新製品開発のための技術情報交換システム
坂口謙吾
東京理科大学・総合研究機構
目次 ページ 1)はじめに 1 2)独創的な新製品開発の基礎概念 3 3)A社B社C社問題の基礎 7 4)日本型のA社B社C社対策の創設 11
5)コア技術の原点 16
6)兆候 18
1)はじめに
「人と組織」で日本の構造の利点と欠点を述べた。かなり根本的な文化そのものに根ざしている面がある。
そして、戦後の50年間の高度成長は製造会社の製品の技術開発の進歩に大きく依存した。
しかし、今、その誇るべき技術開発力がガラパゴス化して革命的な新しい概念の最終製品に結びつかなく なっていることが非常な問題になっている。「人と組織」ではその解決策として、リーダーの選び方を述べ た。しかし、もし革命的なリーダーを選ぶことが出来たとしても、幾つか問題は残る。その最たるものは、
各社ガラパゴス化した部分技術しかないのでは、新しいリーダーは自社の製品開発のチョイスを持ち得ない。
売るものがなければ閉鎖以外にない。資金力に余裕があれば、自社の部分技術と買収出来る他社の技術を集 めて最終製品には繋げられる。そのような資金力がなければ、現行のシステムでは、そこで終わりである。
しかしそれで良いのだろうか?各社最先端の(部分)技術は何処も持っている訳である。ただ何に使って 良いのか分からない状態である。もはや以前の製品の更なる改良品を創るだけでは、この円高の時代、国際 競争に勝つのは困難である。過去になかった革命的な新商品を創り出さねば生き残れない。表現が悪いかも しれないが、これは「いろいろ些末な技術は物凄く沢山あるが、総合的な頭脳がない!アイデアがない!創 造力がない!」「向かう方向を失ったアリの集団の行列」ということになる。昔、ソニーがWalkmanを出 した時のエピソードに近い。創業者の社長(井深大)と会長(盛田昭夫)のアイデアだったそうな(社長と 会長の名前、逆だったかな。申し訳なし失念した)。膨大な数のソニーの優秀なエンジニア達は全員がその 製品に懐疑的だった由。その頃の話は、当時、私もいろいろ聞いたことがある。「ソニーともあろうものが、
あんな単純な誰でも出来る装置を目玉商品にして!落ちたもんだ」。
この話、何の関係もないが、第2次世界大戦の有名な出来事を思い出させる。開戦前は全世界の海軍士官 の憧れは、巨大戦艦に乗り組み巨砲をぶっ放しながら華々しく戦うことだった。その巨大な戦艦の姿は、そ れこそ“憧れの高級車”と同じだった。しかし戦争が始まれば直ぐに、貧弱なジュラルミンの薄皮で出来た小 さな小さな航空機の前に、あえなく為す術もなく世界中の戦艦が沈められていった。それ以前100年の海軍 軍人の憧れの価値観が“惨めに”終焉した。そっくりですな。
「ソニーともあろうものが、・・・・」、この価値観はそれ以前のエンジニア社会の常識から来ている。今 の先端技術のガラパゴス化と革命的な新製品ない状態を見ると、上記の「・・、アイデアがない!創造力が ない!」は、ちょうど、この“創業者の社長と会長のアイデア”だけがない状態である。「人と組織」で述べた 結論そのものである。
その「人と組織」に書いた一節をもう1回述べる。
「・・・。高度成長は製造会社の新製品開発と製造によって支えられた。この成功により巨大化した。中 身を分析してみると、製造会社であるから、常に時代と主に新しい製品を創らねばならない。その実体は、
最初は「外国のパクリと物真似」、そして「その発展改良」、“最後”には「ほぼ独創に近い物を“付加”した発 展型」、その“最後”の次は「世界にない独創製品の発明製造」になる(“最後”というのは、真似の最後)。い わゆる、ものつくり大国である。この成功によって高度成長は起きた。・・・。そして次の世代になった。
如何に能力の高い技術者達をいくら集めようと、真似の最後は技術のガラパゴス化である。ひたすら先人の 創り出した仕事の改良である。各々の技術者が各種の機関と協力して幅を広げて、専門が限定された自社技 術だけでは不可能な新分野開発などのブレークスルーを為したくとも、縦割り派閥構造の利益が優先するの で絶対に認められない(いくら新技術領域であろうと、自社の人間以外の人物が突如、自分たちの利益集団 に入るなど派閥から見れば想像を絶する)。時代と共に変化する新しい領域との融合がないと、技術開発は 視野の狭いガラパゴス化した先端技術しか開発の仕様がない。そして、今、技術立国の崩壊が始まってい る。・・・」、である。
この解決策を見つけなければ、幾ら今の状況を嘆いても解決にならない。私は初期の頃(1960 年代後半
〜1970年代前半)は企業の研究員として、そして青年から中年前半の頃(1970年代後半〜1980年代全般、
日本が最強だった頃)はアメリカから、中年後半(1990〜2000年代)からは日本の理系の科学者として、
この過程を40年間つぶさに見てきた、特に最近になればなるほど、そういう問題に出くわすことが多かっ た。既存の製品の洗練技術の発達ばかりで、時代を超越した新しい製品への工夫が喪失していった。文字通
り“創業者の社長と会長のアイデア”だけが無くなっていった。“現場の技術者達に責任をオッかぶせた形で経
営者達が無責任化”していった図に近い。昇進序列を重視した派閥構造の極限なのだろう。
もはや、新しい(時代を変える)新製品の開発以外に生き延びることは難しい時代だろう。ちょっとした 工夫の“創業者の社長と会長のアイデア”程度で解決する問題ではないかもしれない。自社に存在する技術を チョコッとしたアイデアや工夫のみで世の中の流行を変えるというWalkman現象などは、おそらく尽きる ほどに考えただろう。“現場の技術者達に責任をオッかぶせた形で経営者達が無責任化”していった図ばかり ではなかったに違いない。“創業者の社長と会長のアイデア”は1970年代の話である。その頃の日本はまだ 高度成長の途上にあった時代である。まだまだ簡単に工夫する余地があった。
モノの開発には時代がある。話は飛ぶが基礎物理学の例を挙げよう。20 世紀の前半までは理論物理学の 全盛時代だった。頭脳さえあれば「紙と鉛筆」のみで、世界を変えることが出来た。天下の秀才は物理学者 を目指した。私は1960年代に大学生だったが一番格好が良かったのは物理学者を目指す頭脳の持ち主だっ た。しかしその後の半世紀、20 世紀の後半は「紙と鉛筆」時代ではなかった。巨大な予算を要するサイク ロトロンやシンクロトロン、巨大な特殊望遠鏡などの巨大測定器の時代で、さらには宇宙開発の世界だった。
その世界と直接接点(アクセス)を持てなかった多くの物理学者になった秀才の友人達は、世界を変えるこ とは出来なかった。今ノーベル賞を受賞している日本の理論物理学者達は、1950〜1960年代に大学を出て 活躍した方々で、その「紙と鉛筆」時代の最後に間に合った方々である。1970年以後の友人の物理学者(途 中で生物学に転向した)が言った「1960年代に受けた大学の物理学の講義の内容と、2010年の今、行って いる私の物理学の講義の内容はさほど変化がないよ」(1910→1960年ならこういうことはあり得ない)。そ の実態を如実に示している言である。私は生物学者だが、今、学生時代と同じような内容の講義をしたら、
即刻解雇だろう。
もはや、基幹産業の新製品開発は、この核物理学の世界に近く、チョコッとした“創業者の社長と会長の アイデア”時代ではないのである。理論物理学の後裔、核物理学は世界中の先端科学者達が集まり世界中の 政府を巻き込んで、宇宙開発も含めて巨大なプロジェクトを動かすことによって成立している。そしてそれ が又、21世紀型の新しい産業を生みつつある。
日本の産業再興の新時代を築く製品とは何だろう。おそらく根本から考え直す必要がある。明治維新、高 度成長の再来のために何をやるか?ただ、明治維新、高度成長の背景は今の参考にならない点がある。この 2つには「日本が後進国状態だったこと」「非常な混乱期だったこと」という共通点がある。この場合は先 進国を模倣するという簡単な方法がある。製品は同じものを“安く”作れば良いだけである。しかし今回の日 本の高度成長の終焉は、模倣出来る例はない。完全に独創的な新しい製品を創り出さねばならない。
それは何か?
