奈良教育大学学術リポジトリNEAR
セオドア・ルーズヴェルトと十九世紀末アメリカの 国民統合
著者 島田 真杉
雑誌名 高円史学
巻 4
ページ 1‑18
発行年 1988‑10‑01
その他のタイトル Theodore Roosevelt and the Problem of National Unity at the End of the 19th Century
URL http://hdl.handle.net/10105/8649
セ オ ド ア
・ ロ ー ズ ヴ ェ ル ト と
一九世紀末アメリカの国民統合
一問題と視角
島 田 真 杉
一九七〇年代前半から盛んになったアメリカの新しい労働史は︑旧来の研究が労働組合の歴史を中心的な研究対象とし︑
また﹁上から﹂の視点を中心とするものであったのに対し︑生産の場︑そして地域社会における労働者自身あるいは労働す
るものとしての民衆に直接焦点を合わせ︑豊かな成果を生みだしてきた︒急激に工業化が進んだ一九世紀後半から二〇世紀
初頭にかけての時期を中心に︑労働者が帰属する人種・民族集団︑彼らの伝統文化︑家族関係︑性のあり方︑産業主義への
抵抗や適応の歴史など︑きわめて多岐にわたるかたちで労働者階級の生活を再現したのである︒
しかし︑こうした労働史︑社会史研究が進展するにつれ︑それへの疑問や批判も生まれてくる︒たとえばM・デイヴィス
の近著﹃アメリカの夢に掟われし者﹄は︑そうした豊かな独自の文化を獲得していた労働者が︑なぜ︑アメリカ資本主義の
性格にかくも小さなインパクトしか与えられなかったのか︑と問いかけり等デイヴィス自身によれば︑労働者内部に亀裂が
存在したことにより︑アメリカ支配層は弾圧と他方での政治的統合という二種の対応の組み合せで︑労働者を統御・馴致す
ることに成功したのだという︒デイヴイスの書物を評したある歴史家は︑l彼の﹁巨大な問題提起は︑そうした▼︹労働史︺研
究も体制全体の歴史的変化を説明するのに役立たない限り価値は乏しいのだということを㍉改めて思い出させてぐれる﹂と
大胆に指摘していサ敏が︑それはつまるところ︑・社会史︑I労働史の成果を総合する新しい政治史︑そしてアメリカ資本主義史
論が要請されていると受けとめるべ一さなのであろう︒まをに望筍ともいケべき指摘だが︑・デイヴィスの言うような統合的秩
序に大衆をつなぐもろもろの組織や主体を検討することへこしれに限れば︑鍵来から筆者も課題としているところである︒
∵ところで世紀転換期における労働者の体制への統合という問題については︑二部の資本家や政治家が革命の危機を回避す
るために諸改革を推進したごとの画期性を主張する︑﹁団体統合自由主義﹂論があツ笥こ﹂れは︑大資本の承認の下に︑全社全
階級を包摂する一種の責任ある社会秩序が形成されたと説くが︑.その視野の中心を占めるのは産業界における労使協調路線
である︒をの点八十数年前から盛んになった︑﹁社会統制﹂㌧という概念を用いた議論は︑癖しい工業化の時代において︑民
衆の間に道徳的凝集力を高めつつ社会的安定を得るために繰り広げられた多様な運動に着目すサ笥但しこれは︑前者とは逆
に︑あまり対象が拡散しすぎているように患える︒
筆者はこうした議論から多くを学んだつもりだが︑結局のところ︑前述のような二〇世紀の統合の問題を検討する場合︑
これらやデイヴィスのいう弾圧と政治的統合に加えて︑権威の問題︑あるいは︑保守的︑愛国主義的運動が絶えずもち出す︑
あの﹁アメリカニズム﹂という語がもつカに立ち入る必要を感じている︒
︐
.
. ヽ
.
.
