ヒンドゥー舞踊クーリヤッタムにおける神の顕現
著者 上利 博規
雑誌名 アジア研究
巻 9
ページ 3‑13
発行年 2014‑03
出版者 静岡大学人文社会科学部アジア研究センター
URL http://doi.org/10.14945/00007804
ヒン ドゥー舞踊 クー リヤ ッタムにおける神の顕現
上利
博 規
は じめに
イン ドの古典舞踊には様々なタイプがある。ケララ州に伝わるサンスクリッ ト劇のクー リヤッタム 1も その一つであるが、クー リヤ ッタムは長い間 ヒン ドゥー寺院の中で演 じられ、
ヒン ドゥー教信者以外は入 ることも撮影することもできなかったため、その存在はあま り 知 られていなかった。また、演者は男女 ともに寺院に属す る専門職であつたが
2、近代化す る社会の大きな変化の中で、寺院がパ トロンとしての力を失 うことより、クー リヤ ッタム、
あるいは男性一人によるチャキャール・ クー トゥー、女性一人によるナンギャール・クー トゥーの継承は風前の灯 となっていた。 これに危機 を感 じた人たちの努力によつて、イン ドの公立の舞踊学校が創設 され後継者 を育てる努力が重ねなれ、失われ ようとしている舞 踊 の調査を行な うなどの努力 を通 して甦つた。また、 ヒン ドゥー寺院内部で行 うだけでな く、広 く世界に開放す ることによつて近年ではユネスコ世界無形文化遺産にも登録 され、
世界中で公演を重ねて世界の注 目を集 めている
3。ギリシア演劇や 日本の神楽などをは じめ、世界の演劇の多 くは宗教的祭祀に源 を発す る といわれ ることが多 く、宗教がなぜ演劇 と結びつ くのか とい うことは芸術・芸能について 考 えるときに避けて通れない問いの一つである。 しか し他方では、古代 ローマ時代におい て初期 キリス ト教が公認 され るに伴い、ローマ帝国は演劇 に対 して否定的態度を示す よう になった。その理由は、演 じることには虚構がつきまとうし、人間が神や天使や聖人の「役」
を してよいのかとい う疑問か らである。 ローマ帝国は俳優 とその親族をキ リス ト教会か ら 破 門し、古代ギ リシア、古代 ローマ演劇 は断絶することとなった
4。ゃがて 9世 紀か ら 10 世紀頃に、修道院での復活祭で典ネ Lの 一部が演劇化 され、キ リス ト教においても典礼劇、
1ケ ララに関す る表記 は、サ ンスク リッ ト語やマ ラヤ ラム語 のアル フ ァベ ッ ト化、英語 そ の他が混在 してお り、本論 において これ らを統一す ることは困難 であ り、またその発音 に 関 して も不 明な ことが多 く、不統一、不正確 な ものが含 まれ てい る可能性 が ある。 クー リ ヤ ッタムも、 Kulサ 韓
am、 K■サ
…
、 Koodサ
attalll、Kut,attamな ど諸表記がある。
2ク
ー リヤ ッタムの演者や奏者 はアンバ ラ・ ヴァースィ
(寺に住む者 )と い うカース トに続 してお り、カース トとして比較的上位 にあつたようである。
3衰 退 したクー リヤ ッタムやナンギャール・ クー トゥーをどのように して甦 らせたのかに ついての詳細は、
G Venu;力わ めθ〃ケ〃〆 Zレ のηι ″″
"力 昴θい
gあげ И
222″ψ″
,レ
多滋
272 0bttaムNatana Kairali,2002、 G Venu;′ 0″ 五
b万Йζ レ
""̀″
″ ′
22グ0カ ″ λ ttz″力 gん ち Natana Kairali,2005、 な どに詳 しい。
論者 も、静岡県舞台芸術セ ンター (SPAC)の 国際演劇祭 「
Shizuoka春の芸術祭」におい て何度か著者のゴパ ラン・ ヴェーヌ さんや、カピラ・ ヴェーヌ さんがナンギャール として 演 じるナンギャール・クー トゥーを目にすることができたが、
10年ほど前まではクー リヤ ッタムが門外不出だつたことを思 うと、それ を静岡の地で見 られ ることは大変あ りがた く 幸運なことであった。
4だ か らこそ、イタリア・ルネサンスでは失われた古代ギ リシア演劇の復興がカメラータ
な どで流行 となつた。
聖史劇 などの演劇が行われるようになる。 しか し、偶像禁止 と同類の問題 としての、人が 神 を演 じることへの根本的な疑間が解消 されたわけではない。ルネサンス以降はこの問題 は、 「宗教の世俗化 としての芸術」として芸術を捉 えるか否かはさてお くとして、芸術的表 現における感性的なものと非感性的なもの (た とえば精神 )の 関係の問題へ と変わる。
本論では、偶像禁止 とい う立場を取 らない ヒン ドゥー教において、特にサンスクリッ ト 劇 としてのクー リヤ ンタム、そ してその一部 と考えられ るナンギャール・クー トゥー
5にお いて神が どのように演 じられるかを論 じるものである。ただ し、神を演 じるとい うことは、
ただ神 を模倣すればよい とい うことではない。た とえば、雨を音楽において現わすことは、
