東北地方における地下資源と製造工業
渡 辺
四郎
1.序
東北地方において地下資源の賦存状態が製造工 業の発達にどのように関係したかについては別に しの
報告したが,.本論はさらに詳細な事実を記録に止 める意味で論述する.
わが国の主な地下資源をその産出量によってみ れば第1表に示すように,金属鉱物としては鉄・
砂鉄鉱,銅鉱,鉛・亜鉛鉱,硫化鉄鉱等,非金属 鉱物としては石灰石,硅石・硅砂,ドロマイト,
ろう石,耐火粘土等をあげることができる.
金属鉱物の生産量は1900年以降は年代ごとに増 加する傾向にあったが1960〜270年代に生産量のピ ークがあり,その後は停滞している.これに対し て海外鉱の輸入量はこの時期に急増し,1972年に おいて,鉄鉱石にあっては消費量の95%以上,
銅,亜鉛,鉛鉱においても消費量の50〜70%に達 している.これによってみれば海外鉱の利用率が 鉄鉱石を除いては極めて低かった1950460年代以 前とその後の時代とにおいては,国内地下資源の 製造工業原料として持つ意味が大きく異なったと 考えられる.
非金属鉱物の生産量は1950年以前は統計が未整 備で明らかでないが,その後は石灰石,硅石・硅 砂,耐火粘土等の生産量が急増している.これら 非金属鉱物の輸入量はまだ少ないので,国内資源 の原材料として持つ意味は1970年現在においても 大きいと考えられる.
次に東北地方における各鉱物産出量の対全国比 を第2表に示した.もし各鉱物資源の賦存状態が 全国均一であると仮定すれば,鉱石の産出量はほ ぼ面積に比例することになる.東北地方の面積は 全国のおよそ18%であるから,鉱石の産出量もお よそ20%前後あって良い筈である.この単純な想 定を基準とすると,各年代を通じて,鉄・砂鉄,
硫化鉄鉱,鉛・亜鉛鉱,銅鉱は基準以上に東北地 方から産出される.金,銀,マンガン等の対全国 比は低い.これらの鉱石量を金額で表示した場合
の合計量はおおむね全国の35〜49%であるので,
面積にくらべて東北地方は鉱産物に富んでいると みなされる.
これに対して金属そのものの生産額について対 全国比を求めると,1940年当時は鉱産物の対全国 比と大きな違いはないが,1950年以降には両者の 乖離がめだってくる.特に統計上,金属精錬業の 生産額が単独に示されないで鉄鋼業,非鉄金属工 業の中に包括されるようになった1960年以降は金 属,鉱石両者の生産額対全国比の相違は極めて大 きいのである.この事実は統計の性格上,厳密に は比較できないとしても1950〜60年以後は鉱産物 の所在地そのもので金属生産が行なわれるとは限 らなくなったことを示している.そして1960年以 降は海外鉱の輸入が急増して行く時期でもあり,
東北地方においても,地域内にある資源の製造工 業に対して持つ意味は小さくなったと予想される.
このような過程をふまえて,本論は主として地下 資源と製造工業との関係が密接であったと思われ る1950〜60年代以前の事実に重点をおいて述べた.
II.主要鉱産物の生産地
主な金属鉱物ごとに県別生産額をみると,いず れの年代においても銅は秋田,鉄は岩手,鉛,亜 鉛は宮城県において過半量が生産される.
鉱山の消長は極めてはげしく,一時点の検討だ けでは不充分であるので1900年以降,1920, 40, 55,
70年等の年次において検討しぜ1秋田県鹿角地方 (米代川上流)は何時の時代においても大規模な 非鉄金属鉱山の集中地域である.これに次ぐ非鉄 鉱山の集中地域は岩手県和賀川中上流地域である.
ただし此の地域には鹿角地方のような大規模鉱山 は存在しない.鉄鉱山は岩手県釜石,鉛・亜鉛鉱 山は栗駒岳南麓の細倉に孤立的に存在する.この 外にも山形県朝日山塊,福島県会津地方等にも小 鉱山は見られるが大規模なものはない.主な鉱山
を中心にして主な鉱石の産出状態を述べる.
