佐藤宣男:『春樹顕秘増抄」におけるテニヲハ理解の諸相 1
『春樹顕秘増抄』におけるテニヲハ理解の諸相 1
佐 藤 宣 男*
は じ め に
『春樹顕秘増抄』(以下、増抄と略称)は、そ の序文の最後に「以敬斎長伯 在判」とあって、
有賀長伯(寛文元〜元文二年1661〜1737)の著述 であることが知られる。成立年は明らかでないが、
同じ著者の手に成る『和歌八重垣』(元禄十三年 1700ンにそう離れることはないであろう。その内 容は、書名の示すとおり「春樹顕秘抄』(以下、
顕秘抄と略称)を踏まえて成り立っている。しか し、追補など大幅な変更があって、同じレベルで 論ずる訳にはいかないが、基本精神は共通すると
ころがあるといってよいであろう。
その体裁は、「はねてにはの事」(第一)から
「すらんと留る事」(第三十七)までのところは原 則として各項目の語頭の音をイロハ順に並べる辞 書形式による。ただ、「にきといふ事」(第三十)
は「てきといふ事」(第二十九)との関連でその 後に置かれ、「なでといふ事」(第三十二)はナデ のデ(清濁を無視すれば、テ)を重視して、テの 枠の中で扱う。「かよふ文字の事」(第三十八)以 下は狭義のテニヲハ(テニハ)以外の事項を扱う 補遺的な部分となる。姉小路式以降の伝統を踏ま
えながら、一層の敷衍を試み、さらに新しい事項 も加えて内容の刷新を図ろうとしているが、その 中身には種々問題もあるのである。とりあえず、
その目次を見てみることにしよう。顕秘抄にない 項目には○、同じ項目はあっても内容に差異の見
られるものには△印を付す。
△1はねてにはの事02べみ・べく・ら (本文 べら)といふ事 03ともじの事 △4とはと留る事05ぬもじの事△6を もじの事△7かもじの事△8哉どめの事
09よもじの事10より留の事△11だにと いふ事△12た壁といふ事 13れと留る事
△14ぞもじの事15つ・どめの事16なもじ の事17なんといふ事18のとまりの事△
19やもじの事20やはといふ事021まくと いふ事022まにといふ事023ませといふ 事024けきといふ事025けりどめの事
△26こそのてにはの事△27比どまりの事
△28てどまりの事029てきといふ事030 にきといふ事031てしといふ事032なで といふ事033める・めりといふ事△34み ゆどめの事035しもじの事△36もの字の 事037すらんと留る事△38かよふ文字の 事△39かなをあまして休る事△40休字の 事△41かなを略する事42てにはをそへて 聞事43おなじてにはある事44詞をいひの
こして上へかへりてことはる事45詞をたすくるてにはの事46詞をたして心得る事△
47心得べきてにはの事48いひかけてには
(清濁傍記補入)の事 49か・へなくして よむまじき事
テキストには、勉誠社文庫24「姉小路式・歌道 秘蔵録・春樹顕秘抄・春樹顕秘増抄』(根来司解
説)を用いる。これは、国立国会図書館蔵本
(815.7 A751s)によるものである。なお、この 写本は、目次を各項目とも「一……」と記して、
通し番号を付ける体裁をとっていない。しかし、
「一」の右傍に「第一」などと異筆で記していて、
この形式が増抄の一般的な姿である。上記におい てはこれを簡略にして、単なる通し番号とした。
また、第三十九と第四十とは目次と本文とでずれ があり、本文は第三十九が「休字の事」、第四十
が「かなをあまして休る事」である。それに従っ て傍記もそれに合わせている。第一から第二十一 までは、原則としてそれぞれの項目の中心となる テニハをイロハ順に配列する辞書的形態をとって いること、前述のとおりである。
以下の記述は、顕秘抄との比較において、
1 顕秘抄にはない、増抄独自の項目 1.助動詞を中心とするもの
2べみ・べく・ら(本文 べら)といふ事
5ぬもじの事25けりどめの事29てきとい ふ事30にきといふ事31てしといふ事32 なでといふ事33める・めりといふ事35し もじの事37すらんと留る事
2.助詞に関するもの
3ともじの事 9よもじの事
3.用言、その他に関するもの24けきといふ事23ませといふ事 21まくといふ事22まにといふ事
π 増抄に内容上の付加があるもの1はねてにはの事 4とはと留る事 6を
もじの事 7かもじの事 8哉どめの事 11だにといふ事12た寸といふ事14ぞもじの 事19やもじの事26こそのてにはの事27 比どまりの事28てどまりの事34みゆどめ の事36もの字の事38かよふ文字の事39 かなをあまして休る事40休字の事41かな を略する事47心得べきてにはの事
に分けて行うことにするが、紙幅の関係もあって、
