盗 賊 の イ ン ド 史 ︵ 二 ・ 完 ︶
︱︱ 近代 国家 の周 縁︱
︱
竹 中 千 春
は じ め に
︱
︱
合 法と 違法 の間 第一 章 独立 イン ドと 盗賊 第一 節 盗賊 の女 王︱
︱
プ ーラ ン・ デー ヴィ ー 第二 節 盗賊 の土 地︱
︱
チ ャン バル 渓谷 第三 節 盗賊 現象 の分 析 第四 節 プー ラン の生 涯︵ 以上 前号︶ 第二 章 植民 地占 領と 盗賊 第一 節 内陸 に広 がる 辺境 地帯 第二 節 イギ リス の占 領統 治 第三 節 タグ とダ コイ トの 掃討 作戦 第四 節
﹁山 の民
﹂の 反乱 第三 章 植民 地国 家と 盗賊 第一 節 誰が イン ド大 反乱 を戦 った か 第二 節 犯罪 部族 法の 制定
第三 節
﹁イ ギリ スの 平和
﹂ 第四 節 ガン ディ ー主 義と 農民 一揆 むす びに かえ て
︱
︱
参 加民 主主 義へ の道︵以 上本 号︶
第 二 章 植 民 地 占 領 と 盗 賊
第一節 内陸 に広 がる 辺境 地帯 本稿 の前 半で 紹介 した プー ラン が、 北イ ンド のチ ャン バル 渓谷
︵
C h a m b a l V a l l e y
︶と その 周辺 地域 に現 れた 初め ての
﹁ダ コイ ト︵
d a c o i t
盗賊﹂︶ では ない
。す でに 述べ たよ うに
、長 い歴 史の 中で
、こ の一 帯に は﹁ ダコ イト
﹂や 他 の名 称で 呼ば れる
﹁盗 賊﹂ や﹁ 強盗
﹂が 出没 し続 け、 完全 に一 掃さ れた こと はな かっ た。
﹁伝 統﹂ と言 える ほど 盗 賊現 象は この 地域 に定 着し
、む しろ 彼ら の存 在を 前提 とし て、 さま ざま な政 治権 力が この 地域 での 統治 を樹 立し て きた
。中 央ア ジア のイ スラ ーム 勢力 の樹 立し たム ガー ル帝 国の 時代 にも
、そ の後 イギ リス が支 配を 拡大 した 一八 世 紀後 半か ら一 九世 紀初 めに も、 その よう な状 況が 存在 して いた
。し たが って
、イ ギリ スの 軍人 や官 僚が
、﹁ 盗賊
﹂ や﹁ 強盗
﹂と いう
﹁問 題﹂ に直 面し たの は、 偶然 では なか った
。 一九 世紀 初め に記 され た文 献で は、 次の よう に書 かれ てい る。
﹁イ ンド には
、あ らゆ る種 類の 木々 が生 育し
、た くさ んの 森や 広大 に広 がる 荒野 があ る。 だか らこ そ、 こう した 荒れ 地︵
w a s t e s
︶が
、王 族に も彼 らに 支配 され る 人々 にも
、そ の支 配に 反旗 を翻 させ るよ うな 誘因 を提 供し てき たの だろ う。 この 国に ある 農民 の人 口や 家畜 の数
は、 他を 圧倒 する ほど の豊 かさ だが
、に もか かわ らず
、人 口激 減や 荒廃 は突 然、 想像 でき ない ほど 急激 に起 こっ て きた から で
( )
ある
﹂。 チャ ンバ ル地 域は
、ま さに この 引用 文の 中で 表現 され てい る﹁ 荒れ 地﹂ とし て、 自然 の森 と荒
野に 数多 くの 動物 を生 育さ せ、 同時 に、 時の 権力 に抗 う人 々の 抵抗 の基 盤と なっ てき た。 さて
、国 家的 な政 治権 力が
﹁境 界線
︵
b o u n d a r i e s
︶﹂で 明確 に区 切ら れた 土地 を保 有し
、そ の境 界線 の中 にお いて 土地 の住 民に 一元 的な 統治 を行 うと いう 思想 とそ の実 践は
、西 欧近 代の 国家 形成 とと もに 発展 した
。裏 返せ ば、 西 欧以 外の 地域 ある いは 近代 以外 の時 代に おけ る政 治権 力の 支配 は、 その よう なも のと して は実 現さ れな かっ たか
、 ある いは 部分 的に 類似 した もの が実 現さ れた にす ぎな い。 権力 の限 界を 示す 境界 領域 は、 状況 に応 じて 変化 する 曖 昧な もの で、 より 広が りの ある
﹁地 帯︵
z o n e
︶﹂ とし て存 在し て
( )
いた
。そ れは また
、ム ガー ル帝 国だ けで なく
、ア
ジア やヨ ーロ ッパ のさ まざ まな 地域 の帝 国や 王国 にお いて
、﹁ 辺境 防衛
︵
t h e g u a r d i a n o f t h e f r o n t i e r
︶﹂が 軍事 的に 枢 要な 役職 を占 めて いた こと とつ なが って いる
。 また
、他 の帝 国や 王国 との 間に 置か れた 幅広 い境 界領 域の
﹁辺 境は
、同 時に 変化 の地 帯を 意味 し、 たと えば 自然 環境 とし て、 ある いは 行政 的な 地域 とし て、 二つ の異 なる 地域 の間 に存 在し てい た。 いず れに せよ
、こ れら を分 離 させ るの では なく て、 むし ろ結 びつ け統 合す る役 割を
、辺 境は 自然 に果 たし て
( )
いた
﹂。 要す るに
、﹁ 辺境
﹂は
、他 者
!
