鎌倉末期肥前河上社大宮司重陳状にみる
諸国神社社務管領者の比定
徳 永 健 太 郎
はじめに
鎌倉最末期の元徳四年(一三三二)、肥前河上社において、座主が大宮司を訴えるという相論が起こった。この相 論に関する関連史料は、今回取り上げる元徳四年の河上社大宮司高木家直重陳状写(以下「河上社大宮司重陳状」* 1) と、建武元年(一三三四)に取り結ばれた大宮司と座主との間の和与状* 2のみが残されている。このうち相論の詳
細を知りうるのは河上社大宮司重陳状である。その事書によると、本相論は、巨勢荘竈王院那禅房が知行する河上社
免田の進止権を争点としているが、実質的には河上社における社務を大宮司と座主のいずれが進止するのかという点
が主要な争点となっており、神社内部での社務管領の経緯とともに、一般論として大宮司と座主のどちらが社務を管
*1 河上社大宮司重陳状写(『河上宮古文書写』
『鎌倉遺文』四十一巻三一六六九号)
。*2 建武元年八月五日藤原家直和与状(『河上神社文書』『南北朝遺文』九州編一巻一〇五号)。同年同月九日藤原家直起請文(『河上神社文書』『南』九州編一〇八号)。
研究年誌64号(2020)
領すべきかという点も争点化されている。その過程で大宮司側は、諸国の有封社における大宮司進止の社とその他の
所職が社務を管領している社を列挙し、座主管領の社が存在しないとして、大宮司による社務進止の正当性を主張し
ている。
河上社における大宮司の社務進止をめぐる問題についてはすでに前稿で論じた* 3が、大宮司側が主張した社務管
領者をめぐる問題は、中世における神社の権力構造を考えていく上で格好の素材を提供している。本稿では、中世神
社の権力構造を考えていくための基礎作業として、大宮司側の列挙した神社とその社務管領者について個別に比定を
加えていくこととしたい。
一 河上社大宮司重陳状の諸社記載について まずは河上社大宮司重陳状に記載された有封社の一覧について、当該箇所の記載を示しておく。
凡不限当社、於有封社者、以大宮司為社務管領、所謂①宇佐・香椎・河上・千栗・高良・阿志岐・筑紫・阿蘇・
甲佐・藤崎・宗像・賀来・由須原・熱田、都大小神社等、皆悉大宮司社務也、此外其数不可勝計〈是三〉、②伊勢・
石清水・賀茂・住吉・日吉・松尾・稲荷・祇園・北野・平野・春日・大原・熊野・新熊野・吉田・杵築・日前國
懸・伊豆・箱根・三島・厳島・諏訪・鶴岡・大隅・竃門・天満宮・筥崎・櫛田・志賀・開門・新田・松坂・霧嶋・
行縢等社、③祭主・検校・別当・神主・禰宜・祝・留守・執行・執印・官長社務事、定例也、諸国七道六ヶ余社
内、雖為一社、不可有座主社務之法〈是四〉、
*3 徳永健太郎「鎌倉期の地方神社と幕府―河上社における高木氏と神社興行―」(『年報中世史研究』三六 二〇一一年)。
この箇所は、大宮司側が座主側に対し、神社管領者として大宮司がふさわしい所職であることを主張する文脈で示し
た部分である。なお有封社とは、そもそもは封戸を有する神社のことである。すでに封戸が衰えて久しい十四世紀に
あっては、もっぱら神領を有する社という意味で用いているのだろう。「御成敗式目」においても第一条でこの語が
用いられている。
列挙されている神社のうち、大宮司管領とされている社は①、その他所職の管領とされている社は②とした。それ
らは表1にまとめたので参照いただきたい。
二 諸国神社社務管領者の比定 ではさっそく列挙された諸国神社の社務管領者の比定に移る。まず大宮司を社務管領とする①から検討する* 4。
◯宇佐
宇佐八幡宮である。奈良期から大宮司の存在を確認することができる。
◯香椎
九世紀には「廟司」が、十世紀には「大宮司」の存在が確認できる。
◯河上
