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図2‐
2
社会人の記事 「社会人の方向」35
さらに、
1879年
〜1989年
版朝 日新聞検索サイ ト聞蔵 にて、「社会人」 とい うKey Word
で検索 した結果、
1859件
の記事 が検索できた。その内訳 を概 略す る と、前述 した よ うなス ポー ツ関連の「社会人」にまつわ る記事が最 も多 く、1789件
であつた。スポーツ関連以外 の記事 を抜粋 し、 タイ トル とその内容 をま とめた ものが表 3‐l①〜③である。これ らの 「社会人 にまつわる記事 を概観す ると、大筋ではあるが、
2種
に大別 され る。ひ とつには、
1992(昭
和57)年
10月 2日 の 「我 ら新人社会人ル ンル ン
ヘ トヘ ト
バ
リバ リ
シコシコ」 とい う記事 に代表 され る 「会社人」で ある 「社会人」像である。それ か ら、 も うひ とつが社会人入試枠 をきっかけとして出現 してきた一旦学生生活 を終 え、社 会 に出た人 とい う意味での 「社会人」の存在である。
前述 した後者 の基礎教育 を終 えた人 とい う意味での 「社会人」 の登場は立教大学が全国 に先駆 けて社会人入試枠 を設 けた ことか ら出現 しだ してい る。「社会人」の記事が最 も多か つた年代 は
1978(昭
和53)年
の12個である。この年は、立教大学が昼間部総合大学 とし て初 めての社会人入試 を法学部で開始 し、大きな話題 を呼んだ年 で ある。 この後 、立教大 学に続 き、他 の私立国立大学 に もその余波が及んでいつた年である。立教大学 の社会 人入試制度 が始 まった この年 を境 として、「社会 人」の語用は変化 を余 儀 な くされ る。す なわち、これ以前の新 聞紙上では、「社会人」とい う表現 が使用 され ると
きには、対の概念 として 「学生」があつた。それは、この よ うな区分は、主にスポーツ分 野で、競技 に平等 を期す ために分類 されたカテ ゴ リであうた。
も うひ とつの 「社会人」は、前述 した よ うな 「社会人」 の定義 に もある広義に 「社会を 構成す る人々」 とい う意味で、主に、その構成員は会社員 であつた よ うに思われ る。1978 年以降は さらに、社会人入試制度 をきつかけに新たな 「社会人学生」 とい うカテ ゴ リが生 まれ た。これに呼応 してす るよ うな形で、「社会人」=「会社人」が一般通念 であつたのが、
「社会人学生」にな りうる人々 として、「社会人」の対象は主婦な どの会社 などの組織に属 さない人 々まで対象が広がってきたもの と考え られ る。 これ よ り、学生生活 とい うモラ ト リアムな時期 を経 て、社会 に貢献す る、大人になる、社会 人になる といつた不可逆的な人 生観 以外 に、会社員や社会 に貢献す る社会人 とい う要員 となつた後 、社会人が再び学生に 回帰す る とい う現象 、す なわち、「社会人学生」とい う存在が確立 したのである。これ より、
社会人で もない、学生で もない、社会人学生が存在す るこ とにな る。
このよ うな 「社会人学生」出現 の社会背景 には、生涯教育
(lifelong learning)、
および その生涯教育の一つのスタイルである リカ レン ト教育があ る。生涯 学習 とは、昭和56(1981) 年 の中央教育審議会答 申に よる と、「人々が 自己の充実 0啓発や生活 の向上 のために、自発 的意思に基づいて行 うことを基本 とし、必要に応 じて 自己に適 した手段・方法を 自ら選ん で、生涯 を通 じて行 う学習」 と言 われてい る。 さらに、 リカ レン ト教育 とは、経済協力開 発機構(OECD)に
よる と、「義務教育 あるいは基礎教育以降、教育 と労働 、余暇や退職 後の生活 を含む諸活動 を交互 に行 うことに よつて、個人の生涯全体 に教育 を分配す ること」と定義 さされてい る。
さて、生涯教育 は、家庭教育や学校教育だけでは人間の教育 とい うものが不十分 だ と考 え られ始 めた
1960年
代、1965年
ユネスコ(UNESCO)の