2)独創的な新製品開発の基礎概念
私は生物学者である。その専門と経験から「これが良い」というのでは、分野が偏りすぎて参考にもなら ない。相対的に考えてみよう。まず、チョコッとした“創業者の社長と会長のアイデア”は、自社の技術を元 に考えられていた。それだけで済むのなら、今も企業はそうすれば良いだけのことだが、今は多くはガラパ ゴス化している。そして、このようなアイデアは、他所がすぐに真似し、すぐに終る時代でもある。コピー が勝てるのは“安い”場合だけであり、独創的“チョコッとアイデア”製品は、技術的にはその範疇である。“チ
ョコッと”ではなく“超越した”アイデアがいる。でも、このためには異業種間技術の融合を要求する物が増え
ている。自社技術だけでは“超越した製品のアイデア”を言っても机上の空論である。
今現在の問題は、そのような自社技術の中の工夫だけでは“やり尽してしまって”限界に達していることで す。過去のチョコッとした“創業者の社長と会長のアイデア”の成功をマスコミが捉えて「今のサラリーマン 社長にはこれが出来ない。これが今日の問題である」というような段階ではない。次の難問時代に入ってい ると捉えるべきだろう。その意味では上記の「サラリーマン社長達が“現場の技術者達に責任をオッかぶせ た形で経営者達が無責任化”していった図、」とばかりは言えない。もちろん、それもあることは確実である、
弁護するつもりはない。彼らは“次の難問”を解く作業も計画も何もやっていない。 “次の難問”を解くために、
その根本的な対策を考えた人はいたかもしれない。いただろう、しかし、戦犯であることは間違いない。実 際には「何もしなかった」。何もしなかったのではなく、実行するにはあまりにも高大遠大過ぎてカリスマ 性不足リーダーシップ不足のせいで不可能だったのだろう。幕末維新の動乱状態の中で志士のごとく、ある いは戦後の混乱期の中で復興を唱えるカリスマ的リーダーとして活躍するには、あまりにも器が小さかった。
リーマンショック以後は事実上、世界経済が大変革期に入った(先進国の混乱は、もともと貧困に慣れた 新興国側に機会を与えることが多い)。過去の経営方針の延長線だけでは“次の難問”は解けない
“次の難問”を解く作業とは?
1社を超越している話を1社で対処しようとしても全く解決にならない。1社を超越した大きな視野で
「次は何がいるか?」「時代は何を要求しているか?」そこから始める以外にない。上記の核物理学の状態 は参考になると思う。商売にもならない全くの趣味的な話に過ぎない興味ごとが、なぜ巨大プロジェクトと して成立したのか?沢山のカリスマ的な著明物理学者の輩出と、彼らを中心とした基礎物理学の世界で共通 の話題が大きく集約して行ったからである(全世界共通の話題だった)。誰もが疑問に思い、誰もが知りた かった。そして後の宇宙開発にも繋がる軍事技術とも結びついていった(原水爆も元々、物理学者が開発し
た)。
産業経済の場合なら、そこまで世界がまとまる話ではなくとも、日本だけでもまとまる程度の規模でも可 能である。1社を超越しており、利害の一致するところで集まってやるしかない。一方、これを実行するに あたり、元来は古典的な経済学の論理に従った企業の離合集散(倒産と吸収合併)がある。しかし、それ待 ちでは、もはや間に合わない。まったくビジネスや利益の関係しない基礎物理学でも可能だった。これに習 った新しい共同開発の方向を模索すべきであろう。
今後の産業製品開発に当り、核物理学的共通の発想がある商品領域とは何だろうか?単なる1業界領域だ けに通用する話なら、1社で可能である、規模を拡大しさえすれば良い。既存の延長で済む。しかし、今回 はそれが通用しない。日本と言う条件を考えれば、韓国台湾中国インドなどの新興工業国群が、直ぐに後追 い出来る製品では、円高と海外展開能力がこれらの国より劣る日本の産業には向かない。かって1980年代 に日本に敗れたアメリカの状況と同じである。1990 年代以降のアメリカのごとく、日本と競合しない領域 で復活をはかった経緯を生かすべき。
商品を買うのは人間である。21世紀の社会の原点を見つめるべきだろう。直ぐ分かることは、「人口爆発」
と「エネルギー問題」である。この両者は互いにイタチごっこになっている。「人口爆発」は、更に見ると
「高齢者の人口爆発」を伴っている。今まではこの問題は(問題などではなく)産業の活性化の柱のような ものでもあった。人が増えれば顧客が増え、エネルギー問題が生ずれば土木工事が増える。20世紀には、
それ以上のことを考える人はいなかった。それが20世紀を通じて全世界の高度成長と人口増加を生んでき た。
しかし、21世紀はその限界に達する。その行き詰まりが気候異変であり、既にその前兆が現れ始めてい る。今の日本の経済を支える基幹産業は自動車産業と電気産業と化学産業が大きい。エネルギー問題が生ず れば直ちに影響を受ける産業ばかりである。エネルギー問題が生ずれば、まず何が起きるか?電力と鉄など の金属素材の供給がおかしくなる。これは「液晶で破れた」「半導体で総崩れになった」程度の問題ではな い。これから脱するための安全保障上の工業技術があるのか?原発事故以後の電力生産を見たら分かる通り、
ない!鉄がダメになったら全ての産業が崩壊する。
つまり、核物理学の世界に匹敵するような、たちまち社会的(全社的)コンセンサスの得られる基礎のア イデアは、「エネルギー問題の根本的解決」と「金属素材に代わる産業素材を見つけ出す」ことだろう。こ の2つが実現したら、現代の産業構造は大幅に変わらざるを得ない。
何処にそんなアイデアがあるのか?
沢山ある!