肥前・河上神社、現在の与止日女神社である。相論の当事者である。
*4 なお作業に際しては主に平凡社の『日本歴史地名大系』、吉川弘文館『国史大辞典』(いずれもジャパンナレッジ)、東京大学史料編纂所データベース、中世諸国一宮制研究会編『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院 二〇〇〇年)を参照した。
◯千栗 肥前国一宮であり宇佐弥勒寺の末社(九州五所別宮)でもある千栗八幡宮である。正和元年十二月十六日鎮西裁許 状* 5に「当社大宮司」とみえ、大宮司職が置かれていたことがわかる。
◯高良
現在の高良大社である。『高良玉垂宮神秘書』によると、大祝・大宮司・座主の三職が置かれていたことが知られる。
高良社が大宮司とともに座主も社務の一翼を担う社であったことは、実は大宮司側にとっては不利な証拠となる。し
かしそもそも筑後国と深い関わりを有していた高木氏は、あえて大宮司社務管領の社とみなしたのであろう。
◯阿志岐
現在は筑後・高良大社の摂社となっている高良王子神社である。文保二年(一三一八)九月日の玉垂宮獅子勾当薬 師房重陳状案* 6には「高良王子阿志岐社大宮司」とある。
◯筑紫
現在、福岡県筑紫野市にある筑紫神社である。『類聚符宣抄』の天元二年(九七九)二月十四日の太政官符によると、
天延二年(九七四)には大宮司職が置かれていたとされる。
◯阿蘇
現在の肥後・阿蘇神社である。文書上では康治元年(一一四二)* 7には大宮司の存在を確認することができる。
◯甲佐
*5
『千栗八幡宮文書』
(『鎌』三十五巻二四七三八号)。 *6
『梅津文書』
(『鎌』三十五巻二六七九一号)。*7 康治元年十二月日阿蘇大宮司宇治惟宣解断簡写(『阿蘇文書』
『平』六巻二四九七号)
。
現在の肥後・甲佐神社である。阿蘇神社の末社、阿蘇三社の一つとして知られる。建長三年(一二五一)* 8の実検
注進状案に「大宮司」とみえるが、これが甲佐社大宮司であろう。
◯藤崎
現在の肥後・藤崎八旛神社である。やや時代が降るが、元徳二年(一三三〇)の鎮西御教書案* 9の充所に「大宮
司殿」とあり、鎮西探題が本社大宮司に充てて文書を発給したことがわかる。
◯宗像
現在の筑前・宗像大社である。天元二年(九七九)に宗像大宮司職が設置されることとなった* 10。
◯賀来・由須原
賀来は現在の豊後・賀来神社であり、由須原は現在の柞原八幡宮である。賀来神社は柞原八幡宮の摂社とされてお り、両社は一体と見なすべきであるかもしれない。柞原八幡宮は養和年間以降大宮司が置かれたとされるが* 11、創建当
初より置かれていたのは供僧の宮師である。したがって社務管領者を大宮司としてよいかどうかは検討の余地が残る。
◯熱田
現在の尾張・熱田神宮である。院政期まで大宮司は尾張氏が務めてきたが、院政期に藤原季範が大宮司職に就いて
以降、藤原氏が大宮司に、尾張氏が権大宮司に代々就任してきた。
*8 建長三年九月廿三日甲佐社領実検注進状案(『阿蘇文書』。『鎌』一〇巻七三五八号)。*9 元徳二年八月十日鎮西御教書案(『藤崎八旛宮文書』
『鎌』四〇巻三一一七九号)
。*
* 10 天元二年二月十四日太政官符(『類聚符宣抄』)。
11 正応二年三月日大宮司経妙旧記注進案(大宮司記録御縁起)(『柞原八幡宮文書』
『鎌』二二巻一六九四六号)
。
次に②のグループについて、その社務管領者を史料傍線部③で挙げられた所職の名称に拠りながら示していく。
◯伊勢
現在の伊勢神宮である。二十二社。平安期から鎌倉期にかけては祭主が伊勢において大神宮司と一体となって社務
を管領した。したがって③では「祭主」が該当する。
◯石清水
