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カントの批判哲学体系と有機体論

ドキュメント内 有機体と「地」のエレメント (ページ 110-136)

第2章  カントと有機体論

2.2  カントの批判哲学体系と有機体論

カントが、『判断力批判』において、有機体を統制的概念として位置づけたこと、このこ との意義を、カントの批判体系の構成を確認しながら論じてみることにする。本論考で は、カントの批判哲学の基本構成はほんらい『純粋理性批判』と『実践理性批判』のカップ リングにあり、『判断力批判』はやや特殊な位置づけにあるものとしてとらえる。いわば、

認識と道徳を表裏一体の理論で論じた『純粋理性批判』と『実践理性批判』の「二批判体系」

に、『判断力批判』は後から挿入されたものとして位置づけられると考える。そのことを以 下、確認してみよう。

2.2.1 カントの二批判体系 「演繹」と「アンチノミー批判」を中心に

カントが、批判哲学を打ち立てるために必要としたのは、感性と理性とを媒介し、同時 に切断するものである「悟性」という中間媒体である。感性的な存在である人間と、理性的 な存在である人間、この二つの人間像を結ぶ媒介項として、カントは純粋悟性概念という 中間者を発明し、その発明を正当化するための「演繹」(Deduktion)つまり、「証示」に腐 心した。

『判断力批判』が執筆される前、『純粋理性批判』と『実践理性批判』が構成していた二批 判の体系は、(図1)のように図示できる。(図1)は『純粋理性批判』の構成を焦点とし、

その『実践理性批判』への接続を示したものである。この図は、『純粋理性批判』の核であ る「超越論的分析論」(純粋悟性概念の演繹)と「超越論的弁証論」(アンチノミー批判)が、

『実践理性批判』の道徳論へと接続される構成になっていることを示している1)

1)(図1)から(図5)の作成にあたっては以下を参照した。有福孝岳ほか編『カント事典』弘文堂、1997 年。

高峯一愚『カント講義』論創社、1981 年。

時間と空間の 形式

『純粋理性批判』

超越論的原理論

超越論的方法論

超越論的感性論

超越論的論理学

超越論的分析論

超越論的弁証論

『実践理性批判』

物自体

純粋悟性概念

概念 構想力 現象

*経験的認識を客観的に妥当 なものとして可能にする概念

(範疇一覧)の導出、「演 繹」、および「図式」、「原 則」の体系について。

*経験的認識を超えて範疇を 使用し、純粋悟性概念を拡張 することで生じる仮象(神、

魂、世界)について。アンチ ノミーの意義について。

*人間の経験的直観すなわち 知覚(現象)を可能にするア プリオリな形式的制約として の空間、時間について

知覚

*認識の範囲を超えずに理性を正しく用い、学問体系を構築 する方法の訓練、教育について。また理性の本来的な関心は 思弁的な認識ではなく、道徳的行為にあることについて。

*超越論的な認識論の確立。すなわち、経験認識一 般を可能にする条件の分析

統覚

*構想力は、時間・空 間を捨象した「図式」

を産出し、感性と悟性 をつなぐ

仮象

*判断力(規定的判 断力)は、特殊を普 遍に包摂する規定の 能力、あるものがあ る所与の規則のもと に成り立つかどうか を区別する能力 特殊諸概念

図式

判断力

弁証的推理

       判断表 1. 量(全称的、特称的、単称的)

2. 質(肯定的、否定的、無限的)

3. 関係(定言的、仮言的、選言的)

4. 様相(蓋然的、実然的、確然的)

*純粋悟性概念を経験を超え て、つまり、直観とかかわり なしに用いた推理

*これら超越論的「仮象」は「現象」ではない。その背後には物自体がないか らである。これら仮象は、すなわち、魂も自由も神も理論的にはその存在は認 められない。

「超越論的仮象とは、カテゴリーの経験的使用を全面的に越え、われわれ を純粋悟性の拡張という幻想で釣る、自然的で不可避な理性の傾向であ る。一般論理学は、認識の内容にはまったく関わらず、悟性の形式的条件 のみに関わるために、これを「機関」として用い、経験の限界を超出する と、「仮象の論理学」(B86)となる。ここで問題とされるのは、中世か ら連なる神、魂、世界という三つの存在論的形而上学的概念である。カン トは霊魂については「誤謬推理論」、世界については「アンチノミー 論」、神については「理想論」を展開し、経験を越えこれらへの認識の拡 張をはかることを<仮象の論理学>として戒める。これら三つの理念に は、構成的使用は許されず、悟性認識の体系的統一をめざすにすぎない統 制的使用をだけを認めた。」(弘文堂『カント事典』pp.344-345)

しかし、これらの仮象は、人間の願望、行為と関わっている。

「人間の理性は、このような推理が不当な・・・推理であり、したがってそれの 導出するものが単なる 仮象・・にすぎないことが理解されても、なおかつその ような「仮象」を「仮象」であるからといって否定し去ることはできず、

