トップPDF 北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 先生が、65 歳定年を迎え、本学をご退職になられる。言葉では言 い表せない、強い寂しさを感じずにはいられない。  北村先生は、お互い前任校時代から数えて、もう 25 年を越えるおつきあいなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力には感服するしかない、印象を覚えた。その後、先生が長期留学経 験を一切持たず、日本でのみ英語を学んできたという話を聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、ご研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化していない時代に UNIX ワークス テーションを駆使して、まさに外国教育工学という言葉にふさわしい業績を打ち立てられて いた。その後も、ベルギー著名な心理学者 G. d’Ydewalle 先生共著で眼球運動に関する認 知心理学的研究を行われたり、米国 CNN 社契約して英語教育教材を開発されたり、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍を続けられていた。これらに加えて、恩師大西 昭男先生関西大学元学長・理事長)薫陶を十分に受け、幅広い分野で深い教養をお持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このように、私からすれば、北村先生は真に仰ぎ見 るような存在であった。その先生、国際研究大会実行委員会メンバーとして、またその後 は、(先生が愛してやまない)関西大学同僚としてご一緒させていただき、間近に接する機会 が持てたことは、後研究者・教育者として人生に大きな影響を与えたことは言うまで もない。
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博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 北村教授は、学部・修士・博士 9 年間、一貫して本学・英文科で学ばれた俊秀である。御 専門は英語学だが、当時関大英文科英語学は、Philology 色が濃く、そのなかにあって敢 えて Linguistics を志向された北村氏は、当時大学院演習指導教授関係で精神的にも肉体 的にも苦悶なさったではないか推察する。若き日にそのようなご心労があったればこそ、 後に御自身がドクターコース演習担当指導教授になられた暁には、真に心深い教育者・研究 者として誠心誠意、院生に親身に接しておられた。志使命感に溢れた、気魄学究徒 である。
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北村裕教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村裕教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 10 号(2014 年 3 月) 8 Kitamura, Y., K. Horii, K. Kotani, T. Asao & G. d’Ydewalle. (2009). How may asymmetry be accommodated by an ocular-motor map? Abstracts of the European Conference on Eye

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ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 「皆さん」彼は叫んだ。「私が主に大切だ考えているは、亡くなった人々に及ぼす私 特異な影響力ではないです。というも、結局ところ、幽霊は幽霊です。いずれにせよ大し たこはできないです。触ることはできないし、一日うち半分は見えないです。もしそ れが小さい娘霊だったら、気がおかしくなってしまうでしょう。大切なことは、それが生き ているものに不思議な影響を与えることができるということです。皆さんはそれを目を使って することができますし、声を使ってすることができますし、ある種動きですることもで きます ― ここまで皆さんがご覧になったように。ただそれに心を向けるだけで何も使わなく てもできるです。もちろんそれは、できる人がいるということです。あまり多くはいません ― 皆さんがときどき出会うある種お金持ち、権力を持った人、共感する力強い人たちで す。それは磁力呼ばれます。それについてはさまざまなことが書かれました。さまざまな説 明試みもありました。しかし大した成果をもたらしませんでした。言えることはただそれが 磁力ということであって、人はそれを持っているか持っていないかどちらかなです。神は それを私に授けることを適切だお考えになったです。