から 自ら の国 を守 るた めの
﹁門
︵
g a t e
︶﹂で ある と同 時に
、他 者を
﹁迎 え入 れる 入り 口︵
i n v i t i n g e n t r a n c e
﹂︶ とし て の機 能を 果た して
( )
いた
。﹁ 辺境
﹂の 向こ うか らや って くる 隊商 や船 団を 介し
、よ り遠 方と の交 易を 行っ て、 中央 権
$
力は 豊か な財 源と 優秀 な武 器を 確保 しよ うと した から であ る。 ムガ ール 時代 の軍 事情 勢を 地政 学的 に分 析し たゴ ーマ ンズ は、 地図
の よう に、 この 時代 の幹 線道 路と それ らが 結ん だ行 政・ 商業 的な 中心 地を 描い てい る。 こう した 道路 の結 ばれ 方は、ガ ンジ ス川 など の主 要な 川の 流れ とも 重 なっ てお り、 自然 状況 の変 化に よっ て少 しず つ修 正さ れな がら
、基 本的 には 長い 歴史 の中 で不 変的 に維 持さ れて き
たも ので ある
。﹁ ベン ガル とカ ブー ルを 結び
、途 中で グジ ャラ ート の方 向に 抜け る北 方の 道路
、デ カン 高原 を越 え る南 方へ の道 路、 そし てこ れは 東側 に折 れて ベン ガル 湾の 港に 抜け るも のと
、西 側に 折れ てア ラビ ア海 に抜 ける も のと に分 岐す る﹂
、ア ルフ ァベ ット のZ の字 に似 たZ 型の 道路 網が 敷か れて きた と
( )
いう
。デ カン 高原 の周 辺は 乾燥
%
気候 のた めに 東西 のル ート 以上 に食 糧や 水の 調達 がむ ずか しか った ため
、海 岸部 での 交易 がそ れを 補完 する こと に なっ た。 そも そも 帝国 の形 成と は中 心と 各方 面の 辺境 地帯 を結 ぶ﹁ コミ ュニ ケー シ
ョ
ン・ ルー ト﹂ の構 築と ほぼ 同義 であ り、 それ は﹁ 道路 建設﹂に ほか なら なか った
。古 代ロ ーマ 帝国 がそ うで あっ たよ うに
、一 五世 紀か ら一 六世 紀の ム ガー ル帝 国の 初期 には
﹁乾 燥し た内 陸部 の行 軍地 帯︵
m a r c h l a n d
︶ のよ うに、帝 国の 道路 は行 政や 商業 上の いく つ かの 中心 地を 結び つけ ると とも に、 後背 地の 農業 地帯 を中 心に 結び つけ る機 能を 果た した
。い いか えれ ば、 農業 生 産物 を現 金で の税 収に 変え るネ クサ スを 作り 上げ たの で
( )
ある
﹂。 道路 網と 水路 で結 ばれ たム ガー ル帝 国の 皇帝 は、
'
この 帝国 が﹁ 世界 帝国
﹂で ある とし
、首 都デ リー を中 心と した 権力 は道 路を 通じ て東 西南 北に 広が り、 世界 中の 土 地は すべ てム ガー ルの 州で ある と豪 語し てい たが
、実 際の 支配 圏は 亜大 陸の 中に ほぼ 収ま って いた
。外 延的 な帝 国 の限 界は
、北 西の アフ ガニ スタ ン地 域、 北東 のベ ンガ ル・ アッ サム 地域
、デ カン 高原 以南 の地 域で あり
、ア ウラ ン グゼ ーブ 帝の 治世 の時 に南 イン ドに 大き く進 出し
、最 大の 版土 を達 成し た。 この よう に、 歴史 的に イン ド地 域で 巨大 な国 家を 築い た勢 力が 外来 の勢 力で あっ たこ とは
、興 味深 い事 実で あ る。 イギ リス が植 民地 化す る以 前の
﹁イ ンド の中 世﹂ は、 中央 アジ アや 西ア ジア から イス ラー ム化 した 民族 が侵 入 して
、ガ ンジ ス川 流域 に権 力を 築い た時 代で ある
。イ スラ ーム 勢力 とい って も民 族や 部族 の出 自、 言語 や文 化も さ まざ まに 異な った トル コ人
、ペ ルシ ャ人
、ア フガ ン人
、テ ィモ ール 人な どで あっ た。 けれ ども
、彼 らに 共通 して い たの は、 侵略
・征 服し て富 を略 奪す る武 装勢 力で あり
、も とも とは 遊牧
・狩 猟民 族の
﹁移 動す る人 々︵
n o m a d
︶﹂
であ った こと であ る。 とく にア フガ ン人 は、 髭を 生や した 強靱 な戦 士の 一団 で、 イス ラー ムの 正義 を振 りか ざし て いて も、 宿営 地で 戦利 品を 分配 し、 奪い 取っ た酒 を酌 み交 わし て騒 ぐ無 頼な 文化 で有 名だ った
。強 力な 兵士 たち の 連帯 は、 血縁 や宗 教よ りも
、﹁ 酒︵
b o o z e
︶﹂に よっ て支 えら れた とい う。 した がっ て、 こう した 武装 勢力 を味 方に 付け なが ら、 常に その 反乱 に目 を光 らせ てこ の地 帯一 帯を 傘下 にお さめ たム ガー ル帝 国の 初代 皇帝 バー ブル 大帝 は、 一方 では 皇帝 とし ての 優雅 な振 る舞 いと 高貴 な威 信を 身に つけ るよ うに 努力 しな がら
、他 方で は戦 士集 団に 愛 し支 持さ れ畏 れら れる ため に、 ティ モー ル人 であ りな がら アフ ガン 人の よう に長 い髭 を生 やし
、宿 営地 では 武将 た ちと 磊落 に酒 宴を 開い たと 言わ れて
( )
いる
。
(
伝統 的に
、外 来の 遊牧