だが、皆、そういうアイデアは机上の空論として相手にされていない場合が非常に多い。これは特に日本 で顕著である。私は理系の大学教授としていろいろな分野の方々と共同研究をしてきた。大学の中や公立の 研究機関ではそういうアイデアはゴロゴロと存在している。なぜ民間と繋がらないのか?簡単である。大学
の研究は“優れた研究”ほど“利権”と結びついておらず、浮いている物が多い。なぜか?1社では、何処も開
発に要する「時間」と「資金」と「自社の出来る範囲」が一致しないからである。
さらに一番ダメなのは“創業者の社長と会長のアイデア”が無くなり、カリスマリーダーシップのないお仲 間型昇進のサラリーマン社長達にとって、とても身に余る話なので「何もやらず」“現場の技術者達に責任 をオッかぶせた形で経営者達が無責任化”することが進んだこともある。
しかし、私は今の経営者を非難しているつもりはない。彼らは無能なのではない。もし私が社長さん達と
同じ立場なら、やはり同じことしか出来ない。幕末の幕府中枢の人達やその構造の中のビジネス関係者が如 何に優秀かつ行動力に恵まれていても、江戸幕府を倒して新政権を創り国際化することなど“絶対に”不可能 である。「歴史の囚人」と言う言葉があるが正にそれだろう。
「開発時間が10〜20年、しかも失敗の確率はかなり高い」と言われれば、当然だが誰でも腰が引ける。
少なくとも自分の任期中には不可能である。しかし現在の電気産業などの総崩れ状態を見ていると、今まで の常識が通用しないことを示している。21世紀型のプロジェクトは1社ではもはや不可能になりつつある。
このような「開発時間が10〜20年、しかも失敗の確率はかなり高い」アイデアはコンセンサスが得られ れば、「時間」と「資金」と「自社の出来る範囲」を超越出来る形で議論を進める必要がある。経営者は「時 間」と「資金」と「自社の出来る範囲」を気にする必要がなくなる。
まず自社の持てる技術を駆使して儲けるのではなく、まず先に「エネルギー問題の根本的解決」(電力生 産を含む)と「金属素材に代わる産業素材を見つけ出す」という命題がある。これを基準に各々の会社で、
自社の貢献出来る範囲を“現場の技術者”に考えさせる方向に持っていく。その中で、新たに自社の技術を組 み込んだ製品を各社が考える。儲ける話はその後である。
こういう風に書くと誰もが連想するのが、コンソーシアムプロジェクトである。この場合は“同業他社”と 組み、その業界全体が必要とする新技術を共同開発するという形である。アイデアは既にあるが1社では資 金面で追いつかないこと、時間的に競争する他の先進国を破ること、ということが基本になっている。アイ デアの基本は“創業者の社長と会長のアイデア”的であり、“同業の技術”の持ち寄りである。一方、「エネルギ ー問題の根本的解決」(電力生産を含む)と「金属素材に代わる産業素材を見つけ出す」商品のアイデアは、
“同業他社”ではなく、“異業種の集合体”にならざるを得ない。“異なる技術”を持ち寄ることが基本である。
別に、無責任でも、膨大な時間を要するアイデア、膨大な資金を要するアイデア、自社だけで完結しなく て良いアイデアでも構わない。判断するのは使う方である(大きな視野を持つリーダーである)。アイデア などは今の日本の大学や研究機関ではゴロゴロとある。
その中で、目の付けどころを変えて(「エネルギー問題の根本的解決」と「金属素材に代わる産業素材を 見つけ出す」などに関連したアイデアを)探せば良いのである。そういう風に考えさせれば、アイデアなら 社内のエンジニア達だって非常な能力を発揮する者もいるに違いない。もともと先端技術が何処もかしこも ガラパコス化する原点は、自社のエンジニア達の開発する条件を、最初からいろいろと制約してしまうこと にある。彼等が無能なのではなく、経営者が既存の方向から抜けられない無能なのである。日本文化の成熟 したときの弱点なのである。私は理系の大学教授として何十年もそれを感じてきた。羽ばたいた教え子達が 制約されて小型化し小物化していく姿を嫌になるくらいに沢山見てきた。組織が有能な人間を壊していく。
非常に分かり易く書くと、A社、B社、C社は全く業界が異なるとする。例えば、A社は電機業界、B社 は航空機業界、C社は医薬品業界に属するとしよう(このABCは単なる例で、別に化学業界であろうと自 動車業界であろうと食品業界であろうと構わない)。各々がそれぞれの業界で最先端技術を持ち自社の新製 品開発でずっと成長してきた筈である。それぞれの最先端部分で俗にいう「何のためにそこまで開発したの か分からないような」ガラパゴス的な高度技術があり、そのまま放置されているものは、今は非常に多い。
ところが、もし何処かに全くカテゴリーの異なる新製品開発のアイデアがあれば、この3業界の技術を持ち 寄ることが出来れば、たちまち革命的な時代を変える新製品が出来る可能性もあり得る。しかし今の業界の あり方では全く出来ない。こういう姿が至る所で観察される
抽象的に書くと分かりにくいので、自分の経験した一つの例を挙げてみよう。
「人と組織」で少し触れたように、私は癌を完全治癒できる癌治療の新しいコンセプトを創り出すために、
癌に集まり放射線の効果を高める薬を開発していた(放射線増感剤)。今も継続中なので、細かいことを書 くわけにはいかないが、その開発途上で遭遇した経験が正にこれだった。
放射線増感剤と言う以上、3つの異なる要素がある。まず一つは、人に投与する医薬品であるから、厚労 省管轄の医薬品の安全性試験をクリアせねばならない。一般の医薬品開発ならこれ以上は必要なく人の臨床 試験に入る。許可された医師が選ばれた患者さんに処方する。しかしこの場合は異なる。2番目に放射線を 照射する装置で行う治療の中への適用がいる。未だかってこの類いの薬はなかったから、医薬品業界は極め て不慣れである(放射線に極めて不慣れで、ノウハウがない)。一方、放射線照射装置を製造する会社なら 可能だが、未だかってそのような薬はなかったから、そのような会社には医薬品を開発するノウハウがない。
しかもそのような医療機器装置は徐々にロボット化しつつある。3番目の事情として、癌を可視化して(造 影化して)、そこにビームのような放射線を当てる訳である。このような装置は重粒子化などのため大型化 しつつあり(今後はますますその傾向を強めるので)、多くの重工業メーカーが行っている(胃カメラや内 視鏡などの医療機器メーカーではない)。もっともX線照射装置程度の規模なら胃カメラや内視鏡などの医 療機器メーカーが行っている。このような業界はどれも医薬品開発のノウハウも放射線併用の微妙な生物研 究のノウハウもない。
いずれの産業の技術もそれぞれが得意な部分は非常に精緻に進化しており、互いに他社が真似をするには 深すぎる。そして、元来が技術者の採用はそれまでの業界の常識に依存して偏って集められているから、自 社内で突如いわれてもどうしようもない。例えば、医薬品会社の研究員達に、突如「放射線照射の研究をや れ」とか「造影した癌にリアルタイムで放射線ビームを当てる装置を考えろ」と言っても無理難題である。
薬学部やバイオの出身者が精密機械の設計をやることになる。まして放射線などは大学では物理学科がやっ ている(原発事故が起きた際の専門家不足を見ればよく分かる)。文字通り、上記のA社B社C社問題に落 ち込み、目下ヒッチしている。
各社の技術は文字通りガラパゴス化しつつある。