これは大きな責任ですが、私はそれ を正しく使うつもりでいます。私はあらゆる類ことができます。何かを見つけ出すこともで きますし、人が心中で思っていることを語らせることもできます。人を病に伏せることもで きますし、健康にすることもできます。恋をさせることもできます ― どうです?再び恋から 目を覚まさせることもできます。そして、割に合わなければ、もう二度と好きな人結婚なん てしない誓わせることもできるです。正直に言いますが、どういう風にそれをするかは 皆さんにお話しすることはできません。ただ自分に『さあ教授、これを治そう、あれを治そう』 言うだけでいいんです。ただで与えられた才能なです。つまり、磁力ということです。そ れを動物的磁力呼ぶ人もありますが、私はそれを霊的磁力呼んでいるです」
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

時中、果敢に執筆活動に勤しんだ桝井迪夫にとっては、敗戦は実に不幸なことであった筆者 には思われる。なぜなら、戦後思想がこれまではすっかり変わってしまったからである。戦 後は「戦争は悪である」という思想一色に染まってしまっただ。第二次世界大戦中は国家 意思に積極的に賛意を表明し、実社会コミットメントを強く希求した桝井迪夫ような英 英米文学研究者にとって、戦後こうした時代風潮は、非常に居心地が悪かったであろう 推察される。太平洋戦争後時代を一体どういう態度で生きてゆけばいいかを、桝井迪夫は きっと悶絶しないわけにはいかなかっただろう。そうした苦悶を抱えつつ、桝井迪夫は戦後、 名門広島大学英語学教授として広島学派を率い、あまた優れた弟子を日本中大学に送り 込んだ。筆者は、英語学泰斗・桝井迪夫若き日人間味溢れる情動的な研究姿勢に、今や 時流なった自然科学的色彩を濃厚に帯びた「evidence-based」的な研究法は一味違う迫真 力を感じてしまう。人文学真髄も言える人間痕跡が桝井文章には存在するだ。筆者 は今、「情動的な研究姿勢」表現したが、これはまさに、歴史学者・白永瑞が論考「社会人文
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ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し長く、7 月から 9 月にかけてほぼ三ヶ月に渡っている 3) 。  一時的にせよウイドブロがフランス都を離れたは、パリに迫りつつあった第一次世界大 戦戦火を避けるためで、マドリードにたどり着く前には、トゥール近郊に所在するボーリウ・ プレ・デ・ロッシュで過ごしている。この時、避難生活を共に過ごしたが、リトアニア出身 彫刻家ジャック・リプシッツスペイン出身画家フアン・グリスで、その僻村で彼ら家 族ぐるみ付き合いを持った。『北極歌』冒頭に載る二人友人へ献辞は、その時思い 出に寄せたものである。
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アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ギブズ先生は、名門オックスフォード大学ニューカレッジ卒業生であり、ゴールズワーゼ イ特待生でもあった。私が学会発表でオックスフォードトリニティカレッジへ行く際には、 「ニューカレッジあたりも良いですよ。あそこは 007 ジェームズ・ボンドが卒業した設定に なっているですよ」お話になられていたが、自らが卒業生であることは少しも語られなか った。ご専門 1 つである日本文化話になっても、「間違っているかもしれませんが」前置 きをしながら、造詣深さが滲み出るお話をされていた。常に、謙虚で、穏やかな語り口が先 生特徴いえるだろう。それでいて、どこかに少しユーモアを隠して話しをされる。たまに 私がそれに気づく、茶目っ気たっぷりに目配せをしてくださったことが何度かあった。  先生はまた優しい人でもある。もう 10 数年前ことだが、世間話で、肩こりに悩まされてい る話をする、後日「この ointment がよいですよ」、それをわざわざ買い求めて持参して くださるなど、若輩私などにも細やかな気遣いをされた。大学を去られることになった時も、 「まだ私にやれることがあれば、何でもお手伝いをしますよ」非常勤で科目担当も自ら申し
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トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

