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『大乗中観釈論』における『中論』解釈の諸相

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『大乗中観釈論』における『中論』解釈の諸相

 

安井 光洋

抄録  『大乗中観釈論』(『釈論』)は瑜伽行派の論師 Sthiramati による Mūlamadhyamaka-kārikā(MMK)の注釈書であり、惟淨および法護による漢訳のみが現存している。  この論書は「瑜伽行派の論師による MMK 注釈書」という位置付けであるた め、中観派、瑜伽行派どちらの側から見ても重要なものであると推察される。また

Prajñāpradīpaṭīkā および Akutobhayā では Sthiramati が MMK 八大註釈家の一人とし

て挙げられている。しかし、この論書に関するこれまでの先行研究は決して多いと は言えない。その原因としては、何よりもまず翻訳の不備が挙げられる。  しかしながら、今回『釈論』と他の MMK 注釈書の間に特徴的な関連性が見られ ることがわかった。よって本稿においてはそれらの関連性について、他本との比較 を行いながら検討を行った。 はじめに  『大乗中観釈論』(『釈論』)は瑜伽行派の論師 Sthiramati による Mūlamadhyamaka-kārikā(MMK)の注釈書であり、漢訳のみが現存している。漢訳者は惟淨および法 護であり、冒頭より第 13 章までが惟淨、第 14 章以降が法護による訳であるとされる。  また、この論書に関するこれまでの先行研究は少なく、月輪[1929]、梶山[1963]、 江島[1985]が挙げられるほか、三枝[1984]および[1985]において言及される 程度である。本来であればこの論書は「瑜伽行派の論師による MMK 注釈書」とい う位置付けであるため、中観派、瑜伽行派どちらの側から見ても重要なものと思わ れるが、上記のように主たる研究対象として論じられることは極めて稀であった。 しかしながら、近年学界において Sthiramati への関心が高まっているのに伴い1、『釈 1 佐久間・箕浦・橘川・早島・師[2015]

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論』に関する論考も見られるようになった2。 『釈論』をめぐるこのような現状の要因としては、何よりもまず翻訳の不備が挙 げられる。それについては上記先行研究においても以下のように評されている。 梶山[1963]p.155 この惟淨による漢訳は甚だ拙劣で、漢文自体としては殆んど理解できない。 三枝[1984]p.25 もともと、『釈論』の漢訳にはかなりひどい混乱や錯綜があり、それを読解す るためには、多大の熟練を要する。  以上のように、いずれの先行研究もこのテキストの漢文が難解であることを前提 として論じられている。これらを踏まえた上で実際に『釈論』の内容を精査したと ころ、他の MMK 注釈書との間に特徴的な関連性が見られることがわかった。よっ て本稿においてはそれらの関係性について、他本との比較を行いながら検討してい く。 1 研究の方法と目的  本稿において比較の対象として用いるテキストは Akutobhayā(ABh)、青目釈『中 論』(『青目註』)、Buddhapālita(BP)、Prajñāpradīpa(PP)、PP の漢訳『般若灯論釈』 (『灯論』)、そして Prasannapadā(PSP)である。 これらの注釈書同士の関係性について筆者は拙論[2016]において論じた。論 考の主な内容としては、BP、PP、PSP が、先行する MMK 注釈書である ABh から 同様の記述をそれぞれ引用することで伝統的な解釈として継承しているというもの である。 この ABh という典籍は MMK 注釈書の中でも最古のものとされており、後代の 様々な注釈書でその記述が引用されていることで知られる。しかし、その際には いずれの注釈書も ABh という名前には言及せず、それが引用であることさえ明記 されていない。拙論[2016]において取り扱ったのはそのような引用の例のうち、 2 伊藤[2018]