何らかそのような究極的な統一的無条件者の存在を信じ承認することなし には、「知識」の 形式・・

を内容・・

と一致させて「知識」を完成すべき目標を、

いわば経験を全体として組織したいと願う私たちの願望のよりどころを、

得ることができないことに気付く」(高峯一愚『カント講義』論創社、

p.132)

! 理念

*カントの超越論的論理 学は、一般論理学とは区 別された独自の論理学で ある。一般論理学(伝統 的論理学)が、内容を除 去した形式的真理を追究 し、対象と認識との関 係、認識の根源には関わ らないのに対し、超越論 的論理学は、対象の認識 を可能にする真理を明ら かにすることを目的とす る。カントは論理学を認 識の機能と関連づけた。

*感性から解き放たれた理性(推理能力)は、人間の道徳的能力としての意義をあらわ にする。実践理性批判は、行為を規定すべき道徳原則について明らかにすることを目指 す。われわれの行為は、われわれの「意志」による。意志は認識を超えた理性的なもの であるが、空虚なものとならないためには、悟性概念に対応した範疇をもたねばならな い。また同時に、感覚的に触発される有限な理性的存在者であるわれわれ人間の意志 は、その主観的原則である「格率」がすべての理性的存在者の意志に妥当する客観的法 則と一致するとは限らない。それゆえ、最高の道徳原則とは、その一致を命ずるもので ある。すなわち、本来理性的なものでありながら、感覚的なもののしっぽを引きずるわ れわれの「意志」をさらに形式的に、内容捨象的に普遍化することが要求される。認識 の原則を規定した超越論的論理学では制限された、古典的、一般論理学的な形式的推論 は、むしろ実践理性の領域で解放されるとも言える。

●SはPである → 述語を持たない最大の外延をもつ主語 = 不死の魂

●もしSならばPである→ 何をも条件としない絶対的無条件者 = 自由

●SはPであるか、P であるかいずれかである 

       → 何もつけ加える必要のない全体者 = 神

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悟性は感性による知覚を受容し、概念を形成する。概念は判断を形成し、普遍客観的な

「認識」を成立せしめる。また一方で、悟性は感性と切り離されて使用されることもでき る。このように、純粋悟性概念は感性と結びつかねばならず、同時に、理性とも結びつか ねばならない。あるいは純粋悟性概念は感性と結びつく理性であると言ってもよい。純粋 悟性概念を経験を超えた推論に用いれば、それは弁証的推理となり認識論的には誤謬を導 く。しかし、そうした経験を超えた領域における推論は、道徳的な判断を形成するものと して掬い上げられていく。悟性は感性から切り離されて使用されたときに、「純粋理性」と なる。それは、実は道徳的判断に使用されるべき、「実践理性」であることが、『純粋理性批 判』『実践理性批判』の二つの批判によって示されていく。

悟性は、感性と理性の間に割って入り、同時にそれらをつなぐ。つまり、ぴったりと くっついていた二つの磁石を引き離し、N 極と S 極を向かい合わせて固定するようなもの である。そのような操作をするから、「力」が生まれる。この「力」を人間の夢見る力(構 想力、判断力、そして実践理性)として掬い上げていったのがカントである。批判哲学の 批判(Kritik)という語は、ギリシア語のκρἰνωに起源をもち、原義は「分かつ」である。

現象界と叡智界とを区別しながら、その両者が表裏一体となっているという巧妙な体系構 成を、カントは純粋悟性概念という媒体の導入によって示すことができた。そのために彼 は、特殊な方法で二重に純粋悟性概念の出自を擁護しなければならなかった。これが『純 粋理性批判』における「純粋悟性概念の演繹」(Deduktion der reinen Verstandesbegriffe)

と呼ばれるものである。『純粋理性批判』の叙述で言えば、「概念の分析論」(Analytik der  Begriffe)がまるごとそれに当たる1)。彼は、「演繹」という法律用語を哲学に導入し、新し い意味で用いた。

演 繹 に は、「形 而 上 学 的 演 繹」(metaphysische   Deduktion)と「超 越 論 的 演 繹」

(transzendentale Deduktion)の二種類がある。形而上学的演繹とは、理性(判断)の側 から純粋悟性概念の必要性を説くものである。それに対して超越論的演繹とは、感性(直 観)の側から純粋悟性概念の必要性を説くものである。悟性は、両方向から必要とされて いることを示されて、その地位の正当性を得る。

純粋悟性概念の演繹、特に超越論的演繹は、『純粋理性批判』の核心部分であり、その執

1) Immanuel Kant, Krtik der reinen Vernunft, 1781(A), 1787(B), [A66-130, B91-169]

ドキュメント内 有機体と「地」のエレメント (ページ 110-136)

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