��� 20 世紀アメリカの中国政策の展開と
パワー・トランジッション���的��にたって
�����
は �めに
本稿は、20 世紀アメリカの中国政策の展開をパワー・トランジッションの概 念 を援用しつつ、概観する試みである1。
1 �20 世紀 前半の 中国 政策
( 1)門 戸開 放の原 則
アメリカが中国に対する関与を本格化するのは、19 世紀末以降のことであった 。 ア メ リ カ は キ ュ ー バ の 独 立 問 題 を め ぐ る ス ペ イ ン と の 戦 争 に 勝 利 を 収 め 、 講 和 条 約でフィリピンとグアムの領有を認められるや、1899 年に中国における商業上 の 機会均等を、1900 年にはこれに加えて中国の領土的・行政的保全を求める通牒 を 関 係 各 国 に 送 付 し 、 了 承 を 求 め た 。 こ の い わ ゆ る 門 戸 開 放 の 原 則 が 20 世 紀 前 半 の ア メ リ カ の 中 国 政 策 の 基 本 方 針 と な っ た 。 ア メ リ カ は 門 戸 開 放 政 策 を 提 唱 す る こ と で 、 当 時 中 国 の 分 割 を 進 め て い た ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 や 日 本 と は 一 線 を 画 し 、 自 ら を 中 国 の 独 立 と 統 一 を 擁 護 す る 国 家 と い う 自 己 イ メ ー ジ を も つ こ と が で き た 。 中 国 に 対 す る こ の あ る 種 の 保 護 者 的 な 意 識 は 、 宣 教 師 に よ る 熱 心 な 布 教 活 動 に よ って一層強められた。
た だ し 当 時 の ア メ リ カ に は 門 戸 開 放 の 貫 徹 を 裏 付 け る 物 理 的 力 は な く 、 ま た そ う す る 意 志 も な か っ た 。T・ ロ ー ズ ヴ ェ ル ト 大 統 領 ( 共 和 党 ) は 、 東 北 ア ジ ア に お け る ロ シ ア の 膨 張 を 警 戒 し 、 南 満 州 で の 日 本 の 優 位 と 日 本 の 韓 国 支 配 ( 日 本 が ア メ リ カ の フ ィ リ ピ ン 領 有 を 認 め る 代 わ り に ) を 容 認 す る 用 意 が あ っ た 。 後 任 の タ フ ト ( 共 和 党 ) は ア メ リ カ 資 本 の 導 入 で 満 州 に お け る 日 本 と ロ シ ア の 特 殊 権 益 に対する挑戦を試みたが、両国の反対にあうと、強行しなかった。
ロ ー ズ ヴ ェ ル ト が 権 力 政 治 的 な 現 実 主 義 、 タ フ ト が 経 済 外 交 を 追 求 し た と す る な ら ば 、 東 ア ジ ア 外 交 に イ デ オ ロ ギ ー 的 要 素 を 注 入 し た の が 、 ウ ィ ル ソ ン 大 統 領
(民主党)であった。彼は 1913 年 3 月に大統領に就任すると、主要国のなか で
最 も 早 く 中 華 民 国 を 外 交 承 認 し た 。 そ こ に は 、 ア ジ ア で 初 め て 誕 生 し た 姉 妹 共 和
国に対するイデオロギー的な親近感があった。ウィルソンは日本が 1915 年 1 月
に 対 華 二 十 一 ヵ 条 を 提 出 し た 時 、 門 戸 開 放 の 原 則 を 侵 害 す る と し て 抗 議 し 、 い わ ゆる不承認ドクトリンを表明したのである。
ウィルソンは 1917 年 4 月、ドイツに対する宣戦布告を求めた議会演説で、 ア メ リ カ は 「 世 界 を 民 主 主 義 に と っ て 安 全 な も の に す る た め 」 に 参 戦 す る と 宣 言 し 、 平 和 は 「 民 主 主 義 国 家 群 の 協 力 に よ っ て の み 」 維 持 さ れ る と 述 べ た 。 彼 は 戦 後 構
想については、「勝利なき平和」演説、14 ヵ条の原則を通じ、被統治者の合意 に
よ る 政 府 の 樹 立 、 普 遍 的 な 国 際 機 構 の 創 設 、 軍 縮 、 公 海 の 自 由 、 秘 密 外 交 の 廃 止 、 通 商 障 壁 の 撤 廃 、 民 族 自 決 、 集 団 安 全 保 障 、 政 治 的 な 民 主 化 な ど を 骨 子 と す る リ ベ ラ ル な 戦 後 国 際 秩 序 案 を 表 明 し た 。 彼 の 東 ア ジ ア 構 想 は 必 ず し も 明 瞭 で は な い が 、 中 国 の 領 土 的 ・ 行 政 的 保 全 、 日 本 の 大 陸 膨 張 の 抑 制 、 ソ 連 の 影 響 力 の 排 除 が そ の 中 心 に あ っ た 。 ウ ィ ル ソ ン の 思 想 的 影 響 は 海 外 に 波 及 し 、 朝 鮮 半 島 、 中 国 で
は民族自決を求める三・一独立運動、五・四運動が起きた2。
( �)ア メリ カの力 の限 界
た だ し ウ ィ ル ソ ン も 前 任 者 ら と 同 様 、 中 国 の 門 戸 開 放 を め ぐ り 日 本 と 軍 事 的 衝 突 を す る つ も り は な か っ た 。 彼 は 日 本 の 対 華 二 十 一 ヵ 条 要 求 に 反 対 し た が 、 そ の 後 石 井 ・ ラ ン シ ン グ 協 定 に よ っ て 妥 協 を は か っ た 。 ラ ン シ ン グ 国 務 長 官 は 「 中 国 の 領 土 保 全 の 問 題 で 紛 争 に ま き こ ま れ る こ と は ア メ リ カ に と っ て ド ン = キ ホ ー テ 的 愚 行 」 で あ る と 語 っ た 。 同 様 に 大 統 領 の 腹 心 ハ ウ ス 外 交 顧 問 も 、 「 中 国 に お け る門戸開放の問題で日本と戦う立場にはない」と強調したのである。
ア メ リ カ の 戦 後 東 ア ジ ア ・ 太 平 洋 構 想 は 、 共 和 党 政 権 に よ る ワ シ ン ト ン 諸 条 約
( 海 軍 軍 縮 条 約 、 中 国 に 関 す る 九 ヵ 国 条 約 、 太 平 洋 に 関 す る 四 ヵ 国 条 約 ) で 具 体 化 さ れ た 。 ア メ リ カ は こ の 地 域 に い わ ゆ る ワ シ ン ト ン 体 制 を 構 築 し 、 海 軍 軍 縮 、 中 国 の 門 戸 開 放 の 原 則 、 太 平 洋 の 現 状 維 持 を 基 本 に 主 要 国 の 協 調 を 進 め た 。 ワ シ ン ト ン 体 制 を 維 持 す る た め の ア メ リ カ の コ ミ ッ ト メ ン ト の 程 度 は 、 や は り 限 定 的 で あ っ た 。 ヒ ュ ー ズ 国 務 長 官 は ラ ン シ ン グ ら と 同 様 に 、 「 日 本 に よ る 中 国 に 対 す る い か な る 侵 略 に 対 し て も わ が 国 は 戦 争 を し な い だ ろ う と い う 見 解 に 基 づ い て 私 は 今 ま で つ ね に 行 動 し て き た 」 と 述 べ 、 ワ シ ン ト ン 会 議 に 出 席 し た ル ー ト 元 国 務
長 官 も 、 「 わ れ わ れ は 、 合 衆 国 は 門 戸 開 放 や 中 国 領 土 保 全 の 問 題 で 日 本 と 戦 争 す る ほ ど そ れ ら の こ と に 関 心 を も た な い で あ ろ う と い う 前 提 で 出 発 し た 」 と 言 明 し た 。 東 ア ジ ア ・ 太 平 洋 の 秩 序 の 維 持 に あ た っ て ア メ リ カ の 力 の 行 使 に は 限 界 が あ るというのが、アメリカ政府の立場であった 3。