131 (1)銅
第1表 わが国における鉱産物の生産量
国勢社:日本国勢図会.各年度版による 1935年 1950年 1955年 1960年 1970年 1972年 硫化鉱 (万トン) 137.9 191.6 273.6 369.2 446.3 259.0
マンガン鉱 〃 7.2 13.4 20.2 32.3 27.0 26.1
鉄 〃 〃 51.6 82.2 98.7 129.0 86.2 79.9 砂鉄 〃 〃 0.6 一 58.0 156.4 71.2 54.8
精鉱量
クローム 〃 〃 4.3 『 2.7 6.7 3.3 2.5
タンク次テン(重石)〃〃 0,005 一 0.08 0.08 O.1 0.2
モリブデン(水鉛)〃〃 0,000 一 0.04 0.07 O.05 0.04
チタン 一 一 一 0.5 0.3 一
金 属 鉱 物
『)ん 〃 〃 10.2
亜鉛 (万トン) 3.4 5.2 10.9 15.7 28.0 28.1
鉛 〃 0.7 1.1 2.6 4.0 6.4 6.3
銅 〃 7.1 3.9 7.3 8.9 12.0 11.2
すず 〃 0.2 0.04 0.09 O.09 0.08 0.09
精鉱中の含有量
水銀 〃 0,000 0,005 0.02 O.02 0.02 0.02
アンチモニー 〃 一 一 0.03 0.03 一 一
金 (トン1 13.1 4.5 7.5 8.1 7.9 7.6 銀 〃 188.6 123.3 185.0 215.0 351.3 312.5
カオリン (万トン) 1.2 2.1 22.1 一
硫黄 〃 16.5 9.2 20.3 24.8 34.2 50.0 石灰石 〃 1300.5 1072.6 2122.2 3851.9 11623.0 13419.7 耐火粘土 〃 38.4 53.8 78.8 117.3 114.3 石こう 〃 0.6 33.9 73.5 53.9 45.9 、つ石 〃 一 一 20.8 72.9 153.9 一 けい石 〃 一 一 121.3 229.2 710.3 766.8 けい砂 〃 一 一 一 161.5 402.5 492.9 非 金 属 鉱 物
精鉱量
ドロマイト 〃 82.0 170.2 257.5 272.3
陶石 〃 8.3 17.4 34.3 一
黒鉛 〃 0.1 0.4 0.3 0.5 0.1
ほたる石 〃 0.5 0.9 0.8
滑石 〃 2.0 5.1 13.8 一
石綿 〃 0.6 1.5 2.1 1.4
重晶石 0.4 1.2 2.3 6.6
アプライト 〃 8.4 46.7
長石 〃 3.1 9.3 5.8 一
秋田県鹿角地方には古河鉱業㈱経営の小坂,花 崗,三菱金属鉱業㈱の尾去沢鉱山を中核として,
その周辺に数多くの鉱山がある.この地域の鉱石 は銅,鉄,鉛,亜鉛等の硫化物からなる黒色塊状 のもので黒鉱とよばれるものである.もっとも上 部の大気中に露出する部分は分解してお融),金・
銀が得られやすいので古い時代には金山,銀山と して発見される場合もあった.しかし黒鉱そのも のは種々の金属が互いに他の金属の精錬をさまた
げあって,各金属の分離は困難であった.このた め主力鉱山である小坂鉱山でさえ,明治2年
(1869)に政府直轄の経営で外人技術者を招いて洋 式製錬を行なったが経営は困難であった.1884年 小坂鉱山は民間業者に払い下げられ藤田組(現在 同和鉱業㈱)が経営するようになった.1897年,
同鉱山は黒鉱中の硫黄分を燃やして全体を溶かし 銅の硫化物を融体のまま分離し,それを熱風で処 理して銅を得るという新乾式法の製錬技術を開発
した.これを自溶製錬法と称し,同鉱山はこの技 術によって大発展をとげ,1900年当時の産出額は 銅について全国第2位,銀について1位,金につ いては4位という地位を占めた.同時に藤田組
(経営者)を三菱,住友,三井などの大手企業と並 ぶまでに成長させる基礎となった.後年,非鉄金 属業界大手となった日本鉱業,大日本鉱業等も本 鉱山の経営担当者が藤田組からわかれて創設した 企業である.
小坂鉱山はその後1920年頃には富鉱部を掘りつ くして業績は停滞したが,1912年に花崗鉱山元山 鉱床が発見されており,小坂は花崗鉱山からの鉱 石を受けいれて製錬を行なうようになった.第二 次大戦後も花崗を中心に鉱石採掘が進み,小坂は 製錬業を主とするようになった.1959年内の岱の
新鉱床発見などがあ1),小坂は1975年現在におい ても国内有数の大規模な銅製錬所を有している.
銅鉱山としては,このほか奥羽山肌西側に沿っ て秋田県中南部の荒川,日三市,吉乃鉱山,山形 県朝日山塊北部の永松鉱山,岩手県の和賀川流域 に土畑鉱山等があったが鉱量の豊富さにおいて小 坂・尾去沢等にはるかに劣『),鉱山としての経営
も1970年には土畑以外はすべて消滅している.こ のほか,青森県上北,岩手県赤金(水沢市),大 峰(上郷町〉,福島県八総(舘岩村)等が1955年 以降に銅鉱山として誕生するが1970年には上北,
八総は休業している.銅鉱山の消長を約70年間に わたって追跡した結果は秋田県鹿角地方が銅鉱産 地として,もっとも安定し,かつ産出量も多い地 域であったことが明らかとなる.