さて︑まえおきがあまりに長く︑そ心で大仰に払ってしキったが︑政上のような関心をもってここで取り上げるのは︑世
紀転換期の改革政治家ゼオド密・・ロ主ズ坊エルトである︒∴
第二六代大統領としての彼の革新主義政治についてはすでに膨大な研究が蓄積されている︒彼の改革を高く評価するにし
ろ︑その保守的本質を批判するにしろ︑主要な研究はつぎの点で一致している︒つまり︑彼は︑急激な工業化の進展によっ
て混乱するアメリカ社会に統合︑安定︑統制という条件を付与することにより︑新しい国内秩序を実現しようとしたのであ
ると︒そしてそのために︑大前提としての行政府粗力の拡大を恐れることなく追求したのであるとdそうしたローズヴェル
ト像にい計異論をさしはさむつもりは毛頭ない︒ただ︑をうした意図をもつ彼の活動がきわめて広汎で︑アメリカ文明など
の評論活動︑軍事教練や英雄小説を通した青少年教育︑あるいは米西戦争の際の︑国民融和を念頭においた義勇騎兵隊の組
織づくりなど︑いわゆる改革政治以外の場で︑国民の.一体化や精神鍛練を明確に意識した熱烈な活動を展開したことに注目
したいのである︒︑彼のそ0ような活動については︑好戦的︑人種主義的︑国家主義的︑道徳主義的などのレッテルで一蹴さ
れがちであり︑また︑﹁プ.ロト・.ナァ.レスト﹂という評価すら見うけられる︒だが他方で︑彼は﹁全米で最も有名な人物﹂
として米西戦争から凱旋し︑大統領在任中は﹁テディ﹂と愛称されて絶大な人気を誇り\その後も﹁最も典型的なアメリカ
大﹂′と位置づけられ&大物でもあった︒だとするなら︑彼のすさ吏じいまでの活動に︑いわゆる革新主義政治研究とはまた
達っ.た角度から︑つまり統合イデオロギーのいわば権化としての彼に︑光があてられてもよいのではないか︒平たくいえば︑
一九世紀末の混乱の時期から︑アメリカが世界の政治と経済に決定的な重みをもってくる第一次大戦期にかけて︑ローズヴェ
ルトが大衆にいかなる生き方を説き︑︑また実践してみせたのかを検討したいのである︒もちろん︑︑それですぐ前述の課題に
迫ることなど不可能だということも︑こうしたイン・テレクチュア肘.・ヒストリーの限界も︑一応はわきまえてのことである︒
ローズヴユルトに関する筆者の関心と視角は以上の通りだが︑本稿では紙幅の都合もあり︑対象とする時期を一八九〇年
代に限定し︑彼の署作︑・.演説などを検討することにより︑世紀末の危機を彼がいかに認識したか︑そして彼が説いた統合と
は何かを明らかにしたい︒
二 ローズヴェルトのアメリカ論
mまず︑ローズヴェルトがもつアメリカ像︑そしてそれと関わる範囲内で彼の生い立ちと経歴を明らかにしておく︒
彼は一八五八年にニューヨーク市東二〇丁目の高級住宅街で生まれた︒ハ四九年に入植したオランダ系移民の家柄であ
る︒父は富裕な貿易商で︑若くしてすでに同市の有力者であり︑また日曜学校や移民のための夜間学校を援助する慈善家で
もあった︒そしてこの父は息子に対して愛情深く︑かつ︑その反面で倣憶であったという︒自伝によれば︑病弱でしかも臆
病であったローズヴェルトは︑この父から強くそして攻撃的になるよう常に説かれていた︒その結果︑十四才からボクシン
グを習うなど︑強迫観念めいた自己鍛練と力の追求が始まるのである︒こうした体験は彼のその後の行動様式に大きな影響
を与えることになろう︒また﹁青い血﹂︵名門の血︶をひく虚弱児という自己意識は︑荒々しい自然への畏怖と執着をも生
む︒このような家庭環境や彼の特殊な条件が彼に特徴的な強固な社会道徳を形成していったと考えられる︒
彼は一八七六年にバーヴァード大学へ進む︒大学での四年間︑注意深く選定したいわゆるプラーマン ︵ニューイングラン
ドの旧家出のインテリ︶たちと付き合い︑その世界との交流を深めた彼は︑卒業の翌年︑ニューヨーク州議会議員に共和党
員として当選する︒当時︑バーヴァード出身者としては異例のコースであり︑この選択については結局のところ︑J・M・
プラムが指摘するように︑彼の権力志向の現れとみてお/ゝ実際︑八〇年代半ばに彼はもう大統領職を意識し始めるのであ
る︒州議会を観察した彼は日記につぎのようなことを記している︒﹁議会の平均的民主党員は平均的共和党員よりはるかに低
