• 検索結果がありません。

10 月 12 日 中津市大字伊藤田字洞の上 古要社神舞

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2023

シェア "10 月 12 日 中津市大字伊藤田字洞の上 古要社神舞"

Copied!
3
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

10月12日 中津市大字伊藤田字洞の上 古要社神舞

古要社には何時の頃からか「御舞人形」と称する人形が27体、「お相撲人形」と称するもの24体、その外に小豆 童子(お姫様とも)2体、それに小さい黒色の獅子頭2頭がある。大陰暦の閏年に当る年の新暦10月12日には古要 社の祭典のあと拝殿で、それ等の人形を遊ばせるのである。村の人はこれを奉納するという。

古要社の秋祭は毎年10月12日にある。が人形を舞わせるのは昔から大陰暦の閏年、即ち3年に1回のみであっ て、本年は丁度その旧暦の閏が3月にあった。

古要社は戸数約50戸の洞の上という小さな部落の中央にある社で、恐らく古くは宇佐八幡宮の末社の1つと言わ れているが、山国川を短てた吉宮町にある古表社と同じ伝承によるもののようで、人形の長柩の裏書にある細川忠 興が復興に尽力した事まで同様である。

明治の初年恐らく暫くは廃絶同様の姿であったと想像されることも両方共同じようである。現在古要社のすぐ隣 にある伊藤田家はもとこの地方の庄屋を代々勤めた家であるが、これも当主は久しく、この地を去って関西(京都)

に住んでいたらしい。

恐らく終戦後と想像される頃(或いは大正末期かも知れぬ)伊藤田家は、郷里に帰って現在の屋敷を設け、且つ 荒廃している古要社を起して、半端虫食等老朽した人形の残っているのを見付けたものらしい。人形の虫喰いや、

傷損の土合は古表のものよりはひどい。御舞人形の方は手に握る程の太さの木の棒が胴体となりこれを左右の手の 部分がついて、胴体に通した紐を引いたり緩めたりすると、左右の手が上下するようになっている極簡単な動作を する人形で、これも極く簡単な着物を着せてある。この着物はこの部落の家で長男(おんごという)が生れた家で は奉納することになっている。この奉納された色々のお舞人形の着物は人形に着せるものの外にも沢山あって「お いろかし」といって七夕の日(現在は8月7日)に全部出して拝殿で虫干をする。

古要社の神殿は拝殿とは別棟で一段小高く造られ、その左側(西手)に人形庫がある。人形が県指定の民族資料 となったときの補助金でできた、コンクリート造の庫で、人形は現在、常時こゝで保管されている。

伊藤田家は洞の上部落の旧家で代々庄屋を勤めていたようであるが、古要社の祭礼板を持っていたようでもない。

古要社の祭礼板についてはもとは洞の上部落が 4組に分れていて各組が1年交替で宮座を受持っていて、各組のう ちの年長者のものから順序座元を引受けていたようである。座元は10月11日のヨド(宵宮の晩のことをいう)に 門先に座元の印を立てた。この標というのは枝葉のついたまゝの竹 2 本を立てゝ、これに青竹と注連縄を引渡し、

その青竹に 3枚の麦稿編の蓆(ムシカラという)を掛けて、中央の 1枚を巻きあげることになっていた。座元はそ の 1 年間、肥を使わぬことなど厳重な潔斎があって、祭の一定の日以前には汐汲みをしたようである。これは現在 ない。

人形の奉納は宮座を受持った組から、その年に当ると出した、若衆 8 人が操った(これを踊子という)が古くは 世取り(家継ぎ)の中でも人格者から座元違によって撰ばれた。現在では組制度は薄くなり、洞の上の青年であれ ば誰でもよいことになり、8人の定めが現在は人数も増えている。踊子は何れも白い着物を上に着て人形を扱う。

踊子の外に囃子3人、笛、太鼓、チャンカラ(胴鈸子)各1人で、これは青年でなくてもよい。舞1番ごとに3人 が囃し方となるのであって、舞1 番でとに囃子方も交替してよい。非常に笛が難しく、現在その後継者の養成に努 力している。伊藤田家の当主の息さんも本年から笛方に入って練習をしている由である。