第2表 東北地方における鉱物および金属生産量の対全国比
(東北大学理科報告第7輯25−2 渡辺論文よ1)転載) 単位:%
1941年 1950年 1960年 1972年
年次
z産物 鉱 物 金 属 鉱 物 金 属 鉱 物 金 属 鉱 物 金 属金 15.4 9.4 19.8 4.8 20.6 3.9
銀 9.7, 14.4 16.1 8.8 21.5 3.9 7.7
銅 29.8 27.6 32.7 19.4 44.5 7.2 65.7 3.8
鉛 33.2 18.7 36.5 37.8 33.1 30.0
金 属 鉱 物
亜鉛 20.8 23.7 21.5 27.9 28.4 31.8 37.0
硫化鉄 44.1 50.5 30.8 一
鉄 58.1 ? 76.9 26.8 59.7
/3n
}砂鉄 48.6 22.3 39.7 34.9 2.3
マンガン 3.3 10.0 9.4 5.2
小 計 34.8 22.6
硫黄 一 54.1 42.0 一
石膏 一 48.1 48.3 29.2
硅石 一 5.1 3.9 9.9
硅砂 一 1.7 4.0 1.2
非 金 属 鉱 物
ろう石 一 12.4 27.8 一
石灰石 一 7.1 8=7 6.9
耐火粘土 一 一 一 24.7
陶石 一 一 一 6.2
小 計 8.2
石油 73.8 84.1 49.8 24.3
石炭 6.9 8.6 8.1 4.8
注1 資料は,本邦鉱業の趨勢.本邦鉱業の趨勢50年史.工業統計表等による.
2 小計の対全国比は,生産金額に換算してある場合にだけ算出した.
(2)鉛・亜鉛
鉛・亜鉛鉱山の開発は比較的新しく,本格的な 開発は高田商会が細倉鉱山を買収,ここに製錬所 を設けて以来の事である.高田商会は貿易商社で
あったが,鉛,亜鉛の流通機構に通じていたので 第一次大戦中の好況に乗じて,自ら製錬事業に着 手したのである.また新式の製錬法として湿式電 気製錬法を用いたと伝えられるが,この際には政
府の援助もあ「),電力の供給に恵まれた福島県会 津にも同種の製錬所を同時に建設する程の投資を 行なったのである4!
おっうに たいら
第2次大戦後は青森県尾太,秋田県太良,山形 県大泉,岩手県田老等の鉱山が相応の生産量を持
っていた.
㈲ (3)鉄鉱
釜石鉱山はわが国最大の鉄鉱山であ「,,1970年 現在でも稼動しているが,その発見は1823年(文 政6年)とも1700年代(享保年間)とも伝えられ る.盛岡より北上山地をこえて三陸海岸に至る道中 の仙人峠において磁針に狂いの生じたことが鉄鉱 石発見の端緒であったと言われる程に,磁鉄鉱の 露頭をも持つ豊富な鉱脈がある.仙人峠は標高約 880机あ1),その直下を流れる甲子IIIは標高およ そ250御の位置にある.比高約600餌に及ぶこの 谷斜面にほぼ沿う形で鉱床が見出される.鉱床の 南北の延長は一条が約16,000尺(約5み胡),東西 の幅は約90餌,他は南北の延長が約4栃,幅が約 20・πと記録されている.
1849年(嘉永2年)より旧式高炉で製鉄を開始 して,1854年(安政3年)洋式高炉の建設を始め 南部藩直営の鉱山と製錬所になった.1874年(明 治7年)以降は政府の官営鉱山として莫大な投資 がなされ,現在の製鉄所や鉱山の基礎をつくる開 発事業が港湾や軌道の建設を含めて実行された.
この官行事業は失敗に終るが,その後を引継いだ 民間業者が技術的困難を克服し,従来の木炭製錬 にかえて,コークス使用に成功しわが国の代表的 な民間製鉄所へと成長するのである.釜石港へは 1972年現在で約180万トンの鉄鉱石輸入があり16}
釜石鉱山からの供給量約50万トンを上廻るように なったが,本鉱山の存在は釜石に製鉄所が立地し 存続し続けた最大の要因である.
このほかの鉄鉱山としては岩手県和賀川中流に 仙人鉱山,同県江刺郡(北上山地西部)に栗木鉱 山がある.しかし両者ともに埋蔵量100万トン以 上はないといわれている.
(4)砂鉄鉱
青森県下北,上北地方から岩手県久慈地方にいた る太平洋斜面の地域には幾つかの砂鉄鉱山がある.
天間林鉱山のように標高500・見程度の山麓に位置 するものと,淋代鉱山のように海岸に位置するも のとがあり,砂鉄は海浜ばかりでなく内陸中にも 賦存する.1953年における通産省の調査では埋蔵
量5700万トン,1鉱山の埋蔵量1000万トン以下とさ れているのは調査不充分で実際量はさらに大きい 〔71と推定されている.
(5)硫化鉄鉱および硫黄
硫化鉱および硫黄は硫酸,二硫化炭素等の原料 として化学工業,化学繊維工業の発達とともに需 要が増したものである.東北地方においては1903
(明治36年)に岩手県松尾鉱山が開発されて以 来,硫化鉱,硫黄ともにその産額は急増した.〔8)
生産がピ一夕に達した1960年には,その産額は鉄,
鉛・亜鉛鉱を上廻り銅に次ぐものとなり,対全国 し ヨ比も30%以上となった.これは松尾鉱山のすぐれ ていたこともあるが,硫化鉱は銅,鉛・亜鉛鉱に 随伴する場合が多いので,小坂,花崗等の大規模 鉱山において生産される量も多いためである.
