究論文
〉
二 十 面 相 が盗 んだも の
― 江戸川乱歩「盗難」を巡って ―
加田 謙一郎
(二〇一六年
一月二十九
日 受理)
キーワード
江戸川乱歩・怪人二十面相・盗難・ドンデ
ン 返し・役
割反転・立川談志・ミハイール・バ フチ ーン
はじめに
―
「盗 難
」 とい う軽 い読 み物
―
小説
「盗難」
に関する、
江 戸川乱 歩自身によ
る作品解説
(注 一
) 通り である。
】 週刊「
写 真報知」大正十四年五月ごろ
の 号 に発表。ど
こ を 連想させ
る軽い読物
で ある。私
は昔から、探偵小説と共 が 大好物 で あっ た。両方ともドンデン返しと「落ち
」のあ て い るか ら で あ ろ うか。
こ の 作 にはそ の 私の 二つの が混じりあ
っ て い るよ うに思われ
る
。 ュー作「二銭銅貨」
を、「新青年
」大正十二
年 二月号に
発表
。 四 年一月 号 には
「D坂 の 殺 人 事件
」を 発表
。作 家として
立 を 固める転機となった
「 心理試験」
を
、 同 誌 大 正十四年
二月 号
に 発 表
。 この 年
、
「 新 青 年
」 編 集 長 であ った 森 下 雨 村 が
、 新 人 である 乱歩に、
同誌 への六ヶ月
連 続の短篇小
説 掲 載 の機会 を 与え た。連続
掲 載さ れた作品は以下の通り
。
「心理 試 験」(二
月号
)、「
黒 手組」(
三月号
)、
「 赤い部屋」
(四月号)、
「 幽霊」(五月号)、
「 白昼夢
」・「指輪」(七月 号)、
「 屋 根裏の散歩者
」
( 八 月 増 刊)
一見 すると ころ
、 現在 でも 名 作 とされ る作品が目
白押 し で あ る
。乱 歩自身
、
「D坂の
殺人事 件」
と 六 ヶ月連 続の短篇
小 説 掲載 に関 し て
、 以下のように述
べ て いる。
その 中には
「黒手組」
や
「幽霊
」 のよ うな駄作もあるが、
「D坂」
「心理 試 験
」「赤い部屋」「屋根裏
の散歩者
」など は
、私 の短篇 の代表的なも
のに属するわけ
で
、こ の連 続短篇はま
ず まずの成功 であ っ た
。 こ の 年 に は
、
「 新 青 年
」 七篇 の ほ か に
「 苦 楽
」
( 二 篇 発表
、 その一篇
は
「人間椅
子」
で あ った
)「新小説」
「 写 真報知」
「映 画 と 探偵」などに九
篇 を書い て いるから
、合わせ
て 十 六篇と なる。
私 とし て はよく書いた
年 で あ り、
私 の 初期 の 代表的な短篇 の半分近くは、
こ の年に発表したといっ
て も いいようで
あ る。
乱歩自 身 が言う「
初期 の代表的な短篇」群と
同時期に、本稿
で 取 り 上げる「盗難」は執筆された
。デビュー
した て の 初々しくも勢
いのあ る 時 期に 執筆 されたも
の の 一篇 で あ るこ とを 思え ば、
乱歩 自身が言
う ように「どこ
か落語を
連想 させる軽
い 読 物
」と、
簡 単 には 決し て 片 付 けら れ な い側面があるはずだ
。 本稿は「盗難」
を 読 み 解く こ と で
、 乱 歩の
「 少 年探 偵シ リー ズ」の あ りよ う、
とり わけ稀 代 の ピ カロ である 怪人 二 十 面相によ
る盗難に関
し て
、 できるだけ詳細
に論ずる
ことを 目 的とする。
二.
俗なるもの
の 巣喰う
舞台設定
「盗 難」は、「
私
」の「実
験談」
で あ る。
語り手 は
「私」
、 語り を聞い て いる者は
、詳細には
言 及されな
い が 小説 家。
「私
」 は
、「こ の 話はこ れま で
、 たびたび人に話
し て 聞 か せた こ と がある」。「そ
い つ があんま
り 作ったよ
うに面白く
で きて いる もんだ から
、そりゃ
お 前
、 な ん か の小 説本 から仕込
んで き た 種 じ ゃ ない か
、 なん て、大抵の人
がほんとう
に しない」
話だ。「し
か し正 真正 銘い つ わり なしの事実
談
」だと、「私」は
主 張 し て いる
。
「私」は、現在
は
「やくざ
な仕事」
をし て いるらしい。
し か し「
三 年 前 ま で は
」
、
「宗 教 に 関 係して い た
」と 言 う
。
「 ち ょ っと立派に聞こえ」るが「実
は くだらないん
で す
」 と
、「私」
は 回 想 する。
「 あんまり
自慢になるよ
う な宗教 じ ゃない」
が、「七年
前」か ら「足かけ五年」
、「
×
× 教」の「N市の支教会」に「雑用係り」と し て 働 い て い た。「むろ
ん 私 は 信者にな
った わけ ではない」。「根が 信仰 心の 乏しい と ころへ
、 内幕 を知っ て しまっ」
たか ら で あ る
。 その「内幕」
を体 現し て い るのが、「N
市の支教会」の「主任」な る 人 物 で ある。「
私
」 は、「同郷
の 者で 古い知 り 合い
」の「主
任
」 の
「縁 故」
で、
「居候 を き め 込 ん だ」
とい う事 情があ る
。「主 任
」は
「決 し て 宗 教 的な、悟り
を ひらいたというよ
うなの で はなく て
」、「商
才 にた け て いた
」人 物 で あった
。
「宗 教 に 商才 は少 し 変
」 だ と「
私」は 感じ ているが、「主任」の「
信者をふやしたり、寄
付金を集め
た りす る腕 前は、なか
な かあざ や かなもの」
と感心もし
て い る。
と は 言 え「
私
」 は
、「
し か つ め らし い顔 をし てお説 教 をし てい る主 任が、
裏 へ廻っ て みれば、酒
を 飲 む わ、女狂いはするわ、夫婦
喧嘩は 絶え間 がないとい
う始末 で は
、どうも信仰も起
こ
」 ら なかった
の で あ る。そ れ で も、「
一時しのぎ
」 のつもり
が、「いっ
こ うに足が抜け
な く」
な っ て、「
教 会の 雑用 係 り とし て、
と う と う 根 を す え てし ま」う こと に な った
。 つま り
、
「私
」も「
主 任
」 も、
聖なるもの
で あるはず
の宗教 の
「 支 教会
」の中で
、 最 たる俗 な るも のと して 存在して
いるというわけだ
。
「主 任」
は、俗物
で あ り、そ の
「縁 故」
とし て
「 居 候 をき め 込 んだ
」
「私
」 も
、「ごろごろ
し て いるうちには、だんだん宗旨
の こ と にも な れて く る
」 俗 物 で あ っ た。
こ の
「宗 旨」
とい う こ と ば を、「×
× 教
」 自 体の 宗 旨の意 味とし て 受け取 る の は
、あ まりに浅薄
で あ ろ う。
「主 任」によ
る「N市の支教 会
」 運営 のあ り よ うと、
そ れに 順応 して いっ た語 り手 で あ る
「 私
」 自 身 を
、 極 め て シニ カル に表現 し ていると
いう側面
も
、 見 落 とし てはな らない
。「宗 旨の ことにもな
れ て く る」
という表現
に 注意しよ
う。
聖 なるものの「宗旨」に、
「なれ」るという現
象は、本来
の 宗教的生き 方にお い て は
、有 り得ないと考えら
れるか ら だ。「
な れ」る現象は
、 ただ 今 こ の 瞬 間 の 生き 方を 問わ れる 宗教的な
生き 方とは
、 無 縁 で あ る は ず だ か ら で あ る
。「
主 任
」も
「 私
」も
、宗
教 を 食 い 物 に す る こ と に
、
「なれ て
」し まったの
で あ る。
そし て
、本来の
「 宗旨
」と は ほ ど 遠 い
、 俗なる 生 き 方 を続 け て いる。
ゆ えに、「
私」
は「信仰も起
こ
」 らな い まま、
「 支教 会」
の 中 で、俗 な るもの と し て
、「い っ こうに足
が抜け なく」
なっ て
、「
教会の 雑 用 係 りとし て、とうとう根
をすえてしま
」 うこ と に な っ たと言え
る
。
三.
