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韓国宮中舞踊《處容舞》舞踊譜にみる 時代背景の影響 ー日韓併合時代の舞踊変容の一考察ー 

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韓国宮中舞踊《處容舞》舞踊譜にみる

時代背景の影響

  日韓併合時代の舞踊変容の一考察  

《Choyongmu》Dance

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  Dance Notation Analysisthrough Japan/Korea Annexation  

蔡 美京

SaiMikyung

Abstract:Dance《Choyongmu》,being assigned asImportantIntangible CulturalProperty of TraditionalCourtDance,isconstrued,in the assignmentreason,asthe Dance with accuracy in itsOrigin and fidelity Succession by the NationalInstitution.

Meantime, Prior Studies referred to transfigurations in its 1929’s dance notations. However detailed analysison whatpartand how changed have notbeen referred to and resulted in generalviews.

ThisThesisisto demonstrate periodicaltransfiguration ofthe Dance Notation of《Choyongmu》. Accordingly,IAnalyzed and deliberated《Choyongmu》Dance notation ofthree erasi.e.1493, 1893 and 1929,by time seriesand each scene.

Asa result,itwasfound thatmany transfigurationsexistin its1929’sdance notationsand newly discovered the unexpected transfigurations. Those transfigurations have not been referred to in the priorstudies.The Analysisdone herewith revealed the situation ofthe Era much influenced to the transfiguration,especially through the Era ofJapan/Korea Annexation. Itwould be imperative to study the Dance Notation from the pointofthe AgesView in orderto considerthe succession ofthe traditionalDance in future.

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韓国宮中舞踊《處容舞》舞踊譜にみる

時代背景の影響

  日韓併合時代の舞踊変容の一考察  

《Choyongmu》Dance

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  Dance Notation Analysisthrough Japan/Korea Annexation  

蔡 美京

SaiMikyung

Abstract:Dance《Choyongmu》,being assigned asImportantIntangible CulturalProperty of TraditionalCourtDance,isconstrued,in the assignmentreason,asthe Dance with accuracy in itsOrigin and fidelity Succession by the NationalInstitution.

Meantime, Prior Studies referred to transfigurations in its 1929’s dance notations. However detailed analysison whatpartand how changed have notbeen referred to and resulted in generalviews.

ThisThesisisto demonstrate periodicaltransfiguration ofthe Dance Notation of《Choyongmu》. Accordingly,IAnalyzed and deliberated《Choyongmu》Dance notation ofthree erasi.e.1493, 1893 and 1929,by time seriesand each scene.

Asa result,itwasfound thatmany transfigurationsexistin its1929’sdance notationsand newly discovered the unexpected transfigurations. Those transfigurations have not been referred to in the priorstudies.The Analysisdone herewith revealed the situation ofthe Era much influenced to the transfiguration,especially through the Era ofJapan/Korea Annexation. Itwould be imperative to study the Dance Notation from the pointofthe AgesView in orderto considerthe succession ofthe traditionalDance in future.

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Keyword:Choyongmu, Court Dance, Dance Notation, Japan/Korea Annexation, Korea ImportantIntangible CulturalProperty

 本研究は、JSPS科研費 課題番号20K00238の助成を受けたものである。 1.はじめに 《處容舞》について  《處容舞》1は新羅時代(憲康王:875-886)における土俗信仰による「處容説話」から始まっ た。新羅から高麗末(9世紀から14世紀末)まで一人舞として、朝鮮王朝時代に中国の陰陽五行 説の影響を受け、5人が五色の衣装を着て踊る「五方處容舞」として発展した。  韓国宮中舞踊では唯一の仮面舞で、呪術的要素を持ち、歌と踊りは悪霊を退散させるための宮 中ナレ(厄払い)儀式で行う儀式舞踊であり、国家行事や国王の祝宴舞として継承された。  《處容舞》の舞踊譜に関しては、朝鮮時代に踊られたものが「 楽 アッ 学 カッ ケ ボム 軌 範 」2と「 チョン ゼ ム ト ホル 記 ギ」3に記録されている。その他《處容舞》が演じられた画報(図)・屏風などが残っているが、 残念ながら舞踊形態の一端しか垣間みることが出来ない(写真1)。また、韓国国立国楽院で発 行した『宮中舞踊舞譜1986』はスティック人形の形態で《處容舞》の動作の解説とリズム(拍) が記されている(図1)。 写真1 《五方處容舞》1744年頃 韓国国立中央博物館所蔵 図1 宮中舞踊舞譜《處容舞》1986年 韓国国立国楽院発行

