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る  て  的

ドキュメント内 『宗教研究』192号(41巻1輯) (ページ 60-67)

「 勝襄と章提希 」 

一 ま  「  ヰブ ‑ 

事 

﹁  仏  世尊は現前に証  卸  すと雄も  ︑  而も諸の衆生は  善根微弱にして︑  或ま  ひ  疑網を起さん︒﹂  ‑l  ︶Ⅰ 

るかと云えば︑決してそうでは無い︒けれども︑ 十 の 大 受は極めて受持し難きものであるから︑  と 自答して居られる︒無智なる女人であるから その志も低く ︑ 従ってその結果得る処のものも 深 遠 ならざるものであ 

﹁是を以て第三に誓を立て︑疑を断じ︑以て其の  受を成ず︒﹂︵  0  l  ︶ 

と  く ・    ﹁受戒既に寛りぬれば︑即ち大衆疑 う らく︑ 勝豊  他方︑太子は第二の十大受章で︑  の 見方との間には隔りがあると云えよ う ︒  と 現実の我々との親近感と云 う 点で︑﹁無智の女人 して天人を一般の﹁愚人﹂とは区別して居り︑  りて之を詳かにす︒愚人の遇えば 便ち 信愛 す ﹁ 又 ︑勝 蔓は是 ︑聡慧の人︑凡そ得る処の事︑審 

態 

の 箇処に於ても此の句を引用し ︑ 度の違いに由来するものと思われる︒嘉祥 は他  と 解釈には微妙な相違があり︑実はそれが後に触れ 大同小異であるが︑厳密に見て行くと︑両者の 

は既に女人為れば︑志す所は応に弱かるべし︒・・・・・・・・ ︐︐ ・ ︵ ハ Ⅰ︶  るに同じからず ︵ 

ご 

8 ︶ 

﹂と受止めた太子 

而るに︑今其の受  る 様に︑根本的な 

る 所は甚だ重くして且つ遠し ︑ 恐らくは将に口 ぅ ところ実に当らざらんかと︒﹂ 

自ら問を設け︑  が 

勝    

  

  

とほ聡慧 

ろ事 

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       根 ・  に 

   歎ず 

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(60)   60 

「 

勝實と 

  章提希 ﹂ 

一 浄名﹂の天女弁じて芽子を屈する如きは︑旧に多く 尾入 地 

の 法身なりと云えり︒今︑勝 婁 の 盛 説は此に 塊 じず︒   

  ‑5 ︶ る ︑ 是八 地の法身なる事を︒ ・・・・ 今︑勝質は既に是法身の大士︑感に随って形を現じ ︑   

滴っ て 教えを 演ぶ ︒︵ 6 l ︶    勝 豊の本は是不可思議なり︒但し ︑ ‑a ︶   

61   (61) 

次に勝質の住を論ず︒有人言 く ︒﹁︵十︶ 地経 ﹂   此経の義に依るに︑十地 己 前を色身とし︑八地已上を 法身と 

  為 ずと︒則ち︑ 勝 基は応に是尺地已上の法身なるべし ︒ 又 ︑  の玉のみもとに生まれて孝養の道を尽し︑中ごろは 則     闇の友称の夫人と為りて三従の礼を顕わし︑終にはⅢ ち 影響 

の釈迦と共に 摩詞荷之 迫を弘む︒︵ ︶    夫れ 道は孤 り 運ばず︑之を弘むるは人に由る︒斯に 乃 

ち法夫 

れ勝範は本は是不可思議なり︒何ぞ知らん 如来の分身︑ 

  

  身の大士︑質を女形に託し︑迦を後宮に隠し︑光を和 らげて或は是 法 雲の大士なりと云う事を︒但し ︑遠 く楡 闇の機宜を 

      照 すに︑皮質を以て化を為す︒所以に ︑ 初めに は 則ち 吉衛 国 

   との心配がある︒そこで﹁南宋天花︒ 出妙声 二日ロ﹂ に 依り︑ 

﹁ 声 あれば必ず言あるが故に ︑ 声を以て言は虚に 非ずと証し︑ 花 あれば必ず実あるが故に ︑ 花を 以て行 ︵は︶ りと証せり︒﹂ 

と 註釈されて︑その分際の如何に不 拘 ︑願 いの 如くなる事を力説されたのである︒嘉祥は此の点 に 就いて  字解釈に止まって居り︑少し前の箇処に於て ︑ 受戒が単に一時的なものでは無く ︑ 永く持続する ものであ 