・狩 猟民 族に とっ ては
、支 配と は侵 略を 意味 し、 一箇 所に 止ま って 農耕 する 定住 民の 社会 を基 盤と した 王国 を築 くこ とよ りも
、騎 馬隊 とし て移 動し て拠 点を 確保 し、 さら によ り良 い土 地へ と乗 り換 えて い くこ とが 重要 だっ た。 そう した 勢力 が、 イン ド亜 大陸 の北 西か ら侵 入し て、 デカ ン高 原以 南や ベン ガル 地域
、と き には 東の アッ サム 地域 にま で到 達し た。 こう した 武装 勢力 の特 徴は
、長 期的 な統 治権 力を 国家 的に 築き 上げ たム ガ ール 帝国 のあ り方 にも 反映 され てい た。 たと えば
、﹁ 皇帝 が一 所に 止ま って いる と帝 国は 滅び てし まう
﹂と いう 格 言が あり
、城 や壁 を大 変な 労力 をか けて 建設 しな がら
、皇 帝自 身は ごく 短期 間し か滞 在せ ず、 しか も頻 繁に 首都 を 移動 した
。そ れだ けで なく
、皇 帝の 一行 は大 規模 な旅 団を 組ん で一 日数 キロ の速 さで 進み
、宮 廷と 軍事 基地 を動 か しな がら
、一 年中
、領 内を 巡回 した ので ある
。猛 暑の 季節 には
、よ り涼 しい 気候 の北 方の カシ ミー ルや アフ ガニ ス タン のカ ブー ル方 面へ と進 み、 その 後は モン スー ンを 避け なが ら東 の地 域へ と移 動し
、そ こか ら亜 大陸 の中 心地 域 に戻 って くる と、 デリ ーや アグ ラな どの 都に 止ま って おら ず、 さら に、 中央 から 南の イン ドへ 向か った ので
( )
ある
。
)
皇帝 の大 部隊 は、 数十 万人 の臣 下・ 兵士
・商 人な どを 引き 連れ
、彼 らの 使う 象・ 馬・ 牛、 その 他の 家畜 を何 十万 頭も 伴い
、﹁ 動く 宮廷
﹂と して 金品 の豊 富な 財源 を運 び、 財務 管理 など の事 務を 可能 にす るた めに 役人 と書 類を 移
動さ せた
。皇 帝の 一行 が目 的地 に行 く前 には
、道 路の 建設 や整 備の ため の土 木作 業が 行わ れ、 それ を使 って 首都 全 体が 空前 の規 模で 移動 した よう なも ので あっ た。 膨大 な数 の人 々と 動物 がテ ント を張 って 宿営 する には
、広 大で 安 全な 土地
、消 費さ れる 大量 の食 糧や 水、 家畜 のた めの 飼料 や牧 草地 を確 保す るこ とが 不可 欠で あっ た。 各地 の領 主 は、 皇帝 が通 ると きに 税を 納め て贈 り物 をし
、食 糧や 水や 飼料 を提 供す ると とも に、 宿営 地や 放牧 地を 明け 渡し て 歓待 しな けれ ばな らな かっ た。 また
、そ うし た消 費を 必要 とす る大 集団 が行 き来 する とい うこ とは
、巨 大な 市場
︵
b a z a r
バザ ール︶が 定期 的に 開催 され
、移 動し てい くこ とを も意 味し た。 こう して
、政 治的 な支 配と 被支 配の 関係 が、 動く キャ ラバ ンに よっ て現 実の 形を とる と考 えら れた ので ある
。 ここ まで
、イ ンド 亜大 陸に おけ る帝 国の 形成 とそ の辺 境に つい て考 えて きた が、 本稿 に関 連し て注 目し たい の は、 通常 考え る外 延的 な、 つま り帝 国の 外と の境 目に 位置 した
﹁辺 境﹂ より も、 その よう な外 に面 した 辺境 地帯 と 軍事 戦略 や交 易関 係に よっ て深 く結 びつ きな がら
、亜 大陸 の内 陸部 に広 がっ てい た﹁ 内陸 の辺 境︵
i n t e r i o r f r o n - t i e r
﹂︶ であ る。 前稿 で取 り上 げた チャ ンバ ル渓 谷は
、こ うし た﹁ 内陸 の辺 境﹂ とし て知 られ た地 域で あっ た。 ムガ ール 帝国 アク バル 帝の 使っ た巻 物の 地図 には
、方 向と 距離
、目 印と なる 山や 川、 主要 道路 と脇 道な どが 示さ れて いる
。も っと も、 地図 と言 って も、 一九 世紀 以降 今日 まで 使わ れて いる よう な、 科学 的な 測量 を経 て、 地形 や 土地 の広 さを 正確 に縮 小し
、行 政的 に区 切ら れた 地図 では ない
。こ のよ うに 近代 的な 地図 が、 鳥瞰 の視 点で 東西 南 北を 固定 して 距離 の単 位に 基づ いて 表現 され ると すれ ば、 ムガ ール 時代 のも のは 道路 を進 む軍 隊の 視線 で捉 えら れ た地 形を 写し てお り、 移動 する 人々 が記 憶し てお くべ き目 印が 記さ れて いる
。し たが って
、包 括的 な地 理の 把握 で はな く、 必要 でな いと ころ
、そ して
﹁見 えな いと ころ
﹂は 描か れな い。 盗賊 の出 没す るよ うな 森や 荒れ 地は
、そ の よう な﹁ 見え ない とこ ろ﹂ にあ たる だろ う。 ゴー マン ズは
、遊 牧民 族が 築い た権 力と して のム ガー ル帝 国は
、大 きく 分け れば 二つ の種 類の 所領 を支 配し たと
論じ る。 一つ は、 徴税 する こと がで きる 直轄 的な 農村 地域 であ り、 その 中心 は北 西か ら東 へ抜 ける ガン ジス 川と ジ ャム ナ川 の流 域の 穀倉 地帯 であ った