⑸  , by Hans Chrition Andersen as told by Marianna Mayer, illustrations by Thomas Locker. New York: Macmillan Publishing Company, 1987.  アンデルセン「醜いアヒル子」をマリアンナ・メイヤー(Marianna Mayer)が再話した ものをテキストし、ロッカーが絵を担当している。この「アヒル子」は、納屋中でも、 また外世界でも、他鳥たちから仲間はずれにされる。納屋描写が中心なる前半から、 後半は自然なかで鳥たち営みへ世界が広がっていく。この絵本特徴を端的に表わし ているが、表紙絵である。冷たい冬空下、凍りつつある湖面にこうこう輝く月が映っ ている。その月反射から離れた影部分に一羽鳥が浮かんでいる。この絵を見るもの注 意を引くは、自然風景であり、そこから伝わるはその中にいる鳥孤独である。ここに、 他絵本作家たちによる『醜いアヒル子』違いを見ることができる。他作家たちが、 子どもたち理解へ配慮からであろうか、「醜いアヒル子」に焦点をあて、他鳥たち
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関西大学図書館所蔵ちりめん本の整理 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

関西大学図書館所蔵ちりめん本の整理 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ちりめん本は、縮緬布ように細かい皺を施した紙を用い、欧文に訳した日本昔話などに 浮世絵画家たち絵をもとにした多色刷り挿絵を添えて印刷した本で、明治半ば、長谷川 武次郎により刊行されたものが、その中心をなしている。なつかしい昔話という題材はもとよ り、そのしんなり手になじむ布ようなやわらかさ、そして一流絵師による美しい多色 挿絵が相まって、ちりめん本はいまも読者こころを捉えて離さない。もとは、日本国内 人びと、特にこどもたちが外国を学ぶため教科書として意図されたが、その美しさ異国 情緒により、日本にやってきた外国おみやげとして人気を得ることになったようである。  ちりめん本については、石澤小枝子氏が深く研究されており、その著書『ちりめん本すべ て 明治欧文挿絵本』を参考にさせていただき、本学図書館所蔵ちりめん本整理を試み た。石澤氏による、ちりめん本としてもっともよく知られている「日本昔噺」シリーズは 20 冊からなるが、No. 16 に重複があるので 21 冊なっており、また、同じタイトル平紙本も 出版されていた、ということである。さらに、“Enlarged English Edition”として Nos. 21∼25 出版が続き、そのうち、Nos. 23, 24, 25 は、ラフカディオ・ハーンが訳したもので、後に、こ れに二冊が加えられ、箱入りで売り出されることになった。この加えられた二冊うち一冊は、 「日本昔噺」セカンド・シリーズ(第二弾)五冊うち一冊であったようであるが、本学は
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碩学 平田 渡先生へ感謝を込めて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

碩学 平田 渡先生へ感謝を込めて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 先生碩学ぶりは尋常でなく、ご専門であるイスパニア文学・文化話はもちろんこと、 日本文学・文化話、言語や教育話、さらには趣味海釣話や車、ワイン話まで、周り にいるものを圧倒する。読書量はおそらく大変なものだ推察される。ただ、先生は読書に使 われる時間同じくらいに、若い教員話す時間も大切にされた。その中で、文学面白さに 気づいたもの、日本意識を高めたもの、新たな視点を得たものがいることを見る、人 を育てる際「対話大切さ」を、他誰よりも認識されていたではないか思えてくる。  また、先生は人に感謝する言葉を惜しまない方でもある。作業をご一緒させていただいた 8 年前外国学部開設にかかる各種行事で、自ら様々に差配を振るわれたにも関わらず、「我 が勲なきがごとく」振る舞われ、下支えしたものに感謝をされていた。その姿を思い出す、 ともすれば自らことばかり考えがちな大学教員中にあって、周りへ配慮を欠かさない先 生存在は希有なものであり、そして見習うべきものである感じる。
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

良心に対する彼任務負担は軽くなったように感じられた。理屈上では彼女は不愉快だっ た。しかし現実には、もし彼女ことを嫌うつもりがなければ、彼女に好意を抱くはとても 楽しいことであっただろう。彼見解による、肉体偶然出会いによって彼女は親し い存在になったである。オズボーンは自ら怒りを決してあきらめるつもりはなかった。彼 記憶中で、気の毒なグラハム亡霊は険しい表情でまっすぐ座り、明滅する炎に力を与え ていた。しかし、復讐対象である女性、砂浜でちょっとした事件女性を和解させ、 害ない女性を報復色に染めるは少し困難な仕事であった。いろんな事が次から次へ起 こり、計画を実行に移すことができず彼はむしろ上機嫌だった。彼はいろんなところから招待 を受け、ぶらぶら時を過ごしては海水浴をしたり、おしゃべりをしたり煙草を楽しんだり、 乗馬に出かけたり外で食事をしたりして、際限なく新しい人に会い、表向き服装は快活な半 喪服に変えてしまった。