落語的なド
ンデン返しに揺ら
ぐ世界
そのよ うな「N市の支教会」
に、古くな
っ た「説教
所」の増築
問 題 が持ち上がる。「主任」は「商才」
を大いに発揮し
て
、「十日
ばか り の あ いだに五千
円 も」
、「
信者」か
ら「寄 付 金」
を集め て し ま う。
「主 任」
は、
「 信 者第 一の 金満 家
、市 で も一 流の 商家の ご 隠居」
を
、
「神様から
の 夢 の お 告 げが あっ たなどともっ
たいを つけて
、 うまく 説 き 伏せ
」
、「寄付
者の筆頭とし
て 三 千円
」 を 収めさ せ る。
こ の 三千 円 を
「おとり」とし
て
、他 の
「 信者が来るたびに」、「ご奇特な
こ と で す。だ れ だれさん
は、もう
この通り大枚の寄進
に つ かれ て おり ます
」 と言い な がら、「見せび
ら か」す の だ。かつ「例の
ま こ と しやかな
夢 の お 告げ を用い
」、
「 だれし も 断り きれ なくな」
るよ うに仕向
け、
「応 分の寄 付
」 を 出さ せるという趣向
で ある。「中には虎
の 子の貯 金 を は
たい て信仰ぶり
を 見せる連中
も あ」り、「みるみる寄付金の額
は 増し て行」
き
、「十 日 ばかりの
あいだに五
千 円 も集ま
」ったの
である。
ここに聖
と俗との
狭間を不
安 気 に行 き来 する、「×
× 教」の 信 者た ち心 のありよ
う が 示され て いる。
「 おとり」
の 現金を見せ
られ て、
「寄 付金」
を 収める こ とを
「断り き れなくな
る」心情は
俗 で あ るが
、寄 進 する心 に
、聖なる心が、若干
に せよ
、含 まれ て い る 信 者もいる
ことは 否定 で き ない
。な にし ろ、「
ま ことし や か な 夢の お 告 げ」
を本 当 に 信 じ、寄進し
て いる 信者がいないとも限らないからである。しか
し
、 そ のよう な 聖なる心の中にも、「信仰ぶり
を 見 せる」
、 という信仰心を 競う心 が 忍び込む。聖なる心
に よる聖な
る信仰と、
俗 なる心による
俗 なる 信仰の 狭 間 に
、信者た
ち の 心のありようが窺
える。
前節後半で
触 れた「
主 任
」 や
「 私
」
、 そ して
「×
× 教
」の信者
たち の心の あ りようは、聖なるものと俗なる
も の の狭間 で 揺れ動く
。平常 心を 保 つ こ と がで き る 近 代 的な 市 民 の 視点 か ら 見 れば
、こ の
「 N 市 の 支教会」の面々は、
極 め て 非常識な世界の住
人と 見 え るで あろう。こ の世 界の住 人 のあり よう は
、聖 かと 思えば 俗
、 俗 かと 思え ば 聖
、 乱 歩 の 言 う 落 語と近似
する「ドン
デン返し」
の 繰 り返しの
様相を帯び
て い る。はるか後年、
故立川談志
は 落語を 定 義し て
、
「 落 語とは 人 間の業 の肯 定」と言い
切っ て いる
。 極論す り ゃ あ 形式な ん ざぁ何で
も い いのだ。
大体演 者 と観客に
共通点があり
ゃ あいい
。また は 演 者が観客
を 己 の力量 で
、己 の世界に引き
ずり込 め ば そ れ で いい。華麗に語ろう が、トツ
く
と喋 ろうが、高い
声 を 出そう が、低くし
ようが、唸 ろうが
、 何 で もい いん だ。客 を 夢心 地に し て くれり ゃ あいい。た だ夢心地になる方法がいろ
く
違う だけで あ る
。 ただ し我立川
流家元は
、 そ の 夢 心地 に 入 れる要 素 という か、
別 の注 文 と で も いうか、
その中に「
人 間 の 業」という世にいう非常 識の 世界の肯定
を すると こ ろに落語の妙
があるの
だ と考 え て い る。
徳 川 三百 年
、 そ し て そ れを 心情 的 に どこ かで 引き ずって い た 明 治
、 大正
、昭 和の 初期ま で
、そ れま で の 日本の文化
に さほ どの 変 化は なかっ た ろ う
。 たとえ あって も 鎖国されて
た日本 の中で の 事 柄 で あ る
。とりあ
えず安定
し ていた 日本 人
、しかし
安定 なんざ ぁ
し ょせ ん人 間 が作 った システ ム の 上 にあ るの だか ら
、 ど こ か に 当 然無理 が生じる。それ
を落語 は 突っつ き
、笑いにし
て き た 歴 史が ある
。(注二)
「極 論すり ゃ あ形式なんざ
ぁ何 で も い い
」、「大
体演者と観客に共 通点がありゃ
あ いい」という視点は、「×
× 教
」 側 の「
主 任
」と信者 た ち に も そのまま
当 て はまる
。 こ の場合の「共通点」は「宗旨」
で あ る。
「 演 者が観客
を 己の 力 量 で、
己の 世界 に 引 きずり 込 め ば そ れ でいい」
という視点も、
同 じく当 て はまる。「主
任
」 は信者たちを
、「
己 の 力 量で
、 己 の世 界に 引き ず り 込
」 んだ とい うこ と だ
。 恐ろしい
のは、
次 の件 の視点 で ある。
「 華 麗 に 語 ろ う が、
トツ
く
と喋 ろ う が
、高い声
を 出 そうが
、低くしよ
うが、唸ろうが、何
でもい い んだ。客
を夢心地にし
て く れ り ゃ あいい
。ただ夢心
地 になる方
法 が い
ろ
く
違 うだけ で あ る」
という視点。
信者 を「 おとり」
で 釣っ て
、「 虎 の子の 貯 金をは た
」かせよう
が、信仰心
を 競 わせよ うが、「何
で も い い」
。
「 夢心 地に し て くれり ゃ あいい。た
だ 夢心 地 になる方
法 がいろ
く
違 う だけ である」と、「主
任
」の 行動の原理
を 読 み 解く ことが、
先の視 点 を持つ こ とによ っ て、可 能 とな るか らだ。
こ れ は
、一 般社会 か ら 見れば、とん
で もない 非常識かつ
反 社会的な視点
で ある
。 この よ う な 非 常 識 か つ 反 社 会 的 な 視 点を持 つ こ とを 可 能とす る のが
、
「夢心 地 に入れる
要素」、す
なわち「『人間の業』
と いう世に
いう 非 常識 の 世 界の肯定
」な のだ。その肯定の
背後には、「安定なんざぁ
し ょ せ ん人間が作ったシ
ステムの上にあるのだ
から
、どこ かに 当 然無 理 が生じ る