。も う一 つは
、在 地の 領主 が皇 帝に 恭順 し、 自ら の支 配と それ を支 える 軍事 力 の保 持を 許さ れる かわ りに
、皇 帝の 一行 が通 過す ると きに はそ の安 全な 通行 を保 障し
、金 品を 奉納 する 地域 であ る。 前者 が道 路や 川の 通っ た平 野地 域で ある のに 対し て、 後者 は山 や砂 漠と いう 自然 の防 壁が あり
、そ のた めに 中 央集 権的 な統 治が 届き にく い地 域で あっ た。 すで に指 摘し た言 葉を 使え ば﹁ 荒れ 地﹂ であ り、 小規 模な 武装 勢力 や
﹁盗 賊﹂ が頻 繁に 出没 する よう な土 地で あり
、﹁ 内陸 の辺 境﹂ であ った
。具 体的 には
、ガ ンジ ス川 とジ ャム ナ川 の流 域地 域の チャ ンバ ル渓 谷か らブ ンデ ルラ ンド 一帯 を含 んで 南に 続く 地域 で、 現在 のラ ージ ャス ター ン、 マデ ィヤ
・ プラ デー シュ
、マ ハラ ーシ ュト ラ、 グジ ャラ ート の各 州に また がっ てい た。 この よう な歴 史を 考え れば
、カ イバ ル峠 を通 って アフ ガニ スタ ン方 面か ら亜 大陸 に入 り、 ガン ジス 川・ ジャ ムナ 川へ と続 く北 イン ド一 帯は
、正 規の 軍隊 にせ よ非 正規 のも のに せよ
、武 装し た戦 士の 一群 が行 き来 し、 宿営 し、 戦 闘を 繰り 広げ てき た軍 事的 な地 域で あっ たと 言っ ても よい
。亜 大陸 の外 の地 域か ら侵 入し た﹁ 移動 する 人々
﹂と し ての 武装 勢力 が活 躍し
、地 元か らも 軍事 的な 勢力 が競 合し つつ 登場 した
。イ スラ ーム のミ ルザ
︵
M i r z a
や︶ ヒン ド ゥー のラ ージ プー ト︵R a j p u t
︶と 呼ば れた 将軍 たち は、 実力 で王 族と なり
、防 衛と 軍隊 の宿 営地 とし て砦
・城
・門 を建 設し た。 そう した 人々 の中 から
、ム ガー ル皇 帝か ら﹁ マン サー ブ﹂ とい う﹁ 禄位
﹂を 与え られ る者 も選 ばれ た。 逆に
、戦 争に 敗れ た王 族や 兵士 は、 森や 乾燥 地帯 に逃 げ場 所を 求め
、敗 者復 活の 機会 や新 しく 仕え る主 人を 捜 しな がら 武装 勢力 とし て活 動し
、略 奪や 盗賊 行為 を行 った
。そ うし た集 団に
、武 装し たイ スラ ーム の修 行者 やヒ ン ドゥ ーの 僧侶 も加 わり
、農 村や 周辺 の辺 境地 域に は、 土地 の領 主に 軍事 力と して 雇わ れる 武装 した 農民 や先 住民 が 常に 暮ら し、 農閑 期に は盗 賊・ 強盗 活動 を行 う人 々も 存在 して いた
。長 い間 に培 われ た、 この よう な土 壌の 上に
、 現代 にま で至 るチ ャン バル 地域 の武 装し た農 民、 そし て盗 賊の ルー ツが あっ た。
第二 節 イギ リス の占 領統 治 さて
、栄 華を 誇っ たム ガー ル帝 国の 権力 も、 一八 世紀 半ば 以後
、軍 事的 な優 位を 喪失 し、 急速 に衰 退す るこ とに なっ た。 各地 の太 守や 王族 がヨ ーロ ッパ から 輸入 した 武器 で自 らの 軍事 力を 強化 して
、帝 国か らの 自律 性を 獲得 し て皇 帝の 支配 に挑 戦し
、戦 国時 代的 な状 況と なっ た。 そう した 状況 を利 用し て、 イギ リス やフ ラン スは 輸送 した 武 器を 売っ て儲 ける とと もに
、港 市と 陸上 の交 易ル ート を保 護す るた めに 同盟 関係 にあ る王 国を 支援 して
、次 第に 亜 大陸 の権 力争 いに 加わ るこ とに なっ た。 イギ リス 東イ ンド 会社 は、 一七 世紀 後半 には カル カッ タ︵ 現在 のコ ルカ タ︶ とボ ンベ イ︵ 現在 のム ンバ イ︶ に拠 点 を置 き、 早く から ゴア を中 心に ムガ ール 帝国 の交 易を 行っ てい たポ ルト ガル を凌 ぐよ うに なっ た。 フラ ンス は、 ポ ンデ ィシ ェリ を拠 点に 南イ ンド のマ イソ ール 王国 と手 を結 び、 ベン ガル 湾に 影響 力を 伸ば そう とし た。 しか し、 一 七五 七年 にプ ラッ シー の戦 いで イギ リス に敗 北し た。 勝利 した イギ リス 東イ ンド 会社 は、 ムガ ール 皇帝 から 新し い ニザ ーム
︵
N i z a m
、︶ すな わち
﹁太 守﹂ とし ての 地税 徴税 権を 与え られ た。 これ を機 に、 イギ リス 勢力 はガ ンジ ス 川河 口の ベン ガル 地方 を支 配圏 にお さめ て、
﹁海 の帝 国﹂ から
﹁陸 の帝 国﹂ へと 転換 して いく こと にな った
。 こう して
、イ ギリ スは
、一 八世 紀後 半よ り、 法や 行政 組織 を整 えて 農村 への 土地 支配 と徴 税制 度の 整備 を進 めよ うと 試み
、次 第に ガン ジス 川を 上流 にさ かの ぼっ て、 一九 世紀 半ば には 北イ ンド 一帯 に領 土的 支配 を広 げる こと に なっ た。 それ に対 応し て、 東イ ンド 会社 の支 配は