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BP、PP、PSP に共通して ABh の同様の記述が引用されているというものである。 そして、それらの例を精査した結果として、ABh は中観派の歴史の中で確固た る典籍としては認知されておらず、むしろ MMK の偈頌に付随して伝承されている 「覚え書き」もしくは不特定の先達による「講義ノート」といった位置付けだった のではないか、という結論に至った。各注釈者が ABh という書名はおろか引用で ある旨さえも明記しないのはそのためであると考えられる。 また、『青目註』は ABh と内容の酷似が古くから指摘されているテキストである が、前述の例に関しては ABh の解釈とは異なった立場を示しており、このことか ら結果的にインド中観派に見られる伝統的な解釈とは相違した解釈を示している。 そして拙論[2016]ではそのような『青目註』独自の解釈が見られる背景には、鳩 摩羅什による意訳の可能性が考えられることを指摘した。  また『青目註』に見られる独自の見解は PP の漢訳である『灯論』にも影響を及 ぼしており、PP(チベット語訳)と『灯論』(漢訳)の相違点を比較したところ、 漢訳にあってチベット語訳にない記述のうち、『青目註』からの流入と考えられる 箇所が存在することが分かった。これについては拙論[2018]で論じた。そしてこ のことから漢訳の MMK 注釈書を取り扱う際、その記述には注釈者による原点由来 の記述の他に、先に漢訳された他の注釈書からの流入という可能性も想定しながら 考察する必要があることになる。 よって本稿では、『釈論』について「『釈論』の漢訳者は『青目註』の存在を知っ ていたか。またその場合『釈論』の漢訳時に『青目註』からの影響はあったか」と いう漢訳をめぐる問題と、「『釈論』は他の注釈書のように伝統的解釈を継承してい るか」という Sthiramati 自身の解釈に関する問題の 2 点について考察することを目 的としている。結論を先に言えばどちらも確認することができた。よって以下では それらについて例を挙げながら論じていく。 2 『釈論』に見られる『青目註』の影響  まず『釈論』に見られる『青目註』からの影響であるが、これは両者の偈頌の漢 訳で確認することができる。MMK の偈頌の漢訳は古い順に『青目註』(姚秦)、『灯 論』(唐)、『釈論』(宋)となっている。そのため、それぞれの偈頌の漢訳に一致が 見られた際には後者が前者の翻訳に倣っていると考えられる。これについて実際に 『青目註』と『釈論』に記載されている MMK の偈頌を確認したところ、10 の偈頌

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が完全に一致していたほか、一部を除いてほぼ一致しているものが 48 例、偈頌の 前半もしくは後半のみが一致しているものが 6 例確認された。これらのうち、一部 を除いてほぼ一致しているものの例としては以下の偈頌が挙げられる。 例 1 『青目註』第 2 章第 8 偈3 T.30 p.4a28-29 去者則不去 不去者不去   離去不去者 無第三去者 『釈論』第 2 章第 8 偈4 T.30 p.140b16,18,20 去者即不去 不去者不去   離去不去者 無第三去者 例 2 『青目註』第 7 章第 10 偈 T.30 p.9c23-24 云何燈生時 而能破於闇   此燈初生時 不能及於闇 『釈論』 第 7 章第 10 偈 T.30 p.148b24-25 云何燈生時 而能破於暗   彼燈初生時 不能及於暗 例 3 『青目註』第 25 章第 18 偈 T.30 p.36a29-b1 何者爲一異 何有常無常   亦常亦無常 非常非無常 『釈論』第 25 章第 18 偈 麗 p.168b12-13 何一性異性 何有常無常   亦常亦無常 非常非無常 まず例 1 では『青目註』の「則」が『釈論』では「即」とされている。次に例 2 では『青目註』の「闇」が『釈論』で「暗」とされているほか、『青目註』で「此」 3  MMK の偈頌は注釈書によって数が異なるため、偈頌番号も註釈書によってずれ が生じる。本稿においてはYe[2011]に示される MMK の偈頌番号に統一して表記 する。 4  本文は偈頌の間に注釈があるが、ここでは便宜上、偈頌を続けて表記した。