決 して雨音を音 として模倣することではない。直接的な模倣はむ しろ興 ざめす るものであ り、雨そのものではなく雨的なイメージを抱 くことができるようにしなければな らない。
つま り、神 を演 じることは、神の神性 deltyが 顕現 しなければならないのである。
以下、クー リヤ ッタムとナンギャール・ クー トゥーか ら一つずつ演 目を抽出 して、その 神の顕現の演 じ方を簡単に紹介するが、それに先だつてケララ州、イン ド古典舞踊、ケラ ラを代表す る舞踊 としてのクー リヤ ッタムとカタカ リ、クー リヤッタムが演 じられ るヒン ドゥー寺院の内部の劇場クー ッタムパ ラムなどの、クー リヤ ッタムとナンギャール・ クー トゥーの社会的・ 歴史的・文化的背景を予備的に紹介 しておきたい。
1
ケ ラ ラ州 の歴 史概 略
ケララが文献上は じめて登場するのは BC3世 紀のアシ ョカ王 (在 位
BC268?〜 BC232つの時代であ り、その碑文に南イン ドの国名 として
Cholas、Pandyas、 Satiyaputrasと 並 んで Keralaputrasの 名が出てくる。また、アラビア海に面 しているケララでは、古 くか
ら西方 との交流 も行なわれてお り、ローマ とも関係があつたことがわかっている。
ケララにおいては、 サンガム文学の神話・伝説を通 して当時に様子を知ることができる。
サンガム文学 とは、マ ドゥライ観 在でいえばクララ州東部のタミル・ナー ドゥ州の中南部 の都市 )に あつた といわれ る学校サンガムに属 していた人たちによつて制作 された詩な ど であ り、彼 らの作品は ■シ
̀″
湯激″ と み 趨 鞭 ,a湯 ″の 2つ の詩集などに残 されてお り、
サンガム文学は文学的価値 とともに当時の社会を知る歴史的資料価値をあわせ もつている。
それ ら詩集によれば、古代の南イン ドは Tamizh9Lmと 呼ばれてお り、その地域は 3 つの国、すなわち
Chera6、 ch。la、Pandyaに 分かれてお り、現在のケララ州は Chera国
に属 していた。そ して、 Patttruppathuに はケララ州、すなわち
Chera国の
10人の王に ついての記述が見 られる。当時のケララはローマ との交流などにより経済的な繁栄があ り
(ロ
ーマ貨幣の発見 されている
)、ケララ州の南側 には
Antiran、 Titiyam、島
lyanなどの 王を輩出 した
A57s、北側は
Ezhimalasの国が立ち、中央に Kadalpirakott,a Vel Kelu
Kuttuvanをはじめとする王が支配 した
Cheraがあった とされている。
6ナ ンギャール・ クー トゥーがクー リヤ ッタムの一部 とい うのは、ナンギャールはクー リ ヤ ッタムの男女の俳優の中の女性が一人で演 じるものであ り、クー リヤッタムの中か ら派 生 したか らである。
6ヶ ララとい う名の起源がどこにあるかは確定的ではなく、いくつかの説があり、
Cheraとケララが結びつ くとする説 と、そ うではない とする説 とがある。
また、三の記述 との関係で当時の踊 りと音楽についての記述も見 うけられ る。女性舞踊 家にして舞踊研究家である Nむ mala Paibrは ケララ州の舞踊センターか ら出版 した著 書 ″″″″ Zあ 励″lNatana Ka静 ali,1992)で 、当時の踊 り手や音楽家は社会的に高い地 位 にあって尊敬を受け、いつでも王や官廷 に自由に出入 りでき、工は彼 らのパ トロンとな つていた と述べている
lp 2)。とはいえ、サンガム文学は歴史的資料価値がある一方で、ど こまでが歴史的真実 とみてよいかは難 しい問題である。
サンガム文学のほかに、
Chera国の王子である Ilaよ 。 AIkalに よる 鏃
iltta滋し″″
と、
Madurakula Vanikan Chanthanarを著者 とす るその続編 Manim歯 俎航 などの文学 が、サンガム文学を補 うものと考えることができる。
叙事詩
̀乃
JLψ ′
J7■aF2″ の舞台は 3つ の都市に分かれてお り、 3番 目の都市が
Cheraの首都のマ
mchiである。この叙事詩は主人公の Kovalan(Cheraの 王Kadalpirakottiya Vel
Kelu Kuttuvanで はないか ともい われ てい る
)がKannakiと 結婚 した後 に、踊 り子 Madha■ ■に心を寄せ るようになる話である。こうした話か ら、当時の踊 り子、あるいは舞 踊文化がどのようなものであったかが垣間見 られる。ただ し、 Nirlrlala Panikerは
Nttgi饉Zめ 湯″の中で、 Mahaviは 宮廷や宗教行事で演 じる有名な踊 り子 として描かれているが、
叙事詩 DE■
ttp―″ の中では一度 もデ ヴァダシに触れ られていないので、当時はまだ デ ヴァダシは存在 していなかったのでないか と指摘 している
010。また、続編 の 隆 nim茜 J″ は、