例えば医薬品会社が癌の薬探しとして、既存の「癌細胞に猛毒」になる化学物質を探すというスクリーニ ングを試みたとすると、たちまち何千何万という新しい化合物がテスト可能である。しかし「癌細胞に猛毒」
な成分は「正常細胞にも猛毒」と言うジレンマから抜けられないという常識は既に各社にある。それでもそ の技術の深化をはかっている。放射線技術を持ち込む、あるいはロボット化した医療機器と併用する、とい うことは自社に技術者がいないので不可能状態。
このような話は、今日、どの業界にも当てはまることが非常に多い。驚く他ない。高度成長の始まりの頃 と比べると何が違うのか、考えてみる必要がある。あの頃の技術などは、戦争から復員した技術者達が持ち 寄った軍事技術を除けば、あったものは「海外の技術や特許の模倣とパクリ」であった。それでも皆が工夫 しながら生きていた。小さな町工場が徐々に寄り集まっていった。相手探しはそのようにして成就していっ た。これが功を奏して、上記に述べたような各種の技術の融合(規模が小さく中身がチャチでも)に類似し たようなことが起きた。今の完成された巨大会社構造ではあり得ない社会である。
今なら、むしろ自由にそこら中から特許やノウハウを買い集めて組み立てられる新興国群(かっての高度 成長初期の日本と同じ条件にある国々)の方が圧倒的に有利なのかもしれない。同じことが言える。
何が違うのか?ガラパゴス化した高度な技術を持つ各社は、それを用いた新しい製品のコンセプトがな い!「日本病」である。大企業を覆う「上から下まで責任回避病」あるいは「過去の成功に依存病」。
とにかく今までの製品の改良の発想が圧倒している。しかし、高度成長の始まり期や今の新興国の会社群は、
元来が高度な製品を持っていないから、何でも売れそうなものなら考える、特に自分のところでも“出来そ うな”アイデア商品を考え抜くことになる。そして、それに使えそうな特許やノウハウがあれば、世界中か らパクって寄せ集めて新しいものを創り出す。すると、新しいものは完全に新製品である。WalkmanとiPod の差などその典型に近い。iPod を出したスティーブジョブズはソニーを尊敬していたそうである。いや、
ソニーではない!きっと“創業者の社長(井深大)と会長(盛田昭夫)”を尊敬していたのだろう。創業者達 の物の考え方生き方だったに違いない。サラリーマン社長にはあり得ない発想である。
なんとか、このような矛盾を克服して乗り切らないといけませんよね。
3)A社B社C社問題の基礎
これには日本社会の構造を考慮した案が必要である。海外の話を参考にすると合わない部分も多い。日本 の成功例から考えていこう。そんな例が何処にあるのか?あります、高度成長の始まり期は正にその通りだ った。よくアメリカのベンチャー企業が話題になるが、昭和20年代30年代(そして40年代の始め頃まで)
の日本の企業は小さな小さな町工場の集団だった。これこそベンチャー企業の何ものでもない。よく考えて みると、よくいわれる“ベンチャー企業の条件”を全て備えていたと言える。アメリカの中ではベンチャー企 業は今も昔も同じ条件にあり、活躍している。なぜ日本ではその頃は大活躍したのに徐々にベンチャーとは 言えない組織に変質していったのか?別にその中小企業群は消えた訳ではない、活力もある。今も日本の技 術立国を支えている現場だとさえ言われている。しかし、大きな業界は行き詰まり、中小企業の栄枯盛衰も その中に引きずられつつある。
根本から考えてみよう。ベンチャー企業って?
アメリカ型の場合、一言で言うと、
革新製品の開発と時限解散、これがベンチャー企業のキーワードだろう。日本では後者の時限解散がない。
ベンチャーで開発された技術はもっと大きな組織によって洗練された開発が行われて始めて製品に結びつ く、と言う原則を元にすると、時限解散がないと必ずいつかは行き詰まり倒産に追い込まれることになる。
アメリカのごとき大企業がベンチャーを買い上げるプロセスがない。
高度成長期の始まりの後どうなったか?バイクメーカーは昭和30年頃には数百社あるいは一千社くらい はあった。しかし、10年後の昭和40年頃には今もある巨大会社数社になっていた。ほとんどは何処へいっ たのか?簡単である、多くは系列化し販売店になっていった。そして各自の開発技術は持ち寄られ、根幹の 技術を持つ大手に集約されていった。その意味では見事な時限解散であった。
しかし、ダーウィンの自然淘汰理論のごとく、強者が勝ち残ったあとは棲み分けが起きるのみで、もはや 持ち寄り革新をはかる技術の集約現象はない。時限解散していく技術開発組織がないから、根幹の技術開発 だけになりその改良のみになる。極めて高度で精緻になるが、バイク以外は“創れない”。派生した技術によ る奇想天外な製品の出現はない!時速500kmのバイクは創れても、そんなものはいらない。
こう書くと気の毒なので、今の経営者を少し触れておけば、ホンダは古くから飛行機やロボットを開発し 明らかに技術の放散をはかっている。ソニーだって本業とは何の関係もないバイオ発電機を公表している。
つまり大企業側も今の時代の欠点を百も承知している。
前提を壊してみよう。車など機械類はほとんど全て必ず金属(主として鉄)で出来ている。しかし世の中
の素材は金属だけではない。その技術も全く違う世界では日進月歩で進化している。内容が陳腐かもしれな いが、有り触れた技術論の方が理解され易いので、書こう。
例えば、金属を用いない乗り物などと書くと、飛行機などではもう古くから模索されているが、「金属を 用いない」エンジン?はどうか。この発想がなければ、決して将来のエンジンやバイクなどは創れない。「エ ネルギー問題の根本的解決」と「金属素材に代わる産業素材を見つけ出す」の二つがここにも関係する。一 度は夢想したエンジニアは沢山いるに違いない。しかし、では「その素材を何処から持ってくるのか」「内 燃機関ではないから専門がかなり違う」、やっぱり無理だな、それでお終いである。同業者ばかりで、この ような疑問を質問する相手さえ組織の中にはいない。また、強引に奇想天外なことやろうとする技術者集団 がそういう組織にいても、肥大しすぎていて機能しない。居心地が悪いことだろう。それはベンチャーのよ うな離合集散する熱気と活気と若さのある時限集団にしか出来ないことである。
唯一、高度成長の始まり期のみに機能したのは、その前が明治維新のごとくすべてが失われていたからで ある。最初は何でもゼロから出発する。日本の文化の中では、構造が出来上がるともはや離合集散が不可能 になり、そのようなことが出来なくなる。日米の根本的な相違である。近代における日本の全ての成功が、
“明治維新”後と戦後の“高度成長の始まり期”に集中している原因の一つでもあるのだろう。日本の成功も、
実はベンチャー型企業の発生と成功によるものだったと言える。A社B社C社問題は結局このような点に 集約している。
アメリカの実情を見れば明らかなように、ベンチャー企業とは「自由に思いついたら何でも開発出来る小 さな企業」のことである。
じゃー、日本には昔から中小企業があるが、それのことか?中小企業をカタカナにしたのがベンチャー企 業ではないのか?“明治維新”後と戦後の“高度成長の始まり期”にあった、そして集約化とともに転業してい った中小企業群は明らかにそうである。では残った中小企業は何なのか?今も日本を支える技術の中心は中 小企業にある。只述べたように“時限解散”がない。同じような時もあったが、何かが違う。考察が必要だ!
