トップPDF 物語理論と翻訳 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

物語理論と翻訳 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

物語理論と翻訳 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 語り手はいつでも語り手として物語言説に介入できるだから、どんな語りも、定 義上、潜在的には一人称でおこなわれていることになる…。 (287) すなわち、すべて物語は原理的には一人称物語であり、そこに何らかの区別があるすれ ば、それは「物語内容を語らせるにあたって、『作中人物』一人を選ぶか、それともその物語 内容には登場しない語り手を選ぶか、という選択」(287)のみであるということです。物語 水準人称問題をひどく乱暴にまとめてしまう、「水準」は「誰が語っているか?」とい う問題で、「人称」は「誰が見ているか?」という問題である言うことができます。  ヘンリー・ジェイムズ作品に『メイジー知ったこと』という小説があります。この小説 は少女「視点」から出来事が眺められているわけですが、この物語を語っているは少女で はありません。一読するお分かりいただけるように、幼い女の子がとうてい使わないような 語彙や文構造が頻繁に出てきます。つまり、見ているは女の子であるけれども、語っている は成人、しかもかなり高度な言語運用能力を備えた大人ということです。そして、現実には あり得ないような『メイジー知ったこと』物語言説こそがこの小説魅力でもあるわけです。  逆に、J. D. サリンジャーに『ライ麦畑でつかまえて』という有名な小説があります。この を眺めているは成人した「僕」ですが、物語語りは高校生だったとき「僕」という構 造になっています。つまり、『メイジー知ったこと』は逆に、「視点」方が大人で「語り」 方が子どもだというわけです。そしてそのことが、この小説持つ魅力なっているわけで す。このように、物語における「語り」や「視点」問題は、単なる形式的な問題ではなく、 物語内容深く結びついているということがお分かりいただける思います。
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大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「何もかもを」という部分に対応させるという構想である。“I could see”は原文にはない が、これも前半部“making . . . look like”対応させて、この風景を眺めている「僕」視 点を強調したものである。このほか、“a thick layer of rain cloud”は単に“a thick cloud”だ けでいいではないか、“going down through”する「(くぐり抜けて)落下[墜落]し」 というニュアンスになってしまうではないか等意見や、「やれやれ」をどう表現するか、 いった点についてさまざまな意見が交わされた(注:ただし、この時点では自主的な議論とい うよりも、講師誘導による意見交換域を出ていない。この点については改めて触れる)。  なお、前述とおり、この課題意図はあくまでも「英語学習」一環ということであり、 本来意味翻訳」(または「翻訳教育」)を目指したものではない。したがって、出来上が った訳文翻訳」として質はとくに問題はしない。指導する側から見て重要なことは、 ⑴ 訳出という作業を通じてテクストを別視点から眺めるという経験をさせること、その上 で ⑵ 日英言語構造上差異について理解をより深め、これを ⑶ 最終的な目標である「言 メタ意識」養成へつなげていく、ということである。
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翻訳を通して文化が規定するアブノーマルの概念を考える 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

