トップPDF at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2 章   は第 1 部から第 6 部で構成されている。この本構成方法つい てミードは次よう書いている。 「これは推理小説ではない。どこから読み始めてもよい。も うすでに終わった人生というは、その人生なか様々な出来事を同時に見ることができる。 そのなか一つひとつが後ことを照らすこともあれば、前ことを照らすこともあり得る。 ……私は、この本で読者様々な好み合うようアレンジした。最後ページを先読みた い人もいるだろうし、他解釈を読む前、自分で生資料をもと解釈することを望む 人もいるだろう。資料はいくつかかたまりで提示されている。伝記よくあるよう、途中で 切られた文章や詩断片などは折り混ぜられてはいない。なぜなら、ベネディクトも私もある 程度かたまりで資料が提示されなければ、パターンや流れがわからないと信じていたからで ある。」( 2)従って資料と詩とかかわりも、ミードコメントと必ずしも一致するも ではない。ミード自身も章と詩関係は、彼女がひらめいた場合のみ一緒提示している。 1 部ではベネディクトと文化人類学と出会いを、マーガレット・ミード解説をもと書か れている。年代は 1920 年から 30 年代ものが中心となっている。この章は言語学者である エドワード・サピアとベネディクト 1922 年から 1923 年にかけて往復書簡やベネディク ト自身日記も含まれており、初期ベネディクト想いを知る上で重要な箇所となっている。  1 部ベネディクトが文化人類学を始めた頃論文「平原インディアン幻視」を翻訳して いて感じたことは、論理的、科学的、そして明確説明するという態度は感じられるが、その 表現からはそのスキルはまだ確立されたとは言い難い点が感じ取れる。表現はどちらかという と古めかしく、客観的そしてアカデミック書こうとする試みは理解できるが、彼女自身 スタイルは未だ形成されたとは言い難く、読み手にとって理解を複雑化させていると感じられ る。
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福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

21 ペンを走らせている。「…後は何て言った?」そこでやっと私聞く。福井先生がペンを走ら せるスピードは並大抵ものではない。しかも、乱れた字ではなく、後からでもちゃんと読め る。その上、私が訳した内容を確認しながら書いている。神業である。お互いかなり集中 力を用いる作業なので、途中で何度か息抜きを入れる。訳し終わった箇所について話し合うこ とが多い。訳し終わった部分を今度は福井先生が家でコンピューター打ち込む。打ち込みな がらさらに日本語調整をする。次会うと前回翻訳した箇所で先生が書き直したところ、 わかりにくかったところなどについて話し合う。そしてまた次箇所を訳す作業入る。これ 繰り返しである。2013 年外国学部紀要』第 9 号からほぼ毎号で翻訳した部分コメン トをつけて掲載している。その校正さらに翻訳内容修正を入れ、訳を磨いている。  1959 年出版された Anthropologist at Work をなぜ今さら翻訳しているか疑問思う人 も多いかもしれない。文化人類学分野はその後発展を遂げているし、1959 年から世の中は大 きく変わっているだから、1930 年代から 1940 年代ベネディクトが書いたことなど現代社 会はあまり意味を持たないではないかと思う人もいるだろう。もしそうだったら、私もこ 翻訳作業加わらなかったと思う。また、この本がベネディクト研究者のみ重要な資料で あるとしたら、これまでベネディクトとは関わりを持ったことがない私がこの翻訳をすること はならなかったと思う。なぜ今この本を訳しているか。それは、この本書かれたことが 今社会通じるところがあるからである。そして、ベネディクトが生きた社会中でベネデ ィクト、あるいは彼女師であるフランツ・ボアズが学者として貫いた姿勢を心から尊敬し、 私もこの本を訳すことによって彼らと同じよう社会一石投じたいと思うからである。 これは、私と福井先生共通思いだ。
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Analog pleasures in a digital world 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Analog pleasures in a digital world 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

I knew I had to be fl exible in my thinking. There was more to life than teaching. One former teacher who new me well told me that a local millionaire had started a new newspaper: The Bloomington Courier-Tribune. The wife of the owner was greatly fond of opera and musi- cals, and hoped the newspaper would hire someone who could write intelligently about such things. I had performed in musicals, and taken a class in opera directing, so I went for an inter- view. The managing director of the paper was a blunt speaking cigar-smoker. The Metropolitan Opera Company was soon going to perform at Indiana University, and he was under some pres- sure to publish a review of their performance, so my timing was good. But he told me that if I wanted full-time work, I would also have to telephone hospitals every day to fi nd out who had been born, who had died, to check with the police about local crimes, to write about guest speakers at the local Rotary Club and Lions Club. He said, “ You work for me, Johnson, and I ’ ll make you a newspaperman.” Somehow it sounded more like a threat than a promise. But I was desperate enough that I agreed to his terms. He showed me a desk with nothing on it but a typewriter, a telephone, and a dictionary, and told me it would be mine, starting the next day, at 6:30 AM.
