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異文化理解論の諸相

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Academic year: 2021

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(1)文. の諸相. ︵Wヰ 卜 ㏄目りの 村ヰの ハトのH Ⅱ 日ヲ のヰ 円オト Ⅰ目 ヰ井 の洋 Ⅰ 田 弓. 決して異文化、つまり﹁外国人﹂. アメリカで異文化問コミュニケー ションが始めて論じられた一九六 0 年代、それはアメリカ人にとって. とどのように付きめうかの問題で はなかった。異文化をどのようにし て理解するかでもなかった。もとも と異文化の混じり合ったアメリカ. において、その内部での文化的、 も つと具体的に言えば、生活習慣上 の摩擦にど う 対処するかが焦眉の間 題 として浮かび上がったからこそ. 論じられたのだった。 ョーロッ。ハを始めとするほ ほ 世界申からの 人 種 の寄せ集めであるアメリカにとって 、現在の日本にとってのような﹁文. 化を異にする外国﹂はもともと 存在しなかったのかもしれない。 自 分. 井本師. 二. のゴ 。ゴ︵ 巨 0円0. ば 、日本にとっての何回目かの﹁文 明開化﹂としての異文化への﹁目. め﹂であった。だから、何よりも、 欧米はこれこれであるとの解説. り紹介なりが、そのまま価値観の押 し付けにまでなる傾向が強かっ. 。もちろん、すべての価値観がその ままに受け入れられたのではな. 、日本人 流 に変貌することが多かっ たが。しかし、異文化すなわち. 末文化、すなむち先進文化との意識 は、拭っても拭っても拭い切れ. い、今もって綿々と続いている、 日本人にとっての一種の桂 桔 であ ,フ 。. 戦後のある時期、﹁イギリス人は走りながら考える、フランス人は考. てから走り始める、スペイン人は走 ってから考える。・﹂という 表. が 日本に紹介され、大いに人口に 檜 灸し 、大真面目に論じられたこ. はずもなく、眼中になかったとも 壬 日えよ う 。問題はだから対外的な も. があった。走りながら考えるとい,フのは思考と実践の融合を重視す. ものであった。内部に起きた焦眉 0間 題 に対処することではなく、与一 由ヰ. それに比べて、日本における異文 化 理解の議論は始めから対外的な. であった。. のではなく、ようやく表面化してき た内部での様々な文化の食い違い. たちが包含していると思っている 様々な文化の他には文化が存在す る. たな 覚わ. く. ろな 欧. 現え. イギリス 人独特の合理性なのだろ,フか、フランス人は慎重で走る前. と. 考えるが、走り出したら止まらな いのだろうか、走ってから考える. る. いう のは思考より行動を優先させる スペイン人の傾向なのか、はた. に. と.

(2) 87. 者. は. っ. ィ. な. 杯洗 ジそ表. 表ク. ては 走フす での スた. し. し. 異 文 ィヒ. 理解. 論. 度双ン. の諸. 相. 井 本 同一ⅠⅡ. な考. が. く. え か. ね. っ か. る. て の. はか真. め ら. ぅ. 。. かンる ら. デ. 。. な. 側ジ. 底 ン軽. ・. イ. る. ま. 主のお. ス. で. に し. ま. |. 恵撫にあ. と. 「. ょす除い. 米欧映画. バ. の. で. コル「. 求. よし後っ. 文.

(3) 86. い. 、 生. よ う. ろ ぃ そ こ. にの. う. 。. い. だ. はれ取を. 風でる. そ. 日. はる弊で応み. がべ. あ だ. も. る. か. 日. 。. ら. 本. ら. 木のれ. 見 いが. き. かは待た. 異 文 Ⅰ 4し. オ. 『. のあ こ. 理解. 論 p. ろ. て. ぃ. ひ. は. 、. る ょ. ん. 。. 本 毛. 多にが く. での. 自. 滅. 異論 異. 文. じ文. 終そす. はなそのび的の. る. 」. の. 諸 中日. 井 本 同一ⅠⅡ. 擦、はそ. 。. の 間. 理. 時の. うと. 議論. め て 問. こ と と. を. し. 論 てが. 穿だ. 確か. れあ 陥解反試 はに 方突. の 街. 「大熱を. 梅 もで 持. 南台あ. 』. め. 経. ". [こが. っ. 「. さ. 具る熱ジ 日南. ". る. 。. て. べを にを 範 両性 と 辞 熱る 知せ 悠理 林反い書 「 帯イ も よ起が 以射 ずに 梅 、. メ. ず. 永井のれで. メ. と. ず言行. 題 しる 葉 と. て 。 に 、 具. ち. り. 思 の. く. 身な. っ大典. 受て 部な. にあ. 浸. し. 像こ @@ く. @. 雨. 甲. と. 現けい分る わてるは. て付 支 提 の 叱. れいと. 起す. 考 た. 。. る. そ う. 議論. が横. の. め陥ンこ起. ころ. 。. 、 世. 00 Ⅰ. ず い. にべ日 豪て 木強 9. 乾店はも 幸大熱 、 か本ね 」 な帯柔. 浮 ジ l. 田. い. で ど. ず. 引 ん. くな. l. が ま. 穿以 ろで. シ. か り に に. いの. ン 」. も. 当. の外に く. 煮. 、 外. 、 黙 っ主な 改 のか と 陥. あ る. 。. ョ. 同論 じの.

