7.1 はじめに
2009年3月期以後終了する事業年度より、継続企業の前提(GC:Going Concern)に関 する情報開示制度が変更され、GCに重要な疑義を生じさせるような事象又は状況が存在し、
かつ対応策を実施してもGCに重要な不確実性が認められるときに限り、GCに関する情報 を財務諸表に注記することとなった。すなわち、GC 情報の注記をするかどうかに関して、
制度変更前の形式的な要件に加えて、「重要な不確実性の有無」という判断基準が追加され ることとなった。
国内外の先行研究においては、投資家は利用可能な会計情報により、財務困窮企業に対 してGC情報が付されるかどうかを予測しており、GC情報の注記が期待外であった場合、
すなわち財務困窮状態ではない企業にGC 情報が付された場合にGC 情報と株価が負の関 連性を有するとの結論が相当数みられる。GC情報制度変更前においては、実務上GC情報 の注記は、重要な疑義を抱かせる事象又は状況が存在するかどうかにより判断される傾向 にあり、重要な疑義を抱かせる事象又は状況として財務指標の悪化を記載するケースが多 かった。従って、投資家が事前に財務困窮企業に GC 情報が付されるかどうかの判断に必 要な情報を入手できるケースが多く、GC情報の注記が期待外であったケースはそれほど多 くはなかったものと考えられる。
しかし、GC情報制度変更後においては、GC情報の注記はGCに重要な疑義を生じさせ るような事象又は状況が存在するかどうかだけではなく、対応策の実施により重要な不確 実性が払拭されるかどうかに関する情報も併せて投資家に提供する。この重要な不確実性 に関する情報は、投資家にとって重要な疑義の帰結を予測するための新たな情報であると 考えられる。
本研究では、変更後の GC 情報の注記が、株式市場においてどのように評価されている のかを実証的に明らかにする。
7.2 GC情報の開示の制度
7.2.1 制度変更後のGC情報開示制度
GC 情報の開示制度は、2009 年 4 月に企業会計審議会[2009b]が公表されたことにより 2009年3月31 日以後終了する事業年度より変更された。制度変更の背景には、国際会計 基 準 (IAS:International Accounting Standards) 又 は 国際 財 務 報告基 準 (IFRS: International Financial Reporting Standards)、及び国際監査基準(ISA:International Standards on Auditing)との整合を図るという目的の他、2008年下期以降の企業業績の急 激な悪化によりGC情報の注記企業が急増したことが挙げられる。
制度変更前は、債務超過や連続営業損失など、日本公認会計士協会[2002b]に例示された
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重要な疑義を抱かせる事象又は状況が存在すれば、画一的に当該注記を行う実務となって いた。なお、重要な疑義を抱かせる事象又は状況としては、財務指標の悪化を記載するケ ースが9割近くとなっている1。
制度変更後は、GCに重要な疑義を生じさせるような事象又は状況(以下「重要事象等2」 という。)が存在する場合であって、かつ、当該事象又は状況を解消し、または改善するた めの対応をしてもなお GCに関する重要な不確実性が認められるときに限り GCに関する 情報を注記することとされた。すなわち、重要事象等の存在に加えて、重要な不確実性の 有無がGC情報の注記を行うか否かの判断に影響することとなった。
重要事象等が存在するため変更前の基準では GC 情報の注記がなされてきたケースの一 部について、変更後の基準では重要な不確実性が認められないため注記に至らないケース が生じることがあるが、上場企業等においては、このようなケースでは有価証券報告書の
「事業等のリスク」等で一定の開示を行うことになる。以下では「事業等のリスク」等で 重要事象等の存在を開示したものの財務諸表に GC 情報を注記していないケースを「リス ク情報の開示」という。
制度変更後の基準では、GC情報の注記は重要な不確実性が残る場合に限られるため、財 務諸表利用者が従来よりGCに関する注記を重く受け止めると考えられる3。
制度変更前後のGC情報注記とリスク情報開示の関係は、<図表7-1>の通りである。重 要事象等が存在し重要な不確実性がある場合(Aの場合)であれば、制度変更前後ともGC 情報注記となるが、重要事象等が存在し重要な不確実性がない場合(Bの場合)であれば、
制度変更前はGC情報注記となるが、変更後はリスク情報開示となると考えられる。
<図表7-1>制度変更前後のGC情報注記とリスク情報開示の関係
重要な不確実性 GC情報注記 リスク情報開示 有 無 制度変更前 A及びB
重要事象等 有 A B 制度変更後 Aのみ B 無 開示不要
「重要な不確実性」という用語はIAS第1号「財務諸表の表示(Presentation of Financial Statement)」(IASB[2011])など他の財務報告の枠組みにおいても、同様の状況において 用いられている4。
重要な不確実性については、監査上の実務指針において記述されている。日本公認会計 士協会[2009a]によると、「監査人の判断により継続企業の前提に関する適切な注記が必要で あるとした場合、継続企業の前提に関する重要な不確実性が存在していることになる」5と され、重要な不確実性が存在するかどうかに関しては監査人の判断が重要視されている。
重要な不確実性が存在するかどうかを判断するための対応策の検討に際して、監査人は、
対応策が重要事象等を解消し改善するものであるかどうか、及びその実行可能性を検討す