しかしこういったことをしていても、グラハムに対して不誠実な気持 ちにはならなかった。奇妙なことだが、グラハムが死んでしまった今ほど、こんなにも彼が生 きているように感じられることはなかった。肉体をともなっているとき、彼には半分生命力 しかなかった。グラハム精神は非常にやる気にあふれていた。しかし、肉体は致命的に脆弱 だった。彼は困惑しがっかりしていた。元気で活発だったは気持ちであり、愛情であり、思 いやりであり、理解力だった。オズボーンには、それらを唯一受け継ぐは自分であることが 分かっていた。遺産大きさに対する健全な感覚で胸が一杯になるを彼は感じていた。そし て、グラハムを暗い片隅に呼び出し、寂しい場所で彼死を悼む気持ちが日に日に薄れていく ことを意識していた。取り消すことできない厳粛なたった一つ切望をもって、自分屈強 な身体活発な精神を友人美徳命ずるがままにしておいた。自分旅行が休暇へ変化す ることを感じながら、彼は長い手足を伸ばし、かすかにあくびをしながらアーメン 4 4 4 4
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ここから得る教訓は、戦争が人間にとって欠かせないものだということではなく、戦争時に おいて得られる人間悦びは、社会秩序によって平和には奪われているということである。そ れに比してミシシッピ大平原多くインディアン部族状況は、平和時戦争時状況が 逆である。平和時部族同士やりとりは共同出資会社同じように利益を共有し、義務も 分散されている。敵は人間も見なされず、その敵を犠牲にして難なく個人利益を手に入れ ることができるである。ダコタ族は勇敢で根っから戦争好きであった。彼らは近隣部族 から恐れられていた。しかし国は彼ら功績には全く無関心であった。政治的な目的で軍隊が 派遣されることもなく、彼らには他部族を支配するという考えは思いもしないことであった。 戦争に加わっている若い青年たちは手柄をどんどん増やしていった。例えばキャンプ先にいた 敵馬を盗み、倒れた敵がまだ生きている間に触れ、頭皮を剥ぎ、敵陣地から傷ついたり、 殺された部族を助け出したりした。これら手柄は加算され、仲間張り合う時に使われた。 戦争それにともなうことは競争であった。戦争部隊に入隊する理由は愛国心からではなく、 一旗揚げたいために入隊した。戦闘部隊が敵地に入る、隊員はそれぞれ一番りっぱな服装を して羽根飾りをつけた。羽根一本いっぽんは彼が過去に成し遂げた手柄を表していた。隊員 たちが本拠地に帰る、英雄なった人たち家族や彼何らかのつながりがある人たちが集 まり、彼功績を称えた。兵隊たちは死ぬまで競い合って自分たち成し遂げた手柄を自慢し あうである。集会場には 100 以上数え棒が置いてあり、誰が一番多く棒を手に入れ、自 分たち手柄話しができるかということを競い合った。
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アントニー・スティーヴン・ギブズ先生のご退職によせる想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生のご退職によせる想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 アントニー・スティーヴン・ギブズ先生ご退職によせる想い 福 井 七 子  私が初めてギブズ先生にお目にかかったは、関西大学文学部頃でした。先生は英文学科 に属しておられました。文学部時代はあまりお話をする機会もありませんでしたが、教授会 折、物静かな口ぶりでお話される先生を、いつも私は羨望まなざしで見ていました。  直接お話する機会をもったは、外国学部にお移りになってからでした。私はその時、英 で論文を書かねばならないという、まったく荒唐無稽な仕事を抱えていました。まがりなり ではありましたが、一応英語で原稿は書いておりました。手を入れてくだされば有難いという 思いで先生にお願いしました。先生は大学前喫茶店にほぼ時間通りお出でになりました。お 聞きすれば京都から新幹線をお使いになったということで、大いに恐縮したものです。しかし、 この恐縮は始まりに過ぎませんでした。一文一文、誠に丁寧に修正してくださり、最初は遠慮 がちに聞いておりましたが、だんだん厚かましくなり、「それとこれニュアンス違いは何 ですか?」など先生にとってはあまりに稚拙すぎる難儀な質問を何百回もしてしまいました。 ギブズ先生は一つひとつ本当に丁寧に教えてくださり、無事論文は仕上がり、それは後にジョ ンズ・ホプキンズ大学出版から出版されました。残念ながら編集段階で若干修正がなされ ましたが、骨子については私も譲るわけにはいかず、何回も、何度も編集やりとりをし、 出版までこぎつけることができました。