主な鉱山は岩手県松尾(国鉄花輪線沿線)を主 として,小坂・花南の両銅山,福島県吾妻山西斜 面沼尻鉱山等である.このほか和賀川流域,朝日 山塊中の金属鉱山等もそれぞれ相応の生産をあげ
ていた.
しかし1960年以降,石油精製工業を始め各種の 工業において脱硫装置の開発が進み,硫黄が回収 されるため,これによって低コストの硫酸が生産 されるようになった.このため自然の硫化鉱,硫黄 は経済的意味を失ない,松尾鉱山,沼尻鉱山などの 硫化鉱・硫黄専業の鉱山は廃業するにいたった.
(6)石油
日本海沿岸とそれに続く第三紀層中に含油層が 存在し,1908年以来採油されている.1914年,
秋田市の北東方にあたる黒川において大噴出を見 生産額が急増した.その後1935年には秋田市の北
や ぱせ
郊外にあたる八橋において油田が発見され,その 産額は全国第1位となった.日本海岸沿いには,
この南部にも油層が拡がり,鳥海山塊の北と南の 山麓から海岸において小規模ながら油田が開発さ れている.その生産量の推移を第3表に示した.
1940」60年に生産量はピークに達し,その後は減 さるかわ ふく べ さわ
少している.八郎潟北西部の申川,福米沢,西大 潟等の油田が開発されたのも1960年前後である.
天然ガスも同じ油田地域から採取される.その 産出量は第二次大戦後に急増し,1960年には約130
(百万m」)まで増加した.その後は減少し,1972 年現在の産出量は約61(百万蹴』)である.山形県 北部の庄内平野における産出量の絶対量は少ない が,その量は増加し続けている.このほか福島県
第3表 東北地方における石油,石炭,天然ガスの生産量とそれの対全国比
石 油 石 炭
天然ガス
年度
生産量
対全国比生産量
対全国比生産量
対全国比1910年(明43) 2.4 0.8% 1,479 9.43% 一 一%
20年(大9) 159.9 45.5 3,419 11.6 6,374 16.7
35年(昭10) 231.4 65.9 2,637 6.98 一 17.7
40年(〃15) 244.2 73.8 3,880 6.89 17,768 31.3
55年(〃30) 298.0 84.1 3,636 8.56 17,972 11.6
60年(〃35) 395.3 49.1 4,154 8.13 139,132 19.0
70年(〃45) 208.8 23.2 3,881 10.1 77,000 3.3
72年(〃47) 202.4 24.3 1,286 4.77 61,000 2.5
生産量の単位 石油:1000κ 石炭:1000孟 天然ガス:1000皿1
注1 石炭の生産量は茨城県分を含み,常磐炭田全体としての量を示した.
2 出典は日本国勢図会(国勢社)各年度版による.なお原出典は次の2者 である、通産省:石油統計年報,同:石炭・コークス統計年報
の常磐炭田地域からも天然ガスを生ずるがその量 はまだ少ない.
(7)石炭
阿武隈山地東縁の第三紀層中に石炭が埋蔵され ている.その産出量は茨城県分を含めて,1920年以 降はほぼ300万トン台を記録している.対全国比も 7〜10%を保っていたが1970年以降は急速にその生 産量が減少し,1972年における生産量は約130万ト
ンである.炭質は非粘結性の歴青炭,亜歴青炭,褐 炭であ1),平均して4200〜6000Kcal/句の低品位 炭である.ただし炭田南部には非粘結褐炭の煤煙を 出さないものがあり無煙炭として販売される.山 形県新庄,秋田県阿仁,岩手県閉伊郡小川地方にも ゆゆ石炭を産するが量的には数万トンの少量である.
亜炭は岩手県花泉,宮城県築館,三本木,秋田 県阿仁,山形県最上,福島県相馬地方等に産し対 全国比も40%をこしている.低カロリーであるが 燃料として有用であ1),かつゲルマニウムを含有 していることが指摘され新しい資源として注目さ れる9
(8)非金属資源
石油・石炭を除く非金属資源の中,東北地方に おける産出量の対全国比が高いのは硫黄および石 膏であ臣),1935年以来,全国生産量のおよそ半ば
をしめてきたが,この両者は1960年頃よト)各種工 場において石油使用の過程で廃棄物として回収さ れる量が急増したため鉱山から採掘する事業の意 味は薄れた.対全国比は低いが生産量そのものが 大きいのは石灰石,硅石・硅砂,ろう石・ろう石
クレー,ドロマイト等である.特に石灰石と硅石
・硅砂は鉱山数も多く主要資源である.石灰石鉱 山には従業者50名以上の規模のものが6鉱山をか ぞえる.硅石・硅砂の鉱山は従業者50名以下の小 規模なものである.このほか耐火粘土の鉱山にも 従業者が100名をこえる大規模なものがある〔F 石灰石と硅石・硅砂は阿武隈,北上山地および 下北半島地方に主として産する。また山形県朝日 山塊東縁部にも硅石・硅砂の産地がある.耐火粘 土は石炭層に随伴する形で福島県いわき,山形県 左沢,岩手県下閉伊郡小川地方に鉱山がある.