まったく形式的に二分し、n 増抄に内容上の付 加があるもの、の中の「8哉どめの事」までを本 稿で扱うこととし、以下は次稿にまわす。
1 顕秘抄にはない、増抄独自の項目
ベミ・ベク・ベラ 「第二べみ・べく・らとい ふ事」の「ら」は本文に「べら」とあり、目次の 誤写であることが分かる。この三語は、「いづれ もべきに同じ」であり、「寄のいひかけによりて、
べきといひて味ひよろしからざる時は、べみとも べくとも用ゆべし」と、ベミ・ベクを中心に説明
して、証歌を上げる。ベキとベク・ベミとは同一 語の異形態であると捉え、その点で通用するもの
と理解するのである。キ・ミ(深き・深み)の通 用については、顕秘抄にも触れており、増抄の
「第三十八 かよふ文字の事」にも、「きとくとか よふ」(激しく・激しき、恋しく・恋しき、べく・
べき)、「きとみとかよふ」(深き・深み、寒き・
寒み、高き・高み、広き・広み)のことが取り上 げられている。形態上の差異に惑わされず、語根 の共通・意味的連関から、相互の関連を捉えてい るところはよしとされるが、活用形の相違による、
また、接辞付加による派生語としての文法的・意 味的問題には目が行き届いていない。ベラについ ては、「べらは上古におほしとは(他本 おほし。
今は)詠ぜぬ詞なり」と述べるのみで、証歌はな
い。
ヌ 「第五 ぬもじの事」は、第一に、「ぬも じには、おはんぬ・ふのぬといふこと有」と、
「おはんぬ」、「ふのぬ」の二種があることを述べ るものである。「おはんぬ」は「ぬるの心に用ゆ。
畢の字也」と説明があり、完了のヌであることが 指摘される。「ふのぬ」については、「ずの心に用 ゆ。ふの字也」とあり、ズと同意であるとする。
「ふの字」とは「不の字」の意を込めて述べてい るのであろう。
「ぬらんの心に用ゆ(ママ)たるあり」とある のは、その証歌、
あはぢ嶋かよふ千鳥のなく聲にいく夜ねざめ ぬ(ぬらん也右傍記)すまの関もり から判断すると、「幾夜」のイクとの関連でヌの 後にランがあるべきものと解したのであろう。
「一躰のぬもじあり」とあるものの証歌は、
かくながらちらでし世をやつくしてぬはなの ときはもありと見るべく
つれなさのたつひまでやはつらからぬ月をも めでじ有明のそら
の二首であり、それぞれ「世をやつくさぬ、つく せとかへるてにはにて、えもいひしらぬ味ひあり」
「是もつらからぬ、つらきとかへる也」と、「かへ
佐藤宣男:『春樹顕秘増抄』におけるテニヲハ理解の諸相 3
る(反語)」テニハと理解するのである。文脈の 上から反語に解し得るものではあるが、ヌにその 意味が込められている訳ではない。それを求める
ならば、むしろ「世をや」のヤ、「立つ日までや は」のヤハが該当することになるであろう。文脈 上の問題が語の問題にすり替えられてしまってい
る。
ケリ 「第二十五 けりの詞 井第三のけり」
は、「けりと留ること、いひつめて絵情なき詞な れば、うつりよく留りたる物、つよく聞ゆる也。
あしきは、ことのほか尾がれにて、絵情なし」と、
表現上の難しさをいい、好ましい例として、
かぎりとてわかる・道のかなしきにいかまほ しきはいのちなりけり
を挙げて、
此けり、俊成卿称美し給へり。命なりけりと いひつめたるは、かへりてあはれふかく、お のづから絵情もこ(も 脱力)りて聞ゆる」
と、俊成推賞の歌であることを述べて根拠づける。
「第三のけり」も、「つよく聞ゆる物也」とい われ、続けて「西行上人はことに好み給ふと見え て、彼上人の秀寄に多し」と述べて、西行の歌を 四首例示する。「いひつめて絵情なき詞」とか
「つよく聞ゆる物」というのが、ケリ自体のもつ 語性によると見るのか、終止形のもつ言い切りの 形に留意したものなのか、判然としない。
テキ 「第二十九 てきといふ事」は、「第二 十八 て文字の事」の後にあり、テに着目して配 列していることが分かる。「是は詞をいひつめて 詞なきにてにはをそへたるなり」と述べ、証歌に
は、
むつまじと君はしらずやみづ垣の久しき世よ り祝ひそめてき
ちりのみに積れる庭のをしへまでいともかし こく聞え上てき
の二首を上げる。テキストには頭注として、「祝 ひそめた、聞へあげたまで也」という説明を付す る。「てにはをそへたる」との関連を考えると、
テが添えたテニハに相当し、「そめた」「あげた」
のタに当たるものがキになるのであろう。
ニキ 「第三十 にきといふ事」はテキとの関 連でキに着目してこの位置に置かれ、「てきに同
じ」と説明される。
かく恋ひん物とはかねておもひにきこ・ろの うらぞまさしかりける