翻訳を通して文化が規定するアブノーマルの概念を考える 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ノーマルが意味することは、文化によって育てられた人間性一部であり、アブノーマルが 意味するは、文化が扱わない潜在的行動一部である。前者は「社会が認めたもの」であり、 期待される範囲に自分行動をあわせたものである。  アブノーマル範疇にもちろん同性愛も含まれる。ベネディクト論文を解釈すれば、同性 愛を制度化する社会では、多く人が同性愛者になるだろう。つまり、それが彼ら文化に適 合するからである。しかし、こうしたことが許されず、認められていない社会では、彼ら人 間的価値は無視され、アブノーマルというレッテルを押される。こうした社会で生きるために は、自分自身全人格を曲げることによってのみ、その文化一員として認められるである。  ベネディクトはプラトン言を引用し、古代ギリシャにおいて同性愛は、「いい生活へ重要 な手段考えられていた」し、「もし文化が彼らに対して普通になるように強制するすれ ば、どんな人でも活力を失うであろう」書いている。またベルターシュ(オトコオンナ) フランス人が呼ぶ人たち慣習を説明する。「ベルターシュたちは思春期、あるいはそれ以降に 女性服を着たり、女性職業に就いたりする男である。時には別結婚し、一緒にすん だ。……ベルターシュたちは……一流超自然能力をもった人はみなされず、女性職業 なかリーダー、あるいは特定病気を治す人たち、あるいは部族によっては社会的な事柄 を扱う親切な管理者として扱われた。いずれにしても、彼らには社会的な地位があった。正道 からはずれた人たちが味わうような社会パターンに参加することが許されないといった葛藤 を彼らは味わうことがなかった。」
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外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 . 5  意味重視へシフト  これまでアメリカ心理学は、「意味」という概念を排除してきた。行動主義で刺激に対する 反応された人感情や意味所在は、チョムスキー言語学では深層構造( Deep Structure ) ないし理論形式(LF = Logical Form)表示レベルとして設定されるが、それは(頭中に ある)用論上意味などを含めた意味解釈部へ「インターフェース」として出力される機 能のみを有し、実際言語使用を通して得られる「意味」をどのように解釈するかには関与 しない(Chomsky, 1985)。ここまでがチョムスキーいうところ言語能力(competence)で あり、実際言語運用能力( performance )は区別された。たとえば、プレゼンテーション が上手か下手かは言語運用能力 performance 差によるものだろうが、上手なプレゼンも下手 なプレゼンも非文法的な文章が含まれるというようなエラー、すなわち言語能力 competence 差によるものではない。
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福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 16 号(2017 年 3 月) 22 人書簡を翻訳する中で、私福井先生は当時状況現在社会情勢、そして我々学者役 割についてよく話しをする。世界は今 ISIS に怯えている。その恐怖を取り除くために外国人を 占め出し、自分たち価値観だけを守ろうしている。そして、メキシコから移民、イスラ ム教徒に対して度々暴言を放ったトランプ氏が先日次期アメリカ大統領に決まった。自分たち は違う人たちことを理解しようする姿勢がどんどん失われつつある。そうした社会を変 えるには、私たち研究者がベネディクトやボアズがしたように、こつこつ客観的な事実を集 め、どのようにして今社会状況が生まれたかを説き、科学的な方法で人間を分析し、それ に基づいて正しい判断をするように世界人を説得するしかないではないか思う。それが 私たち学者使命なではないだろうか。その足掛かりなるが、今福井先生やっている 翻訳仕事だ私は考えている。
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人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

