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アジアにおける軍事戦略の変遷――冷戦期と現在の比較

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1. 17 年にわたる紛糾の背景

1. アジアにおける軍事戦略の変遷――冷戦期と現在の比較

日本を取り巻く戦略環境は冷戦の終焉を受けて大きく変化し、アジアにお ける軍事戦略もそれに対応して大きく変化してきた。冷戦期における軍事戦 略の特徴は、①ソ連という明確な脅威、②グローバル戦争のシナリオが前提、

③「抑止」(deterrence)が基本、などであった。それが冷戦後には、①不明確 で 多 様 な 脅 威 、 ② 地 域 紛 争 の シ ナ リ オ が 前 提 、 ③ 「 抑 止 」 か ら 「 対 処 」

(defense)への重点の移動、などがその特徴となった。これに伴い、日米両国 の軍事戦略も冷戦終焉を受けて変質していったのである。

(1) 冷戦期の軍事戦略

東アジアにおける冷戦の特徴は次のようなものであった。第 1 に、日本は 極東で米ソが対立する戦域の中心に位置していた。1970 年代にソ連がオホ ー ツ ク 海 に 潜 水 艦 発 射 弾 道 ミ サ イ ル (SLBM) を 搭 載 す る 原 子 力 潜 水 艦

(SSBN)を配備したことによって、ソ連極東戦域の戦略的重要性が飛躍的に 高まった。そして、ソ連は、この地域にTu-22Mバックファイア爆撃機をはじめ とする各種の爆撃機や戦闘機、キエフ級ミサイル搭載空母、SS-20 中距離弾 道ミサイルなどを配備した。この結果、太平洋艦隊はソ連の 4 つの艦隊のな かで最大のものとなり、ソ連軍の4分の1から3分の1の戦力が極東地域に 配備されることになった。

ソ連がオホーツク海を SSBN の聖域とする戦略を採用したのを受け、米国 は「海洋戦略(Maritime Strategy)」と呼ばれる攻勢的な戦略を採用し、戦時 においてはオホーツク海に攻撃部隊を進入させ、ソ連の SSBN戦力を破壊し ようとする態勢をとった50。具体的には、初期段階でソ連の基地に対して巡航 ミサイルおよび空母艦載機によって攻撃を加え、次の段階でソ連の SSBN を 攻撃型潜水艦(SSN)によって破壊し、米ソの戦略核バランスを米国にとって 有利に変化させるというものであった。

図表1: オホーツク海と北西太平洋におけるソ連の行動

出典: U.S. Department of Defense, Soviet Military Power: Prospects for Change (1989) を基に沖縄県作成

50 John B. Hattendorf, The Evolution of the U.S. Navy’s Maritime Strategy, 1977 -1986, Naval War College Newport Papers 19 (Newport, Rhode Island: Naval War College, 2004); and Barry R. Posen, Inadvertent Escalation: Conventional War and Nuclear Risks (Cornell Studies in Security Affairs) (Cornell University Press, 1992), pp. 129-158.

図表2:ソ連からみた北西太平洋と艦艇の行動経路

出典: U.S. Department of Defense, Soviet Military Power: Prospects for Change (1989) を基に沖縄県作成

こうした地政学的背景のもと、日本は自国の防衛力強化を通じて西側陣営 による対ソ封じ込め政策に寄与する道を選んだ。そして、その中核的な任務 であったのが、三海峡封鎖とシーレーン防衛であった。三海峡封鎖の目的は、

ソ連の太平洋への進出を阻止するとともに日米の海軍艦艇のソ連海域への 進入を可能にすることであり、シーレーン防衛の目的は、ソ連の攻撃から米海 軍(特に米空母機動部隊)を護衛し、米国の攻勢作戦を支援することであっ た。このため、海上自衛隊は特に対潜戦能力を向上させ、航空自衛隊はソ連 の爆撃機、戦闘機に対抗するための装備を導入し、陸上自衛隊は水際撃破 戦略を採用した。P-3C、F-15、E-2C 早期警戒機、そして SSM-1 地対艦ミサ イルなどは、ソ連軍に対抗するための有力な手段となった。