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とされている箇所が『釈論』では「彼」とされている。そして例 3 では両者の第一 句に相違が見られるものの、内容は共通している。以上のように、これらの例はい ずれも文字に若干の相違が見られるものの、意味は大きく変わらないというもので ある。 ここで参考として『青目註』と『灯論』の偈頌についても比較をすると、両者 の間で完全に一致している偈頌は1例しかなく、またほぼ一致しているものは29例、 前半もしくは後半が一致しているものが 2 例となっており、いずれの例も上記『釈 論』の例より少ない。 また『灯論』はその序文で『青目註』について言及されていることから、漢訳 者である Prabhākaramitra と彼の訳経グループのメンバーが『青目註』の内容につ いて認識していたことが確認できる。このことから偈頌の漢訳で両者の間に一致が 見られる例に関しては『灯論』漢訳の際に、先行する漢訳である『青目註』の訳例 が参照された可能性が高い。 他方『釈論』については序文が存在しておらず、本文中でも『青目註』への言 及が見られないため、漢訳者が『青目註』の内容について認識していたか定かでは ない。しかし、上記のようにそれぞれの偈頌の関係性を確認したことで、『釈論』 の漢訳者も『青目註』の内容を把握しており、個々の偈頌を漢訳する際に参照して いたと考えられる。以上が『釈論』の漢訳における『青目註』からの影響である。 3 『釈論』に見られる MMK の伝統的解釈  ここからは Sthiramati が中観派においてどのように位置付けられ、また『釈論』 が MMK 注釈書としてどのように伝統的解釈を継承しているかを見ていこう。  まず Sthiramati の活動年代に関しては諸説あるが Dharmapāla や Bhāviveka と同時 代人とする見方が一般的である。また彼は冒頭で述べた通り瑜伽行派の論師として 広く認識されている。しかし、その一方で PP の複注である Prajñāpradīpa-ṭīkā(PPṬ) を確認すると Sthiramati が MMK 八大注釈家の一人として挙げられている。

〔PPṬ〕 D.73a4-5,102a2-3,153b2-3 P. 85a7-9,119a8-119b2,176b8-177a1

bstan pa chos 'di'i 'grel pa byed pa mang ste/ 'di lta ste/ slob dpon gyi zhal snga nas dang/ gnas brtan bu ddha p'a li ta dang/ can (can P ; tsan D) dra k'i (k'i D ; ki P) rti

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dang/ de ba sha rma dang/ gu ṇa shr'i dang/ gu ṇa ma ti dang/ sthi ra ma ti dang/ slob dpon legs ldan 'byed nyid la thug pa'i bar dag yod pa

この論書[MMK]の注釈者は多い。すなわち[Nāgārjuna]師御前と、Bud-dhapālita 長 老 と、Candrakīrti と、Devaśarman と、Guṇaśrī と、Guṇamati と、 Sthiramati と、Bhāviveka 師にほかならない。

 また、これと同様の系譜が ABh のコロフォンにも記されている5。このことか ら中観派において Sthiramati は MMK 注釈家としても認知されていたと考えられ る。そして『釈論』に関しては Tāranātha の『インド仏教史(Rgya gal chos 'byung

bzhugs)』に以下のような記述が存在する6。   

『インド仏教史』 Schiefner[1868]p.107 l.5-8

de yang slob dpon blo gros brtan pas dbu ma rtsa ba'i dgongs pa rnam rig tu 'grel pa'i rnam bshad la/ de'i glegs bam lho phyogs kyi rgyud du byung nas/ legs ldan gyi slob ma rnams kyis mi 'thad par byas so/ /

さらにまた阿闍梨耶 Sthiramati(blo gros brtan pa)による dbu ma rtsa ba'i dgongs

pa rnam rig tu 'grel pa'i rnam bshad(*Mūlamadhyamakasandhinirmocana-vyākhyā)

について、その経巻が南の地方に現れたが、Bhāviveka の弟子たちは(これを) 認めなかった。 ここで言及されている書名が『釈論』であると考えられる。以上のことから Sthiaramati が中観派の論師として挙げられているだけではなく、彼の著作である『釈 論』もまた述作当初から中観派において認知されていたという伝承が存在していた ことが分かる。 また、『釈論』と他の注釈書の関係性について先行研究では、上述の月輪[1929] で『釈論』に引用されている Āryadeva の Catuḥśataka が、BP の同箇所でも引用さ れていることが報告されているほか、『釈論』と BP および PP の間にいくつかのパ ラレルフレーズが見られることが指摘されている。しかしながら同論文は執筆当時 5  ABh D.99a7, P.114a6-7