Paul Lengrandが 提唱 したの が契機 となつてい る。また、1965年
にはス ウェーデ ンの首相01ofPaimeが
リカ レン ト教 育 を提唱、翌年の1970年
には経済協力開発機構(OECD)が
公 式 に リカ レン ト教 育を採 用 し、世界各国に広がって行 つた経緯 がある。興味深い こ とに、生涯学習や リカ レン ト教 育の概念 は教育機 関 と経済機 関か らほぼ同時期 に出てい る。す なわち、教育 と労働 とは表 裏下体の側面を持つ。近代 において、人 は人生の初期 に基礎教育 を受 けた後、就労す る とい うのが、現在まで の一般的な人生のスタイル であつた。つま り、幼少期か ら成人期
(20歳
〜24歳 )ま
での間に学校教育 を受 けて、卒業後 は、学校教育で取得 した知識 をも とに老年期
(60歳
〜65歳
)ま
で就 労す る とい うのが一般 的なスタイルであつた。 ここでは教育 と就業の期 間や場 所 な どが分離 されていた。教育 と労働 は直線上の人生で一方 向での流れ しかなかつた。しか し、科学技術 の進歩 によ り、産業構造の変化、グローバル化、基礎 教育修 了後 も最 新 の知識 を継続的 に学習す る必要性が出てきた。 ウーマ ン リブな どの女性運動、女性の社 会進 出、家族構造の変化 、 さらに、人 口動態の変化 を受 け、少子高齢社会 では、生産年齢 を補填す る意味で、それ まで就業 の必要性 がなかった主婦層や高齢者まで も労働力 して重 視 され、また、一方では、余暇のある高齢者の学習意欲 を満 たす ための学習 も盛 ん となつ ている。ここでは前述 した教育 と労働 の分離はな く、教育 (Education)と 訓練(■ aining) の回帰性が生 じて きてい る。その よ うな社会背景 の中、教育 と労働 を行 き来す る 「社会人 学生」 とい う存在 が生まれ てきた。
さらに、このよ うな社会的な背景 によ り、未熟 な 「学生」か ら完成 され た 「会社 人」「社 会人」 といつた一方向の教育観 ではな くなつてきているのが現実で ある。
さらに、会社人 の系統で社会人が語 られ る流れでは、図 3‐
1の
「社会人の方向」記事に 見 られ るよ うに、あるべ き理想像 としての市民の代表 としての社会 人が想 定 されている。1985年
7月 30日 の記事(表
3‐1
「社会人」関連の記事②
)に
は 「陪審法の復活 を望 む社会人の健全 な判断で免罪 を防げ」 とい う見出 しの中に 「社会人」が見 られ る。それ を修飾す る言葉 として、「健全 な判断
(能
力のある)」 とい う言葉 がかかってお り、社会人 た るものは、社会通念上整合性 のある正 しい判断ができて 当然であ るとい う暗黙の了解が、そ こに存在 してい るよ うに思 われ る。 同様 に、
1979(昭
和53)年
10月 5日 の記事 にも、「燃 えた社会人の向上心」とい う見出 しがあ り、社会人た るもの誰 でも、「向上心」を持ち 合 わせている とい うよ うな前提で語 られている。
この よ うに、「社会人」 を巡 る新 聞紙上での記事 を散見 してい くと、「健全 な判断力」を 持 つていた り、「向上心」を持 ち合 わせた り、「社会人」である以上、
1948(昭
和23)年
2 月23日
の 「社会人の方向」 にその源泉が見 られた よ うに、あるべ き理想像 としての人間像 を付加 されてい る ところが垣 間見 えた。
このよ うな「社会人」となつた暁 に周囲か ら自然 に付加 され るイ メージや役割について、
次章 にて、「社会人入試枠」の応募条件か ら考察 を進 めてい く。
38
表 2‐4 「社会人」関連の記事
①
事
の 数 発 行 年 月 日 和 暦 記 載
ペ ー ジ タ イ ト ル
「 ■土
̀姜
AJO辱 長 ■見 内 容
3 19● 74●4′ヨ20日 昭 手口424F
1lP
社 会 人 に な つ た 子 と箋員
II
高 校 を 卒 業 して サラ リーー マ ン な っ た 子
社 会 人 に な つ た 子 ど も:こ家 計 を 負 担 さ せ る べ き
4 1 1973■■4′ヨ4曰 昭 ホロ434F
15P
"尋