」という
、 人 間世界への透徹し
切った認識のありよう
があ る の だ
。その認
識の ありよ う を「落語は突
っつ き、笑 い に」昇華
し て い ると
、立川談志
は 説い て い る。
乱歩が
、
「ドンデ
ン返し」と
「
『落ち』のある点」
に、探偵小説と 落語の近似
を 見 る の は
、読 者 が 立川談志の視点に立つ
ことが で き れ ば、
至極当 然 の こ とと し て 受けとめ
る こ とが できる。乱
歩 は、極め
て 正 確 に落語の本質を理解し
て い たと言える
。 ただ し、
乱歩が 書 い た のは 探偵小 説 で あり、
突っ つく対 象 は 落語 と 共通 であっ て も、
「笑 い」
だ け には昇華
しない。「
笑 い」
と「
不安」
とは 紙 一 重。
精神の安定
を 失 う 瞬間に生じる点
で
、一緒 で ある。
探 偵 小説
「盗難」の
、 落語的な
世界に、「不安」が忍び込むこ
と になる。
四.
犯行 を 予 告する
、 間抜 けな泥棒?
「ある日
」、
「 主 任
」 のもとへ「実に
妙 な 手 紙が 舞い込
」 む
。
「 泥 棒の 予 告
」 で あ っ た
。 その 文面 は以下の通り
。
「今 夜 十二 時 の時計 を 合図に貴殿の手もとに集まっ
て いる寄付金 を 頂戴に推
参 する。ご
用心 を 願 う
」
「私」は
「ずいぶ
ん酔 狂なや つ
」と 思 うが、
「 よ く考えて
みれば
、 ば かばか しい ようなこ
と
」 で は ある が
、「青 く な
」る
。
「 主任」は
、
「寄 付 金 は全 部 現 金 で 金庫に 入 れ て
」 お き
、そ れ を
「寄 付金」
を出さ せるた めの「おとり」とし
て、信者た
ち に「見せび
ら かし て い る」
の で
、
「悪いや
つの 耳にはいっ
て いないと
も限」
ら な い か ら だ。「私
」 は、「
こ ん な わざ わざ用心さ
せ るよ うな 手紙 を出 す 泥 棒 が ある はずは ない」と思いな
が らも、不
安 を 払拭 できない。
「主 任」
は手紙 を
「いた ず ら」
と決め つ け、
「平気 で い」
る。
「私」
は、「主任」
を 説 き 伏せ、警
察 へ届ける
こ と を 認め さ せる。警
察へ 向 かう途 中
、「私」
は、「四、
五日前に戸
籍調べに
き て 顔 を 見覚 えて い る 警 官
」に
出 会 い
、「
一 部 始 終 を 話
」す
。警
官 は
、「
私 の 話 を 聞 く と
、 いき なり笑い出」し、「おいおい、君は世
の なかにそんな間抜
けな 泥 棒があ る と思うの
か。ワハハ
ハハハ、一杯かつがれたのだよ、
一杯
」 と言う。
予告する「泥棒」
は
「間抜け」。至
極 常識 的な反応
を す る警官 に
、
「私
」は
「 押 して
」 不 安を 訴え る
。 警 官 は
、 予告 され た 時 分 に
「 一 度 行っ て み て 上 げよ う」と、約束し
て く れ た
。 現在 の読 者は、
「 盗難」の
犯行 を予 告 する泥棒か
ら、「盗難
」 執筆 のほぼ 十 年後、昭
和十一年に乱歩に
よっ て 創 造された、犯行を予告す
る稀代の怪盗を
思 い 出す で あ ろう。怪
人 二 十面相 で ある。二十面相
の 最初の犯行
の 予告 状(注三①)は、
以下 の通り。
「余が如何なる
人 物 で あるか は
、貴下も新聞
紙上に て ご承知で
あ ろう
。 貴下は、嘗
て ロマ ノ フ 王家の 宝 冠を 飾り し大金剛石
六 顆を、貴家 の家 宝とし て
、珍蔵せら
れ ると 確聞する。
余は この 度
、 右六 顆の 金剛石 を
、貴下よ
り無償 に て譲り受
ける決 心 を した
。近日 中 に頂戴に
参上 するつ も り で ある
。 正確 な日時は追っ
て 御 通知 する。
随分御用心な
さ る が よ ろ し かろ う
」 とい うの で
、終 わ りに「二十面相」と署名し
て あ りました
。 文面 は物々しい
が
、「盗難
」の 犯行の 予 告状 と同 一の 趣旨 で書かれ てい る
。 異 な る の は
、 作 中 人 物 た ち の 予 告 状 へ の 反 応 だ け だ
。
「 盗 難」に 関 して は
、 先に 引い た通 り、「
ず いぶ ん酔 狂なや つ
」
、
「 よ く考えて
み れ ば
、ば かばかしい
」
、「こ んなわざわ
ざ用心させ
る ような手紙を
出す泥棒が
あ るは ずは ない」、
「い た ず ら
」
、
「 間 抜 け な 泥 棒」といっ
た
、 予 告 状 を 出 して き た 泥棒に 対 する 侮りと 嘲 笑 で あ った
。 一方
、二十面
相に関し
ての 作中人物た
ち の 反 応 は どうか。
その頃、東京中の
町という町
、 家という家
で は、二人以上の
人 が顔を合わ
せ さえす れ ば、まるで
お 天気の挨拶で
もする よ うに、
怪人
「 二 十面 相
」 の 噂 をし ていました
。 二十 面相は
、 なぜ噂 を されて い たのか。
東京 中の人が、
「 二 十 面相
」の噂 ば かりして
いるという
の も
、 実は怖くて
仕 方 が ないから
で す
。 殊に、日本に幾
つ という貴重な品
物 を 持 って いる富豪などは
、 震え 上が って 怖がって
い ま した。
今 まで の様 子で 見ま す と
、 い く ら警 察へ頼ん
でも、防ぎよ
うのない、恐
ろしい賊
なの で す か ら
。
「盗 難」の泥棒
と は異なり
、二十面相
は
「実は怖
く て 仕方が ない
」 と「東 京 中の町と
いう町、家
と いう家」
で噂 される賊、「警察へ頼
ん でも、
防 ぎよ うの ない、恐
ろしい賊」だ
と、作中人
物 た ち によ っ て 反 応さ れ て いるの で ある。
こ の 反 応の違 い はど こか ら来 るの か
。
「盗難」執筆時、探偵小説というジャンル自体がいまだ黎
明期 で あ り
、市 民 権 を得 て いるとは決
し て言 えな い時 期 で あ っ た
。『
怪 人 二 十 面相』が
執筆された昭和十一年とは雲泥の差で
、一般社会
の探 偵小 説 への 理解 が十分 と は言 えな い時 期 で あ っ た
。 予告する
泥 棒という作中
人物 を
、 大 正 十四年 の 一 般 社会に生きる