級である︒両党員の職業別構成の差異は著しい︒酒類販売業者が六名︑レンガ積み工が二名︑肉屋︑タバコ商︑質屋︑植字
工︑製版工が各一名いるが︑すべて民主党員である︒しかし農民と法律家の多数は共和覚員である︒⁝⁝最悪の分子である9低級なアイルランド人二〇名を除外して考えても︑共和党員の平均の方が民主党員よりまだまだ高い水準にあり等﹂ここに
は都市の民衆と彼らの政治参加に対する蔑視があらわである︒この貴族的社会観にまず留意しておこう︒
その後︑州議会に三選を果たしたあとダコタで牧場を経営し︑ついで八六年のニューヨーク市長選挙に放れた彼はしばら
く歴史研究に没頭する︒大作﹃西部の獲得﹄lを書くためである︒八九年に連邦政府の公務員制度調査委員会委員になった彼
は︑猟官制全盛の行政機構のなかに実力主義︑すなわち採用試験制を導入するなど︑彼のいう社会道徳と﹁社会的効率﹂
︵後述︶の実現をはかった︒そして九五年から九七年まではニューヨーク市警察長官をつとめた︒同市の社会問題に対処し
nWた彼は強制的アプローチをとる都市改革家として全米に名を轟かせたといもこの時期は彼の政治論の多くが書かれた時期
でも
ある
︒
九七年に海軍次官補に任命された彼は翌年の米西戦争に際して職を辞し︑義勇騎兵隊﹁ラフ・ライダーズ﹂を率いて参戦︒
その繹猛なまでの戦闘指揮により﹁全米一の有名人﹂になった彼は︑同年秋︑ニューヨーク州知事に当選する︒だが︑彼の
人気と独自の社会道徳観に手を焼いた州共和党は︑一九〇〇年の大統領選挙に際して彼を﹁閑職﹂としての副大統領候補に
送り出す︒しかし翌年︑マッキンリー大統領が暗殺されたため︑彼は四三才の若さで第二六代大統領に昇格した︒以上が︑
本稿で対象とする時期のローズヴェルトの略歴である︒
当時の合衆国にあって︑右のような彼の政治家への歩みはまったく異例のことといってよい︒それだけに彼は独自のアメ
リカ像をもって政界で活動する︒以下︑九七年に出版された彼の﹃アメリカの理想﹄を主に参照しっつ︑九〇年代における
彼のアメリカ文明論を考察してみよう︒
ト ル ー
︐ 7 メ リ カ l l ズ ム
九〇年代に書かれた雑誌への寄稿文を集めたこの評論集には︑﹁アメリカの理想﹂﹁真にアメリカ的であること﹂﹁﹃社会
進化﹄について﹂などのアメリカ論が並ぶ︒これらは︑そのなかに勇ましい言葉︑激しい非難の表現が眼につくものの︑全
体に抽象的で︑くどいほどの反復があり︑アメリカ社会や文明の特質と構造を歴史的に論理的に考察したものとはいいがた
い︒それはそれとして︑そこから浮かび上がる彼のアメリカ文明像の特徴は︑端的にいえば︑明快なアングロ・サクソンの
優越信仰とそれに結びついた独特の﹁発展﹂観に︑さらにいえば︑それらに絡む強い道徳臭にあると要約できるだろう︒そ
してそれらの原点は一八八〇年代の後半に構想され執筆が開始された﹃西部の獲得﹄のなかに見出すことができる︒同書の
他初めの部分で彼はつぎのように書いていた︒すなわち︑﹁過去三世紀の間︑世界の無用の空間であったところへの英語国民
の拡大は︑世界史のもっとも衝撃的な特色であるばかりではなく︑その重要性においてももっとも影響の大きいものである﹂
と︒そしてアメリカの歴史︑すなわち西部獲得の歴史は︑このアングロ・サクソンの力強い動きの頂点をなす最大の事業と
される︒同書は︑やがて﹁フロンティア学説﹂を提起することになる歴史家F・J・ターナーから高い評価を得た︒
しかし︑だからといってローズヴェルトは伝統的な農村アメリカの体制や価値体系をあくまで護ろうとするわけではない4
アングロ・サクソンの生物学的︑文化的至上性を信ずる彼は︑それが生み出す文明を発展や社会進化としセ受容する︒急激
な工業化の成果︑すなわち︑たとえば九三年のシカゴ万国博覧会が世界に向けて誇示したような巨大な機械文明︑それを担
う巨大な組織体としての大企業は︑彼にとってまさしく当然のものなのである︒
アメリカ文明は世界史の最先端にあるというわけだが︑では︑すぐれた民族を維持し︑その社会進化の進展を保証するも
のは何か︒彼が評論﹁﹃社会進化﹄について﹂のなかで主張するところによれば︑﹁高度の社会的効率を達成する資質﹂が
それである︒そしてそれには﹁秩序を大切にする心︑戦闘力︑繁殖力︑個人の利害を社会の利害に従属させる度量﹂などが
