【解説】
現 在 日 本 で は 睡 眠 に 不 満 を も つ 人 の 割 合 は20%以 上 に も な る.私 た ち は 内 因 性 睡 眠 物 質 で あ る プ ロ ス タ グ ラ ン ジ ンD2 やアデノシンによる睡眠誘発の情報伝達系をさまざまな遺伝 子操作動物を用いて解析し,睡眠覚醒調節の全体像を明らか にしてきた.さらに,実験動物の脳波測定システムを応用し て,睡眠覚醒調節作用をもつ天然素材の探索を進め,自宅で の睡眠測定が可能な人間用の携帯型脳波計を開発した.これ らの研究は睡眠の科学的な理解を深め,医療費の削減や国民 の公衆衛生に大きく貢献する.
日本人の眠りと睡眠研究における貢献
現代社会は極端に夜型化が進み,睡眠時間が著しく短 くなっている.たとえば,The Nielsen社の2004年の調 査では,日本,韓国,台湾の極東アジア3カ国の平日の 睡眠時間は一般成人の80%以上が7時間以下,約40%が 6時間以下である.これは,欧米人の80%以上が8時間 以上の睡眠を取っているのと対照的である.また,世界
の夜更かしトップ10のうち7つ(台湾,韓国,香港,日 本,シンガポール,マレーシア,タイ)がアジアの国と 地域であり,残り3つ(ポルトガル,スペイン,イタリ ア)はシエスタ(数時間の昼休み)のシステムをもつ国 である.つまり,極東アジアは「夜更かし」文化圏であ る.2006年に行われた日本大学の内山 真の試算では,
睡眠不足や不眠症による日本の経済的損失は年額3兆5 千億円であり,その多くが寝不足による生産性の低下が 原因である.2008年に行われた首都圏の成人2,000人を 対象とした睡眠時間の調査でも,平日は6時間以下の人 が約半数,5時間以下の人も18%であり,逆に,週末は 過半数が7時間以上,22%が8時間以上であった.つま り,平日は睡眠時間を削り,休日に睡眠不足を補う生活 を多くの人が続けている.現在,日本人の4 〜 5人に1 人が睡眠に問題を抱え,9人に1人が睡眠導入薬を常用 している.さらに,認知症やうつ病などの精神疾患と不 眠などの睡眠障害が密接に関係することも明らかになっ てきた.これらの睡眠問題を,現在の睡眠導入剤の投薬 だけで解決することは不可能である.食品や飲料,サプ リメントを含め,寝具の改良や睡眠の診断サービスなど を充実させ,医薬品以外の選択肢を増やす必要がある.
睡眠の調節メカニズムと睡眠 を制御する食品成分
裏出良博
Sleep Regulation Mechanisms and Sleep-Promoting Food Compo- nents
Yoshihiro URADE, 大阪バイオサイエンス研究所,筑波大学国際 統合睡眠医科学研究機構
一方,睡眠の基礎研究では日本人は数々の輝かしい業 績を上げている.たとえば,睡眠に関する科学的な研究 は1世紀前に始まったが,その創生期に,何日間も眠ら せなかったイヌの脳内に眠りを誘う物質が蓄積すること を世界で最初に証明したのは,1909年の名古屋大学の 石森国匡の報告である(1)
.また,近年になっても,1982
年,京都大学の早石 修(現・大阪バイオサイエンス研 究所,理事長)の研究グループがプロスタグランジン(prostaglandin ; PG) D2 による睡眠誘発作用を発見し た(2)
.さらに,1999年,米国サウス・ウェスタン大学
の柳沢正史(現・国際統合睡眠医科学研究機構,機構 長)らのグループは,前年に彼らが食欲調節に重要な神 経ペプチドとして発見したオレキシン (orexin) の機能 異常が,日中の異常な眠気や突発的な脱力発作を特徴と する睡眠障害であるナルコレプシー (narcolepsy) の原 因であることを突き止めた(3).そして,昨年,文部科学
省の世界トップレベル研究拠点 (World Premier Inter- national Research Initiative ; WPI) プログラムとして国 際統合睡眠医科学研究機構 (International Institute for Integrative Sleep Medicine ; IIIS) が筑波大学に創設さ れ,睡眠の基礎研究のための世界初の国際拠点として活 動を開始した.このように現在も睡眠の基礎研究では,日本は世界を牽引している.