KovalanとMadhawiの 間の娘である Mattekhala
を主人公 してお り、彼女 は母親 の よ うな華や かな宮廷へ の出入 りではな く、禁欲的生活 を 行 ないなが ら、宗教的真理 を見 出そ うとす る。 この よ うに、母 と娘 とい う二人の対照的な 踊 り子 の話 ではあるが、いずれ も踊 り子 が話 の中心 に置かれてい る とい う点では共通 して お り、 当時既 に舞踊が社会的 に重要 な位置 にあつたことを うかがわせ る。
サ ンガム文学時代 が終焉す る と、 4世 紀 か ら 8世 紀の間、記録 がほ とん ど残 っていない 暗黒時代 に入 る。 8世 紀 に入 る と、イ ン ドにはイ ス ラム文化が徐 々に影響 を及 ぼ し始 め る。
特 に、
1207年に起 こったムス リムのイ ン ド北西部侵入 によ り、イン ドにおけるイスラーム の影響 は決定的な ものになった。以降、
19世紀 中盤 にイ ギ リス統治下 に置かれ るまで、イ ン ドはイ ス ラー ムの もとに置かれ ることになる。北イ ン ドではイスラーム とイ ン ド文化 の 融合 が進 んだため、伝統的 なイ ン ド文化 は北イ ン ドと南イ ン ドでは異 なった ものへ と分岐 し、北イ ン ドは ヒン ドゥースターニー 、南イ ン ドはカルナー タカ と呼ばれ る文化 を形成す るこ とにな る とい うのが一般 的理解 で ある。
また、
15世紀末 には、それまでのア ラ ビア人 と中国人 にカロえ、ヴァス コ・ グ・ ガマな ど ポル トガル人 が、続いてオ ランダ人、イギ リス人 な ど、 ヨー ロッパ人が来航す るよ うにな る。 ヴァスコ・ グ・ ガマはカ リカ ッ トに上陸 し、西方貿易に依存する小国の分立の中で最 も力が強 くケララのペルマール王朝の後裔 と称 していた 「海の王」 と交渉を始める。 これ が、イスラームやイタリア商人による香料貿易の大きな変化の始ま りであったことは、既 に広 く知 られているところである。
いずれにせ よ、ケララの地理は、 こ うした西方か らの船が寄港するための良地であった
ため、古 くか らイスラームの人やキ リス ト教徒 との交流があ り、現在のしン ドゥー教
6割、
イスラーム 2割 、キ リス ト教 2割 とい う宗教分布か らもその歴史が うかがえる。
2
イ ン ド古典 舞 踊 の概 略 (1)サ ンスクリッ ト文学の演劇化
イン ドにおける舞踊文化は、イングス文明における痕跡や、バラモン教における『 サー マ・ ヴェーダ』などにその起源 を求めることができるが、バ ラモン教が衰退 して仏教やジ ャイナ教が出現 した後に、ヴェーダにかわつて神々からシヴァ神や ヴィシュヌ神への信仰 が強 くな リヒン ドゥー教が生まれたこと、他方『 マハーバーラタ』や『 ラーマーヤナ』 と いつた文学・演劇が形をな し、これ ら演劇の形成に対応 して演劇の総合的な理論書である
『 ナーティヤ・ シャース トラ』が成立 したことが直接的な始ま りと考えることができる。
『 ナーティヤ・ シャース トラ』の第 6章 ではラサ←
asa、情緒
)と音楽的組織碇 律の型ジ ャーティ、音楽グラーマ、特定音ラクシャナなど
)との対応について述べ られているが、わ れわれはこの書か ら、主観的感情であるラサを中心 とする演劇的効果がより重要になって きたこと、そ してそれがイン ド社会においてバラモン教の影響力が低下 し、ヴェーダの祭 祀的性格が衰退 していることを見て取ることができる。
また、ヒン ドゥー教においても、
12世紀頃まではシヴァ神をテーマ とす るものが多かっ たが、次第にヴィシュヌ神のアヴァターラ (化 身
)として活躍す るクリシュナ神への信仰が 広がった。これには、ラーマーヌジャ (1017‐ 1137)な どが古 くか ら神への絶対的帰依を求め るバクティ信仰 を運動 として広め、バクティ運動が神 を擬人化 し神への信仰 を親 しみのあ るものへ と変えたこと、 さらにはジャヤデー ヴァによつてクリシュナ神 とラーダとの美 し い愛を歌つた『 ギータ・ ゴー ヴィンダ』 (牛 飼いの歌 )が 制作 されたことな どの影響が考え
ら胸′ る。
このような擬似化 された神の物語への関心の広が りや、イスラームのイン ド侵入により 南北イン ド文化に大きな違いが生まれたことなどにより、詩人タゴールがイン ド四大古典 舞 踊 と してバ ラタナ テ ィヤ ムCharatanatyam)、 カ タカ リKKathakaD、
カ タ ック
(Kathakl、マニプ リ
l■Ianipur)を あげたことに象徴 され るよ うに、 『 ナーティヤ・ シャー ス トラ』を基礎 とするイン ド古典舞踊 も、次第にイン ド各地で独 自の演劇的発展をとげる ようになった。
南イン ドの場合は、 400人 のデ ヴァダシを集 めブ リハディーシュワラ寺院を建設 したチ ョーラ朝のラージャラージャ
