「 勝襄と章提希 」
一 ま 「 ヰブ ‑
事
﹁ 仏 世尊は現前に証 卸 すと雄も ︑ 而も諸の衆生は 善根微弱にして︑ 或ま ひ 疑網を起さん︒﹂ ‑l ︶Ⅰ
るかと云えば︑決してそうでは無い︒けれども︑ 十 の 大 受は極めて受持し難きものであるから︑ と 自答して居られる︒無智なる女人であるから その志も低く ︑ 従ってその結果得る処のものも 深 遠 ならざるものであ﹁是を以て第三に誓を立て︑疑を断じ︑以て其の 受を成ず︒﹂︵ 0 l ︶
と く ・ ﹁受戒既に寛りぬれば︑即ち大衆疑 う らく︑ 勝豊 他方︑太子は第二の十大受章で︑ の 見方との間には隔りがあると云えよ う ︒ と 現実の我々との親近感と云 う 点で︑﹁無智の女人 して天人を一般の﹁愚人﹂とは区別して居り︑ りて之を詳かにす︒愚人の遇えば 便ち 信愛 す ﹁ 又 ︑勝 蔓は是 ︑聡慧の人︑凡そ得る処の事︑審
態
の 箇処に於ても此の句を引用し ︑ 度の違いに由来するものと思われる︒嘉祥 は他 と 解釈には微妙な相違があり︑実はそれが後に触れ 大同小異であるが︑厳密に見て行くと︑両者のは既に女人為れば︑志す所は応に弱かるべし︒・・・・・・・・ ︐︐ ・ ︵ ハ Ⅰ︶ るに同じからず ︵
ご
8 ︶﹂と受止めた太子
而るに︑今其の受 る 様に︑根本的な
る 所は甚だ重くして且つ遠し ︑ 恐らくは将に口 ぅ ところ実に当らざらんかと︒﹂
自ら問を設け︑ が
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(60) 60
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勝實と
章提希 ﹂一 浄名﹂の天女弁じて芽子を屈する如きは︑旧に多く 尾入 地
の 法身なりと云えり︒今︑勝 婁 の 盛 説は此に 塊 じず︒
‑5 ︶ る ︑ 是八 地の法身なる事を︒ ・・・・ 今︑勝質は既に是法身の大士︑感に随って形を現じ ︑
滴っ て 教えを 演ぶ ︒︵ 6 l ︶ 勝 豊の本は是不可思議なり︒但し ︑ ‑a ︶
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次に勝質の住を論ず︒有人言 く ︒﹁︵十︶ 地経 ﹂ 此経の義に依るに︑十地 己 前を色身とし︑八地已上を 法身と
為 ずと︒則ち︑ 勝 基は応に是尺地已上の法身なるべし ︒ 又 ︑ の玉のみもとに生まれて孝養の道を尽し︑中ごろは 則 闇の友称の夫人と為りて三従の礼を顕わし︑終にはⅢ ち 影響
の釈迦と共に 摩詞荷之 迫を弘む︒︵ 7 1 ︶ 夫れ 道は孤 り 運ばず︑之を弘むるは人に由る︒斯に 乃
ち法夫
れ勝範は本は是不可思議なり︒何ぞ知らん 如来の分身︑身の大士︑質を女形に託し︑迦を後宮に隠し︑光を和 らげて或は是 法 雲の大士なりと云う事を︒但し ︑遠 く楡 闇の機宜を
照 すに︑皮質を以て化を為す︒所以に ︑ 初めに は 則ち 吉衛 国
との心配がある︒そこで﹁南宋天花︒ 出妙声 二日ロ﹂ に 依り︑
﹁ 声 あれば必ず言あるが故に ︑ 声を以て言は虚に 非ずと証し︑ 花 あれば必ず実あるが故に ︑ 花を 以て行 ︵は︶ りと証せり︒﹂
と 註釈されて︑その分際の如何に不 拘 ︑願 いの 如くなる事を力説されたのである︒嘉祥は此の点 に 就いて 字解釈に止まって居り︑少し前の箇処に於て ︑ 受戒が単に一時的なものでは無く ︑ 永く持続する ものであ
のみである︒︵ 1 3 ︶