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2.問題の所在と研究目的  韓国重要無形文化財に指定(1971)されている《處容舞》は、宮中舞踊の中でも歴史的に最も 古く、多く研究されていると言っても過言ではない。1910年の日韓併合時代(以下、併合時代と 示す)に一時禁止されたが、1923年に純宗王4(1874-1926)の誕生50年祝賀公演のために、当 時の李王職雅楽部5の雅楽部生により学習が再開された。  無形文化財調査報告書(1969、第60号)によれば、「三国遺事1281」、「高麗史楽志1454」「 楽 アッ 学 軌 範 1493」などの古文献に記された起源と伝承が、比較的現在の舞踊動作にも正確に反映され カッ ケ ボム ているところが、重要無形文化財指定の理由として記されている。また「 楽 学 軌 範 」に、記録さ アッ カッ ケ ボム れている舞踊譜(楽書)の通りに伝授し原型を保有しているとも言われ、「 楽 学 軌 範 と 呈 才 舞 図 アッ カッ ケ ボム チョン ゼ ム ト 笏 記 には変容はなかった」(ソル,2002:18)ともされている。 ホル ギ  しかし、併合時代の舞踊譜によれば、動作の順序が抜けるなど、多くの変容がみられた。併合 時代に中断されてから1929年李王職雅楽部により再現されたときに、順序、形態、及び舞踊動作 などに違いが表れたとされている。文化財舞踊の伝承過程において、様々な討論・研究されてい るが、明確で具体的な伝承方法論は定まってないのが現状である。現在、文化財庁では伝承保存 のために初代の実演者による記録映像・写真・舞踊譜(1986)を残す方法を用いている。  しかし、伝承において、舞踊譜の変容分析からみてゆく論点は少なかった。  そこで、1929年の変容を見るためには、それ以前の1493年と1893年の舞踊譜に遡って、比較分 析する必要があると考えた。舞踊譜の「どこが」「どのように」「なぜ」変容したのかを詳細に比 較分析し、また当時の社会的背景を考察し、文献と舞踊譜変容を照らし合わせて、併合時代の変 容から観られる、舞踊譜の時代的変遷を明らかにする。 3.先行研究  《處容舞》関する先行研究は、「舞踊譜」「歴史」「伝承過程」「陰陽五行の思想」「處容舞説 話」「動作・映像分析」などの観点から研究されている。ここでは、本論の研究課題に深く関わ る先行研究を3つのカテゴリーに分類する。 ①舞踊譜関連研究では、舞踊譜を基に舞踊の構成(動作・踊り手の配置等)を、動作の解説、舞 踊譜の解説、歴史的背景を全体の流れとして考察している(キム,1986);(イム,2011)。舞