1世の時代を経てヴィジャヤナガール王国時代 (1386‐ 1565) には古典舞踊をはじめとす る固有の文化が大きく発展 した。 ヴィジャヤナガール王国は、
14世 紀以降の北イン ドのイスラム勢力による南イン ドのヒン ドゥー王国攻撃に耐えて、
1336年
にハ リハラとブ ッカによって築かれた。そ して、南イン ドに広がるヒン ドゥー教王 国として 1565年 のイスラームとのタリコタの戦いに至るまで繁栄を築き、その首都であ ったカルナータカ州のハンピは現在では世界遺産になつている。
0)サ ンスクリッ ト文学の絵画化 と舞踊
この頃、 『 ギータ・ ゴー ヴィンダ』、あるいはプラーナ文献の中の最高峰 と呼ばれ ヴィヤ
ーサの作 とされ (実 際には後代の′ D神 へのバクティを説 く『バーガヴァタ・プラーナ』に
もとづいて、イスラームの細密画様式を取 り入れたクリシュナの絵画が描かれるよ うにな
る。 これは 「ラサ 。マングラ」 と呼ばれ、 『バーガヴァタ・プラーナ』第
10巻の第 29章
〜第 33章 に描かれているクリシュナ とゴー ピーの 「愛の戯れ」の場面、あるいは『 ギー タ・ ゴヴィング』の 「ラサの踊 り J(た とえば第
1段第
3歌491な どを絵画化 したものであ る。
クリシュナは笛 を吹き、そのまわ りをゴー ピーたちが輪になって踊る。古典音楽の諸ラ ーガは、後の詩人たちがそれぞれのラーガに対応 して詩を作 り、さらにそれをもとに画家 たちがそれ らに対応する絵画を描 く。それは音楽の絵画化であるがゆえに、踊るクリシュ ナの絵は 「楽曲絵」 lRagallYlala)と も呼ばれ、
16世紀〜
19世紀の間た くさんのそのような 絵画が描かれたのであった。そ して、 『 バーガ ヴァタ・プラーナ』 『 ギータ・ゴーヴィンダ』
の主題の一つが踊 りである以上、それ らは絵画に影響を及ぼ したのみな らず、イン ド古典 舞踊であるサンスクリッ ト劇にも大きな影響を及ぼ したのである。
1640年
頃 の ラサ・ マ ンダ ラ
3
ケ ラ ラの舞 踊 、 クー リヤ ッテ ィム とカ タカ リ (1)ク ー リヤ ッタムの成立
そのサンスクリッ ト劇であるが、 2世 紀に成立 した ともいわれ る『 ナーティヤ・シャース トラ』が既に音楽や踊 りなどを含んだ演劇論であったことか らしても、イン ドでは古 くか らサンスクリッ ト劇が行われていたことが推測 され る。また、先述 したサンガム文学の中 にもサンスクリッ ト劇 についての記載がある。
ケララで演 じられたサ ンスク リッ ト劇 としては、 600年 代前半に作 られたパ ッラヴァ eallava)の Mahendravarman王 による〃笏繊ガあ″ が知 られている。この話は、サティ ヤ ソーマ
(Satyasollla)とい う酔 っ払 つたカーパー リカ (頭 蓋骨カーパー ラを鉢 として持ち 歩 くシヴァ派の苦行僧 )が 自分の鉢 =頭 蓋骨をなくして しまい、仏教の僧 に疑いをかけると い う滑稽劇で、二人の僧、あるいはサティヤ ソーマ とそのパー トナーであるデー ヴァソー マ① eVaSomめ の間でのや りとりが劇の要素 となる。
このような初期サンスク リッ ト劇が現在のクーティヤッタムのよ うなものに大きく変え たのは、
11世紀の Kulasekharavarmanで あ り、彼が著 した り″
̀″
′ yakhyaで ある
7。彼 はサンスクリッ ト劇にパ フォー ミングの要素を多 く取 り入れ、視覚的な動 きによって聴
7 K G Paulose,ゅ ″
z毛
′ ′フ ア′
khya′πり θ /1asiみ θ″σ θ〆 ′ フ カ″れメ
J″■′″
,D K Printworld Pvt Ltd,20131600年
頃の楽 由絵
衆により強 く訴 えかけようとした。そのため、サンスクリッ ト劇 Gbhhayalは 、サンスク
リッ トによる言葉 を中心 とした劇か ら、化粧、表情、衣装、踊 りが 「複合 された一踊 り」
lk∞ dサ ‐
attaOとなったのである。
0)ク リシュナー ッタム、ラーマナー ンタムとカタカ リ
次に、南イン ドを代表する古典芸能 といわれ るカタカ リの直接的起源であるクリシュナ ー ッタムとラーマナー ッタムについて簡単に述べておきたい。
クリシュナ神 のア ッタム (踊 り )で あるクリシュナー ッタムは、カ リカ ッ トの王であるマ ナ ヴェダ
(1585〜16581が
1654年 68歳の時に書いたものか ら始ま り、ヒン ドゥー教寺院で 演 じられてきたク リシュナの舞踊劇であ り、現在でもケララ州の トリシュールの寺院で演
じられている。
クリシュナー ッタムは『バーガヴァタ・プラーナ』のクリシュナの降誕か ら始まる物語 をもとに、 8つ の部分か ら構成 されてお り、それぞれ
Avataralll(クリシュナの誕生
)、Kaliyamardanam(平 Lの 毒
)、 Rasaldda、Kamsavadhallrl(敵 ア シ ュ ラ の 撃 退
)、Swayamvaram(結 婚