現在の山城・石清水八幡宮である。二十二社。別当、のちには検校が惣官として社務管領者であった。したがって
③では検校・別当が該当する。
◯賀茂
山城・賀茂社は上賀茂社(賀茂別雷神社)と下鴨社(賀茂御祖神社)とに分かれる。二十二社。平安期以来、上賀
茂社は神主、下鴨社は禰宜が社務管領者であった。したがって③では神主・禰宜が該当する。
◯住吉
現在の摂津・住吉大社である。二十二社。「住吉大社神代記」によると奈良期から神主が存在していたということ
になるが、同書が成立したと推定される平安期には、神主職が社務管領者であったと考えられる。したがって③では
神主が該当する。
◯日吉
現在の近江・日吉大社である。二十二社。日吉社は禰宜・祝・神主の俗官の所職があるが、後三条天皇の行幸を機
に僧官が置かれ、天台座主が検校、別当・権別当も置かれ、延暦寺の強い支配下にあったとされている。しかしここ
ではおそらく俗官の社務管領者を指しているものと考えられ、③では禰宜が該当するとみてよいだろう。
◯松尾
現在の山城・松尾大社である。二十二社。神主が社務管領者であり、③では神主が該当する。
◯稲荷
現在の山城・伏見稲荷大社である。二十二社。下社・中社・上社の神主が社務管領者であり、③では神主が該当する。
◯祇園
現在の山城・八坂神社である。二十二社。興福寺と延暦寺との間で支配権をめぐる争いがあり、十世紀末に天台別
院になって以降、延暦寺の支配下に入った。社務管領者は執行であるが、延暦寺僧が検校・別当としてその上位にあっ
た。③においては執行が該当する。
◯北野
現在の山城・北野天満宮である。鎌倉期においては延暦寺僧である曼殊院が別当を務めて目代を置き、社務管領者
は執行であったとみられる。③においては執行が該当するのであろう。
◯平野
現在の山城・平野神社である。二十二社。社務管領者は預であり、神祇官人の卜部氏が継承した。③には預の所職
はみえない。
◯春日
現在の大和・春日大社である。二十二社。神主、預・権預が社務をつかさどる。③では神主が該当するのであろう。
◯大原
現在の山城・大原野神社である。二十二社。神主が社務管領者であった。③では神主が該当する。
◯熊野
現在の紀伊・熊野那智大社・熊野本宮大社・熊野速玉大社である。おそらくここではこれらを総称した熊野三山の
ことを指しているのであろう。鎌倉期において社務管領者は別当であり、さらに園城寺僧が熊野三山検校を兼ねてい
た。したがって③では別当が該当すると思われる。
◯新熊野
現在の山城・新熊野神社。検校・別当が置かれているが、検校は熊野三山検校との兼帯であるため、社務管領者は
別当であろうと思われる。③では別当ないし検校が該当する。
◯吉田
現在の山城・吉田神社である。二十二社。預が社務管領者であり、神祇官人の卜部氏が継承した。③には預の所職
は見えない。
◯杵築
現在の出雲・出雲大社である。神主が社務管領者であり、出雲国造家が継承した。③では神主が該当する。
◯日前・國懸
現在の紀伊・日前國懸神宮である。社務管領者は国造であり、紀国造家が継承した。③には該当する所職が挙げら
れていない。
◯伊豆
現在の伊豆・伊豆山神社である。走湯山と称され、建武以降は密厳院が別当として社務を管領していたことが知ら
れる。したがって鎌倉期の社務管領者も別当としてよいだろう。③では別当が該当する。
◯箱根
現在の相模・箱根神社である。社務管領者は権現別当であると考えられる。権現別当の名称は③にはないが、別当
がそれに該当すると思われる。
◯三島 現在の伊豆・三嶋大社である。社務管領者は神主である。③では神主が該当する。
◯厳島
現在の安芸・厳島大社である。戦国期まで社務管領者は神主であった。
◯諏訪