を証歌とし、頭注に「思ふまで也」とある。テキ に準ずるのであるから、他本にあるように、「お もふたまで也」とあるのが正しい姿であろう。
テシ 「第三十一 てしといふ事」は、「てし と(と ミセケチ)は、てはやすめ字也。しばか り也」と説明されていて、このテを休字ととる見 方がテキ・ニキにも当てはめられるものと考える。
二首の証歌、
飛鳥川淵は瀬になる世なりともおもひそめて し人はわすれじ
思ひいづる春の衣のかたみまでいはぬ色にぞ 千人染てし
を挙げるのみで、意味の説明はないが、伝統的な シの解釈、過去の「し」という捉え方はなされて おり、それがテキ・ニキのキの解釈にも及んでい ると考えられる。シは従来からよく言及されてき たテニハであるが、それとの関わりでキを論ずる 例はこれまでにはなかったことである。(注)
注 キについての発言は、「和歌童翫抄」(宝暦
4
1754刊)の著者でもある亨排(遁危子)の「歌道秘蔵録』の注釈の中に見えている。
それは、「問、てきのてには、如何」という 問いに答える形をとって、「答、過去の事を 云てには也。……惣て、きとはなれて云は、
みな過去也。しりにき、しらざりき、なかり きの類也」とある。(松野陽一『江戸堂上派 歌人資料 習古庵亨排著作集』新奥社叢書
1 「歌道秘蔵録注釈」186ページ)
ナデ 「第三十二 なでといふ事」は、「結句 になでといふは、上へかへる詞也。中はさもなし」
と、歌末に用いられるナデのデを句中のデとの対 比において説明するもので、句中の例が歌末にお いて「留まる」(終結機能)要素をもつのに対し、
歌末の例は倒置法として句中にある「留まる」要 素にかかって、そこで完結すると説くのである。
証歌は、
なをざりの契りをたのむ命哉あはずばさても おもひきえなで
の一首で、頭注に「思ひきえずしてなり」と、意 味の上でズシテに相当するものとする。デの中に ズの意がこもっていることを明確に意識している。
ナデの置かれた、この位置は第二十八のテからテ キ、ナデと、テに着目しての配列であって、その 間にテキとの関わりでニキが挿入されたという形 をとっているのである。
広義には、「て文字」として扱い得るものであ るが(第二十八では、テとともにデも扱っている)、
ナデとナを伴っていること、ズとの関連を強く意 識していることから、テとは別項目としたのであ ろう。デはこれまでに指摘されることがなかった ものである。
メル・メリ 「第三十三 める・めりといふ事」
は、「めは休字也。たザるといふまで也」と、メ を休字と解することを前提にしている。証歌は、
木がらしに吹あはすめるふゑの音をひきと壁 むべきことのはぞなき
心ありて風のよくめる花のえにとりあへぬま で吹やよるべき
の二首であり、もう一つの証歌、
知にけむ聞てもいとへ世の中はなみのさはぎ に風もしぐ(ママ)める
については、「是は二字ともに休字也。風の吹し くなり。めもるもやすめ字也。詞の除情にそへた り」と、メル全体が余情表現のために付け加えら れたにすぎない休字であるというのである。メリ の例としての、
契りをきしさせもが露を命にてあはれことし の秋もいぬめり
も、説明はないが、メリ全体を休字と解するもの
と考えてよいであろう。「秋も往ぬ」で文は完結 し得るから、その意味ではメリはなくとも文は成 立するのである。勿論、ここではメリ・メルの表 す意味には無関心であって、休字ということにと
らわれすぎた解釈ではある。メリ・メルともに従 来取り上げられることのなかったテニハである。
シ 「第三十五 しもじの事」は、「過去のし、
むかふし、休字のし」の三種に分けられる。「過 去」のシは、「おもひし、聞し、見し、ありし、
すぎしの類」であり、「向かふし」は「さしむか ひたる也」と説明した上で、「うれし、淋し、の どき(ママ)し、さむけし、べし、まし、なし」
が挙げられる。ベシ・マシを除くと、形容詞終止 形語尾のシである。また、「休字」のシは、
古郷はよし野・山し近ければひとひもみゆき ふらぬ日はなし
を証歌としていて、「山のといふべきを、山しと 休たる、玄妙なるよし古来より称美のし文字也」
と、伝統に従って、副助詞のシを取り上げるので ある。
休字のシは歌論書・連歌論書をはじめ、姉小路 式・顕秘抄にも取り上げられていた。
また、「過去のし」「向かふし」については、
「向かふし」を「現在のし」といい替えて、連歌 論書の重要項目となっていた(注)。ところが、
この両者は姉小路式・顕秘抄には見えていない。
このことは、恐らく姉小路式・顕秘抄ともに歌学 の伝統を受け継ぐものであり、連歌の世界とはほ とんど関わりを持っていないことに起因すると思 われる。ただ、姉小路式・顕秘抄ともに、「かの 字の事」の中でシカと関連させて、「このしかは、
