第 3 章 クリーンダッカ・プロジェクトの事例分析
3.2 ダッカ市のごみ処理の歴史
現在のバングラデシュが位置する東ベンガル地方には古くから文明が発達し てきた。紀元前10世紀にはすでに住民による自治組織が形成されていたといわ れている(Majumder, 1973)。8世紀中葉に仏教を奉ずるパーラ朝が北東インド一 帯を支配したが、12世紀にヒンドゥ教のセーナ朝にとって代わられ、17世紀初 頭にイスラム王朝であるムガル帝国による統治が始まった。イスラム教の侵入 はセーナ朝初期の12世紀からすでに始まっており。ヒンドゥ教からイスラム教 への移行にともなう様々な社会的軋轢のなかで、人々は情緒的にまた経済的に 相互に助け合う必要にせまられ、そのようにして発達した相互扶助および互恵 は、やがて宗教的規範として人々の間に定着していった(Hasan et al., 1992;
Al-Amin, Islam & Ahmed, 2007)。本節後段で見るような、住民のなかから自然発生
的に生まれてきたごみ収集システムの背景には、このような、政府に頼らない互 恵・互酬社会があったといえる。
公共サービスとしての廃棄物管理はムガル朝の 1700 年代にすでに始まって
いた(Shukur & Paul, 1994)。1757年、衰退するムガル帝国に代わって、英国が
ベンガル地域を軍事的に支配し、1765 年には東インド会社が徴税権を獲得して 実質的な行政権を手中に収めた。その後の同地域の廃棄物管理は、ヨーロッパ人 の郡長官のもとで治安、衛生、ごみ処理など、広く町の保全(conservancy)を担 っていた警察長官コトワル(Kotowal)にゆだねられた(Bhuiyan, 2004)46。しか
46 警察長官が廃棄物管理を担当するというのは、現代の感覚からすると奇妙に感じるが、
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し、英国支配のもと、その職務はごく限られ、十分な保全サービスが提供されて いたわけではない。1814 年にコトワルのポストが廃止されてのち、それに代わ るポストが設けられず、公共サービスとしての清掃・保全は実質的にはほとんど おこなわれなくなった。1820 年にダッカに町委員会(Town Committee)が設け られたが、そのころのダッカは極めて不衛生な醜い都市になっていたという
(Bhuiyan,2004)。1864 年の都市改革法にもとづくダッカ市の誕生にともなっ
て、町委員会はダッカ市委員会(Dhaka Municipal Committee)に格上げされ、廃 棄 物 管 理 や 衛 生 管 理 と い っ た 公 共 サ ー ビ ス に あ た る 部 署 が 設 置 さ れ た
(Asadduzzaman & Hye, 1998)。
1947年にインドが英国領から独立する際に、ヒンドゥ教地域はインド、イス ラム教地域はインドをはさんで東西に分かれたパキスタンとして独立すること になった。しかし東西パキスタンは経済、文化、言語などが大きく異なり、様々 な摩擦を繰り返したのち、1971 年、内戦をへて分離。東パキスタンはバングラ デシュとして独立した。独立とともにダッカはバングラデシュの首都になる。
1977年に都市地方自治体条例(Urban Local Body Ordinance)が制定され、ダッ カ市の廃棄物管理が市の責任として定められた。しかし、市によるごみ処理は都 市の拡大と人口増加に追いつかず、街路のいたるところに塵芥が積み上がり、住 民のフラストレーションは高まる一方であった(Asaduzzaman & Hye, 1998)。
そのようななか、1986年にカラバガン(Kalabagan)地区で、市の対応に業を 煮やしたアサン・クラム(Mahbub Ahsan Khurram)と彼の友人数名が共同で3輪 車を購入し、それを厨芥運搬車に改造して、運転手を雇い、会員世帯を対象とす る家庭ごみの戸別有料回収を開始した。ダッカ市のごみ処理における最初の民 間事業である。クラムは周辺住民との協議を繰り返し、サービスに不満であれば サービス料を支払わなくてもよいという条件まで出して会員を増やしていった。
彼の事業が提供したサービスは、会員世帯のごみを有料で戸別回収し、市が設置 したごみ集積所まで運ぶサービス、すなわち前章で紹介したヴァンワラ(van wala)と呼ばれる1次収集サービスである。これによって街路のごみの山が減っ た。バングラデシュ・テレビ局はドキュメント番組を作成して、改善された町の 様子を伝えた(Ahmed & Ali, 2005)。その後、この事業が各地で模倣され、カタ ルバガン(Kathalbagan)地区では、2人の市の清掃員が区長(Ward Commissioner) の支援を得て同様のサービスを開始した。2人は、ほぼ毎日、市の清掃業務を終
これは世界中で広く見られることである。日本でも、ぼろ・屑物が商取引の対象となり、そ の収集や取引を取り締まる必要があったことや、衛生上の問題からごみの廃棄を取り締ま る必要があったことなどを背景に、明治8年に、廃棄物管理を含む衛生行政が文部省から内 務省に移され、内務省管轄下の警察行政と地方行政が担当するようになっている。コレラ発 生時などは、患者の隔離、消毒などを警察がおこない、下水やごみ溜めの清掃にも巡査がひ とつひとつ点検・注意をして歩いた(稲村, 2015)。