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「ボアズの片腕としての歳月」に見るミードの想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「ボアズの片腕としての歳月」に見るミードの想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「ボアズ片腕として歳月」見るミード想い A Translation of Margaret Mead’s Article on Ruth Benedict’s Years as Franz Boas’ Left Hand 菊 地 敦 子  福 井 七 子 Atsuko Kikuchi   Nanako Fukui The translation of the massive 583-page book “An Anthropologist at Work” was started by Professor Fukui and myself towards the end of 2009. It has been a slow process, finding time between our other university commitments, but we have now translated about two-thirds of the book. The book has never been translated into Japanese before, probably because of its sheer volume. Some may wonder why we are translating this book that was first published back in 1959. This is a legitimate question because most translators choose to translate books that have been published more recently. We feel, however, that the content of this book is as relevant to our society today as it was back in 1959. Today, we live in a society facing constant fear of the unknown. The so-called “Islamic State” is something that most of us do not understand and is something which we simply label as “evil”. However, if we look back into history, Japan was once considered an “evil state” by the people of other countries. But in those days of World War II when discrimination against the Japanese was rampant, there was an anthropologist who took the time to meticulously collect data about the unknown and who tried her best to examine the Japanese mind without any bias. That was Ruth Benedict. For that, we think that it is well worth translating this book now. Her writing teaches us how important it is for us, as scholars, to maintain an open mind, and how we have the duty to prevent our society from rushing into mass hysteria against the unknown.