pologist t Work: 1965: 356 382)を翻訳したものである。  「連帯感」は日付ない原稿であるが、1942 年頃書かれたものであろう。「戦後人種差別」 は未発表原稿で、1947 年頃書かれたものである。最後「戦争自然史」は未出版原稿で あるが、1939 年にフランツ・ボアズ間で交わされた書簡からも明白であるように、1939 年 頃書かれた論文である。これら 4 篇論文は戦前、戦中、戦後アメリカを取り巻く状況が大 きく変化した時期に書かれたものである。このことから、戦争が及ぼしたベネディクト考え 方向や心情変化を読み解くことは興味深いことである。ベネディクトがこれら論文を執 筆してすでに半世紀以上経過した現在、人種差別に反対する意識は世界中で高まりを見せては いる。しかし、アメリカ合衆国のみならず、世界的にみても人種に対する偏見・差別はベネデ ィクトが執筆してした当時さしたる変化は見られず、それどころか差別・偏見は複雑化し、 民族問題もからみ、それらを解決する糸口はいまだ見出せずにいる。偏見・差別は過去問 題ではなく、いまも我々に突きつけられている大きな問題なである。ベネディクトが正面か ら向かい合って取り上げたこれら問題に対する科学的考察を今一度振り返って読み直すこと は、連綿続いている偏見・差別もつ根深さを考えるめにも意味あること考える。  ヨーロッパ人にとって戦争は 1939 年 9 月 1 日、ドイツによるポーランド攻撃で始まった。ア メリカ人にとって事実上戦争が始まるは、その後 2 年ほど経過してからことであった。何 に対して戦う価値があるか、そしてまた死ぬ価値があるか、また何を変えるために戦う か考えざるを得なくなっていった。ユダヤ人、黒人、またアジア人に影響を及ぼすかどうかも 含み、ベネディクトはさまざまな人種差別に反対するため活動も増やしていった。それはま た戦争によって基礎を危うくされている学問自由という原則を守るため、人前で話しをする ことが苦手であってもベネディクトはラジオ放送を通して話したりもした。「アメリカにおける 人種偏見」もそうした活動一つであった。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2 章   は第 1 部から第 6 部で構成されている。この本構成方法につい てミードは次ように書いている。 「これは推理小説ではない。どこから読み始めてもよい。も うすでに終わった人生というは、その人生なか様々な出来事を同時に見ることができる。 そのなか一つひとつが後ことを照らすこともあれば、前ことを照らすこともあり得る。 ……私は、この本で読者様々な好みに合うようにアレンジした。最後ページを先に読みた い人もいるだろうし、他解釈を読む前に、自分で生資料をもとに解釈することを望む 人もいるだろう。資料はいくつかかたまりで提示されている。伝記によくあるように、途中で 切られた文章や詩断片などは折り混ぜられてはいない。なぜなら、ベネディクトも私もある 程度かたまりで資料が提示されなければ、パターンや流れがわからない信じていたからで ある。」( 2)従って資料かかわりも、ミードコメント必ずしも一致するも ではない。ミード自身も章関係は、彼女がひらめいた場合にのみ一緒に提示している。 1 部ではベネディクト文化人類学出会いを、マーガレット・ミード解説をもとに書か れている。年代は 1920 年から 30 年代ものが中心なっている。この章には言語学者である エドワード・サピアベネディクト 1922 年から 1923 年にかけて往復書簡やベネディク ト自身日記も含まれており、初期ベネディクト想いを知る上で重要な箇所なっている。  1 部ベネディクトが文化人類学を始めた頃論文「平原インディアン幻視」を翻訳して いて感じたことは、論理的、科学的、そして明確に説明するという態度は感じられるが、その 表現からはそのスキルはまだ確立されたは言い難い点が感じ取れる。表現はどちらかという 古めかしく、客観的にそしてアカデミックに書こうする試みは理解できるが、彼女自身 スタイルは未だ形成されたは言い難く、読み手にとって理解を複雑化させている感じられ る。
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有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 2009 年頃より、翻訳を中心に研究を深めている。翻訳をするにあたって、英語ニュアンス も含め、著書深遠な部分理解が求められる。これは私個人的な思いだが、バイリンガル な人よぶことができるは菊地敦子先生をおいて私は知らない。何年にもわたって菊地先生 行なっている翻訳・解釈セッションは私仕事に励み力を与えてくれている。菊地先生 仕事はこれからも当分続くことになるが、これまた結構なことである。
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し、頭はコングリーブ嬢ことでいっぱいで、目は絶えず彼女顔を見ていた。ときどき彼女 視線合うときがあった。激しい嫌悪感がふつふつ胸にわき起こった。ヘンリエッタ・コ ングリーブに必要なは、彼女が他人を利用した同じように彼女も人に利用されることだ 彼は独り言を言った。明らかに今牧師を利用している同じように。水流中ほどで空し く底を手探りしながら、耳まですっぽり彼は恋に落ちていた。その間、乾いた靴を履いたまま 彼女は水辺に座っているだった。彼女は教訓を学ぶ必要があった。しかし、誰がそれを彼女 に与えることができるだろうか?彼女すべて師が知っている以上ことを彼女は知ってい るだ。男性は彼女に近づき、魅了され虜になるだけだった。もし彼女が、自分同じほど明 晰な頭脳、活発な想像力、不屈意志を持つ者、あるいは師仰ぐ者に出会いさえすれば!テ ーブルをひっくり返し、彼女出先をくじき、彼女を虜にし、そして突然時計を見て別れ挨 拶をする、そんな男性に出会いさえすれば!そうすれば恐らくグラハムも安心して眠りにつく ことができるだろう。人心をもてあそぶということがどういうことか彼女にも分かるであろ う。というのも、彼女心は、まるでブロンズに対するガラスようなものだからである。オ ズボーンはテーブルを見まわした。しかし、カーペンター夫人招待客には、彼が心に描く ― ブロンズ水晶頭を持つ ― 英雄にほんのわずかでも似ている男性はいなかった。彼ら はまさに、若い女性をそばにはべらせるが似合う若者たちに過ぎなかった。しかし、ヘンリ エッタ・コングリーブはそのような女性一人ではなかった。彼女は舞踏会にいる単に軽薄な 女性ではなかった。彼女しぐさにはどこか真剣で高貴な何かがあった。それは知的な喜びで あった。誠実な男性心を最後一滴まで飲み干し、恐ろしい食品に白い花を咲かせるだっ た。オズボーンが辺りを見わたす、周囲存在、サンドウィッチやシャンパンことを 一瞬忘れてしまったかように見える若い女性に目がとまった。彼が彼女ことを見ている に気がつく、もちろん、その女性はすぐに目皿に視線を落とした。しかしオズボーン は彼女視線意味を読み取った。それ ― まだ清純さ残る乙女視線 ― は、容易に翻訳 できる言葉で、「あなたこそ私が探し求めていた男性です!」語っているように思われた。つ まり簡単に言う、オズボーンさん、あなたは何て素敵な方なんでしょう、ということである。 オズボーンは脈が速くなるを感じた。彼計画は始まっただ。彼際立った容姿がコング リーブ嬢心を傷つけるに十分な装備だというわけではなかったが、少なくともそれは彼 任務を外に向かって表現するものだった。
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英語的な表現と日本語的な表現 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

