が得られる.このような射影作用素からなる集合の具体例は,任意の自己共役作用素 A = ∑M
i=1aiPaA
i のスペクトル射影{PaA
i}Mi=1 である.それらは相互に直交し,和が単位 作用素となる.よって,任意の自己共役作用素のスペクトル射影について
[I] =
∑M i=1
[PaA
i] (23)
が成立する.スペクトル規則によると,物理量(自己共役作用素)に付与される値はスペ クトルに属する値であった.単位作用素 I の固有値は1のみなので[I] = 1 である.一 方,射影作用素の固有値は0か1なので,等号の右辺の各射影作用素がとりうる値は0か 1である.よって,スペクトル射影{PaA
i}Mi=1 に属する射影作用素の一つだけに1が,残 りすべてには0が付与されることになる.したがって,もしすべての物理量(自己共役作 用素)にFUNC を満たすように値を付与できるならば,とりわけ 1次元射影作用素(1 次元部分空間の上への射影作用素)に限定した次の問いに肯定的に答えられなければなら ない.
K-S問題 N次元ヒルベルト空間上のすべての1次元射影作用素に,次の条件を満たすよ うに0か1を付値できるか?
条件* {Pi}Ni=1 が相互に直交する1次元射影作用素からなる集合であるならば,
そのうちの一つだけに1を,残りすべてに0を付値する.
いま,すべての物理量に確定した値を付与できるのか,という問いについて考えている のだった.そして,そのような値付与が満たすべき二つの条件,スペクトル規則とFUNC を紹介した.詳しくみてきたように,仮にスペクトル規則とFUNC を満たす値付与が存 在するならば,すべての1次元射影作用素にたいする,条件*を満たす0,1の付値が存 在しなければならない.だが,次節でみるように,コッヘンとシュペッカーは,次元が3 以上である任意のヒルベルト空間においてそのような付値は存在しないことを証明したの である.そこで彼らは,すべての物理量に確定した値を付与できない,と結論付けたので ある.
量子力学の状態空間は係数体が複素数のヒルベルト空間だが,まず係数体が実数である 場合に次の定理が示され,それを利用して複素数の場合が証明される.
3次元実-不可能性定理 3次元実ヒルベルト空間上において,1次元射影作用素にたい する,条件*を満たす0,1の付値は存在しない.
まず,この定理の証明をみていこう.
下の図8をみてほしい.1辺の長さが2√
2の立方体が描かれている.立方体の中心(対
− 2
−1 0
2 1
z
x
y
図8
角線の交点)を原点とし,その手前方向,右方向,上方向を,それぞれx成分,y成分,
z 成分が正である方向として,立方体表面上の点を座標表示する.これまでの問題設定で は1次元射影作用素にたいする条件*を満たす0,1の付値の存在について考えてきたが,
これからしばらくは少々設定を変えて,立方体の表面上にある点を,0のかわりに白く,
1のかわりに黒くぬるぬり分けが存在するのか,という問題について考えよう.色のぬり 分け問題において,条件*は「三つの点の原点からの方向が相互に直交するときには,一 つだけを黒に,残りの二つを白にぬり分けねばならない」という条件に対応する.今後,
ぬり分け問題においてはこの条件を条件*と呼ぶ.これから,立方体表面に印を付けた計 33方向について,条件*を満たすように色をぬり分けられないことが示される.これら の33方向はそれぞれ,相互に直交する16個の三つ組のどれかに属するが,いくつかの方 向は複数の直交三つ組に属する.そこで,ある直交三つ組のぬり分けは別の直交三つ組の ぬり分けに影響をおよぼす.最終的に,ぬり分けの不可能性が示される.
はじめに,(0,0,√
2)が黒であるとしよう.ぬり分けは次のように進められる.
図9.1 (√ 2,−√
2,0),(√
2,0,0),(√ 2,√
2,0),(0,√
2,0)は,それぞれ(0,0,√ 2)と
− 2
−1 0
2 1
図9.1
−1 0
2 1
図9.2
−1 0
2 1
図9.3
−1 0
2 1
図9.4
x z
y
図9
直交するので,白である.次に灰色の2点のぬり分けを考える.この2 点と白く ぬられた四角の点は相互に直交する.よって,灰色の2点のどちらか一つは黒であ る.この2点は対称な位置にあるので,どちらを黒としてもよい.ここでは,図 9.2のように(√
2,0,√
2)を黒とした.
図9.2 灰色の2点のぬり分けを考える.この2点と白くぬられた四角の点は相互に直 交する.あとは図9.1の推論と同様である.灰色の2点のうち,ここでは,図9.3 のように(0,√
2,√
2)を黒とした.
図9.3 図9.1,9.2の推論と同様である.四角の3点は相互に直交する.灰色の2点の うちどちらが黒でもよいが,ここでは図9.4のように(1,−1,√
2)を黒とした.
現段階で確定した色のぬり分けは図9.4の通りである.さらに推論がどのように進むのか を下の表2にまとめておいた.