脳波による睡眠判定と人間の睡眠特性
「睡眠は覚醒中に脳内に蓄積されるホルモン様の物質
(睡眠物質)により誘発される」という睡眠の液性調節
(humoral regulation) の概念は,約1世紀前に石森国 匡(1) やフランスの Henri Piéron(4) により提唱された.
彼らは,断眠犬の脳の抽出物や脳脊髄液を別の個体の脳 内に注入すると睡眠が誘発されることを実験的に証明 し,断眠中の脳内に蓄積する睡眠物質の存在を提唱し た.
彼らの報告は行動観察によるものであったが,その後 1924年に Hans Burger により脳波が発見されると,睡 眠研究に客観的な評価法が導入された.脳波は大脳の神 経活動に伴って発生する電気信号であり,その記録を electroencephalogram (EEG) と呼ぶ.脳波を測定する と,睡眠はレム睡眠とノンレム睡眠の2種類の成分で構 成されていることがわかる.1953年に Nathaniel Kleit- man らにより発見されたレム睡眠では,眠っているに もかかわらず大脳の一部が活動し眼球が動く.この特徴 を示す rapid eye movement の頭文字「REM」からレ ム睡眠と呼ばれている.夢はレム睡眠中に見る場合が多
い.一方,レム睡眠以外の睡眠はノンレム (non-REM)
睡眠と呼ばれ,意識がなくなり大脳の活動は著しく低下 する.ノンレム睡眠しか現れない短時間の仮眠でも頭が すっきりするので,ノンレム睡眠が脳の疲労回復に有効 であることがわかる.記憶や運動学習の定着にはノンレ ム睡眠が重要であることが知られている.
頭部に装着した電極で脳波を記録すると,覚醒時には 脳内のさまざまな神経回路が活発に活動するので,多く の周波数の波が重なりあった波形となる.そして,目を 閉じて眠り始めると視覚情報が遮断され,さらに眠りが 深くなり周囲の音を認識しなくなると聴覚情報も遮断さ れる.このように,眠りが深くなるにつれて脳波の構成 成分は徐々に単純になる.意識がなくなるノンレム睡眠 は,簡単に目覚める浅い眠りから,強い刺激でないと目 覚めない深い眠りまで,さまざまな段階があり脳波で区 別できる.そして,その脳波の特徴により,便宜上,4 段階に分けられる(図
1
A).第一段階では,覚醒時に見
られる高周波のアルファ波が減少し,低振幅のシータ波 が出現する.第二段階では Κ (カッパ)複合波や紡錘波(spindle) が現れる.第三段階では低周波のデルタ波が 増加 (20 〜50%) し,第四段階ではデルタ波が50%以上 となる.一方,レム睡眠では全身の筋肉は最も弛緩し て,筋電図は平坦になる.しかし,レム睡眠中の脳は部 分的に活発に活動し夢を見るので,脳波はシータ波が優 勢で覚醒時と同様の振幅を示し,急速眼球運動を反映し て眼電図に活発な信号が記録される.
図1Bに健康成人の一晩の睡眠経過を模式的に示す.
眠りは浅いノンレム睡眠で始まり徐々に深くなる.その 後に短いレム睡眠が続く.その後,再びノンレム睡眠が 始まり,徐々に深くなって短いレム睡眠が続く.この周 期は人間の場合,約90分ほどであり,一晩に数回繰り 返される.したがって,時差ボケの場合には1時間半ご とに目覚めたりする.その中で,深いノンレム睡眠の割 合は初めの周期に多いので,寝入りばなは起きにくい.
逆にレム睡眠は後の周期で長くなり,朝方,自分で作り 出した夢に驚いて目覚めたりする.