現在の信濃・諏訪大社である。上社・下社ともにそれぞれ社務管領者は大祝である。③では祝に該当するのであろう。
◯鶴岡
現在の相模・鶴岡八幡宮である。社務管領者は別当である。③では別当に該当する。
◯大隅
大隅とだけあるが、これは大隅正八幡宮を指すと考えられる。現在の鹿児島神宮である。正八幡宮は鎌倉期以降石
清水祠官善法寺家の支配下にあり、善法寺家祠官が兼帯する検校の目代として留守が派遣されていた。しかし社務管
領者としては、社司を代表する執印だと考えられる。③では執印が該当する。
◯竃門
現在の筑前・竈門神社である。大山寺と一体の組織を形成していたようであり、別当・執行の存在が知られる。た
だ鎌倉期においていずれが社務管領者であったかは明らかでない。なお別当・執行のいずれも③には挙げられている。
◯天満宮
現在の筑前・太宰府天満宮である。中世には天満宮安楽寺と称していた。鎌倉期において別当は在京であり、現地
には留守が置かれていた。したがって社務管領者は留守とみてよいだろう。③では留守が該当する。
◯筥崎
現在の筑前・筥崎宮である。筥崎宮には平安期以来大宮司が置かれていた。鎌倉期には石清水祠官田中家の支配下
にあって石清水祠官が検校を兼帯しており、現地には検校の目代である留守が置かれていた。したがって鎌倉期の社
務管領者が誰になるのか判然としないが、留守・大宮司のいずれも③には挙げられている。
◯櫛田
現在の筑前・櫛田神社、あるいは本宮とされる肥前・櫛田宮のいずれかである。肥前の櫛田宮には大宮司が置かれ
ていたことが確認できるが、筑前の櫛田神社は不明である。肥前・櫛田宮の社務管領者は大宮司であり、③の大宮司
に該当する。しかし本社は②の区分、すなわち大宮司以外の社務管領者である社として挙げられており、さらに検討
を要する。
◯志賀
現在の筑前・志賀海神社である。社司ないし宮司の呼称がみられるが、鎌倉期の社務管領者については未詳である。
◯開門
現在の薩摩・枚聞神社である。社司の存在は知られるが、鎌倉期における社務管領者は未詳である。
◯新田
現在の薩摩・新田神社である。社務管領者は執印である。③では執印に該当する。
◯松坂
豊後・松坂神社と推定されるが、現在のところ確定には至らない。したがって社務管領者も未詳である。
◯霧嶋
現在の大隅・霧島神宮である。別当寺の存在が確認できることから、鎌倉期における社務管領者は別当であったと
推測される。なお③では別当が該当する。
◯行縢 現在の日向・行縢神社である。社務管領者は別当であり、③では別当が該当する。
三 諸社の列挙の傾向について ここでは諸社のについて、簡単に分析・検討を加えたい。
まず大宮司管領とされる①は十三社である。熱田以外はすべて九州所在の社である。
一方その他の所職が社務を管領する②は、三十四社が挙げられている。伊勢以下大原(大原野)、吉田までは畿内
の二十二社であり、その数は十三社。その他は各地の主要社である。やはり九州所在の社が多く、十一社が挙げられ
ている。九州以外の諸社は著名な神社ばかりであって、必ずしも一宮や大神宝発遣社などの基準によって社が示され
ているわけではない。伊豆・箱根・三島・諏訪・鶴岡は東国の社で、これは大宮司が御家人であるところから、幕府
に対するアピールとして示されているものかもしれない。
大宮司側の狙いとしては、座主が社務管領者として不適格であるということを示すことにあるのだから、河上社以
外の九州所在社と主だった神社(で座主が社務でない社)を挙げれば事足りたのであろう。そうした点から改めてこ
の列挙された社をみると、九州以外の社は、当時の九州の御家人にとってそれなりの規模の社であるとみなされてい