含まれる︒この﹁資質﹂は人種︑民族によって優劣の差があるのだが︑・それを持つ人種︑民族は︑すぐれた知性を持っては
佃いても利己的で臆病な人種や民族を凌駕できるとされる︒なお︑﹁進歩﹂を論じた部分でローズヴェルトがサムナー流の社
会進化論を脱却していることにも注目しておきたい︒彼は文明社会内部の激しい生存競争が人々を押し潰し︑決して進歩を
朋もたらさないと説く︒
永遠の進化の鍵がこのように民族単位の社会的効率達成力にあるとすれば︑民族の純粋性の維持は不可欠であり﹁国民融
和のために階級意識の噴出は資本家についても労働者についても断固抑えられねばならなくなるだろう︒そう考えてみると︑
ここで︑九〇年代の前半から彼のアメリカ文明に付随してたびたび用いられる概念﹁アメリカニズム﹂を考察しておかねば
ならない︒彼の強烈なナショナリズムを象徴しているように思えるからである︒9その語を表題に含む二つの論評からすれば︑それはつぎのようになる︒まず︑それは信念の問題であり︑同時に精神と目
的の問題でもあるということ︒そしてそれは三つの側面をもつ︒すなわち︑地域的利害から脱却し︑常に全米的であること︑
これが第一︒つぎにヨーロッパよりもアメリカが優越することを信ずるという意味で愛国的であること︒第三に︑どの国か
らであれアメリカへ来たものは︑あらゆる点でアメリカ人にならなければならないこと︒以上に要約できるが︑つまるとこ
7 メ リ カ 一
ろ︑至上のアング且・サクソン文明の下︑限りない将来の発展に向かって全国民が結束すること︑これが﹁アメリカ的であ
ズ ム
ること﹂に他ならない︒
九〇年代に︑そしてそれ以降も︑ローズヴェルトはいささか陳腐な語嚢をもって右のようなアメリカ論を飽くことなく説0き続けた︒E・モリスによれば︑彿常に多くの国民が拝まんばかりにしてその単調な言葉に耳を傾けたのであっち
三 危機とその認識
一八七〇年代から一九〇〇年にかけての合衆国の急激な経済発展と工業化についてはいまさらいうまでもなかろう︒鉄道
業と製鉄業を主たる牽引車とするこの動きは︑同時に農業生産の飛躍的拡大とも重なり︑合衆国をたちまち世界最大の工業
国に押し上げた︒その結果の象徴ともいうべき九三年のシカゴ万博は︑恐慌下にもかかわらず︑七ケ月間で二七五〇万人余
れりりを動員し︑﹁強い意志に導かれてユートピアへ向かう︑国民活動としての進歩という概念を国民に教育する場となった︒﹂
しかしこの間︑急激な経済発展は多様な社会的乳酸をも生みだす︒農村的︑ピューリタン的アメリカの価値体系の動揺︑
労資対立の急展開︑過密化する都市の詰問掻︑さらに発展のテコとして大量に導入された外国人労働者に関して生ずる問題︑
などである︒これらの問題の爆発は不況が深刻化する九〇年代半ばに向かってそのピークに達した︒
こうした状況はアメリカ社会のエリートたちに強い危機意識を抱かせるに十分なものであり︑ニューイングランドの知識
層の間には︑道徳律と共通の社会的目榎によって保たれてきた社会のl体性が工業発展によって破壊されることへの懸念が
岨広がった︒また︑ブルックス・アダムズのような当代一流の知職人たちがアメリカ文明の没落を予見した︒八〇年代には階
級の存在を否定していたローズヴェルトも︑この時期になると貴国者の絶対数が増えつつあることを認め︑それがアメリカ
洞の繁栄のみならず存在そのものにとっても持続的な脅威になっている︑と書く︒さらに︑民主党と人民党との連携が成立し︑
銀の自由鋳造論者ブライアンがその候補者として出馬した九六年の大統領選挙を︑彼は﹁南北戦争を除けばアメリカ国家の
拗命運にとって最大の危機﹂であると捉えた︒こうした彼の危機意識の根底にあるものは何か︒九〇年代半ばから後半にかけ
ての彼の著述のなかに採ってみよう︒
8
九六年選挙はなにゆえに﹁最大の危機﹂なのか︒姉に宛てた書簡にはつぎのような表現がみられる︒﹁ブライアンが勝て
ば︑わたしたちはこの先何年間か南米の国々と大差のない惨めな社会を体験しなければなりません︒彼はアメリカの発展を
大きく阻害したトマス・ジェファソンに極めて似ています山と︒つまりローズヴェルトにとって︑東部金融勢力を非難し︑