では,眠りはどのように調節されるのだろうか? 私 たちの日々の眠気の変化を説明する優れた理論として,
1982年,チューリッヒ大学の Alexander A. Borbely に より提唱された「2プロセス説」の模式図を図1Cに示 す(5)
.この説では,私たちの眠気は24時間の周期で変
動する体内時計の成分と,起きている間に蓄積して睡眠 中に減少する睡眠の恒常性の維持に関与する成分の2つ で構成される.そして,昼間は体内時計で支配される覚 醒レベルが高く,その刺激が低下して眠気の成分が増加する午後から夜に向けて眠気が増加する.眠気は寝付く 直前に頂点に達し,睡眠中に減少して,目覚めるときに は最も低くなる.徹夜をすれば眠気の成分は大幅に増加 して簡単に寝付けるし,睡眠不足が続けば眠気が十分に 下がりきらないので,日中から眠くなることをうまく説 明できる.この眠気の蓄積と解消に関与する物質を睡眠 物質と呼んでいる.この物質を突き止めることが世界の 研究者の目標になり,睡眠物質が蓄積しているはずのさ まざまな断眠動物を作製して,その脳や脳脊髄液,血液 などから睡眠物質を同定する研究が行われた.現在まで に報告されている数十種類に及ぶ睡眠物質の候補のなか で,筆者らが研究を進めているPGD2 は最も強力な睡眠 を起こす物質である(6, 7)
.
PGD2 とアデノシンによる睡眠覚醒の調節機構 私たちはマウスやラットなどの実験動物を使って,
PGD2による睡眠誘発の情報伝達系の解析を進めてき た.そのために開発した睡眠測定システムの概略を図
2
Aに示す.このシステムでは,赤外線ビデオで行動を 記録しながら,動物が自由に動ける状態で脳波と筋電位(electromyogram ; EMG) を測定してデジタル記録す る.また,必要に応じて,側脳室に留置したカニューレ を通じて,動物の脳内に薬液を持続的に注入することが できる.そして,脳波の周波数を解析して,動物のノン レム睡眠とレム睡眠を自動的に判定するコンピュー ター・ソフト「スリープ・サイン」も開発した(8)
.
この実験系を用いて明らかにした睡眠情報の伝達系を 図2Bに示す.睡眠物質としてのPGD2 は,脳を包むく も膜で産生され脳脊髄液に分泌されて,睡眠ホルモンと して脳内を循環する.その後,脳底部のくも膜に局在す るDP1 受容体を刺激して,第2の睡眠物質であるアデノ シン (adenosine) の分泌を促す(9)
.アデノシンは脳内
に拡散し,抑制性のA1 受容体を介してコリン系やドパ ミン系の覚醒中枢を抑制する(10).同時に,興奮性の
A2A受容体を介して,食欲や体温調節などのさまざまな 中枢が集まる視床下部の前部にある睡眠中枢(腹外側視 索前野,ventrolateral preoptic area ; VLPO)(11) を活性図1■(A) 覚醒,ノンレム睡眠,レム睡眠中の人間の脳波の変化.(B) 健康な成人の睡眠経過の模式図.(C) ボルベイ教授による
「2プロセス説」の模式図.右が徹夜の場合.
化する(12〜14)
.VLPOの活性化は,ガラニン (galanin)
やガンマアミノ酪酸 (
γ
-amino butyric acid ; GABA) を 神経伝達物質とする抑制性投射を介して,ヒスタミン(histamine) 系の覚醒中枢(結節乳頭核,tuberomam- millary nucleus ; TMN) を抑制する(15, 16)
.TMNはヒス
タミン神経系の起始核であり,脳脊髄全体に投射しH1 受容体を介してさまざまな覚醒中枢を活性化する.した がって,TMNの抑制は覚醒系全体を抑制して睡眠を誘 発する.そして,VLPOとTMNは動物の睡眠覚醒に伴 いフリップ・フロップ (flip‒flop) 機構により相互に活 性化される(17).
TMNにはさまざまな受容体が分布する.たとえば,
PGE2 の受容体の1種であるEP4 受容体が発現している ので,この受容体を刺激すると用量依存的に覚醒が誘発 される(18)
.また,TMNにはアデノシンをイノシンに分
解するアデノシンデアミナーゼ (adenosine deaminase)が脳実質で最も高濃度に存在し,A1 受容体も分布する.