2) 冷戦後の軍事戦略

冷戦の終焉は北東アジアの戦略環境を大きく変えた。冷戦後の脅威は不 明確、多様かつ地理的にも大きい広がりをもつものとなった。大国間の全面 戦争の可能性は低下し、新たな脅威の多くは低強度あるいは間接的なものに なった。その代わり、低強度の脅威が現実のものになる可能性は増大した。こ うして、冷戦終焉後の日本は、様々な新しい脅威に直面することになった。

1994 年には朝鮮半島で北朝鮮の核開発をめぐる危機が高まり、北朝鮮に対 する経済制裁が真剣に検討された。1995 年には東京の地下鉄でオウム真理 教グループによるサリン散布事件が発生し、11 人が死亡、多数が負傷した。

1998 年には北朝鮮の発射したテポドン・ミサイルが日本上空を越えて太平洋 に着弾し、続く 1999 年には北朝鮮の工作船 2 隻が日本の領海内で発見さ れた。そして、2001年には新しい時代を象徴する9/11テロが発生したのであ る。その後も、同年12月には麻薬密輸に携わっていたとみられる北朝鮮の工 作船 1 隻が九州南西海域で発見され、2002 年には北朝鮮が日本人の拉致 を認めた。そして、2006年と2009年には北朝鮮が核実験を行った。

このような新しい動きや戦略環境の変化をうけて、日米両国は 1997 年に

「日米防衛協力のための指針」の見直しを行い(新ガイドライン)、1999 年に は日本で「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置 に関する法律」(周辺事態法)が成立した。これによって、「日本周辺地域に おける事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合」、日本本土から 離れた地域においても日本が米軍の作戦に支援を提供することとなった51。 9/11 テロを受けて、「テロ対策特別措置法」(対テロ特措法)が制定されたが、

この法律は周辺事態法を基礎として作られたものであった。また、1998 年の テポドン発射後、日本政府は新型の弾道ミサイル防衛(BMD)システムにつ いて米国と共同技術研究を行うことを決定した。

一方、作戦上の対策も進んだ。陸上自衛隊はゲリラ・特殊部隊に対処する 訓練を強化し、野外に潜伏したゲリラ部隊の捜索、包囲、撃滅掃討などの訓 練を行った。そして、日米が共同でゲリラ・特殊部隊に対する市街地戦闘訓

51 日米安全保障協議委員会、日米防衛協力のための指針の見直しの終了、1997年

9月23日http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/kyoryoku.html

練を行った。また、海上自衛隊は高速のミサイル艇導入、 不審船の武装解 除・無力化のための「特別警備隊」の編成、護衛艦や哨戒ヘリへの機関銃の 装備などを行いながら、海上保安庁との連携も強化した。

(3) 中国の台頭と米国の対応

近年、中国が海空軍を中心とする軍事力の増強と近代化を進め、それを背 景に地域における影響力の強化を目指し始めたことによって、アジアにおけ る軍事戦略が新たな展開をみせつつある。まず、中国の軍備増強の中でも特 に 注 目 さ れ て い る の が 、 い わ ゆ る 「 近 接 阻 止 ・ 領 域 拒 否 (anti-access/area denial: A2/AD)」能力の構築である。これは、近くは南シナ海、東シナ海、黄 海などから、遠くは西太平洋から米国をはじめとする他国の影響力を排除し、

それを通じて、地域において自国に有利な秩序を形成することを目的とする ものである。そして、中国はその手段として自国の周辺に「第 1列島線」と「第 2列島線」という 2つの防衛ラインを設定し、それを守るために各種の水上艦 艇、潜水艦、戦闘機、爆撃機、巡航ミサイル、弾道ミサイル、対艦弾道ミサイ ル(ASBM)などを増強あるいは開発している。なかでも、中距離弾道ミサイル や長射程の巡航ミサイルは前方展開された米軍や在日米軍基地に脅威を与 えることができ、多数の対艦ミサイルを搭載したソブレメンヌイ級駆逐艦、静粛 性にすぐれるキロ級潜水艦などは、米国の空母をはじめとする機動打撃部隊 が中国の周辺海域や西太平洋で行動するのを阻碍することができる。一方、