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ルクセンブルクが国語として法的規定されたは 1984 年ことであり、国象徴と位置 付けられている。文学作品もルクセンブルクで書かれたものがあるが、学術言語として整備 されているとは言い難く、実際学問を担っているはフランス語とドイツである。ドイツ は学術言語としても成熟しているので、ルクセンブルク人にとってはドイツを通じて勉学 を行うが最も効率的である。小学校では、まずドイツが主たる授業言語として用いられる はそのためである。しかし、学年が上がるにつれてフランス語が学術言語として機能を担 っていくシステムなっている。ルクセンブルクを学術言語として自立させるためコーパ ス政策を行わず、ドイツとフランス語を使用するがルクセンブルク特徴だ。また、欧州 有力な言語であるドイツとフランス語を使うことができるメリットは計り知れないほど大 きく、アイデンティティ言語としてルクセンブルクを話し、実用言語としてはドイツとフ ランスを使うというルクセンブルク多言主義は現実的な形態であるといえよう。  外国学習では、母語近い言語を学ぶ方が系統的遠い言語を学ぶより容易であるは言 うまでもない。ルクセンブルクで公的地位を有するルクセンブルク、ドイツ、フランス語 言語間距離を考えれば、ルクセンブルク人にとって複言語主義がどの点で難しいか、あるい は容易であるかがわかる。また、英語と関係も見ておかねばならない。ドイツとフランス が重要な役割を果たす欧州においても、英語重要性は増すばかりである。公的地位を有す る 3 言語学習加えて、英語学習もルクセンブルクでは必須である。さらに、人口約 43% 2) を占める外国人住民存在も、多言形態影響を及ぼしている。外国人で最も多い
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 表向き反感を示した最初振る舞いあと、ヘンリエッタ・コングリーブは、友人かつ姉常連客としてとても喜んでオズボーンを迎えるようなった。彼は、自分が次よう考 えても馬鹿げていることはならないと考えた。つまり、読者がどう考えようと、自分行動 全体が浮かれた愚か者それだとオズボーンが考えていないは言うまでもないこと、そして、 彼女を取り巻くほとんど若い男性よりもヘンリエッタは彼好意を持っていると考えること である。オズボーンは自分持って生まれた資質を正しく評価していたし、感情的なこと厳 しく制限しなくても、より洗練された社会的な目的ため、ひとかどの人物なる素質も備 わっていることが分かっていた。彼はささいな事は関心がなかった。しかし、ウィルクス夫 人客間ではささいな事はほんのわずかな役割を果たす過ぎなかった。ウィルクス夫人は単 純な女性だったが、愚かなわけでも軽薄なわけでもなかった。そして、コングリーブ嬢はさら 優れた理由でこれら欠点から影響を免れていた。グラハムがかつて多少苦々しさを込 めて次よう言うを聞いたことを思い出した。 「女性は本当は自分何か言ってくれる男性 だけが好きなんだ。女性はいつも何かニュース飢えているんだ」オズボーンは、コングリ ーブ嬢が通常あつめられる以上ニュースを自分がもたらすことができることを考えて満足し た。彼は素晴らしい記憶力を持っていたし観察力も鋭かった。その点についてはコングリーブ 嬢も同じだったが、社会についてオズボーン経験はもちろん彼女それよりも十倍広が りを持っていたし、彼は常に彼女不完全な推論を補足し、間違った憶測を正すことができた。 彼女憶測は素晴らしく如才がないよう思えることもあったし、無邪気で愉快なこともあっ た。しかし彼は、まったく新しい事柄が持つ魅力について事実を彼女提供できる立場自 分がいることしばしば気づいていた。彼は旅行をし、男女を問わずさまざまな人物会って きたし、もちろん、通常女性が読むべきではないと考えられている多く本を読んでいた。彼 は自分強みがよく分かっていた。しかし、彼知的な資質を披露することによってコング リーブ嬢が大変楽しんだとしても、一方で、彼女関心が彼知性非常さわやかな影響を もたらしているようも思えた。
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Another is for there to be more ‘original’ or ‘creative’ writing. English continues to focus on enabling you to respond to the world around you. (Robert Eaglestone 133 )  私たち日本英文学専攻者にとって有意義だと思われる箇所を、本稿論旨である実践知性 として英文学研究視点からまず引用したが、実は著者ロバート・イーグルストンは第 1 部 第 1 章 ‘Where did English come from?’ 中で、英文学という学科目がどのような歴史的背景 もとでイギリス設置される至ったかを詳述している。英文学本家であるイギリス事 情を知っておくことも大切であろうから、以下、簡潔まとめてみる:「元々英文学研究なる ものはイギリス大学では受け入れられず、特に古典学教授たちにとっては無用長物であ った。ところがこの英文学は 1835 年、一つ正式な学科目としてインドにおいて誕生した。当 時インドを統治していたイギリスは、英文学研究を通して現地インド人をイギリス化させよ うと目論んだである。そしてやがてこれがイギリス逆輸入されることなる。