その阻害剤やA1 受容体作動薬をTMNに投与すると睡 眠が誘発され,逆にA1 受容体拮抗薬の投与は覚醒を誘 発する(19)
.A
1 受容体はVLPOにも分布し,この睡眠中 枢 を 抑 制 的 に 制 御 す る.し た が っ て,A1 受 容 体 は VLPOとTMNそれぞれを局所的に抑制している.さら に,次に述べるオレキシンに対するOX2 受容体もTMN に分布する.オレキシンはヒポクレチン (hypocretin) とも呼ば れ,視床下部外側野に局在する神経ペプチドとして発見
され(20, 21)
,その脳内投与により食欲増進が起きること
から注目を集めた.そして,日中の異常な眠気や睡眠の 断片化,情動性の脱力発作などの症状を伴う睡眠障害で ある「ナルコレプシー」がオレキシン神経系の変性疾患 であることが発見され,覚醒の維持に重要な物質である ことが明らかになった(3, 22〜24)
.オレキシンの脳室内投
図2■マウスの睡眠測定系 (A) と 睡眠覚醒の調節機構 (B)(A) 右下に覚醒,ノンレム睡眠,レ ム睡眠時の典型的な脳波,筋電図お よび脳波の周波数解析(ファースト フーリエ変換)の典型例(4秒間)を 示す.(B) PGD2の合成系を緑,DP1
受容体をライトブルー,覚醒系を赤,
睡眠系を黒で示す.赤の矢印は活性 化,黒の破線は抑制を示す.
与は極めて強力な覚醒作用を示すが,ヒスタミンH1 受 容体の遺伝子欠損 (gene-knockout, KO) マウスでは全 く覚醒作用を示さない(25)
.オレキシン神経系はTMN
をはじめとするさまざまな覚醒中枢に投射し,その活性 化に関与するので,VLPOとTMNの相互スイッチの安 定化に寄与すると考えられる(26).現在,新たな睡眠薬
としてのオレキシン受容体拮抗薬の開発が進められてい る.この睡眠覚醒の調節系は,私たちの眠気が徐々に蓄積 することを説明できる液性の調節系と,入眠や覚醒が瞬 時に起きることと一致するシナプス系の調節を統合でき る優れたモデルである.さらに,私たちが眠りの調節に 利用しているさまざまな薬の効果をうまく説明する.た とえば,一昔前の風邪薬として使われていた抗ヒスタミ ン薬は脳内に移行しやすく,脳内で覚醒の維持に重要な
ヒスタミン神経系の情報を遮断することで,眠くなる副 作用を示す.その結果,現在では脳内移行性の高い抗ヒ スタミン薬は風邪薬として認可されない.逆に,その副 作用を利用した入眠促進剤が「ドリエル」である.ま た,ベンゾジアゼピン (benzodiazepine) 系睡眠導入薬 はGABAA 受容体を刺激することで,TMNを含む覚醒 系全体を抑制して睡眠や昏睡を起こす.さらに,カフェ イン (caffeine) はアデノシン受容体の拮抗薬として,
脳内での睡眠情報の伝達を遮断することで眠気を抑制す る.カフェインの覚醒効果については後に詳しく述べ る.
PGD2
・アデノシン系の生理的睡眠調節における重
要性PGD2(9) やアデノシンA2A 受容体作動薬(27) の脳内投
図3■プロスタグランジンD2 とアデノシンの生理的睡眠への関与
(A) 覚醒期(暗期)の野生型マウスの脳室内にPGD2 を持続投与すると,睡眠期(明期)の最大睡眠相当するノンレム睡眠を誘発する.
(B) 睡眠期(暗期)のラットの脳内にDP1 拮抗薬を持続投与すると,ノンレム睡眠とレム睡眠が抑制される.(C) カフェイン (15 mg/kg)
を腹腔内に投与すると,野生型マウスやA1 受容体KOマウスは,投与後2時間程度,完全な覚醒状態になるが,A2A 受容体KOマウスの覚 醒量は増加しない.(D) A2A 受容体をラットの側坐核核部から欠損させてもカフェイン (15 mg/kg) 投与後の覚醒は3時間程度続くが,側 坐核の殻部から欠損させると,その覚醒効果は1時間弱に低下する.