1931年 9月に満州事変が起き、日本がこの地域を占領すると、スティムソン 国 務 長 官 は 武 力 に よ る 現 状 の 変 革 を 認 め な い 方 針 ( ス テ ィ ム ソ ン ・ ド ク ト リ ン ) を 表明し、日本を牽制したが、この抑制的な姿勢に変化はなかった。
� �第二 �世 界大戦 �の 中国政 �
( �)ア ジア の脅威 のグ ローバ ル化
アメリカは、1937 年夏に日本が中国本土で軍事侵攻を始めると、中華民国政 府 に対する本格的な財政支援を始め、1940年 9月の日独伊三国軍事同盟成立後は 、 ア ジ ア と ヨ ー ロ ッ パ の 脅 威 を 同 じ 文 脈 で 解 釈 し 、 対 中 支 援 を 強 化 し た 。 ア ジ ア の 中 国はヨーロ ッパのイギ リスと並ん でアメリカ の防衛の最 前線となっ た。F・D・ ロ ー ズ ヴ ェ ル ト 大 統 領 ( 民 主 党 ) は 1940 年 12 月 末 の 炉 辺 談 話 で 、 ア メ リ カ は
「 民 主 主 義 の 兵 器 廠 」 と な ら な け れ ば な ら な い と 説 い た 上 で 、 ヨ ー ロ ッ パ と ア ジ ア の 「 無 法 者 の ギ ャ ン グ 」 、 「 強 力 な 三 国 」 が 「 世 界 支 配 を 狙 う 計 画 」 に 乗 り 出 し た と 非 難 し た 。 そ の 上 で は 彼 は 、 「 ヨ ー ロ ッ パ と ア ジ ア の 戦 争 国 が 西 半 球 に つ な が る 二 つ の 大 洋 の 支 配 を 得 な い よ う に す る こ と は 、 わ れ わ れ に と っ て も っ と も 死 活 的 な 関 心 事 で あ る 」 と 語 り 、 ア ジ ア と ヨ ー ロ ッ パ の 脅 威 の 重 大 さ を 指 摘 し た のである。
彼は翌年 1 月の一般教書演説では、武器貸与法の制定と「四つの自由」を訴え、
「 不 幸 に し て 、 わ が 国 お よ び 民 主 主 義 の 未 来 と 安 全 は 、 わ れ わ れ の 国 境 の は る か か な た の 出 来 事 に 重 大 に か か わ っ て い る 」 、 「 民 主 主 義 的 生 活 様 式 が 、 全 世 界 の あ ら ゆ る と こ ろ で 直 接 に 攻 撃 さ れ て い る 」 と 警 告 し 、 改 め て ア ジ ア と ヨ ー ロ ッ パ の脅威をグローバルな意味合いで強調した。アメリカ政府は 1941 年 6 月に、 中 国に対する武器貸与法の適用を決定したのである4。
( �)リ �� ルな国 際秩 序�� と東 アジア ・太 平洋秩 序
ア メ リ カ は 第 二 世 界 大 戦 を 通 じ て 、 東 ア ジ ア ・ 太 平 洋 国 際 秩 序 の 全 面 的 な 再 編
成 に 着 手 し た 。 英 ソ の 協 力 な し に は 勝 利 が 不 可 能 で あ っ た ヨ ー ロ ッ パ と は 異 な り 、 ア ジ ア ・ 太 平 洋 戦 線 で は ア メ リ カ が 決 定 的 な 役 割 を 担 っ た こ と は 、 こ の 地 域 の 将 来に圧倒的な発言権を有することを可能にした。
ロ ー ズ ヴ ェ ル ト 大 統 領 は 戦 争 目 的 を 「 四 つ の 自 由 」 演 説 、 大 西 洋 憲 章 で 明 ら か に し 、 基 本 的 に は ウ ィ ル ソ ン の 理 念 に 基 づ く リ ベ ラ ル な 国 際 秩 序 像 を 提 示 し た 。 国 際 連 合 に お け る 米 英 ソ 中 の 「 四 人 の 警 察 官 」 の 協 力 、 国 際 通 貨 基 金 (IMF) ・ 世 界 銀 行 、 国 際 貿 易 機 構 の 創 設 に よ る ア メ リ カ 主 導 の 国 際 金 融 ・ 経 済 体 制 が そ の 中 核 で あ っ た 。 戦 後 東 ア ジ ア 構 想 に つ い て は 、 大 国 と し て の 中 国 の 形 成 、 日 本 の 民 主 化 と 非 軍 事 化 、 植 民 地 主 義 の 清 算 、 米 ソ 協 調 が 骨 格 で あ り 、 そ の 前 提 に は 親 米 的 な 国 民 党 政 権 の 維 持 が あ っ た 。 ロ ー ズ ヴ ェ ル ト は 中 国 の 国 際 的 立 場 に 配 慮 し 、 1943 年までに 1882 年以来の中国系移民排斥法を撤廃するとともに、カイロ宣 言 に お い て 日 本 が 奪 取 し た 中 国 領 の 回 復 を 約 束 し た 。 た だ し 彼 は 中 国 の 軍 事 的 貢 献
に多くを望んでいなかった。約 500 億ドルに及んだ武器貸与法のうち、アメリ カ
が 中 国 に 向 け た 金 額 は 僅 か 16 億 ド ル に 過 ぎ な か っ た 。 こ の 金 額 は 英 向 け の 289 億ドル、ソ連向けの 110 億ドルに遠く及ばないばかりか、仏向けの 30 億ドル の 半分であった。ローズヴェルトの期待は、あくまでも中国の将来にあった。
ア メ リ カ は 戦 前 と 異 な り 、 戦 後 東 ア ジ ア ・ 太 平 洋 の 国 際 秩 序 を 維 持 す る た め に 軍 事 的 な ― と く に 空 軍 と 海 軍 の ― 関 与 計 画 を 進 め た 。 統 合 参 謀 本 部 (JCS) の 1943 年 11 月の覚書は、アメリカの「直接の防衛」のために、アメリカ本土、 カ リ ブ 海 地 域 、 中 央 ア メ リ カ 、 ニ ュ ー フ ァ ン ド ラ ン ド 島 、 ア ラ ス カ 、 ア リ ュ ー シ ャ ン 列 島 、 ハ ワ イ か ら フ ィ リ ピ ン に 至 る 地 域 に 、 「 世 界 平 和 の 維 持 」 の た め に 、 南 西 太 平 洋 と ボ ル ネ オ 、 日 本 列 島 、 千 島 列 島 、 南 サ ハ リ ン 、 タ イ か ら 中 国 北 部 と 朝 鮮半島に至る地域に米軍基地の設置案を提示した。1944 月4月の 国務省覚書は 、
「 わ が 国 の 課 題 は 太 平 洋 と 東 ア ジ ア を 安 全 に す る こ と 、 す な わ ち 合 衆 国 に と っ て 安 全 に 、 同 盟 国 に と っ て 安 全 に 、 す べ て の 平 和 を 愛 好 す る 人 々 に と っ て 安 全 な も の に す る こ と で あ る 」 と 主 張 し 、 こ の 地 域 の 秩 序 維 持 に 軍 事 的 責 任 を 負 う 方 針 を 確 認 し た 。 ア メ リ カ の 安 全 保 障 に 関 す る 地 域 的 概 念 は 大 き く 拡 大 し た の で あ る 5。
� �冷戦 期の 中国政 策
( �)中 国の 共産化 と� �ー・ トラ ンジ� ショ ンの� れ
戦 後 ま も な く 米 ソ 間 で 始 ま っ た 冷 戦 、 そ し て 中 国 内 戦 の 悪 化 は ア メ リ カ の 戦 後 東 ア ジ ア 構 想 の 変 容 を 余 儀 な く さ せ た 。 中 国 に 代 わ っ て 、 日 本 の 戦 略 的 価 値 が 高 ま り 、 ア メ リ カ は 日 本 を 東 ア ジ ア 政 策 の 中 核 と し て 再 建 、 強 化 す る 政 策 に 転 じ た 。 対日占領政策の転換を主導したのは、封じ込め政策の提唱者ケナンであった。