大 人たちが
見れば、「盗難」の
作 中 人 物 た ちと 同様に、「ずいぶん酔
狂 なや つ」、
「 よく考えて
み れ ば
、ば かばかしい
」、「こ
ん なわざわ
ざ 用心させる
よ うな手紙を
出 す泥棒がある
はずはない」、「間抜
けな 泥 棒」と受け取ら
れ るに 違いないと、乱歩が感じ
て いた こ とは 想 像に 難 くない
。大 正 十四 年当時の大人た
ち の侮 り、嘲笑
を十分に
予想し、
そ れ を 逆 手 にとっ て、乱歩は「
ド ンデン返
し」
をする こ と を 目論んだ
の だ。
昭和 十 一 年、
乱 歩 にと って 初 め て の 少年 小 説 で ある
『 怪 人 二 十 面相
』 を執 筆 し た 際 の 気 持 ち を、
乱 歩 自 身 は以 下の よ う に 回 想
( 注 四
)し て いる
。 こ の年の 正月 号か ら
、 と いえば 前年 の秋ごろ
から 話がき ま って いた わ け であ るが
、どういう
風 の ふ きま わしか
、 私 は 少 年 もの を 書い て 見 る気になっ
た
。もと も と、私 の 娯楽雑誌に書く大
人も の は
、 筋も 子 供 っ ぽい し
、 文 章も や さ し い も の が 多 かっ た か ら
、 少 年倶楽 部 の編集者
が、
こ の 人 は き っ と子供も
のに向 くだろうと狙 いを つ け たのかも知
れ ない。前々から
依 頼は 受けて い たけ れど、
それほ ど熱烈な依
頼 で もなか っ たの で、
私もそれほ
ど本気になれ ない でいたのだが
、 こ の こ ろになっ
て
、 私 の方 で も
、 どうせ大
人 の雑 誌に 子 供 っ ぽ いも のを 書いて い る ん だ から
、 少年雑 誌 に 書 い た っ て 同 じ こ とじ ゃないか
という気に
なったの
で あ ろ う。
「私 の娯楽雑誌に書く大
人 ものは、
筋も子 供っ ぽいし、
文 章もや さ
しいものが多かった」という自己評価が
、「どうせ
大 人の 雑誌 に子 供 っ ぽ い も の を 書い て い るんだから、
少年 雑誌に書いたっ
て 同じ こ と じ ゃ な いか」と、
執 筆ジャン
ルの転 換へつ ながる思考の持ち
主の 乱歩で ある
。 大人 も の であ った
「盗難」
を
、少 年 もの
・子供 も の に 変換 する こ と も、乱 歩 の思考の
流れにとっ
て は、何らの障壁もなかった
で あ ろう
。 こ の 当時の乱歩
の 気分は、立
川 談志流に
言えば、「
華 麗に語ろうが
、 トツ
く
と喋 ろうが、
高い声 を 出 そ うが、低
く しようが
、唸ろうが
、 何で もいい ん だ。客を
夢 心 地に して く れ りゃ あいい。
ただ夢 心 地 に な る方 法 が い ろ
く
違う だ け で あ る
」 とな ろ う
。 また
、昭 和十一年
当時の読
者 が 探 偵 小説 に理解 を深め ていた こ と は
、 二十面 相 が作中人
物へ不安
と 恐 怖 を 与 え ると描 写 す る こと を、極め
て 自然に
、 可能にし
て い たと言 え る。す で に乱歩が数
多 く執筆し
て い た
「大人 も の」に、「ドンデン返し」の手
法 が数多く
取り入れ
られ て い て
、大人 にも子供
にもお馴染
み で あった の だ。次に
挙げる「少
年倶 楽 部」の
「 誌友 ク ラ ブ」
に寄せ ら れた
、少 年読 者の声
( 注三②)
は、
そ のこ と の 明 白 な 証 拠で あ る
。
「三月号から小林少年が出陣
しま したね。僕は前に小林少年が活 躍 し た
『 人間豹』
を 読んだことがありま
す の で
、彼がどんな
人だ かよ く 知 っ て いま す。
きっと き っと大手
柄 を 立 て る に 違 い ないと 思っ て い ます。四月
号 が 待 ち 遠しい
」(京 都 市 広瀬通 男
)
『少 年倶楽部』の読者が、乱歩
の「大人も
の」
で ある『人間
豹
』を すで に 読 んで いて
、
「 子 供 も の
」初 登 場 の「
小 林 少年
」を
「 ど ん な 人 だかよ く 知っ て
」 いる状況。
初 期 の 作品 や一部 の 作 品 を除き、当時
人 口に膾炙し
て いた乱歩
の「大 人も の」
の多くは、
ス リ ラ ーも の で あり、
エロ・
グロものと認
識 され ていた
。 少年読者と思われる「広瀬
通男
」 が、『人間豹』を挙げ
て いるのに驚くが
、 そ のファ ン レターをそのま ま掲 載 し て しまった『少年倶楽部』
の編 集部には
さ ら に驚きである
。 少年読 者 た ち には、乱歩
の
「 大 人も の」
は大変に恐
ろ しいも の で あ っ た は ず だ
。乱歩は、
そ の時代状況
を 知っ て い たに違 いない。だからこ そ、
『怪 人二 十 面 相』を
、 次に挙 げ る よ うに 書き 出 すこ と ができ た の
だ。
その頃、東京中の
町という町
、 家という家
で は、二人以上の
人 が顔を合わ
せ さえす れ ば、まるで
お 天気の挨拶で
もする よ うに、
怪人
「 二 十面 相
」 の 噂 をし ていました
。 東京 中の人が、
「 二 十 面相
」の噂 ば かりして
いるという
の も
、 実は怖くて
仕 方 が ないから
で す
。 かく して
、二 十面相 の 犯 行 予告 状は、
恐 怖 の 対 象 とな っ た ので あ る
。
「盗難」という小説の賊の犯
行 予告は、『怪人
二 十面相』とい
う小 説 の二十 面 相 の犯行 予告 の原型と
指摘でき
る。
しかし、
筆者が 本 当に問 題にし たい のは、
「
『 人間の業』という
世 にい う 非 常 識 の 世 界の 肯定
」 が
、乱 歩の 少 年 もの
・ 子 供 も の で
、大 人 も の よりも
、 より鮮 明 に 行 われるこ
とで ある
。
「 盗難
」 の 泥 棒 は 決 し て、侮 った り
、嘲 笑 し ては な ら な い 人 物 であ った
。 後 の 二 十面 相 を 先 取り す る 手口 を使 っ て
、「ド ンデン返し
」 を いく度 も 行い、作
中人物 たち のみ なら ず、
読者を も 見 事 に 煙 に巻 く 人 物で あ っ た。
次節 では、両小説に共通
す る犯行手口
を 検証する
。
五.