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踊譜の比較研究を歴史的背景から、変容全体の一部分だけを述べて考察している(チェ, 2010)。  これらは全体の流れとして考察されており、詳細な分析ではなく、『處容舞舞踊譜1986. 2008』をそのまま引用しており、変容全体についても断片的な分析になっている。 ②陰陽五行関連研究では、舞踊譜(図)に見られる5人の位置や方向を中心に、時間的、空間的 な変化を陰陽五行の思想を基に、全体の流れという視点から述べている(イ,2010)。舞踊音 楽の構成の特徴的な部分を比較している(ソル,2002)。 ③伝承過程関連研究では、舞踊の変遷過程を中心に、原型保存のため改善の必要性、そして、併 合時代を中心に、伝統文化継承の混乱について述べている(處容舞保存会,1987・2004)(イ, 2016)(バク,2011)。原型保存のための今後の課題として論じているが、具体的な対策につい て触れてなく、主観的な意見に留まっている。  これらの先行研究には、 舞踊譜記録のある 3つの年代を比較した研究が見当たらないため、 筆者はまず、舞踊記録のある3つの年代に遡り舞踊譜記録を比較分析した。  また、先行研究では舞踊譜の特徴的な部分のみを分析しているため、舞踊譜記録のすべてを、 詳細に比較分析する必要があると考えた。 4.研究方法 ①1493( 楽 学 軌 範 )、1893( 呈 才 舞 図 笏 記 )、1929(李王職雅楽部)の3つの年代に共通に記され アッ カッ ケ ボム チョン ゼ ム ト ホル ギ た舞踊譜の34シーンを時系列に分けて分析する。(以下、年代のみ記す)分析対象とした舞踊 譜は韓国立国楽院発行の記録を基にする。 (この記録は韓国文化財庁が指定した、重要無形文化財の原型保存と、後世への伝承のために 記録された舞踊譜を対象とする) ②分析結果を基に、フォーメーションとそれに連なるパターンを詳細に分析する。  フォーメーション、(演者の配列を示す)  パターン、(演者の向きと移動方向を示す) ③舞踊譜の分析結果を基に文献で示す内容と比較分析を行い、舞踊譜変容の実態を明らかにする。 ④補足資料として、国立国学院編集の新訳楽学軌範(2000)を参考にする。

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5.分析結果  舞踊譜記録の通り、34の全シーンを3つの年代に分け、①舞踊譜記録の有無、 ②変容の有無、 ④フォーメーション、⑤パターンに分類した。 1929年 1893年 1493年 シーン パターン フォーメーション 舞踊譜 パターン フォーメーション 舞踊譜 パターン フォーメーション 舞踊譜 (-) (-) 有(-) (-) (-) 有(-) 円形 有 1 (-) (-) 有(-) (-) (-) 有(-) 一列 有 2 無 無 (-) (-) 有(-) 一列 有 3 無 (-) (-) 有(-) 一列 有 4 無 (-) (-) 有(-) 一列 有 5 無 (-) (-) 有(-) 一列 有 6 無 (-) (-) 有(-) 一列 有 7 無 (-) (-) 有(-) 一列 有 8 無 (-) (-) 有(-) 一列 有 9 無 (-) (-) 有(-) 一列 有 10 無 無 無 一列 有 11 無 無 一列 有 12 無 無 一列 有 13 四角に変容 有(変容) 無 一列 有 14 四角に変容 有(変容) (-) (-) 有(-) 一列 有 15 四角に変容 有(変容) (-) (-) 有(-) 一列 有 16 四角に変容 有(変容) (-) (-) 有(-) 一列 有 17 円形に変容 有(変容) (-) (-) 有(-) 一列 有 18 変容 (-) 有(変容) (-) (-) 有(-) 一列 有 19 (-) (-) 有(-) (-) (-) 有(-) 十字形 有 20 (-) (-) 有(-) (-) (-) 有(-) 十字形 有 21 (-) (-) 有(-) (-) (-) 有(-) 十字形 有 22 無 無 (-) (-) 有(-) 十字形 有 23 無 (-) (-) 有(-) 十字形 有 24 無 (-) (-) 有(-) 十字形 有 25 無 (-) (-) 有(-) 十字形 有 26 無 (-) (-) 有(-) 十字形 有 27 無 (-) (-) 有(-) 十字形 有 28 (-) (-) 有(-) (-) (-) 有(-) 円形 有 29 (-) (-) 有(-) (-) (-) 有(-) 一列 有 30 表1 シーン1からシーン34まで(網掛けの欄は変容した舞踊譜)