トルーマン政権(民主党)は 1949 年 12 月、NSC48/2「アジアに対する合衆 国 の 立 場 」 で 包 括 的 な ア ジ ア 政 策 を 説 明 し た 。 そ れ に よ る と 、 ア メ リ カ の ア ジ ア に お け る 安 全 保 障 上 の 目 標 は 国 連 憲 章 の 目 的 と 原 則 に 合 致 す る 安 定 的 で 自 給 的 な ア ジ ア 諸 国 ・ 諸 国 民 の 発 展 、 ア ジ ア の 非 共 産 主 義 的 な 国 々 の 治 安 の 維 持 と 共 産 主 義 に よ る さ ら な る 侵 食 の 防 止 の た め の 軍 事 力 の 開 発 、 ア ジ ア に お け る ソ 連 の 影 響 力 の 段 階 的 削 減 と 最 終 的 な 排 除 、 ア メ リ カ の 安 全 、 ア ジ ア 諸 国 の 平 和 、 独 立 、 安 定 に 脅 威 を 与 え る よ う な ア ジ ア に お け る 力 関 係 の 阻 止 に あ っ た 。 ア メ リ カ は ポ イ ン ト ・ フ ォ ア 計 画 に よ る ア ジ ア 友 好 国 に 対 す る 援 助 、 リ ベ ラ ル な 貿 易 政 策 と ア ジ ア か ら の 輸 入 の 促 進 、 ア ジ ア へ の 投 資 、GATT の 多 角 的 ・ 無 差 別 の 貿 易 原 則 に ア ジ ア諸国の同意をとりつけるべきであった。NSC48/2 は、経済力を主な手段とし て 東アジアをリベラルな国際秩序へ統合することを謳った文書であった。
し か し こ の 比 較 的 柔 軟 な NSC48/2 の 採 択 の 前 後 、 ト ル ー マ ン 政 権 を と り ま く 内外の環境が悪化した。9 月上旬にソ連の核実験成功が明らかとなり、10 月に は 中 華 人 民 共 和 国 が 成 立 し た 。 こ れ ら の 出 来 事 を 契 機 に 、 国 内 で は 政 府 の 外 交 に 対 す る 不 満 と 批 判 が 噴 出 し た の で あ る 。 ケ ナ ン は 中 国 の 共 産 化 は 好 ま し い 事 態 で は な か っ た が 、 そ れ が ア メ リ カ の 安 全 保 障 に 重 大 な 脅 威 を 与 え る と は 考 え て い な か っ た 。 国 務 省 は 「 中 国 白 書 」 を 刊 行 し て 、 内 戦 の 結 末 は 中 国 国 内 の ダ イ ナ ミ ク ス に よ る も の で 、 ア メ リ カ の 力 を 超 え た も の で あ る と 弁 明 し た 。 ア チ ソ ン 国 務 長 官 は 毛 沢 東 の “ チ ト ー 化 ” 、 中 ソ 離 間 の 生 起 を 期 待 し 、 中 国 に よ る 台 湾 占 領 を 黙 認 することで、新たな米中関係の構築をめざした。彼は1950年1月のナショナル・
プレス・クラブ演 説 で 、 中 国 共 産 党 政 権 に 対 す る 批 判 は 避 け 、 ソ 連 「 帝 国 主 義 」 の 中 国 に 対 す る 野 心 を 非 難 し 、 ア ジ ア に お け る ア メ リ カ の 防 衛 線 を ア リ ュ ー シ ャ ン列島、日本、琉球、フィリピンに置き、韓国と台湾をその圏外に置いたのである。
しかし世論、議会の受け止め方は別であった。親国民党派勢力であるチャイナ・
ロビー、さ ら に は 共 和 党 は 中 国 の 共 産 化 を ト ル ー マ ン 政 権 の 失 態 と し て 、 激 し く 反 発 し た 。 マ ッ カ ー シ ー 共 和 党 上 院 議 員 の 急 速 な 台 頭 の 背 景 に は 、 ア メ リ カ の 核 独 占 の “ 喪 失 ” と 中 国 の “ 喪 失 ” と い う 二 重 の “ 喪 失 ” が あ っ た 。 し か も 中 ソ 両 国は 1950 年 2 月に軍事同盟条約を結び、アチソンらが期待した中ソ離間の見 通
しは大きく低落していた。トルーマン大統領は 1 月末、国家安全保障政策の全 面
的 検 討 を 指 示 し 、 そ の 作 業 は ニ ッ ツ ェ 国 務 省 政 策 企 画 室 長 が 担 っ た 。 ニ ッ ツ ェ ら は と り わ け ソ 連 の 核 開 発 の 結 果 、 共 産 圏 に 対 し て 「 力 の 均 衡 が 根 本 的 に 移 行 す る 」 可 能 性 を 危 惧 し た の で あ る 。 パ ワ ー ・ ト ラ ン ジ ッ シ ョ ン の 恐 れ の 最 初 の ケ ー ス で あった。ニッツェは4月までに NSC68「国家安全保障に関する合衆国の目標と 計 画」を策定し、アメリカの大幅な軍事力の強化を提案した。
ま も な く し て 勃 発 し た 朝 鮮 戦 争 を 契 機 に 、 ア メ リ カ は NSC68 に も と づ き 大 規 模 な 軍 拡 と 軍 事 的 で グ ロ ー バ ル な 封 じ 込 め に 乗 り 出 し た 。 と く に 朝 鮮 戦 争 に 軍 事 介 入 し た 中 国 に 対 す る 反 発 に は 厳 し い も の が あ っ た 。 今 や 中 国 は ソ 連 の 「 衛 星 国 」
( ト ル ー マ ン 大 統 領 ) で あ り 、 「 大 規 模 な ス ラ ブ 満 州 国 」 ( ラ ス ク 極 東 担 当 国 務 次 官 補 ) で あ っ た 。NSC48/5「 ア ジ ア に お け る 合 衆 国 の 目 標 と 行 動 方 針 」 (1951
年 5 月)は中国が「朝鮮外」で侵略を起こすようなことになれば、アメリカは 中
国 沿 岸 の 封 鎖 、 中 国 の 軍 事 標 的 に 対 す る 選 択 的 軍 事 行 動 、 国 民 党 軍 の 軍 事 行 動 へ の 援 助 を 供 与 す る と 言 明 し 、NSC124/2「 東 南 ア ジ ア に 対 す る 合 衆 国 の 目 標 と 行 動方針」(1952年 6月)は中国軍がインドシナに軍事介入し、仏軍によるトン キ ン 地 方 の 確 保 が 難 し く な る よ う で あ れ ば 、 ア メ リ カ は 中 国 本 土 を 含 む 軍 事 目 標 に 対 し て 空 と 海 か ら 攻 撃 す る こ と を 示 唆 し た 。 ア ジ ア 大 陸 に お け る 中 国 の 膨 張 に 対 する軍事的封じ込めのさらなる強化をめざした文書であった。
こ の 間 、 ア メ リ カ は 日 本 と 講 和 条 約 、 安 全 保 障 条 約 を 締 結 し 、 さ ら に フ ィ リ ピ ン 、 オ ー ス ト ラ リ ア ・ ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド と の 間 で 相 互 安 全 保 障 条 約 を 結 ん だ 。 ア イ ゼ ン ハ ワ ー 政 権 ( 共 和 党 ) は 韓 国 、 台 湾 と も 安 全 保 障 条 約 を 結 び 、 東 南 ア ジ ア に反 共軍事機構 (SEATO)を 設置し た。基本的 には二国間 安保を基軸 とするサ ン フ ラ ン シ ス コ 体 制 と も 呼 称 す べ き 、 ア メ リ カ 主 導 の 東 ア ジ ア ・ 太 平 洋 秩 序 の 構 築 で あ る 。 こ の 体 制 の 支 柱 は ア メ リ カ の 軍 事 力 だ け で は な か っ た 。 ア メ リ カ は こ の 地 域 に ド ル を 散 布 し て 、 反 共 同 盟 諸 国 の 経 済 を 支 援 し 、 サ ン フ ラ ン シ ス コ 体 制 の 経 済 ・ 金 融 的 側 面 を 支 え た の で あ る 。 か つ て ワ シ ン ト ン 体 制 で は 中 国 は 従 属 的 な