6 この記述に関しては龍谷大学講師早島慧氏にご教示いただいた。ここに記してご 厚意に感謝したい。

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の通説に則っているため、Sthiramati の活動年代を Buddhapālita、Bhāviveka より以 前に設定している。そのためそれらのパラレルフレーズについても「BP、PP が『釈 論』の影響下にあった」という観点から論じられている点に問題がある7。 よって以下では Sthiramati の活動時期および『釈論』の成立時期についても留意 しつつ、例を挙げながら確認していく。 ⑴ まず例として挙げるのは MMK 第 7 章第 4 偈とその注釈である。この第 7 章の冒 頭では生住滅の三相のうち、生がもし有為であるならば、そこにもさらに有為の特 質である生住滅が伴うことになるという Nāgārjuna の主張が述べられ、もしそうで あるならば無限遡及の過失に陥るとしてアビダルマの教理が批判されている。そし て、このような批判に対して反論者の側から主張が述べられるのが以下の第 4 偈で ある。 〔MMK Chap.7 v.4〕 Ye[2011]p.108 utpādotpāda utpādo mūlotpādasya kevalam/ utpādotpādam utpādo maulo janayate punaḥ/ / 生生は本生のみを生じる。 そして本生は生生を生じる。 ここでは先に述べた「生住滅それぞれにさらに有為の特質があるならば無限遡 及に陥る」という Nāgārjuna からの批判に対して、本生(mūla-utpāda)は生生(ut-pāda-utpāda)によって生じられ、その生生は本生によって生じるのであるから無限 遡及には陥らないとしてアビダルマの立場から反論が述べられている。そして、こ の反論はアビダルマで説かれる九法倶起の教理8に基づいていると考えられる。 7  「扨、吾人の今云わんとする所は、安慧の中観釈論は如何に其後の人々、殊に仏 護や清弁に影響を及ぼしたか、就中引用文や説明の文例に於て如何に安慧の相が彼 等の上に現れたか、それを見るのが已下の主眼点である。」(月輪[1929]p.207) 8  諸行生時九法倶起。一者法。二者生。三者生生。四者住。五者住住。六者異。 七者異異。八滅。九者滅滅。此中生能生八法。謂法及三相四隨相。生生唯生一法。 謂生由此道理無無窮失。(『阿毘達磨大毘婆沙論』T.27 p.200c25)

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しかし、この偈頌に対して ABh は 9 の法ではなく下記の 15 の法が同時に生ずる として、それを列挙する。そして、この記述は他の MMK 注釈書においても一様に 引用されている。以下がその一覧である。参考までに、ここでは ABh を例として 挙げる。

〔ABh Chap.7 v.4〕 D.43b7-44a7, P.52a4-52b5

①法(chos) ②生(skye ba) ③住(gnas pa) ④滅('jig pa) ⑤具有(ldan pa) ⑥老(rga ba) ⑦解脱(rnam par grol ba)あるいは邪解脱(log pa'i rnam par grol ba) ⑧出離(nges par 'byung ba nyid)あるいは不出離(nges par 'byung ba ma yin pa nyid) ⑨生生(skye ba'i skye ba) ⑩住住(gnas pa'i gnas pa) 

⑪滅滅('jig pa'i 'jig pa) ⑫具有具有(ldan pa'i ldan pa) ⑬老老(rga ba'i rga ba)  ⑭解脱解脱(rnam par grol ba'i rnam par grol ba)あるいは邪解脱邪解脱(log pa'i rnam par grol ba'i log pa'i rnam par grol ba) ⑮出離出離(nges par 'byung ba nyid kyi nges par 'byung ba nyid)あるいは不出離不出離(nges par 'byung ba ma yin pa nyid kyi nges par 'byung ba ma yin pa nyid)

