de conciencias adormiladas, y que aun los despiertos pueden encontrar en ella algunos nuevos motivos de reflexisión. Cierto que la