立 場 に 置 か れ 、 ソ 連 は 排 除 さ れ た が 、 戦 後 の サ ン フ ラ ン シ ス コ 体 制 で 両 国 は 共 に 敵 対 的 な 勢 力 と し て 封 じ 込 め の 対 象 と な っ た 。 中 国 が 引 き 起 こ し た 二 度 の 台 湾 海 峡危機は、さらに中国脅威論を高揚させた。
1957 年 8 月、10 月にソ連がアメリカに先行して、それぞれ大陸間弾道弾、 人 工 衛 星 の 打 ち 上 げ に 成 功 し た 。 毛 沢 東 が 「 東 風 が 西 風 を 圧 し て い る 」 と 宣 言 し た のは、12 月のことである。国際政治学者のオーガンスキーがパワー・トランジ ッ シ ョ ン の 概 念 を 提 起 し た の は 、 ま さ に こ の 頃 で あ り 、 そ の 背 景 に は お そ ら く は 共 産 圏 の 軍 事 的 ・ 経 済 的 躍 進 が あ っ た 。1958 年 1 月 、 共 和 党 の ロ ッ ク フ ェ ラ ー ― 11 月にニューヨーク州知事に当選し、一躍 60 年の共和党大統領候補の有力者と し て 躍 り 出 る ― は キ ッ シ ン ジ ャ ー ・ ハ ー ヴ ァ ー ド 大 学 教 授 ら に よ る 報 告 書 を 発 表 し 、 現 在 の 潮 流 が 続 け ば 、 「 世 界 の 力 の 均 衡 が ソ 連 圏 に 有 利 に 移 行 す る 」 と 警 告 した。ケネディ上院議員(民主党)も 1958 年 8 月の演説で、「力の均衡が次 第 に わ れ わ れ に 不 利 に 移 行 し よ う 」 と 予 測 し た 。 ア イ ゼ ン ハ ワ ー 大 統 領 が 設 置 し た 超 党 派 の 有 識 者 委 員 会 ( ゲ イ サ ー 委 員 会 ) は NSC5724「 核 時 代 に お け る 抑 止 と 生き残り」(1957 年 11 月)で NSC 68 と 同様に、アメリカの大規模な軍備拡 充 を提案したのである。
ア メ リ カ が 共 産 圏 に 対 す る パ ワ ー ・ ト ラ ン ジ ッ シ ョ ン を 懸 念 し た 時 、 そ れ は 中 ソ 一 枚 岩 が 前 提 で あ っ た 。 だ が 1960 年 代 初 頭 ま で に 中 ソ の イ デ オ ロ ギ ー 論 争 が 顕在化しつつあった。1961年 8月の国家情報評価は中ソの「公然たる決裂はあ り そ う に な い 」 も の の 、 両 国 の 「 対 立 の 解 消 も あ り そ う に な い 」 と 予 測 し 、 中 央 情 報局は 63 年 1 月の覚書で両国のイデオロギー的対立は「根本的」であり、「 分 裂 」 が す で に 生 じ て い る と 結 論 づ け た 。 中 ソ 対 立 の 戦 略 的 な 意 味 合 い は 重 大 で あ っ た 。 ア メ リ カ は 、 ソ 連 圏 か ら 離 脱 し た 中 国 の 軍 事 的 脅 威 を 地 域 的 に 限 定 し て 把 握 す る こ と が 可 能 に な っ た か ら で あ る 。 ケ ネ デ ィ 大 統 領 は 中 国 の 核 計 画 を 懸 念 し 、 1963 年夏、モスクワでの核実験禁止交渉の際、中国の原爆開発を防ぐために、 ソ 連 側 に 共 同 の 軍 事 行 動 を 持 ち か け た 。 こ れ は ソ 連 側 は 拒 否 し た こ と で 実 現 し な か っ た が 、 ジ ョ ン ソ ン 政 権 ( 民 主 党 ) は 中 国 が 翌 年 10 月 に 核 実 験 に 成 功 す る や 、 同 盟 国 に 対 し て 核 の 傘 を 約 束 し 、 特 に 対 抗 措 置 を と る こ と は な か っ た 。 ア メ リ カ は ソ 連 圏 を 事 実 上 離 れ た 中 国 の 軍 事 的 能 力 を 冷 静 に 受 け 止 め る こ と が で き た の で ある 6。
( �)米 中冷 戦の終 焉
ア メ リ カ に と っ て 、 ヴ ェ ト ナ ム 戦 争 へ の 介 入 は 中 国 封 じ 込 め の 一 環 で あ っ た 。 し か し そ の 失 敗 は 外 交 の 転 換 を 促 す 契 機 と な っ た 。 ニ ク ソ ン 大 統 領 ( 共 和 党 ) と キ ッ シ ン ジ ャ ー 大 統 領 補 佐 官 は ア メ リ カ の 相 対 的 に 低 下 し た 軍 事 力 と 経 済 力 を 補 う た め に 、 外 交 に 活 路 を 見 出 し 、 ソ 連 と の デ タ ン ト 、 中 国 と の 関 係 の 根 本 的 打 開 を 通 じ 、 ア メ リ カ に 有 利 な 国 際 環 境 の 形 成 を 試 み た 。 と く に ア ジ ア で は 、 ニ ク ソ ン の電撃的な訪中発表(1971 年 7 月)と訪中の実現(1972 年 2 月)により、米 中 冷 戦 は 終 焉 し 、 新 し い 国 際 環 境 が 生 ま れ た 。 中 国 が 日 米 安 保 条 約 を 容 認 し 、 ア メ リ カ 中 心 の 戦 後 東 ア ジ ア ・ 太 平 洋 秩 序 ― 台 湾 問 題 を 棚 上 げ し た 上 で あ る が ― を 事
実上受け入れたことは重要であった。キッシンジャーは 1973 年 2 月、「われわ
れ は イ ギ リ ス を 除 き 、 中 国 は 国 際 認 識 で わ れ わ れ に 最 も 近 い の で は な い か 」 と 大 統領に語り、1974年 8月まで、中国を「暗黙の同盟国」とさえ称揚し、中国外 交 に高い評価を与えたのである。
権 力 政 治 的 発 想 に た つ ニ ク ソ ン と キ ッ シ ン ジ ャ ー は 、 中 国 の 政 治 体 制 を と く に 問 題 に し な か っ た 。 大 統 領 は 毛 沢 東 に 対 し て 、 「 重 要 な こ と は あ る 国 の 政 治 哲 学 で は な く 、 そ の 国 の 対 外 世 界 と わ が 国 に 対 す る 政 策 」 で あ る と 言 明 し た 。 キ ッ シ ン ジ ャ ー も 同 意 見 で あ っ た 。 「 自 由 と 専 制 の 長 年 の 対 立 に つ い て 、 わ れ わ れ は 中 立 で は な い 。 し か し 、 他 の 規 範 が 外 国 の 対 内 的 変 化 を も た ら す わ が 国 の 能 力 に 制 限 を 課 し て い る 。 わ が 国 の 限 界 の 認 識 は 、 平 和 の 必 要 の 認 識 で あ り 、 道 徳 的 な 無 関心ではない。」二人は中国との交渉で人権問題をもちだすことはなかった。
ニ ク ソ ン 政 権 に よ る 在 韓 米 地 上 軍 の 一 部 撤 退 、 ヴ ェ ト ナ ム 戦 争 の 終 結 と 米 軍 の 撤 退 、 ヴ ェ ト ナ ム を 含 む イ ン ド シ ナ 全 域 の 共 産 化 、SEATO の 消 滅 が 同 盟 国 の 間 で ア メ リ カ の ア ジ ア 離 れ の 懸 念 を 呼 ぶ な か 、 フ ォ ー ド 大 統 領 ( 共 和 党 ) は 1975 年 12 月 ホ ノ ル ル で 、 ヴ ェ ト ナ ム 後 の ア ジ ア ・ 太 平 洋 政 策 を 発 表 し た 。 フ ォ ー ド は こ の な か で 、 ア メ リ カ が 「 太 平 洋 国 家 」 で あ る こ と 、 こ の 地 域 に お け る 対 日 パ ー ト ナ ー シ ッ プ が 「 ア メ リ カ の 戦 略 の 柱 」 で あ る こ と 、 中 国 と は 国 交 正 常 化 を 射
程に関係を強めること、ASEAN(東南アジア諸国連合)との政治対話を積極的に