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有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ジェフリー・ゴーラー研究ためイギリスに行くことにはためらいもあった。彼存在があ まりにも未知数であったためである。しかし、コレクションを見たいという気持には従わざる を得なかった。結果的に行ってよかった思っている。これまで未発見資料を手にすること ができた。しかしそれをうまく読み解くことには難渋した。これも私が子ども頃からお世話 になっている電気店を営んでいる猪ノ山さんおかげで判読できるようにしていただいた。「あ 手この手」方法技術を駆使して、時間を惜しまず考えてもらったおかげで、資料を読み 解き、一冊本として世に出すことができた。
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日本語教育における学習者コーパスの構築とICLEAJ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

日本語教育における学習者コーパスの構築とICLEAJ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

に特徴的な言語使用特性、ならびに日本語学習者苦手する言語領域など、そこに見られる 発見が日本語教育教材作成に資することにもなる。 3 . 2  CIA( Contrastive Interlanguage Analysis 対照中間言語分析)  1960 年代を通じて CA(Contrastive Analysis 対照分析)が一世を風靡し、母語外国 類似点相違点を比較して習得難易度や誤りを予測することが重視された。しかし、学習者 エラーを分析した結果、対照分析が予測するエラー実際に生じるエラーに矛盾が見られ、2 言語間違いに基づいて習得難易度を決定することにも問題があることがわかり批判にさら されることになった。
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

にとって、彼は信じざるを得なかっただが、愛は趣味悪い気晴らしに過 ぎなかったのだ。彼は激しい気性男性だった。彼はすぐ要点に触れた。  「マリアン」彼は言った。「君は僕を欺いていたんだね。」  マリアンは彼が何ことを言っているかよく分かっていた。彼女には、自分が自分婚約 にうんざりしていることがよく分かっていた。そして、ヤング氏やキング氏に対する彼女振 る舞いがどんなに無邪気なものであっても、それはバクスターに対する重大な裏切りだった だ。彼女はダメージを受け、二人婚約はすっかり破棄された感じた。スティーブンが中途 半端な言い訳や否定に納得しないことは分かっていたが、彼女にはそれ以外に伝えられるもの がなかった。いくら言葉を費やしても完全な告白にはならなかっただろう。そこで彼女は、気 に揉むことをやめてしまった「将来」を守ろうはせず、単に自分威厳だけを守ろうした。 生まれつき半分冷笑的な落ち着いた性格によって彼女威厳は当面間十分守られた。しか し、同じ品ないこの落ち着きために、冷酷で浅はかだという印象がスティーブン記憶 中に残った。そしてそれは、少なくともその記憶中では、真実重み価値あるものを求め る彼女にとって永遠に致命的であることが宿命づけられていた。彼女に説明を求め、彼女振 る舞いに介入しようするスティーブン権利をマリアンは否定した。婚約を解消しようい う彼提案を彼女はほとんど予期していた。彼女は涙という単純なロジックを使うことさえ否 定した。当然、このような状況では二人話し合いは長いものではなかった。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 癇癪発作もこの間ずっと続き、ひどい時には嘔吐をしました。しかし、嘔吐癇癪を結び つけることはありませんでした。この二つはあまりにも異なるものに思えました。どちらにも 共通するシンボリズムは、「否定」ということかもしれません。  子ども頃にタブーし、それを生涯ほとんどを通してタブーしてきたことが 2 つあり ます。かなり小さい頃から感じていたことで、6 歳秋に牧場を去る前に植えつけられたもの です。1 つは人前で絶対に泣かないこと。人前で泣くということは、私にとって最悪で最も屈辱的なことでした。癇癪がおさまって、暴力罪が「私」世界なかすべて タブーを圧倒した時に人前で泣いたとしても、それ以外時に決して泣くことはありませんで した。でも夢中で人前で泣いていました。人前で暴露される典型的な夢は、よく知ってい る顔ぶれ人たちが、じっと私を見ている部屋なかで泣き出してしまう状況を詳細に表わし た夢でした。このタブーは結婚したあとも、頑なに長い間守り続けました。そのころ落ち込ん でいる時に、それまで経験したことがないような、素晴らしく美しい白昼夢を見ました。 「白昼 夢」ということは、どんな夢よりも現実味を帯びた、特定夢を指しています。タブーに対す るそれ以降変化は、その白昼夢につながっています。その夢なかで、私は砂漠なかにい て、その砂漠には素晴らしいエジプトスフィンクスがありました。そのスフィンクス顔に あらわれた知性皮肉は、言い表せないもので、私はスフィンクスに近づき、前足に顔を埋め てひたすら泣きました。うれしさ確信を感じながら。そしてスフィンクス前足は、子猫 ように柔らかく、ふわふわしていました。(「私」世界前で泣くことによって、その後、そ タブーを守らなければならないという衝動は無くなりました。)