そうした逆 輸入者代表的人物が、詩人・思想家マシュー・アーノルド(Matthew Arnold)であり、 彼は当時イギリス人文学的教養を身つけさせようと思ったである。具体的は、有益 で文明的な道徳的価値観修得が目標とされた。これに対して、英文学を研究してもほとんど 意味がないと考える一派も存在し、彼らは、教養ではなく、むしろ言語研究として英文学を 志向した。こうしたせめぎあい中、1893 年オクスフォード大学英文学学位コースが導入 されたが、英文学専攻は主としてフィロロジー研究を意味した。この流れが変わるは 1917 年 以降である。ケンブリッジ大学講師たちが中心となって、主としてフィロロジーから成り立 っている英語専攻コース抜本的改革を進め、やがて言語研究だけではない、今日私たちが 知っている豊潤な英文学基礎が作られたである」。
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ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し長く、7 月から 9 月にかけてほぼ三ヶ月渡っている 3) 。  一時的せよウイドブロがフランス都を離れたは、パリ迫りつつあった第一次世界大 戦戦火を避けるためで、マドリードたどり着く前は、トゥール近郊所在するボーリウ・ プレ・デ・ロッシュで過ごしている。この時、避難生活を共に過ごしたが、リトアニア出身 彫刻家ジャック・リプシッツとスペイン出身画家フアン・グリスで、その僻村で彼らと家 族ぐるみ付き合いを持った。『北極歌』冒頭載る二人友人へ献辞は、その時思い 出寄せたものである。
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トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

  ’ , illustrated by Thomas Locker, written by Keith Strand. New York: Harcourt Brace & Company, 1999.  クリスマスガチョウ木彫りを木飾るという自分家族特有習慣由来について、 作者が自分おじいさんから直接聞いた話である。1886 年、おじいさん両親はイリノイから コロラド移住し生活を始めた。その冬、大雪襲われ、父は最後残ったとうひ木を切ろ うとするが、母はその木の下二羽ガチョウ(一羽はけがをしている)を見つけ、せめてク リスマスまでは木を切らないよう頼む。この頃、夫婦赤ん坊(作者おじいさん)が生まれ る。クリスマス後は天候も回復し、木は切らなくても済む。のち、春なり、ガチョウも雛 が生まれ家族ができる。二度目クリスマスは(おじいさん)妹が生まれ、家族幸せが 増す。父は、ガチョウ家族木彫りを作り、このとうひ飾った。この行為が、今も作 者家族によって続けられているということである。コロラド秋・冬・春景色を捉えたロ ッカー写実性が、この感動的な実話リアリティーとドラマ性を与えている。
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2 .ASEP2010 から見えること  2010 年度 ASEP における参加学生言葉よると、「英語を外国として使う人同士コ ミュニケーションは必ず衝突や不完全な意思疎通」があるため、「自分たちはこういう風 プレゼンを作りたいと説明する交渉力」や、「自分が主張したいこと説得力を持たせるため コミュニケーション能力が必要であること気づく」という ASEP 効果がみられた。さらに、 リピーターから「Presenter 経験者として、Coordinator がプレゼン内容についてもう少し踏 み込んだ意見を与えてあげられたら良かった」と指摘があった。このことは、意見や価値観 対立からコンフリクトが発生して、それを解決するため両グループが苦心しており、その ことをリピーターが歯がゆい思いで見守っている状況を示している。
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福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ルースベネディクトが遺したもの」(1996)新潟県長岡市特別文化講演会 「ルースベネディクト研究をめぐって」(1997)立命館大学言語文化研究所 「『菊と刀』著者ルースベネディクトからメッセージ」(1999)市整会研修会 テーマ『日本・日本人を探る IV』「『日本人行動パターン』を読む」(2003)中央市民大学教 養講座

