会社経営者 13. 8%となり非労働者の比率が高い。また会社経営者であっても実 際は個人で活動するフリーランスと変わらないケースも多いといわれる。経済
5.1 アニメ産業の概説
5.1.2 アニメ産業の歩み
日本のアニメ産業における重要な転換点は
1956
年、政岡憲三、山本早苗らが 設立した日動映画を買収する形で東映動画が誕生したことである。「東洋のディ ズニー」を目標とする東映動画は、本格的に劇場用長編アニメの制作を開始し、1958
年に劇場用長編第1
作として『白蛇伝』(1958年)を始め、以後、年に1
本のペースで劇場用長編アニメの制作を続けていく。一方すでに著名な漫画家 として成功していた手塚治虫は東映動画で自身の漫画が原作となる『西遊記』(1960年)の制作に演出として参加する。アニメ制作について学んだ手塚は翌
1961
年、自身のアニメスタジオである虫プロダクションを設立し、実験的な短 編『ある街角の物語』(1962年)を制作したのち、1963年初のTVアニメシリ ーズ『鉄腕アトム』(1963年~1966年放映)を制作、このシリーズは平均視聴 率25%という高視聴率を記録し、大成功を収める。この作品においては、予54
算の制約から制作コスト削減し、週一回というTVアニメの放映スケジュール に間に合わせるため、動きを省略・抽象化し、作画枚数を減らすリミテッドア ニメの手法を導入するなど様々な表現上の工夫が試みられた30。ここでなされた 表現上の工夫は以降のTVアニメの制作において普及・浸透していくこととな る。またぎりぎりの予算、時には赤字でTVアニメを制作し、ライセンスビジ ネスで制作費を回収するというビジネスモデルもこの時点で形成されていた。
この『鉄腕アトム』の成功がきっかけとなり、これに続く多くの参入者によっ てTVアニメ制作の市場は一気に拡大し、アニメ制作の主流は映画からTVへ と移り変わっていく。1963年以降、日本のアニメ産業におけるTVアニメの制 作本数は、増加していく(図
1、図 2、図 3
参照)。1970
年代に入りTVアニメが定着し、様々な作品が制作されるようになって いくが、高度経済成長に伴う労働コストの上昇に伴い、制作会社が自社内でこ なせない分の仕事を下請に出すことが常態化していく。それまで正社員として 雇用されてきたクリエーターが出来高での契約や業務委託・請負契約を結び、フリーランスとして働くことが一般化していく31。このような流れの中、1972 年には東映動画で大規模なリストラが行われ、1973年には、劇場用長編アニメ
『悲しみのベラドンナ』の興行的失敗を受けて虫プロは倒産する。しかしなが ら、東映動画や虫プロで経験を積んだクリエーターはそれぞれ、移籍、独立し て制作会社を設立し、アニメ産業の制作部門を支え、牽引していくこととなる。
1980
年代に入ると、映画、テレビに加えて、ビデオが新たなアニメの流通媒 体として機能しはじめる。OVA(オリジナルビデオアニメーション)では、販売代金によって制作費を回収するというビジネスモデルを採っており、一部 の熱心なファンの支持を得れば十分に制作費を回収でき、制作会社がスポンサ ー、TV局などから経済的に自立できる。より意欲的な作品作りが可能となり、
作家性が強い作品を含め、様々な作品が制作されていく。しかしながら、この
OVA
のビジネスモデルは、1995
年『新世紀エヴァンゲリオン』(1995
年~1996 年放映)以降、製作委員会方式で製作され、ソフトを含む関連ビジネスの売り上 げで利益を出すビジネスモデルが一般化し、TVの深夜枠を買い取り広告目的
30 虫プロダクションにおける『鉄腕アトム』の制作背景、表現上の技法については(山本,
1989)、(津堅, 2007)が詳しい。
31 大塚(2013)によれば、1970年頃には「制作会社→下請プロ→個人外注、演出→コンテ マンというような制作機構上の重層化が、ほぼ現在と同じ程度に完成していた」(大塚, 2013,
188-189ページ)。このころにはアニメ産業における垂直的解体が進み、現在と同様下請へ
の外注、フリーランスとの出来高契約による制作システムが形成されつつあったと思われ る。
また山口は、出来高契約と業務委託契約への移行は、アニメーターにとっては収入の増 加、制作会社にとっては仕事の増減を外部委託調整費によって調整でき、リスクの軽減と なるため、大方歓迎されたと説明している(山口, 2004, 98-100ページ)。
