最近、米国とオーストラリアの学者が中心となって「太平洋の歴史」を見直そう というプロジェクトが発足した。世界史、特に近代の世界史は従来大西洋を中心と してとらえられてきたが、これからは太平洋に面する諸国が重要性を増していくこ とは確かであり、そのような変化は私たちの歴史観にも影響を及ぼさざるをえない、
という問題意識がその根底にある。
太平洋の時代が到来する、という見方そのものは新しいものではない。すでに
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世紀初頭、日露戦争の頃になると、日本の台頭や米国の隆盛などによって、それま でのようにヨーロッパ諸大国が世界中を支配するといった状態は終わるであろうし、代わって日本や米国が世界のなかで重きをなしていくに違いない、という考えが出 てくる。太平洋の新時代ということにしばしば触れた片山潜のように、20世紀は日 米関係の動向によって左右されるであろうと予言する者も少なくなかった。彼の場 合は、日本の渡米移民が両国の平和的な関係、ひいては太平洋の地域的繁栄と安定 に寄与するのではないか、と期待していたのであるが、実際にはその方向に向けて 中心的な役割を演ずるべき日本と米国が対立、太平洋で勢力争い、その結果戦争に までなって、「非太平」洋を作り上げてしまった。
その後冷戦時代には、太平洋は排他的な「米国の湖」と化す可能性すらあった。
したがって少なくとも
1970
年代までは、太平洋が国際的なつながりや協調の象徴と はなりえなかった。かつて戦った日本と米国とは同盟・友好関係を保つことができ たが、太平洋の西岸にある中国やソ連と日米とは対立状態にあり、朝鮮半島やイン ドシナ半島では戦争が長引き、しかも太平洋は米国やフランスによる核兵器の実験 場とすらなってしまう。太平洋が比較的平和で安定したものとなり、大西洋と並ぶ重要性が意識されるよ うになるのは
20世紀も終わりに近づいてからである。ワシントンと北京政権間の国
交樹立、冷戦の終結などを通して太平洋両岸の距離が縮まり、台湾、韓国、シンガ ポールなどの経済が飛躍的な発展をとげる。また同時に、カナダ、オーストラリア など、それまで排他的白人主義をつらぬいていた国が、中国その他アジア諸国から の移民を受け入れるようになる。そして21
世紀になると東南アジア、韓国、中国、国際問題 No. 604(2011年9月)●1
◎ 巻 頭 エ ッ セ イ ◎
Iriye Akira
さらに中南米諸国の経済発展も著しく、それら諸国を含めて、環太平洋地域の貿易 額は環大西洋のレベルに近づいていく。
そのような状態を反映して、太平洋各地のつながりを強調する歴史観がふたたび 現われてきたのも不思議ではない。すでに1980年代に米国の歴史学者ウォルター・
マクドゥーガル(Walter McDougall)は、19世紀中葉以降、西はシベリアから東はア メリカ大陸にいたるまで、太平洋地域のダイナミックが現実のものとなっていくこ とを論ずる著作を発表していたが、そのような見方は最近では特に米国やオースト ラリアの学者の間で影響をもつようになっている。朝鮮戦争史研究で著名なブルー ス・カミングス(Bruce Cumings)は、米国は少なくとも西部や南西部に関する限り大 西洋というよりは太平洋国家であると論じ、オーストラリアのマリリン・レイク
(Marilyn Lake)、アリソン・バッシュフォード(Alison Bashford)なども、この国の歴史 は英国その他ヨーロッパの視点からではなく、太平洋という地域的枠組みのなかで とらえられるべきだと主張してきた。
さらに重要なのは、20世紀末期以来の世界は、それ以前の世界とは根本的に異な るものをもっているということである。19世紀中葉から約
100
年の間、太平洋のみ ならず全世界において多くの亀裂があった。根本的にはこの亀裂は国家間のものと いうよりは、強大国とその他の国、帝国主義国家と植民地、資本家と労働者、白人 と有色人種、西洋と非西洋、あるいは「文明」と「非文明」などの間に存在してお り、そのような区別を維持しようとするものと、それに抵抗するものとの間の対立 も含め、人類はかつてないほど分裂した状態にあった。通常、この時代に経済のグ ローバル化が始まったのだとする見方があるが、確かに経済面で、あるいは交通・通信技術の発展のために地球各地の間の結びつきが可能になったことは否定できな い。しかしそのような結びつきも、強大国と海外領土の格差、あるいは人種間、文 明間のかつてないほどのギャップを縮めることにはならなかったのである。
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世紀後半から今日にいたる世界は、その意味で画期的な環境を人類のために作 り出してきた。経済のグローバル化がいっそう進展してきたことはもとより、最も 著しいのは、それ以前の時代にあった人間社会の分裂分断が、ネットワーク的なつ ながりに取って代わられたことであり、その点に注目すべきである。もちろん世界 がひとつになったわけではないし、国家間、宗教間、民族間の対立は依然として消 えていない。国内の対立や分裂が「ノンステート」の状態を作り上げている地方も あるし、一方国際テロリズムの存在も深刻である。あるいは中国の急速な発展など を重要視して、国際社会における新しい不安定性を強調する識者もいる。しかしそ れは現代史の読み方を間違えるものであろう。50年前、100年前と比べて、それまで 致命的と言えるほど厳格に存在していた各種の境界(バウンダリー)が、少しずつで はあるが取り除かれてきたことこそ、現代史の大きな特徴である。◎巻頭エッセイ◎太平洋の世紀へ