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アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 14 号(2016 年 3 月) 2  先生は、遠州流茶道直門上席師範を経て、家元師範代という高い立場昇られており、茶 道に関する論考や、茶道語彙に関する研究も多数発表されてこられた。また、日本・日本 文学についても、その分野で修士学位( Oxon )を取得されて以来、継続して研究を続けら れている。しかし何よりも私個人印象残るは、その英文法教授に関する論考である。全 10 章からなるこの一連論文群と、それを発展させた書籍ドラフトを先生から数年前見せ て頂いた時は、そのユニークなアプローチ大いに感銘を受けた。40 年にわたり、日本大 学生と向き合った経験があるからこそ、生まれてきた考え方だと思われる。日本人にとって痒 いところ手が届くようなこの論考さらなる充実と、早い出版が待たれるところである。ま た先生は、発音や韻律教授法に関しても一家言をお持ちであり、90 年代はこの分野でも一 連論文を書かれている。陳腐な言葉かもしれないが、マルチな才能とは彼ような人物こ とを言うであろう。まさに仰ぎ見る存在と言わざるを得ない。
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大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

改訂モデル=翻訳二重プロセスモデル  図 2 示したモデルは、いわゆる「直訳」(言語表層構造のみフォーカスした記号変換的 な訳)について学生注意を喚起し、より深いテクスト分析と意味処理必要性を訴えるため は有効なモデルである。本稿で取り上げたようなさまざまな問題点も、基本的はこのモデ ルで説明することができる。したがって、学部レベルで授業では図 2 ような概念化ができ ればほぼ十分であると考えられる。ただし、厳密言えばこのモデルでは不十分である。  図 2 モデルはいわば「直訳」を否定するためモデルであるが、実際は翻訳(や通訳) すべてが図 2 ルート②示したような「深い処理」を必要とするわけではなく、語句レベ ルで記号変換的処理で済むことも少なくない。また、その比率が多ければ多いほど、翻訳(や 通訳)は効率的なる。とりわけ、情報伝達を主眼とするテクスト(informative text)場合 は「浅い処理」で十分用が足りることが多い。例えば、貿易摩擦問題に関する報道文“struc- tural impediments ”という表現が出てきたとする。この場合、通訳翻訳者にとって当面問 題はこの表現対応する目標言語語彙 (lexical equivalent)― この場合は「構造障壁」― を知っているかどうかということだけであり、この表現が何を意味するかについて(当該分野 専門家よう)深く理解している必要はない。仮に目標言語対応語彙を知っているだけ では十分な翻訳ができない場合は、その都度、必要な範囲で調べればよいだけことである 21) 。  このことはしかし、翻訳や通訳は、基本的対象テクスト内容について深い理解を必要
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キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 以上よう、個々 CS 機能が特定できる場合がある一方で、CS 発生頻度が最も高い C は、3.1 文内 CS 例③よう、母体言語が不明で複雑な CS が多数見られ、個々 CS 機能は必ずしも明確ではなかった。Poplack ( 1980: 588 )が指摘するよう、安定的な二言語 併用コミュニティにおける特定発話状況では、CS 自体が規範となる事例もある。その場合、 話者は CS を通して混合アイデンティティを表現していると考えられ、前掲 6 つ機能のう ち「表現機能」該当する。よって、安定的な二言語併用環境である首都ビシュケク市生ま れ育ったインフォーマント C にとっては、キルギスとロシア CS 満ち溢れた会話様式 がありふれたものであり、CS を通して、キルギスが優勢な地方在住キルギス人とは、異な るアイデンティティを表現していると考えられる。
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フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 教材機能・概念シラバスが採用されているであれば、既に述べたよう、入門・初級レ ベルでは複合過去形完了用法については「経験有無を問う」以外場面設定は難しいだろ う。その場合、完了用法は補足的な会話練習または教室で使うフランス語中で使うことがで きるだろう(ex.「朝食を取ったかどうか聞く」「練習が終わったかどうか聞く」)。これら状 況ではしばしば ne pas encore を含む完了形が使われる。別冊練習問題帳があれば、活用練習 を兼ねた筆記問題または複数活用形を使う応用問題同じ用例を盛り込むことも可能である。  言語運用シフトした現在外国教育流れ中では、第二外国として初級教材網 羅的な文法説明を記載することは困難である。