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江崎家の近代

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Academic year: 2023

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1. 1888 年 4 月 5 日付けの江崎金次郎の嘆願書の写し。 2. 1888 年 8 月 5 日付け福尾の森竹半十郎の江崎金次郎宛て。 8. 1898 年 10 月 14 日付けの福尾半十郎の江崎金次郎宛て。

11. 1907 年 2 月付けの福尾家当主から江崎文次郎への「安宅」免許証。大阪の中村弥三郎家とともに福王流の伝統を守った功労者であり、「江崎は姫路にあり」昭和19年。 1993 年 6 月 22 日付け、福尾盛人から江崎金次郎への手紙。

1420.昭和七年十二月十五日付茂山久治より江崎直康あて書簡

15 近代の名人と称された観世流シテ方の初世梅若万三郎(明治元年~昭和 21 年〔1868~

1623.昭和十三年五月一日芸術院会員古稀祝賀・京都万謡会満十五周年記念能楽大会番組

16 23. 1945 年 5 月 1 日、芸術院の最も稀有な会員を讃え、京都万葉会 15 周年を記念した能楽コンテストプログラム 18 25. 1940 年 9 月 13 日消印付き 梅若万三郎から江崎直へ 康宛の手紙。

1825.昭和十三年九月十三日消印梅若万三郎より江崎直康あて書簡

恋宿と石橋の概要を掲載。後半には、大阪万葉会と大阪梅友会の会則と入会申込書が記載されています。20 1931 年 9 月に満州事変が勃発すると、日本は長期にわたる戦争の時代に突入しました。

20 昭和6年(1931)9月に満洲事変が勃発すると、日本は長い戦争の時代に突入します。

22 片面に天津神社遷座祭の能楽プログラム、もう片面に皇軍英雄を讃える能楽プログラムを両面印刷。

22 一面に天津神社御遷座祭奉納能楽番組、もう一面に皇軍勇士慰問能楽会番組を掲載した両面刷り

23にあてて北京から送った絵葉書。この時直久は

24れた華北演能旅行の詳細な報告。「第九世欽次朗直康芸歴」(展

2539. 中国への渡航理由と身分証明書の申請、1945年9月。

2539.昭和十七年九月付渡支身分証明願・渡支事由証明願

26 太平洋戦争終結後、江崎家は能楽の復興に乗り出した。江崎家旧蔵資料には以下のようなものがあります。

26 太平洋戦争が終結すると、江崎家の人々は能楽復興に乗り出します。江崎家旧蔵資料には、

年代以降の能番組が複数点所蔵され、9世江崎金次郎直康と息子の直質が京阪神の 舞台に出勤しながら、多くの門弟を育成した様子がうかがえます。昭和 37 年(1962)

年に 10 世江崎金治郎を襲名した直質は、昭和 46 年から始まった姫路薪能に協 力して地元に貢献する一方、関西ワキ方の重鎮として認められるようになり、昭和 50 年

27 36. 2015 年 12 月 22 日、片山弘通氏と江崎金次郎氏の簡単な説明。

2736.年未詳十二月二十二日付片山博通より江崎金次郎あて書簡

28った。なお、本資料については『神戸女子大学古典芸能研究センター紀要』11 号に翻刻が載る。

28点ありました。この資料の再録は、『神戸女子大学古典芸能研究センター紀要』第11号に掲載されました。

29の向上、古典の再認識、能楽による生活文化の向上等あらゆる部面よりの多角的研究による能楽普

3145.昭和五十年八月二日第五周年記念姫路薪能番組

31 45. 姫路薪能5周年記念事業 1975年8月2日開催 笛:森田光治 小太鼓:宗一正博 大太鼓:谷口清三 太鼓:小寺俊三 世話人:種田次郎、広田泰造、重本省三 地歌:家主二代目金剛巌、副家主今井育三郎。