国際問題 No. 604(2011年9月)●2
例えば排他的、自己中心的なテロリズムの活動よりは、東日本大震災への国際社 会の手厚い対応こそ現代史を象徴するものであり、国家としての中国の台頭ばかり に注目する代わりに、各国で活躍する中国人のグローバルな存在を意識すべきであ ろう。いずれも国際社会が分裂ではなく連帯の方向に向かって歩んでいることを示 している。このような例が示しているのは、現代の世界においては国家そのものよ りは個々の人間や人間社会が果たす役割の重要性であり、そして自然災害などに対 する一国中心的ではない、グローバルな対応である。また自然と人間社会との関係 も、かつてないほど相互依存的になっている。人間の利益や快楽のために存在する 天然資源や動植物ではなく、人間と共存する存在としての生態系という概念が普及 してきたのも、現代の特徴のひとつである。
太平洋の世界もそのような歴史的な背景のなかでとらえられるべきであろう。20 世紀には決して「太平」とは言えなかった太平洋であるが、これからはグローバル な大洋の一環として発展していく可能性がある。日本としても、太平洋各国にして も、そのような方向性を意識しつつ、いわば「非太平」洋から相互依存的な大洋へ と進展していくよう、努力すべきである。
具体的には、まず太平洋の定義をできるだけ幅広くとる必要がある。冒頭に触れ た歴史プロジェクトでも、「太平洋の歴史」の研究対象になるのは、ロシア、中国、
朝鮮半島、東南アジアから、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋諸島、北 米、中南米ときわめて多岐にわたっている。そのように広義の太平洋でなければ、
これからの国際社会を論ずることはできない。
その意味では、現在米国を中心として協議されている環太平洋経済連携協定(TPP:
Trans-Pacific Partnership)はきわめて適切なものである。トランス・パシフィックとは
要するに太平洋の各地にまたがる諸国という意味であり、そのような諸国すべてを 対象としたコミュニティーを作り上げるのも、時代の要請にかなっている。上記し たように、TPPがあろうとなかろうと、すでに経済面では太平洋諸国は密接なつな がりをもっている。これからの問題は、経済と同時に政治や文化の面でも共同社会 ができあがっていくかどうかであろう。
政治的に体制の異なる国家、例えば中国や北朝鮮、ロシアなどと、米国や日本そ の他の民主主義諸国がひとつの地域共同体を作っていけるものかどうか、現在の段 階ではかなりの障碍が存在する。すべての国において人間が人間としての生活を営 む最小限の自由、人権を保証されることは、太平洋共同体形成上必要条件であろう。
その場合、各国の国家権力よりは非国家組織(ノンステート・アクターズ)の活躍に 期待したい。実業界や非政府団体(NGO)などが個々の市民とともに政治の改革を 成し遂げる、あるいはその方向に向かって歩み出しうる可能性は、今年の年頭から 始まった中近東の民主化運動が示している。
◎巻頭エッセイ◎太平洋の世紀へ
国際問題 No. 604(2011年9月)●3
しかし体制的には民主化されても、諸国の市民の対外意識が排他的でいたのでは 地域共同体を作っていくことはできない。広義の太平洋諸国間には、領土問題、歴 史認識問題等、いくつかの対立、懸案が存在する。国家という存在が地理と歴史に よって定義されるものである以上、そういった問題が消え去ることはなかろうが、
ヨーロッパ統合体が示すように、国家主権にこだわらず、トランスナショナル、す なわち国境を越えた共有の認識を作り上げることは不可能ではない。ヨーロッパあ るいは大西洋諸国家ができることでも、太平洋では不可能だというのは非論理的な 発想法であるのみならず、それこそ西洋と東洋の相違を宿命的だとする点で、トラ ンスナショナルな見方とは相反している。
この点に関連して、ヨーロッパと違って太平洋には多くの異なった文明や伝統が 存在しているから、文化的な意味での
TPP
などは成立しえない、と論ずるのも現代 史の流れを見失う見方である。過去がどうあろうと、現代そして近い未来に進展し ていくのは世界のなかの太平洋、トランスナショナルな国際社会のなかでのトラン ス・パシフィック共同体である。世界がよりグローバルになって各地域間のネット ワーク的なつながりが密接になり、純血よりは混血的な生活様式を作り上げている ときに、太平洋だけは例外で伝統的な文化が形を変えずに存続していくなどという ことはありえない。この最後の点、すなわち世界中で国家間、民族間、人種間、宗教間などの隔たり が縮小し、人類の連帯感、そして人間と自然との共存共栄意識が醸成されているの
が
21世紀初頭という時期であるとすれば、各国ともそのような流れに歩調を合わせ
るか、それともそれに抵抗して従来の意識や生活様式を守っていくか、選択を迫ら れている。伝統論者も排外論者も各国に依然存在している。それだからこそ、国際 的連帯感を共有する各国の市民や組織は、トランスナショナルな活動をいっそう繰 り広げていく必要がある。そのためにも、環太平洋的な地域共同体は、これからの 地球社会にとってきわめて意味のあるものである。日本の将来もそのような枠組み のなかでとらえられるべきではなかろうか。
◎巻頭エッセイ◎太平洋の世紀へ
国際問題 No. 604(2011年9月)●4
いりえ・あきら ハーヴァード大学名誉教授