第 8 章 総合考察
8.2. 本研究から得られた示唆
本研究は,教師を取り巻く環境を 4 つの階層的レベルによって調査してきた。結果から は,教師たちは英語教育の領域では同一の社会・文化的背景をもっている (同一のマクロシ ステムにある) ものの,異なった地域環境 (エクソシステム),学校環境 (メゾシステム),個 人内環境 (マイクロシステム) のそれぞれが複雑にからみ合いながら現在の個々の教師の 状態を形作っていることが読み取られた。ここでは,本研究1から3により得られた示唆 を4つの学術的・社会的意義の観点から述べる。
(1) 研究手法の可能性
人や社会 (環境) などの「生きている」システムには,様々な要因が複雑に絡まり合って おり,そこから真実を引き出し理解することは容易なことではない。第 3 章で触れた複雑 性理論はそうした複雑な人と環境との相互作用のメカニズムを解明することを目指してお り,その探究のための手段の一つとして Dornyei (2011) は再現 (遡行) 性質的モデル化 (Retrodictive Qualitative Modeling)(RQM) を提案している。外国語学習者の分野では廣森 (2014a) が 教 師 認 知 研 究 の 分 野 で は 笹 島 (2015) が そ の 手 法 を 推 奨 し て い る 。 笹 島
(2015:12) では,この手法を教師認知研究の調査に応用し,その手法を以下のように説明し
ている。
教師認知を複雑性システムと考え,その複雑性を理解する上で,ある時点での教 師の状況を把握することにより,そこから背景をさかのぼることにより,特徴や要
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因を理解し,典型的なパタンとしての署名ダイナミクス16を特定し,それを利用す ることにより,複雑な教師認知の理解を意図した。
本研究で用いた研究の手法は,このRQMによる手法と以下の点で共通点がある。本研究 3で行ってきたことも,異なった環境において意欲的に実践している教師たちに注目し,質 問紙調査により彼らの現在の状態を把握するとともに,彼らの認知面,感情面,行動面につ いて,インタビューやグループ討議を用いて遡ってその特徴や背景を特定することを目指 してきた。廣森 (2014b) では,教室内の学習者を学習動機の特徴の違いでグループ化し,
それぞれのグループに属する生徒に対するインタビューによって学習動機に変化をもたら した要因を特定している。しかしそこでは,学習者の学習動機の変化とその要因が教室内と いう限られた文脈にとどめられており,個々の学習者の多様な背景要因 (例えばそれまでの 学習経験,家庭環境,他教科や課外活動の影響等) の関わりまでは考慮されていない。
Sasajima (2012) では,日本の中等教育の英語教師10人に対してRQMアプローチによる
調査を実施し,日本の英語教師のいくつかの特徴的なパタンとして,「英語教師はある理想 の授業に縛られている」「生徒との情緒的な関係を大切にする」「言語学的知識は教師の武器 である」等の特徴を提示している。Sasajimaは教師のもつ英語を教えるだけにとどまらな い多面的な面を強調しているもものの,分析の対象とされているものはあくまでも英語教 師としての教師であり,廣森と同様に教師の背景要因までは考慮されはていない。
本研究の独自性は,学校内にとどまらない,学習者としての経験から社会・文化的背景に 至る階層的な環境システムにも注目し,言語教師としての教師だけでなく,小学校教師とし ての指導観も含めて調査したことにある。「複雑系理論」は,人や社会に関わるシステム (生 きているシステム) はふつうのシステムとは異なり,要素に分解して調べることによって全 体を理解するという従来の方法ではできないという要素還元主義的手法への批判の上に成 り立っている。本研究においては,量的な調査では教師の全体像を探るため認知面,感情面,
行動面という要素に分割して調査しており,その意味で,その哲学的背景から複雑性理論に 基づいた研究であるとは言えないと考える。しかし一方で,本研究で取り入れている混合研 究法の利点について,抱井 (2011) はパラダイムの併用により,柔軟に新しい研究法を取り 入れることが可能となることを挙げている。その意味で,本研究は,複雑な現実の在り方を 知るための可能性のある方法の一つを提示できたのではないかと考える。
笹島 (2015) は,RQMによる自身の研究結果について,分析結果を一般化するのではな く,あくまでその状況でのある状態としてとらえ,次の教師認知の理解に役立てるものであ るとしている。本研究の結果も,一般化するところまでは至っていない。しかし,内藤
(2012:13) が述べているように,「ただ一つの地球だけの現象解明から,宇宙にロケットを
飛ばし,月に旅することができたように,一人のまた単一集団の『個』の中には,全ての人 間にまたすべての集団に共通する原理が包含されている」と考えることができる。こうした
16ある典型的なパタン
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研究を積み重ねることにより,個々の教師に関して教師のいかなる面が,どのようなプロセ スで (どのような要因やメカニズムで) 変化しているのかという現象を解明していくこと は,小学校教師全体に共通する現実を理解することにつながるものと信じる。
(2) 教師認知研究やSLA研究への示唆
本 研 究 か ら は , 学 習 動 機 は 個 人 に 最 も 近 い 環 境 で あ る マ イ ク ロ シ ス テ ム
(Bronfenbrenner) の影響を受けて変化しやすいことが示された。マイクロシステムとは,
