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3.1 ヒューム思想における付随性概念

「付随性(supervenience)」は、ヒュームの時代はもちろん、20世紀初頭までは哲学思想におい て一般的に登場することのなかった概念、もしくは概念を把握するためのキー概念である。この概 念は、価値と事実との関係を論じるのに用いられたり、また時には、心的状態と身体との関係を論 じるのに用いられている。この概念は、或るタイプの性質もしくは事実と、別のタイプの性質もし くは事実との間での従属関係を示している。しかし、その従属関係には必然的な結合関係があるわ けではなく、一方が他方に付随しているという意味においてそうなのである。「二つの対象が、それ ぞれ性質Bの点において異なることなしに、性質Aの点で異なり得ない場合、そしてその場合に限 り、タイプAの性質は、タイプBの性質に付随(supervene)するものである15」というのが、一 般的な‘supervenience’の定義である。

この付随性という概念が示す内容をヒュームの知覚論に沿う形で表現するならば、原因と結果と の間の因果関係が示すところの実在論的含みは、それら現象に付随する性質という意味で理解され ることとなる。因果関係の観念は、合理主義者が言うところの理性によって語ることのできるよう な類のものではなく、観察上、規則性が見いだされる場合にのみ存在すると語ることができる、と いうのがヒュームの自然主義であり、付随性はそうした自然主義的還元論の特徴といえる。付随性 に関する議論のいくつかは、ヒュームの認識論のみならず道徳論にも関連するので、付随性の概念 を取り上げることは、ヒューム思想を統合的に解釈するためにも必要である。もっとも、ヒューム 思想のうちにこの概念が内在するといっても、付随性にはいくつかの種類があるし、さらにはヒュ ーム本来の意図も見失わないように考慮しつつ、ヒューム思想における付随性概念の適用範囲を見 定めなければならない。それが明確になれば、ヒューム主義的(Humean)な付随性概念のもと、

ヒュームが何を語ろうとしていたのかも明らかになるであろう。この点については慎重さを要する ものである。

ここでいう「ヒューム主義(Humeanism)」とは、反プラトニズムにおける唯名論的ヒューム主 義であるが、端的に言えばそれは、「自然主義」である。自然主義にもいろいろあるが、ここでは、

少なくとも、自然一般に観察される事物が実在することは認めた上で、概念を性質として分析しよ うとする立場、としておこう。そして、ヒューム主義者であるD・ルイスによれば、「ヒューム主義 的スーパーヴィーニエンス(Humean Supervenience:以下HSと省略)」は、「必然性の偉大なる 批判者」に敬意を表し、ルイスが採用する哲学的主張である。その特徴として、ヒュームの個別化 原理を適用させる形で、世界を巨大なモザイクとみなす。これはヒュームの粒子説とも関係してお

15 The Cambridge Dictionary of Philosophy, 2nd ed. p.891

り、ルイス自身はヒュームのこの存在論を利用しているといえる。時空的ポイントそれ自体は粒子 の集合であり、そこにおいて我々は局所的性質をもつ16。これは前述してきたように、粒子はそれ 自体では非延長的なものであり、延長としての実体が存在してはじめてその性質が例化されるよう なものであることを理由とする。これは「自己」という性質についても同様である。「自己」は物理 的には身体を形成する物質の束であるし、心理的・現象論的には知覚の束である以上、延長として の実体があってはじめて「自己」という存在者がそこに例化されることになる。

そして、ルイスおよびヒュームにとって重要であるのは、そこにおいて例化されるべきポイント 以上に大きいものをなにも必要としないような自然的な内在的性質を強調することにある。我々が もつのは、性質のアレンジメント(arrangement)であり、それがすべてである。「諸性質のアレン ジメントに差異がなければ、そこには何の差異もない」とルイスは言うが17、ここでいうアレンジ メントを形成する諸性質とは自然的性質のことである18

ルイス自身の定義によれば、HS は「もし二つの世界がすべての個別的事実の内容において完全 に一致しているならば、それらはすべての他の仕方―様態的性質、諸法則、因果、関係、偶然性・・・

―においてもまた完全に一致している」というものである19。もっとも、これは偶然的真理であり えるし、局所性をもった事物よりも、ありていにいえば、現在の自然科学的観点から検証されるの とは別の、大きな自然的性質があるかもしれないこともルイスは認める。ただし、それは余剰的な ものであり、この世界においては異世界 alien なものといえる。以上、HSの概略をまとめると以 下のようになるだろう。

(1) 性質例化についていえば、粒子のアレンジメントである延長的時空ポイントに性質が例化 しているのであり、このポイントが性質が特定される際の基本的要素として考えられる。

別の言い方をすれば、実体としてのアレンジメントに対し、例化する性質が付随している といえる。もしアレンジメントがなければ、性質例化と呼ばれる現象は起きない。という のも、その場合、例化先の実体がないからである。これは HS の基礎的主張である。ただ

16 David Lewis, Philosophical Papers vol.Ⅱ(New York, Oxford, Oxford UP, 1986), intro p.x.

17 ibid., p.x.

