第一章 《カプレーティ家とモンテッキ家》と《清教徒》
第三節 音型別演奏考察
第一節と第二節ではそれぞれリサイタルで取り上げた《カプレーティ家とモンテッキ家》、
《清教徒》の音楽について、楽曲ごとに歌手たちの演奏を参考にし、より楽譜に忠実な演 奏を考察した。筆者はさまざまな楽曲を考察していく中で、ベッリーニの音楽の歌唱には、
音型やその実践に関して特徴があると考えた。そこで、ここでは音型別にベッリーニの音 楽の歌唱を考察し、またその音型に対する実践方法についても考察していくこととする。
付点のリズム、三連符、アクセント、アジリタ、跳躍をはじめ、ベッリーニの音楽の特 徴でもあるレガートな歌唱や、繊細な音の入り方、数少ないレチタティーヴォの歌唱やブ レスの捉え方、カデンツァなど、十項目に分類して考察していくこととする。なお、第一 節と第二節で取り上げた譜例を用いることによって、どのような音型が当てはまるのかを 例として示す。
まず音型別に考察していく前に、筆者が第一節や第二節でも多く注目してきた軟口蓋と 横隔膜について、取り上げることとする。筆者は歌唱の際に「ポジション」と「支え」を 意識しているのだが、この意識と軟口蓋や横隔膜との関連について、コーネリウスの言葉 を参考として明らかにしておく。まず軟口蓋に関しては次のように述べている。8
軟口蓋の果たしている主要な機能は 1)鼻から鼻咽腔への通路を開くために呼吸の 間に弛緩する;2)飲み込みの動作の間に消化管と鼻の門(nasal port)との間の分離 を生じさせるために括約筋の動きを行う、の二つです。発声の過程に適応させられた 時、軟口蓋の壁は、口腔咽頭の部分として、広い範囲の母音の質の決定及び共鳴に必 要な周波数を選び、エネルギーを与えるのにふさわしい形状及び寸法を引き受けます。
…(中略)… 軟口蓋は様々な役割(飲み込み、調音、共鳴、母音の形作り、等)を
8 リード、コーネリウス『声楽用語辞典――コーネリウス・ リードによる解剖と分析』 移川 澄也訳、東京:有限会社キックオフ、2005年、345頁。
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果たしているゆえに、喉頭及び咽頭の他の活動とのその対等な関係が、発声の過程が 成功するか失敗するかを主に決定します。歌声を作り出す機能のほとんどの要素と同 様、軟口蓋は決して意志によって直接動かされるべきではなく、それが神経的に刺激 を与えられる個々の概念に反応して形作り、調節するように任されるべきなのです。
また、横隔膜については次のように述べている。9
息の吸い込みの間、横隔膜は収縮し(例えば、平らになる)、肺が空気で満たされ ることが出来るようにします;息の吐き出しの間は、その自然な丸天井のような形状 へと弛みます。従って横隔膜は、緊張した時に下がり、弛んだ時に上方へ動きます。
…(中略)… 自律神経系の部分として、横隔膜は故意にエネルギーを与えられたり、
あからさまに意志によって動かされることは出来ません。更に、この反射的な筋肉は 固有受容神経の末端が完全に欠けているので、その動きの感覚を経験することは全く 出来ません。これらの事実に基づくと、“横隔膜を用いて支える”及び“横隔膜を用 いて上方へ押す”といった教授上の指導は実行することが不可能です;何故ならば、
もしも横隔膜を用いて“押す”ことが出来るのならば、唯下方へと“押す”ことが出 来るだけであるからです。
ここで述べられているように、軟口蓋や横隔膜は意志によって動かすことができないので ある。では、筆者がここまでの考察で行ってきたことは間違っていたのかというと、そう ではない。実際にレッスンで「軟口蓋をもっと高く、口の中の空間をもっと広く」や「横 隔膜を下に引っ張って、支えをしっかり」などという指導を多く耳にしてきた。これらの 指導は直接的にその機能を操作することに意味があるのではなく、軟口蓋や横隔膜を意識 することによって、それらと関連して働く無数の部位が効果的に改善されることが重要な
9 同前、90,91頁。
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のではないだろうか。第一節や第二節でも軟口蓋や横隔膜を意識するという言葉で表現す ることは、不明瞭ではあるかもしれないが、直接的にその動きをコントロールできるもの ではないため、この先もその表現を用いることとする。
①付点のリズム
付点のリズムというのは、どの作曲家の作品においてもよく聴かれるものであり、その リズムに与えられた言葉や表現によってさまざまな歌唱が求められることは確かなことで ある。ベッリーニの音楽の特徴についてレズリイも次のように述べている。10