12日午後、神職に頼んで簡単な祭典があり、終ると舞台で神楽がある。舞台となる拝殿を申殿(もうしでん)と いう。

神楽組は中津の福島在にある岩戸神楽で、庁屋で用意を整えるとすぐ舞台で神楽を始める。途中で神楽を中断し て午後 5 時半頃から人形が始まる。人形は拝殿で舞い、囃子は舞台で神殿の方へ向いて奏される。舞台も拝殿も 4 方吹貫の造りであるが前以って拝殿の 3方(北側、即ち神殿の方に向った1間は開けたまゝで祭典もそのまゝ行わ れた。拝殿と神殿の石段上の間には臨時の板橋が渡される)には帽幕を張り、南面の 1 間、即ち舞台に向った方は 紫色の腰幕を約 1.8m位の高さに引き、1m程後の軒に緑色の幕を張る。この後の幕は人形を舞わせる背景となり腰 幕の中、腰幕にごく接近した所で踊子が人形を片手で高く差上げるようにして舞わすのである。腰幕の両端には夫々 東は白、西は赤の鬼面のようなものが1本角を高く幕に付け、この面に添えて五色の紙垂をつけた笹竹を立てる。

囃しが初まると、まづ白衣の「御幣持」といわれる人形(1体)が舞台(幕と幕の間)稍左手の所から静かにせり 上り、腰幕すれすれの前へ進んで左向きとなり東へ進み、中央稍右手の所で、後(見物人の見ている舞台から見て)

(2)

向きとなって静かに沈んでゆく。

次に中央の所、腰幕の上へ 2 つの獅子頭が揃って面をあげ、幕に添うて左右に分れ両端で前向きになって停止す る。

以下伊藤田氏のお宅で写させて貰った記録によって大略を記するが、必ずしもこの順序で行われたとはいゝ難い。

1、 山豆童子、(お姫様とも)。他の人形よりも 1 廻り小形の人形で頭はおすべらかし風。赤の下着に緑地の金

襴の着物を重ねている。2体とも女神という。小豆の如く小さい。故にその名がある。中央でせり上り、左 右両方に分れて、獅子面の傍まで行って停止する。東のものを明けの明星、西のものを宵の明星という。

獅子頭と小豆童子とは最初から、人形舞の終るまで即ち最後までこの位置で登場したまゝで、踊子の 1 人 が交替で、左右片方づゝの手で獅子頭と小豆童子とを支持しているのである。

2、 御幣持。男1体。これは前掲のものらしい。実際は先に登場。小豆童子の次には出なかった。

3、 獅子方。3体。中央の1体は赤い着物。腰幕に平行に3体1列に同時にせり上り前進して舞う。左右より中

央に寄り、また左右に分れて、そのまゝ後退する。一般に囃子方(舞台に居る)の拍子に 3 節あるようで ある。人形がせり上り、前進して腰幕に近づき、定位置につくまでの拍子は神楽風の緩やかな曲であって、

定位置につくと前節が終り、短い休節があって、曲が変る。稍早い調子となり、このときお舞人形は両手 を動かすのである。中にはお叩頭をするような動作をするのもある。次に人形の動作が終って定位置に返 り、後退して沈んでゆくときの曲は前節の緩やかな拍子となる。

4、 御太刀持。4体。1列に4体が並ぶが手を動かすときは2体づゝが向き合って動作をする。

5、 鉾持。男女2体。

6、 羯鼓打。2体。

7、 御幣持。1体。途中で再び登場する。

8、 七力神。4体。

9、 磯良神。女神2 体。紫色の着物。磯良伝説を伝えている。顔が醜いので、白布で隠しているという。磯良

神お舞のときの中節では古老が楽屋の中で「のりごと」を唱える。

国の長のおしくるよう押しくるよう 宇佐の宮、おぐらの山の岩根なる 五葉の松の末ぞ栄ゆる末ぞ 栄ゆる 姫松の姫松の末ぞ栄ゆる末ぞ栄ゆる 吹出の浜の浜松の汐来る並立松の末ぞ栄ゆる末ぞ栄ゆ る 千代の千代の姫松の姫松の末ぞ栄ゆる末ぞ栄ゆる