金剛永琴、広田政吉、谷口宗良、今井清隆、宇高道成。 46. 豊島弥左衛門より江崎金次郎宛書簡、昭和50年7月22日付、B5変型縦型、罫線便箋3枚、昭和50年(1975年)写し 旧江崎家所蔵、昭和50年7月22日付、金剛流シテ方京都在住の豊島弥左衛門(のち人間国宝)が福翁流十代脇方直継江崎金次郎に宛てた封書。縦に並んだ洋紙3枚に黒のサインペンで書かれている(ただし、『葵の上 無明の祈り』制作上の注意事項は緑と赤のサインペンも使用した)。直正はまず、同年9月18日に収録予定だった「テレビ能」への出演依頼を快諾したことへの感謝の意を述べ、収録予定の能について質問した。

『葵の上 無明の祈り』を演出する際の注意点を一つ書いておきたいと思います。この能は、同年10月10日にNHK教育『能』で放送され、その録画映像がDVD『能名演集「黒塚」「葵上」』としてNHKエンタープライズ出版から発売された。 。'' 終了した。出演者には、直継(脇)と息子の康雄(脇ツレ、後の江崎金次郎 11.)など、関西の著名なアーティストが名を連ねています。 47. 1975 年 8 月 31 日付け。豊島弥左衛門から江崎金次郎への手紙。 B5変形縦型 罫線便箋2枚 1975年(昭和50年) 旧江崎家蔵 1975年8月31日付 京都在住の金剛流シテカ豊島弥左衛門筆(故人間国宝直筆) )から10代江崎直継金次郎へ。縦編み洋紙2枚に黒のマーカーで書かれています。この書簡は、「昭和50年7月22日付豊島弥左衛門より江崎金次郎宛書簡」(第46号証)と併せて送付されたもので、9月に京都観世会館で開催された「テレビ展」において放映された。同18年。 「能」の収録につきましては、当日のスケジュール、演目「葵の上をむくのこり」の曲目、注意事項などをお知らせいたします。この能は、同年10月10日にNHK教育テレビの能番組で放送され、NHKエンタープライズ出版DVD『能名演集「黒塚」「葵上」』に収録された。

3348.「関寺小町」脇セリフ

34と演能年月日が記され、本資料はその時に作成されたものらしい。「姫路市立神南中学校」と印字さ

35 九代目江崎直泰(金次郎)は、江崎家と福翁派の歴史を丹念に調査し、その内容を出版した。

35 9世江崎金次郎直康(欽次朗)は、江崎家および福王流の歴史を丹念に調査し、その内容

表紙裏には「江崎家系譜」、1ページ目前から3ページ目裏にかけて「江崎家略記」が掲載されている。九代目江崎金次郎江崎直康が作詞・創作したもので、「二十」という序文が付いているので、 1965 年 5 月」、同年 10 月 14 日に開催されました。北海道開基300年記念歌唱式典で印刷されて関係者に配布されたのでしょうか?同冊子は2冊展示されており、そのうちの1冊には「江崎家本」の巻末「江崎金次郎直安」の項目に10代金次郎直安の直筆のシールが貼られており、内容は以下の通り。改訂B5縦判、冊子、1冊、昭和38年発行、旧江崎家蔵、脇方福翁流と江崎家の歴史を記した冊子。ラフな紙2枚に印刷されています。終わり。

37は、『生誕300年記念 江崎芸道家随筆集』(甲第54号証)刊行の翌年である「昭和40年9月」の年表である。

37に「昭和三十八年九月」の年記があり、「三百年記念芸道江崎家小譜」(展示番号 54)を刊行した翌

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が,華北ではなぜ対訳法と見なされる傾向があっ たのか,また,占領地における直接法の有効性に ついて,常に日本語教育の現場にいた実践家はど う捉えていたかを,彼らの書き残した文献や興亜 院の報告書から明らかにしたい。そして,実践家 ではないが,植民地政策に詳しく,教育の現場を 訪れ詳細な現地調査を行っていた矢内原の視点と の共通点を検証する。

次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 ( 12 点) 「戦国策」より 問一 ぞ 1 とある、この語の他に用いられている係りの助詞を、本 文中から二字で抜き出して書け。 問二 さ 2ぶらひて を現代かなづかいに改め、ひらがなで書け。 問三 音 3せざりき の「音」とは具体的に何か。十字以内で書け。 問四