(4) 85. 雨皮. の 混 ん 目. 誤. で. よ. 特高 ち な期 いろ 、 は. 、 梅 と. と. の と ぅ. 雨 と. ら. 本 、 人 そ. 解. にのい じ両両 広 しま 梅. 生る話の由 ずにに多で の. 事はる. 様. 人伝名. 山 た. 素. 案外程々 に統や 来聖イ. 異文. ィヒ. 理 論 。. 角平. の 諸相. 井 本. 同 一 打. 雨. 四. ﹁歯並び﹂を和独辞典で引くと奇口 ォ ∼の オの Ⅰそれを独和辞典で引くと ﹁歯列﹂となっている。 瞳﹁ ﹂は田目 づ日のだが、それは﹁瞳孔﹂と説明. される。いずれも、どこの舌口語お にいても、名詞といえどもそれだけ ですでにある種の感覚なり感情なり を伴ったものもあるということで. ある。この例で言えば、﹁歯並びが 美しい﹂﹁きれいな 瞳﹂のようにし か使わないものもある。そこでは ﹁歯列﹂や﹁瞳孔﹂では意味をなさ. 物 は同じでも、医学用語には感情 ない。言葉が﹁指し示している﹂ ま では込められない。. 水. ﹁あなたは神を信じますか﹂。しばし ぱ 聞かれる、場合によってはそ. れに対する回答が統計的に論じられ ることさえある。しかし、﹁ 神﹂や. ﹁信ずる﹂のイメージがまったく異 なるところで質問に対する回答を. 比較してみても、回答そのものの 分 析 にしかなり得ないであろう。 っ. まり﹁そういう質問﹂に対して回答 者が﹁どんな反応﹂をしたかの 結. 果 が出るだけであって、いくつかの グループで﹁神を信ずる 人﹂の割. ムロがど う違 う かの比較は、まったく 別問題となろ う。﹁ 神﹂のイメージ. はおそらく、ほとんど各宗教ごとに と 言ってよいほど異なるからであ. る。誰しもが、 いや、ほとんどの 人 が、 世の中にあまた並列的に存在. する神のなかから自分が信ずる神を 選んだのではない。自分が生まれ. た 、あるいは育った環境の中で、 少 しず つその宗教感覚を身につけ、 育んでいくのだから。. 神 ﹂という日本語を当て、その他 キリスト教のの。中に対してのみ﹁ の宗教の場合は、たとえば﹁アフラ マズダ﹂﹁エホバ﹂﹁アッラⅠ﹁ ヴ. ィ シ ス﹂と原語のままにカタカナ 書 きするのも、日本人には大いなる.