III.地下資源利用の工業
(1)金属製錬所
明治以降,鉱山業が近代化される過程において
「日本坑法時代」とよばれる明治初年においては 製錬所は鉱山に付属すべきものとされていたので 鉱山の所在地がそのまま金属製錬工業の所在地で もあった.その後, 「日本鉱業法」の時代におい て製錬所と鉱山の分離が認められ,製錬所は幾つ かの鉱山から売鉱して一括処理する方式が可能と なった.ここに金属製錬上の有利な点が製錬の本 櫨地として選ばれ大規模な製錬所が建設され,後 年それは工業地点として成長する契機となるので
ある.しかし,このような製錬所は瀬戸内海地方 に多く東北地方には殆んど存在しなかった〔1萄明治 42年(1909)刊行の日本鉱業誌によっても独立製 錬所はなく中小の鉱山にまで製錬所は付置されて いた.規模の大きい製錬所は銅についての秋田県
ひ 小坂を第一とし,同県の尾去沢,阿仁,荒川,日
さ いち
三市,銀についての椿,鉄については釜石等が当 時の著名な製錬所所在地であった.釜石,椿を除 いてはいずれも山間地にあり交通の便も良くない 位置にある.椿は能代北方の日本海に面する砂浜 海岸の地で港湾設備も整わない一集落にすぎなか った.釜石製鉄所は鉱山よ1)20数栃はなれた海岸 近くに位置し,自然の良港と港湾施設を持ってい たが,北上山地が背後に迫り後背地との連絡は極 めて良くなかった.川崎茂氏によれば能代郊外に 東雲製錬所が1893年に独立製錬所として設立され
・ ,ll心 、
たといっが,これは椿鉱山の製錬所と同一のよつ であり,その存在を確認できない.
1920年においても鉱山と製錬所の併存状態は続 くが,中小鉱山においては製錬所が消滅し,各々 経営系列に従って中核となる製錬所へ売鉱するよ
うになる.主な金属鉱山は62を数えたが売鉱を主 し ヨとする鉱山は13に達した.この年代において最大 の生産規模を持ったのは小坂製錬所(藤田鉱業)
と釜石製鉄所(田中鉱業)の2者であり,これに つぐものが尾去沢,細倉の製錬所であった.この
あ ヘ ヒろ
ほか下北半島の安部城製錬所(金・銀・銅)も細 倉に匹敵する生産額をあげていた.荒川,阿仁の 生産額は小さくなり,日三市の製錬所は廃止された.
1935年においては製錬所はさらに減少し,主な 金属製錬所としては小坂,尾去沢,細倉,発盛
(椿),の5者を数えるにすぎない.釜石製鉄所は鉱 山とは経営主体も分離して純然たる工場として存 在するようになったが,これを加えても6製錬所 である.このほかに松尾鉱山および岩手県今出山 鉱山(金・銀)にも製錬所はあったが,全体とし て製錬事業が特定地点に統合される傾向を一層明 らかにしている.
なお1910年代に細倉鉱山の付属製錬所として猪 苗代湖北西岸近くの大寺に電気鉛・亜鉛の製錬所 が設立された.これは主として電力の供給を主な 要因として設立された工場であり,東北地方にお ける金属製錬業の立地条件にも新たな要因の加わ ったことを示すものであった.
第二次大戦中より製錬所は統計上,工業生産の 工場として扱われ鉱山業から分離するにいたった.
1939年および1955年度の状態を示す工場通覧によ れば,金属製錬所には釜石,小坂,尾去沢,発盛 細倉,会津(前述の大寺製錬所)の大戦前から継 続する諸工場と八戸に新たに設立された砂鉄利用
の電気炉諸工場とがある.秋田県荒川,院内およ び和賀川流城詰鉱山の製錬所は消滅している.さ らに1970年現在においては尾去沢と発盛の製錬所 も消滅し,鉱山と共に成立した製錬所は釜石,小 坂,細倉の3者だけである.東北地方各地に存在 した数十の金属鉱山も金属製錬所を成り立たせ持 続する力は弱かったのである.
くゆ
砂鉄については低燐,低炭素銑鉄の原料として用 いられるため昭和の始め頃(1927)米国の技術を導入
して製錬事業が検討され事業も実施されて来た.
しかしこれは技術的に成功せずに終っていたが,
1940年頃その技術的蓄積の上に電気炉を用いる製錬 技術が確立さ札八戸および岩手県久慈に川崎製鉄,
東北電化㈱を始め幾つかの電気炉工場が設立された.
さらに1960年,砂鉄鉱の本格的開発を企図して 東北開発㈱は政府および青森県の援助の下に企業 化計画を進めた.この計画には最終的に三菱系企 業が参加することになったが,当時の経済的環境 では高炉銑メーカーに採算的に対抗できないこと ロのが明らかとなり,この計画は挫折するにいたった.
この一連の企業化計画は「むつ製鉄」問題として 地元資源と地域開発の関係が単純でないことをよ
く示している.