進 め る こ と 、 ア メ リ カ の ア ジ ア 諸 国 と の 貿 易 額 が ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 と の そ れ を 上 回 っ て い る こ と を 指 摘 し 、 ア メ リ カ が こ の 地 域 で 政 治 的 ・ 軍 事 的 な 関 与 を 堅 持 す る方針を確約した。
カ ー タ ー 大 統 領 ( 民 主 党 ) は 日 米 の 防 衛 協 力 、 日 中 平 和 条 約 締 結 の 後 押 し 、 米 中関係正常化(1979 年1月)を進め、ソ連のアフガニスタン侵攻後は米中防衛 協 力 を 始 め る な ど 、 新 冷 戦 下 で ソ 連 に 対 す る 日 米 中 の 事 実 上 の “ 協 商 ” を 成 立 さ せ た 。 カ ー タ ー は も と も と 人 権 外 交 を 掲 げ て 登 場 し 、 同 盟 国 の み な ら ず ソ 連 ・ 東 欧 諸 国 に 対 し て も 人 権 改 善 を 求 め た が 、 中 国 に 対 す る 人 権 批 判 は 対 ソ 戦 略 を 優 先 し 抑制的であった。1979年 1月末 、中国の最高実力者である鄧小平が訪米した時 、 カ ー タ ー が 中 国 人 の 自 由 な 海 外 移 住 を 求 め た が 、 「 結 構 。 ど れ く ら い 欲 し い で す か ? 一 千 万 で す か ? 」 と 切 り 返 さ れ る と 、 答 え に 窮 し て し ま っ た 。 カ ー タ ー は 結 局 、 国 民 の 自 由 な 出 国 と 最 恵 国 待 遇 の 供 与 を 結 び つ け る ジ ャ ク ソ ン 修 正 条 項 の 存 在 に か か わ ら ず 、 中 国 と の 間 で 最 恵 国 待 遇 を 盛 り 込 ん だ 通 商 条 約 を 結 び 、 議 会 も そ れ を 承 認 し た の で あ る 。 た だ し 議 会 は 1979 年 春 、 カ ー タ ー 政 権 の 反 対 を 押 し 切 り 、 超 党 派 で 台 湾 関 係 法 を 制 定 し 、 台 湾 の 安 全 に 対 す る ア メ リ カ の 重 大 な 関 心 を表明した。
米 中 関 係 は レ ー ガ ン 政 権 ( 共 和 党 ) の 登 場 で 一 時 、 緊 張 し た 。 大 統 領 選 挙 中 、 台 湾 の 外 交 承 認 を 示 唆 し た レ ー ガ ン は 共 和 党 内 切 っ て の 親 台 湾 派 と し て 知 ら れ 、 政 権 発 足 後 は 台 湾 に 対 す る 武 器 売 却 を 大 幅 に 増 や し た か ら で あ る 。 し か し 1982
年 8 月までに米中間で妥協が成立し、外交コミュニケで、アメリカの台湾に対 す
る 武 器 輸 出 は 「 質 的 に も 量 的 に も 」 過 去 の 水 準 を 超 え な い こ と 、 「 漸 次 」 台 湾 へ の 武 器 の 売 却 を 削 減 し 、 「 や が て 最 終 的 な 解 決 」 を め ざ す こ と を 宣 言 し た 。 レ ー ガン大統領は 1984 年 4 月の初訪中で、信仰、自由、人権の重要性を語ったが 、 こ の 問 題 を め ぐ り 中 国 要 人 と の 会 談 で 強 く 出 る こ と は な か っ た 。 レ ー ガ ン 政 権 も 対 ソ 戦 略 の 文 脈 で 対 中 政 策 を 形 成 し 、 む し ろ 米 中 の 防 衛 協 力 を 強 化 し た の で あ る 。
1979年 以降の 10年間はおそらく、米中関係の黄金時代であった7。
� �冷戦 終� 後の中 国政 策
( �)G・H・W・ブッ シュ政 権の 重要さ
冷戦が終結に向かう過程で、天安門事件が起きた。アメリカでは、中国が改革・
開放路線を 実 践 す る こ と で 、 そ れ が や が て 政 治 的 な 自 由 化 ・ 民 主 化 に つ な が る の で は な い か と い う 楽 観 的 期 待 が あ っ た が 、 そ れ は あ っ さ り と 消 散 し た 。 中 国 政 府 の 激 し い 人 権 弾 圧 に 衝 撃 を 受 け た 議 会 、 世 論 は 厳 し い 制 裁 を 要 求 し た が 、 ブ ッ シ
ュ 政 権 ( 共 和 党 ) は 中 国 政 府 と の 接 触 を 絶 つ こ と な く 、 慎 重 な 対 応 に 終 始 し た 。
1970 年代半ばに中国連絡事務所長を務めたブッシュ大統領は中国通を自任し、 す
ぐ に 腹 心 の ス コ ウ ク ロ フ ト 補 佐 官 を 極 秘 に 北 京 に 派 遣 し 、 年 末 に は 再 び ス コ ウ ク ロ フ ト と イ ー グ ル バ ー ガ ー 国 務 副 長 官 を 送 っ た 。 ブ ッ シ ュ は 国 民 に 対 し て 、1972 年 以 来 の 米 中 交 流 が 中 国 国 民 の 「 自 由 へ の 欲 求 」 を 生 み 出 し た と 述 べ 、 「 関 与 」
の継続を求めた。ベーカー国務長官も、事件直後のアジア協会演説で、「過去 20
年 間 に 非 常 に 注 意 深 く 構 築 さ れ て き た 建 設 的 な 米 中 関 係 の 性 急 な 解 体 」 に 反 対 し 、 そ れ は 中 国 で 「 民 主 主 義 を 求 め る 欲 求 」 を 助 け る こ と に は な ら な い と 言 明 し た 。 ブ ッ シ ュ 政 権 は 議 会 の 反 対 に も か か わ ら ず 、 最 恵 国 待 遇 の 対 中 供 与 を 更 新 し 、 そ れ が 「 ア メ リ カ の 長 期 的 な 国 益 」 に 叶 う と 正 当 化 し た の で あ る 。 冷 戦 が 終 結 し 、 ア メ リ カ を と り ま く 戦 略 的 環 境 が 根 本 的 に 変 化 し た に も か か わ ら ず 、 中 国 に 対 す る関与政策の継続を決断したことは重要であった。
ブッシュ政権は報告書「アジア・太平洋地域の戦略的枠組み」(1990年 4月 ) で 、 ア メ リ カ が 「 東 ア ジ ア に 広 範 な 利 益 を も つ 太 平 洋 国 家 で あ り 続 け る 」 こ と 、 第 二 次 世 界 大 戦 後 こ の 地 域 に 政 治 的 、 経 済 的 、 軍 事 的 に 投 資 し 、 民 主 主 義 と 市 場 経 済 の 発 展 を 助 け て き た こ と 、 ア ジ ア ・ 太 平 洋 地 域 が ヨ ー ロ ッ パ を 抜 き 、 ア メ リ カ の 最 大 の 貿 易 パ ー ト ナ ー で あ る こ と を 指 摘 し 、 ア メ リ カ の こ の 地 域 に お け る
「 成 功 」 が 「 新 た な 政 治 的 ・ 軍 事 的 状 況 の 展 開 に 重 要 な 貢 献 を し て き た 」 と 称 賛 し た 。 そ し て 、 ソ 連 の 脅 威 の 減 退 、 ア ジ ア 各 国 の ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 台 頭 な ど で ア ジ ア の 国 際 環 境 は 変 容 し つ つ あ る が 、 ア メ リ カ は 「 地 域 的 な バ ラ ン サ ー 、 誠 実 な 仲 介 国 、 究 極 的 に は 安 全 の 保 障 国 」 と し て の 役 割 を 担 い 続 け る た め に 、 「 前 方 展
開」戦略を維持し、数は減らしながらも、12 万人程度の兵力を駐留すると言明 し