、ベ ンガ ル管 区・ ボン ベイ 管区
・マ ドラ ス管 区と いう 三つ の要 塞 で守 られ た港 市を 中核 とし た直 轄地 域を 柱と して 編成 され
、と くに
、急 速に 拡大 する 北イ ンド の一 帯は ベン ガル 管 区の 下に 置か れる こと にな った
。カ ルカ ッタ を起 点に 同心 円的 に内 陸部 へと 進出 して いく 過程 で、 ガン ジス 川の 上 流と その 先に 広が る辺 境の 防衛 地帯 とし て﹁ 北西 辺境 州︵
t h e N o r t h - W e s t F r o n t i e r P r o v i n c e s
﹂︶ が設 定さ れた が、 占
領地 域が 広が るご とに さら に西 の位 置に 同 じ名 前の 区域 が移 動し てい った
。地 図
અ
の 通り で( )
ある
。
6
一八 四九 年に イギ リス は、 二度 目の スィ ク戦 争で スィ ク王 国を 滅ぼ して パン ジャ ー ブ州 とし て併 合し た。 一九 世紀 半ば には
、 カシ ミー ルを 含め
、ア フガ ニス タン まで 届 く地 域が
、イ ギリ スの 軍門 に下 った
。首 都 デリ ーに は、 イギ リス から 年金 をも らっ て ムガ ール 皇帝 バハ ドゥ ール
・シ ャー が城 を 保持 して いる もの の、 すで にそ の支 配権 は 名目 的な もの にま で貶 めら れて いた
。ガ ン ジス 川と ジャ ムナ 川に 挟ま れた ドワ ブ地 方 を挟 んで
、亜 大陸 の真 ん中 には アワ ド王 国 とア グラ 王国 が最 後ま で形 骸的 に残 って い たが
、こ れら も一 八五
〇年 代に はイ ギリ ス に軍 事的 な敗 北を きた し、 ほぼ 征服 され て
( )
いた
。 し 10
かし
、急 速な 版図 の拡 大は
、裏 を返 せ
ば、 立て 続く 戦争
、諸 王国 の滅 亡、 市場 経済 の浸 透、 外国 の政 治的 支配 の導 入な どに よっ て、 地域 社会 が大 きな 変 動を 被っ たこ とを 指し てい る。 イギ リス 国内 では 一八 世紀 後半 以後
、東 イン ド会 社の 株主 とし ての 貴族 が議 論を 展 開す る議 会に おい て、 会社 の戦 費の 無駄 使い に対 して 繰り 返し 批判 が続 けら れ、 会社 の経 営を 合理 化す べき だと い う改 革の 声が あが って いた が、 いっ たん 内陸 に足 を踏 み入 れた 外国 軍は
、撤 退す るの でな けれ ば、 占領 地域 を拡 大 し、 維持 する ほか なか った
。そ れを 裏返 せば
、イ ンド の諸 王国 が次 々と 倒さ れて
、王 族の 軍隊 はつ ぶさ れて
、多 く の戦 士が 失業 状態 にな って 放り 出さ れる よう な状 況が 続い たと いう こと を意 味す る。 東イ ンド 会社 軍は
、治 安を 確 保す るた めに 武装 した 人々 の一 部を 兵士 とし て採 用し たが
、多 くの 武装 勢力 は野 に放 たれ 取締 りの 対象 とな る他 な か
( )
った
。 後 11
に見 るよ うに
、一 九世 紀前 半の 北イ ンド は、 こう した 軍事 的な 無秩 序状 況だ けで なく
、イ ギリ スが 持ち 込ん だ 市場 経済 の影 響に よっ て、 従来 の社 会経 済秩 序が 大き く変 更さ せら れ、 人々 の暮 らし は著 しく 動揺 させ られ た。 産 業革 命に よっ て工 業化 した イギ リス から
、大 量の 安い 綿布 が流 入し たこ とは よく 知ら れて いる が、 その 結果
、何 百 万も の織 物職 人が 暮ら しの 糧を なく して 餓死 した と言 われ てい る。 また
、統 治と 徴税 のた めに
、イ ギリ スが 民法 的 な土 地所 有権 を導 入し
、そ のた めに 土地 は伝 統的 な社 会の 中で 価値 づけ られ てき たも ので はな く、 単に 税金 や地 代 を払 うた めに 広さ と生 産力 を計 られ る﹁ 地面
﹂に 変え られ た。 土地 は﹁ 資源
﹂と して 測量 され
、価 格が 付け られ て、 売り 買い 可能 なも のに 変わ った ので ある
。 ジャ ジマ ーニ ー︵
j a j m a n i
︶ 制度 に体 現さ れる よう に、 カー スト の階 層秩 序と とも に村 の中 のさ まざ まな 仕事 の分 業体 制が 存在 し、 土地 から 取れ る収 穫物 につ いて は、 それ ぞれ のカ ース トの 役割 分担 に応 じて、伝 統的 な取 り分 が 与え られ てい た。 ザミ ーン ダー ル︵
z a m i n d a r
︶や ター ルク ダー ル︵
t a l u q d a r
︶は
、民 法上 の﹁ 大地 主﹂ では なく
、 農民 たち を使 い支 配し なが ら保 護も する 領主 であ った し、 寺や 寺院 も、 共同 体と 結び つい て収 穫物 や農 民の 労働 力
を喜 捨さ れる 地位 を保 持し てい た。 東イ ンド 会社 はこ のよ うな 古い 領主 的な 存在 を﹁ 地主
﹂に 変え て、 彼ら を納 税 者と して 認定 した のだ が、 この 義務 を果 たせ なく なっ た地 主は