10、御幣持

11、細男舞。男神1体。

以上でお舞人形の神舞は終り、続いて少し賑やかな囃子になってお相撲人形が出る。腰幕左右の獅子頭、小豆童 子は前場からそのまゝ出ばなしである。

お相撲人形は全部木の棒に人形の簡単な彫をしたもので頭髪は括り上げたように彫り、中には烏帽子のように見 えるものもある。やはり両手は動くように紐で胴の中に通し、腕の所で少しくの字になっているものが多い。足が つけてあって胴の部分から胴の棒が腰のあたりで少し曲められそのまゝ長く片脚は、握って操るように出来、これ にもう一方の片脚が、やはり動くようについている。

全部で24体、東西各から12体づゝ出ることになっているが大きさは区々、大体2種頭に分れ、稍大きい身長45 cm位の神像形をしたものと、稍小形の身長30cm位の頭が丸坊主形のものとある。古表では一体でとん神様の名 がついていたが古要では、名称はない。唯小形の1体に身体を褐色に塗ったものがあって、これを住吉大神と呼び、

一番強い力士とされていることは古表と同じである。襷が彫ってあって、色彩を施した跡がある(全部)。

相撲の出場は神舞のせり上りのような悠長なものでなく、東西に分れて、いきなり腰膜の上へ突出すとすぐ両方 から突張りとなって相手方を胸で押倒すような動作を繰返す。押倒された方が負けで、勝抜きとなり、負けた方が すぐ新手を繰出して、相手方を押しにかゝるので、楽屋裏の使手は仲々忙しい。1勝負毎に勝った方の側の小豆童子 は両手を拡げて喜ぶ様をし、負けた方の側の小豆童子は、一寸しょげた風に頭をうなだれる。その頭が獅子頭のす ぐ傍にあるので、あまりしょげた場合には、小豆童子は頭をよく獅子頭に咬まれている。

勝負は途中から西側の旗色が悪くなり入れ変り立変り出るが西側がよく負けて、最後に西方の横綱格の小柄な住 吉大社が出る。これがよく勝って、終には東方の2人を1度に負かしたり、東方総当りの12体程を相手に押合って、

とどのつまり住吉大社の勝となって神相撲は終了する。

いつの間にか神輿台の上に据えた小さな神輿には提灯の火が入っている。

舞台の囃子方をとりまいて見物していた村人達もこゝで一度引揚げて家に帰って夕食となる。午後7時半。

そのあとで舞台では引続き、福島の岩戸神楽が夜遅くまである由である。

宇佐山山田文書によれば元和3年(1617)8月15日の宇佐宮放生会には当社所属の傀儡師が上毛郡古俵社(小犬 丸)の傀儡師と共に出仕し、和間の浜の祭場で傀儡を舞わせたとある。このことは現存の唐櫃の萱裏に細川忠興が、

それまで数十年間停廃していた宇佐の放生会を再興し、元和3 年の放生会には当社の人形をことごとく新調したと ある。現在の人形も恐らく、その当時のものと推定される。

神事の起源については養老 3 年八幡軍が神軍を率いて日向大陽の軍人を征討した時、戦場にて伎楽を奏した故軍 に基くとも、また神功皇后三韓討伐のとき戦捷を祝して神々が舞い且つ相撲をとったことに始まるなど伝えている が、古要舞は降神のわざおぎを示し神相撲は神を楽しませるための余興を表擬するものでないか、といはれる。

(3)