変装 に よる犯行
の 手口がも
たらす「
悪」
―
怪人二十面相
が盗んだ
もの
―
犯行の予告にあ
る 十二時近
くになると
、 約束通り
、「昼間の
警 官
」 はやっ て くる。「奥の一間」の「床
の間 に置い て あ る金庫」の
前 で
、
「主 任と警官と
私 と三人が
車座になっ
て お茶を 飲 みながら番
を する」
。
「主 任も警官
も
、昼間の手紙
の ことなん
か て ん で 問題にし
て い ない」
。 十二時 半 になった
と こ ろで
、「警官」が「
で
、金はたしかにそ
の中に はいっ て いるの だ ろうね」と
言い出 す。
「私」
が
、
「 中の札 束 を取 り 出し て 見 せ」ると
、「警官」
が
「なるほ
ど、そ こ ですっかり安
心して
しまった
わけだね」と、「い
や な言い方
で
」 言い、「意味あり
げに ニ ヤ ニ ヤ笑っ て いる」のだ。「
だが、泥棒の方にはどんな手段がある
か もしれ ないの だ。
君は こ の 通 り 金がある
か ら 大丈夫 だ と思 っ て いる の だろう が
、こ れは」「もうと
っ くに泥棒のも
のになっ
て い るか もし れ ないよ
」 と、「警官」は「札
束 を 手 に取りながら
」
、 さ ら に言葉 を 重 ねる。「私は
思わずゾ
ッと身震いを
し
」
、
「 こ う なんともえ
た い の 知 れな い凄い 気 持
」 になる。
三 人は
、
「 何十秒 か のあいだ
」、
「物も い わない で じっとし
て い
」た。「ハハハハ
ハ、わかったね。じ
ゃ、
こ れ で失 敬 す る よ
」 と
、
「 突 然
、 警 官 は
」
「 立 ち 上 が り
」
、 片 手 に 札 束
、 片 手 にピ スト ルを構え
、 そ の ま ま部 屋 の そと へ出」
て いって し まう
。
「警官」
は泥棒 で あったのだ
(注 五
)。
警 官 と い う 社 会 正 義 の 味 方 が
、 一転し て 反社会の
走狗 で あ る泥棒へとそ
の 役 割 を 反 転 する。乱
歩の言 う「 ドンデン返し」
が行われた
のだ。
ここで談志の言
葉 を 思い出そ
う。
とりあ えず安定
し ていた 日本 人
、しかし
安定 なんざ ぁ しょせん 人 間 が 作 った シス テ ムの 上 に あ るの だか ら、ど こ か に 当然無理
が 生じ る。それ
を落語は突っつ
き
、笑い に し て き た 歴 史がある
。 この 談 志 の 言 葉 の 中 の「 落 語
」を
「 探 偵 小 説
」と 置 き 換 え れ ば
、「 盗 難」と い う小説によっ
て
、 読 者が如何な
る性質の不
安 に陥れ ら れた の か、明 瞭 に理解 で き る。大 正 十 四年当時の読者が、
す で に大 正 十二 年 に起 きた 関東 大震 災を経験し
て いた こと を 思 い合わせれ
ば
、そ の不安 の性質が
ほぼ談志
の言 葉に尽く
されて い るこ とも了承で
き る。
乱歩が「盗難」という探偵小説
で
「 突っつ き
」、
読 者 に生じさ
せ た 不安の 正 体は、「
とりあえず安定し
て い た日本人」
で ある読者
が、
そ の「
安定
」が
「 し ょ せ ん 人 間が 作 っ たシス テ ム の 上」
のも の で あ り
、
「どこかに当然無理が生じる」という道理を
、 読者自身が
明瞭に 意 識 する ことへの不
安 で あ る。
また い つ の 日か
、 関東 大震災のよ
う に、人 間 が予 測 も できない
災い が、きっと訪れる
に違いない
。 それは大
変に不安な
こ と で ある
。し か し人 間 は
、「とり
あ え ず」の
「安定」
を 得なく て は
、生 き ては いけな い
。 深 刻 な 不 安を 抱え たま ま、
生き るこ と は 困 難 だからで
あ る
。 日 常 を 崩 壊させ、
価値観を
喪失させる
事 態を招来し、
「人間が作ったシ
ス
テム」の「無理」
を 思 い知らせる
こ と。
こ れ こ そ
、「盗難」の
泥棒 の 行った 行 為なの だ
。 こ の 変装によ
る犯罪と言う手
口 は、後に
、二十面相のお家芸と
して 昇華さ れ る こ とに なる。二十面相
の デビ ュー作『怪人二十面相
』に お ける、
二 十面相 の 最初 の事件 も
、「盗難」の泥棒の
手 口 を
、 そ のま ま 流用し て いると考
え て 差し支 え ない。二
十面相は、
犯 行の予告
状 を 送 り付けた先の家族に変
装し、家族
の安心 を
「 突っ つ き
」、犯行
を 成 功 させ るのだ。
羽柴家 に は、今、非常な喜び
と
、非常な恐怖とが、織りまざる ように し て
、 襲 い かかって
いま し た
。 喜び という の は、
今か ら 十 年以上前家出
した、
長 男 の 壮一君が
、 南洋 ボルネオ島か
ら、お父
さんにお詫び
する為に日本へ帰っ
て 来 るこ とで し た
。 壮 一 君 は 生 来 の冒 険 児 で
、中 学 校を 卒 業 す る と、
学 友 と 二 人で
、 南洋 の 新 天地に 渡 航し、何か壮快な
事業 を 起 したいと願っ
たの で すが、
父 の壮 太郎 氏は、頑と
し て そ れ を許さ なかったの
で
、とう とう無 断 で 家 を 飛 び出し、小さな帆船に
便乗し て
、 南 洋に渡った ので し た
。 それか ら 十年間、壮一君か
らは全く何の
便りもなく
、行方さえ 分か らなかったの
で す が、
つ い三箇月程
前、突然ボルネオ島のサ ン ダ カン から 手紙 を よ こ し て
、 や っ と 一 人前 の男 にな っ た から
、 お父さまにお詫びに帰りた
いといっ
て来たの
で す
。
「壮 一 君
」 こ そ
、 二十面相
である。二十
面 相は、「
盗難」の警
官 に 化け た泥 棒 と 同 じ く
、 頼 も しい 息 子 に 化 けて
、 羽 柴家 の警 戒 に 当 主 壮 太郎 氏 と あた るの であ る。そ し て、言葉
巧 み に不 安 を 煽っ て、