、土 地を 安く 買っ て投 資し よう とす る、 金貸 しや 商 人な ど余 所者 の新 しい ザミ ーン ダー ルに 取っ て代 わら れる こと にな った
。農 民は もと もと 楽な 暮ら しを して いた わ けで はな いが
、新 しい 変動 によ って 従来 とは 異な る形 で貧 困や 飢え に晒 され るこ とに なっ たの であ る。 この よう な変 動の 余波 とし て、 一八 三〇 年代 まで の時 代に
、イ ギリ ス人 が﹁ 犯罪
﹂と みな す、
﹁盗 賊﹂
﹁強 盗﹂ 事 件が 目立 って 横行 する よう にな った こと は、 不思 議で はな かっ た。 一九
世紀 前半 のイ ギリ スは
、イ ンド の農 村地 帯の 盗賊 や放 浪者 のよ うな 犯罪 に強 い関 心を 抱い た。 ピン ダー リー
︵
P i n d a r i
︶、 バン ジャ ーラ ー︵
B a n j a r a
︶、サ ンニ ヤー シン
︵
S a n n y a s i n
︶、 ファ キー ル︵
F a q i r
︶ など、さ まざ まに 移動 す る人 々の 集団 で、 しか も宗 教的 な衣 を被 って いる 人々 が、 イギ リス 人に はと くに 神懸 かっ て見 えた から であ る。 こう し た人 々が
、丘 陵を 放浪 し、 物乞 い・ 強盗
・強 請な どを 行
( )
った
。
12
イス ラー ムの ファ キー ルや ヒン ドゥ ーの サド ゥー
︵
s a d h u
︶の よう な得 体の 知れ ない 修道 僧が 放浪 して いる こと につ いて
、新 しい 統治 者が 警戒 感を 抱い たと して も不 思議 では なか った
。こ のよ うに 動き 回る 人た ちは
、﹁ 中心 的 な都 市と 都市 の間 をつ なぐ 交通 や交 易の ルー ト﹂ を誰 が﹁ コン トロ ール する かを めぐ って
﹂、 現実 に﹁ イギ リス 人 と競 合し てい た﹂ から であ る。 いい かえ れば
、彼 らは
、イ ギリ ス人 の下 での 治安 と経 済活 動の 自由 の保 障が 完成 さ れて いな いこ とを 示す 存在 だっ た。 もち ろん
、移 動す るだ けで はな く武 装し て攻 撃す る能 力の ある 集団 は、 軍事 的 にも 脅威 であ り、
﹁イ ギリ スの 直轄 統治 では ない 地域 の、 独立 的な 王国 の支 配者 たち に養 われ てい るの では ない か﹂ とい う疑 心暗 鬼の 対象 とな
( )
った
。
13
では
、ど のよ うな 人々 が横 行し たの だろ うか
。特 徴的 な人 々を
、簡 単に 紹介 して おこ う。 まず
、ピ ンダ ーリ ーと 呼ば れた 人々 であ る。 彼ら は、 後に 取り 上げ る強 盗団 とし ての
﹁タ グ︵
t h a g , t h u g
︶﹂が イ ギリ スの 本格 的な 掃討 作戦 の対 象と され るよ りも 少し 前の 時期
、す なわ ち一 九世 紀初 頭に
、徹 底的 な軍 事的 制圧 の 対象 とな った
。も とも とは
、マ ラー タ王 国に 軍隊 とし て雇 われ てい た人 々の 集団 であ る。 中央 アジ アか ら来 たム ス リム の武 将に 率い られ
、外 来の 遊牧 民族 出身 者や 地元 の戦 闘的 な民 族で ある ラー ジプ ート の人 々に よっ て構 成さ れ た数 千人 規模 の騎 馬隊 で、 一八 世紀 後半 には マラ ータ 王国 に仕 えて いた
。け れど も、 イギ リス との 相次 ぐ戦 争で 疲 弊し
、次 第に 財政 難に 陥っ た王 はこ の傭 兵隊 に十 分な 給料 を支 払え ず、 かわ りに 経済 的な 手段 とし て彼 らに 一種 の 略奪 権を 認め ざる をえ なか った
。マ ラー タ王 国が つい に一 九世 紀初 めに 東イ ンド 会社 軍に 敗北 して 滅亡 した 後、 こ の騎 馬隊 は、
﹁内 なる 辺境
﹂と いう べき
、亜 大陸 中央 に位 置す る乾 燥地 帯で ある マー ルワ ーを 拠点 に大 規模 な武 装 活動 を展 開す るよ うに なっ た。 さら に、 イギ リス が制 圧し てい ない マラ ータ 同盟 のホ ール カル 家や シン ディ ア家
、 ある いは アフ ガニ スタ ン系 の武 将ア ミー ル・ ハー ンと 提携 し、 カリ ーン
・ハ ーン が率 いる 数万 人規 模の 軍団 とな っ た。 この よう な武 装勢 力に つい て、 総督 ヘー ステ ィン グス は、
﹁こ れは 敵で はな い、 抹殺 すべ き盗 賊で ある
﹂と 主 張し たが
、や はり 単な る﹁ 盗賊
﹂や
﹁強 盗﹂ では なく
、﹁ 敵軍
﹂と もい うべ き存 在だ った
。し かし
、東 イン ド会 社 軍の 強硬 な軍 事作 戦が 効を 修め
、一 八一 八年 には ほぼ 鎮圧 させ ら
( )
れた
。
14
第二 は、 北イ ンド 一帯 でサ ンニ ヤー シン ある いは サン シヤ ー︵
S a n s i a h
︶ とも 呼ば れた 人々 であ る。 彼ら は、 武 装し て農 村を 襲い、農 民か ら収 穫物 を巻 き上 げる 荒く れ者 たち で、
﹁リ ーダ ー︵
j a m a d a r
ジャ マダ ール﹂︶ の下 に集 まっ て暮 らし た。 彼ら は農 民の 社会 と深 く結 びつ き、 とく に土 地を 保有 する 有力 な農 民カ ース トと して 知ら れる ジ ャー ト︵