た 。 こ の 報 告 書 は 中 国 に つ い て 、 「 平 和 な 国 際 環 境 」 と 日 韓 な ど 市 場 経 済 体 制 を と る 国 々 と の 貿 易 を 求 め て お り 、 「 そ の 姿 勢 は 現 在 の と こ ろ 重 要 な 軍 事 的 脅 威 を 提示していない」と明言したのである8。
( �)ク リン トン政 権の �期性
ク リ ン ト ン ( 民 主 党 ) は 大 統 領 選 挙 で ブ ッ シ ュ が 対 外 問 題 を 優 先 し 、 国 内 問 題 を な い が し ろ に し た と 批 判 し た 。 ク リ ン ト ン 新 政 権 は 対 外 経 済 ・ 通 商 政 策 を 重 視 す る 姿 勢 を 明 ら か に し 、 経 済 成 長 の 著 し い ア ジ ア 市 場 に 着 眼 し た 。 ク リ ン ト ン の
非公式な APEC 首脳会議開催の提案には、アジア・太平洋諸国との経済関係の 強 化の狙いがあった。彼は 1993 年 秋にバンクーバーで開催された第 1 回会議に出 席 し 、 ア ジ ア ・ 太 平 洋 の 経 済 的 統 合 と 通 商 の 拡 大 に 積 極 的 な 姿 勢 を 印 象 づ け た 。 アメリカの対アジアの貿易赤字額は 1000億 ドルに達するところであった。
ク リ ン ト ン は 大 統 領 選 挙 で ブ ッ シ ュ 政 権 が 中 国 を 「 甘 や か し た 」 と 述 べ 、 人 権 問 題 で 厳 し い 態 度 を と る こ と を 約 束 し て い た 。 ク リ ン ト ン 政 権 は 新 た な 外 交 戦 略 と し て 、 市 場 経 済 と 民 主 主 義 の 「 拡 大 」 と 国 際 問 題 に 対 す る 「 関 与 」 を 掲 げ た の である。クリントン大統領は 1993 年 6 月、人権の改善を付帯条件に、中国に 対 す る 最 恵 国 待 遇 の 一 年 間 延 長 を 認 め る 決 定 を 下 し た 。 こ れ は か ね て 議 会 民 主 党 が 要 求 し て き た こ と で あ っ た 。 ク リ ン ト ン は 、 翌 年 に 最 恵 国 待 遇 が 更 新 さ れ る か 否 か は 、 中 国 が 「 こ の 一 年 に 人 権 状 況 を 著 し く 改 善 」 す る か ど う か に よ る と 断 言 し た の で あ る 。 さ ら に 中 国 の 核 実 験 、 パ キ ス タ ン に 対 す る ミ サ イ ル 部 品 の 輸 出 、 イ ランに対するミサイル輸出をめぐり、米中関係は紛糾した。1994 年3月北京を 訪 れ た ク リ ス ト フ ァ ー 国 務 長 官 は 、 中 国 側 と 人 権 問 題 を め ぐ り 激 論 を 展 開 し た が 、 中国の硬い態度に変化はなかった。
大統領は 1994 年 6 月、中国に対する最恵国待遇と人権改善のリンケージを切 り 離 す こ と を 決 定 し た 。 決 定 の 背 後 に は 中 国 市 場 の 経 済 的 魅 力 、 米 実 業 界 の 熱 心 な 働 き か け が あ っ た が 、 ク リ ン ト ン は 同 時 に 、 中 国 に 自 由 を も た ら す 「 最 善 の 道 は 中 国 と の 関 与 を 増 や し 、 広 め る こ と で あ る 」 と 述 べ 、 ブ ッ シ ュ 政 権 と 同 様 の 関 与路線を正当化した。1995年 2月の「関与と拡大の国家安全保障戦略」文書は 、 こ の 決 定 が 「 ア メ リ カ の 経 済 ・ 戦 略 的 利 益 」 を 包 含 す る こ と 、 中 国 が 増 大 す る 経 済 ・ 軍 事 力 を 背 景 に 「 こ の 地 域 に 安 全 保 障 上 の 脅 威 に な ら な い こ と が 肝 要 で あ る 」 こ と 、 そ の た め に 中 国 の ARF な ど 地 域 的 な 安 全 保 障 の 枠 組 み へ の 参 加 を 奨 励 す る こ と 、 ア メ リ カ は 中 国 と の 間 で 安 全 保 障 の 対 話 を 進 め て い る こ と 、 大 量 破 壊 兵 器拡散防止の協力を求めていることを言明したのである。
新 政 権 の 政 策 を 最 も 良 く 体 現 し た 人 物 が ブ ラ ウ ン 商 務 長 官 で あ っ た 。 か つ て ブ ラ ウ ン は 民 主 党 全 国 委 員 長 と し て 、 ブ ッ シ ュ 政 権 の 中 国 政 策 を 人 権 を 犠 牲 に す る も の と し て 非 難 し た が 、 商 務 長 官 に 就 く や 、 そ の 姿 勢 を 一 変 さ せ た 。 ブ ラ ウ ン は 1994 年の訪中の商談では 60 億ドルの契約をまとめ、1995 年 10 月の訪問では 、 200 億 ド ル の 新 規 プ ロ ジ ェ ク ト を 提 示 し た 際 、 「 米 中 関 係 ほ ど わ が 国 に と っ て 重
要 な 関 係 は な い 。 … … 米 中 間 の 建 設 的 な 関 係 の 継 続 は ク リ ン ト ン 政 権 の ま さ に 最 重 要 課 題 で あ る 」 と 述 べ 、 対 中 経 済 関 係 に 寄 せ る 関 心 を 雄 弁 に 語 っ た の で あ る 9。 クリントン政権の下で、対中関係は着実に修復した。1997 年 10 月末に江沢 民 主 席 が 中 国 の 最 高 首 脳 と し て は 天 安 門 事 件 以 来 初 め て 公 式 に 訪 米 し た 。 彼 は ま ず 本 土 に 赴 く 前 に ホ ノ ル ル に 立 ち 寄 り 、 ア リ ゾ ナ 記 念 館 に 花 輪 を 捧 げ た 。 彼 は か つ て の 米 中 間 の 同 盟 を 想 起 さ せ 、9 月 に 成 立 し た ば か り の 日 米 の 新 ガ イ ド ラ イ ン を 牽 制 し た の で あ る 。 ク リ ン ト ン は 首 脳 会 談 後 の 共 同 声 明 で 米 中 両 国 の 「 建 設 的 で 戦 略 的 な パ ー ト ナ ー シ ッ プ 」 を 謳 い 、 会 談 を 通 じ て 三 つ の ノ ー ( 台 湾 の 独 立 、
「 二 つ の 中 国 」 、 台 湾 の 国 連 加 盟 を 認 め な い こ と ) を 約 束 し た 。 彼 は 1998 年 6 月に米大統領としては 9 年ぶりに、つまり天安門事件後初めて、訪中した。ク リ ン ト ン は そ の 前 後 に 同 盟 国 で あ る 日 本 や 韓 国 に 立 ち 寄 る こ と は な か っ た 。 し か も ク リ ン ト ン は 首 脳 会 談 後 の 記 者 会 見 で 、 ア ジ ア 金 融 危 機 に あ っ て 中 国 の 金 融 政 策 を 賞 賛 す る 一 方 で 、 日 本 の 金 融 改 革 を 促 す と い う 外 交 上 異 例 の 行 為 に で た 。 前 年 の 江 沢 民 の 訪 米 中 に 中 国 側 は 約 40 億 ド ル の 米 商 品 購 入 の 契 約 を か わ し て い た が 、 今 回 の 大 統 領 訪 中 に も 多 数 の ア メ リ カ 実 業 人 が 同 行 し 、 約 30 億 ド ル の 商 談 を ま と め た 。 ク リ ン ト ン 大 統 領 は 中 国 の WTO( 世 界 貿 易 機 関 ) 加 盟 を 推 進 し 、2000 年 9 月までに、対中最恵国待遇の恒久的付与を盛り込んだ貿易法案を議会で成 立 させた。この年、アメリカの最大の貿易赤字国として中国が日本を抜いた。