(2)鉱山所在地以外に立地する金属製錬所 前節に述べた東雲製錬所(1893年),会津製錬 所(1915年)は鉱山所在地以外に立地した数少 ない例であるが,1940年代に近くなってからは当 時の戦時中という事情はあるとしても,幾つかの 製錬所が鉱山以外の地に立地するのである.大戦 後の工場をも含めてそれを第4表に示した.1935
〜40年当時は電力を利用したアルミニウム工業が おこり,大戦後は港湾地域に本格的な製錬所が建 設されている.東北地方にも地元資源を指向しな い製錬所が立地する例として検討すべき多くの問 題を持つが,これについては別に論述したいので 本論では工場の存在を指摘するだけで終る.
(3)非金属鉱物の存在がその立地に影響する諸 工場
a.石灰石の場合 石灰石の約50%はセメン ト工場向けであり,セメント工場は石灰石の豊富 さに誘引される度合が強レ噌しかしセメント工場 向け石灰石も石炭,港湾,電力等の開発が伴なう 場合に開発された点には注目したい.
1911年,阿武隈山地東南部の四倉に,阿武隈山 地中の滝根石灰石鉱山を開発してセメント工場が
第4表 鉱山所在地以外に立地する金属製錬所
工 場 名 設 立 場 所 設立年代 主 な 製 品 備 考
東雲製錬所 秋田県椿(能代) 1893 銅 未確認
高田商会・会津製錬所 福島県大寺(磐梯) 1913 亜鉛・鉛
ラサ工業宮古工場 岩手県宮古 1937 過燐酸石灰・銅・亜鉛
日満アルミ郡山工場 福島県郡山 1940 アルミニウム 消 滅
国産軽銀黒沢尻工場 岩手県黒沢尻 〃 アルミナ 消 滅
昭和電工喜多方工場 福島県喜多方 1943 アルミニウム 三菱金属・秋田工場 秋田県秋田 1952 亜鉛・鉛 小名浜製錬・小名浜工場 福島県いわき市小名浜 1965 銅・硫酸
東邦亜鉛・小名浜工場 〃 1963 鉛・亜鉛(中間製品)
八戸製錬・八戸工場 青森県八戸 1967 銅・硫酸 秋田製錬・秋田工場 秋田県秋田 1970 亜鉛・鉛
資料は本邦鉱業の趨勢,工場通覧等による
設立されている.ここには常磐炭田からの石炭輸 送が極めて便利であった.1919年,北上山地北部 の八戸に後年,四倉工場と同系列になるセメント 工場が設立された.この工場の立地上有利な点は
八戸背後に石灰石鉱山があり,かつ八戸港を通じ て北海道炭の入手にも便利なことであった.1937 年には東北振興㈱が大船渡の普金山鉱山をひらい
て大船渡湾岸にセメント工場を設立した.
北上山地東北部には洞泉鉱山があり釜石製鉄所 へ石灰石を供給し,東南部の東磐井郡東山町では
㈱鉄興社,東北電気製鉄㈱等のカーバイトメーカ ーが石灰石採石所を開発し,自社ばかりでなく東 北各地の鉱山・製紙工場へ石灰石を出荷している.
カーバイトメーカーが石灰石鉱山を経営する事 が示すように,石灰石はカーバイトの主原料であ る.カーバイトは従来からも石灰窒素の基礎原料 であ1),かつ溶接や灯火用のアセチレンガスを発 生させるに用いられてきたが,そればか1)でなく それから醋酸,塩化ビニール等の有機合成物を誘 導する利用法が1950年頃から企業化され,カーバ イト工業の将来性が大いに期待された.特に東北 地方は電力の豊富さもあって,カーバイトとそれ に関する幾つかの工場が立地していだ19しかし 1960年頃からの石油化学工業の発達は,これらカ ーバイト系有機合成工場を圧迫し,1970年現在 にいたって東北地方におけるカーバイト工業は完 全に沈滞せざるを得なくなるのである.
b.硫化鉱・硫黄の場合 硫化鉱は非金属鉱 物ではないが,硫黄とともに化学工業の基礎資材
である硫酸の原料となるので,本節で取扱う.
硫化鉱の輸送は硫酸の輸送よりも容易なので硫 化鉱は遠隔地まで輸送され,硫酸工場を硫化鉱資 の 源の所在地に誘引する力は弱いといわれる.事実 東北地方で生産される硫化鉱の約70%,硫黄の約 40%は東北地方以外へ出荷されていた⑳(1953年).
しかし,わが国最大の硫化鉱・硫黄鉱山であっ た松尾や小坂・花輪鉱山の位置する東北北部は硫 酸生産に好適の地域であったに違いない.他の要 因が関係するとはいえ,八戸に日東化学,秋田に 東北肥料の硫安メーカーが立地した.さらに宮古 には田老鉱山(宮古の北方約5.0編)の硫化鉱を使 用して過燐酸石灰メーカーのラサ工業があり,福 島県小名浜に位置した日本水素工業㈱も東北北部 ⑳ から硫化鉱の供給を受けていた11957年).
硫黄は化学繊維の生産資材となる二硫化炭素お よびパルプ漂白剤として用いられるのが大部分で ある馴二硫化炭素を生産する化学繊維工場は福島 の日東紡福島工場が主であり,全国的にみた場合 その生産量割合は低い.