J a t s
︶の 人々 の子 分的 な立 場を 得て いた
。あ るサ ンシ ヤー は、 主人 であ るジ ャー トに よっ て、 村の 農家 一 世帯 ごと に一 年あ たり 一・ 二五 ルピ ーの お金 と一 日分 の食 事を もら うこ とが でき ると され
、た とえ ば、 その 割合 で
一〇
〇世 帯分 につ いて 徴収 して もよ いと 認め られ てい た。 いい かれ ば、 領主 によ る保 護と 一二 五ル ピー と一
〇〇 日 分の 食事 とい う取 り分 を保 障さ れて いた ので ある
。そ れで はサ ンシ ヤー の人 々は どん な人 だっ たか とい うと
、﹁ ジ ャー ト族 の詩 人﹂ とも 呼ば れる
、歌 や踊 りな ど豊 かな 芸を 身に つけ た人 々だ った
。だ から
、結 婚式 や子 ども の誕 生 など の祝 いご とに 必ず 招か れて
、祝 われ る一 族の 歌を 歌い
、そ のお 礼に ご祝 儀を もら い、 彼ら の雌 牛・ 雄牛
・水 牛 に草 を食 ませ 水を もら うの が一 般的 な慣 習だ った
。招 く領 主や 地主 が気 前の よい 場合 には
、牛 を一 頭も らっ たり し たと いう
。た だし
、何 かの 事情 で村 人が その よう な﹁ 礼節
﹂を 欠か すと
、サ ンシ ヤー はそ の家 にさ まざ まな 呪い を かけ
、悪 運を もた らす と信 じら れて
( )
いた
。
15
した がっ て、 同じ 武装 勢力 と言 って も、 サン シヤ ーは
、ピ ンダ ーリ ーの よう な職 業軍 人で はな く、 後か ら述 べる よう な﹁ 山の 民﹂ とし ての バン ジャ ーラ ーと 同じ よう に、 森に 暮ら す遊 牧民 的な 人々 だっ たと 言え る。 放浪 する 民 のよ うで あっ ても
、彼 らに は定 住し た農 民の 社会 との 緊密 な関 係が 必要 であ った
。彼 らに とっ ても 家畜 にと って も、 食糧 や水
、休 息を とる 居場 所は 不可 欠だ った から であ る。 けれ ども
、市 場経 済の 波に 洗わ れて
、町 に住 む見 知 らぬ 金持 ちが 土地 を買 って しま った ら、 こう した サン シヤ ーと 農村 社会 の古 くか らの 親密 な相 互関 係は 簡単 に壊 さ れて しま う。 それ 以前 にも サン シヤ ーは けっ して 品行 方正 では なく
、夜 中に 牛・ 羊・ 馬な どの 家畜 を盗 み、 道路 で 旅人 を襲 い、 牛泥 棒を 働く よう な人 々と して 恐れ られ ても いた のだ が、 一八 三〇 年代 頃に は、 生き 延び るた めに ま すま すそ のよ うな
﹁犯 罪﹂ に手 を染 めざ るを 得な い状 況に 追い やら れ、
﹁ダ コイ ト﹂ とし て出 没し たの であ る。 すで に前 稿で 指摘 した よう に、 一九 世紀 にお いて も﹁ ダコ イト
﹂は 特定 の部 族や カー スト の人 々か らだ け構 成さ れて いた わけ では なか った
。結 婚や 食事 の禁 忌に つい て語 って いる 場合 でも
、﹁ ダコ イト
﹂の 集団 にお いて は、 さ まざ まな 出自 の人 々が 集ま って いた ほう が普 通だ った らし い。
﹁数 ルピ ー払 えば
、デ ール とモ ウグ の一 族は 入れ て やら ない が、 その ほか の誰 もが 我々 の﹇ 盗賊 とし ての
﹈カ ース トに 入る こと がで きる
。た だし
、実 際に 三︱ 四回 ダ
コイ トを やら なけ れば
、仲 間か ら槍 を持 たせ ても らえ るほ ど信 頼さ れな いし
、襲 おう とす る家 屋の 中に も入 れて も らえ ない
﹂と いう 記述 が残 され てい る。 遠征 を行 うジ ャマ ダー ルに 従っ て宿 営地 を作 り、 乾期 には 盗賊 とし て活 動 し、 雨期 にな ると ジャ ング ルの 家族 のキ ャン プの もと に戻 って 暮ら した
。ま た、 一九 世紀 にも
、プ ーラ ン・ デー ヴ ィー のよ うな 女性 の盗 賊が しば しば 出現 した と記 録さ れて
( )
いる
。
16
次に
、バ ンジ ャー ラー と呼 ばれ た人 々で ある
。バ ンジ ャー ラー の女 性が 美し い音 楽を 奏で て﹁ 歌う
︵
b a j a n a
︶﹂ 芸人 とし て知 られ てい たの で、 この 名前 で呼 ばれ るよ うに なっ たと され てい る。 定住 した 農民 の社 会に 入り きら な いけ れど も、 その 外縁 で移 動し なが ら暮 らし を営 み、 農繁 期に は農 耕に 必要 な労 働力 を提 供す る人 々と なり
、森 の 幸と して 捕獲 した 動物 や鳥
、収 穫し た果 物や 木の 実、 森の 枝や 草を 使っ て作 った マッ トや 縄や バス ケッ トな どの 手 工芸 品を
、村 人に 物々 交換 や金 銭と の交 換で 売り に来 る人 々だ った
。ラ クダ や牛 やヤ ギな どの 家畜 を飼 いな がら
、 チー ズや バタ ーの よう な酪 農品 や捌 いた 食肉 を売 り、 さら に皮 と革 製品 を扱 う﹁ 遊牧 の民
﹂で もあ った