おほかた過去のしのてにはなり」と述べて、「過 去のし」ということばは用いているのであるから、
取り上げようと思えば、一項目として言及するこ とができたはずなのである。
注 「連歌新式』に「可嫌打越物」の一つとし て、「過去のし文字」をあげており、「密伝抄」
には「過去のし」「現在のし」が取り上げら れている。また、「当風連歌秘事』には、「し
佐藤宣男:『春樹顕秘増抄」におけるテニヲハ理解の諸相 5
文字に三あり。過去、現在、未来の沙汰あり」
と述べて、過去には「ありし、見し」を、現 在には「しるし(著)」を、未来には「あり ぬべし、成るべし、契るべし」を例示してい た。ここでいう未来のシとは、ベシのシを意 識したもので、増抄はこれをマシとともに形 容詞終止形と合わせて、「向かふし」に含め たのである。これらのシは連歌詮においては 強い関心の払われたテニハであった。
スラン 「第三十七すらんと留る事」は、本
文の中では、「とすらんと留る事」とあって、写 本問の差異はないようである。証歌となっている ものは、ム(ン)トスにランの付加した例である から、本文の方が実際の例には即していることに なる。その説明、「うきたる詞なれば、上にか・へのかななくては、いひがたし。上にはね字にて いひつめて、とすらんとうくるなり」に、その意 図がよく示されている。証歌は、
明日よりは四方の山遊の秋ぎりのおもかげに のみた・むとすらん
たづねくる花も散なむやまざとはいと寸人め やかれんとすらん
など、五首ともすべて歌末の例である。トスラン と留まる歌の、一つの顕著な例では有ろうが、
「上にか・へなくてはいひがたし」と、「かかへ」
のことばとしてのムとの必然的な関わりを見る必 要はなかろう。法則化の及ぶ範囲が十分には見定 められていないということである。
助詞に関わるものとしては、ト・ヨが問題とな
る。
ト 「第三 ともじの事」は、「まず、「字あま りにそへたるともじ」を取り上げ、「皆下へつけ てよむこと口傳也」と説明して、
我ばかり物思ふ人は又もあらじとおもへば水 の下にもありけり
を例示する・テニハのトの、他の要素との意味的 関連のしかたと和歌の音数律から考えられる句切
れとのズレを意識した上での発言である。音数律 の方が優先されて、「又もあらじとよみ切で、と おもへばと下へつけてよむ也」ということになる のである。
類例には、
たびごろもいかで立らんと思ふよりとまる袖 こそ露けかりけり (ママ)
が挙げられている。
ヨ 「第九 よもじの事」は、「下知のよ」「い ひかけのよ」「いひすてたるよ」の三種に分けら れる。「下知のよ」とは、「止めてよ」「思ひ出よ」
「見せよ」「聞かせよ」など、命令形に付くヨであ り、「結句にかぎらず、いづれの句にも有」と、
句の位置には限定されないことをいう。「いひか けのよ」は「よびかけのよ」ともいわれ、
世の中よみちこそなけれおもひ入山のおくに も鹿ぞなくなり(ママ)
玉の緒よ純なばたえねながらへばしのぶるこ とのよはりもぞする
における「世の中よ」「玉の緒よ」のヨである。
「いひすてたるよ」とは、
絶はつる物とはみつ・さ・がにのいとをたの める心よはさよ
雨の夜もたのめし物を月にだにとはずなり行 人のこ・ろよ
の、「心弱さよ」「人の心よ」のヨを指す。「三
(二)種のよ、五句の中いづれの句にもあり」と あるから、ヨの現れる位置は句に限定されず、五 句ともに可能であることになるが、底本では「三」
の左に印があり、右に「二」と傍書される。これ がミセケチのつもりで付されたものなのか、異文 などによる注記のつもりなのかは、よく分からな いが、増抄の、他の例を見るとミセケチなのかと も思われる(たとえば、「はねてには」の「をさ へっめてはぬる」例の中の「言葉も」の歌におい て、「およびたりける」のビタの左に印を付け、
右に「ばざ」と記すのは、「およばざりける」と あるのが正しいと考えているのであろう。)ただ、
「二種」とした場合にどれを該当例とするのかは
判然とせず、やはり疑問は残る。他本には「三種」
とある。
以上、助詞に関わる新項目を取り上げた。増抄 の取り上げる新項目の最後として、用言・その他 に関するものを見ていくことにする。
ケキ 「第二十四 けきといふ事」は、
のどけきをのどけし、露けきを露けし、さむ (け 脱力)きをさやけし(他本 さむけし)
などいふけしは、けきなり。又のどけみ、露 けみ、寒けみといふも同じ。寄のつfき、句 がらによるべし。五音第二の通用也。
とあるように、形容詞〜ケキ(連体形)を〜ケシ