英語的な表現と日本語的な表現 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 John Hinds が挙げているように、家族で食事をしているとき、誰かがミルクをこぼす、日 本なら「あっ、ミルクがこぼれた」など言う。英語場合、“Oh, no, she spilled milk”(Hinds 27)ように主語を明示し能動態で表現するがふつうである。つまり英語場合、誰がミル クをこぼしたかという情報が欠かせないものであるに対して、日本では、誰がミルクを こぼしたかということよりも、何が起こったかという出来事方に関心が向けられる。  このように、同じ出来事を経験しても、それを言語化する際、英語日本語では言語化さ れた表現に違いが生まれる。そこで本稿では、これまでに積み重ねられてきた英語日本 表現差異研究をとおして、英語から日本語へ翻訳について考えてみる。
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中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

言」から東アジア優勢言語へ成り上がったである。日本語変化は、江戸時代以来、西 洋新知識を受け入れてきた結果であるが、その過程で漢字による新語・訳語が決定的な役割 を果たした。  言語は知識受容伝達媒体であり、社会生活密接に相互作用を及ぼす関係にある。西 洋新知識導入は、中国近代化へ変化を促進し、同時に中国社会種々近代的変化 が中国によって記録された。また、漢字文化圏存在により、中国近代化は中国内だ けにとどまらず、東アジア全域に拡大した。中国中国近代が分かち難い関係にある 同様、漢字漢文は東アジア近代化密接な関係にある。西学東漸という大きな流れ中で、 中国は漢字文化圏言語に大きな影響を及ぼす一方、漢字文化圏言語からも影響 を受けた。特に日本語影響は非常に大きかったが、中でも最も重要なことは、漢字を利用し て西洋新概念を受け入れるという問題における「共創、共享」である。漢字文化圏内では、 多く抽象や時代キーワードが同形(または同音)という形式で存在しているが、これ は地域内言語接触、語彙交流結果であることは疑問余地がない。一方、各言語における 同形(同音意味、用法上相異は、それぞれ国や地域が西洋新知識や新概念を受 容した過程を反映したものである。近代新知識受容表出には新しい語彙表現様式が必要 である。厳復翻訳が最終的に中国社会に受け入れられなかったことは言語面において社会 要望を満たせなかったからであるいえるだろう。新しい語彙表現様式、特に専門分野に おけるキーワードや基本用語形成は、近代学問体系が成り立つため基盤である。キーワ ードや基本用語歴史は、往々にしてその学科形成史であり、言語近代化に関する研究は、 「近代」冠するその他研究分野基礎である。
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日本語教育における学習者コーパスの構築とICLEAJ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

日本語教育における学習者コーパスの構築とICLEAJ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

に特徴的な言語使用特性、ならびに日本語学習者苦手する言語領域など、そこに見られる 発見が日本語教育教材作成に資することにもなる。 3 . 2  CIA( Contrastive Interlanguage Analysis 対照中間言語分析)  1960 年代を通じて CA(Contrastive Analysis 対照分析)が一世を風靡し、母語外国 類似点相違点を比較して習得難易度や誤りを予測することが重視された。しかし、学習者 エラーを分析した結果、対照分析が予測するエラー実際に生じるエラーに矛盾が見られ、2 言語間違いに基づいて習得難易度を決定することにも問題があることがわかり批判にさら されることになった。
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存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