た神社だったと推測される。一方、九州の諸社については、必ずしも著名ではない社、比定が容易ではない社も含ま
れている。特に
46番の豊後・松坂神社は、社務管領者などが未詳であるが、そもそもこの史料が文書上での初見であ
る可能性もある。九州に関しては、鎮西探題や御家人との関係により高木氏が知り得た独自の情報が示されている可
能性が強い。
また社務管領者の列挙傾向については、①で示された大宮司社務管領社にも5番筑後・高良社のように座主が社務
に関わっている可能性のある社が存在すること、②では荘園制的な知行関係とはあまり関わりなく、現地で社務を実
効支配している管領者が列挙されていることがうかがえる。
おわりに
以上、河上社大宮司重陳状に列挙された諸社と、その社の社務管領者の比定を行なった。その結果、おもに九州を
中心に諸社が挙げられていること、二十二社が比較的多く取り上げられていること、九州以外の諸社は著名な社に限
られること、一方で九州に関しては必ずしも広く知られているとはいいがたい社も含まれていることが明らかとなっ
た。鎌倉末期の九州御家人が把握する神社秩序として興味深い事例であると言えよう。なお、この比定をもとにした
社務管領権、神社惣官をめぐる本格的な考察は別稿を期したい。
〔表 1〕社務管領者の所職名称(河上社雑掌重陳状より)
分類 神社 現社名 所在国名 社務管領職 在京・本所所職 備考
① 宇佐 宇佐神宮 豊前 大宮司
① 香椎 香椎宮 筑前 大宮司 検校
① 河上 河上神社 肥前 大宮司
① 千栗 千栗八幡宮 肥前 大宮司
① 高良 高良大社 筑後 座主・大宮司・大祝
① 阿志岐 高良御子神社 筑後 大宮司 久留米・高良王子阿志岐社
① 筑紫 筑紫神社 筑前 大宮司
① 阿蘇 阿蘇大社 肥後 大宮司
① 甲佐 甲佐神社 肥後 大宮司
① 藤崎 藤崎八旛宮 肥後 大宮司 検校
① 宗像 宗像大社 筑前 大宮司
① 賀来 賀来神社 豊後
大宮司・宮師 賀来神社は柞原八幡宮
の摂社とされる
① 由須原 柞原八幡宮 豊後
① 熱田 熱田神宮 尾張 大宮司
① 伊勢 伊勢神宮 伊勢 大宮司・祭主
② 石清水 石清水八幡宮 山城 検校・別当
② 賀茂 賀茂別雷神社/賀茂御
祖神社 山城 神主・禰宜
② 住吉 住吉大社 摂津 神主(正・権)
② 日吉 日吉大社 近江 禰宜 検校・別当・権別当
② 松尾 松尾大社 山城 神主
② 稲荷 稲荷大社 山城 神主
② 祇園 八坂神社 山城 執行 検校・別当
② 北野 北野天満宮 山城 別当 検校・別当
② 平野 平野神社 山城 社務?
② 春日 春日大社 山城 神主・正預/権預
② 大原 大原野神社 山城 神主
② 熊野 熊野(速玉・本宮・那智) 紀伊 別当 三山検校
② 新熊野 新熊野神社 山城 検校・別当 三山検校
② 吉田 吉田神社 山城 預
② 杵築 出雲大社 出雲 国造
② 日前 日前大社・国懸大社 紀伊 国造
② 国縣(懸)
② 伊豆 伊豆山神社 伊豆 (密厳院)別当 走湯山
② 箱根 箱根神社 伊豆 別当
② 三島 三島大社 伊豆 神主
② 厳島 厳島神社 安芸 神主
② 諏訪 諏訪大社 信濃 大祝
② 鶴岡 鶴岡八幡宮 武蔵 別当
② 大隅 正八幡宮 大隅 執印・留守 検校
② 竈門 竈門神社 筑前 別当・執行 宝満山
② 天満宮 太宰府天満宮 筑前 執行・留守 別当 安楽寺
② 筥崎 筥崎宮 筑前 留守 検校
② 櫛田 櫛田神社 筑前 大宮司
② 志賀 志賀海神社 筑前 宮司坊 福岡・志賀島
② 開門 枚聞神社 薩摩 神主?
② 新田 新田神社 薩摩 執印
② 松坂 松坂神社 豊後 大分市/大友館付近か?
② 霧島 霧島神宮 大隅 別当
② 行騰 行騰神社 日向 別当 日向