例えば、パソコン用のソフトなどを開発するため、個人で独立している会社などがベンチャーという言い 方をされることがある。この場合は、昔からある家内工業や個人営業と何処が違うのか?理髪店や開業医、
建築設計事務所などと何ら変わるところがない。製造業に至っては、むしろ、世界的な職人的技術を示す日 本の中小企業も多く、それらをベンチャーなどと呼べば、カタカナで誤魔化す詐欺会社に成り下がったよう なイメージになりかねない。中小企業を経営するスーパー職人的な社長さん達(いや、おっさん達と呼ぶべ きだろう。本人もその方が喜ぶに違いない)は「一緒にするな!」と、きっと怒るだろう。
これはある一面を言い当てており、正しい認識とも言える。
しかしながら、アメリカの中小企業をベンチャーと呼ぶにしても、そのベンチャー企業の中から生まれる 新しい創造的な技術、バイタリティーはアメリカの産業を支え、世界でもっとも斬新な新技術を実用化し、
一人当りの国民総生産を世界一にしていると言うことも紛れもない事実である。一方、日本の中小企業のス ーパー職人的技術もまた世界に誇れるものも多く、これまた、日本の基幹産業を支えている。要するに同じ なのか?一見同じような気もするが、何かジャンルが異なるような気もする。
特に日本の中小企業の“時限解散がない”という構造は、アメリカなどのベンチャーとは何かが根本的に異 なっているに違いない。
ベンチャー企業とは。
少し冷静に分類してみよう。新技術を開発する場合の条件は、よく考えてみると一様ではなく、いくつか に分けることが出来る。
(最善の革新製品)。完全な基礎研究として研究されており、研究の進行に伴い、ある日突然、応用あるい は実用化への可能性が見い出され、本人自身が直接開発に乗り出す。
(次善の革新製品)。それまで実用化がされたことがない領域を、自分のアイデアに基づき、既存の基礎研 究の中から掘り起こし、最終的に製品に結び付ける。
(改良製品)。既に基本的な技術は開発されており、その製品の原形は社会的にも広がっているが、更に厳 しい要求に見合う洗練された製品をつくり出す。
この分類に従って、ベンチャー企業か中小企業か考えてみる。まず、(最善の革新製品)(次善の革新製品)
は最初から職人芸として発展する日本の職人芸術的な中小企業は当てはまらない。日本の現在のスーパー職 人的中小企業は、主として(改良製品)に属する。
どうやら、やや無理に分類するなら、ベンチャー企業と中小企業の違いは、“(最善の革新製品)(次善の 革新製品)”の範疇に属する製品を開発するのがベンチャー企業の役割で、“(改良製品)”が中小企業という ことになるのかも。
“(最善の革新製品)(次善の革新製品)”は開発製品の目標が一つなので、出来上がったら解散すること
になる。新しいジャンルの製品なので、商品の洗練開発、マーケティングなど製造会社の全ての能力が必要 になる。そのベンチャー技術を買い上げて大手が開発を継続する以外にない。一方、“(改良製品)”なら納 入先も元から決まっており、むしろ発注されたので(たとえ無理難題であろうと)開発すると言う面が大き い。ガラパゴス化までいくかもしれない部分技術開発である。だから、中小企業には解散はない。むしろ子々 孫々に至るまで存続することを目指している。
すると“時限と永続”も違いのキーワードになる。戦後の一時的な日本のベンチャー群(直ぐに転業してい った中小企業群)は明らかに前者“時限”に属するものが多い。予定通り消えたくて消えたのではなく、本当
は“永続”型の中小企業を目指していたが時代についていけなくて転業したのが真相である。しかし、結果は
同じである。ただ、アメリカのベンチャーの終わりと、この“戦後の一時的な日本のベンチャー群”の終わり とはかなり違う。日本の場合は負け犬として切り捨てられていった敗者扱いである。以後、誰も同じ立場に 立とうとは思わない。
とにかく、小さな組織が産み出す個々の技術(些細なものも多い)が、必要に応じて集約されていくこと が基本である。その役目は果たした。ところが日本文化の中では世代を越えてその継続は起きない。時代が 生んだ混乱期のみである。価値観が一時的に壊れたためとも言える。
なぜ、日本ではそれが育たないのか?
日本のベンチャー企業の問題点をもう少し詳しく分析してみよう。
雇用される人材は、“(最善の革新製品)(次善の革新製品)”と“(改良製品)”とでは決定的に異なる。
(改良製品)の場合は職人であるから、中心となる技術者が少人数いる(大抵は、中小企業の社長、つま り、オッさんである)とき、雇用される人間は徒弟制度的な見習いや、労力を提供する補助要員のみでよい 筈である。参加者は補助要員ばかりで、真面目さや勤勉であることは要求されても、彼らは高学歴や特殊な 才能や技術力を期待されているわけではない。そして、製品の基本的なアイデアは大手企業などの発注先か ら来ている(多くは相手側のニーズに過ぎない)。ただし、かなりの無理難題が多いので、オッサンを先頭
に中小企業自ら、大いなる職人技術により改良に改良を加えて驚くべき新製品を開発するという手順になる。
一方、(最善の革新製品)(次善の革新製品)の場合は、参考になる原型が何もない状態、つまり、基礎か ら立ち上げるわけで、参加者は全員がそのプロジェクトの内容であるアイデア、目的、過程を共有するよう に理解している必要がある。また、中心となる者(ベンチャー企業の社長)は、その会社を立ち上げるため の、何らかの新しい開発するに足るコア技術を持っていることになるが、高度に基礎的なはずである。これ らを共有するように理解できる者は、理系の高学歴の技術者に限定される。
実際にアメリカのベンチャー企業の人材は正にそうである。一目瞭然、日本の中小企業ではこれが不可能 である。“時限解散”の有る無しは社会構造に根ざす根本的な問題なのである。一夕一朝で持ち込める話では ない。そして、かっての日本の「奇跡の高度成長」はこの日本の構造のおかげでもたらされた。
日本の構造が産み出すアメリカ型ベンチャー企業の末路とは。実際に自分の周りの条件を示してお伝えし よう。
バイオの起業化という議論がよくなされている。いわく、大学教授が会社を起こしバイオを実用に結び付 ける、というような話である。いわゆる大学発バイオベンチャーと呼ばれるものである。しかし、私個人と してこの問題を考えたとき、たちまち人材の確保の問題に突き当たる。
私の周りには沢山の院生や学位取得者がいる。私が自分のコア技術を元に、そういうベンチャーの起業を 行い、彼らに参加を呼びかければ、参加してくれる者はかなり多数いるだろう。参加者は、私の個人的な人 間関係・師弟関係から、人生意気に感じて損得抜きで先生についていくという形になる(これまた、極めて 日本的なメンタリティーに基づいている)。しかし、プロジェクト自身が時限制であるから、何年か後には、
プロジェクトが成功しようと失敗しようと解散することになる。すると参加者は全員その職から離れねばな らず、結局、解雇されたことと同じになる。アメリカの実状も概ねそれに近い。そして、アメリカでは、そ の技術者達は自分のそこでの実績を元に売り込み、次の職を見出しキャリアアップしていくことになる。し かし、日本の私についてきた連中は、行く場所がほとんどない状態になる。