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5-1 分析結果による舞踊譜記録の有無  1493年の舞踊譜は、シーン1から34まで、すべて舞踊譜記録があった。  1893年の舞踊譜は、シーン11、12、13、14の4つのシーンだけが舞踊譜記録が無かった。  1929年の舞踊譜は、シーン3から13まで、シーン23から28まで、シーン33、34、合わせて19 シーンに、舞踊譜記録が無かった。 5-2 分析結果によるフォーメーションとパターン  「一列フォーメーション」では12パターン。  「四角いフォーメーション」では8ターン。「円形フォーメーション」では3パターン。  「十字形フォーメーション」では6パターンが表れた。 6.舞踊譜変容の分類  分析結果により変容の結果を、以下4つに分類した。 1)1493年・1893年は、舞踊譜はあったが1929年には変容した舞踊譜 2)1493年にはあったが1893年には無くなり、その後1929年に復活したが変容した舞踊譜 3)1493年・1893年にあったが1929年には無くなっていた舞踊譜 4)1493年・1893年・1929年を通して変容してない舞踊譜 6-1 1493年・1893年舞踊譜はあったが、1929年には変容した舞踊譜パターンのみが変容した。 (アンダーラインは変容した部分である。) 変容 (-) 有(変容) (-) (-) 有(-) 一列 有 31 変容 (-) 有(変容) 変容 (-) 有(変容) 一列 有 32 無 無 (-) (-) 有(-) 一列 有 33 無 (-) (-) 有(-) 円形 有 34 舞踊譜記録有り:有   舞踊譜記録無し:無 舞踊譜変容有り:(変容) 舞踊譜変容無し:(-) フォーメーション・パターン 変容有り:変容   変容無し:(-)

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6-2 フォーメーションとパターンが変容

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6-3 1493年にはあったが、1893年には無くなり、その後1929年に復活したが変容した舞踊譜 (フォーメーションとパターンが変容) 6-4 1493年・1893年にあったが1929年には無くなった舞踊譜  シーン3-13までと23の「一列フォーメーション」、シーン23-28までの「十字形フォーメー ション」、シーン34の「円形フォーメーション」合わせて19のシーンである。 6-5 1493年・1893年・1929年を通して変容してない舞踊譜  シーン1、20、21,22、29、30、の6つのシーンである。 表4 変容したフォーメーションとパターン

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7.考察  1929年の舞踊譜に表れた変容、特にフォーメーションとパターンを考察する。 7-1 表2における「一列フォーメーション」、シーン2、19、31、32  「一列フォーメーション」は他の宮中舞踊には見られない《處容舞》を特徴つける基本フォー メーションである。1929年の舞踊譜記録の無い、シーン 3 からシーン 13 に関しては、1493年 と 1893年の舞踊譜はすべて「一列フォーメーション」である。「一列フォーメーション」は、 五人が横一列の状態で正面に向かって並ぶか、向い合うか、又は背中合わせになるか、それから 前後又は斜め前後に移動するかのパターンに繋がる。このようなパターンは、次の動作に進める ために徐々に広がるのが、《處容舞》の本来の構成である。 また、「一列フォーメーション」 の中には、王の聖徳をたたえる歌と歌詞や、お辞儀する場面がある。  『世宗実録(1454 )』券146 に記されているように《處容舞》の前半、つまり「一列フォー メーション」で歌う部分の歌詞は、王の頭頂、額、眉毛、目、耳、鼻を褒めたたえる歌詞である と考えられる。  《處容舞》が陰陽五行思想を基に、フォーメーション(演者の配列)・パターン(向き・方向) においての、「その回数、歌や歌詞一つ一つに深い意味が含まれ、全体動作のフォーメーション との構成は非常に重要」(バク,2010:186)である。 7-2 表1における1929年に無くなった舞踊譜  1493年と 1893年の舞踊譜から推察出来ることは、1929年に無くなった舞踊譜も、同じくお辞 儀と歌のシーンであっただろう。これに関しては、「處容舞の初期の形態は、併合時代は復元さ れてないが」、これは、歌の歌詞の中にある「王の名称を天皇に変えるように歪曲させられ」、そ の時代背景により王をたたえる意識が薄れてきて、「朝鮮時代後期に王権が低下し」(チェ, 2010:7)舞踊形態を省略したと思われる。この時期は、日本の皇室に対しての冒涜的なものは 排除され、例えばキリスト教の神をたたえる讃美歌なども抑圧された。  一方、併合時代にあっても日本の支配に屈しないという民衆の意思・アイデンティティーを 持って「再創造された」《太平舞》という舞踊もある。