前述のようにこれらの 15 法は BP、PP、PSP といった後代の注釈書においても 列挙されている。その表現にはそれぞれ多少の相違が見られるが、今回は紙幅の都 合上、割愛する9。そして、『釈論』においてもこれと同様の解釈が見受けられる。 『釈論』第 7 章第 4 偈 T.30 p.147c29-148a9 ①生 ②住 ③滅 ④正解脱 ⑤邪解脱 ⑥非出離法 ⑦出離法 ⑧生生  ⑨住住 ⑩滅滅 ⑪正解脱眷屬 ⑫邪解脱眷屬 ⑬非出離法眷屬  ⑭出離法眷屬 ⑮本生法 これを見ると細かい相違は見られるが、他の注釈書と同様に『釈論』において も 15 の法が列挙されている。また、この教理を説く部派について PP、『釈論』、 PSP では特定の部派名が挙げられている。しかしその部派名は PP と『釈論』では 9  詳細は拙論[2016]pp.12-14 を参照。

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犢子部とされているが、PSP では正量部とされており、註釈者間で見解が一致し ていない12。 犢子部と正量部は互いに類似した思想を説く部派とされているが、これについ ては Bhāviveka、Sthiramati、Candrakīrti のそれぞれが当時、自身の周辺にいた部派 の中で上記の教理を説く部派の名称を挙げたものと考えられる。またこれらに先行 する ABh および BP では特定の部派名については言及されていない。このことか ら PP 周辺で部派名が言及されるようになり、それが後代に継承され、その際には 注釈者自身の周辺の情勢に沿った内容に修正されていったという発展過程が想定さ れる。 ⑵  次に挙げるのは MMK 第 6 章第 1 偈、第 2 偈とその注釈である。この章では ABh が第 2 偈の注釈において、第 1 偈と第 2 偈に見られる「貪り(rāga)」と「貪る者(rakta)」 という 2 つの単語の位置を入れ替えた偈頌を挙げている。そして、『釈論』を含む 後代の注釈書においても同様の手法が用いられているのである。 実際に該当する箇所を見てみよう。以下に MMK の第 1、2 偈と ABh の第 2 偈の 注釈を挙げ、続いて『灯論』、『釈論』、PSP を挙げる。また単語が入れ替えられた 偈頌についてはそれぞれ便宜上[1’]、[2’]とした。 〔MMK Chap.6 v.1〕 Ye[2011]p.90 rāgād yadi bhavet pūrvaṃ rakto rāgatiraskṛtaḥ/ taṃ pratītya bhaved rāgo rakte rāgo bhavet sati/ /

もし貪りより先に、貪りを欠いた貪る者が存在するならば、

彼(貪る者)に縁って貪りは存在するだろう。貪る者が存在するときに、貪り は存在するだろう。

10  PP:gnas ma'i bu'i sde pa dag gis smras pa/(D.103a2, P.125b7)、『釈論』:復次犢子 部師言。(T.30 p.147c24)

11  atrāhuḥ sāṃmitīyāḥ/(LVP[1903-13]p.148.1)

12  このように MMK 中に現れる反論者の部派について PP が犢子部、PSP が正量部 とする例はこの第7 章の他に第 9 章にも見られる。

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〔MMK Chap.6 v.2〕 Ye[2011]p.90 rakte sati punā rāgaḥ kuta eva bhaviṣyati/ sati vāsati vā rāge rakte 'py eṣa samaḥ kramaḥ/ /

貪る者が存在するときにも、どうして貪りが存在するだろうか。

貪りが存在するときにも、あるいは存在しないときにも、また貪る者について もこれと同様の次第である。

〔ABh Chap.6 v.2〕 D.42a2-4, P.49b6-50a1 yang gzhan yang/

gal te chags pa'i snga rol na/ / chags med 'dod chags yod na ni/ / de la brten nas chags pa yod/ /