労農提携を呼号するブライアンの政治は︑アメリカ文明をその高みから引きずり降ろし︑古い農業社会に後退させるものに
はかならず︑断固阻止されねばならないものであった︒
では︑そもそもブランアンらの勢力がなぜ台頭したのか︒人民党批判を意図した評論︑﹁貧困なわが同胞を救わないでお
力コ色rく方法﹂を中心に︑ローズヴェルトの考えを探ってみよう︒彼はアメリカの経済構造のなかに原因を求めようとはしない︒
ブライアンらは︑自ら額に汗する﹁生産者階級﹂と銀行家たちを対置したが︑銀行家こそアメリカ文明発展のなかでもっと
も効率的な生産者だとするローズヴェルトは︑アメリカ経済内部に根本的利害対立を認めず︑つぎの二つの勢力を階級政治
発生の元凶とする︒つまり︑ひとつは﹁労働者を従属状態におき︑そのあげく︑抵抗のために団結せざるをえなくなさせて
しまう商人や製造業者たち﹂あるいは富を悪用する無責任な経済人である︒いまひとつは︑﹁労働者が︑過去および未来の
圧倒的多数の人々と同様︑単に自らの運命を血と汗で切り拓こうとしているだけであるにもかかわらず︑彼が何か陰謀や不
ヂマゴーグ正の犠牲者であるかのごとく教え込もうとする労働運動指導者たち﹂である︒ローズヴェルトは後者を﹁煽動家﹂と呼ぶが︑
彼らに関してつぎのように書いていることも興味深い︒﹁労働運動指導者はさまざまな欠陥ゆえに現在の社会のありようを
非難するが︑それらの原因は彼ら自身にあるものが多い︒わが国の都市政治の失敗は富裕な人々の不正行為のため.にではな
く︑市民一般の誠意や徳性の水準が低すぎることに由来する︵傍点引用者︶﹂と︒ブライアンとて彼からみればもちろんデ
マゴーグであった︒こうした﹁煽動家﹂に較べると︑﹁労働者に害を与えるという点では︑最悪の資本家のほうがまだまし
である﹂とも彼はいう︒要するに︑憲徳資本家が労働者の抵抗を生み︑﹁煽動家﹂がそれを利用するというわけである︒
九〇年代にあっ七︑ローズヴェルトは大量の貧民の出現を意識し︑﹁利己的で良心を失くした頑迷な﹂資本家を厳しく非
難し︑・さらにはニューヨーク市警察長官として同市の貧民街をつぶさに自分の眼で見て歩き︑そうした地域の環境改善など
の社会政策に乗り出しもした︒しかしそのような言動は︑彼が貧困の問題や階級の問題を当時のアメリカの社会体制の問題
として正確に認識したことを必ずしも示すものではなかった︒たとえばE・モリスも指摘するごとく︑彼が姉に宛てた書簡
のなかで︑ブライアンに関して記したつぎのようなコメントは︑その点を見事に示しているといわねばならない︒つまり︑
﹁めぐりあわせの悪さによってであれ︑自らの良からぬ行いのせいであれ︑人生に蹟づいた人々に1裕福な者への激しい憎
約悪を吹き込むブライアンの能力には驚かされる︵傍点引用者︶﹂というのだ︒彼は姉に宛てて自己の近況のみならず社会状
況に関する考えをしばしば書き送っており︑ここに引いた貧困観も彼の率直な考え方とみてよい︒彼にあっては︑貧困は個
人的な敗北なのであり︑その責を他人に転嫁せず︑まずは自らの努力で克服すべきものなのであった︒
では︑九〇年代の混乱のなかで︑ローズヴェルトは結局何を恐れたのか︒二〇世紀におけるアメリカの繁栄を展望する彼
は︑先はどみた﹁激しい生存競争は進歩の障害﹂という認識に加え︑どの社会階級よりも賃金労働者階級の繁栄こそが国家
旬eにとって重要︑という認識を九六年には示し始める︒正しくアメリカ化された下層階級こそ進歩的社会の基盤である︑とい
うような観点が彼のなかに生じてくるのである︒だとするなら︑﹁煽動家﹂は一層危険であり︑l他方で︑﹁徳性の水準の低す
ぎる﹂民衆も︑彼らに惹かれる危険を学んでいた︒そして︑厳しい試練でアメリカ人を鍛え育んできたとローズヴエルトが
考えるフロンティアも︑すでに消滅していた︒
−10−
四 ローズヴェルトの統合論
最後に考察するのはロ﹂ズヴェルトが唱えた統合のための方策せその特質である︒彼は戦争が国屈性の形成に役立つとと
もに国民調和をも実現も︑階級間︑地域間の対立を溶解させるという考えをもって.おり∵﹂のことは﹂﹁社会帝周主義﹂論
の視角に論拠首与える大変興味探い問題でぁるが︑紙幅の都合上この側面は別稿に譲ること龍する4