(5) 84. 誤解を助長しているであろう。 た とえ ﹁アッラーの神﹂と言っても事 情は変わらない。それは、キリス ト 教のの。由が普遍的な﹁ 神﹂である. 水. いくらかは。キリ. 煮 しているからである。キリスト 教 のの。隼も﹁ゴッドの神﹂と言った. のようにどこかの印刷物か発言とな って伝えられている。はたしてそ. に、というより﹁日本人にとって﹂ 始めから定説のよ う である。毎日. ﹁あいまいな日本語﹂とか﹁情緒的な 日本語﹂という言い方はすで. 時にのみ、いくらか状況は変化す るかもしれない。. めだ るぅか 。言語学的にそんな 結 ぅ であろうか。どうしてそ う き口える. のに対して、﹁アッラーの神﹂とい, フ ﹁特殊な神﹂が存在することを含. スト教を信ずるアラブ人の場合、地 域 によっては、キリスト教の神を. ぃ浮かべてみるしかない。ましてや 、﹁天気予報を信じて傘を持たずに. ら、 信じたことのない者には、 将来信ずるかもしれない時のことを 思. しかし元来、神はそれを信ずるもの にしか存在しないのであろうか. ないことは、論理学を学ばなくても 分かる。ひょっとしたら、学 はな. せよ思考にせよ、初歩的な意味での 論理性だけで成り立っているので. しかし、はたしてあいまⅡ ド でない卜三口 一語が存在し得るだろうか。言語に. ﹁あいまい﹂なき口語というのは明ら かに ネガティヴな評価である。. 論 でも出たのであろうか。. 出たのに雨になった﹂がごく ふつ ぅ 0 日本語であるなら、﹁神を信ずる﹂. ぃ方が分かるかもしれない。思考 や推論によってどんなに世の中が 、. ﹁アッラー﹂と呼ぶことがある中。. 人 にとっては﹁信ずる﹂こと自体が まったく別の話しになろ う。. そして自然界が解明されよ う とも、 論理性だけで説明され尽くすもの. ぅ意味で、論理性ないしは合理性と いう 人間の思考は、その外側に 、. 宗教風土の違 う 地域で﹁神を信 ず る人 ﹂がどれくらいいるかを、 ど. 翻訳の困難さ、あるいは不可能性 はもちろん今に始まった問題では. いや、それを包むように論理、合理 を超えた非合理の世界があるから. でないことは、人間が歴史を背負っ ているものである以上、おそらく. ない。おそらく、﹁聖書﹂が へブラ イ語からギリシャ 語 へ、ラテン語 へ. 理の世界が広がれば広がるほど、 ロ こそ発展し得るのである。論理・ ム. ぅ しても比較したかったら、言葉 による質問と回答ではなく、その 人. と翻訳された時にはもちろんすで に存在した大問題であり、さらに、. その向こうにさらに 荘漠たる非合理 0世界が見えてくる、そういう 論. 宿命であろう。そのことは、人間に 過去と未来があるからという理由. 古今東西に遍在しているだろう。 翻訳の困難さではない、言葉が通 じ. 理 ・合理でなければ、それは独断で あり、迷妄でしかあり得ない。感. たちの言動をつぶさに観察して、 それがどの程度に﹁神を信ずる 心﹂. 合ったと思った時、分かりムロえたと思った時にこそ潜在する誤解、 偏. 時も、 情の表現としてのミ口語は言 う までも なく、思考の表現としての舌口話. だけで、それ以外の証明は不可能で あり、不必要であろうが。そ うい. 見には、いつも留意しておかねば ならない。キリスト教が日本に入っ. ある範囲の外ではあいまいさを含意 できねばならないと言えよう。. に発しているかを調べるしかあるま い。まさに至難の業であろう。. てきた時に、そのの。隼がどのように 訳されたか、﹁大日﹂ か ﹁ゼウス﹂. あるとしたらそれは、論理性に だからもし、 お Ⅱま ⅡⅠ ハ Ⅱトで なⅡ ド 八 Ⅱ二胆 口が 話. 富んだ言語なのではなく、あいまい なものを表現できない言語に過ぎ. か、そういう歴史を知ることもも ちろん大切であろうが、異文化 理 角牛. としての当面の問題は、現在、キリ スト教の場合のみ一般に﹁ 神 ﹂と 呼. 五. ない。しかし、実際には、もしそ ちな 区別が存在したらという前提の. 滴二. ばれていることである。. 異文化理解論の諸相井本.