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 一方、協同(Win Win)では、両者要求が共に満たされる状態を目指すことで、新たな交 渉次元を創造する。その結果、パイ大きさを拡げることで、選択肢を拡げ、両者が満足する 解決策が得られることになる。  ASEP 場合、言葉、国境、時間という制約があり、現地到着後も発表前日まで内容につい て検討を行うことが多い。そのため準備進度も異なることから、片方グループ主張を 優先させることで勝ち負けような状況が生じる「対決・宥和」、もしくは、差異分を痛み分け することによる「妥協」産物列挙によるプレゼンテーションになる可能性がある。そし て、両者がどちらも自分にとって好ましい結果を主張仕切れず、妥協する気もない場合、関係 者全員関係が悪化する可能性もある「回避」。
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中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

古今東西に通じ、知識を求め、国を強くしたい者もある。勉学を始める前に自ら考えなければ ならない。今、揚子江流域、沿海地方では中西学館称し、英語を教える学校が数え切れない ほど多い)」 2) 。英語学習施設急激な増加や目的多様化が覗える。一方、それまで殆ど中国 人視野に入っていなかった日本語は日清戦争敗戦後初めて外国学習対象なった。 「為通 事為買辨以謀衣食」という英語等学習動機異なり、日本語学習は西洋新知識を吸収する 捷径考えられ、20 世紀初頭からブームが沸き起こった。外国遭遇により中国は相対 化され、また教科書、辞書編纂により、他言語間に語句レベルにおいて対応関係が 築かれようした。その過程で訳語、新語著しい増加があった。また表現様式、文型上も大 きな変容がもたらされた。幅広い接触深い相互作用が中国を含む東アジア言語近代的 特徴である。近代言語接触は、国境地帯雑居や移民、貿易等によって引き起こされる直接 接触に比べ、新知識受容、そして伝播媒体として言語間接接触はもっと大きなウェー トを占めている。前者は口頭を主することが多く、生活、物質名称借用やピジン言語な どの現象を引き起こすが 3) 、後者は主として文章を通して現れ、抽象的語彙発生や文章形 式変革を促進する。
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アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 目に見える影響を暗くて古い町に与えるローマ初春空気は、ご存知とおり不思議な魅 力があるけれども、どちらかいう外国体にはしばしば辛いことがある。北アフリカか ら熱風が二週間途切れることなく続いたあと、ワディントン夫人活発だった気分が落ち込 んだ。彼女は「熱病」にかかるではないか心配し、急いで医者相談した。医者は、何も 心配することはなく彼女に必要なは単なる気分転換だ言った。そして、一ヵ月ほどアルバ ーノに行くことを勧めた。というわけで、二人女性はスクロープ付き添いもとアルバー ノに行くことになった。ワディントン夫人は親切にも私も一緒に来るよう誘ってくれた。しか し、親戚者がローマにやって来ることになっていて、私は彼らためにガイド役を引き受け ることになっていたので、ローマに残っていなければならなかった。機会があればアルバーノ を訪れる約束だけはしておいた。私叔父その三人娘は申し分ない観光客で、私には 次から次へすることがあった。しかし、週末にはやっと約束を果たすことができた。私は宿 に泊まっている彼らを発見し、二人女性が、汚れた石造りしわ寄った黄色いテーブ ルクロスについて意識を、窓から見える霧かかった海ように広大なローマ平原について 恍惚した黙考に溶け込ませているを見た。景観は別として、彼らは楽しい日々を過ごし ていた。その地域美しさ山間見慣れない古い町美しい近郊を思い出していただきたい。 その地方は早咲き草花が咲き誇っており、私友人たちは野外空気中で暮らしていた。 ワディントン夫人は水彩画スケッチをし、アディナは野生花々を摘んでいた。スクロープ は満足気に二人間を行ったり来たりして、時折、ワディントン夫人絵の具使い方やアデ ィナスイセンシクラメン組み合わせについて歯に衣をきせない酷評をしていた。みんな とても幸せそうで、嫌味ではなく私はもう少しで、神々からもっとも望ましい贈り物は、 自身欠点なさに対する終始変わらない確信ではないか思うところだった。しかも、心に やましいところある恋人でさえ、アディナ・ワディントンような自分人生における予想 もしない愛らしさ存在によって、当然報いというものが存在することが信じられなくなる ということがあるかもしれない。
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