大企業は、新卒から内部昇格だけを積み上げ、俗に言う生え抜き重視構造の社会であり、確立した年功序 列社会である。従って、ベンチャーは素晴らしく優秀な人材の墓場・ゴミ捨て場と同じである。
資本力のほとんどないベンチャー企業では、大企業ほどの高給は払えず福利厚生は保証できず、更には、
再就職が不能な40代で最初から予定されていた失業者になるのでは、日本の社会構造や価値観の中では、
何のための学歴だったのか・努力だったのか、ということになる。損得抜きで人生意気に感じて私について きた連中を私は騙したことになってしまう。
要するに、「アメリカなどでは、バイオに限らず多くの領域で、実際に既に古くから機能し、多くの企業 が成立してきており、それが叉、アメリカの経済を支えるようなバイタリティーの源にさえなっている」と いう現実を、日本でこれを期待することは不可能だろう。しかし「明治維新と文明開化」「戦後の高度成長 の開始」という近代日本の創り出した世界的な2大奇跡は、実は述べたように、アメリカ式ベンチャー企業 と類似の構造が(その時だけ)一時的に日本にも出来たことに起因している。しかし、この一時的な特殊構 造は多くの“立派な人たち”の犠牲を伴って消えていった。大企業化したホンダやソニーなどの例外を除いて、
彼らの多くは報われることはなかった。むしろ死屍累々と言った方が正確だろう。アメリカのベンチャーの ごとき、時代が変わっても次々と次世代ベンチャーが現れる風土ではない。
サムライ精神に基づく犠牲を期待するような話はビジネスには向かない。政治には西郷隆盛や坂本龍馬は 必要だが、経済は(英雄ではなく)もっと合理性がなければならない。100年継続的に続くアメリカと、30
年で衰退に入った日本の違いは、ここにあると思う。
嘆いてばかりいてもしようがない。日本型の新しい方式を産み出す以外にない。
4)日本型のA社B社C社対策の創設
では、現代のような社会構造が完成した状態の日本では伝統的な中小企業型のスモールビジネス(下請け 業)しかあり得ないのだろうか?少なくともアメリカ直輸入のベンチャービジネスは全く同型のスタイルで は困難だろう。終身雇用の縦割り構造の中では横から、(予期せぬ形で、そして社内技術者が不慣れな)新 技術や、場合によっては新人員が割り込む形は非常に難しい。終身雇用制で養われた良い面である“日本型 の人間融和構造”の崩壊をもたらす。
しかし“日本型の人間融和構造”は、戦後の日本の「奇跡の高度経済成長」を生み出した元でもある、今 の日本経済崩壊の原因の一つではあるが、諸悪の根源ではない。何事も行き過ぎは問題を生む。「大勝ちは 大負けの元」、極端を避けることが寛容。日本の良さ“日本型の人間融和構造”の崩壊を起こさず、行き過 ぎからくる問題点(技術のガラパゴス化)を防ぐ方法が必要である。何か日本型ベンチャーというものを新 たに生み出す必要がある。
これは革新的な製品のアイデアと、それを実現するためのA社B社C社に分かれガラパゴス化した先端 技術の持ち寄りの話である。
まず、新製品のアイデアがあれば、異業種間のA社B社C社が集まり協議し、最終的にはエンジニア達 を出し合い、時限性の解散を伴うコンソーシアムシステムによって行うしか方法がないだろう。但し、これ は大企業を基本としているので、大企業内部の意識改革を伴わないとかなり難しい面があるが、述べてみよ う。今のごとく、円高と国際性の不足から来る問題で、基本的に周りの新興国に追いつめられている産業群 にとっては意識改革がし易い環境にはなっている。全滅して滅びるよりはましである。そうなる前に集まる ことである。
これに対して否定的な話ばかりしていてもしようがない。参考例がある。
80 年代にそれまで不倶戴天のライバル同士の日本の電機産業大手数社が集まり、外部に自社のエンジニ ア達を送り、コンソーシアムを形成し先進的な半導体マイクロチップを共同開発した。これによって始めて 技術的にも電子産業は完全な世界最先端産業となった。
その目的は、産業化が可能な新技術の開発であり、時限プロジェクトであり、直接にはどの大企業にも属 しておらず独立的である。ラボは外にある。人材も普通なら簡単には集めることが出来ない高学歴の優秀な 人達である。資金の集め方だけは異なるが、これをベンチャー企業と言わず何と定義できるのだろうか?そ して、日本のスモールビジネスの最大の難点である人材問題は見事に解決している。
ただし、これは全くの同業種の業界団体の中の話である。異業種が参加している訳ではない。単純に「資 金」と「時間」の集約の問題に過ぎなかった。当時、誰でも分かっている“未来型の半導体”の開発を促進す るのみで、アイデア的には新規性はない。新しいサイエンスやエンジニアリングを新規に構築の要はない。
“創業者の社長と会長のアイデア”でさえない。しかし、“基礎物理学の世界で共通の話題が大きく集約”して
まとめたと言う話には近い。
だから、今の日本の置かれた条件(日本病)の参考にはならない部分も多いが、会社間でも目的が一致す れば対等な関係で技術開発製品開発が可能であると言う点では大いに参考になる。出資者が同業種の大企業 であるというベンチャーである。分析の価値が充分にある。そして、これが今のような総崩れ状態の電気産 業で起きた基礎技術開発の例なので、非常に興味深い。そのとき世界は賞賛した(これは1980年代の逸話 である。この30年で何かが変わった)。
この半導体コンソーシアムの形態は背景には巨大な電子産業がついており、その意志で動いていると言う ことは本来のアメリカ型のベンチャー企業のあり方とは異なり、自由な意志で立ち上げる世界にはならない。
だから、ベンチャーの一変形形態として、日本的なあり方を考えるための参考例としてみるべきだろう。逆 に見ると、少なくともアメリカの業界ではこのようなコンソーシアムはほとんど絶対に成立しない。法的に も独占禁止法違反として罰せられるかもしれない。
ベンチャーを買い上げるシステムの可能な社会と、ベンチャー的な中小企業を惨めな思いをさせて葬り去 る日本の事大主義社会との相違だろう。日本ではそれでも基礎技術を自分で開発する人がマスコミで取り上 げられ、自分を犠牲にしても社会を救う“奇特な善人”扱いである。これではいけない。単なる賞賛のみでは なく、アメリカ同様、彼らは正統に報われるべきである。それこそが日本の衰退を避ける唯一の方法に違い ない。そこからアイデアを吸収してコンソーシアムが取り上げるシステムを作り上げるべきである。とにか くコンソーシアムベンチャーはアメリカには出来ない構造であるから、日本がやるべき方向である。ただし、
この場合もあくまで“創り出す製品のアイデア”(=コア技術)が必要である。半導体コンソーシアムとはそ こが非常に異なる。
コア技術は次の章で述べよう。まずコンソーシアムについて。
よいコア技術なら、当然コンソーシアムを作るだけの企画があって良い。部分部分の先端技術をもつ企業 のコンソーシアムであるから、必ず人材の将来的な処遇の問題に直面する。まず人材の供給という面から、
コンソーシアムの設立を行わねばならない。それはコア技術の中身に依存する。鶏と卵の話になる。
日本の場合は、多くの優秀な人材は社会の序列通り大企業に集中している。彼らが途中で辞めることはな い。その彼らを集合させるためには、その企業群がまず企画を作らねばならない。
如何に集合させるか?
誰がやるのか?