のみである︒︵ 1 3 ︶ 

では ︑何故に斯様なニュアンスの相違が生じた の た ろ うか ︒それを知る為には︑両者の勝豊夫人 に 対す 

の 側面を見落してほならない︒詰り︑ 雨 疏共に 夫人に関して二重の見解を持って居るのである︒  は 必ず 果あ 

は 簡単な文 

ると述べる 

るもう一つ 

之は 夫人に対する両者の基本的態度を示すもの と 云え よう ︒太子に依れば︑此の経に関する限り ︑夫人を実在の一女  性 と解すべきであるが︑元来は如来の分身であ り ︑ 法 雲の大士である︒一言にして云えば﹁本足 不可思議︒ 但述在セ  地 ﹂と云 う 事になる︒之をも う 少し具体的に 云 ぅと 以下の如くである︒ 十 大受章の最後の﹁経本 忘失摂受正法﹂の 箇 

処に︑ 

  ﹁既に摂受正法と云えば 是八地 以上の行なり︑ 故 に他 分行と云 う ︒今︑勝肇は述は セ 地に在り︑ 而るに本志 と 云う  は ︑ 但 尺地以上を得んと 願 5 が故に︑正法を摂 愛 するのか暫くも 政 て忘れざるにて ︑ 自ら得たる を 而も忘れずと 言 ハ 9 @@ ︶ う には 非 ぎる 也 ︒﹂ 

とある︒彼女は セ 地の菩薩であるから︑八地 以 上 の 待 たる摂受正法を現実には実行し得ない︒ 又 出来る力が無 い 訳で  ある︒然し彼女はそれを 得 んと願 う から︑此の 心を暫くも捨てずとの誓を立てたのだと太子は受 取って居られる︒ 裏  から云えば︑﹁不忠﹂とあるのは彼女が実際には セ 地の菩薩として扱われて居る事の証拠であっ て ︑﹁自得両下 志 しの  意味では無い︒要するに︑本地は如来の分身︑ 法 雲の大士であるが︑此の経は セ 地の菩薩たる 勝 豊の立場から説かれ 

たものだと云 う のが太子の見解である︒ 

他方︑嘉祥の場合であるが︑彼女の本地に就 い ては太子と同様﹁大士﹂と見放して居る︒然し 乍ら ︑ 彼は﹁十地  経 ﹂に基づいて﹁ セ 地目前 為 色身﹂と判じ︑ 夫 人の垂 述 に就いては﹁ 則勝婁応是 八把已上法身﹂ と 釈するのであるか  ら ︑太子の﹁ 但述 存セ 地 ﹂との間には大きな 開 ぎがある︒嘉祥は発起 序に 於て ︑ 

﹁ 又 ︑我は以て其の肉身を生ず︑復仇なして其の 

  

﹂︶       

と 註釈して居るが︑之は父王との血縁関係を示し たまでであって︑﹁色身﹂と同義では無い︒﹁ 法 鼻熊 レ像 ︒ 物 康則 形 ︒  冥権無レ謀 ︒ 動 @W 一 ︒ 事 ムス﹂︵ 2  上 ︶︒ であるから︑ 勝蔓は実 在 の人物では無く︑無縁なる法身が衆生を済度 せんが為に ︑ 仮に肉 

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と ︒一方︑ セ地 以下の欲たる﹁ 三 欲しの方は摂 受 正法︑大乗︑波羅蜜の三行を得んと﹁願 う ﹂ 心 であり︑ 行 そのもの  では無い︒十人受の最後に夫人が﹁摂受正法 終 不忘失﹂と誓うのも︑彼女が セ 地に在って実際に は 之を実行して 居な  い からである︒それ故に八地以上を得んと欲す るのである︒ セ地 と八 % と 云えば形の上では単な る 一段階の差である  和が︑その内容には右に述べた如く﹁ 欲 ﹂と ﹁ 行 ﹂と云う大なる差異がある︒従って︑夫人の 発した三大願に就いて 太 

蛾 子は ︑ 

    り ︒而るに請願を摂受すと云 うは ︑ 此 ︑ 但 往前 の 請願を取るのみ︒ 八 地域 

    上の願を兼ぬるには 非 ざるなり︒﹂ 

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@ 生穏 ︶ 波羅蜜とは︑皆人 地 以上に在りて明かす事を為 すなり︒﹂  鼻 があるかの如くに出現したに過ぎないと主張 する︒確かに﹁霊窟﹂の説は︑従来の経文解釈 の 一般的傾向からすれ 