)、Banttuddham(豊 穣 〉、 Vlvidavadham(貧 困 か らの脱 出
)、Swargarohanam(魂
の安寧
)と名付けられている。マナ ヴェダとク リシュナについては一つ の伝説が残 つていて、マナ ヴェダがクリシュナを実際に見たい と切望 した ところ、クリシ ュナは実際に幼い姿で現れたが、近寄つて抱 きじめよ うとした ら一枚の孔雀の羽根 を残 し て消えたとい うものである。以来、子
L雀の羽根はクリシュナの象徴 となる。
カ リカ ッ トは北ケララであるが、南ケララのコッタカ リ王がクリシュナー ッタムの派遣 をカ リカ ッ トに依頼 した ところこれを拒否 され、仕方なくコッタカ リ王が 自ら作ったのが ラーマー ッタムであると言われている。ラーマー ッタムはその名か らもわかる通 り、 『 ラー マーヤナ』のラーマ王子の舞踊劇である。 この舞踊劇 には、美 しい化粧や優雅な手のジェ スチャーが用い られ、この舞踊形態が『 ラーマーヤナ』のみならず、様々なプラーナにも 応用 された。そ して、これ らクリシュナー ッタムや ラーマー ッタムは、次第にカタカ リと
い う言葉で総称 され るよ うになった
8。4
ヒン ドゥー 寺 院 の クー ッタムパ ラム
クー リヤ ッタムは、男性
1人によるチャキャール・ クー トゥー、女性
1人によるナンギ ャール・クー トゥー も含め、
14世紀頃にはヒン ドゥー寺院において上演 されていた。その ため、ヒン ドゥー寺院には、クー ッタムパラム Kuttampalamと 呼ばれる専用の劇場が作 られ るようになつた
9。そこで、ここではヒン ドゥー寺院建築 とい う点か ら、ケララの ヒン
3こ
ぅした歴史的過程において、テイヤム、ムディエ ッ トゥ、パダャニなどのヒン ドゥー 寺院の外の民俗舞踊がクー リヤッティムとどのよ うに関係 しているのかについては不明で ある。化粧の仕方、踊 り方をはじめとして、寺院の内 と外で影響関係があつたろ うことは 推測に難 くないが、特に神 を自身の体に降ろしなが ら神話を演 じるムディエ ッ トゥが、神
を 「演 じる」 こととどのような関係に立つのは、改めて考えてみたいテーマである。
9サ ンスク リッ ト劇が演 じられる場所の推移に関 しては、
ドゥー寺院内の行事 としてのクー リヤ ッタムについて考 えてみたい。
(1)ヒ ン ドゥー建築 とケララ
まず、宗教建築 とい う点か ら考 えるな らば、 ヒン ドゥー寺院が どのよ うな役害 1を もって いたか を明 らかに してお く必要がある。 とい うの も、同 じ宗教建築であって も、人々が集 まる場所 、祈 る場所 、修行す る場所 な ど、宗教 によってそれぞれ の建築物が もつている役 割 が異 なってい るか らである。
ヒン ドゥー寺院の場合、その基本的役割 はヒン ドゥーの神の礼拝にある。そのため、 ヒ ン ドゥー寺院 の建築上 の軸 とな るのは、神 が宿 るために聖なる空間を設 けることであ り、
これ はガルバ グ リハ (garbhagrha、 聖室
)と呼ばれ る。 また、ガルバ グ リハ には、通常マ ン グパ (ma,4apa、 前室 )が 付 け られ る。 ヒン ドゥー教寺院 は聖 なる空間で あるがゆえに、そ の聖性 を械す と考 え られ るものは、その中に入 ることができない。
次に、建材 に注 目す る と、ヒン ドゥー寺院の場合、主 たる建材 は石 も しくは木材 である。
現在見 るこ とがで きる古代 の ヒン ドゥー寺院 は石材 に よるものであ り、特 に石窟寺院であ る。
7世紀 頃か ら作 られ た といわれ るエ ロー ラ遺跡 の石窟寺院が有名 で あるが、そこにも 既 に 「ガルバ グ リハ +マ ンダパ」 とい う構造が見 られ る。
この基本構 造 に基づ きなが ら、その重なる装飾化 によつて、 ヒン ドゥー教寺院は、北イ ン ドのナガ ラ様式 と南イ ン ドの ドラヴィダ様式 とい う大きな違いを生む ことになる。寺院 の 中心 とな るガルバ グ リハ の聖性 を演出す るために、ナガ ラ様式はガルバ グ リハの空間の 上部が ラグ ビーボール の よ うな形 で高 くそび える塔 (山 頂 シカ ラ、 さらに円盤 アーマ ラカ、
頂 華カ ラシャ )に な る。対 して、南部 の ドラヴィダ様式 はガルバ グ リハ が上 に行 くほど小 さ くなる ピラ ミッ ドの よ うな形 にな る。イ ン ド南部移民が多いマ レー シアや シンガポール の ヒン ドゥー寺院のほ とん どは、 この形態 を取つてい る。ガルバ グ リハが上部への志向を示 す な らば、マ ングパ は水平方 向へ の装飾化 が行 われ 、周 囲に数 を増や した りす る。
また、同 じ南部 の ヒン ドゥー寺院で も、その風土 によつて石材 中心 となった り、木材 中 心 となった り変化 を見せ る。 ケ ララ州 の場合は、西方がアラビア海 に面す ると同時に南北 にのび る西ガー ツ山脈 に挟 まれ てい るので、雨量が多 く、必然 的に木造建築が多 くな り、