では ︑何故に斯様なニュアンスの相違が生じた の た ろ うか ︒それを知る為には︑両者の勝豊夫人 に 対す
の 側面を見落してほならない︒詰り︑ 雨 疏共に 夫人に関して二重の見解を持って居るのである︒ は 必ず 果あ
は 簡単な文
ると述べる
るもう一つ
之は 夫人に対する両者の基本的態度を示すもの と 云え よう ︒太子に依れば︑此の経に関する限り ︑夫人を実在の一女 性 と解すべきであるが︑元来は如来の分身であ り ︑ 法 雲の大士である︒一言にして云えば﹁本足 不可思議︒ 但述在セ 地 ﹂と云 う 事になる︒之をも う 少し具体的に 云 ぅと 以下の如くである︒ 十 大受章の最後の﹁経本 忘失摂受正法﹂の 箇
処に︑
﹁既に摂受正法と云えば 是八地 以上の行なり︑ 故 に他 分行と云 う ︒今︑勝肇は述は セ 地に在り︑ 而るに本志 と 云う は ︑ 但 尺地以上を得んと 願 5 が故に︑正法を摂 愛 するのか暫くも 政 て忘れざるにて ︑ 自ら得たる を 而も忘れずと 言 ハ 9 @@ ︶ う には 非 ぎる 也 ︒﹂
とある︒彼女は セ 地の菩薩であるから︑八地 以 上 の 待 たる摂受正法を現実には実行し得ない︒ 又 出来る力が無 い 訳で ある︒然し彼女はそれを 得 んと願 う から︑此の 心を暫くも捨てずとの誓を立てたのだと太子は受 取って居られる︒ 裏 から云えば︑﹁不忠﹂とあるのは彼女が実際には セ 地の菩薩として扱われて居る事の証拠であっ て ︑﹁自得両下 志 しの 意味では無い︒要するに︑本地は如来の分身︑ 法 雲の大士であるが︑此の経は セ 地の菩薩たる 勝 豊の立場から説かれ
たものだと云 う のが太子の見解である︒
他方︑嘉祥の場合であるが︑彼女の本地に就 い ては太子と同様﹁大士﹂と見放して居る︒然し 乍ら ︑ 彼は﹁十地 経 ﹂に基づいて﹁ セ 地目前 為 色身﹂と判じ︑ 夫 人の垂 述 に就いては﹁ 則勝婁応是 八把已上法身﹂ と 釈するのであるか ら ︑太子の﹁ 但述 存セ 地 ﹂との間には大きな 開 ぎがある︒嘉祥は発起 序に 於て ︑
﹁ 又 ︑我は以て其の肉身を生ず︑復仇なして其の
﹂︶
と 註釈して居るが︑之は父王との血縁関係を示し たまでであって︑﹁色身﹂と同義では無い︒﹁ 法 鼻熊 レ像 ︒ 物 康則 形 ︒ 冥権無レ謀 ︒ 動 @W 一 ︒ 事 ムス﹂︵ 2 上 ︶︒ であるから︑ 勝蔓は実 在 の人物では無く︑無縁なる法身が衆生を済度 せんが為に ︑ 仮に肉
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と ︒一方︑ セ地 以下の欲たる﹁ 三 欲しの方は摂 受 正法︑大乗︑波羅蜜の三行を得んと﹁願 う ﹂ 心 であり︑ 行 そのもの では無い︒十人受の最後に夫人が﹁摂受正法 終 不忘失﹂と誓うのも︑彼女が セ 地に在って実際に は 之を実行して 居な い からである︒それ故に八地以上を得んと欲す るのである︒ セ地 と八 % と 云えば形の上では単な る 一段階の差である 和が︑その内容には右に述べた如く﹁ 欲 ﹂と ﹁ 行 ﹂と云う大なる差異がある︒従って︑夫人の 発した三大願に就いて 太
蛾 子は ︑
り ︒而るに請願を摂受すと云 うは ︑ 此 ︑ 但 往前 の 請願を取るのみ︒ 八 地域
上の願を兼ぬるには 非 ざるなり︒﹂
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@ 生穏 ︶ 波羅蜜とは︑皆人 地 以上に在りて明かす事を為 すなり︒﹂ 鼻 があるかの如くに出現したに過ぎないと主張 する︒確かに﹁霊窟﹂の説は︑従来の経文解釈 の 一般的傾向からすれ