(6) る. だ. か. し. 異文化理解論の諸相井本的 二. ユ@"". ぅ. へ. ノ. 当. であ. れを一般化してしまう例をもうひと っ挙げよう。. 自分だけの﹁気持ち﹂に よ る判断に 過ぎないことに気づかずに、 そ. か め. こ し. 上 だが、未発達の言語と高度に発 達した言語のどちらも、それらは 論。. だで. 」. 現細慣. い. こ. 上 そ は い. も. る. ら. 理性とあいまいさの両方を含んで いるであろう。両方が並存してこ そ. な雨る. Ⅰ 冊 言語は人間の思考と感情の表現 と して成立し得るのだから。言語の 込 口. そ. う. ぅ. あ 少. 結. で. なろを表 文化一. と. に難が. がに. はで. そにな 共こ. で. では. ぅ. う. 語が. 。. 細や. そ. 日. 本. 求. ・. 母. こと. れの. 論理. しま. そだろ. 燃. 日. そ. とで. され. 対し. 語が. で差に多. 。. ょう. 同 と. こま. いあ たろ 、 々. 。 て. 本のれ け こ ぞのか. に語. こ. えて. く. をた. 様 く 分化. 語 が. 風土. さら. して. 単に づ現 誇言かと. ヒ、. ィ. はあ. を. 的な. 向上. り ぅと. た. けな. 情理が成ははるか 墓表がい のすやにな. ,@@ 理性が発達するに つれて、ある ぃは、間違った方向に進化すること キL. イ. 部る 生かに的多 かな り. けで. 情 語がは. であ. よって、その中にあいまいさが 紛れ 込むようになるのではない。 青 まⅠ. フ. 目. l緒こ圭. す緒情 十母. には一貫してあ いまいなものが必要 である。. テ サ Ⅰ 再こ. 適 寓. ". コミュニケーションにおいてはそん な 問題ではないと言われるかも. ネガ lV ,。 ろ. 緒性 文人. しれない。日本語は様々な﹁取り 引き﹂においてあいまいな表現が使. ぅ. と. われるから困るのだと。確かに 事 突 かもしれない。あるいは、政治 的. 、 慢. すでのむの 論方. な 意図からあ いまいな表現が使わ れることももちろんあろう。あい ま. 感のそ い. " の. いに取り決めたい時もあるかもしれ ない、あるいは、意図してあいま. だ あ. 感情. 」 、. 語末だな. いな表現を使って、あとで捻じ曲げ ようとする場合もあろう。しかし、. の. し も. 合. ょ. それはまったく日本語の問題では ない。どこの国でも、どんな言語で. 葉 一一一一口 現 あ. り. ではない、人間関係の問題である。 も行われることである。舌口語の責任. んで ず リ. は ア、 も. 目 ら. 、 を. ま. るはは. 口薬づかいが時に遠慮、跨曙 、配 日常生活においては:あいまいな圭一. 語 「は 本 だ細 な 話. 日. 慮などを表現することは、これも どこの国でも起こる現象であり、 必、. あ. と. 白. 心る. 目. 国. 要 なものである。その是非を論ずる のは言語に対する無知に過ぎない。. 豊の場 は る. 証 外. あいまいにほかす表現のない言語 がもし存在するとしたら、さぞか. ね を表のは. し. し 不毛な、貧困な文化であり、早晩 、 行き詰るであろう。いや、それ. り. 情っ れ 問. に い. の. ん本 っ. が 文化の名に値するものなら必ず や、 行き詰る前に 、豊かなあいまい. 「清. |. だ ぃ し. さを創り出すに違いない。. 為 」 め緒 す 心高 約. 思いかな. 語. かて 確. や い が. と. ヴ. ので だ人. 言. ・. 83.

(7) 82. 「問え間の. と. 解にれ目. 「. そそ実は場いで 本た的が無や. ど. 分. 自. 反. 一見の. たあ. し. |. 異 文 ィヒ. 理 角平. -n. 。. 紘冊. 』. の. 諸. 相. 井 本 同一Ⅱ。 間. 指頭. で 摘. し. も. は. れ. 日. デな. 。. | し キ. い. も. た. も. け. と. る」. と. 回. か解 知. る. る 」 ャ. こ と. と. だ. 田. に. 。 ス. 最、 ソ. にやの. 強. ツルっ場 らずにが. る. が な. 他 意. て. も. れ 特. 最近な. く. 、. 七. あ 分. こ. れ. さ. さ. の 問. 自 と. 、. 勢 除. ら. 煮. き. り. 期. 、. ど. わや 対 た愛 外. 式 しい. し. 達はね. ち. 葉め. ら 本. う. 人い. 。. ぅ. と. り. 諭.