与は,覚醒期に投与しても,睡眠期の最大睡眠に匹敵す る睡眠を誘発する.そして,この睡眠誘発はDP1 受容 体やA2A 受容体の欠損マウスでは全く起きないので,
完全にこれらの受容体に依存した反応である(図
3
A).
しかし,これらの遺伝子欠損マウスの睡眠時間は野生型 マウスと基本的に変わらない(図3A, C).したがって,
これらの遺伝子欠損の睡眠への影響は,発生の段階でほ かの遺伝子により代償性に補完 (genetic compensa- tion) されると考えられる.そこで,これらの睡眠物質 の生理的な睡眠への効果は,その合成酵素阻害剤や受容 体拮抗薬を用いて検討した.
PGD2 の合成酵素 (PGD synthase ; PGDS) には,リ ポカリン型 (lipocalin PGDS ; L-PGDS) と造血器型 (he- matopoietic PGDS ; H-PGDS) の2種類が存在し(28〜30)
,
ともにSeCl4 により阻害される.野生型マウスにSeCl4 を投与すると,脳内PGD2 含量が用量依存的に低下し,投与直後1時間では完全な不眠状態になる.このSeCl4 による睡眠阻害はH-PGDS欠損マウスでも起きるが,L- PGDSやDP1 受容体の欠損マウスでは全く認められな い(31)
.この結果は,SeCl
4 による睡眠阻害はL-PGDSに よるPGD2 の産生阻害によることを示している.さら に,DP1 受容体の集中する前脳基底部のくも膜下腔に DP1受容体の拮抗薬ONO4127Naを投与すると,ラット の睡眠時間は用量依存的に抑制された(31) (図3B).これ
らの結果は,L-PGDSにより作られるPGD2 がDP1 受容 体を刺激することで生理的な睡眠が維持されることを示 している.カフェインはコーヒー,茶,コーラなどの飲料の主成 分であり,世界で最も大量に消費される覚醒作用をもつ 物質である.その覚醒効果は歴史的に知られていたが,
その作用点は永らく不明であった.スウェーデンのカロ リンスカ研究所のBertil B. Fredholmらの研究により,
私たちが日常的に摂取するカフェインの脳内移行量で影 響を受けるのはアデノシン受容体であり,A1 とA2A 受 容体にほぼ同等の親和性で結合する拮抗薬として作用す ることが判明していた(32)
.2005年,私たちはFredholm
らの作成したA1 受容体欠損マウスと米国ボストン大学 の Jiang-Fan Chen らの作成したA2A 受容体欠損マウス にカフェインを投与して,その覚醒作用を比較した(33).
人間がコーヒー3杯を飲んだ場合に相当するカフェイン 15 mg/kgを睡眠期のマウスに投与すると,野生型マウ スやA1 受容体欠損マウスでは投与後2時間程度,完全 な不眠状態になったが,A2A 受容体欠損マウスでは覚醒 効果は全く見られなかった(図3C).この結果は,カ
フェインの覚醒作用にはA2A 受容体が必要であり,内因性のアデノシンがA2A 受容体を刺激することで生理 的な睡眠が維持されることを示している.