=〈理性的生物(Mensch = vernünftiges lebendes Wesen/man = rational living entity)〉 定義するなら、「人間が存在する(‘Es gibt Menschen/There are men.’)」は、「或る生物は理 性的である(Einige lebende Wesen sind vernünftig./Some living entities are rational.)」 言い換えることができる。これは、上で「或る物体は軽い(Einige Körper sind leicht./Some bodies are light.)」を「軽い物体が存在する(Es gibt leichte Körper./There are light bodies.)」 言い換えた変換である。この逆手続きが適用可能なるためには、「…が存在す る」主語なる概念、たとえば〈人間〉)が、二つ徴表〈生物〉〈理性的〉に分解可能で なければならない。そして、この場合、分解された概念 1 つ〈生物〉は、当の概念〈人間〉を 傘下におく上位類的な概念で、分解されたもう 1 つ概念〈理性的〉は、その類的な概念を 限定する種差でなければならない。しかし、すべて概念がこのように定義(類的概念+種差) による概念分解を許すわけではない。このような分解を一般化するためには、すべて概念 上位にある一般的な概念を見つけなければならない 20) 。そのような概念は、もはやいかなる内
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英語語法における曖昧性の回避について 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

英語語法における曖昧性の回避について 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

there is a Twitter team dealing with it. ― Marketing, November 28, 2012  「E メール」意味では、email だけでなく email message という表現も使われる。次例を 見て欲しい。 (12) Correction: As my colleague Brad Stone–and a number of commenters on this blog pointed out, Steve Jobs did, in fact, disclose his pancreatic cancer after he was operated on in 2004. He did so by sending an email message to Apple employees after his successful surgery. I still think it would have been more appropriate for the board to make the announcement to shareholders. Nonetheless, I stand corrected.
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 言語間習熟度に濃淡はあれ、3 言語習得はルクセンブルク人アイデンティティー礎 であり、どの言語を欠かすわけにもいかない。ルクセンブルク人が最も得意な言語はルクセン ブルクであるが、ルクセンブルクを政治・経済・学問領域で本格的に使用するには綿密 なコーパス政策を展開せねばならず、そればかりかフランス語ドイツを主要言語するメ リットが失われることにもなるので損失は大きい。したがって、フランス語ドイツ役割 を減じるような言語政策は国益に反するだろう。言語レベルだけを考えるならば、ほとんど母 として習得が可能なドイツを主要な公用するがルクセンブルク人にとって最も現 実的な選択肢なろう。だが、ドイツに国土を占領された経験を持つルクセンブルク人にとっ て、ドイツ同じ言語を国語することには抵抗感がある。最近では、特に若年層でドイツ態度が好転しており、居心地がいい外国一位にドイツが入っている点は特筆すべきであ る。また、最も得意な言語 2 位にドイツが位置していることを考えるならば、ドイツ 使用域拡大環境が整っていることを示唆している。しかし、憲法が規定するフランス語司 法上優位性、主たる学術言語をフランス語が担う言語教育政策を守り続ける以上、フラン スを上位言語する 3 言語主義は変わらないだろう。特に、EU ではフランス語が英語並 ぶ「作業言語」(working language)として使われているため、EU 主要機関が立地するルク センブルクにとってフランス語を主要言語するメリットは計り知れないものがある。ただし、 ドイツにもフランスにも依存しない独立国であることを示すには、ドイツフランス語バ ランスを取ることが重要になる。ドイツフランス語というヨーロッパ 2 大言語を公的に 使用することで、幅広い通用性を持つインフラを提供しながら国際的な求心力を得るが小国 ルクセンブルク生き方であるからだ。
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フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

