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III. 額田部地区の古墳(資料編 / 考古資料編)

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(1)

皿額田部地区の古墳

 額田部丘陵を中心として分布する古墳の数はさほど多くはない。しかし,当該地の在地勢力の消 長やいわゆる額田部氏の勢力系譜を考える上で重要なものである。  これらの古墳を編年すると第5期の松山古墳の出現を契機として古墳の築造がはじまるが,その 後に続く中期古墳の存在は明らかではない。後期になると狐塚古墳,推古神社古墳,船墓古墳など の前方後円墳が築造され,群集墳の形成とも関わって造墓活動が活発化するようである。ただ,推 古神社古墳については中期後半まで湖る可能性が残されている。また,来迎墓ノ間古墳群も木棺直 葬を主たる埋葬施設とする初期群集墳の可能性もある。これらの前方後円填は全長が40∼50m級の 中形前方後円墳である点も注意される。また,これらが一つの系譜に連なるものかどうかも不明で ある。この地域で最も新しい古墳は,横穴式石室を内部主体とする鎌倉山古墳であり,下限は7世 紀前半代であろう。その他,今日までに削平された古墳も存在したと思われる。図には明確に表現 され,現地比定に若干の問題が残されている石橋古墳もその一つである。額田部丘陵は地形的に独 立し,古墳分布も比較的把握しやすいが,この地域の特性を把握するには旧平群郡内の古墳やこの 地域の東側に接する旧山辺郡内の古墳の動向を含めて考察する必要があろう。 表1 額田部地区の主要古墳 9 石’ 診

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松山古墳 円墳 52  雑木林 円筒埴輪 2 西嶋古墳 円墳 32 雑木林 不明 3 船墓古墳 前方後円墳 不明 雑木林 円筒埴輪 4 鎌倉山古墳 円墳 20 畑 (消滅) 不明 5 推古神社古墳 前方後円墳 41 社寺林 円筒埴輪 6 狐塚古墳 前方後円墳 50 道路 円筒埴輪・形象埴輪 鏡,馬具,鉄刀,冠帽等 7 堀ノ内古墳 円墳 20 畑 円筒埴輪 8 南方古墳 円墳 23 宅地 (消滅) 円筒・形象埴輪 9 来迎墓ノ間古墳群 前方後円墳 円墳・方墳 一 墓地公園 円筒埴輪 10 (池ノ尻古墳) (円墳) (24) 工場敷地 (消滅) 不明 11 (石橋占』墳)     (前方後円墳) (50∼60) 宅地・畑 不明

(2)

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TK43 TK209 ●狐塚 ●笹尾 ●鎌倉山 ●藤ノ木 ■仏塚 竃烏土塚 ●三里

御坊山 ■ツボリ山 ■西宮2号 商三室山レ2号   灘 §麟i   ぶ÷ 神代 ■西宮1号 ■」二山2号 占墳の10期編年は,広瀬和雄「前方後円墳の畿内編年」(『前方後円墳集成 近畿編』,山川幽版社,1992年)による。 篇前方後円墳 ●円墳 ■方填

(3)

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額田部の古墳分布(黒塗:現存,白抜き:消滅,波線:推定)

(4)

1松山古墳

 額田部丘陵の南端部に位置する,墳丘径約52m,高さ約5.4mの二段築成円墳。1990年から1993 年にかけて,測量調査,トレンチ調査が実施された。  段築面には円筒埴輪を樹立,葺石を伴うが墳丘全面に密に葺かれていなかったようである。円筒 埴輪は川西宏幸氏編年のH期と皿期の中間的様相をもつ。中期初頭に比定される。  主体部は明らかではないが,墳頂部には大きな盗掘孔が穿たれており,遺存状態は良好ではない。

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図2 墳丘測量図とトレンチ配置図

(5)

築造時期からみて粘土榔と推定される。埴輪以外の出土遺物は知られていない。現時点では額田部 地区で最も古い時期の古墳である。 ジ

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写真1 松山古墳墳丘近景(北から) べ 蒸

遥 写真2 段築面の円筒埴輪列(第4トレンチ,束から)

(6)

2西嶋古墳

 松山占墳の北西約50mの地点に位置する円墳。墳丘 は県道住宅によって削平され,現状は方墳の呈をな す。墳丘の遺存状況は芳しくない。径約32mの円墳と 考えられているが、墳丘規模はもう少し大きく,松山 古墳と同程度の規模であった可能性もある。 出土遺物等はまったく知られておらず,現在のところ 築造時期は不明である。

3船墓古墳

額田部丘陵の北端部,北に向かって張り出し た舌状支丘に立地する。寺の裏道などによって 墳丘の大部分は破壊されているが,後円部,前 方部の一部が残る。調査例はない。 現状では正確な規模は不明であるが,後円部 は径20mほどと推定される。墳丘上から埴輪 片が採集されている。埴輪は川西編年第V期 のものである。葺石は伴わない。埋葬施設につ いては具体的には知れない。

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     写真3 西嶋古墳墳丘近景(北から) ぼ㎡臆 写真4 船墓古墳墳丘近景(南東から) 図3 船墓古墳採集埴輪・須恵器実測図   (S=1:3) 0 10cm

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(7)

ぷ著 導・. .・ × 写真5 鎌倉山古墳石室近景(南から)

