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書 評
上野和昭著
﹃平曲譜本による
近世京都アクセントの史的研究﹄
奥 村 和 子
本書については︑第三〇回︵平成二三年度︶新村出賞を受賞した
というその事実が︑評者が言を尽くすより遥かにその価値を雄弁
に物語るものであろう︒著者の様々な業績のうちでも最も大きな
テーマの一つであろう︑平曲譜本を中心とした京都アクセント史
についての研究がまとめられた本書の刊行は︑評者を含む後学に
とって大変有難く喜ばしいことである︒
まず︑本書の構成を目次の章立てによって示す︒
序章 アクセント史研究と平曲譜本
第1章 ﹃平家正節﹄の譜記によるアクセント型の認定
第2章 単純名詞・転成名詞のアクセント型認定
第3章 複合名詞のアクセントとその変遷
第4章 固有名詞のアクセントとその変遷
第5章 漢語のアクセントとその変遷
第6章 動詞のアクセントとその変遷
第7章 形容詞のアクセントとその変遷
第8章 平曲ならびに平曲伝書とアクセント史
終章 アクセント史における﹁近世﹂ ﹁アクセント史における近世京都アクセントの位置付け﹂という目的のもと︑積み上げられてきた精緻な研究の数々が整然と配置されている︒﹁はしがき﹂には﹁本書は﹁近世アクセント﹂を
網羅的に取り上げることを企てたものではない︒︵略︶ここに言
及できなかった問題については︑また後日を期したい﹂と簡単に
記されるが︑構成を示す際に章立て以下を割愛せざるを得なかっ
たほど︑扱われた項目・取り上げられた問題点は多く︑それぞれ
の項目における用例の一つ一つまで疎かにしない考察の裏には︑
気の遠くなるような作業と思考の積み重ねがあったことは想像に
難くない︒それを要領よく︑かつわかりやすくまとめていく著者
の手際は見事というしかないであろう︒加えて︑各章の冒頭にお
いて︑その章の目的︑従来の研究における問題点の指摘から︑導
き出された結論とその意味にいたるまでが述べられるなど︑読む
者の理解を助ける工夫が各所に施される︒
序章には︑アクセントの定義と記述方法︑類別語彙︵金田一語
類及び︑著者自身が大きくその分類にかかわった早稲田語類︶について
の説明︑それらを含む先行研究の方法と成果︑平家正節をはじめ
とする資料の性格や利用価値等︑本書において必要とされる知識
が簡潔にまとめられており︑本編への導入の役割を果たしてい
る︒続く第1章では︑平曲譜本においてアクセントを考察する上
で注意すべき点が︑実際に用例の考察を行いながら示される︒ア
クセントの認定方法とその注意点︵第1節︶︑助詞﹁の﹂接続形ア
クセントの問題︵第2節︶などがそれであるが︑中でも特筆すべ
きは第3節のいわゆる﹁特殊低起式表記﹂についての記述であろ
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う︒﹁特殊低起式表記﹂とは︑﹁口説﹂という曲節に見られる﹁こ
とばの音調としては高拍の連続であるところを︑低起性旋律で語
る場合の譜記﹂を指すが︑従来からその事実やある程度の背景に
ついては指摘されていたものの︑具体的にどのようなものがそれ
にあたるのかの整理はなされていなかったものであり︑ここでは
該当する用例の整理が行われ︑その出現パターンが示される︒こ
れを把握しておかねば過った結論を導きかねないもので︑平曲譜
本をアクセント史料として扱う者にとっては必読である︒続く第
2章はこれらを利用して2・3拍の単純名詞および動詞からの転
成名詞についてアクセント型の認定を行っている︒
第3章からは︑譜本類に加えて他のアクセント史料︑特に現代
京都アクセントと︑その古い形を伝えると考えられる近畿中央式
諸方言についての研究成果︵著者自身による徳島県方言の研究を含む︶
等も利用しながら︑名詞・動詞・形容詞のアクセントの変遷に関
して考察を行い︑第8章の資料性の検討を経て︑終章で成果をま
とめ︑アクセント史における近世の位置づけを次のように行って
いる︒ まず︑院政期におけるいわゆる京都アクセントの体系変化を出
発点として︑
H2型と
H1型が
H1型に統合されることによる新たな体
系の成立までを﹁広義の中世﹂︑それ以降を﹁近代﹂とする︒そ
の﹁広義の中世﹂のうち︑古代アクセントからの規則的な変化後