18 自然的性質についての定義は、ルイスの以下の箇所を参考とされたい。「自然的性質とは、それを共有する ことが互いの類似性に寄与するような性質であり、因果的な力に関与するような性質のことである。非常に簡 単にいえばこうである。ある一つの普遍者を共有する物すべてがある性質のメンバーであり、かつその性質の メンバーがそのような物にかぎられるとき、われわれはその性質を「完全に自然的」であると呼ぶことができ る。しかし他方われわれは、他の「より完全ではない仕方で自然的な」性質をもつことになるだろう。そのよ うな性質は、関連するいくつかの適切な普遍者の族によって形成されている。したがって、たとえば、金属的 という単一の普遍者が存在しないにもいかかわらず、われわれは、金属的であるという不完全に自然的な性質 を手にすることになるかもしれない。すなわちそれは、金属的な物体のいずれもは、密接に結合しあう真正の 普遍者からなる一つの族に属する普遍者のうちのあれないしはこれを例化している、ということによってであ る。そうした不完全に自然的な性質は、さまざまに異なる程度で自然的でありうることになる」(『現代形而上 学論文集』(勁草書房2006)収録、デイヴィッド・ルイス「普遍者の理論のための新しい仕事」p.149を参照)

19 David Lewis,“A Subjectivist’s Guide to Objective Chance”inPhilosophical Papers vol.Ⅱ(New York, Oxford, Oxford UP, 1986),

し、注意すべきは、ヒューム主義である以上、延長である物体に性質が付随しているので あって、イデア(ルイスで言うところの「普遍者」)が実在し、物体の性質を特徴づけてい るわけではない。

(2) 次に、アレンジメントとしての延長(当然、何らかの自然的性質をもつ)によって構成さ れる物や事柄、あるいは世界が二つあり、それらのアレンジメントが同じものであるとき、

それら二つにスーパーヴィーンしている性質は同じであるという主張である。HSは合理的 な主張であり、因果信念を支える自然主義の論理性を含んでいる。もちろん、可能世界的 に考えて、同じ自然的性質のアレンジメントに、それぞれ違った法則などがスーパーヴィ ーンしている可能性はあるが(霊魂法則など)、この世界における物理主義的テーゼが真で あると仮定して、その証拠を用いることに問題はない。

ここまでは問題ないようにみえる。いや、実際、物理学には還元不可能なイデア的存在者を信奉 する強い実在論からは批判の余地はあるのだは、実際、ルイスは(もちろんヒュームも)物理主義 的言語以外で語られる性質があることを認めている。しかしそれは、物理主義的な日常的信念と共 存しうるものであるし、そのような日常的信念が認める性質があるからこそそうであるといえる。

それゆえ、ヒュームおよびルイスの自然主義と、強い実在論的主張とは共存しうる。

では、何も問題はないのかと問われると、率直にいって、いくつかの問題があることは認めねば ならない。HSを用いたヒューム主義が抱える問題を大雑把に言ってしまうならば、法則性、同一 性などを、経験的事象に付随する内在的性質として語りながらも、未経験の事象とそのような性質 との関わり方を論じる際には、決定論的に、しかも当の事物に対し外在的な仕方で論じているよう にも見えるからである20

3.2 HSの説得力と問題点

ルイスは法則性・同一性を認めるし、それらの性質は、ローカルな環境において自然的性質のア レンジメントに付随していると主張する。自然的性質は内在的性質であるし、或る種の自然的性質 をもった特定のアレンジメントにスーパーヴィーンする法則性や同一性は、同種のアレンジメント にもスーパーヴィーンするはずであり、それら法則性や同一性は、その自然的性質が例化している 環境において内在的であるといえる。しかし、「完全に自然的な性質は内在的であるが、逆は真では

20 内在的・外在的の区別についての定義も、ルイスが述べている箇所を参考とした。「性質Pが内在的である のは、以下の場合であり、その場合に限る。すなわち、必ずしも同じ世界の物とはかぎらない任意の二つの複 製物について、ともにPをもつか、あるいはどちらもPをもたないかのいずれかであるときである。また、P が外在的であるのは、複製の片方はPをもつが、もう片方はPを欠くようなペアが存在するときであり、かつ その場合に限る(「普遍者の理論のための新しい仕事」p.167)」