∴寸で宅七しまでl論討で︑世紀末の危機への対策としてローズヴェルトが持ち出すものの性格は一応予測がつく︒つまり︑
何ち潜の形での所得再分配といった経済的なものよりは︑むしろ彼の場合︑﹁俗悪な﹂資本家たちを社会的効率め倒点から
匡正も︑また︑﹁煽動家﹂を排除する一方で大衆に規律を与え︑階級意識の優適を防止するこせが課題に慮るはずである︒
そして稟際︑九〇年代後半の彼の言動に表われる統合策は︑まさにそうした国民の道徳的強化長軸にするものでぁった︒
では︑まず﹂社会問題の原因に関する彼の見方を改めて確認して登﹂う︒前竜でも引いた彼の論文﹁貧困なわが同胞を救
わないでぉく方法﹂のなかに︑概略つぎのヰうな議論がある︒すなわち︑アメリカ社会が治療を要するという点では人民党
の認識と一致す渇が︑人民党の政策は断固拒否する︒由否の層由は︑人民党が批判する社会悪以上の恵をそれがもた︐セすだ
ろうからであるl︒喜量甚変えてい.実ば︑﹁社会の欠陥のためではなく︑人間性そのものによって生みだされくている不平等や
禍苦難を︑不確かな方法で匡そうとしている﹂からである︒ローズヴェルトにあっては︑九〇年代の危機が基本的に人間性に
発す
る問
題で
一ぁ
り︑
.そ
のレ
ベル
での
対応
が求
め︐
われ
てい
たの
であ
る︒
だとすれば㍉彼の具体的な対策はどのヰっなもので遇ったのか︒右の論文のなかで︑・彼はこ.1ユーヨーク市警察長官として
ー11−
手がけた同市の社会政策について以下のように記している︒
﹁過去二年間︑ニ.ユーヨークで良い政治を回復させ︑よりよい社会状況をとくに貧民居住地区で作り出す努力がなされた︒
われわれは道路を美化し︑不正者働くボス政治家の権力を叩き潰し⁝⁝住宅密集地区に児童公園を作った︒人々に最善の仕
事をする機会を与えるために︑その生活を落ち着いた健全なものにしてやろうと︑あらゆる方法を用いて懸命の努力をして
OC
きた
︒﹂
しかしそれは決して単なる貧民救済ではない︒民衆の道徳的鍛練をめざす彼は︑つぎのような活動をも展開した︒つまり︑
﹁われわれは︑貧困者のための無料食堂や浮浪者のための宿泊所といった類の︑かえって貧困をつくりだしてしまう感傷的
な慈善事業に対して地道な戦いを繰り広げた﹂のである︒同時に彼は︑民衆を取り巻く享楽の世界に対して道徳的聖戦を挑
h u Vc
みもした︒要するに︑深刻化する貧困などの社会問題に直接対処し始めたのだが︑対策の中心はやはり民衆自身の内面に求
められたといえる︒それについて︑彼自身の明快な表現を引いておこう︒警察長官時代の活動を振り返りつつつぎのように
書いている︒﹁もしアメリカ人が何か価値のある存在たろうとするなら︑自分自身に依拠しなければならない︒政府に敵っ
てはならないのである︒⁝⁝彼は断固たる勇気をもって人生に立ち向かわねばならず︑またもし敗れた場合には︑素直にそ
鴫れを受け容れねばならない︒﹂
﹁自助の能力︸lしそが真のアメリカ人の誇り﹂だとするローズヴェルトの社会観はその後も変わらない︒ただ︑そのなかで
州ないし国家の載割は微妙に比重を増もてくるのが認められる︒彼が米西戦争で得た国民的英雄としての名声を背景に出馬
した︑ニューヨーク州知事選挙のキャンペーンのなかでそれを確認しておこう︒この選挙にあたって︑州共和党指導部は︑
知事の塵がいずれ大統領候補の足掛かりになること︑そしてローズヴェルトが特異なパーソナリティを持つことを考え併せ
− u l −e
て承認を渋ったが︑彼の圧倒的な名声の前に結局譲歩した︒ここに彼は永年の構想を州政治の場で︑そしてやがては連邦政
ー12−
治の場で実践する道を確保したのである︒そうした流れのなか︑九八年十月に彼はつぎのような趣旨の演説をおこなってい
る︒彼は︑自分の閣僚任命予定者のなかに労働者出身者が一名いることを誇らかに披露したうえで︑労働者の生き方を説く︒
﹁労働者は自らのエネルギー︑そして倹約︑正直さに依拠しなければならないのだが︑同時に労働者は集団で行動すること
によって多くのことをなしうるし︑場合によっては州も多くをなしうる﹂と︒ローズヴェルトは国民全体についても同様に
主張している︒﹁わが国民の間に高等な市民性を作り出すことはわれわれ自身の利益﹂であり︑﹁これを実現するうえで個々
8
〇
.