降 った雨 を流すた めに屋根 には切妻式 の勾配 を もたせ るこ とにな る。バ リの ヒン ドゥー寺 院 も勾配 をもった屋根 に独特 な ものを感 じるが、 これ も同様 な理 由である。 こ うして、ケ ララの ヒン ドゥー寺院 は、柱 の上 に屋根 を載せ た木造建築 が基本 とな り、 日本人か ら見て も懐か しく落 ち着いた感情 を抱 くこ とになる。
(2)ク ー ッタムパ ラムでのクー リヤ ッタムの上演
では、 この よ うな ヒン ドゥー寺院の中に設置 され、クー リヤ ッタムが上演 され る、ケラ ラ独特 のクー ッタムパ ラム とい う建物 は どの よ うな ものであろ うか。現存す るクー ッタム
①
祭祀か ら演劇への推移
②
野外演劇緋 台に簡単な屋根があるものを含む〉 から室内演劇への推移
③
富廷での上演 と寺院での上演 との関係 (パ トロンの役割を含む
)などのポイン トが明らかになる必要があるが、不明なことが多い。サンスクリット劇がヒ
ン ドゥー寺院内のクーッタムパラムに次第に限定されていった過程についても不明である。
パ ラム としては、 トリチ ュール 、イ リンジャラクダ、 グル ヴァーユール 、テ ィル ヴェガ ッ プ ラ、ハ リパー ドな どの寺院 の ものが有名 であ り、いずれ も瓦ない しは銅 に よる大 きな尾 根 に覆 われ たホール になってい る。しか し、これ らはすべて 17〜
18世紀以降 に建 て られ た ものであ り、伝 統的 なケ ララ建築様式 とは大 き く異 なるといわれてい る。官廷 とは異 な り 寺院 においては元来室外 で行 われ ていた と推測 され るクーテ ィヤ ッタムが、 どの よ うに し てホール の よ うな建築 の内部へ と移行 していつたか、またそれ に伴 つて上演形態 に どの よ
うな変化 が起 こったのか についての詳細は不明である
10。パルテ ノン神殿 の破風 におけるレリーフ・彫刻 と同 じよ うに、ケララの ヒン ドゥー寺院 の切妻 の妻部 も多様 な彫刻 に よる装飾 が行 われ ている。 もともと彫刻好 み、寺院 とい う建 築物 さえ一つの彫亥」 の よ うに考 え一つ の岩 か ら掘 り出すイ ン ドの伝統 を引いてい る と考 え
られ るが、過剰 とも感 じられ るほ どの彫刻 と彩色 によるヒン ドゥー寺院 においては、舞踊 をテーマ とす る彫刻や壁画 も見受 け られ ることか らも、 クー リヤ ッタム も神 への信仰 を彩
り、信仰 を表現す る一つの形態 であつた と推測 され る
11。ヒン ドゥー寺院が ヒン ドゥー教徒以外 の人た ちを どの よ うに迎 え入れ るか、あるい は排 除す るかについては、様 々な形態 がある。 出入 りも写真撮影 も全 く自由にできる国・ 地域 もあれ ば、腰巻 をつ けるな ど何 らかの制限 を課せ られ る場合 もある。 ケ ララの場合 は、 ヒ ン ドゥー教徒以外 の出入 りの 自由はな く、写真撮影 な どもで きなかったた め、クー リヤ ッ タムは長 い間その土地 の人た ちによつて守 られて きた。
5
クー リヤ ッタム にお け る神 の顕 現
(1)ク ー リヤ ッタム 「ヴィクラモール ヴァシーヤ」の概略
では、実際のクー リヤ ンタムにおいて、それが どのように神への信仰を彩 り表現す るも のであるかを見てゆきたい。 ここでは、ケララの伝統舞踊の公立学校
Natanakairahによ る"The Kutlyattam version ofMahakav■ Ka■ dasa's plaプ
'である「ヴィクラモール ヴァシ ーヤ」
lV■krasmorvasheeyam)を 例にとることにする。
まず この作品についてであるが、 『 シャクタンタラー』で有名な
5世紀頃の作者カー リ ダーサによる 5幕 の戯曲であ り、表題の「ヴィクラモール ヴァシーヤ」とはヴィクラマ (勇 気 )に よつて得 られたウル ヴァシー とい う意味であ り、 ウル ヴァシーは天女 (apsaras)の 名 である
12。内容は、アシュラに誘拐 された天女のウル ヴァシーをプルーラヴァス王が救い 出 し恋仲 となるが (1紛 、王妃にウル ヴァシーの手紙がみつか り(2幕
)、 1/■いにかか り離れ (3幕〉 、二人が森を街往つた(4幕〉 後に、呪いのためウル ヴァシーは天に帰 らなければな ら
10 c■
Goverdhan PanchaL Zα
̀ι
2″ 』a″ &Й 〔
2″%′ι ι 2222,Sangeet Natak Akademi,New Delhi,1984,Govardhan Panchal;倒 り θ ttθ ′″っβ
ο
F』め露
aι′′″′ SO″ θИ ″θοお 〆 6♭ ′
sttrゴι fZa/‐ Lゴ ″ο
ttο″ ,South Asia Books,1996