私の提案は、「エネルギー問題の根本的解決」と「金属素材に代わる産業素材を見つけ出す」の世界であ る。よって、これを必要としている産業群が企画することになる。金属素材に代わる素材となれば、ほとん ど全ての機械産業が関わる。今元気で将来に不安を抱く企業群が音頭を取るべきだろう。1例提案だが、1 度はコンソーシアム形成に成功し、かつ今非常に苦しんでいる電気産業界などが起死回生の一つとして企画 するのは如何か。音頭をとるのは業界団体連合会の会長が適当である。とにかく、今脱皮が急務な産業が呼 びかけると可能性が高い。自動車産業もその点では10年後を見据えたら同じ条件だろう。素材が鉄でなく なれば死活問題の製鉄産業や金属産業なども入る。いずれも業界連合会の会長から提案されるべきだろう。
そしてコア技術開発が要求する異業種にも参加を呼びかける。
ただ、日本の場合はここでも信用不安や社内序列、社会的な敬意、その他色々な本業からはかけ離れた問 題が生じがちになる。この過程には公的な機関などが、助言的に介在すると良いと思う。
そして、無事にコンソーシアム的な関係が成立すれば、そのベンチャー企業を立ち上げ、その第1の目的 であった高学歴の優秀な人材をパートナーである大企業群から時限制でフリーハンドの条件で借りる。大企 業の方は、その技術が出来上がった際には利用することになる。この場合は、リスクの分散のためにコンソ ーシアムを形成している訳だから、多数が相乗りしてもよいことになる。参加しやすい。
このベンチャー成立の決め手は、提案されたコア技術が、大企業の中でも何処にでもあるようなものでは なく、突飛で賛否両論に分かれるような斬新なものである必要がある。そして、参加する大企業の方は、社 内では賛否が分かれていて、とても遂行が出来なさそうなもの、しかし、もし成功すれば重要だと思われる ものを選べばよいだけである。
核物理学で述べたように、本当に時代性のあるアイデアは、多くの限界に達した産業群では理解される条 件を持っている。
もう一つ重要な日本の問題も解決出来る。
(最善の革新製品)(次善の革新製品)研究開発には、多種類の異分野の学問が必要で、それぞれの一流 の専門家を取りそろえる必要がある。このような複合系の研究に要求されるようなメンバー(工学も物理も 化学もバイオも含む)は、ほとんど全て、大学や公的研究機関のエース級の人たち(医師を含む)として、
全国の公的な機関に分散している傾向が強い。1カ所に集まっていない。
新型のコア技術を元に民間主導(これが味噌!)で、更にその中に、このようなメンバーをも集める新型 の産学官連携型のコンソーシアムを考える。この場合に重要なことは、コア技術が完成の暁には極めて国際 競争力のある製品になるものでないと、誰も協力しない。そのコア技術の革新性を信じ、気持ちを共有でき るメンバーでなければならない。だが、もしそういうコア技術があれば、日本では人が予想するよりはるか に簡単に成立する可能性も高い。これは、その世界に住む私の確信でもある。皆、一流の専門家達(医者な ど独立系職業人も含む)はビジネス用の開発であっても、一流の研究開発職は損得抜きの“侍”が多いからで ある。マネーゲームとは正反対の世界にいる人たちである。このサムライ達の犠牲的精神を生かさねばなら ない、そして、彼らも報われねばならない。
なぜ、大企業の中でそういうことが出来ないのか?ガラパゴス化するのか?エンジニアは沢山いるのに。
なぜ、コンソーシアム型ベンチャーなのか?異業種などが集まらなくたって、人を集めてかってに各社がや れば良いではないか?
出来ない!如何なる大企業であろうと国家の規模ではない。だからこそ、業種が分かれて存在し、各業界 が成立している。例えば、如何にトヨタといえども自動車会社が突然医薬品開発は出来ない。専門家が全く いない。そんな意志もないだろう。しかし彼らの持つロボット製造技術は世界トップクラスで、医学の世界 でも重要である。放射線のビームを微小な癌組織に当てる技術は最先端のロボット技術が必要である。その 際にはロボットが癌の位置を正確に認識する必要がある。“癌に集まる物質”を創り標識して追いかけること になる。もし出来ればマーケットは非常に大きい。癌治療である、自動車より大きいかもしれない未来マー ケットである。しかし、“癌に集まる物質”は医薬品である。医薬品会社にはロボットなど開発出来ない。
これも企画の一つである。そもそも組織が巨大化すると、その中で出される沢山の企画の中で、個々のア イデアの中には優れたものもある。未来を征するような突飛なアイデアも出されているに違いない。だが、
そういうものがあっても、それを実現するためには、巨大な組織の中で沢山の専門家の同意を取り付け、プ ロジェクト化する必要がある。
当然、文系出身者も多く混じる経営者達の常識的なビジネス感覚も働く。この「常識的な」という単語が 曲者で、説明されると素人にも比較的簡単に理解できる分かり易いアイデアの方が、極めて選択されやすい ことになる。斬新なアイデアというものは理系の専門家達の間でも賛否両論になり、通常はその集団の平均 値の常識的な考え方に落ち着くから、否定されるものが多い。理系出身といえども、能力的にはピンキリで ある。大学院教育を日常的に行っている私の立場から見ても、特別才能豊かな者は限定されている。だから 平均値に落ち着くと言うことは、一見優秀そうに見える有名大学の理系出身の弁の立つ「無能者!」の意見 に落ち着きがちになる。そして、大企業では、こういう人物ほど出世して研究担当の管理職につくケースが 多い。
上の具体例を参考にしてみよう。トヨタの技術研究所で医療ロボット開発を提案し、そのためには、まず
“癌に集まる物質”探しを提案する。これは医薬品だから厚労省の認可を受けなければならない。“弁の立つ「無
能者!」の意見”の格好の攻撃の的になる。一方、医薬品会社で医療ロボット用の“癌に集まる物質”探しを提 案する。そのロボットは世に未だ存在しない。やっぱり“弁の立つ「無能者!」の意見”の格好の攻撃の的に なるだろう。「自動車屋は自動車、薬屋は薬を、大人しく開発しておれば良い!」、21 世紀の電気屋さんの 総崩れの源である。
今問われているのは、1社だけではとても出来ない業種横断型のプロジェクトである。「エネルギー問題 の根本的解決」と「金属素材に代わる産業素材を見つけ出す」、とても企業内研究者だけでは出せるアイデ アではない。もちろん素材メーカーやエンジンメーカーなら自社製品の開発に近く出来るかもしれない。し かし、その素材を何に使うのか、そのエンジンのユーザーはどういう業種か、となると徐々に矮小化する。
そしてガラパゴス化した。新鮮な空気が必要である。確かに、ホンダは1社で飛行機や2足歩行ロボットを 開発した。素晴らしいことである。しかし、もっともっと大きく視野を広げることが「日本病」から抜けて 拓ける21世紀のビジネスの世界ではないだろうか。
本来斬新な(天才的な)理系のアイデアは、歴史を振り返ってみれば一目瞭然だが、最初は、周りの賛同 はほとんど得られない突飛なものがほとんどであった。当然のことである。従って、大企業の組織の中では、
こういうものは萌芽的に発案されても、ほとんどが握りつぶされ反対され消えていく。
ここに斬新な技術のみで出てくる技術屋の小集団の組織であるベンチャー企業が出てくる余地がある。大 企業ではなかなかプロジェクト化する事が困難な世界を切り拓くのがベンチャー産業だろう。
鉄は熱いうちに打て、の言葉通り、上記の「突飛な(或いは天才的な)アイデアを出す特殊なタイプ」の 技術者達は、若いうちにこのような環境から出て、コンソーシアム型の中でいろいろな優秀な人達と出会う 機会が増えれば、これこそ流動化の源流になりうる可能性もある。コンソーシアムを形成し、その中から得 られる技術上のメリットは大企業にとっても遥かに大きいに違いない。多くの変人(天才)を内部に抱え、
それを巧く使えない状態で置いておくのは、大企業にとっても大きな損失になる。
