John Hinds が挙げているように、家族で食事をしているとき、誰かがミルクをこぼすと、日 本語なら「あっ、ミルクがこぼれた」などと言う。英語の場合、“Oh, no, she spilled milk”(Hinds 27)のように主語を明示し能動態で表現するのがふつうである。つまり英語の場合、誰がミル クをこぼしたのかという情報が欠かせないものであるのに対して、日本語では、誰がミルクを こぼしたのかということよりも、何が起こったのかという出来事の方に関心が向けられる。 このように、同じ出来事を経験しても、それを言語化する際、英語と日本語とでは言語化さ れた表現に違いが生まれる。そこで本稿では、これまでに積み重ねられてきた英語と日本語の 表現の差異の研究をとおして、英語から日本語への翻訳について考えてみる。
=〈理性的生物(Mensch = vernünftiges lebendes Wesen/man = rational living entity)〉と 定義するなら、「人間が存在する(‘Es gibt Menschen/There are men.’)」は、「或る生物は理 性的である(Einige lebende Wesen sind vernünftig./Some living entities are rational.)」と 言い換えることができる。これは、上で「或る物体は軽い(Einige Körper sind leicht./Some bodies are light.)」を「軽い物体が存在する(Es gibt leichte Körper./There are light bodies.)」 と言い換えたのと逆の変換である。この逆の手続きが適用可能となるためには、「…が存在す る」の主語となる概念、たとえば〈人間〉)が、二つの徴表〈生物〉と〈理性的〉に分解可能で なければならない。そして、この場合、分解された概念の 1 つ〈生物〉は、当の概念〈人間〉を 傘下におく上位の類的な概念で、分解されたもう 1 つの概念〈理性的〉は、その類的な概念を 限定する種差でなければならない。しかし、すべての概念がこのように定義(類的概念+種差) による概念分解を許すわけではない。このような分解を一般化するためには、すべての概念の 上位にある一般的な概念を見つけなければならない 20) 。そのような概念は、もはやいかなる内
there is a Twitter team dealing with it. ― Marketing, November 28, 2012
「E メール」の意味では、email だけでなく email message という表現も使われる。次の例を 見て欲しい。
(12) Correction: As my colleague Brad Stone–and a number of commenters on this blog pointed out, Steve Jobs did, in fact, disclose his pancreatic cancer after he was operated on in 2004. He did so by sending an email message to Apple employees after his successful surgery. I still think it would have been more appropriate for the board to make the announcement to shareholders. Nonetheless, I stand corrected.
単著 昭和 60 年 Lotus(日本フェノロサ学会)第 5 号 pp. 4-9.
“The Artists Stretch Their Legs: the “Sketch-tour” books and Other Developments in Japanese Graphic-Arts of the Early Twentieth Century”
単著 昭和 61 年 3 月 関西大学東西学術研究所紀要 第 19 輯 pp. 21-39. “Kanao Tanejiro and the development of Meiji-Taisho “sketch-tour” books”