ば 穏当なものと云え よう ︒然し太子にして見れ ば ︑嘉祥の如く本地を大士と見︑述に関しても 尺地の法身と解して て ︵ 羽 ︶ っ たのでは︑夫人は我々とは全く縁遠い存在とな り ︑一体何の為 に ﹁ 託質 な形︒ 隠述 後宮︒﹂ し たのか理解に苦しむ  訳 である︒太子の﹁ 但遠照輸闇 亡機宜︒ 以 文質  ゐ化﹂︵ り ︒︶羽とは観念的な世界に於てでは無く︑ 飽迄 も 夫人を歴史上の実  在 人物として把握された結果であり︑極めて 人 間 的で此の経の読者に親しみを起させる︒これは 救済の対象を︑一般 ︵ 4 つ 4 ︶ の 凡夫に 迄 広げて来られたとも解し得る︒尤も ︑ ﹁ 智 鹿論﹂に依れば﹁大地鶏肉身︒ セ地 已上 為 法身︒﹂であるから︑ 

セ 地でも法身と見 倣す事は 可能な筈であるが︑ 太 子は セ地 と八地の間には厳然たる区別をして 居 られる︒ 

﹁三行とは 是八地 以上の行︑三 欲 とほ 請 く セ地以 還 の 欲 なり︒三行とは一匹は摂受正法の行︑二 には大乗の行 ︑   三 にほ波羅蜜の行なり︒宅地以還も大乗ならざ るには 非 ざれども︑但し大︵ 乗 ︶の 義未 だ 顕 わな らず︒ セ地 

は還も亦万行を修すれども︑但し一念の中に斉・・・・・・・・ しき 事 能わず︒故に 亦 摂受の名を得ざるなり︑ 所 はに 摂受と大乗 と   

と  上  に  け  生  ょ  と  と 述べ︑八地以上しかその名に値しないと繰返し 強 調 される︒若し セ地 以下をも並べ取って ︑ 以て 摂受正法と為せば︑ 

﹁ 那ぞ ︑菩薩所有の恒沙の諸 願は ︑一切首一の 人 願の中に入るを所謂摂受正法なり︑ と云 事を 得 んや︒言 う 所の ‑ ㏄︶ 自分と他 分 とは︑此を以て弁ずる事を為すなり︒ ﹂ 

断じて居られる︒太子に於ける セ地 と八地の 区 分は誠に徹底して居る︒些か 煩隙 になるが︑主な ものを列挙して 見 

う ︒ 八地 以上の摂受正法は﹁能く衆生の貧 大な蔭 覆し︑・・・・・・衆生の垢 異な洗蕩し︑ 能く五乗 の中早合 か Ⅰ ﹂︵ 生 ︐ ク Ⅰ @ ︶ ドし ︑﹁曲木 

︵㏄︶ を荷負する﹂︵ 3  ︶ 喜重槽の比に 云 が如く︑衆生の 為に 繭蔵 となるが故に﹁衆生 宝 ﹂と云 う ︒ セ 地域 下は禾だ 変易を受 ︵ 5 コ 3 ︶ ︵ 4 甘り ︶ ず ︑又︑分段とも名づ け ぬが︑八地以上は﹁ 阿 羅漢群友佑﹂と 名︐つ げ﹁皆是を変易の生死﹂と 為 す ︒ 又 ︑その理由 ︵ 二 3 U ︶ 就いて如来蔵章に於て次の如く云う︒即ち ︑変 易 ︑分段の生死を照 し 得るのは﹁無為の人﹂であ るが︑之は八地域 ‑7 Ⅰ り ︶ 人にのみ名づけるが故に セ地 以下とは区別すべ ぎであると︒二乗及び土地 は 互有と称するが︑ 大地以上は﹁ 五無 ﹂ ︵︒︒︶ Ⅰ り 名 づける︒最後の如来真子 章 には﹁ 八地 以上は 是 ︑大乗 道 にして︑肩と 順 との二恩 は是 ︑大乗の 因 なり︒﹂とある︒    ︵ ハ 2 Ⅰ︶ 一念に傭に修するに 形 ぶるが故に⁝・・・﹂      ﹁摂受正法とは︑ 謂く 八地以上の萬行の中の一行 なり︒セ地以還も亦能く身命を捨つれ ど も ︑ 但 尺地以上の 

と 

を ・  法  と  備  「  結 

得 ・  と  云  に  一  は 

れた 

すべ 

ず 

。」( 

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称  うな り  万行 

を  受 

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・初物 

  

  

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ドキュメント内 『宗教研究』192号(41巻1輯) (ページ 60-67)

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