(終止形)や接尾辞〜ミを伴った〜ケミに通ずる ものとし、その理由を「五音第二」の音の相通に 求める。つまり、キ・シ・ミともに母音i(五十 音図の第二番目の母音)を共有していると述べる のである。中世・近世において頻用された相通説 に基づいて論ずるもので、その意味では当時一般 の考えを踏まえてはいるものの、活用形の差異、
意味上の差異が示すものには無頓着である。
マセ 「第二十三 ませといふ事(本文ニハ 詞)」は、「ませはましませなり」と、マシマセに 同じであるとして、
我盧はみわの山本こひしくばとぶらひきませ 杉たてるかど
我やどの梅の立枝やみえつらんおもひの外に 君がきませる
を証歌に挙げる。命令形のほかに、いわゆる助動 詞リを伴う形としてのキマセルを上げていること
も興味深い。また、両者とも力行変格動詞「き
(来)」に接続するもので、補助動詞の用法である から、その辞的な性格に着目しているのかもしれ
ない。
マク 「第二十一 まくといふ(詞の 本文補 入)事」は、
いざこ・に我世は経なんすがはらやふしみの
さとのあれまくもな(を 右傍記)し いたづらに行てはきぬるものゆへに見まくほ しさにいざなはれつ・
を証歌として、「くの字は皆そへ字也。あれまお し、みまほしなり」と、マクのクを「添へ字」と 解している。「添へ字」は「休め字」と同じもの
と見てよく、和歌において音数律を合わせるため に添えられた字という意がこめられているのであ ろう。「中華若木詩抄」に、「南來雁」(「李陵」
王希声)「蹄去來」の「來」や「可惜参乎多一唯
」 (「戯爲」 王秋江)の「乎」などを「ツケ字
(付け字)」と称していたのと同趣であると考えら れる。姉小路式・顕秘抄に「見らく」「こふらく
(恋)」を「かなをやすむる事」の中に上げていた のであるから、それをさらに敷衍すれば、マクも その枠の中に入り得るのである。
マニ 「第二十二 まにといふ事」は本文の中 では諸本とも「まにのてにはの事」とある。「ま にといふには上に必治定の詞有べし」と、「治定 の詞」との共起関係が条件として上げられる。証 歌を見ると、
花の色はうつりにけりないたづらに我身世に ふる詠めせしまに
はらひかね我もとゆひも霜ふりぬまがきの花 のうへと見しまに
とあり、「うつりにけりな」のケリ、「ふりぬ」の ヌの右に「治定」と記していて、これらがマニと 共起関係にあると解するのである。結局はマニに 文を終結させる働きはなく、倒置法となって、ケ リナ・ヌで文が留まるということを表明するのと 同じである。「第四十四 詞をのこして、上へか へりてことはる事」に含め得るものである。
1 増抄に内容上の付加があるもの
項目自体は姉小路式・顕秘抄と変わらぬにして も、増抄には内容の面での付加のある場合がある。
それは次の各項目である。数字は増抄の目次に補 記された項目番号であること前述のとおりである。
佐藤宣男:『春樹顕秘増抄』におけるテニヲハ理解の諸相 7
1はねてにはの事 4とはと留る事 6をも じの事 7かもじの事 8哉どめの事11だ にといふ事12た といふ事14ぞもじの事 19やもじの事26こそのてにはの事27比ど まりの事28てどまりの事34みゆどめの事 36もの字の事38かよふ文字の事39かなを あまして休る事40休字の事41かなを略す る事47心得べきてにはの事
なお、参考のために、これを品詞を中心に整理 して見れば、次のようになるであろうが、以下の 記述は、増抄の目次の順序に従うことにする。記 述の煩雑さをもたらす恐れはないと考えるからで
ある。
1.助動詞に関するもの ラン(ム・ラシ・ベキ)(1)、
2.助詞に関するもの
トハ(4)、ヲ(6)、カ (カハ・カシ)(7)、カナ(8)、
ダニ01)、ゾ0φ、ヤα9、コソ㈲、テ㈱、モ⑬0 3.名詞に関するもの、コロ⑳
4.動詞に関するもの 見ユ⑳ 5.副詞に関するもの、タダ働
6.その他
通フ文字㈱、仮名ヲ余シテ休ムル㈲、休メ字
(4①、仮名ヲ略スル(41}、心得ベキテニハ(切
ラン(ム・ラシ・ベキ) 「第一 はねてには の事」では、「二字はね」「口傳のはね」「かたう たがひの事」「もろうたがひのこと」「袋を見てか しこをうたがひ(他本 ふ)事」の四点が問題と なる。
「二字はね」とは、
うつろはむ人の心もしら菊のかはらぬいろと なに頼むらん
を証歌とするもので、「移ろはむ」「頼むらん」の ム(ン)に傍点を付して、該当する例であること を明示する。しかし、一首の中にム(ン)が重ね て用いられることをいうのみで、連体修飾・文終 止の機能の差異などには眼を向けることがない。