壮 太 郎 氏に自 ら
「小函」
を 開 けさせ て
、「由緒
深い二十万
円 の 金 剛石
」 を 奪 う。そ こ で
、 壮 太 郎氏を 楽しげに揶揄う
の だ。
「そ う で す。あ な た か 僕の 外 に はあり ません」
壮一 君の薄 笑 が だ ん だ んは っき り し て
、 ニコ ニコ と笑い 始 め た ので す
。
「オイ、壮一、お前何を
笑 っ て いるの だ。何がおかしいのだ」
壮太郎氏は
ハ ッ と し た ように、顔
色 を変えて
怒鳴りまし
た
。
「 僕 は 賊の 手 並 に 感心 し て い る の ですよ
。 彼 は やっ ぱ り 偉い です なぁ
。ちゃ ん と約束を
守っ たじ ゃ あ りませんか。十重二十重
の警 戒を物 の 見事に突破
し たじ ゃ あ りま せんか
」 二十面相は
正 体を 名乗り
、壮太郎氏に
と くとくと
「種明し」
を する。
「僕は壮一
君 の行方 不 明になって
い るこ とを 探り 出しま し た。
同 君の家出以前の
写 真も 手に入 れました。そし
て
、 十年の間に壮一 君がどんな顔に変
わるかとい
う こ と を 想 像し て
、 マ ア
、こ んな顔 を作 り上げたの
で す」
彼はそういっ
て、自分の頬
をピタピタ
と叩い て 見 せました。
「 で すか ら、あの
写 真 は、外 で もない、
こ の 僕 の 写 真なん で す。
手紙も僕が書
き ま した。
そ し て
、 ボ ルネオ島にいる
僕 の友達に、
あ の 手紙と写
真を 送って
、 そ こ から あなた宛に郵
送させ た わ け で す よ
。お 気 の 毒で す が
、 壮 一君 は い ま だ に 行 方 不 明な ので す
。 ボ ルネオ島なんかにいや
しないの
で す
。あれはすっかり、始めから しま いま で
、 こ の 二十面相の仕組んだお芝居
で す よ」
羽柴一家
の人々は、お父
さ まもお母さまも、懐かしい長男が
帰 った と い う喜び に とりの ぼせ て、そ こ に こ んな恐 ろ しいカ ラ ク リ があ ろうとは、全く思いも及
ば なかったの
で した
。
「羽 柴一家」
は
、 放蕩息子の帰還に「
喜 び」、す
っかりと「
と り の ぼせ て
」いた。
か つ て 失われた
、家 族 の 形と安定が回復
し たの で あ る。
しかしそれ
こ そ
、 二十面相の
仕組んだ
こと で あった
。 二十面相
は壮一 君に成 り すまし、
「とりの
ぼ せ て
」 いる
「羽柴一家
」 の心理 を
「突っ つき
」、 犯行 を 遂 げ る
。そ して
、騙 さ れ て い た 壮 太 郎 氏と そ の 家 族 を
、 改 め て 悲しみ の 底 に 突 き 落 とす のだ。
「お気の毒
で すが
、壮一君は
いまだに行方不明なの
で す。ボル
ネ オ 島なん か にいやし
ないの で す」という二
十面相の
言葉 は、家族の喜
び を 無 とす るも 可、目 的 を 達 成 す る た めには 家 族 の あり ようすら弄ぶ
と いう、
稀 代 の悪漢の言
葉だ。
二 十面相は
言う。口調
は 慇懃 で あ るが
、
言っ ているこ
とに は血も凍るような
意味合いを、十
二 分に 含ませ て い る。
「羽 柴一家」
は
、「お 気の毒
」で あ る
。 長男が
「 いまだに行方
不明」
である か ら。また
その 長 男 は
「 ボル ネオ 島なんか
に い やし ない
」
。 況 して や、
どこ へ い る や ら
、 そも そも
、 果 た し て 生 きて い る や ら 死 ん で しまっ た のやら、
さっ ぱりとわ
から ない。
こ れ は呪いの
言 葉 だ。二十面
相によっ
て、「羽柴一家」の
昨日 まで の喜びも、
明 日から の 希望 も、すっかり解体
され て し まっ たのだ。
中村 雄二郎は、「悪」につ
い て のスピ ノザの思想
を、「ずばり〈
関 係の 解体〉
で あ る と言い切
っ て いる。」と紹介す
る(注六)
。 悪が 悪 と される の は、
ただ或る様
態
―人 間も一 つ の 様 態 で ある
― の特殊な観点か
ら で あ り
、わ れ われ の場 合には、
悪とはなに
か を
、 人間の観点から決め
て いるにす
ぎない。
ここ から、
〈 関係の解
体
〉 をもっ て 悪 と するス ピ ノザの 考 え方の射
程 は、〈殺
人
〉 や〈自然 破壊〉
に も適用 で き る こ と に な る。すな
わち、殺人
が 悪 で あるの は、わ れ われが自
分た ちと原 理的 に 一致 し て いる同 類 の 身 体 を 侵 犯し、わ
れわ れ の 生存が そ れに 依拠する基
本 的な関係を
破 壊する か ら である。また
、自然破壊
が 悪 で あるの は、われ
わ れ人間が生 態 系 を破壊 する ことによ
っ て
、その 秩 序 立 った 諸 関 係 を 解 体し
、 ひい ては自 己 の 存 立の 基盤 を失 わせ る か ら で ある
。 中 村 は、
スピノ ザ の思想を
説明しながら、
「わ れわれ の生 存 がそ れ に 依 拠す る 基 本 的 な 関 係を 破壊す る
」がゆえ
に
、
「殺 人
」 を
「 悪
」 で あると言
う。
その意味で
は
、当然、
殺 人 のみなら
ず、
窃盗、
詐欺な ど も、悪 で あると言い切れる。「盗難」の
泥棒も、二十面相も、「悪
」 であ る
。
「盗難」の泥棒は
、「警官」
に 化け て
、 盗みを 働いた
。語り手
で あ る被害 者の
「 私
」 は
、「
なん となく 居 心 地 がよ く な い」の で
、
「 もう 一日も教会にいる気がしない」の
で
、「
すぐ暇をと
っ て 出 て し ま」う こ と に な る。泥棒
は、「警官
は 社会 正義の味方」という秩序を、破
壊 したの だ。
そ れに伴い、「私」の属し
て いる社会
の
、
「秩序立
っ た 諸 関係」
が 連動し て
「解体」し
、
「 ひ い ては自己の存
立 の 基 盤」
、 こ の
場合は教会に