さて,(√
2,0,0),(0,√
2,1),(0,−1,√
2)はともに白である(それぞれ,図9.1のぬり
表2
確定するぬり分け 確定する理由 帰結 (√
2,0,−1) (0,√
2,1) }
は○ (1,−1,√
2) ●と直交
(1,0,√
2)は● (√
2,0,−1) ○ (0,√
2,0) ○ }
と直交 (√
2,−1,−1) は○
(√
2,1,1)は● (0,−√ 2,√
2) ○ (√
2,−1,−1) ○ }
と直交 (−1,0,√
2)は○
(√
2,0,1)は● (0,√
2,0) ○ (−1,0,√
2) ○ }
と直交 (−1,−1,√
2)は○
(1,1,√
2)は● (√
2,−√
2,0) ○ (−1,−1,√
2) ○ }
と直交 (0,√
2,−1)は○
(0,1,√
2)は● (√
2,0,0) ○ (0,√
2,−1) ○ }
と直交 (−1,√
2,−1)は○
(1,√
2,1)は● (−√ 2,0,√
2) ○ (−1,√
2,−1) ○ }
と直交 (0,−1,√
2)は○
分けの説明,表2の1行目と最終行を参照).だが,それらの三つの方向は相互に直交す る.よって色のぬり分けは不可能である*28.
次に,3次元実-不可能性定理を用いて,3次元複素ヒルベルト空間上のすべての1次元 射影作用素に条件*を満たすように0,1を付値できないことを示そう.証明には背理法 を用いる.以下でみるように,3次元複素ヒルベルト空間上で条件*を満たす付値が可能 である(背理法の仮定)とすると,3次元実ヒルベルト空間上で条件*を満たす付値が存 在することになる.だが,3次元実-不可能性定理によるとそのような付値は存在しないの であった.
3 次元実ヒルベルト空間において相互に直交する 3方向(x, y, z) を適当にとり,それ
*28この証明で言及されたのは25方向のぬり分けだけであり,33方向すべてではない.それなのに矛盾が導 かれたので,証明には33方向は必要でない,と考えるかもしれない.それは誤解である.証明にでてき た25方向だけなら条件*を満たすようにぬり分けられる.証明のぬり分けではまず立方体上面の中心点 を黒とした(上面の点が黒となるように立方体の配置を決めた)が,単にこの25方向をぬり分けるだけ ならばその点を黒とする必要はない.
ぞれの方向に対応するスピン成分jx,jy,jz を考えよう.それらのスピン成分は3次元 複素ヒルベルト空間上で作用する自己共役作用素によって表されることに注意してほし い.4.1節で説明したように,それらの自己共役作用素はそれぞれ縮退のない三つの固有 値{+1,0,−1}をもち,なかでも各スピン成分の固有値0の固有状態|jx = 0i,|jy = 0i,
|jz = 0iは相互に直交するのであった.よって三つの1次元射影作用素P0jx,P0jy,P0jz も相互に直交する(どの二つの射影作用素の積も0となる).要するに,3次元実空間に おける直交系(x, y, z)をどのようにとろうとも,3次元複素空間においてP0jx,P0jy,P0jz は相互に直交するのである.図10はこのことの直観的なイメージ図である.右側にはそ れぞれの1次元射影作用素の値域が描かれている.
3次元実次元実次元実-空間次元実空間空間空間 3次元複素次元複素次元複素次元複素-空間(イメージ)空間(イメージ)空間(イメージ)空間(イメージ)
図10
仮に 3次元複素ヒルベルト空間上で条件*を満たす付値が可能である(背理法の仮定)
としよう.するとその付値によって,実空間における直交系(x, y, z)をどのようにとろう とも,P0jx,P0jy,P0jz のなかで,一つだけに1が,残りの二つには0が与えられる.複 素空間において1を付値されたスピン成分に対応する方向を実空間において黒く,0を付 値されたスピン成分に対応する方向を白くぬり分ければ,3次元実空間において条件*を 満たす色のぬり分けができることになる.だが,3次元実空間においてそのような色のぬ り分けは存在しなかったので,矛盾が生じる.よって,3次元複素ヒルベルト空間におい て条件*を満たす0,1の付値は存在しない.
最後に,ヒルベルト空間の次元が3でない場合に同様の付値が存在するのか,否かにつ いて,手短に述べておこう.まず3より大きな次元の場合,条件*を満たす1次元射影作
用素すべてへの付値は存在しない.その理由を4次元の場合を例に説明しよう.4次元ヒ ルベルト空間において付値が存在するとしよう(背理法の仮定).0を付値された方向(1 次元射影作用素の値域)を一つ勝手に選び,それと直交する3次元部分空間を考え,存在 すると仮定している4次元空間における付値をその3次元部分空間上に制限する.その ように制限された付値は,その3次元部分空間(3次元ヒルベルト空間)上の,相互に直 交する1次元射影作用素からなる任意の三つ組について,その一つだけに1を,残りの二 つに0を付与する.だがこのことは,すでにみた3次元ヒルベルト空間における否定的結 果と矛盾する.よって,4次元ヒルベルト空間において付値は存在しない.一方,2次元 ヒルベルト空間においては付値は存在することが知られている*29.したがって,最終的 な結論は,次のようになる.
3以上の任意の次元のヒルベルト空間において,相互に直交する1次元射影作用 素からなる任意の集合について,そのなかの一つだけの射影作用素に1を与え,残 りすべての射影作用素に0を与える付値は存在しない.