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7-3 表3における「四角いフォーメーション」と「円形フォーメーション」、シーン15、16、 17、18  四角いフォーメーション(シーン15、16、17)については、1493年と1893年の舞踊譜には、 5人が「一列フォーメーション」を維持しながら、同時に前進するパターンと、横一列で互いに お辞儀をするパターンから、1929年には中央の黄を中心に「四角いフォーメーション」へとパ ターンが変容した。また円形フォーメーション(シーン18)については、「一列フォーメーショ ン」から1929年の黄色を中心としたパターンの「円形フォーメーション」に変容した。  このような突然の変容は「表 4」で示したように、特異な流れである。その理由としては 「一列フォーメーション」から、ある動作が始まって、徐々に「四角いフォーメーション」もし くは「円形フォーメーション」に移動することによって、時間と空間が形成され、《處容舞》を 含め、韓国宮中舞踊の構成においても自然な流れになっている。つまり《處容舞》の音楽もゆっ くりとしたリズムから徐々に早くなるに連れ、舞踊動作も同様に徐々に早く進行し力動的な動作 になると考えられる。 7-4 表4における「四角いフォーメーション」、シーン14  「一列フォーメーション(1493年の後ろ立位)」から、1893年には舞踊譜記録が無く、1929年 に突然「四角いフォーメーション」へと変容した。更に左右斜め後ろに位置している白と紅に向 かって、黄が後退するパターンになっているが、これは1929年に初めて表れた。このような特異 で不自然な流れは《處容舞》全体の構成において非常に特殊な例である。  また、1493年と1893年に、一度も現れなかった「四角いフォーメーション」が、1929年に4つ のシーン(シーン14、15,16,17)に初めて表れた。  シーン18では、1493年と1893年に「一列フォーメーション」だったのが、「円形フォーメー ション」に突然変容した。この突然の変容に関しては、現時点ではどの文献にも触れていない注 目すべき点であり、今後更なる研究が要されると思われる。  1911年李王朝雅楽部が出来て、1929年に雅楽部生が處容舞を再現するために、「楽学軌範」と 「呈才舞図笏記」の資料を参考にし、「雅楽部生の考えも入れて再現されたために、違いが出て きた」可能性も否定出来ない。雅楽部生個人が記録した舞踊譜ノート(1931)を使用した記録か ら確認することが出来る。  また同時に、雅楽部生に舞踊(舞踊譜)を変容させるほどの権限があったかについては不明瞭 である。この点においては、李王職雅楽部組織の雅楽部長という役職の存在も注視しなければな