上昇楽句や、付点音符によるリズム楽型、また結尾での弱拍部におけるフォルテ等 といった音楽の姿は、ベッリーニとヴェルディ両者の歌劇の数多くの個所に見出され る共通の特徴なのである。
ベッリーニの音楽の特徴である上昇音型や結尾での弱拍部におけるフォルテ等については 第一節や第二節の中で触れたが、まずここでは付点のリズムの歌唱について考察する。筆 者は、ベッリーニの楽曲における付点のリズムを大きく三つに分類する。
まず一つ目は「声部が付点で、オーケストラは三連符で書かれている場合」である(【譜
例1-1-4】【譜例1-1-5】【譜例1-2-10】【譜例1-2-21】)。オーケストラが三連符で流れてい
るとき、付点と三連符のリズムが合わないように、オーケストラの三つ目の音の後に短い 音符を狙って歌ってしまう。けれども、この意識を持つとその旋律の歌唱はレガートなも のではなくなってしまう。三連符の上で付点のリズムを歌唱する場合には、付点音符から 短い音符への流れを意識するのではなく、短い音符から付点音符への流れを意識する。こ
10 オーリイ、レズリイ『ベッリーニ――生涯・ 芸術・ 作品』 加納泰訳、東京:東京音楽社、
1981年、125,126頁。
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の意識によって、短い音符を歌う時に横隔膜を引っ張る筋肉を積極的に動かすことができ る。このことによって、リズムは明瞭であるとともに音の響きが統一された歌唱となる。
オーケストラが三連符の場合には、テンポが速いものでも遅いものでも、上記の歌唱が望 ましいと考えられる。けれども、速い曲の中で短い音符に多くの母音が充てられている場 合には注意が必要である。この場合には、実際のリズムよりもやや甘いリズムになったと しても、言葉を明瞭に発することを優先すべきである。
符尾の結合を変化させることによって、音の結びつきに対する捉え方を変化させ、横隔膜を引っ張る筋 肉を積極的に動かすタイミングを変える。
二つ目は「声部が付点で、オーケストラに単調な刻みの音符しか与えられていない場合」
である。さらに、この場合には曲のテンポによって歌唱が異なると考える。テンポが速い
とき(【譜例1-1-9】【譜例1-2-1】【譜例1-2-24】【譜例1-2-29】)には、付点音符の響きを
持続させることを意識して歌唱する。速いテンポの中で付点のリズムを歌唱すると、短い 音符はしっかりと響く前に次の音へと移ってしまう。この原因は付点音符を響かせている 中で音の圧が変化してしまうことであり、付点音符を伸ばしている間に音量や息の量を変 化させるのではなく、より安定した支えを意識することが大切である。このことからテン ポの速いときには、短い音符から付点音符への流れを意識することなくフレーズの大きな 流れを第一に考えることがよりレガートな歌唱へとつながると考える。
付点のリズムを意識するけれども、あくまで一つの流れを意識するため、スラーが書かれているように 捉える。
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この二つ目の場合において、テンポが遅いときにはまた異なる歌唱がふさわしい。曲の テンポが遅いとき(【譜例1-1-14】【譜例1-2-5】【譜例1-2-31】)には、リズムを正確に歌 うことよりも、言葉のリズムや旋律の抑揚をより重視し、クレッシェンドやディミヌエン ドを用いて付点音符の響きに色合いを持たせることが大切である。というのも、オーケス トラが三連符で演奏している場合には、オーケストラと声部のリズムや音の重なり方に、
独特の世界が生まれていた。けれども、オーケストラが単調なリズムしか刻んでいない場 合に、声部の付点のリズムまでただ音を持続させてしまうと、それはシンプルな歌唱では なく感情のない歌唱となってしまう。
付点八分音符と十六分音符で音の膨らまし方を変化させ、横隔膜の支えによって常に柔軟な状態にする。
付点のリズムの実践には、まず付点のリズムを除いて同じ音符の長さで歌い、言葉の抑 揚をしっかりと捉えることが大切である。そのあとには、付点のリズムに戻すけれども、
一度すべての音を母音のみで歌唱することで、短い音符の響きが抜けるのを防ぐ。これら の二つの歌唱を実践したあとに、実際に楽譜通りの歌唱に取り組む。短い音符を発するこ とに身体の動きがうまく反応しない場合には、付点音符をタイでつながれた音である意識 を持ち、短い音符が入る前に手を叩くことを実践してみるとよい。手を叩くことによって、
短い音符を発する前に筋肉へ働きかけることができるため、横隔膜を動かすときにかたく 力を加えることなく、息を送ることができるようになる。このことは、付点のリズムだけ ではなく、実際にタイでつながれた音の歌唱についても同様の取り組みが効果的である
(【譜例1-1-3】)。