「一歩』に見える「二字はね」はラン・ケン・
ナンといった二字からなる「はね字」のことであっ たから、増抄とは全く視点を異にする。『連歌至 宝抄』に、「一字はねと申事」とある「一字はね」
はケン・セン・ナンを例示していて、「一歩』と は内容に差異があるものの、ランをどちらの側に 含めるかで相違点を見せるのであるが、一歩と至 宝抄とでは基盤を共有するところがある。それに 対して、増抄では「おなじてにはを一しゅのうち にあまたおく事」(姉小路式)と同じ視点から捉 えているのである。
「口傳のはね」は、
久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花 のちるらむ
を証歌とし、「是もつめはねといひて(て ミセ ケチ)又の・字はねといふ説も有。つめはねの格 にていへば、春の日(に 脱力)といふにもじに てつめ、のもじはねの格にていへば、花のといふ のもじにてのべたれど、猶らんの字うきて聞ゆ。
是は春日(に 脱力)といふ下へなにとてと入て 聞ことふかき口傳也」と、従来の「つめはね」説、
「の・字はね」説を批判し、ナニトテと疑問の詞 を補うことで、ランとの調和を保たせようとする 口伝の説を受け入れるのである。
この項目は、姉小路式には、「か・へのかなを りゃくしたるらんどまり、つめはねと云て、ふか き心へなり。くでん」とあり、顕秘抄には、旧来 の説、「か・への假名を略したるらんどまり」=
「つめはね」を紹介した上で、「久方の」の歌を挙 げ、「此歌の・字はねといふ。花のちるらしと云 事也」と解する説によっていた。これらの説に対 する批判として増抄の考えは成り立っているので
ある。
姉小路式・顕秘抄ともに、項目として立てては いたが、具体的な説明がなかった「かたうたがひ」
「もろうたがひ」について、増抄は証歌を挙げな がら説明している。まず、「かたうたがひ」は、
「上にやかなどのうたがひのか・へなくてらんと はぬる也。詠格は前のつめはねと讃歌おなじ」と いい、さらに、「又上にやとうたがひのか・へあ
りて、下にうたがひのをさへなきも、かたうたが ひなり」とも述べて、「かかへ」(ヤ・カなど)ま たは「おさへ」(ラン)のいずれかが欠けるもの を「かたうたがひ」とする。
「もろうたがひ」は、「是はうたがひをかさね たる也」と、疑問の要素が重複するものと解し、
いかならん岩ほの中にすまばかは世のうきこ とのきこえこざらむ
こぬ人をまつ夕暮の秋かぜはいかにふけかは (他本 ふけばか)わびしかるらむ
を例示する。「いか(ならん)」と「らん」、「いか に」と「らん」が重複しており、疑問のことばと してのイカ(如何)とランとが共起して調和をた もっと理解するのである。「かたうたがひ」に対 して「もろうたがひ」という呼称が成り立つので ある。
しかし、ナニ(何)・イカ(如何)などの疑問 詞とランとの呼応を重視するのは、「はねてには」
(ランを中心とする)の、従来からの一般的な捉 え方であったから、殊更に取り立てる必要もない ことであって、ひょっとすると、増抄の「もろう たがひ」の解釈には誤解があるのかもしれない。
この二首の証歌から考えられる、もう一つの点は、
イカ(ならん・に)とカハ、いわゆる疑問のこと ばが重なっていることであり、これらとランとの 対応が「かた」に対する「もろ」の意味である可 能性もあるのである。
なお、「いかならん」の歌については、長伯は
「いかならん」と「こざらん」のランに傍点を付 していて、「疑ひ」のランの重複という点に着目 しているかに見える。いずれにせよ、長伯の「も ろうたがひ」の解釈には疑問が残るのである。
「袋を見てかしこをうたがひ(ふ)事」は証歌 を示すのみであるが、姉小路式・顕秘抄にはそれ さえなかった。
あはれいかに草葉の露のこぼるらんあきかぜ 立ぬみやぎ野・はら
神なびのみむろの岸やくづるらんたつ田の河 の水のにごれる
いかだしょまてこと・はむ水か・(ミセケチ)
みはいかばかり吹山のあらしぞ
宮城野原に秋風が立ったこと、立田川の水が濁っ ていること、「筏士よ待て言問はむ」から予測さ れる、川面に浮かぶ紅葉の姿が「ここを見て」に 相当し、「いかに草葉の露のこぼるらん」「神なび のみむろの岸やくづるらん」「いかばかり吹山の あらしぞ」が「かしこを疑ふ」に相当することに
なる。
トハ 「第四 とはと留る事」は、
結句に、とはと留るに、必上へかへりて初 五文字第三句に、思ひきや、思はずよ、しら ざりきなど置てかへる也。真中におもひきや と置て、とはと留ること今はきらふ也。以上、
不及讃歌。又上に治定して留る有。