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らない。 7-5 「円形フォーメーション」の時代的変容について  1493年と1893年はシーンの初めと終わりがが「円形フォーメーション」になっている。しかし 1929年の舞踊譜は初め「円形フォーメーション」で始まるが、最後の33、34のシーンには舞踊譜 が無いために、シーン32の「一列フォーメーション」の5人が前後移動しながら、退場せずに舞 台上で終わっているパターンになっていることは、大変大きな変容である。  韓国宮中舞踊の殆どが、舞踊の初めと終わりに同じ動作をする構成になっている。  《處容舞》が「円形フォーメーション(始終回舞)」で終わることは、初めと終わりが一定で あり、それは陰陽五行説を基に五行の自然の循環であることを表す特徴の一つである。  それは、「円形には途切れない時間の循環性と空間の形成性が含まれており、生出の意味が内 包されている。つまり、「始終回舞」と言う、舞踊の初めと終わりを円形にすることを象徴して いる(イ,2010:180)」。  特に呪術的要素を持つ《處容舞》が「円形フォーメーション」から始まることは、踊る場を回 ることによってその場を清める意味が内包されている。  このような変容は、観客を意識したのではないかと推測される。1923年に純宗王の誕生50周年 祝賀公演が総督府の政策の基で一つの儀礼として行われた。海外から高官などの観客を迎え、今 までの庭・広場などでの平面的な舞台とは異なり、近代的な舞台化を意識し、観客の視点の位置 が変化し始めた時代の李王職雅楽部による舞踊譜記録(1929)であるためと思われる。 7-6 変容していない黄の位置  「一列フォーメーション」「四角いフォーメーション」「円形フォーメーション」「十字形の フォーメーション」で常に黄が中央に配置されている。黄色を頂点に配置され、中央の黄色が東 と西に均等を保つように空間的、時間的構成によって黄の力が四方に及ぶことを意味している。 黄色は陰陽五行では中心を表し、色彩の意味は明るく、聖なるもので、高貴な身分の象徴として 使われた。従って黄色は全てを包容し調和を保つために、常に中央に位置していると思われる。 すなわち「皇帝」を表す色でもある。 従って《處容舞》は動作に関する記録が、「方向と移動 に関して明確に説明していることから、5つの色彩に加え(處容舞譜,2008:310)」、その位置は 《處容舞》 を表現する重要な意味が内在しているからである。

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8.結論  時代を経るごとによって、多くの舞踊譜が変容していることが明らかになった。特に注目すべ き点は、今回の分析を通して突然、初めて表れたフォーメーションの変容について、現時点では どの文献にも触れられていないことである。  韓国宮中舞踊は、民俗舞踊に比べて舞踊動作が多様でないため、主にフォーメーションやパ ターンの構成を重視する。《處容舞》は創作された当時の社会、宗教、芸術などに至るまで、多 様な要素を総合的に内包している。これらを取り巻く時代の情勢と文化におけるその価値観を反 映している。  しかし、舞踊譜記録の有無など、変容の内容を見ると時代的・社会的背景が大きく影響してい ると思われる。それを、以下4つの観点から纏めた。 ①日韓併合時代  1910年から始まった、併合時代の統治下で、封建制との崩壊とともに、社会階級の急速的な変 化の中で、「伝統」も自ら変化を模索しなければならない状況であったと思われる。1920年の初 頭から、日本の朝鮮総督府は「文化運動」を展開した。1920年「東亜日報」が創設された当時は、 文化優先主義が標榜され(亜細日報社巻1920-1945,1975)当時の新聞には文化という文字が数 多く浮き彫りになった。これは、総督府に対する反発を逸らすために宗教、科学、哲学、芸術で 朝鮮文化が楽園であることを表明するためであったと言われている。これによって表面的には朝 鮮人たちの政治的・社会的活動の環境がある意味整った。しかし、この特殊な状況の時代におい て、長らく続いた王朝での王に対する尊厳が、天皇を頂点とする国家の文化政策に切り替えられ、 朝鮮の伝統文化も日本の影響を多く受けた。  日韓併合時代には、日本語の習得・日本の学校への就学など社会的に朝鮮総督府の直接支配の 影響があったことが史実として残っている。一方、歌謡、演劇、映画、文学などと比べて、舞踊 の世界は抽象性が高く、朝鮮総督府の行政官からみて、特に全体を変容させるほど介入する必要 のある対象ではなかったとも推測される。しかし直接支配の影響を受けなくても間接的には影響 を受けることはあると充分に考えられる。 ②観客の視点  庭・野外・宮中で演じられたものが、西洋文化の導入により「舞台」と言う空間に移動し、演 じられることによって、宮中舞踊の再創造(舞踊譜の変容)の作業が行われたと思われる。  従来中庭などでの演技を、王が少し高い位置から観る視点と、西洋式舞台で観る観客の視点の