11彫 刻な どの舞踊表現は一般にカラナ と呼ばれ、既に『 ナーティヤ・シャース トラ』の中 で 108の 型が紹介 されているが、中世の南イン ドにおけるヒン ドゥー教寺院の建設におい ては、寺院内に多 くのカラナの彫亥」 が施 され、舞踊の視覚化が進められた。
12
邦訳は、 『公女マーラヴィカー とアグニ ミ トラ王
他一篇』 (大 地原豊訳、岩波文庫、
1989年
)に 「武勲 (王 )に 契 られ し天女 ウル ヴァシー」 として収録 されている。
なくなるがやがて再会す る (5莉 とい うものである。ウル ヴァシー とプルーラヴァス王の恋 については古 くか ら知 られてお り、それをカー リダーサが改作 したものである。
0)ク ー リヤ ッタム 「ヴィクラモール ヴァシーヤ」第
1幕の演出
演 じられているクー リヤッタムは、その
1幕のウル ヴァシーがアシュラに誘拐 され、プ ルーラヴァス王が助けに向か うとい う場面で、およそ 3時 間近 くを要 している。 ウル ヴァ シーがアシュラに誘拐 されたのは官廷での演奏会の帰 りであったが、その第一の見せ場は 演奏会そのものである。演奏会の様子は、天女によるヴィーナ (大 型横置きの撥弦楽器 )演
奏 とム リンガム (上 の胴体 と意味の横置きの両面太鼓、現在は本製 )の 演奏のジェスチャー と音楽による。
続いて誘拐の場面の記述的描写 と、その際の恐怖が表現 され る。 さらに、幕による場面 交替によって、プルーラヴァス王が残 され泣いている天女たちから誘拐について間き、 自 分が助 けに向かお うとする記述的場面が続 く。
さらに幕による場面交替の後、ウル ヴァシーが現れ、カーマ神の愛の矢に触れ、天女、
天界の美 しさの秘密が神々による行ないのおかげであることが神話的に語 り出され る第二 の見せ場 となる。
まず、 ヴィシユヌ神の化身 と考えられ る Naraと Narttanaの 双子の兄弟について触れ られ、 (太 陽や月を含む
)彼らの働 きによってこの世の正 しき成 り行きが保たれていること が思い起 こされる。次にイン ドラについて触れ られ、イン ドラの力によって愛の神カーマ が送 られ、カーマが春の季節、そ して天女、天界の美 しさがこの世にもた らされることを 説 く。そ して Narayanaの 静かな描写 となる。
場面はかわつて、イン ドラや他の神々が、聖バ ラタが『 ナーティヤ・シャース トラ』で 説いた 8つ のラサ (晴 緒 )を 演 じる天女の踊 りをみたい とい うことで、 ウル ヴァシーによる 演技 となる。 これが第 3の 、そ して最大の見せ場 となるが、ここで 30分 を越 えて 「乳海
撹拌」の物語が演 じられる。
次第に静かになって演技は終わ り、天女 ウル ヴァシーの踊 りが幸せをもた らし、苦 しみ を取 り去って安 らかな気持ちをもた らして くれ ることが告げられて、このクー リヤ ッタム は終わる。
イ ン ドラ ナ ラヤナ
6 ナ ン ギ ャー ル ・ ク ー トゥー に お け る神 の 顕 現 (1)ク リシュナ物語 と
Kamsavadham既 にク リシュナ神 のア ッタムであるク リシュナー ッタムについて述べた際に、 『 バーガ ヴ ァタ・ プ ラーナ』の ク リシュナの物語 をもとに、ク リシュナの物語 が
8つの部分 か ら構成 され てい ることについては触れた。
女性一人 で演 じるナ ンギャール・ クー トゥー においては、ク リシュナ物語 浸 "Z凛 力″
a強 ガ″″ N雛 誤饉
z♭ο滋″のテーマは
216のslokaに なってお り、 Nirmala Pantterは Nan饉 密 Kあ 湯υ においてその演技法 lAttapraLram13)に ついて簡単に翻訳・紹介 してい る。
ク リシュナ物語 は、アシュラが ウグラセナ王に化 けて王妃 との間にカムサ とい う子供 を も うける ところか ら始 ま り、 ヴィシュヌ神 がアシュラ退治 のためにア ヴァター ラ として ク リシュナ を送 りこむ。 ここに ヴィシュヌ神 が、新 たにク リシュナ とい うア ヴァター ラを必 要 とした理 由があ り、また ク リシュナの成長 と活躍 をめ ぐる物語 が生まれ た理 由がある。
ク リシュナはカムサた ちに殺 されそ うにな りなが らも難 を逃れて成長 し、ついに半アシ ュラのカムサ儡 msa)を 殺す ことになる。 この場面が
Kamsavadhamである。
(2)Kamsavadllamの
Nandark00thu
ク リシュナがカムサの宮殿 に来 る ところか ら話 が始 まる。 まず第一の見せ場 は、ク リシ ュナが官殿 に到着 した とき、それ を迎える側が どのよ うな反応 を示 したかを表現す ること にある。兵 士、貴族 、 ク リシュナの母 に してカムサ王の妹 であるデー ヴァキー、そ してカ ムサ王は、それ ぞれが異なつた様 々な反応 を見せ る。その反応 によって、ク リシュナ とは どの よ うな存在 なのか を聴衆 に暗示す る演 出 となる。
次の見せ場は、王側 の力士 とク リシュナ との戦いであ り、 ク リシュナは力士