と、「思ひきや」などや「治定して留まる」場合 など、上に文を終止させる要素があり、トハはそ こに倒置法により係って、一首を完結すると述べ るものである。顕秘抄にあった「ぞるこそれ」の うたにもあるように、思ヒキヤ〜トハとある例が 倒置法による表現であることは以前から指摘され
ていた。これを他の例にも及ぼして一般化しよう とする試みである。「治定して留まる」例として
は、
かねてよりおもひしことぞふし柴(シバ)の こるばかりなるなげきせんとは
君が代はあまつこやねのみことより祝や(ミ セケチ ぞ二訂正)そめし久かれとは
の二例が挙げられ、「思ひしことぞ」「祝ぞそめし」
のゾに「治定」の詞の印が付されている。後例は ゾが「そめし」という終結の要素を導き出すもの
として、治定の詞に含められるのであろう。
ヲ 「第六 をもじの事」は、従来注目されて きたシヲ・モノヲを含むもので、全体をヲで統括 しているところに新しさが認められる。まず、単 独に用いられるヲを取り上げ、「結句にをと・む るは皆上へ(かへる 傍記)てには也。心をのこ さずすぐに上へ帰るあり。心をこめていひまはす あり」と、「上へかへる」すなわち倒置法となる
佐藤宣男:『春樹顕秘増抄」におけるテニヲハ理解の諸相 9
ことを述べ、それを二分して、「直に上へかへる」
ものと「心をこめて上へかへる」もの(「をまは し」)とする。
「すぐに上へかへる」例は、
誰しかもとめて折づる春がすみたちかくすら んやまのさくらを
であり、「山の桜を」と「とめておりつる」にお けるヲ格と述語との関係に基づいて論じている。
この点に関しては、従来と何らの変わりはないの であるが、「心をこめていひまはす」「心をこめて 上へかへる」例というのは、
秋の菊にほふかぎりはかざしてんはなよりさ きに(と 朱傍記)しらぬ我身を
物思はでたザ大かたの露にだにぬるればぬる・
秋のたもとを
であり、前者については、「花よりさきだ・むも 知らぬ我身を覚悟なくてあらんや。匂ふかぎりは 折角かざしてんと上へかへる也」と、後者につい ては、「まして物思ふ袖はいかばかりぬる・とな り。是はい・まはして心の上へ帰るなり」と説明 する。これは「誰しかも」の歌とは違って、構文 上は倒置法になっていない。「覚悟なくてあらん や」「まして物思ふ袖はいかばかりぬる・」とい う句を補ってはじめて、内容の上で完結する。言 い換えれば、表現を省略し言外に暗示するもので あるから、顕秘抄にあるように、「只をといひて いひのこす事もあり」(第七 しをいとふ手仁葉 の事)と、「言ひ残す」という点を強調すべきも のであって、「上へかへる」というべきではなかっ たのだ。著者長伯は歌末のヲを「上へかへるてに は」と規定し、そのことを前提に考えざるを得な くなったために、整合性をもたせるべく、このよ うな説明をあえて行なう結果となったのである。
一般化し統一的に整理しようとする試みが、かえっ て穿ちすぎた解釈を引き起こしたことになる。
シヲ・モノヲに関しては「心をのこしたる也」
(シヲ)、「心をいひのこすをまはし也」と、「言ひ 残す」(省略表現)という面を重視し、姉小路式・
顕秘抄に見られた「ことはる」例の存在に言及し ていないことも興味深いところである。
カ(カハ・カシ) 「第七 かもじの事」は、
本文には「かの字の條々」とある。「一字うたが ひ・かさねたるか」「かとてとかよふ」に姉小路 式・顕秘抄にはない視点が見られる。まず、「一 字うたがひ」のカと「かさねたるか」とは対照し て取り上げられている。姉小路式・顕秘抄は、疑 問のカについて、「うたがひのか、つねのごとし。
うたがひのやのぢにおなじ」(手耳葉口傳)と、
疑問のやに準ずるものと簡単に説明するに過ぎな かった。「重ねたる」カについては、「手示葉大概 抄之抄』に「かの字二三重て置なり」とあり、一 字の場合についても、「疑の詞をそへて一ケのか とす」と、疑問の意を表す要素が複数あって、そ の調和の中において表現が成り立つとしていたの である。ところが、増抄の挙げる証歌は、
此ゆふべふりくる雨はひこぼしのとわたる舟 のかひの雫か
であり、このカは他の疑問の詞に依存していない。
それに対して、「かさねたるか」は、
秋風の吹上にたてるしら菊ははなかあらぬか 波のよするか
はる・夜のほしか河透の蛍かも我すむかたの 海士のたく火か
を証歌とし、「花か」「あらぬか」「よするか」の カ、「星か」「蛍か(も)」「火か」と、カが重ね用 いられていることを問題にする。
結局は「かさねたるか」を論じ、それと対比し て「一字疑ひ」のカに言及する形にはなっている