ク リ ン ト ン 政 権 は 国 防 省 作 成 の 「 東 ア ジ ア ・ 太 平 洋 地 域 に 対 す る 合 衆 国 の 安 全 保障戦略」(1995年 2月)で、中国が軍装備の拡充と近代化を進めていること 、 軍事予算を過去 5 年間で倍増させたこと、政権としては最後の安全保障戦略報 告 書である「グローバルな時代の国家安全保障戦略」(2000 年 12 月)でも中国 の 軍 拡 と 軍 事 的 不 透 明 性 を あ げ 、 中 国 の 軍 事 力 に 警 戒 感 を 示 し た 。 米 中 関 係 は ま た 、 1996 年春の台湾海峡危機、1999 年春の NATO 軍によるベオグラード中国大使 館 誤 爆 事 件 を め ぐ り 一 時 緊 迫 し た 。 た だ し こ れ ら が 米 中 関 係 に 重 大 な 影 響 を 与 え る こ と は な か っ た 。 ク リ ン ト ン は ま た 、 頻 繁 に ウ ィ ル ソ ン 的 な 外 交 原 則 を 語 り 、
「 民 主 主 義 は 平 和 を も た ら す 」 と い う 考 え の 信 奉 者 で あ る こ と を 強 調 し た 。 し か し そ れ は 少 な く と も 中 国 政 策 の 実 態 に 即 し た も の で は な か っ た 。 ク リ ン ト ン 政 権 は人権よりも経済的利益を優先する形で対中関与政策を推進したのである。
クリントン政権の中国政策に反発したのが、1994 年に上下両院で多数を制し た
共 和 党 で あ っ た 。 議 会 共 和 党 は と く に 中 国 の 軍 備 増 強 、 人 権 状 況 を 問 題 視 し た 。 コ ッ ク ス 共 和 党 下 院 政 策 委 員 長 を 中 心 に 、 議 会 は 国 防 省 に 対 し て 台 湾 海 峡 で の 中 台 の 軍 事 的 均 衡 の 維 持 の 要 求 、 米 中 軍 事 交 流 で ア メ リ カ が 中 国 に 公 開 す る 兵 器 ・ 演 習 の 制 限 、 チ ベ ッ ト 大 使 の 任 命 の 要 求 、 国 務 省 に 対 す る 宗 教 的 抑 圧 に 関 す る 報 告 書 の 要 求 に 関 す る 法 案 を 可 決 し た 。 コ ッ ク ス を 長 と す る 中 国 政 策 に 関 す る 下 院 超 党 派 委 員 会 は 1998 年 、 報 告 書 を 発 表 し 、 中 国 が ア メ リ カ の 軍 事 技 術 を 「 盗 ん でいる」と非難し、対中軍事脅威論を展開した。さらに下院は 2000 年 2 月に 台 湾 安 全 保 障 強 化 法 を 可 決 し て 、 台 湾 の 安 全 に 対 す る ア メ リ カ の 関 心 を 確 認 し た の である。
共和党の大統領候補をめざす G・W・ブッシュ・テキサス州知事は 1999 年 11 月 、 本 格 的 な 外 交 構 想 を 明 ら か に し た 演 説 で 、 中 国 と の 経 済 ・ 通 商 関 係 は 強 化 す る も の の 、 中 国 の 軍 拡 、 人 権 抑 圧 を 批 判 し 、 中 国 は 「 戦 略 的 パ ー ト ナ ー 」 で は な く 「 競 合 国 」 で あ る と 言 明 し た 。 同 じ こ ろ 、 彼 の 外 交 顧 問 を 務 め る ラ イ ス は 雑 誌 論 文 で 、 中 国 は ア ジ ア ・ 太 平 洋 地 域 の 平 和 と 安 定 に 対 す る 「 潜 在 的 脅 威 」 で あ る と 述 べ 、 ク リ ン ト ン 政 権 が 中 国 に 「 傾 斜 」 し て い る と 決 め つ け た の で あ る 。 レ ー ガン政権のアーミテージ元国務次官補らが 2000 年 10 月、対日政策に関する報 告 書 「 ア メ リ カ と 日 本 ― 成 熟 し た パ ー ト ナ ー シ ッ プ に 向 け て 」 を 発 表 し た 背 景 に は 、 やはり中国の台頭に対する懸念があった10。
さ ら に 2001 年 11 月 に は 、 大 手 の 投 資 銀 行 で あ る ゴ ー ル ド マ ン ・ サ ッ ク ス が
BRICS なる造語を用いて、ブラジル、ロシア、インド、中国の経済的台頭を指 摘
し 、 と く に 中 国 に つ い て は す で に 購 買 力 平 価 に 換 算 す る と 、 ア メ リ カ に 次 い で 世 界第二位であること、イタリアの GDP を抜いたこと、今後も過去数年並みの 7.5
%の経済成長率を維持すれば、2011 年までにドイツの GDP を 抜くことを予測し た。ゴールドマン・サックスは 2年後の報告書では、2045年までに中国がアメ リ カの経済力を抜くと分析したのである11。
� �りに
20 世紀のアメリカはファシズム諸国の脅威を打破し、次いで冷戦期のソ連型 社 会 主 義 体 制 の 挑 戦 を 退 け た 。 ア メ リ カ が 恐 れ た 共 産 圏 に 対 す る パ ワ ー ・ ト ラ ン ジ ッ シ ョ ン は 生 起 し な か っ た 。 ア メ リ カ は 冷 戦 終 結 後 は 同 盟 国 の 日 本 や ド イ ツ の 経
済 力 の 伸 張 に 対 処 し 、 リ ベ ラ ル な 国 際 秩 序 の 発 展 を 牽 引 し た の で あ る 。 し か し 中 国 の 台 頭 の 戦 略 的 意 味 合 い は 過 去 に 例 を 見 な い 異 質 な も の で あ っ た 。 ア メ リ カ は 中 国 と の 間 で 経 済 ・ 金 融 的 な 相 互 依 存 を 深 め 、 北 朝 鮮 政 策 な ど で 協 力 を 求 め る 一 方 で 、 政 治 的 ・ イ デ オ ロ ギ ー 的 に 異 な る 中 国 に 対 し て 本 質 的 な 不 信 感 を 有 し 、 そ の 軍 備 拡 張 と 海 洋 進 出 、 人 権 抑 圧 を 警 戒 し て い る 。G・W・ ブ ッ シ ュ 大 統 領 が 形 容したように、確かに両国の関係は「非常に複雑」である。
明 ら か に 、 中 国 に 対 す る 政 策 は ア メ リ カ が 十 全 な 資 源 ・ 関 心 を 費 や し 、 検 討 す べ き 喫 緊 の 課 題 で あ っ た 。 中 国 を い か に ア メ リ カ 主 導 の ア ジ ア ・ 太 平 洋 秩 序 に 取 り込むのか、21世紀を迎えたばかりのアメリカ外交の最重要テーマであった 12。
― � ―
1 パ ワ ー ・ ト ラ ン ジ ッ シ ョ ン の 概 念 の 定 義 は 、A.F.K.Organski, World Politics (New York: 1958), pp. 300-6.さ ら に 、PHP「 日 本 の 大 戦 略グランド・ストラテジー
」 研 究 会 編 ( 山 本 吉 宣 ・ 納 家 政 嗣 ・ 井 上 寿 一 ・ 神 谷 万 丈 ・ 金 子 将 史 ) 『 日 本 の 大 戦 略 ― 歴 史 的 パ ワ ーシフ トを どう乗 り切 るか』 (PHP研 究 所、2012年)153-54頁を参 照。
2 入 江昭『 米中 関係の イメ ージ』 (増 補、平 凡社 ライブ ラリ ー、2002年 )24-88頁、
高 原 秀 介 『 ウ ィ ル ソ ン 外 交 と 日 本 ― 理 想 と 現 実 の 間 1913-1921』 ( 創 文 社 、 2006年 )第1 章、Erez Manela, The Wilsonian Moment: Self-Determination and the International Origins of Anticolonial Nationalism (New York: 2007).