抑制性のA1 受容体は脳のさまざまな神経核に幅広く 分布するが,興奮性のA2A 受容体は大脳基底核 (basal ganglia) に局在している.この部分は大脳と視床,脳 幹をつなぐ領域であり,運動機能や認知機能,感情,動 機づけや依存性等のさまざまな中枢を含んでいる.この 領域に含まれるカフェインによる覚醒誘発に必要な神経 核を同定するために,Cre/loxP法を用いたコンディ ショナル遺伝子操作 (conditional gene-manipulation)
や,A2A 受容体の short-hairpin RNA (shRNA) を搭載 し た ア デ ノ 随 伴 ウ イ ル ス (adeno-associated virus ; AAV) によるRNA干渉 (RNA interference) 法を用い て,A2A 受容体の局所的な遺伝子欠損を行なった.その 結果,ラットの側坐核 (nucleus accumbence ; NAc) の 殻部 (shell) からA2A 受容体を除くと,カフェインの覚 醒反応が消失したが(図3D右)
,線条体 (striatum), 尾
状 核 被 核 (caudate putamen), 側 坐 核 の 核 部 (NAc core), 嗅結節 (olfactory tubeculum) などのほかの部分 のA2A 受容体を欠損させても,その覚醒反応には影響 はなかった(図3D左)(34).この結果は,
「動機づけ」行 動の中枢として知られていた側坐核殻部 (NAc shell)に,従来から知られていた視床下部とは別の新たな睡眠 中枢が存在することを示している.私たちはどんなに眠 くても,興味のある映画を見始めると眠気が飛んでしま うことを経験するが,この新たな睡眠中枢は,そのよう な現象に関与するのだろう.大脳基底核のGABA作動 性神経には興奮性のA2A 受容体と抑制性のドーパミン D2 受容体が共存してドーパミン神経系の間接経路 (in- direct pathway) を構成するので,従来からパーキンソ ン病の病理学から注目されてきたが,覚醒調節にも極め て重要であることが明らかとなった(35)
.
睡眠覚醒調節サプリメントの開発
実験動物の睡眠測定システムは,睡眠覚醒調節作用を もつハーブや食材の有効成分の探索や作用機構の解明に も役立つ.特に,動物の場合には有効成分が入っていな い偽薬でも薬を飲んだという心理的な期待感で効果が出 てしまうプラセボ (placebo) 効果がなく,食習慣や生 活習慣の違いも無視できるので,人間での試験に比べ正 確な結果が得られる.そこで,睡眠覚醒調節作用をもつ 飲料やサプリメントの開発を目指す国内外の多くの企業 が,私たちの睡眠測定システムを利用して睡眠誘発効果 をもつ天然成分の探索に成功している.
そのいくつかを図
4
に示す.たとえば,リラックス効 果のあるハーブティーとして人気のある「バーベナ(Verbena)」(和 名:ク マ ツ ヅ ラ, ) に含まれるイリドイド (iridoid) 配糖体のハスタトシド
(hastatoside) とバーベナリン (verbenalin) は,経口投 与により覚醒時のラットのノンレム睡眠を数時間にわた り増加させる(36)
.また,健康アミノ酸として市販され
ているオルニチン (ornithine) も,経口投与でマウスの ノンレム睡眠を増加させる(37).その効果は,睡眠改善
サプリメントとして市販されているグリシン(glycine,商品名グリナ)よりも強力だが,服用後の比較的短い時 間に限定され,用量を増加すると逆に睡眠を阻害する.
さらに,ブイヤベースやパエリアに欠かせない香辛料で あるサフラン ( L.) の薬効成分であるク ロシン (crocin) やクロセチン (crocetin) も,マウスの ノンレム睡眠を数時間にわたり用量依存的に増加す る(38)
.そして,糖転移クロシンは経口吸収性や安定性
が向上し,より低用量でノンレム睡眠を増加させる.また,クロシンの別の薬効成分であるサフラナール (saf- ranal) は,単独では睡眠に影響を与えないが,低用量 のペントバルビタール (pentobarbital) との併用により ノンレム睡眠を増加させる(39)
.さらに,沖縄で「眠り
草(ニ ー ブ イ グ サ)」 と 呼 ば れ る ア キ ノ ワ ス レ グ サ( var. ) に含まれるオキ シピナタミン (oxypinatanine) という特殊なアミノ酸 も,経口投与でノンレム睡眠を増加する(40)
.
さまざまな漢方や薬膳素材の睡眠改善効果の検証も進 んでいる.漢方素材「厚朴」(和名:ホウノキ,
)の成分であるホノキオール (honokiol)(41)
やマグノロール (magnolol)(42) がGABAA 受容体のベン ゾジアゼピン結合部位に作用してノンレム睡眠を誘発す ることが明らかになり,中国ハーブとして人気のある山 芙蓉 ( Diels) の有効成分であるステ フォリジン ( -stepholidine)(43) や,シャクヤク (
) 樹皮の主な生理活性成分であるペオ ニフロリン (paeoniflorin) によるノンレム睡眠増加も確 認された.今後もさまざまな天然素材から睡眠覚醒の調 節作用をもつ成分が同定され,その作用機構が明らかに なるだろう.これらの成分を組み合わせた居眠り防止や 入眠促進,中途覚醒の抑制,熟睡率の増加などの効果を 示す飲料やサプリメントの開発が期待される.