ものの、最初に「一字疑ひ」のカに触れ、それも 他の疑問の詞に依存しない証歌を挙げて論拠とす
るところに増抄の面目があるといってよいであろ
う。
「かとてとかよふ事」とあるのは、
足曳の山遊にをればしら雲のいかにせよとて はる・時なき
かくれぬの下の心ぞうらめしきいかにせよと てつれなかるらん
の二例を証歌としており、「かともてとも詞つ堅 き、拍子により用ゆべし」と、通用説に基づいて
論じている。「いかにせよとか晴るる時なき」「い かにせよとかつれなかるらん」とあっても内容は 一応通ずるので、その点においては「(と)テ」
と 「(と)カ」は通用するように見える。しか し、カの疑問表現としての側面はテに置き換えら れることで消滅してしまうのであるから、著者長 伯はその差異にはまったく無頓着でいることにな
る。
増抄は、「か文字」の中でカハ・カシも含めて 論じている。カハについては格別なこともないが、
カシについては、姉小路式・顕秘抄にはなかった 項目である。まず、「かしといふはねがひ也」と 述べて、
とめこかし梅さかりなる我やどをうときも人 の(は 傍記)折にこそよれ
を例示し、ほかに、「とへかし、見よかし、思へ かしなど云、皆ねがひのかしにて、めづらしから ず」とも付言している。命令形につくものであっ て、命令表現・願望表現が同一視されるところに 依拠している。四
注 命令表現・願望(希求)表現が同一視され ることは、連歌論書では一般的なことであっ た。動詞の命令形が「下知」の名称で捉えら れることはいうまでもなく(「連歌教訓』)、
希求の終助詞ナンが宗祇の「長六文』では
「下知の心」を表わすものと説明されていた。また、「休字のかし」もあり、
いかにしていかにしらせんともかくもいは
なべての言葉ぞかし
をその証歌とする。「言葉ぞ」ですでに表現は完 結し、カシは単なる添え物にすぎないと見るので ある。「願ひ」のカシ、「休字」のカシともに、体 系的に捉えるのではなく、個別の用例に基づき、
しかも文脈に依存しすぎた理解となっている。
カナ 「第八 哉どめの事」は、カナを6分類 し、「ふきながし」のカナ、「かへるかな」「いた むかな」「かんしむのかな」「中のかな」「ねがひ のかな」とする。このうち増抄に特徴的なのは
「いたむかな」「中のかな」である。まず、「いた むかな」は、
風をいたみ岩うつ波のをのれのみくだけて物 をおもふころかな
を証歌として、「物思ふころ哉、さてさてといた む也」と、意味の面からの考察となっており、
「さてさて」にその意図がよく現れている。
「中のかな」は姉小路式・顕秘抄には見えてい ないが、抄之抄には見えていた。ただ、それは
「手ホ葉」のカナの中の、「据の哉」に対するもの で、「中に置哉」と規定されている。増抄はそれ を承けて、さらに「第三の哉也。中のかなはいづ れも終の句、てにはどめにて上へかへるなり」と 詳しく述べて、独立の小項目としたことになる。
ただし、顕秘抄には、「手にはの哉」があったか ら、抄之抄、顕秘抄、増抄の三者を比べると、そ こには微妙な差異が認められることになるのであ る。(未完)
佐藤宣男:『春樹顕秘増抄」におけるテニヲハ理解の諸相 11
A Comparative Study of Teniowa in sHuNJuKEMPlzosHo
(春樹顕秘増抄)and sHuNJuKEMPlsHo(春樹顕秘抄)1
Nobuo Satδ
This paper is a comparative study of teniowa in SHUNJUKEMP皿OSHO and SHUNJUKEMPI−
SHIO.I shoud like to study how SHUNJUKEMP皿OSHO contributed to the study of teniowa under the influences of SHUNJUKEMPISHO.
Items which this paper(ieals with are as follows。
1.The mique items in SHUNJUKEMPEOSHO.
1) bemi,beku,bem;nu;keri;teki;niki;teshi;nade;men1,meri;shi;suramu.
2)to;yo
3) keki;mase;m蝕u;mani.
2.The details on teniowa which supplemented SHUNJUKEMPIZOSHO.
ramu,mu,rashi,beki;towa;o;ka,kawa,kashi;k{ma.
This paper is to be continued.