複合過去形現在まで継続、完了否定、結 果相など様々な完了用法は初級以後学習項目なるだろう。事行と組み合わせによっては 事柄開始時が強調されること(ex. J’ai aimé.「好きなった」)、複合過去形で表される事象 は必ずしも終わっていないことなども初級以後確認すべき事項である。これら事項を学習 取り入れる際は、複合過去形と共に用いられる様々な時間表現と副詞役割も忘れてはなら ない。過去用法と完了用法結果相区別が後置された depuis + 時間と共起可能性で判明す るよう、複合過去形用法意味は特定時間表現と共起することで明らかなることがあ るからである。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 文化人類学者は自分社会よりもなるべく違う社会を研究しようとするため、様々な集団 データを持っている。そして西洋文明影響範囲からはずれたところで発展したシンプルな社 会を特に研究する。文化人類学者はある集団が特定価値観基づいて実現した方略を研究す ることができる。その価値観とは自由という価値観なか、社会統一という価値観なか、権 力屈するという価値観なかを研究することができる。文化人類学者にとって部族役割は、 科学者が細菌生死を研究する実験室役割と同じなである。文化人類学者実験室は研究 者が自分で設定するではない。それは原住民が何世代もわたって、何千年もかけて生き方 詳細いたるまで設定したものである。しかしフィールド・ワーカーはその部族なか存 在する私たち時事問題を、たとえそれが違った姿であったとしても認識することができる。  フィールド・ワーカーが研究している裸プリミティブ・ピープルはもちろん社会保障条 例について話すわけではない。しかし彼らは老人や飢えた人をどのよう扱うべきかはっきり している。年寄りや飢えた人を守る部族もあれば、守らない部族もいる。そして文化人類学者 はそれがもたらす帰結を研究することができる。原住民は黄金率について語らないが、オース トラリア原住民からカラハリ砂漠原住民いたるまで、黄金率が働いていることは見受け られる。たとえば、「他人施しを与えなければ、誰が自分施しを与えてくれるだろう」、「他 人を敬わなければ誰が自分を敬ってくれるだろう」といった教訓は、若者たたきこまれ、 南洋島々人からティエラ・デ・フィエゴ冷たい霧すむ人至るまで、それを実践して いる。同時にこのような黄金率がまったくない原始社会があり、文化人類学者は黄金率が存在 する結果と、しない結果を研究することができる。黄金率は人を支配するだろうか?プリミ ティブ・ピープルなかで黄金率縛られた人間関係しか知らない人もいれば、相手を強いる 状況立たされたことがないプリミティブ・ピープルもいる。
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有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

27 30 有余年大学生活を振り返って 福 井 七 子  関西大学時間は、学問を中心として私生活彩りを添えてくださった人々おかげで、 非常恵まれた期間だった。30 有余年にわたって、まったく波風がたたなかった時期がなかっ たとは言えない。ルースベネディクトという複雑な女性を研究テーマ中心したことで、 彼女思想・文化捉え方、また彼女異文化理解迫ろうともがき続けた年月であった。  研究性質から、私は常に一次資料を求めようとした。資料集めがうまくいき、というより 納得いくまでやり続けたというべきかもしれないが、そして多く人々助けられ、これまで あまり研究がなされていなかった分野を少しは明らかできたではないかと思っている。  アメリカは 6 回ほど調査旅行をした。第一回目調査旅行は実に不安な気持でいっぱいで あった。プキプシーあるベネディクト・コレクションを中心、エール大学や議会図書館 も出かけた。ニューヨーク図書館では思いもかけなかった資料を得ることができた。結果的 心配は杞憂終わっただが、資料収集だけでは何も発信できない。収集以上努力が 求められるは、それを読み解き、まるでジグゾーパズルよう時間軸を中心埋め込んで いかねばならない。
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