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えてから、戸別回収に回った。これら初期の民間事業にならって、同様の事業形 態はカラバガン・カタルバガン・アプローチと呼ばれるようになった。現在では、
ダッカ市内のほとんどの地区でこういった民間業者による家庭ごみの戸別回収 がおこなわれている(Asaduzzaman & Hye, 1998; Bhuiyan, 2004)。
やがて住民の側に、これらごみ収集業者に頼るとともに、彼らを支える動き が起こってきた。住民がグループを形成し、大口の安定顧客として収集業者と契 約したり、住民グループで収集人や清掃員を雇用したりしはじめたのである
(Islam & Mahjabeen, 2003; Al-Amin, Islam & Ahmed, 2007)。これらの住民グルー プ形成の背景には、バングラデシュの歴史のなかで培われてきた、政府に頼らな い住民たちの互恵・互酬があった(Bhuiyan, 2004; Al-Amin, Islam & Ahmed, 2007)。 また、住民グループの成否の要因として、信頼、互恵、共有、社会的ネットワー クなどの社会資本(social capital)が挙げられている(Pargal, Huq & Gilligan, 1999;
Bhuiyan, 2004)。
たとえば、2013年2月当時、ダッカ市の第48区(Ward 48)47には、5つのご み処理専門の住民グループと、18 のごみ処理に関係する NGO があった。筆者 は、2013年2月17日に、そのうちの2つの住民グループの代表者と1社の収集 業者のグループ・インタビューをおこなった。一方の住民グループは、定年退職 した元銀行員の男性をリーダーとする、約80件の世帯からなるグループで、も う一方は、女性の小学校教師をリーダーとする、約50件の世帯からならグルー プで、ともに同一の収集業者と契約を結んでいた。この収集業者は、44 人の収 集人を抱え、22 台のリキシャバン(自転車つきリヤカー)を有する比較的規模 の大きい業者であった。彼らの話によると、このグループと収集業者の関係は非 常に良好であり、住民グループと業者が話し合って、収集の曜日、時間、収集ル ート、収集料金を決めていた。また、住民は収集人の日々の仕事をモニタリング し、問題や不満がある場合はグループ代表に連絡し、グループ代表が業者の代表 に連絡していた。
これらごみ収集業者をめぐる一連の動きは、知識の観点から見ると、現地の 現状のなかから、そこで生きる人々によって生み出され、定着した、典型的なロ ーカルナレッジである。
このように、ダッカのごみ処理に関して、住民と事業者の連携は自然発生的 に始まり、定着していった。廃棄物管理のひとつの有効な手段とされている民間 連携(PPP: Public Private Partnership)(CWG, 2005; ADB, 2011; IFC, 2014)の、住 民と民間企業の連携はなされているわけである。しかし、PPPのもうひとつの主 要なアクターであるダッカ市(行政)は、住民ともごみ収集業者とも、長年ほと
47 ダッカ市48区(Ward 48)は面積2.505㎢、人口約13万人の住宅・商業地区である。市 による廃棄物管理は、ひとりの清掃監督員(CI: Conservancy Inspector)と67人の清掃員に よって賄われていた(2013年2月当時)。
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んどコミュニケーションをとってこなかった。そのため、住民活動と民間事業者 によるごみ収集事業は、無計画に、統制されることなく展開されてきた(Yousuf, 2007)。しかし、2000年以降の日本政府の援助介入を受けて、ダッカ市は、より システマティックなごみ収集のために、2002 年にごみ収集業者の許可制度を導 入した(これはクリーンダッカ・プロジェクトが提案・推進したものである)。
しかし、それまで廃棄物管理に関する利権を独占していた区長が収集業者の活 動を許可しなかったり、市の清掃員と民間のごみ収集人の間でトラブルが発生 するといった例も依然として見られた(Yousuf, 2007)。
なお、ダッカ市には焼却や堆肥化といった処理プロセスは存在せず48、ダッカ 市の廃棄物管理は収集・運搬・処分の3つのプロセスからなっている(図3-1参 照)。
ごみ集積所から最終処分場までのトラック運搬(2 次収集)は市の所掌であ る。しかし、トラックの数の不足やずさんな運行管理のために十分な収集がおこ なわれず、集積所にはごみがあふれ、何日も放置されて異臭を放つ状態が続いて いた。また最終処分場は、衛生処理や覆土などがまったくおこなわれない「巨大 なごみ溜め」(日本人専門家A氏, 2013年1月28日於ダッカ)だった。