勤め る生活 の 基盤を
、
「私」は
失うことになっ
た の で あ る。
隣にいる
人間が、
「殺 人」
者や
「泥棒」
かも しれないと疑いながら、
安心し て 生活 できるも
の で はない。役
割 反転が、
不 意 に行われ
る世 界 に、人 間 は耐えられるもの
ではない。「
盗難」の泥
棒 は教会か
ら金を 盗んだ だけ で はな く、「私」
の
「生存がそれに依拠
す る基本的
な関 係 を 破 壊」し、奪
い 去ったの
だ。
二十 面相の場合
も 同 様 で あ る。彼は、
「 羽柴一家
」の「生存
が それ に依拠 す る基本的
な関係」
であると
ころの家族、家
族という「人間が 作った シ ステム」
とその「安
定
」 を
、「
破壊」した
こ とになる
。二 十 面相 の 犯 行に よっ て
、 一番に頼
りと 思った長男が
消失し、一番に恐
れ た二十面相が顕
れ たの で あ る。
一体、
何 を信じた
ら よ いのか
。 役割が次
々と反転したり、勝手
に 消 滅す る世 界で 生きて い るこ と を
、 壮 太 郎 氏 と その家族、
さ ら に 言 う な らば読 者 た ちは、
手 酷 く思い 知 ったの だ。
希 望 は 絶望 へと反転し、
「秩 序立った諸関係」
は「解体し
」
、「
ひい ては自己の
存 立の 基盤 を 失
」 う。そ の 元凶が二十面相と名
乗 る、「変装が
飛切上手な」怪盗
なの で ある
。 以上
、 解読し てきたよ
うに、
犯 行予告の
相似と同
様
、
「盗難」
とい う小説の賊の犯行に
よ っ て もた ら された
「悪」は、二十面相
の 犯行 に よっ てもた ら された「悪」と同質の
もの で あ り、そ の 原型と指
摘 で き る。そ し て 両 者の 盗ん だ も の が
、「生存
がそ れ に 依 拠 する 基本 的 な 関 係」、社会秩序という
「 人 間が作っ
たシステム
」 による
「 安定」
で あ った ことが明
らか になった
。 怪 人 二 十面 相が盗ん
だ も の
、 そ れ は人間 が生 き て いく上 で 必 要 不可 欠 で ある、人
間同 士の 信 頼 関係 であ ったと 言い か え る こ と が できる。
なお これ以上、「
盗難」とい
う テクスト
と『怪人
二 十 面相』と
いう テクストを
、具体的に
読み 解く 必要は ほ と ん どないといって
よ い。
「盗 難」と いう小説の
その後の物
語 は、語り手の「私」
と
「読者」
とを
、
「警官
」か「泥棒」か、「加害者」か「被害者」か
、「本物の
金
」 か
「偽 札」
か
、「ドン
デ ン返 し」
の 繰 り 返 し で 翻弄 し
、「 私
」 も
「 読 者
」 も宙吊 り で 不 安な心理状態に置かれたま
ま終わる。乱歩自身による
作 品解 説 を
、もう 一 度引く。
ど こ か 落 語を 連想させる軽い読物
で ある
。私は昔か
ら
、探偵小説 と共に 落 語が大好
物 で あっ た
。 両方ともドンデン返
し と「落ち
」 の あ る 点 が近似し
て い るか ら で あ ろ うか
。 こ の 作 に は その 私の 二 つの 好物が混じ
り あっ て い るように思
わ れる。
乱歩 は「軽い読
物
」 で あると言っ
て い るが、本当
はどう考え
て い た のか。「探偵小
説 と共に落語が大好物」
と 告白し、「
こ の作には
そ の 私 の 二つの好物が混
じ りあっ て いる ように 思 わ れる」と、
極 め て 控え め で あるが、
自 信 のほどを明かし
て い る 以上、
額 面通りに
「 軽 い読物」
と捉 えるこ と は、
こ の テクス ト を 読 み解 く際には危
険 かも知れ
ない
(注 九)。
少なくとも、
登場人物
の役 割 反 転という「ドンデン返し」や、人
間 の業 を肯定 す る「
落語」的な
要 素 を 多分 に持つ物語
は
、その意
匠は 軽 く見 えた とし ても
、一筋縄
でいかない難
物 で ある。
「 二つの好
物」を 駆 使 し た 乱歩の 初 期の 傑 作 の 一 つ とし て
、数 える ことが出来る
と確信 する
。 また
『怪人二十面相』
は、
「盗難」
を 原 型とし て いるの で
、「 盗難」
同様、「ドンデン返し」と「
落 語」的な
要素を多分
に持っ て い る。
物 語は、以上述べてき
た 内容 のほぼ 同 種 の 反復 で あ る。
それゆえに、
先 に述べた通り、本
稿におい
ては、続く物
語自体 を 詳 細 に読 み解 く必要 はほ とん ど な い の であ る
。 さて 前節 末 尾で 触 れ た 通 り
、
「
『 人 間 の業
』 と い う世 に い う 非 常 識 の 世界 の 肯定
」 が
、乱 歩の 少 年 もの
・子 供 も の で
、 大 人 も のよ り も
、 より 鮮 明 に行われた
こ とに触れ
て お く。
二十面 相 は、「イ
ヤ賊自身
でも、本当の
顔 を 忘れ てしまっ
て い る か もしれません。」と噂
され る 人 物だ。
二十面 相は そ の後 も、様々な者に化ける。『妖怪
博 士』(注七
)で は「 私立探偵殿村弘三」
に、
『奇面城の
秘 密』
で は 警視庁内
で 堂 々「 山 本警視 総 監」に化
ける。果
ては、
人 間 ではない異形の者
で ある「青
銅 の 魔 人
」 にも、「
透明 怪人」
に も、「宇
宙 怪 人」
に も、「夜
行 人 間
」 にも 化 け
、奇怪 極 まる姿を
少 年 探偵団 の 前に晒し続
け るこ とになる
。 ここに 至 っ て は、
二十面相は「『人間の
業』という
世 にいう非
常識 の
世界」
の 住人 とな った と断 言せざ る を得 ない。社会
秩 序 を 破壊 し、
東 京を 恐怖の底に落とし込んだ怪盗は、役割消失と役割反転に
よ って 得 られ る何か を
、追 い求 め る 業 を 生 き るよ うになった
。そ の 業 と は 何か、
次節 で は こ の 点 に つい て 考 察する。
六.