雄山閣発行、講座日本風俗史第8巻、(大阪図書館571/435)半田康次、大分風土記、豊前古要宮の傀儡、より。

古要宮は息表帯比売命(神功皇后)とその妹廬空津(クグツ)比売命を祭神とする。

お人形を舞わせるうち 2 種あり。舞をするものを「古要舞」又は「細男(クワシオ)の舞」といゝ、相撲をとら せるものを「古要相撲」又は「神相撲」という。

祭日の当日午後、宮座の組のものが人形古舞わせるための舞台をつくる。まづ拝殿の4周に長押から幕を垂らし、

また廻縁の欄干のあたりに紅白の幕とシメナワを張りめぐらす。拝殿の正面前方には特にその両端に枝葉をつけた まゝの青竹を1本づゝ立て、これに榊を結びつける。青竹の横には木製の矛を1本づゝ立て、これに面を掛け面の 下に御幣をつける。更に2本の青竹の地上約2.5m位の箇所を結んで太い青竹1本を横に後し、この青竹に黒布(現 在は紫布)をかけて垂らす。踊子はこの幕の内に身体をかくし、青竹の上(手摺)を舞台として、人形だけを上に 突出して操る。見物人は拝殿のすぐ前の舞楽殿に坐って見物するのであるが、見物人の前面には、太鼓、笛、チャ ンガラの囃子方が陣取る。拝殿の内部は楽屋、新蓆を敷いて舞わせる人形を出番順に置並べる。

人形には(古要舞をする人形の方のみ)神衣を着せるが、この神衣は氏子や附近の村の人達がオンゴ(長男)が 生れたときサカシイ(健康な)ようにと必ず奉納し、また誕生、七五三祝などにも奉納したものである。

相撲人形は東西各12体、計24体あり、東の横綱格である「祇園さま」は55cmの大兵、西の横綱格「住吉さま」

は25cmの小兵である。24体ともマワシをしめた姿に彫ってありまた住吉さま始め他の2、3の神さまは髪はミヅ

ラに結ってあるが他の大部分は白い布のようなもので束ねて直立させた形に彫ってある。脚は片足(東方は右足、

西方は左足)だけは頭部、胴体と続く 1 本の木であるが他の方の片足と両腕は木釘で胴体につけてあって、動かす ことができる。

小豆童子は2体とも着衣の裾から手を入れて指先で頭と両腕とを直接操る式のもので、繰り糸はついていない。

獅子頭2体も口をパクパク開閉させるようにできている。

古要舞の登場順序(「」は人形胴体に、そのように墨書してあることを示す)。 1、清めの神さま。肩にかけた筒竹の汐水を笹で振振る

2、獅子頭 2面。

3、小豆童子 2体

4、「御幣持」 男神4体。御幣を打振る 5、「羯鼓打」。男女各1体。

6、大太鼓。小太鼓を持つ男神各1体

7、笛吹。笙吹の男神各1体

8、「七力神」男神4体。ひちりきを持つ囃子方の神さま。

9、「調拍子」男神2体 ちゃんがらを持つ囃子方の神さま。

10、「鉾持」男体2体 11、「御刀持」男神2体

12、神輿(これは人形でなく、このとき神輿を神輿台に据える)

13、「御太刀持」大太刀、小太刀の男神2体

14、「礒良の神」女神2体。もとは白のかつぎをかむっていたらしいが今は白紙をつける。古老がのりごとを唱 え、その間囃子方は奏楽を止める。

15、「細男舞」男神1体。白紙で面を覆っている。

16、「御幣持」男神2体

小倉へ伊藤田さんから、礼状が来ていた。いつでも遊びに来い出来る丈けのことはするとある。カラー写真がフ ラッシュオーバーで不良だったので、撮直しに行かねばならぬ。

参照

関連したドキュメント

として、アークを紹介している。伊佐さんのお話を付記すると、ウプヤーは、屋号で、大

【参考】 長田神社 古式追儺式の概要 (県指定重要無形民俗文化財) 長田神社 ホームページより

試験(受信)アンテナに平面波を照射ことが必要で あり,

その結果「見霊老」 (Der Geisterseher)という読者受けするスリラーを連載小

3

クレイグの"Ubermarionette"と舞台コンポジション

再雇用とは,高年齢者雇用の形態のひとつとして,定年に達した従業員がいっ

皿額田部地区の古墳