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違いにより、舞台で見栄えのするフォーメーション・パターンに変容し、舞踊譜記録の変化にも 影響を与えたのではないかと考えられる。1929年9月に朝鮮総督府は、景福宮で行われた朝鮮博 覧会に、50日間に渡り各地方から多くの観覧者を動員し、朝鮮の文明化、近代化は正統であると 誇示している。(ナム・キウン,2008)  当時はまだ宮中舞踊が映像として記録されることは少なかったが、より舞台映えするパターン を試験的に試みた可能性もあろうと思われる。 ③民族的矜持  また、朝鮮時代に重んじた「礼と楽」の廃止により、舞踊は「国家的な次元」での伝承ではな く、李王職雅楽部と言う「組織による伝承」に至った。朝鮮王朝が没落すると同時に、音楽と舞 踊を担当していた国家音楽機関である、 掌 チャン 楽 アッ ウォン院 6は、李王職雅楽部に改称され宮中音楽・舞踊 を管轄するようになった。併合時代の日本からの圧力などにより、舞台の見せ方を変えざるを得 なかった状況の中で、変容しながらも、宮中舞踊を記録・伝承し守り続けてきたと思われる。  文化の発展は、その国の経済が繁栄した後だと言われるが、1929年朝鮮はまだ経済的に貧して おり、同じ年には米国における世界恐慌があり、経済的・政治的にも混迷の時代であった。  そのような時代背景において、何とか伝統舞踊を守り抜こうという民族的矜持が、1929年の舞 踊譜(変容の結果)からは、強く感じられる。  その時代を生きてきた人々がどのような考えと意識をもって文化活動を継承したのか、政治的、 経済的背景の基、考察するのも重要なことだと考える。 ④変容と再創造  《處容舞》の変容である反面、再創造という観点から考えられる。一つの理由として、この時 期は日本を含め欧米から様々な分野において、文化、技術、文物が朝鮮に波のように寄せってき たことにより、舞踊も西洋式の舞台化を考える時期でもあった。この面から考えれば、《處容 舞》もその時代に追って上演方法も工夫して舞台化を試みたのではないかと思われる。 もう一つの理由としては、朝鮮総督府の文化政策の管轄下によって作られた李王職雅楽部に よる雅楽(舞踊)公演を行うことであったと思われる。そのことによって、既存の舞踊を上演す ることに、考察で述べたように何らかの変化により変えざるを得ない状況であったと考えられる。 《處容舞》が宮中舞踊において変容を加え、再創造されたと言い換えれば、同じ時代に新たに再 創造された《太平舞》がある。《太平舞》は伝統の再創造として民族的矜持が強く表れている新 しい発想への伝統と言えるであろう。  併合時代における伝統舞踊の変容から作られた再創造と新たに再創造された意義と背景をこの