4鎌倉山古墳

 額安寺五輪塔(重要文化財・建造物)の東側 丘陵上に存在した横穴式石室を内部主体とする 占墳。遺憾ながら昭和50年代後半に破壊されて しまった。出土遺物等については不明である。 残された写真からみると,比較的規模の大きな 石室であったようである。6世紀後半から7世紀 前半代の築造と推定される。この地域の横穴式 石室は本墳以外に知られておらず,現時点では 最も新しい古墳である。

5推古神社古墳

一 縫ご・  写真6 推古神社古墳墳丘近景(北から)  額田部丘陵の南裾部に立地する。眼下には大 和川が広がる。調査例はない。前方部を西側に 向け,全長約41m,後円部径約26m,同高約2m,

前方部幅約23m,同高約2mの規模である。後

円部,前方部の南半分は旧態をとどめていない。 埴輪を使用するが,葺石は伴わないようである。        シパ      

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10cm 図4 推古神社古墳採集埴輪・須恵器実測図   (S;1:3)

(8)

6額田部狐塚古墳

 額田部丘陵の西側末端部に立地する。大和中央道の下に後円部が保存されているが,前方部はす でに失われており,全体として古墳の旧態をとどめていない。1966年に墳丘部と埋葬施設が,1975 年,1983年に周濠部が調査されている。  前方部を南に向け,全長約50m,後円部径約26.5m, lril高約5m,前方部幅約36 m,同高約5.5m の規模である。墳丘の東側のくびれ部から前方部にかけて円筒埴輪列が検出されている。葺石はな く,段築の状況も明らかではない。  埋葬施設は,後円部の中心より少しくびれ部よりの地点で,墳丘の主軸に直交する組合式木棺が 2基検出されている。南北棺は同じ墓墳に収められており,同時埋葬であり,両棺とも東頭位であ る。棺の周囲と上部を粘土で被覆する。北棺は長さ約4m,幅約0.8mで,東側の頭部想定位置から は画文帯二神三獣鏡冠帽とみられる金銅片と無孔のガラス玉が,頸部からは號珀製棄玉と銀製空 玉を交互に配した頸飾り,またその両側からは金製細環の耳環が出土している。棺の両側には鉄刀 と鉄剣がそれぞれ1[ずつ置かれ,棺の西側には控甲札,鉄嫉,馬具などが一括して副葬されてい た。また,北棺の下には須恵器の壷を収めた土坑が検出されている。南棺は長さ約3.9m,幅約0.6m で,管玉とガラス玉を配した頸飾り,銀製細環の耳環,西側には鉄鍛が多数副葬されていた。 写真7 額田部狐塚古墳空中写真(S−1:1,500,1963年撮影)

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    、’∫”jl 額田部狐塚古墳出土埴輪実測図(S=1:4)

(10)

7堀ノ内古墳

 西町環濠の北東端に位置する。墳丘のヒ部は削平されているが,径約20mの円墳である。墳丘上 から円筒埴輪が採集されている。無黒斑,偏平な突帯,小型の法量などの特色から川西編年第V期 に比定されるが、外面にB種ヨコハケが残存するように若ヤ揃段階の特徴も認められるので,第V 期の中でも占い段階であろう。 ロい       コ

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図7 堀ノ内古墳表採埴輪実測図(S=1:3) ,−    1、 →_∼{__ 1、      1/

8南方古墳

 西町環濠集落の南側約150mの平坦地で検出された古墳。墳丘はすでに削平されていたが,深さ 10∼20cmの周溝がかろうじて残されており,径約23 mの円墳と考えられている。  周溝内からは多量の埴輪が出土した。形象埴輪が豊富であり,とりわけ大刀形埴輪は類例の少な いものとして注目される。円筒埴輪は総じて無黒斑,外面一次調整タテハケのみ,という特徴があ り,川西編年第V期に比定される。       I l      修盤       l     l 1。、ご 図8 南方古墳出土埴輪実測図(S=1:6)

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20cm 図9 南方古墳出土埴輪実測図(S=1:4)

(13)

9来迎墓ノ間古墳群

 額田部丘陵の西側に広がる段丘面に立地する。  来迎墓ノ間古墳群は東支群(大利郡山市域)と西支群(安堵町域)に分けられる。東支群は,前 方後円墳1基,円墳7基,方墳1基の計9基が知られている。西支群は小規模な円墳5基から構成さ れている。4号墳は東支群ll|の1基である。1980年に大和郡山市が墓地公園造成に端を発して県教 育委員会が小規模な緊急調査を実施した以外に調査事例はない。現在,旧態はまったく知れない。 前方部を南に向け,全長約35m,後円部径約25m,前方部幅約15mとされている。出土遺物はまっ たく知られていない。古墳群全体が大和郡山市の公園墓地となっている。見学は自由にできる。 写真9 来迎墓ノ間古墳群陳支群)空中写真(1963年撮影)

(14)

10池ノ尻古墳

 狐塚古墳の北約300mの地点に存在した円墳。昭和30年代の大和郡山市都市計画図や航空写真か らみて径約24mの円墳と推定される。現在は工場敷地となっている。古墳である確証は得られてい ない。

11石橋古墳

 現地には古墳の痕跡を示す包弾形の地割が遺存し,小字名をとって石橋古墳と仮称する。残存す る地割の形態からみると,東側に前方部を向けた前方後円墳で,墳丘規模は全長50∼60m,周濠を 伴っていたと推定される。  額田寺伽藍並条里図の9条4里17坪に半載された大きな二重の半円が描かれているが,この石橋 古墳が該当するのではないかと推定される。出土遺物等はまったく知られていない。

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