パルプ漂白用には二硫化炭素用の約2倍の量が 出荷されている.東北パルプの石巻,秋田両工場,
白河の白河パルプ工場等の立地には硫黄の供給が 多いことも一つの助長条件となった筈である.
なお1960年以降は回収硫黄,硫酸の生産が大き くなり,自然の硫化鉱,硫黄は経済的意味を殆ん ど失なってしまったのは前に述べた通りである.
@ 硅石 硅石はフェロシリコン製造の原料 となる.1913年,現在の福島県浅川町にあった棚
倉電気合金鉄工場を始めとして,現伊達町の電場 社,現河東村の藤田組広田製鋼所,現小野町の鉄 興社等が大正年間に創設されたのは電力の開発が 主な要因であったとしても硅石資源の豊富さが影 響したのは確かである.このほか,釜石製鉄所が フェロマンガンを製造し(1923年),1935年以降 鉄興社が山形県を中心に東北各県に合金鉄工場を ゆ建設しているが,この際も東北地方全域が硅石・
マンガン鉱の入手に便利であったことが一つの有 利な条件であったと思われる.東北地方における マンガン鉱の賦存は必ずしも多くないが,北海道 からの移入に便利であったことは有利な条件であ
った.
蛇紋岩を燐鉱石と共に溶解して熔成燐肥とよば ロねれる燐酸肥料を作る技術が1948年に開発された.
硫安のように土壌を酸性化しない利点があって,
その使用は普及して行った.熔成燐肥は原料とし て燐鉱石を必要とし,これは全量を輸入に頼るが もう一つの原料である蛇紋岩は完全に東北地方内 で自給できる.蛇紋岩の主な分布地域は北上,阿 武隈の両山地である.さらにこの2原料に加えて 電力供給の良い地点が工場立地の最適地点とされ ており,熔成燐肥の最初の生産は福島県郡山の日 本化学工場で行なわれた(1948年).その後酒田 の鉄興社大浜工場もこの生産にあたり,さらに鉄 興社は1968年,石巻に熔成燐肥の専門工場を建設し ている.
耐火粘土も有力な資源であり,阿武隈,北上両 山地東斜面の石炭層に付随して埋蔵される.常磐 炭田の開発と共に耐火粘土の開発も進み,いわき に品川白煉瓦工場の立地をみ,また岩手県下閉伊 郡小川には岩手鉱業の耐火粘土の工場がある.この ほか,山形県最上地方にも耐火粘土は産出するが この地方には工場はない.
(4)石炭,石油資源を原料とする諸工場 東北地方の石炭を原料とする意図はすでに1937 年,日本水素工業㈱が常磐炭田地域の一部にあた る福島県小名浜に硫安工場を建設した時点からあ ったといえる.しかし常磐炭の品質からこれを工 業原料として用いることは技術的に成功しなかっ た.従って,石炭は専ら燃料用として用いられる にすぎなかった.第二次大戦後の1955年,同社は 低カロリーの微粉炭を利用して「水性ガス」を製 造する技術を西ドイツから導入し,合成硫安の製 造を軸に石炭利用工業の展開をはかったが,結果
は予期した成果が得られない中に,石油化学工 業の急激な発達時期に遭遇し,常磐炭利用の工業 は経済的にも困難となり,常磐炭利用工業の意図 が放棄されたのである.
石油を工業原料とする技術の開発と企業化は 1960年代の世界的特徴であったが,東北地方には この動向に沿う工場の立地は全く少なかった.し かし秋田油田地域の天然ガスを原料としてメタノ ール製造を意図し,1956年,秋田市に秋田石油化 学㈱工場が設置されたのは,東北地方にも石油化 学工業の到来を知らせるものであった.しかし操 業後間もなく天然ガスの不足がめだち,原料源を ナフサに転換し,やがて,この原料からの製造に は採算的に困難が生じ,1970年現在では中間原料 を購入して接着剤やプラスチック製品を製造する にいたっている.事実上石油を原料とする生産工 の程は中止されたのである.
一方,福島県勿来には1933年人絹製造に始まっ た呉羽化学錦工場が立地し,同工場は第二次大戦 後,カーバイト系塩化ビニール合成に特異な技術 を有していた.やがて塩化ビニール合成の原料に ナフサを用いるようになり,かつ同社は原油を直 接分解してビ二一ルモノーや炭素繊維を合成する 技術を確立した.この技術をもとに1969年,同地 に呉羽石油化学工業㈱が創設され現在も操業中で のある.近隣の小名浜港には精油工場も建設中であ 1),この小名浜,勿来地区に東北地方では唯一の 石油化学工業が展開している.ただしその原料で ある原油はすべて輸入されたものである.
天然ガスについては前述の秋田石油化学の場合 のほかは,燃料として利用されるだけの少ない生 産量である.
全体として東北地方の石炭,石油,天然ガスは 工業原料としては量・質共に不充分であったと考
えられる.
w.結 語
東北地方は主な鉱産物の生産において全国的に どの程度のシェアを占めるか.また代表的な大鉱 山の開発を中心として鉱山業はどのような展開を みたか.またこれらの鉱産物は近代工業の成立と 発達にどのように関係したか.等が本報告の主な テーマであった.モノグラフ的叙述はそのままの 事実であるが.その他については次のように要約
できる.