ASBM は技術的には実現困難であり、米海軍にとっての現実的な脅威とは なり得ないであろう。しかし、実際に命中しないとしても、ASBM が配備されれ ば米軍はコストのかかる対抗措置をとらざるをえなくなり、また、米国の政策決 定者は中国近海への空母などの配備をためらわざるをえなくなる。そして、

ASBMがなくても、J-20ステルス機をアクセス拒否に用いることは十分可能で ある。中国が強化しつつある A2/AD能力の目的は、短期的には台湾への米 国の介入を阻止するためのものであり、中長期的には米国や日本をはじめと する地域諸国が、領土や資源の帰属を含む地域秩序のあり方に口出しでき なくするようにするためのものであるとみられる。

図表3:「第1列島線」と「第2列島線」

出典: U.S. Department of Defense, Military and Security Developments Involving the People’s Republic of China (2011)

これに対して米国は、「エアシーバトル(Air-Sea Battle)」と称される新しい 作戦構想を開発中であり、そのため、米国防省は 2011 年 11 月にエアシー バトル室を設置した。そして、2012年1月には米統合参謀本部が A2/ADに 対抗するための「統合作戦アクセス構想(Joint Operational Access Concept:

JOAC)」を発表し、さらに、3 月には陸軍と海兵隊が、JOAC における陸軍と

海兵隊の役割を説明した文書「アクセスの確保と維持――陸軍および海兵隊

の 構 想 (Gaining and Maintaining Access: An Army-Marine Corps

Concept)」を発表した。JOACは A2/ADに対処するための構想であり、その

下 に エ ア シ ー バ ト ル や 陸 軍 お よ び 海 兵 隊 の 構 想 、 そ し て 進 入 作 戦 (entry operation)や沿岸作戦(littoral operation)などが位置づけられる。

JOACは、A2/ADに対抗して戦域へのアクセスを確保するために、①前方 基地を維持すること、②軍事・政治的に支援を提供してくれる友好国を確保 すること、③米国から戦域に至る交通路を維持することが重要であると指摘し ている。また、軍事作戦上の原則として、「敵の防衛網を突破するために、局 地的な領域優勢の空間あるいは回廊を作り出し、任務達成の必要に応じて、

それらを維持する」ことや、「遠隔地(strategic distance)から、カギとなる作戦 上の目標に直接、機動して接近する」こと、そして、「[戦域の]周辺部から敵

の A2/AD 防衛線を押し返すのではなく、A2/AD 防衛網[の心臓部に直接]

縦深攻撃をかける」ことなどを挙げている52

(4) 米中両国の軍事戦略と冷戦期における米ソの軍事戦略

それでは、こうした米中両国の軍事戦略と冷戦期における米ソの軍事戦略 を比較すると、どのようなことがいえるであろうか。ここでは、両者の類似点と 相違点を検討しつつ、現在の戦略環境が冷戦期より好ましいといえる要素と、

逆に、現在の方が冷戦期よりリスクが高いと考えられる要素を指摘する。

まず、冷戦期の軍事戦略と現在の軍事戦略の類似点であるが、第1に、冷 戦期、ソ連がオホーツク海を聖域化しようと試みたのと同様、現在、中国は南 シナ海を「核心利益」と位置づけて聖域化しようとしていることが挙げられる。

そして、ソ連はオホーツク海に、米国を攻撃する能力をもつSSBNを配備した が、中国も現在、南シナ海の海南島にSSBNの基地を建設している。さらに、

ソ連が「海洋支配」および「海洋拒否」と称される 2つの防衛ラインを設定して オホーツク海へのアクセスを拒否しようとしたのと同様、現在、中国は自国の 周辺に「第1列島線」と「第 2列島線」という 2つの防衛ラインを設けて、南シ ナ海へのアクセスを拒否しようとしている。また、アクセス拒否のために用いら

52 U.S. Department of Defense. Joint Operational Access Concept (JOAC). 2012年 1月17日.p.iii. http://www.defense.gov/pubs/pdfs/JOAC_Jan%202012_Signed.pdf.

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