の体系以降︑
H4型と
H3型︑
H3型と
H2型の統合によってゆれ動き︑
やがて均衡にたどりついたアクセント体系の時代を﹁近世﹂と呼
ぶとし︑﹁近世﹂は﹁広義の中世﹂の下位区分であるとした︒そ して﹁近世﹂を言語史的に区分するものはこれら﹁型の統合﹂
││﹁高起式の下降型アクセントにおいて︑そのアクセント型が
それよりも下降位置を一つ前の拍におくアクセント型に統合する
現象﹂であり︑用言のアクセント体系における﹁体系的強制﹂と
せめぎあいながらその体系を組み換え︑単純名詞の型の体系にも
影響を与え︑﹁近代﹂をもたらしたものであるとした︒更に︑こ
の﹁型の統合﹂の他に﹁基本型化﹂が体系の変化に大きな役割を
果たしていることから︑﹁近世﹂と﹁近代﹂とを分かつ観点として︑
﹁伝統性﹂と﹁同時代性﹂というタームによる整理も行われる︒
先にも述べた如く︑このような大きなテーマを構築するのは
様々な考察の積み重ねであり︑そのひとつひとつに言及する余裕
はないが︑当然ながら興味深い記述や用例は数知れない︒たとえ
ば︑﹁落人︵おちうど・おちうと︶﹂という語について︑第3章で次
のような用例が示される︒
①落人゛と︵上上コ××︶
②落人と︵上コ×××︶ ③落 ス人 ウト︵上コ×××︶
すなわち﹁落人﹂の4拍目について︑①積極的な濁音表示である
﹁濁点﹂が付いているもの︵口説︑
H3型︶と︑②積極的には清濁い
ずれも示していないもの︵口説︑
H2型︶③積極的な清音表示であ
る﹁ス︵スム︶﹂注記が付いているもの︵口説︑
H2型︶とがあり︑
①と②③とでは譜記が異なっているわけである︒この例は︑先に
述べた﹁型の統合﹂のうち︑
H3型↓
H2型化が﹁口説﹂においても
進行している様子の見られるものとして﹁虚言︵そらごと︶﹂と共
に挙げられている︒現代京都アクセントでは﹁落人﹂は
L2型と
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なっているようであり︑これは
H2型からの変化形と考えられるの
で︑おそらくはその通りであろう︒而して語史等から単純に見た
場合︑4拍目清音の﹁おちうと﹂↓同濁音の﹁おちうど﹂の変化
の方が考えやすく︑逆に
H2型↓
H3型の動きに見えかねないところ
である︒だが︑おそらくここで考えねばならないのは﹁スム﹂注
記の意味するところであり︑これは平曲伝承の初期において清音
であった一方で︑譜本当時の中央語で濁音形を普通としたものに
あえて付される注記である︑と説明されることがある︒古い
H3型
の時期に﹁落人﹂の4拍目清音形↓濁音形が一般化し︑その後
H3
型↓
H2型化を起こしたものとすれば︑濁点を付してしまったもの
と︑あえて平曲の規範意識により清音であるという注意を促した
注記との前後関係を考えた場合に︑必ずしも﹁スム﹂注記が古い
形に付されるとは限らないわけである︒本書では︑呉音による読
みの振り仮名がある漢語に漢音の声調と一致する譜記が付されて
いる例なども紹介されており︑複数の読み方の考えられる語にお
ける振り仮名・発音注記と︑その譜記・アクセントとの対応関係
についても︑考えさせられるところが多かった︒
本書を通読していて感じるのは︑細部に至るまで決してゆるが せにしない︑著者の慎重な姿勢と︑あらゆるものに対する周到な心配りであるが︑それは他の研究者に対する態度にも表れてい
る︒序章において﹁本書は︑その奥村︵三雄︶の研究を批判的に
継承するものである﹂と述べられるように︑本書では三雄の著書
﹃平曲譜本の研究﹄に対する検討が随所で行われる︒従って﹁批
判﹂される三雄と同じ姓を持つ評者としては︑常に多少なりとも
構えながら読むところがあるのであるが︑著者は極めて厳密で客
観的な基準でもって用例を抽出し選別し考察を行い︑穏当な表現
で的確な追加修正をおこなっていく︒三雄は自分の拾いあげた用
例やその考察をもとに︑他の研究者が考えを重ねていくこと︑ま
たその研究者と議論をかわすこと︑を楽しみとし︑刺激ともして
先に進むことを好む人であったので︑おそらくはこのような形で
再び自分の研究に丁寧に詳細に検討が加えられ︑平曲譜本と京都
アクセントについての研究が発展していくことを︑何より喜んで
いるのではないかと思う︒
︵二〇一一年三月 早稲田大学出版部 A5判 五四九頁 税込一〇二九
〇円︶