3 有 賀 貞 「 協 調 に よ る 抑 制 ― ア メ リ カ 」 日 本 政 治 学 会 編 『 国 際 緊 張 緩 和 の 政 治 過 程 』
( 岩 波 書 店、1969 年 )1-52 頁 、「 ウ ィ ル ソン 政 権 と アメ リ カ の 参戦 」 荒 松 雄ほ か 編 『 現 代 Ⅰ 第 一 次 世 界 大 戦 』(岩 波 講 座 世 界 歴 史 24、 岩 波 書 店 、1970 年 ) 280頁 。
4 Warren I. Cohen, America's Response to China: A History of Sino-American Relations, 5th Edition (New York: 2010), Chapter 6; Robert Dallek, Franklin D. Roosevelt and American Foreign Policy, 1932-1945 (New York: 1979), Chapters 7-11.
5 入 江『米 中関 係のイ メー ジ』137-67頁 。Michael S. Sherry, Preparing for the Next War: American Plans for Postwar Defense, 1941-1945 (New Haven:
1977), pp. 44-45; Roger Buckley, The United States in the Asia-Pacific since 1945 (New York: 2002), p. 7.
6 Policy Planning Staff paper, "The Current Position in the Cold War," April 14, 1950, Foreign Relations of the United States (以下FRUSと して引用 ): 1950, III (Washington D.C.: 1977), 859; 佐 々 木卓也『 封じ込 めの 形成と 変容 ―ケナ ン、
ア チ ソ ン 、 ニ ッ ツ ェ と ト ル ー マ ン 政 権 の 冷 戦 戦 略 』 ( 三 嶺 書 房 、1993 年 )174- 76、271、308-09 頁、『 アイゼ ンハ ワー政 権の 封じ込 め政 策―ソ 連の 脅威、 ミサ イ ル ・ ギ ャ ッ プ 論 争 と 東 西 交 流 』 ( 有 斐 閣 、2008 年 ) 第 4 章 。National Intelligence Estimate, "Authority and Control in the Communist Movement,"
August 8, 1962, FRUS: 1961-1963, XXII, 116; Ray Cline memorandum, January 14, 1963, ibid., 340; 黒 崎 輝 『核兵 器と 日米関 係― アメリ カの 核不拡散 外 交と日 本の 選択 1960-1976』(有志 舎、2006年 )第1章 。
7 佐 々 木 卓 也『 冷 戦 ― アメ リ カ の 民主 主 義 的 生活 様 式 を 守る 戦 い 』 (有 斐 閣 、2011
年 )125-26、165頁。Patrick Tyler, A Great Wall: Six Presidents and China:
An Investigating History (New York: 1999), p. 276.
8 高 木 誠 一 郎 「 米 国 の ア ジ ア ・ 太 平 洋 政 策 と 中 国 」 高 木 誠 一 郎 編 『 脱 冷 戦 期 の 中 国 外 交 と ア ジ ア ・ 太 平 洋 』(日 本 国 際 問 題 研 究 所 、2000 年 )136-46 頁 。Tyler, A Great Wall, pp. 359-72; James Baker address, "A New Pacific Partnership,"
June 26, 1989, Department of State Bulletin (August 1989), 64-66; "A Strategic Framework for the Asian Pacific Rim: Looking toward the 21st Century: The President's Report on the U.S. Military Presence in East Asia"
(Washington, D.C.: 1990).
9 高 木 「 米 国 の ア ジ ア ・ 太 平 洋 政 策 と 中 国 」147-60 頁 。 佐 々 木 卓 也 「 ク リ ン ト ン 政 権と日 米関 係」『 立教 大学ア メリ カ研究 』第 18号 (1996年3 月)53-54頁。
10 The White House, "A National Security Strategy of Engagement and Enlargement," (Washington, D.C.: 1995); "A National Security Strategy for a Global Age," (Washington, D.C.: 2000); 橋 本 毅 彦「中 国の 核兵器 開発 とアメ リ カ ― コ ッ ク ス 報 告 と そ の 批 判 を め ぐ っ て 」 山 本 吉 宣 編 『 ア ジ ア 太 平 洋 の 安 全 保 障 と アメリ カ』 (変貌 する アメリ カ太 平洋世 界Ⅲ 、彩流 社、2005 年)127-46 頁。
久 保 文 明 「 共 和 党 多 数 議 会 の 『 外 交 政 策 』 ―1995-2000 年 」 五 十 嵐 武 士 編 『 太 平 洋 世 界 の 国 際 関 係 』 ( 変 貌 す る ア メ リ カ 太 平 洋 世 界 Ⅱ 、 彩 流 社 、2005 年 ) 112-22 頁 。 湯 浅 成 大「 米 中 関 係の 変 容 と 台湾 問 題 の 新展 開 ― ニ クソ ン 以 後の 30 年 」 五 十 嵐 編 、 前 掲 書 、214-31 頁 。 佐 々 木 卓 也 「 理 念 外 交 の 軍 事 化 と そ の 帰 結 」 佐々木卓也編『戦後アメリカ外交史』(新版、有斐閣アルマ、2009 年)254-55 頁。
11 Jim O'Neill, "Building Better Global Economic BRICs," Goldman Sachs Global Economics Paper, No.66, November 30, 2001; Dominic Wilson and Roopa Purushothanman, "Dreaming with BRICs: The Path to 2050," ibid., No.
99, October 1, 2003.
12 オ ー ガ ン スキ ー は 1958 年 の 著 作で 、 「 問 題は 、 中 国 が世 界 で 最 も強 力 な 国 家に な る の か 否 か で は な く 、 む し ろ そ の よ う な 地 位 を 得 る ま で に ど れ く ら い の 時 間 が か か る か で あ る 」 と 述 べ て い る 。 た だ し 彼 の 議 論 は 、 や む を 得 な い と は い え 、 中 国 の 社 会 主 義 経 済 体 制 堅 持 を 前 提 と す る も の で あ っ た 。Organski, World Politics, p. 446.