「特有の物理的,実質的特徴をもっている具体的な行動場面において,発達しつつある人が 経験する活動,役割,対人関係のパターン」(Bronfenbrenner, 1979:22) であるとされ,学 習者にとって学級内の生徒間関係だけでなく,生徒と教師との関係もまた学習者の動機づ けにかかわっていることが推察される。第1章で述べたように,SLA研究では特定の指導 法に関しての学習効果を測定するため,できるだけ教師の要因を排除してきた。教室環境要 因としても学習者同士の関係性に注目されることが多く見られてきた。しかし教師もまた 学習者にとっては環境要因の一つとなり,学習動機や学習成果を高めるための実証的な研 究をする際の影響要因の一つとして考慮すべきであると考える。つまりその実践や実験は どのような背景をもつ教師によって行われたものなのかということを記載し,考察の中に その影響も含めることは,同じ実践や実験を試みようとする教師にとって重要な情報とな るものと考える
また,本研究からは学習動機や国際的志向性はその場の環境要因 (英語を教えるという役 割や英語母語話者との直接的な交わり等) によって比較的容易に変化することが示された。
Boekaerts (1986) は,状況を超えて安定している特性としての動機づけである general
motivational orientation (GMO) と学習を行っている際の状況としての動機づけである
task-specific motivational orientation (TSMO) を区別している。本研究からは,安定した 特性としての GMO と思われる学習動機もまた教師のライフステージの状況に応じて変動 していることが示された。外国語学習者の学習動機の研究においては,教室内の学習者の動 機の変動に注目したTSMOに関する研究が多く見られている。しかし,教育が目指すもの が学習者に生涯にわたって学び続ける力をつけることであるとするならば,安定した特性 としての学習動機に関しても,そのメカニズムと変化の要因を解明する必要がある。
(3)教師への支援に関する示唆
教師の仕事を特徴づけているものはその「複雑性」と「不確実性」である (金井・楠見,
2012; 佐藤, 2015)。どんなに周到な準備をして授業に臨んだとしても,授業がそのとおり
に進行してうまくいくとは限らない。そこで授業中の判断の指針となるのがビリーフであ
る。Warford and Reeves (2002) は,非母語話者の教師は母語話者の教師よりも頻繁に自身
の学習者経験を利用しており,その理由は非母語話者教師は外国語環境においては依然外 国語学習者であるためであるとしている。本研究からは英語教育に関する教職専門教育を
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うけた教師には異なったビリーフの特徴が見られ,専門教育が教師のビリーフの変化をも たらす可能性も示唆されているが,英語教育の専門教育を受けていない小学校教師たちは 英語専科の教師よりも自身の学習者経験やビリーフに依存する傾向をもつ可能性がある。
本研究からは教師としてのビリーフ (指導観) は環境要因によって変化する可能性があ るものの,学習者としてビリーフは変化しにくく,外国語活動指導実践が教師の外国語学習 者ビリーフの影響をうけている可能性があることも示唆された。山田 (2014) は,ビリーフ の時間的な変化を調べ,教師のビリーフにはコアとなる強いビリーフがあり,それらの中で 同質なビリーフは連結し合ってさらに強いビリーフとなり,その周辺にある相対的に弱い ビリーフは変化したり消滅したりしていることを明らかにした。本研究においても,例えば 教師A は学習者として培ったスキルや語彙の習得を重視するビリーフを保持しつづけてお り,それはの主張するコアとなる強いビリーフであると解釈することができる。一方で教師 Aは指導観として「教科内容をどう教えるか」から「子どもをどう育てるか」という意識に 変化したと語っており,その根底にはビリーフの変化があると考えられ,それをもたらした 要因は同僚教師たちとの協働した実践や子供の変化の実感であった。このように,山田
(2014) の言うコアの外にあるビリーフに変化をもたらす要因の一端が本研究によって明ら
かにすることができたと考える。
ビリーフには良い悪いという判断の基準はないものの,外国語指導実践や外国語習得に おいてマイナスの作用となる可能性があるビリーフはあると考える。例えば,本研究では小 学校教師の中に「正しい発音は大事である」「英語は外国人に習いたい」といったビリーフ をもっている傾向がみられ,それが教師の実践への自信のなさの一因になっているのでは ないかという推測が得られた。そのため,教師が自身が無意識にもっているビリーフを自覚 することの必要性があると考えられる。教師教育にビリーフ研究を取り入れることの必要 性は多くの研究者によって主張されている (Johnson, 1994, Richards, 1996, William&
Buren, 1997)。しかし,山田 (2014) のように教師ビリーフの可視化を目指した研究がある
ものの,具体的にそれをどのように取り入れるのかということに関しては十分に検討され ている研究はまだ少ない。前述したように,人の内面を探るための質的調査で問題になるこ とは,インタビューや質問からは本人が無意識にもっている信念や感情までを引き出すこ とは難しいということにある。本研究においては,直接的な質問ではなく,グループ内で共 通に語りあった発言の中から構成概念を抽出した。そうしたグループ討議においては,教師 たちが互いの言葉に触発されながら,自己の内省を深めていく姿が見られていた。グループ 討議に関して,本研究の参加者である教師たちからは「いろいろなことを考え,気づくため のとてもいい機会になった」という言葉があった。ビリーフ研究は,教師本人が自覚するこ とによってはじめて授業改善に活かされる。本研究で用いたグループ討議は人の内面を引 き出すための有効な手段の一つであると考える。
本研究においては教師と教師をとりまく環境要因との関わりを探索してきた。その中で 教師の内面や実践には学校環境要因の関わりが大きいことが示唆され,学校環境を自律性,