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ることが期待されている。具体的な例示として、資産処分による対応策については資産処 分の制限や処分予定資産の売却可能性、売却先の信用力等、資金調達による対応策であれ ば、新たな借入計画の実行可能性、増資計画の実行可能性等、債務超過による対応策であ れば、債務免除を受ける計画の実行可能性(債権者との合意)があげられている6。
7.2.2 法令等に基づくGC情報開示
日本においては、会計基準上に GC 情報の注記に関する規定はなく、金融商品取引法に 基づいて提出する有価証券届出書や有価証券報告書等に含まれる財務諸表の開示について 規定する財務諸表等規則等7、会社法に基づく計算書類等の記載内容等を定める会社計算規 則、金融商品取引法に株式を上場する企業の開示について定める金融商品取引所の規程や 規則などによりGC情報の開示が規定されている。
(1) 金融商品取引法に基づく開示(財務諸表等規則)
財務諸表等規則第 8条の27 において、「貸借対照表日において、企業が将来にわたって 事業活動を継続するとの前提(継続企業の前提)に重要な疑義を生じさせるような事象又 は状況が存在する場合であって、当該事象又は状況を解消し、又は改善するための対応を してもなお継続企業の前提に関する重要な不確実性が認められるときには、次に掲げる事 項を注記しなければならない。」と規定されている。注記事項は以下の通りである。
5.当該事象又は状況が存在する旨及びその内容
6.当該事象又は状況を解消し、又は改善するための対応策 7.当該重要な不確実性が認められる旨及びその理由
8.当該重要な不確実性の影響を財務諸表に反映しているか否かの別
なお、GC情報の注記は要しない場合であっても重要事象等が存在する場合、企業内容等 の開示に関する内閣府令に定める記載様式に従い、有価証券報告書の場合、第一部 企業 情報 第2事業の状況 4事業等のリスク、及び7財政状態・経営成績及びキャッシュ・フ ローの状況の分析において記載することとされている8。有価証券報告書は事業年度経過後 3月以内に提出することとなっている9。
(2) 会社法に基づく開示(会社計算規則)
各事業年度に係る計算書類は会社法第435条第2項に定められており、会社計算規則第 59条において注記表の作成が義務づけられている。会社計算規則第98条において「注記表 は、次に掲げる項目に区分して表示しなければならない。」と定められ、第1項第1号 に
「継続企業の前提に関する注記」があげられている。
その記載内容は同第 100 条において具体的に定められ、財務諸表等規則と同様の項目の
181 注記が求められている。
会社法に基づく計算書類は、株主総会の招集の通知に際して株主に提供される。取締役 会設置会社において、提供される計算書類は取締役会において承認を受けたものであるこ とが規定されている10。
(3) 金融商品取引所の規程等に基づく上場企業におけるGC情報開示
金融商品取引所に株式を上場する企業は、金融商品取引法による開示の他に金融商品取 引所の規程又は規則に基づく開示制度の適用を受ける。上場企業は決算の内容が定まった 場合には直ちにその内容を決算短信(又は四半期決算短信)によって開示することが義務 づけられており11、決算短信等の開示の際にはGC情報の注記や重要事象等が存在する場合 のその内容の開示も要請されている12。年度の決算においては、遅くとも決算期末後 45 日 以内に決算短信の開示を行うことが適当とされており、決算期末日後50日を超える場合に は理由の開示等が必要となる13。よって、上場企業がGC情報の注記を行う場合、その情報 が最も早く公表されるのは通常は決算短信等であると考えられる14。
仮に決算短信等においては GC 情報の注記を行わず、その後監査人からの指摘等により GC情報の注記を行うことが機関決定された場合には、適時開示事項として直ちにその内容 を開示することが義務づけられている15。
なお、GC情報の注記は要しない場合でも、重要事象等が生じた場合には、有価証券報告 書の「事業等のリスク」や「財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析」
の箇所における記載と同様に、決算短信等においても「継続企業の前提に関する重要事象 等」として開示することが要請されている16。
7.3 先行研究
GC 情報と株価との関係を取り扱った研究は、国内外に多数存在する。海外の研究では、
GC情報が含まれる監査報告書に対する株価反応に有意な負の影響があるとする研究と、株 価リターンに影響を与えないと結論づけている研究が混在している。
GC 意見と株価との関連に肯定的な結論である研究として、Firth[1978]及び Chow and
Rice[1982a]は、それぞれ英国企業、米国企業でGC情報が含まれる監査報告書に対して有
意な負の超過リターンを報告している。Ogneva and Subramanyam[2007]、Herborn et
al.[2007]でも GC 意見に対するマーケットの過小反応を否定しており、より直近の研究で
は Kausar et al.[2009]が GC 意見開示後の負のリターンを報告しており、Menon and Williams[2010]でもGC 意見は投資家に GCの状態や経営者の経営計画等の新しい情報を 提供することにより GC 意見に負の超過リターンが存在すると結論づけている。しかし、
Elliott[1982]やDodd et al.[1984]は、監査人による限定意見(GC意見)は、公表時点の株 価リターンに影響を与えないとしている。結論の差は、時期やサイズ等によるサンプルの