大企業から人を借りるシステムのベンチャー産業が大きく広がれば、この人同士の交流から始まる流動化 は、最終的には日本型ベンチャー企業の新しい原形が作られていくに違いない。アジア型のモデル或いは原 形にもなることも予想される。
もう1つ解説を付け加えるなら、このような日本型ベンチャー型コンソーシアムシステムの人を借りるシ
ステムは、副産物として、いろいろな大企業内の隠れた矛盾も解決できるかもしれない。
大学や大学院で教育された優秀な人材は、社会の評価通り、ブランドの大企業へ大企業へとナビいていく。
これは日本の歴史や社会構造から見れば、極めて合理的な流れでもある。これを変えることは1~2世代の時 間では無理だろう。しかし、この構造から問題点が21世紀型の開発研究には大きな癌になっていることは 述べてきた。
この構造では、さらに、横の流動性を書く日本の構造の中では、企業は、早くから青田狩りをして、実力 的には玉石混交の理系の人員を、常に余計に採用し、次世代の技術者候補や要員として抱えておく必要があ る。さもないと、終身雇用制度が続く限り、順繰りに余剰に技術者の卵を抱えていかないと、何時か必ず技 術者不足に陥ることになる。しかし、この条件では、いつも大過剰の余剰人員を抱えていることになり、且 つ、多くの技術者は飼い殺しにあっているのと同じになる。当然、多くの技術者の実力は磨かれず駄馬と化 していく。必要になった時は役にたたず、逆に突飛なアイデアを潰す方向に走る望ましくない人材になって いく場合も非常に多い。こういう先輩技術者達が、次に入ってきた技術者の卵達を教育することになるから、
もう悪循環の見本のような状態になる。
大企業の研究所と比較して、ベンチャー企業の最大の利点は、このような隠れた(しかし、実際には大い なる技術革新を阻む最大の要因)人材の選別のための問題を、簡単に解決できるところにもある。ベンチャ ー企業の役割は、大企業病の回避である。そして、今や自社技術のみでは既存の延長線しか創り出せない新 商品の革命的な革新が必要な時代に入っている。“日本病”に陥っている大企業の救出である。
そしてもう一つある。ある意味でこれが最も重要かもしれない。日本のアメリカ型ベンチャー企業の救出 である。
ここでは大企業の話ばかりであまり触れていないが、素晴らしい技術革新は大企業の研究所の片隅の奥 底だけではなく、中企業や場合によっては極めて小さな個人企業の中で生まれることも多い。総合的にはこ ちらの方が大きいし、ガラパゴス化もしていない(革新性も非常に高い)。特に今後の高度技術製品を制す る可能性が高いものの一つとして医療機器・理化学機器の開発があるが、これらはアイデア的に大企業では 生まれる可能性は非常に低い。天才的な発想を要求するからであり、そういう人物は日本の大企業構造の中 ではほとんど存在できない。その例を一つあげておけば、ここ10年程度で信州の町で発展している革命的 な人工心臓の開発がある(この会社は今ではかなりの規模だが、創業者がただ一人で立ち上げた)。この人 工心臓はまだ補助心臓段階だが、これからこの領域では世界を変える可能性が高い。この企業は誰にも頼ら ず研究開発から企業創業経営に至るまですべて一人の人物でなされているので、ある意味で現代のホンダや ソニー松下のような偉業の世界、創業者は本田宗一郎や松下幸之助のような偉人であるかもしれないので、
あまり参考にはならないかもしれない。しかし、ここまで行けずとも、技術開発では素晴らしいものがある のに、資本やマーケティングや異業種の共同開発者が得られない、経営が大変などで、ここまでは行けず消 えるものが非常に多い(私は理工系の科学者である、たくさんそういう例を見てきた。私自身も研究開発し たものの、起業に失敗した経験がある)。文字通りアメリカ型ベンチャー開発であろう。これを何とか掬い 上げる方法もまた必要である。
彼らもまた、コア技術の開発者として“新型の産学官連携型のコンソーシアム”の中に加わる方法を考案 する必要がある。あくまでもコア技術者であるから、そのコンソーシアムは彼らがリーダーとなる組織では なければならない。ただし、参加大企業は当然その開発された製品を共有することができる。ただし、提供 した資本の割合に依存せず、コア技術によって存在する組織である。アイデアを供給したベンチャーからの
出身者だけは帰るところがない。そのため、大企業側のやらずぶったくり構造の起きない絶対的なシステム でない限り、たちまち雲散霧消し机上の空論になる。
大企業から集まる者も、よく言えばサムライだが、変人奇人でもある。一方このような特殊技術の開発を 行う中小ベンチャーの創業者たちも、また変人奇人たちである。コンソーシアムが解散した後、その技術が 喪失したら戻るところがないベンチャー出身者たちは必ず保証されるシステムがなければならない。これが、
アメリカ型ベンチャー経営者がアメリカ社会では報われる方法をここに持ち込まれるべきである。たとえば、
ベンチャー経営者は技術提供した時は、50億〜100 億円の報酬が払われることもざらである。当然コンソ ーシアムが成功し商品化に成功したら、リーダーなどとして参加した中小ベンチャーの経営者たちは、そこ から同程度の感覚で報酬が支払われなければならない。大企業といえども、1社でそうするのは日本型構造 では社長でもできない(正直な話が、日本のサラリーマン社長って哀れな存在である)。しかし、業界団体 の総意によって創られたコンソーシアムなら構造的に可能である。数十億円程度、大企業が数社以上集まっ た集団の中で端金である。個人に膨大な大金を払っても周りから何かをいわれない構造が必要である(これ また、極めて日本的である)。
これは、アメリカ直輸入のベンチャービジネスは同型のスタイルに何となく似ているが、日本の良さ“日 本型の人間融和構造”の崩壊を防ぐ方法も含まれている。日本型ベンチャーとなり得ると思う。
5)コア技術の原点
何をやるか!私のようなジジイが時代を予言するようなおこがましいことを言う立場にはない。特に個々 の産業の技術開発は千差万別で分かりようもない。もう少し長期的な展望で、ビジネスより他の観点(地球 科学と生き物の生存)から見ると、産業構造の変革を考えた絶対的に必要なことがある。人口増大が限界な ことと、地下資源依存の産業革命以後の構造が地球環境の崩壊をもたらしつつある。これに対応する産業構 造の“根本的な”変革がまもなく起きる可能性が非常に高い。対応できなければ、すべての日本の産業の衰 退をもたらす。
思うに今は、「エネルギー問題を根本的解決する」(電力生産を含む)ことと「金属素材に代わる産業素材 を見つけ出す」ことを基礎とする領域は必然だろう。もちろん、他にも沢山あるに違いない。これは単に電 力会社とプラスチック産業に特定した話ではなく、全産業領域の基礎概念の話である。毎日のテレビや新聞 で話題になる政治経済に出る今日明日の問題ではなく、20年後30年後の世界である。ずっと関の話のよう に感ずるかもしれないが、しかし、根本的なアイデアの改革を伴う技術開発には、そのくらいの時間が必要 である(ビジネスの観点から見ると、20年後など直ぐ目の前である)。特に技術開発は、もう今すぐに始め ないと間に合わない。
気候異変が起きだしている。少なくとも今世紀“前半”には、地下資源からの離脱が必要である。まず最初 に石炭石油への依存を止めねばならない、そして最終的には、鉄文明からの脱却が必要である(鉄の使用を 極限まで減らす。出来れば産業革命以前の水準まで)。
この方向は、現代のほとんどの工業技術を否定しているに近い。
* 鉄無しに成立する機械工業、電気産業、建設業はない。
* 石炭無しに鉄は製造出来ない。
* 石油なしに自動車・船舶・航空機は動かない。
* 石炭石油天然ガスが消えれば(原発がない状態なら)電力生産がほぼ不可能になる。
これは全ての交通機関や通信機関の途絶を意味し、最終的には(産業革命以来の)近代産業群の消滅を意