する集落の間ですら6時間近くかかるところも珍しくなかった 24)。
ii. 行政村の再編と植民地支配
コーチシナの行政村 Xa は 1890 年代から 20 世紀の初頭に大きな変化を被った。行政村 の規模の均一化、および統治制度の統一化が目指されたのである。バクリュウ省でも 1882 年から 1894 年の間に Thanh Hoa 郡は 17 村から 6 村に、Thanh Hung 郡は 12 村から 5 村に 合併された。そして 1906 年までに、Long Thuy 郡の 18 村も 5 村に、Quang Long 郡も9村 から5村に、Quang Xuyen 村も 14 村から7村に統廃合が実施された。結局、1882 年時点 のバクリュウ省 70 村は、20 世紀初頭には、5郡は同じだが、28 村に再編された 23)。 行政村再編の要請には、植民地政府の各村落に対する要求事項の増大(たとえば植民地 予算を確保するためのさまざまな収税やフランス近代統治の施策が村落に課されたこと 等)によって、旧来の村の権力構造は衰退し、全体としてフランス植民地政府が期待する コーチシナ村落の”自治力” は著しく弱まったという背景があった。1904 年、総督令によ って行政村の自治組織は成文化され、そして標準化されたのである 25)。
さらに見せる
142
さらに読み込む