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二つの観点から検討する必要があると考えられる。  《處容舞》が、このように変容したことにより、舞踊の伝承過程において影響を及ぼしていの るが現状である。変容しながらも継承していく、これらの舞踊の時代背景を更に詳細に分析し、 今後、伝統をどのように継承していくのかが文化財としての課題でもある。 注 1 新羅49代王が街を歩いて海辺で休んでいる時、突然、雲と霧が表れ道が見えなくなった。これを 不思議に思い、臣下に聞いたところ、「これは東海龍の災いであるので、良い行いをして災いを 退けるように」という。王はこの辺に望海寺を建てるように命じたら、雲と霧が消え明るくなっ た。そして、ここを「開雲浦」と名付けた。東海王が喜んで、七人の王子を連れて王の前に表れ その徳を褒め称え踊り、その中の一人の王子を与えたのが、處容である。 王は、處容に美しい女性をめとらせ官位も与えた。ところが、疫病神(疫神)は、人間に変身し て處容の妻を犯してしまう。處容が家に戻ったら、変身した疫病神と妻が一緒にいる姿を見た處 容は、怒ることなく、歌いながら踊ってその場を離れた、その時に歌った歌が 「處容歌」で踊った踊りは「處容舞」という。そして、處容の態度に感服した疫病神は處容の形 の模様が家の門にある家は入らないと誓った。これが疫病と疫病神を追い出す「辟邪進慶ビョク サチンギョン」の始まりである。處容に対する解釈は多様で、歴史的実存在の人物として、西域 人とも見られる。 古文献『三国遺事』の『處容郞望海』(879年)に記されている、東海の龍の 息子が神として新羅を龍が守るという信仰の基に、護国仏教を象徴する人物でもある。 2 1493年ソンヒョンが王命により、朝鮮時代のウィゲ(文字と図)と楽譜を整理し編纂した。朝鮮 時代に書かれた公式記録。(漢文で記された 楽 学 軌 範 巻5を舞踊譜にしたもの)。 アッ カッ ケ ボム 3 1893年に朝鮮時代後期に宮中呈才(舞踊)の全ての手順を記録した芸術書(舞譜)。舞踊の各種 目別に配列図、舞踊進行の手順、伴奏音楽、楽器、歌、歌詞が記録されている。 4 大韓帝国第2代皇帝で、李王朝鮮から通算して第27代王。韓国併合後は大日本帝国の王族として 初代王。 5 1911-1951 朝鮮時代の チャン 掌 楽院 アクォンが解散され、1911年日韓併合時代に朝鮮総府が作った国家音楽機関。 6 朝鮮王朝時代に宮中で演奏される音楽及び舞踊に関する全てを管理した官庁。(建院1400年開院 50年 国立国楽院史:国立国楽院)

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参考文献(全て韓国の文献であり日本語で記入する) 處容舞保存会,「宮中舞踊舞譜《處容舞》」,『韓国国立国楽院』,1986 「處容舞保存会シンポジウム 第1回」,『韓国国立国楽院』,2004 「處容舞譜」,『文化財庁』,2008 キム・ミナ,「舞譜を通した處容舞の構成形式に関する研究」,全北大学校,修士論文,1986 文一志 ほか,「處容研究」,『韓国国立国楽院』,1987 李興九ほか,「處容舞」,火山文化,2000 ソル・チャヨン,「處容舞に現れた陰陽五行思想研究」,梨花女子大学校,修士論文,2002 ソン・ヘ ゲン,「處容舞の時代的変遷過程」,サンミョン大学 修士論文,2003 成基淑,「韓国舞踊の 歴史と文化財」,韓国舞踊学術総書,2005 李智英,「日帝强占時代『東亞日報』東京記事に見られえる文化項目の分類考察」,檀國大学校,修 士論文,2007 ナム・キウン,「1929年朝鮮博覧会と植民地 近代性」『韓国學論集』,国立国楽院,2008 朴チョンミョン,「日帝時代の文化政策に伴う朝鮮後期舞踊性向に関する研究」修士論文,2009 金 千興,『ソムソ 金千興の晴々の生涯』民俗苑,2009 イ・チョンスク,「 楽 アッ 学 カッ ケ ボム軌 範 處容舞作隊の意味照明」,『韓国思想史学』,第36集,2010, pp.179-216 チェ・ミヨン,「處容舞の舞踊epicとimaginal研究」,ハニャン大学校 博士論文,2010 キム・ハナ,

「處容舞に見られる五方色の象徴性研究」,カンウォン大学校 修士論文,2011 バク・テギュ,「韓国宮中舞楽に関する研究―日本の強制占領期の-《響鈴舞」》と《処容舞》の屈折 を中心に-」『日本文化研究』,第37号,2011,pp.171-188 イム・ミソン,「朝鮮末~日帝の宮中呈才の伝承と再現」,『国楽院論文』,巻23,2011 チョ・キョンア,「朝鮮総督府の記録映像『朝鮮舞楽』の舞踊史的価値と限界」,『舞踊歴史記録学 会』,第19回,2017,pp.100-119 蔡美京,「韓国舞踊」『映像で学ぶ舞踊学』大修館書店,2020,pp.64-72.

参照

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