'dod chags yod na chags yod 'gyur/ /[1’] …

'dod chags yod par gyur na yang/ / chags pa yod par gal 'gyur/ /[2’ab] …

'dod chags la yang chags pa ni/ /

yod dam med kyang rim pa mtshungs/ /[2’cd] あるいはまた もし貪る者より先に、貪る者の無い貪りが存在するならば、 それに縁って貪る者が存在する。貪りが存在するなら、貪る者が存在す るだろう。[1’] (中略) 貪りが存在するときに、どうしてさらに貪る者が存在するだろうか。 [2’ab] (中略) 貪りにも、貪る者が存在しても、存在しなくても同様の次第である。[2’cd] 以上を参照すると、まず前述の通り ABh では「貪る者(chags pa)」と「貪り('dod chags)」とを入れ替えた 2 つの偈頌(1’、2’)が挙げられている。またここには挙

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げなかったが BP および PP もこれと同様の表記をしている。そして以下は若干表 現に変化が見られる例である。 『灯論』第 6 章第 2 偈 T.30 p.73b 19-c2 染者先有染 離染者染成[1’ab] (中略)如偈曰 離染者染成 不欲得如是[1’cd] (中略)論者偈日 有染復染者 何處當可得[2’ab]   『釈論』第 6 章第 2 偈 T.30 p.146b6-21  今爲證成此義、是故頌言 染者先有染 離染者染成[1’ab] (中略)復次頌言 有染復染者 亦云何當得[2’ab] 〔PSP Chap.6 v.2〕 LVP[1903-1913]p.139.4-6

raktād yadi bhavet pūrvaṃ rāgo raktatiraskṛtaḥ/ [1’ab] ity ādi/ …

rāge 'sati punā raktaḥ kuta eva bhaviṣyati/ [2’ab] iti/ もし貪る者より先に、貪る者を欠いた貪りが存在するならば[1’ab] 云々という。(中略) 貪りが存在しないときに、どうしてさらに貪る者が存在するだろうか。 [2’ab] という。   以上のようにこの 3 例では、貪る者と貪りを逆転した偈頌を置くという点では ABh など他の注釈書と共通しているが、いずれもその偈頌に多少の省略が見られ 13  BP D.183b2-3,5-6,7 P.206b7-8,207a3,5 PP D.96b6,7,97a2,4,6 P.117b5,6,8,118a4,7

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る。まず『灯論』では 2’cd に当たる部分が示されていない。そして、『釈論』およ び PSP では 1’、2’ ともに後半が省略されている。 この 1’、2’ の省略については『灯論』、『釈論』、PSP といった今回挙げる注釈書 群の中では後代のものに見られることから、PP 以降 PSP 以前のいずれかの時点で 省略されるようになっていったと考えられる。特に『灯論』と PSP の省略の形が 一致していることから両者の間に近似性が認められる。 ⑶  最後に挙げる例はこれまでと異なり、PSP と『釈論』の間にのみ共通点が見られる というものである。当該の箇所としては以下に挙げる MMK 第 16 章第 7 偈の注釈で ある。 〔MMK Chap.16 v.7〕 Ye[2011]p.252

badhnīyād bandhanaṃ kāmaṃ bandhyāt pūrvaṃ bhaved yadi/ na cāsti tac cheṣam uktaṃ gamyamānagatāgataiḥ/ /

もし繋縛されるものより先に繋縛が存在するならば、たしかに(繋縛されるも のを)繋縛するだろう。しかし、それ(繋縛)は存在しない。そのほかのこと は(第 2 章の)現に去られつつあるところ、すでに去られたところ、まだ去ら れていないところ(の考察)によってすでに説かれている。 ここでは繋縛と繋縛されるものの関係性について、すでに第 2 章において論じ られている内容と同じであると説かれている。そして、この偈頌を受けて『釈論』 と PSP では実際に第 2 章の「現に去られつつあるところ、すでに去られたところ、 まだ去られていないところ」を「繋縛と繋縛されるもの」に置き換えた偈頌が示さ れている。 〔MMK Chap.2 v.1〕 Ye[2011]p.32

gataṃ na gamyate tāvad agataṃ naiva gamyate/ gatāgatavinirmuktaṃ gamyamānaṃ na gamyate/ /