55
で放映するいわゆる深夜アニメが増加する中で衰退していく。
1990
年代後半以降、国内の『新世紀 エヴァンゲリオン』のヒット、宮崎駿 作品の記録的な興行収入と海外での高い評価、ゲームソフトから派生した『ポ ケットモンスター』の世界的な成功などから、アニメ産業(特にビジネスとし ての側面)に対する関心が高まっていく。このことが、2000年代以降に入って TVアニメ制作本数激増・アニメバブルの下地となる。2000年代に入り、アニ メバブルといわれるように2006
年までTVアニメの制作本数が激増していく。この中には深夜アニメも多かったが、この時期の作品には、十分な視聴者を得 られず
1
クールで終了してしまいビジネスとして成功できなかった作品も多い32。最盛期の
2006
年では、1年の制作本数が279
本となり、その翌年以降制作 本数は減少してきたが、2011年以降再び制作本数が増加し2013
年では年間制 作本数は271
本となっており、アニメバブルの再来が予測される(図2
参照)。1990
年代後半以降、アニメ産業においてもデジタル化、インターネットなど 技術革新の影響を受け、表現技術の革新、制作プロセスの簡略化、コストカッ ト、スピードアップが図られている。表現上の技術革新について、日本では、欧米のアニメーション制作業界にみられるような手描きアニメーションからフ ル
3DCG
アニメーションへの完全な移行は見られないが、様々な作品の制作工 程において3DCG
の導入が進んでいる。まだ多くはないが、フル3DCG
アニメ ーションで制作された作品も増えてきている。さらに、3DCGアニメーション とセルアニメーションの融合という独自の表現手法も発達してきており、今後 もこのような技術革新がアニメーション制作における表現を刷新し、大きな変 化をもたらすだろう。1990
年代より普及してきたインターネットの影響については、インターネッ ト上でのプロモーションを活用し、個人制作から成功する深海誠に代表される ように、デジタル化・IT化によって個人でもアニメを制作し、インターネッ ト上で自身の作品を公開・プロモーションする環境が整ってきている。また、インターネットによって流通チャンネルも多様化し、近年アニメコンテンツの 配信事業が発展してきている一方で、インターネット上でファンなどによって 不法にアップロードされたコンテンツが氾濫し、海外のファンが自発的に日本 のアニメコンテンツに字幕をつけ、アップロードし共有するファンサブという 現象がみられるなど、アニメ産業を取り巻く状況は大きく変化し続けている。
32 久保雅一(2005)参照。
56
出典:日本動画協会データベースワーキンググループ編著(2014)『アニメ産業レポート 2014』
23ページ, より筆者作成
出典:日本動画協会データベースワーキンググループ編著(2014)『アニメ産業レポート 2014』
23ページ, より筆者作成
1 6 5 11 12 13 11 12 15 13 10 14 14 15 20 27 26 22 24 32 32 37 31 26 28 30 27 42 37 41 35 33 39 36 32 40 46 42 6 3 14
12 15 15 19 16 16 16 18 20 21 22 30 25 37 39 45 42 43 41
24 37 33 40 50 43 48 50
35 53 48 49 54 92 100
63
0 20 40 60 80 100 120 140
160 図1 TV放送作品タイトル数 1963年~2000年
以前からの放送タイトル その年の新作作品
42 39 51 66 64 72 84 91 76 66 61 56 63 78
67
128 103 123 139 136
195 159
155 152 139 164 159 193
0 50 100 150 200 250 300
図2 TV放送作品タイトル数2000年~2013年
以前からの継続作品 その年の新作作品
57
出典:日本動画協会データベースワーキンググループ編著(2014)『アニメ産業レポート 2014』
69ページ, より筆者作成