人︹の努力︺が最大の要素である︒﹂が︑﹁同様に州もまた何かをなしうる﹂と︒
この議論のなかに︑われわれは彼の新しい側面︑すなわち政府の役割の主張を認めることができるようにみえる︒しかし
留意すべきは︑その場合の政府の役割とは︑あくまでも国民の問の規律や士気の強化を公平に援助することだという点であ
る︒そのことは︑彼が︑米西戦争の折に全米各地のさまざまな階級や職業の者を取り混ぜて構成された義勇騎兵隊を引き合
いに出し︑金持ちの隊長も貧しい隊員も公平に扱ったことを自慢して演説を終えていることからも明らかである︒
州知事就任後のローズヴェルトは苦汗工場の労働条件改善︑州政府の工場監視権限の強化︑州公務員の八時間労働制など
を実
施し
た︒
進歩の敵であると彼がみなした激しい生存競争を抑え︑文明社会に不可欠とみなした﹁労働者の繁栄﹂を保証するために︑
彼は州権力をわずかではあるが発勤しはじめた︒しかしそれのみによって労働者大衆を安定化し︑秩序のなかに組み込もう
としたのではない︒国民の精神︑肉体両面にわたる鍛錬と国家の栄光といった問題に関する主張も︑米西戦争を経て︑同時
に一段とそのトーンを高めてくるのである︒たとえば︑つぎのようなものがそれである︒
−13−
﹁わが国民諸君︑私が諸君に説きたいのは︑わが国が求めているのは安楽な人生ではなく︑精力的な努力の人生だという
ことである︒諸国の命運を起る二〇世紀は大きぐ眼前に近づいてきた︒われわれが憤然と傍観していたり︑・慢心と怠惰から
安逸な暮らしのみを求めたり卑劣な平和のみを求めたりすれば︑あるいはまた︑命や大切なものすべ・てを賭してでもl是非勝
ち取らねばならない激しい競争に尻ごみするならば︑・より大胆で力強い国がわれわれを追い越し︑自らの力で世界支配を勝
ち取ってしまうであろう︒⁝⁝戦いが正当なものであると確信できるなら︑精神的なものであれ物質的なものであれ︑国の
内外の一切の闘争から身を引かないようにしようではないか︒というのも︑.闘いを通してこそ︑厳しく危険な努力を通して0こそ︑真の国家的威信という日榎が究極的に達成されるからである︒
もはやコメントは要るまい︒
さて︑徳目を並べ︑社会の安定と国威発揚に向けた精神論を説くロ﹁ズヴェルトのこうした活動は孤立していたわけでは
ない︒九〇年代の危機のなかで愛国主義団体や移民排斥運動が轟き︑▼・都市の教会は︑破碇した聖書クラブに代えて擬似軍隊
的なクラブを組織し︑若者に道徳教育を施しはじめた︒また米西戦争開始直後の九八年四月にはニューヨーク州議会が︑
﹁州の学校に国旗を掲鼓し⁝い∵愛国的行事を促す法律﹂を成立させた︒このような雰囲気のなかで︑彼は﹁アメリカ的であ
ること﹂や﹁精力的な努力﹂を説いたのである︒
いや︑ただ説いただけではない︒たとえば義勇騎兵隊︒﹁ラフ・ライダーズ﹂の編成と指揮はまさしく彼らしい方法で国民
一体化の実験を試みたともいえる︒これは改めて検討しなければならないことだから︑いまはおくとして︑九五年に出版さ
れ〃
0れた﹃アメリカ史の英雄物語﹄は︑国民の精神鍛錬という彼の目榎を︑青少年を対象に実現しようとしたものといえる︒こ
れは︑ハーグァードの先輩であり︑統合の問題に関して彼と非常に近い立場にあったヘンリー・C・ロッジとの共著という
−14−
形をとり︑﹁アラモの砦﹂の物語などアメリカ史上の英雄的エピソードを素材に︑多様な徳目をストーリー化したものであっ
lた︒その主要テーマは︑まず何よりも愛国心であり︑さJbに勇気︑自己犠牲などが含まれる︒その後︑この書物はいくたび
も版を重ねる︒
この試みが若者に愛国心とある種の社会道徳を注入しようとしたものであることはもちろんだが︑同時にもっと広い意義
をそこに認めることもできるだろう︒つまり︑意図的な英雄物語としてではあれ︑豊かなアメリカの歴史やアメリカの伝統
の一部をエリートの書斎から解き放ち︑大衆のいわば共有財産にするという側面である︒ローズヴェルトは︑自らが構想す
る来たるべき二〇世紀のアメリカを担う国民を︑こうした活動を通してもまた創出しようとしたのである︒
五 小 括
ローズヴェルトの十数年にわたる文字通り執拗な主張をここまで追ってきて︑ずいぶんくどい議論になった︒辿りついた
ところを少し整理して小稿を締めくくることにする︒
一九世紀末︑世界経済のなかで急上昇しっつあるアメリカにあって︑ローズヴェルトはその貴族的見地から︑アメリカが
至上のアングロ・サクソン文明の最先端にあると位置づげ︑その永遠の繁栄と栄光を構想した︒それは同時に︑その担い手
となる新しい一体化された国民を創り出すことでもあった︒しかし現実には階級対立や貧困問題が探刻化しっつあった︒こ
の状況をまえにして︑彼は政府の積極的役割という新しい観点に接近しっつ︑同時に資本家︑労働者をも含む国民に克己や
自助あるいは自己犠牲を説き︑その﹁徳性﹂を向上ぎせることによって︑あるいは大衆を国家の威信という幻想のなかにひ
きずり込むことによって︑それらの問題を解決し︑あわせて構想を実現しようとした︒そうした統合努力の効果については︑
小稿の及ぶところではない︒彼が自己の統合論を凄じい形で実践した︑米西戦争への参加という問題や︑移民ないし民族の
問題とあわせ︑今後の課題としたい︒
︹ 註 ︺
M i k e D a v i s , P r i s o n e r s o f t h e A m e r i c a n D r e a m ( L o n d o n , 1 9 8 6 ) . J a m e s R . B a r r e t t ,
"
P r i s o n e r s o f t h e A m e r i c a n D r e a m "
( b o o k r e v i e w ) , T h e J o u r n a l o f A m e r i c a n H i s t o r y ,
7 3
‑ 2 , 1 0 4 0
‑ 4 1 .