《5ヨ 員4■ い 楽斤ネ土ネ土 人 ̀姜
ヨE誕臨刻じヨ覧マ,事事tヽ
15
歳 で 実 社 会 に 日」た 子 ど も た ち
15歳で 社 会 人 と な つ た 養 護 施 設 出 の 人 は「 浮 浪 的 勤 労 少 年 」 と 呼
̀ま
れ 、職 を 転 々 と す る こ と が 多 く 、 帰 る 家 が な く、 困 つ て い る
5 1974年 3月 17日 昭 澤口494=
23P
新 社 会Aの 服 装Ef画
短 大 を 卒 業 し 、社 会 人 と な る新 し く社 会 人 と し て ス タ ー トし た 人 た ち の 月風装 に は 若 さ と 清 潔 感 、 き び き び と し た 活 動 性 力'必
要 で す 力く、 職 場 の 環 境 :=適応 し な 力くら 、 自 分 の 個 性 を 豊 か に 表 現 す る こ と に よ っ て 、 新 し い 生 活 力く― 層 楽 し い も の :こな る で し ょ う
6
2
1976年 6月 15日 昭 和514F 3P 社 会 人 がUター ン 短 大 、大 学 を 卒 業 し て 、会 社 努 め を し ス
=い
̀5A4ヽ 学 校 の 教 員 を め ざ し 、 大 学 の 通 信 教 育 を 受 け る 人 が 3つの 大 学 :=殺到 し ¬ビ い る
昭 オロ014= 5P 誇 りあ る ・脱 社 会 人
「 脱 社 会
A」
― ――般 社 会 通 念 に 背 を 向 け て 独 自 の 生 き
ア メ リ カ で の 一 般 社 会 :=背を 向 け て 独 自 な 生 き 方 と す る 脱 社 会 人 の F̲5題に つ い て
8
12
1070年 5月 16日 昭 千口534F
22P
育 」― 受 講 尋野 ヽ 殴 ら オし中 小 コ企 業 の 榎保 長や 幹 部 ク ラ ス 精 神 鍛 錬 の セ ミ ナ ー で 暴 行
10 19734F7′ヨ6曰 沼 千 口53を F lP ヌ ニア首
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22P
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立 大 学 の 冷 た さ も 浮 き 彫 り 反 響 を 呼 ん で い Z5ネ土づ≧AA言 式キ
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高 校 卒 業 後 44暮以 上 経 過 し た も の
12 19734,7月 15日 田目春口534■ 5P 一 般 ― 生 へ 束1,敷 ね ら
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歴 社 言曽 と メぎ■ 一 三 社 会 に 出 た 人 社 会 人 入 試 枠 :ま大 学 と 社 会 と 双 方 に と つ て 必 要13 晰ロホロ53●F 2P か
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‐技 術 生 み 立 教 大 学 学 長 の イ ン タ ビ ュ ー 14 1●フ3年7′ヨ21日 輌目手口534「10P
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15 1978年7′ヨ30日 田ロホロ034■ 22P 福 島 大 て ヽ 社 会
A:こ
勤 労 学 生
16 1970年8′ヨ4日 田日ホロ534F 9P メ ー カ ー に 勤 め る 社 会 人
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「 夜 FH5大学 17 1973年 3月 15日 日ロオロ534F 3P
I」l云人 U'た め 0)復 間
大 F院構 想
̀こ 取 り組 18 1978年9′ヨ27日 日目春口534F 3P F■云 人 暴 票
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19 田目千口●34F 3P ガ盗′Lナ
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