ChanoOraを殺 し、ク リシュナの兄弟 Balaramaは 力士
Musht■aを 簡単 に殺 して しま う。続 いて、
ク リシュナが怯 えるカムサ王 と対峙 し、カムサ王の頭 を引きちぎつて投 げ捨て る様子が表 現 され、戦いを終 えた ク リシュナ は笛 を吹 き踊 る。
こ うして、見ていた人 々の心 に ささっていた苦 しみの矢 は引き抜かれ、安 らぎが訪れ る。
捕 らわれ ていた ウグラセナ王は再び王 とな り、人 々には幸せ が もた らされ る。
お わ りにか えて
本論では、予備的考察 としてケララ州の歴史、イン ド古典舞踊、クー リヤ ッタムとヵタ カ リ、クー ッタムパ ラムなどに触れ、時代の流れの中で、現在に残 されている古典舞踊を はじめとし、カラナの彫刻や、ラサ・マンダラのような絵画、 ヒン ドゥー寺院 とい う舞台 な どがどのように形成 され、それぞれの時代でどのような役割や意味を担つていたかを再 構成す るように努めた。そ して、それ らを踏まえた上で、クー リヤ ッタムとナンギャール・
クー トゥーから一つの演 目を取 りだ して、そこでの神の描き方 と神の顕現の仕方について 述べた。
13 ci K PS 17renon;る 湯 2■a〃 И
̀ι
ttrak2a″
,Kerala Kalamandalam,1979クー リヤ ッタムにおいては、記述的場面 のほかに、 3つ の見せ場 がや つて くるが、その 第一は天女たちによる音楽の演奏 であ り、第二には世界の運行 を支 え春 、愛、美 をもた ら す神 の表現であ り、最後 に天女 に よる 「乳海撹拌 」 とい う劇 中劇 となる。 いずれ も、神 々 や天女 に よる 「至福」 の贈与が軸 となつてい る。
また、ナ ンギャール・クー トゥー の Lmsavadhamで はク リシュナが具体的 に戦 う場面 が中心 に置 かれ てお り、 ク リシュナは戦 い において難 な く 14相 手 をや っつ けて しまい、笛 と踊 りで戦い を終 える。 ク リシュナ は、戦 う前 には見てい る人 をその最高の魅力 によつて 惹 きつ け、戦いの中では人 々 に不安や心配 を与 えることな く戦 い、戦いの後 には世界 のあ るいは人 々の心の中の邪悪 な ものを取 り除き、人 々に至福 をもた らす。 こ うして、ク リシ ュナ は人々の中の幸福 を思い出 させ、幸福 は人々の中に偏在 してい る心の源 であることを 思い起 こさせ る。 ク リシュナの神性 deityは 、
Nangiarkoothuによつて
Kamsavadhamを見 るこ とを通 じて感 じる幸福や 高場 の中に感 じ取 られ るのである。 ク リシュナ神 の顕現 とは、戦 うク リシュナの姿なのではな く、人々に安 らぎと至福 をもた らす ク リシュナのカ を感 じるこ となので ある。
以上か ら、クー リヤ ッタム とナ ンギャール・ クー トゥー について は、いずれ も至福 を も た らす神 々の世界 とその恩恵 につ いて語 られ 、邪悪 なものを取 り除 くことによつて得 られ る至福 として神 が顕現す る とい う結論 に達す る。そ して、「偶像禁止 とい う立場 を取 らない ヒン ドゥー教 において、特 にサ ンスク リッ ト劇 としてのクー リヤ ッタム、そ してその一部 と考 え られ るナ ンギャール・ クー トゥー において神 が どの よ うに演 じられ るか」について の一つの見通 しが得 られ る。
では、 この よ うに神 の顕現 を演 じるヒン ドゥー教舞踊は、偶像禁止、あるいは神 を演 じ ることに対 して否定的であったヘ ブ ライズム とは どの よ うな関係 に立つ のだろ うか。
ヒン ドゥー教舞踊で示 され る神 には、 自分の息子イサクを生贄 に捧 げるよ うアブラハ ム に命 じる神 の姿 15は ない。 アプ ラハ ムの神 は根拠や理 由を明かす こ とな く、そ して同意 を 求 めることな くただ一方的 に命 じる。 アブラハ ムの神 はアブ ラハ ム と同 じ地平に立つ こと のない絶対的他者 として顕現す る。 したがって、その顕現の意味す るところが何かを理解 す ることな く、アプ ラハ ムは神 の命令 を聞 き、従 う。神 の命令 は言葉 を超 えた ものの、息 子 とい う唯一 かけが えのない もの を犠牲 に しての引き受 けで ある。ヘ ブ ライ ズムは こ うし て、絶対的他者 としての神 に よつて、合理 的理 由を欠 いた中での単独者 の決断を求め、そ こに個人 の責任 が生まれ、予測す ることがで きない不確定な未来が拓かれ る。
ヒン ドゥー教 がこ うしたヘブライズム とどのよ うな関係 に立つのか、バ ラモ ン教 と仏教 を間 には さみ なが ら考 えて ゆきたい課題 である
16。14ク リシュナが示す ラサ (情 緒
)は微笑み
hasyaである。
15『 創世記』
22章。
16c■