―学習コンセプト  教材学習コンセプトは大きく 2 種類に分けられる。Alphabetix、『話してみようフランス 』、『場面で話すフランス語 1』はフランス語でコミュニケーションを行うことを念頭に編ま れた教材である。特に後二者はそのタイトルが明示すように、フランス語で発信する能力を養 成することを念頭において製作されている。Alphabetix 『場面で話すフランス語 1』では機 能・概念シラバスが採用されている。前者では各課に単一あるいは複数社会的あるいは機能 的コミュニケーション目標(ex. 自己紹介する、注文する、情報を求める)が設定される。後 者では各課に「家族」「持ち物」ような大きな概念テーマがあり、そのテーマに応じて「家族 について話す」「持ち物を言う」などコミュニケーション各場面が展開される。文法要素や 語彙・表現はこれらコミュニケーション目標を実現するため「道具」として配置されてい る。『話してみようフランス語』は機能・概念シラバス他に文法項目がテーマなることもあ る(ex. 6 課:~へ行く、~から来る、8 課:~するつもり、~したばかり)。一方、『ピエール ユゴー』『カジュアルにフランス語』は、実践的な会話練習を取り入れながらも、伝統的 な文法中心学習進度に従って構成された教材である。前者は物語主人公である二人少年 が旅途中で出会う事柄(ex. 3 課:切符がない)が各課会話エピソードとして取り上げら れる。後者は 4 技能養成を重視する傾向に対応するため、「無理なくフランス語基礎がバラン スよく身につく(『カジュアルにフランス語』「はじめに」より)」ことを目標しており、大学 生日常生活場面(ex. 4 課:映画、9 課:キャンパスで)を題材に各課会話が作られてい る。両者ともに会話は日常的で自然なフランス語になるよう配慮されているが、会話テーマ 学習する文法項目や語彙機能・概念的関連性はほとんど見られない。
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Key words international collaboration, conflict resolution, facilitation skills 1 .ASEP 教育効果  毎年 12 月最終週、中華民国高雄市において、AJET (Advanced Joint English Tele commu- nication) WYMC (World Youth Meeting Committee)が主催し、高雄市政府、國立中山大学、 高雄高級中学、他後援により ASEP (Asian Student Exchange Program)が開催されている。 そこでは、アジア各国(台湾、日本、韓国、インドネシア、マレーシア)から中学・高校・大 学生が集い、ICT を活用した事前交流、2 カ国協同英語プレゼンテーション、対面交流を通じ た国際交流活動が行われている。(昨年度で 11 回目:[http://www.kageto.jp/asep/2010/]参照)  この ASEP による教育効果は、一言でいう「実践による学び奥深さ」である。このこ は、ネイティブ・アメリカンが遙か昔に気づいており、次ような諺として先祖代々語り継 がれている:
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稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 先生は稀代目利きである。たとえば、研究テーマを例にとる、先生選ばれた日本文化 論テーマは、年月を重ねるにつれて、今日性が増しているように思える。通常ならば、歳月 とともに時代性を失い輝きを減ずるものだが、先生テーマをそうではない(ここでは紙幅 関係でたった 1 - 2 行で表現しているが、とても希有なことであり、驚きに値する)。先生目 利きぶりは、何も学問話だけではない。ちょっとした小物でも、お店でも、食べ物でも、普 遍的で価値高いものを選ばれているように思う。先生にお薦め頂いたものに外れはない。  人を見る目も同じである。先生人物評は端的にして、的を射ている。その時は分からなく ても、そして表面的には見えていなくても、後になって「じんわり」その意味がわかってく る。時にその慧眼ぶりに、「怖い」思うことすらあった。しかし、決して相手を貶めるような 評ではなく、そこに先生持つ上品さを感じる。
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ゴードン・スコット・ジョンソン教授 略歴及び主要業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ゴードン・スコット・ジョンソン教授 略歴及び主要業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

単著  昭和 60 年  Lotus(日本フェノロサ学会)第 5 号 pp. 4-9. “The Artists Stretch Their Legs: the “Sketch-tour” books and Other Developments in Japanese Graphic-Arts of the Early Twentieth Century” 単著  昭和 61 年 3 月  関西大学東西学術研究所紀要 第 19 輯 pp. 21-39. “Kanao Tanejiro and the development of Meiji-Taisho “sketch-tour” books”

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杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2004 年 「ドイツ連邦共和国」大谷泰照/林桂子他編『世界外国教育政策 ― 日本外国 教育再構築へ向けて』東信堂 pp.257 85.(単著) 2010 年 「ドイツ」「オーストリア」「ポーランド」「関連事項解説」.大谷泰照監修,杉谷眞佐 子,脇田博文,橋内武,林桂子,三好康子(編)『EU 言語教育政策 ― 日本外国 教育へ示唆』くろしお出版 .「関連事項解説」pp.1 6;「ドイツ」pp.53 69;「ポ ーランド」pp.283 296;「オーストリア」pp.187 202. (単著,「オーストリア」は一部, 今堀志津氏共著)
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