(8) 8]. 異文化理解論の諸相井本的二. 水. 日本で 八年ばかり前、冷夏のために米の 凶作の年があった。あり 余. @. ・Ⅰ. いたに違いない。みと ユ言われたタイの留学生は、まず質問の意味が分 からなかった。同じように見える 米 でも料理の仕方、食べ方はまった. かったのである。もちろん、件の投 妻子は後になって質問の意味を理 解し、件の主婦の側にとんでもない誤解があったことを察知したから. く異なるのだ、比べようがないではないか。質問されて﹁戸惑った﹂ というのは、答えの表現に困ったのではなく、質問の意味が分からが. の ﹁外米﹂時代を記憶している年配者は、 何 十年も前の、日本が食糧. こそ投書なさったのだ。. っていた はずの米が足りなくなり、東南アジ ァからも輸入する事態に. 事情に乏 しく、何もかも﹁貧しかった時代﹂ に引き戻されたような 気. なった。 輸入米の味は日本人には、はなは だ 評判が悪かった。かつて. 持ちを 味 わった。結果的に、ほんのかりそめ ほ ではあったが。しかし、. のになった。日本人にとってはそれ はあらゆる意味で﹁向上﹂であっ た。しかし、進化とは自然界においても人間社会においても、個々の. をかけて米を改良し、﹁美味し日 い本末﹂を作るようになった。八年前 に食べたタイ米より、何十年前に食べた外米よりはるかに美味しいも. 米の ルーツ論の帰趨はまだ決まら タ ずとも、日本人なら日本の米も イの米もルーツは同じだろうと思っている。ただ、日本人は長い年月. それほど に、東南アジアからの米の味は現 在の日本の米とは違って い こ ヰ。 れ. そ. それか ら 数年して、こんな投書が新聞に 載った。投書したのはタイ. と 言われて﹁戸惑った﹂. からの 留学生で、日本人の家庭にホームス アイしている人だった。 この主婦 に ﹁日本のお米は美味しいでしょ﹂. 事例ではそれぞれ独自のものである 。進化の行く先は神様にも分かる まい。たとえ同じ源に発していても 、様々に枝分かれして、それぞれ. というの である。投書を読んだ人でも、 す ぐにこの気持ちのそり取り の意味が 分かる人は 、常から異文化理解を かなり意識している人に違. に進化するのだ。それらの間に﹁ 優 劣﹂はない。ないはずである。そ ﹁そのままに﹂記憶してい. しかし、自分たちの進化のみを必然 であり進歩・向上であるという 発想に立っていては、異文化はおそ らく理解できまい。タイ米はタイ. れぞれに必然的に見える理由でもっ て様々に進化するのだから。人間 はせいぜい、それぞれの進化の過程を説明するに過ぎない。. いない。 少なくとも筆者はしばしの間を必 要 とした。ホームステイ 先 の主婦は おそらく数年前のタイ米の経験を. たのであ ろ う 。そして、﹁おいしくないもの﹂ として自分が味わった そ の味を タ イ 人も﹁そのままに﹂感ずるのだ と、無条件に思い込んだに 違いない 。だから、それよりも﹁はるかに 美味しい﹂日本の米をタイ. 米の進化を経て現在のタイ米になっ ているのだ。タイ米なりの料理の 仕方、食べ方を持っている。今の日 木米と比べることは、よほどの 理. 人 もきっ と 美味しいと感じてくれるに違い ない。私はあなたたちがふ だん食べ ている美味しくないタイ米よりも ずっと美味しい日本米を提. 米という﹁共通のもの﹂があるとの 先入観からこそ生まれた誤解で. 曲がない限り無意味であろう。. 自分がと んでもない傲慢な気持ちになって いようとは、 露 ほども思わ. 供してい るのですよ、ねえ、美味しいでしょ 。そ う思っても、まさか なかった であろう。ひたすら、私はあなたの ために美味しいお米を提. あり、摩擦であろう。異文化という のはむしろ、自分たちの文化に同 ﹁ 種﹂のものがまったく存在しないと 思われる場合にこそ客観的に理解 供してい るのだという、自らの﹁思い遣り﹂ の気持ちだけを自覚して.

(9) 80. 二. 社在ち 人 ら 会 し に間で. じた近な 得 大 い場な 気合い の存特 にか. か. と. でに理や な解す. な. る. しい し. よ. い あ 。 う ら. し. 苗昆. に ん っ. 回. し. 。 か ぅ 先 な と 入 、 か い働観 は. 得ははあ. 窩 ダ の. そて題 いえ ㌘ ち. あ 明. 「 に. も対 つ. まⅠ. な謙る. と. す変. 異文化理解論の諸相井本的. 持つが、意味は分かるので、取り 敢 えず ﹁いいよ﹂と答えてしまう。. そして後で、あの﹁平気﹂はいった い ﹁誰が﹂平気だったのだろうか. と 不思議に思う。言っている本人の はずはない、そして、相手の気持. 平 ちなり都合なりを 調 いているらしい ことも分かる。しかし、そこに﹁. ヴ︶日 のと同じ次元の問題に思える。 気 ﹂とはそぐわない。どうやら口0申0. 弔 oヴP日 mと言う けれど、こんなもの買って﹁平気かなあ﹂と。 店員は目。. 九. @ つ. 」". な ち. う. こ. さ. の. 水、. レ Ⅰ. く.

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