東北地方は日本の他地方とくらべて鉱物資源に 富む地域である.従って,鉱物資源を原料とする 金属・化学工業の規模が小さく,生産技術も単純 であった発達初期の段階では,地元資源の存在が それら工業の発達に大き∫影響した.その後,製 造工業の生産規模が大きくなると共に原料も大量 に必要となり海外鉱を輸入し利用するようになっ た.このため工業の立地は地元鉱物資源の存在と は直接的に関係しなくなり,かつ生産および経営 技術の高度化は多くの立地要因を必要とするに至 った.このようにして鉱物資源の存在は数多くあ る工業立地要因の中の一つにすぎないのであ1),
決定的な卓越要因ではなくなったのである.ただ 運賃料金の関係から大量輸送のむずかしい非金属 鉱物資源については,その存在が工場の立地に強 く影響している点をセメントや熔成燐肥工場の例 によって指摘できる.
注と参考文献
1.Watanabe,Shir6:Mineral Resources and Industnal Development in T6hoku 東北大学理科報告第7輯25−2(1975)
2.本邦鉱業の趨勢,各年度版
発行者は農商務省,商工省,通商産業省と名称 をかえている.
仙台通産局,仙台鉱山保安監督部:鉱山名
簿. (1970年)
3.渡辺萬次郎:秋田県北鹿黒鉱地帯の新発展 東北開発研究 Vol.3Nα2P.50−70(1964)
同和鉱業㈱:七十年之回顧(1960)
4.鉱山懇話会:日本鉱業発達史 上巻P.701 昭和7年. (1932)
5.富士製鉄㈱釜石製鉄所:釜石製鉄所七十年 史(1960)
鉱山懇話会:日本鉱業発達史 中巻 昭和7年
東京鉱山監督署:日本鉱業誌第二編.(1909)
6.運輸省:港湾統計 昭和47年
7.佐々川 清:砂鉄銑鉄の将来性 東北研究 Vol.5Nα4 (1955)P.34−41
同上 :日本鉱業発達史中巻P。77−81 8.岩手県:岩手県史第9巻(近代篇).1964 9.通商産業省調査会:本邦鉱業の趨勢五十年史.
1963
10.同上 :日本鉱業発達史中巻P.161 11.江口元起 :東北地方における亜炭中のゲ ルマニウム資源 東北研究 Vol.5Nα4 (1955) P.26−27
12.注2 :鉱山名簿
13.川崎茂:日本産業革命期における鉱業の 空間的展開 歴史地理学紀要6巻(1964)
14.川崎 茂:同上論文
15.農商務省:本邦鉱業の趨勢 大正9年 昭和10年の場合も同年発行の同書による.
16.注7とおなじ
17.吉永芳史:むつ製鉄の蹉跌と地域開発 東北開発研究 Vol.5Nα3 (1966)
P.55−68
村田喜代治:東北開発株式会社の変遷と性 格 中央大学経済学論纂11巻P.561−584 (1966)
18.東北電力㈱・日本経済研究所:東北の地下 資源と産業振興 P.92−119 (1953)
19.1955年当時のカーバイト系工場
肥料系統:東北電気製鉄(和賀川),鉄興社 大浜(酒田),東北興業(福島).カーバイ ト市販系:極東工業(宮古),福電興業(勿 来),日本電興(小国).計6工場 注18の資料による.
20.注18 P76−90 (1953)
−q乙3 222 〃 P76−90 ( ノ P172 ( 各工場の設立過程は1915年,
) 1)
1940年, 1958 年版の工場通覧による.
ガス発生について(コッパース法について)
東北研究Vol.6Nα3 (1956)
福島県:福島県史19巻(産業経済2.第5 章.松村毅氏執筆)
渡辺四郎:いわき市における工業の展開 福島大学教育学部論集24−1(1972)
地における聴取による 27.渡辺四郎:注25 論文
24 注18 P.180−186 (1953)
25 昭井総治:低品位炭利用による合成化学用
26通産省・秋田県:工場適地調査Bおよび現
The Mineral Resources and The Development
Industries in T6hoku Districtof Related
Shir6 WATANABE
T6hoku is abundant in mineral resources compared with other districts in Japan、
Attheperi。d。ftherefineriestreatingregi・nalres・urces・T6h・kuwasanimpo「
tant district in production of metallic materials.But the regional mineral resources
weren。tsignificantafterimp・rtedmineralswerelargelyusedandparticularregi・ns exceptminingregi・nswerech・senf・rthe1・cati・n・fmetalrefineries・Butmany
。fregi。nalres。urceswereessentialf・rthel・cati・n・findustrialplantsintheir
establishments,and even now some of regional resoueces are essential too.
The non.metallic minerals have been much utilized in the producing regions than the metallic minerals.Cement,firebrick and ferroalloy plants were built up near the places producing the materials.
Itmaybegivenasac・nclusi・nthatatpresenttheregi・nalres・urcesa「eno l。ngerthempstd。minantfact・rf・rthe1・cati・n・fheavy−chemicalindustries・but evenn。wtheyareplayingagreatpartinthel・cati・n・fseveralindustries・