まず、すでに去られたところは去られない。まだ去られていないところも去ら れない。すでに去られたところと、まだ去られてないところを離れて、現に去 られつつあるところも去られない。

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〔PSP Chap.16 v.7〕 LVP[1903-1913]p.292.2-5 ślokapāṭhaparivartanena/

baddho na badhyate tāvad abaddho naiva badhyate/ baddhābaddhavinirmukto badhyamāno na badhyate/ / ityādinā yojyam/ シュローカ(詩頌)の読みを転換して まず、すでに繋縛されているものは繋縛されない。まだ繋縛されていな いものも繋縛されない。すでに繋縛されているものと、まだ繋縛されて いないものを離れて、現に繋縛されつつあるものも繋縛されない。 等と読まれるべきである。 『釈論』第 16 章第 7 偈 麗 p.141a17 復次頌言 已縛即不縛 未縛亦不縛   離已縛未縛 縛時亦不縛  以上のように PSP と『釈論』のみが第 16 章第 7 偈の注釈で第 2 章第 1 偈になぞ らえた偈頌を提示している点で共通している。この例と先に⑵で見た偈頌の省略の パターンを参照すると、『釈論』と PSP の間で注釈のスタイルに類似性が認められる。 また、⑴では「犢子部」という部派の想定について『釈論』と PP の間で一致が見 られた。 このように ABh の示す伝統的解釈を継承しつつも、PP、PSP には ABh、BP といっ た初期の注釈書には見られなかった記述の付加や、省略が施されている。このこと から、これらの相違は PP 周辺から PSP 以前の間に生じたものと考えられる。そして、 それと同様の内容が『釈論』にも見られることから、『釈論』の成立と Sthiramati の活動年代についても PP 直前から PSP 直後の間を想定すべきであり、少なくとも 上記月輪[1929]の示す「BP より前」という想定は成り立たないだろう。 結語 以上、『釈論』の内容について他の MMK 注釈書と比較を行いながら考察してきた。 その結果として、まず漢訳という観点においては『釈論』が MMK の偈頌について、 先行する漢訳である『青目註』の訳に広く基づいていることがわかった。

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他方、著者 Sthiramati による注釈の内容については ABh から PSP へ至るインド 中観派の伝統的な注釈スタイルに則ったものであることが確認された。このことか ら、瑜伽行派の論師として知られる Sthiramati であるが、中観派において伝承され ていた正統な MMK 注釈の作法についても知悉していたと考えられる。また、これ は上述の Sthiramati を MMK 八大注釈家の一人として数える伝承を裏付けるもので もある。 略号および使用テキスト

ABh:Mūlamadhyamakavṛtty-Akutobhayā, D. No.3829, P. No.5229 BP:Buddhapālita-Mūlamadhyamakavṛtti, D. No.3842, P. No.5242 D:sDe dge edition

LVP:Louis de la Valée Poussin

MMK:Mūlamadhyamakakārikā → see Ye[2011] P:Peking edition

PP:Prajñāpradīpa, D. No.3853, P. No.5253 PPṬ:Prajñāpradīpa-ṭīkā, D. No.3859, P. No.5259 PSP:Prasannapadā → see LVP[1903-13] T.:大正新修大蔵経

『インド仏教史』:Rgya gal chos 'byung bzhugs → see Schiefner[1868]

『釈論』:『大乗中観釈論』 T.30 No.1567 麗 41 K1482 『青目註』:青目釈『中論』 T.30 No.1564 『灯論』:『般若灯論釈』 T.30 No.1566 麗:高麗大蔵経 参考文献 伊藤瑞康 [2018]:「スティラマティの思想的特徴について ―『大乗中観釈論』の「相の用例より」 ―」『大崎学報』第 174 号 pp.25-43 江島恵教 [1985]:「『中論』注釈書における「縁起」の語義解釈」『平川彰博士古稀記念論集  仏教思想の諸問題 pp.139-157

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参照

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