常に未来にお
かれるア
ク セ ント
二十面相が他者
に 化ける。江戸川乱歩
没 後半世紀
、今や、読
者には 当然の こ ととし て 受け入れられ
て いる。
す で に国民的にも周知の
こ と とし て定着し
て い るとも言えよ
う。しか
し、「化け
る
」とは一
体、
ど うい った 行為なの
で あ ろうか。
前節の末尾
で
、二十面相が化け
た者をいく
つ か挙げた。「少
年 探 偵 シリー ズ
」 で
、二十面相が化
け た者は、次の三つに分類する
こ とが 可 能で あ る
。
①「私立探偵殿村
弘三」や
「山本警視総
監
」 に代表される、特
定 できる個人
に 化 け るケース
。
②特定 は でき ない が、「警官
」 や「新聞
記者」等、その職業に従 事する者
に 化 ける ケ ー ス。
③「青銅の魔
人」
や「透明怪人」に代表される、架空の(想像上 の)怪 人
・怪 物に 化ける ケ ー ス。
①と
②は、
た と え 動機は非
常識なも
の で あっ て も
、少なくと
も 人間 に化け る の で あり
、特定され
る 個人 やあ る職業従事
者 に化け て
、読者 が現実 に 存在する
日常世界へ
忍 び込むこと
を 目的と し て いるケ ースが 多い(注十)。その際、「化ける」
ことは、「変装する」
ことだ。
③ は
、
① と
② とは
、 趣 を 異 に す る
。
「青 銅 の 魔 人
」や
「 透 明人間
」 は、
人間で は ない異 形 の者たち
だ。
こ の 場合 の「 化ける
」こ と は、
「仮 装する」
こ と で あ る。「変
装」と「仮
装
」の違いを、
『新明解
国語 辞 典第 五版』は次のように説
明し て いる
。
【変装
】
― す る 何かの必
要か ら別人の
ごとく、髪
・ 顔の様子や
服装 を改 めること。ま
た、その改
め た 姿
。
【仮装
】
― す る
㈠ そ の場の遊びとし
て
、 奇 抜な扮装を
凝 ら す こ と。〔法
令用語とし
て は、
第 三 者を 欺くための虚偽の意思表
示 の 意に用いら
れる〕
「
― 行列
・―舞踏会
㈡応 急 の 装備 で あ るこ と。
「―
巡 洋 艦」
『新明解国
語 辞典』で
の語釈を
見れば、
先に挙 げた二 十 面 相の「
化 けた 者」
を、
①
・
② と
、③ に分 けた 際の 括 り 方 が
、「 変装 する」
と「 仮 装する」
で 区別 した 結果 である こ とに首肯し
て いただけよう
。
① と
② の 場合
、二 十 面 相 は
「何 か の 必 要 から 別 人のご と く
、髪
・ 顔 の様子や
服装 を改 め」
て い る。
窃盗のため
に
、ま た逃 走のためになど。
こ れ は
、大正十四
年に執筆さ
れ た「盗難」の泥棒か
ら
、直接に受け
継 がれ ている二十面
相が「化け
る
」動機 で ある。二十面相は明
ら かに 非 日常的 な 存在 で あ るが、
こ の 動機は彼が
日常世界
で活動するた
めには 必要不 可欠 の、現 実 的 な 動 機で ある
。 こ の 動機に よ る二十面相
の 行動、すなわ
ち変装する
こ とが、東
京 市 民 を 現実的 な恐怖 に落とし込
む の は、次の理由によ
る と考 える
。非日 常的 な存在 で あ る 二十面相
が、
作中人物た
ち や読 者の 住む日常
世界に、
非日常的な存在者とは「別
人のごとく」
、 侵入する、もしくは侵入す るかも しれない、さ
ら にす でに侵入し
て いるかもし
れ ない、と
いう 不 安 を 東 京 市民が抱
くからで
あ る
(注十一
)。非日常的な存在
で ある 二 十面相 は
、談志流
に言えば「人間が作ったシステムの上」の「
ど こ か に当然無理」
がある
「 安定」
を
、覆すかも知れない存在
で あるからだ
。 だか らこ そ
、 怖 い の だ。
③ の 場合、二
十面相は
架 空 の怪 人・怪物に
「扮 装 を 凝ら す
」
。 怪 人 も怪物 も
、非日常の
世 界、あ え て 言 うな らば「非常
識 の 世 界」の住
人 た ち である。もと
も と非日常の存在
で あ る二十面相
が、さ ら に突飛な 架空の 者 に化 け る こと で、
日 常の 世 界 を 惑 乱 さ せ る 種 に な る こ と が多 い。そ れ はあたか
も「その場の遊び」の
よ うだ。ミ
ハイール・
バ フ チ ーンは、「仮
装」に関し
て 次 の ように指摘し
て い る(注十二)。
民衆的
・ 祝 祭 的娯 楽の必 要 欠 く べか らざ る要素は仮装
で あ った
。
つまり 衣 裳と自分の社会的イ
メ ージの改新
で ある。
も う一つの本 質 的 要素は 上 の階層 の も の を下 へと 移し変え
るこ と で あっ た。
道 化が王 で あると宣言
さ れ、愚者
の祭 り で は 道 化の僧院長、
司教、
大司教 が選出され
、教皇直属
の 教会 でも
、道化の偽
教 皇 を 選んだ り し た も の で ある。こ
の道 化的階 層 秩 序 のメ ン バ ーが 荘厳 ミ サ の お勤 め をするの
で あった
。 二十面相
の「仮装」は、「遊び」の要素が強い。乱歩
の晩年 に近 づ くに つ れ て
、 小林少年をは
じめとする少
年探偵団団員と、
遊ん で い る ように見
える傾向
は、次第に顕著になっ
て くる。二十面相
の
「 仮 装
」 によ っ て 跳梁跋扈
する怪人・
怪物は、明
らかに「非
常 識の 世界
」の住 人 で あ る
。その 世 界は、「民
衆 的・祝 祭 的娯楽」の
場 で あり、その実 現 の ため「
必要 欠 く べ から ざる 要 素
」で あ る
「仮 装」は
、 二 十 面相 の お家芸 だ。二十面
相はその意
味 で
「道化
」の「王」
で あり、小
林少年 を は じめとす
る 少 年 探 偵団団員も
「 道化的階
層秩序のメン
バ ー
」だ
。 なに し ろ
「少年
」 なの に「
探偵」なの
だ
。
「盗 難」
や『 怪 人 二十面相』
の
、「 ドンデ ン 返し」
に よる深 刻 な「 秩 序立った諸関係」
の「解体」
を 恐れる「不安」に満
ち た 世 界は
、「
道 化的階層秩序
」によって
「改新」され
て
、深 刻な 事件が
「 上 の 階 層 の も の
」(注十三
)か ら、「遊び」とい
う「下へと移し変え
」 ら れ る。
それゆ え に先に指
摘した通り
、
「『人間の業』とい
う 世にいう
非常 識の 世界の 肯 定
」が
、乱 歩 の 少 年 も の・ 子供 もの で、
大人 ものよ り も、
より鮮明に行わ
れ る こ と になっ た の で ある。
ミ ハイ ー ル
・バ フチー ン は、
少年と 遊 び(祝祭と言
い換えて
も、よい)に関して
次 のよ うに 指 摘し て い る(注 十 二)。
(《主 権 は小児の
手中にある》
)アクセ
ントは常に
未 来におかれ て い る
。 未来のユ
ートピア的
性 格は、民
衆の祝 祭 の 笑 いの 儀式 や 形式 は固有なものな
の で あ る。
「少 年探偵シリーズ」にお
い て も、「
アクセント
は常に未来
にお か れて いる
」
。 そ れ は
、
『 怪 人二 十 面 相
』 のラ スト シー ン と 同一 の シ ュ チュエ ー ションが
、ほぼ全作
品 におい て
、くり返し
描 かれる ことに よ