量、すなわち、外国教育と深く関連する母語・早期英語教育・ネイティヴスピーカー等問 題寄せる気概と厳粛な認識、そしてその志操は敬服せざるをえない。  月刊雑誌『新潮』〈2009 年 1 月号〉「特別対談:日本危機とウェブ進化」において水 村美苗は、インターネット専門家である梅田望夫と対談し、その場で日本語将来に対する 強い危機感を吐露している。「西洋ロゴス地球が支配されないため、非西洋国語と して日本語を維持していく。それこそが人類的ミッションではないか」(水村美苗/梅田望夫  347)と揚言する水村美苗は、対談者梅田望夫相手深い焦慮駆られつつ、「グローバリゼ ーションというけれど、その一方はグローバリゼーション回収できないローカルというか、 個別的なものがある。それは人間が地球さまざまな土地住み、さまざまな母語を話してい る限り、必然的存在するものですよね。だから、ローカルであることを意識しつつ、そのロ ーカルな環境で生きる運命をどう引き受けるかということを、日本で書くことでもって人類 向けて示していかなければならない。すべて人が人類向って直接書くを目指す必要は ない。あえて言えば、人類という抽象的な対象向けて書かれたことと、ローカルな人間向 けて書かれたことがちがうを日本人が日本語で読み書きして示すことが、人類へ貢献も なると思うんです。すべて人が英語という人類で書いてしまったら、世界はとても退屈な ものなってしまう。…………………グローバルなもの回収しきれない世界存在を訴え続 けることこそ、パブリックな行為だと思うんですよ」(水村美苗/梅田望夫 355)と、持論を ぶつ。英語支配という問題敢為精神で立ち向かう水村美苗肩肘張らない率直な意見を 傾聴する如くはないだろう。新たな主体性確立を希求して日本語世界帰って行った吉 田健一と水村美苗決断勇気は、筆者漣が立つ。
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 裕先生が、65 歳定年を迎え、本学をご退職なられる。言葉では言 い表せない、強い寂しさを感じずはいられない。  北村先生とは、お互い前任校時代から数えて、もう 25 年を越えるおつきあいとなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力は感服するしかない、と印象を覚えた。その後、先生が長期留学経 験を一切持たず、日本でのみ英語を学んできたという話を聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、ご研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化していない時代 UNIX ワークス テーションを駆使して、まさに外国教育工学という言葉ふさわしい業績を打ち立てられて いた。その後も、ベルギー著名な心理学者 G. d’Ydewalle 先生と共著で眼球運動に関する認 知心理学的研究を行われたり、米国 CNN 社と契約して英語教育教材を開発されたりと、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍を続けられていた。これら加えて、恩師大西 昭男先生(関西大学元学長・理事長)薫陶を十分受け、幅広い分野で深い教養をお持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このよう、私からすれば、北村先生は真に仰ぎ見 るような存在であった。その先生と、国際研究大会実行委員会メンバーとして、またその後 は、(先生が愛してやまない)関西大学同僚としてご一緒させていただき、間近接する機会 が持てたことは、後研究者・教育者として人生大きな影響を与えたことは言うまで もない。
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 エベレットは約束父親であるエベレット氏エスコートで現れた。エベレット氏 は物事を望ましい形式で行うことを大変誇りしており、あらかじめバクスター紹介されて いた。バクスターとマリアンと短いが丁寧な挨拶が交わされ、その後で二人は仕事取 りかかった。エベレットはバクスター希望や思いつき気持ち良く応じ、同時に、どういう ことをすべきでどういうことはすべきでないかについて多く確信を臆することなく披露した。  彼女確信が的を得ており彼女希望は余すところなく共鳴できるものであることその若 い芸術家はまったく驚かなかった。頑迷で不自然な偏見と折り合いをつけることも、自分最 善意図を近視眼的な虚栄心犠牲することも要求されないことが彼は分かった。  エベレットが中身ない女性であるかどうかということはここで言及されることではない。 しかし少なくとも、彼女は次ことを理解するだけ分別は持ち合わせていた。つまり、蒙を 開かれた聡明さ関心は、それが絵画主たる目的であるだから、画家視点から見て良い ものであるべき絵によって最も良く満たされなければならない。さらに、彼女名誉ため 以下ことをつけ加えてもいいだろう。絵画が、その情熱持続というまがい物 ― へたな模 倣 ― 以上何かなるためは、情熱要請によって遂行された絵画どんなに偉大な芸術 真価が適切付与されるべきであるか、彼女は余すところなく理解していた。そして、彼自 身ためであれ他人ためであれ、非論理的で利己的な関心介入ほど芸術家情熱を冷めさ せてしまうものはないことを、彼女は本能的悟っていた。
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