その批判的検討についてはへ拙稿﹁ニューディール国家像の模索‑﹃コーポリット・‑ベラリズム﹄論に対する歴史社会学者スコッ 16
ポルの批判をめぐって﹂﹃アメ‑カ史評論﹄第五号(一九八六年)を参願.
そ の 要 を 得 た レ ビ ュ ー と し て D a v i d J . R o t h m a n 二 . S o c i a l C o n t r o l : T h e U s e s a n d A b u s e s o f t h e C o n c e p t i n t h e H i s t o r y o f I n c a r c e r a t i o n ,
"
i n S . C o h e n a n d A . S c u l l , e d s . , S o c i a l C o n t r o l a n d t h e S t a t e ( O x f o r d . 1 9 8 5 ) . J o h n M . B l u m , T h e R e p u b l i c a n R o o s e v e l t ( 2 n d e d . , C a m b r i d g e , 1 9 7 7 ) , p . x i . D i x o n W e c t e r , T h e H e r o i n A m e r i c a : A C h r o n i c l e o f H e r o W o r s h i p ( A n n A r b o r , 1 9 6 3 ) , p p . 3 9 0
‑ 9 1 .
以下へ生いたちと経歴については︑と‑に註を付したものを除き'下記の自伝と伝記を参照した Theodore Roosevelt,An
A u
t o
b i
o g
r a
p h
y (
N e
w
Y o
r k
, 1
9 1
3 )
, E
d m
u n
d
M o
r r
i s
, T
h e
R
i s
e
o f
T h
e o
d o
r e
R o
o s
e v
e l
t (
N e
w
Y o
r k
, 1
9 7
9 )
.
B l
u m
, o
p .
c i
t .
, p
. 8
.
S Ibid., pp.9-10.
g Paul Boyer, Urban Masses and Moral Order in America, 1820-1920 (Cambridge, 1978), p. 176.
§ Theodore Roosevelt, American Ideals and Other Essays, Social and Political (New York, 1897 ).
§ Theodore Roosevelt, The Works of Theodore Roosevelt,National edition, Vol.8 (New York, 1926 ), pp. 3 , 7.
§ Roosevelt, American Ideals, pp. 316-17.
§ Ibid., p. 299.
S "True Americanism," in Roosevelt, American Ideals, pp. 14-32 ; "Americanism and Immigration" (address at
Hamilton Club of Chicago, Jan. 20, 1893).
8 Morris, op. cit., p. 467.
§ Robert W. Rydell, All The World's a Fair (Chicago, 1984), p. 46
8 Michael Pearlman, To Make Democracy Safe for America (Urbana, 1984), p. 3.
§ Roosevelt, American Ideals, pp. 324-25.
8 Pearlman, op. cit., p. 17.
§ E. E. Morison and J. M. Blum, eds., The Letters ofTheodore Roosevelt, Vol. I (Cambridge, 1951), p. 554.
§ Theodore Roosevelt, "How Not to Help Our Poorer Brother," Review of Reviews, Jan. 1898. Reprinted in
Roosevelt, American Ideals.
8 Morris, op. cit, p. 550.
dTs*
㈲
㈹̲ I m
H H H
わけV
㈹
AS
細
山n H
U
的
Ro os ev el t, Am er ic an I de al s, p. 34 1 Ib id ., p. 21 0 Ib id .︑ p. 21 3,
P a u l B o y e r , o p . c i t
⁚ p . 1 7 6 .
R o o s e v e l t , A m e r i c a n I d e a l s , p . 2 1 7 .
経緯についてはへMorris,op.cit.,pp.665‑87.
Ro os ev el t, Wo rk s, Vo 1. 4, pp .3 06
‑7 . Th eo do re R oo se ve lt ,M em or ia lE di ti on o ft he W or ks o fT he od or eR oo se ve lt ,V o1 .1 5 (n .p ., 19 23
‑2 6) ,p .2 81 , Th eo do re R oo se ve lt a nd H en ry C .L o He ro T as es fr om A me ri ca nH is to ry (N ew Y or k, 18 95 ). Re pr in te d
‑18‑
(奈良教育大学教育学部)
Ro os ev el t, Wo rk s, Vo 1. 7. 的 ロッ ジが 序文 でこ のこ とを 協調 して いる I bi d. ,p .x vi .
(小稿は1九八六年十7月1日の高円史学会大会における報告︑﹁セオドア・ローズヴェルトとアメリカ社会の統合﹂ の前
半部に加筆補正したものである︒)