ば 穏当なものと云え よう ︒然し太子にして見れ ば ︑嘉祥の如く本地を大士と見︑述に関しても 尺地の法身と解して て ︵ 羽 ︶ っ たのでは︑夫人は我々とは全く縁遠い存在とな り ︑一体何の為 に ﹁ 託質 な形︒ 隠述 後宮︒﹂ し たのか理解に苦しむ 訳 である︒太子の﹁ 但遠照輸闇 亡機宜︒ 以 文質 ゐ化﹂︵ り ︒︶羽とは観念的な世界に於てでは無く︑ 飽迄 も 夫人を歴史上の実 在 人物として把握された結果であり︑極めて 人 間 的で此の経の読者に親しみを起させる︒これは 救済の対象を︑一般 ︵ 4 つ 4 ︶ の 凡夫に 迄 広げて来られたとも解し得る︒尤も ︑ ﹁ 智 鹿論﹂に依れば﹁大地鶏肉身︒ セ地 已上 為 法身︒﹂であるから︑
セ 地でも法身と見 倣す事は 可能な筈であるが︑ 太 子は セ地 と八地の間には厳然たる区別をして 居 られる︒
﹁三行とは 是八地 以上の行︑三 欲 とほ 請 く セ地以 還 の 欲 なり︒三行とは一匹は摂受正法の行︑二 には大乗の行 ︑ 三 にほ波羅蜜の行なり︒宅地以還も大乗ならざ るには 非 ざれども︑但し大︵ 乗 ︶の 義未 だ 顕 わな らず︒ セ地
は還も亦万行を修すれども︑但し一念の中に斉・・・・・・・・ しき 事 能わず︒故に 亦 摂受の名を得ざるなり︑ 所 はに 摂受と大乗 と
と 上 に け 生 ょ と と 述べ︑八地以上しかその名に値しないと繰返し 強 調 される︒若し セ地 以下をも並べ取って ︑ 以て 摂受正法と為せば︑
﹁ 那ぞ ︑菩薩所有の恒沙の諸 願は ︑一切首一の 人 願の中に入るを所謂摂受正法なり︑ と云 5 事を 得 んや︒言 う 所の ‑ ㏄︶ 自分と他 分 とは︑此を以て弁ずる事を為すなり︒ ﹂
断じて居られる︒太子に於ける セ地 と八地の 区 分は誠に徹底して居る︒些か 煩隙 になるが︑主な ものを列挙して 見
う ︒ 八地 以上の摂受正法は﹁能く衆生の貧 大な蔭 覆し︑・・・・・・衆生の垢 異な洗蕩し︑ 能く五乗 の中早合 か Ⅰ ﹂︵ 生 ︐ ク Ⅰ @ ︶ ドし ︑﹁曲木
︵㏄︶ を荷負する﹂︵ 2 3 ︶ 喜重槽の比に 云 5 が如く︑衆生の 為に 繭蔵 となるが故に﹁衆生 宝 ﹂と云 う ︒ セ 地域 下は禾だ 変易を受 ︵ 5 コ 3 ︶ ︵ 4 甘り ︶ ず ︑又︑分段とも名づ け ぬが︑八地以上は﹁ 阿 羅漢群友佑﹂と 名︐つ げ﹁皆是を変易の生死﹂と 為 す ︒ 又 ︑その理由 ︵ 二 3 U ︶ 就いて如来蔵章に於て次の如く云う︒即ち ︑変 易 ︑分段の生死を照 し 得るのは﹁無為の人﹂であ るが︑之は八地域 ‑7 Ⅰ り ︶ 0 人にのみ名づけるが故に セ地 以下とは区別すべ ぎであると︒二乗及び土地 は 互有と称するが︑ 大地以上は﹁ 五無 ﹂ ︵︒︒︶ Ⅰ り 名 づける︒最後の如来真子 章 には﹁ 八地 以上は 是 ︑大乗 道 にして︑肩と 順 との二恩 は是 ︑大乗の 因 なり︒﹂とある︒ ︵ ハ 2 Ⅰ︶ 一念に傭に修するに 形 ぶるが故に⁝・・・﹂ ﹁摂受正法とは︑ 謂く 八地以上の萬行の中の一行 なり︒セ地以還も亦能く身命を捨つれ ど も ︑ 但 尺地以上の
と
を ・ 法 と 備 「 結
得 ・ と 云 に 一 は
れた
すべ
ず
。」( 2
)7
称 うな り 万行を 受
往摂 のら
ナ ・ @ ‑
法
て