携帯型脳波計と睡眠の自己診断システムの開発 これらの快眠サプリメントの開発で問題となるのが,
消費者がその効果を実感しにくいことである.たしか に,私たちは眠ってしまうと意識がなくなり,起きてか ら自分が眠っていたことに気がつく.睡眠時間は時計で 判断できるが,睡眠の深さや質が良くなったことはどう すればわかるのだろうか.問診で不眠を訴える人が実際 はよく眠っていたり,逆に,十分眠っていると主張する 人が睡眠時無呼吸症候群で,一晩中,浅い睡眠しか取れ ていないなど,睡眠に対する主観と実際の睡眠内容が大 きく違う場合も多い.
現在,睡眠障害の診断には,病院に1泊して脳波,眼 球運動,筋電位,呼吸,いびきなどを測定する終夜睡眠 ポリグラフ (polysomnography ; PSG) 検査が行われる.
しかし,このPSG検査は拘束感が強く,日常の睡眠を 測定する目的には不適当である.一般人の日々の睡眠を 測定するには,自宅や旅先で簡便に使える測定法が必要 である.そこで,実験動物の睡眠測定システムを応用し て世界最小レベルのポータブル脳波計を開発して(図
5
A),この装置の貸し出しと睡眠判定サービスを行うベ
図4■睡眠改善効果をもつ天然素材とその成分睡眠誘発効果をもつ天然素材と有効成分およびノンレム睡眠効果
(白カラムは溶媒投与日,黒カラムは成分投与日の睡眠量を示す)
ンチャー企業を設立した.すでに,睡眠改善サプリメン トの開発を目指す多くの企業がこのサービスを利用して いる.さらに,複数の企業が携帯型脳波計の開発に参入 している(44)
.
この携帯型脳波計は,南極昭和基地の越冬隊員や国際 宇宙ステーションの無重力空間に長期滞在した古川 聡 宇宙飛行士の睡眠測定にも利用された(44) (図5B)
.これ
らの実証試験を通して,より簡便で信頼性の高い装置へ の改良が進めば,多くの人命を預かる飛行機の操縦士や 列車やバス,運送トラックの運転手の勤務前日の睡眠を 管理することで,居眠り事故を防ぐことができる.睡眠 測定に基づいた科学的な睡眠環境の適正化が,早朝勤務 や深夜勤務,シフトワークが必要な労働者の健康管理に は必要である.さらに,人間ドックや健康診断に睡眠測 定を取り入れることで,睡眠導入薬の不必要な服用が避 けられ,医療費の削減や国民の公衆衛生に大きく貢献す る.一方,睡眠障害はうつ病や循環器系の病気などの引き 金になる.この装置を用いれば,うつ病などの精神疾患 で最初に現れる不眠症状を簡単に計測できる.日本では
以前から自殺の多さが問題とされ,「うつ病」などの精 神疾患への対策の必要性が叫ばれ,一昨年,5大疾患に
「精神疾患」が追加された.不眠はうつ病などの精神疾 患の必発症状であり,うつ病は不眠を引き起こし,不眠 はうつ病を急速に悪化させる.現在,東日本大震災の被 災地ではストレス性不眠に悩む人が増え,その対策が急 務となっている.この携帯型脳波計は,ストレス性不眠 の早期発見や治療にもたいへん有効である.快眠サプリ メントによる睡眠改善はその対策としても期待される.
在宅での睡眠測定が普及すれば,何度のお風呂でよく 眠れるのか? どの程度の運動なら睡眠を邪魔しないの か? 自分は本当に眠れているのか? 病院でもらった 睡眠薬は本当に効いているのか? 自分に向いた寝具や 睡眠改善サプリメントは何か? これらの多くの疑問に 自分で答えることができる.快適な睡眠は国民の生活の 質を改善し,生産性を大幅に向上させる.
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図5■携帯型脳波計の装着図 (A) と古川宇宙飛行士による国際 宇宙ステーションでの装着試験(B : JAXA提供)
30) W. Smith : , 111, 5821 (2011).
31) W. M. Qu : , 103, 17949
(2006).
32) B. B. Fredholm : , 51, 83 (1999).
33) Z. L. Huang : , 8, 858 (2005).
34) M. Lazarus : , 31, 10067 (2011).
35) M. Lazarus : , 35, 723 (2012).
36) Y. Makino : , 7, 211 (2009).
37) K. Omori : , 10, 38 (2012).
38) M. Masaki : , 56, 304 (2012).
39) Z. Liu : , 18, 623 (2012).
40) Y. Ogawa : , 10, 40 (2012).
41) W. M. Qu : , 167, 587 (2012).
42) C. R. Chen : , 63, 1191 (2012).
43) M. H. Qiu : , 94, 16
(2009).
44) 裏出良博:睡眠医療, 6, 366 (2012).
プロフィル
裏出 良博(Yoshihiro URADE)
<略歴>1976年大阪府立大学農学部農芸 化学学科卒業/1982年京都大学大学院医 学研究科博士課程単位取得後退学/同年日 本学術振興会奨励研究員/1983年医学博 士号取得(京都大学)/同年4月京都大学 医学部医化学第一講座研究生/同年10月 新技術開発事業団・早石生物情報伝達プロ ジェクト(研究員)/1987年大阪バイオサ イエンス研究所酵素代謝部門(研究員)/
1988年米国ロッシュ分子生物学研究所客 員研究員/1990年日本チバガイギー国際 科学研究所(主任研究員)/1993年大阪バ イオサイエンス研究所分子行動生物学部 門(副部長)/1998年同研究所分子行動生 物学部門(研究部長)/2013年筑波大学国 際統合睡眠医科学研究機構分子睡眠生物学 教室(教授)<研究テーマと抱負>私は大 阪バイオサイエンス研究所 (OBI) の創立 メンバーとして設立に参加し,研究所開
設1年後から数年間,米国と国内の製薬企 業の研究所で勤務した後,再度,当研究所 の副部長として着任した.したがって,研 究者として最も充実した40代と50代を当 研究所で過ごすことができた.この間,内 因性睡眠物質および炎症物質として機能す るプロスタグランジン (PG) D2の生理機 能を,その合成酵素の構造解析や遺伝子操 作マウスの機能解析に基づき追跡してき た.その結果,睡眠覚醒調節の情報伝達系 を明らかにし,アフリカ睡眠病やリーシュ マニア症,シャーガス病などの病原寄生虫 が哺乳類とは異なる代謝系でPG類を産生 することや,造血器型PGD合成酵素の阻 害剤が治療法のないデュシェンヌ型筋ジス トロフィーの進行抑制薬となることを見つ けることができた.これらは,アジア,ア フリカ,欧米を含め世界16カ国から私の 研究室に参加した数十名の研究者やポスド クの汗と涙(と笑い)の研究成果である.
OBIでの20年を顧みて,専門性を追求す ることの重要性とともに,目的達成に必要 な分野へは躊躇なく踏み込む勇気が必要な ことを痛感している.科学者には学際的な 感性を磨くことが最も重要だと思う.この ような自由な研究環境を提供していただい たOBIの関係各位,特に,日英2か国語で の事務作業と研究業務を円滑に進めていた だいた分子行動生物学部門の秘書と技術員 の方々に感謝します.現在は研究場所を筑 波大学・国際統合睡眠医科学研究機構に移 し,睡眠の基礎研究を継続するとともに,
60代の第2の研究人生を利用して,新たな 寄生虫感染症予防薬や筋ジス治療薬の臨床 試験に向けて一層の研究の飛躍を目指して います.夢と勇気のある学生諸君の来訪を 歓迎します<趣味>さまざまな国内外の学 会に参加して「食べ歩き」と「飲み歩き」
を楽しんでいます