。塩 や穀 物 など の各 地の 産品 を、 街道 を離 れた どん なに 辺鄙 なと ころ にも ロバ など で運 搬し て行 商す る旅 人で もあ った
。動 物 につ いて の知 識が 豊富 で、 森の 薬草 で家 畜の 病気 を治 した り、 その 出産 を手 伝っ たり した が、 もち ろん 人間 に対 し ても 薬草 を売 り、 産婆
︵
m i d w i f e
︶を 務め
、占 いや 祈祷 も行 った
。音 楽を 奏で
、歌 を歌 い、 楽し い踊 りの でき る芸 人集 団だ った から
、村 々の 祭り には 不可 欠の 存在 とし て歓 迎さ れた
。一 三世 紀以 後ヨ ーロ ッパ に出 現し たジ プシ ー の起 源と も言 われ る人 々で
( )
ある
。
17
ムガ ール 帝国 時代 には 皇帝 が一 年中 何十 万も のの 規模 の一 行を 引き 連れ て巡 回し たと 述べ たが
、こ れだ けの 規模 の人 々や 家畜 が十 分な 食糧 や必 需品 を入 手し て生 活す るた めに は、 宿営 した 土地 がガ ンジ ス川
・ジ ャム ナ川 に挟 ま れた ドワ ブ地 方の よう な豊 かな とこ ろで も、 現地 での 調達 だけ では とて も不 十分 だっ た。 この よう な皇 帝の 一隊 に 食糧 を供 給す る重 要な 役割 を果 たし たの が、 バン ジャ ーラ ーだ った と言 われ て
( )
いる
。た とえ ば、 アク バル 皇帝 が短
18
期間 に建 設し て周 囲を 驚か せた
、ジ ャイ プー ルか ら少 し離 れた とこ ろに ある ファ タイ プー ル・ シー クリ は、 大規 模 な要 塞で ある とと もに 華や かな 宮殿 だっ たが
、漆 黒の 夜空 に包 まれ たで あろ う巨 大な 広間 を囲 んで
、臣 下や 客人 を もて なす 料理 を作 る調 理場 が備 えら れ、 皇帝 が見 下ろ すと ころ から はバ ンジ ャー ラー のよ うな 人々 の踊 りや 歌が 見 える よう に建 築さ れて いた
。そ して
、﹁ バン ジャ ーラ ーが 活動 でき ると ころ には 皇帝 の軍 隊が 移動 でき るが
、彼 ら が来 ない とこ ろか ら先 には 進め ない
﹂と 言わ れて いた
。ム ガー ル皇 帝が カイ バル 峠を 越え て中 央ア ジア に進 軍し て いく こと が困 難な 理由 はそ こに あっ たと いう
。
﹁停 滞す るア ジア 社会
﹂の 典型 とし ての イン ドと いう イメ ージ は、 ヘー ゲル が﹃ 歴史 哲学
﹄で 論じ たよ うに
、一 九世 紀ヨ ーロ ッパ にお ける アジ ア論 の前 提を なし てい た。 そし て、 その 後の 行政 的な 情報 の蓄 積や 社会 学・ 人類 学・ 経済 学な どの 新し い研 究に よっ て、 これ を覆 す反 論も 数多 く提 起さ れて きた にも かか わら ず、 二〇 世紀 後半 ま で﹁ 前近 代的
﹂な イン ドの 農村 は自 給自 足的 で閉 塞的 なも のだ った とい う通 説は
、広 く支 持さ れて きた
。し かし
、 ここ まで 述べ てき たよ うに
、イ ギリ スが 進出 する 以前 にも
、兵 士・ 僧侶
・行 商な ど、 さま ざま な種 類の 人々 が頻 繁 に移 動し て暮 らし を営 む社 会が 存在 して いた ので あり
、統 治権 力の あり 方に も、 それ が反 映さ れて いた
。 イン ド史 研究 の大 家チ ャー ルズ
・ベ イリ ーは
、イ ンド 社会 を構 成し た二 種類 の人 々と して
、農 耕社 会に
﹁定 住す る︵
s e d e n t a r y
︶ する 人々﹂と
、常 に﹁ 放浪 する
︵
w a n d e r i n g
人︶ 々﹂、す なわ ち﹁ 移動 する 人々
﹂を 対比 し、 両者 の 関係 とそ のダ イナ ミズ ムに よっ て社 会が 動か され てい たと 論じ て
( )
いる
。重 要な のは
、﹁ 移動 する 人々
﹂の 社会 的な
19
役割 や地 位は
﹁定 住す る人 々﹂ より も低 いと は限 らな かっ た点 であ ろう
。ム ガー ル皇 帝の よう に最 高位 の権 力者 も
﹁移 動す る人 々﹂ のカ テゴ リー に入 れる こと がで きた し、 ヒン ドゥ ーの ブラ ーフ マン やイ スラ ーム のウ ラマ ーと い う宗 教的 に尊 敬さ れる べき 人々 も、 巡礼 や修 行の ため に﹁ 移動 する 人々
﹂で あっ た。 また
、ヒ ンド ゥー 社会 の外 縁に 位置 づけ られ てい た山 や森 に住 む部 族に は、 カー スト 的に は身 分が 高い とは 言え
なく ても
、狩 りや 狩猟 によ って 独立 的に 暮ら し、 ヒン ドゥ ー社 会か ら敬 意を 払わ れる 人々 がい た。 サン シヤ ーに つ いて 述べ たよ うに
、盗 賊と して 暮ら す人 々で も、 化外 の民 の性 格を 持ち つつ
、土 地の 有力 者に とっ ては 重要 な客 人 であ り、 祝宴 にも 招か れる 立場 を与 えら れて いた
。な ぜな ら、 武装 した
﹁移 動す る人 々﹂ は、 領主 や大 地主 が自 ら を外 敵か ら守 るた めに 手な づけ てお きた い相 手で あり
、遠 隔地 や周 辺地 域の 治安 情報 を集 めて くれ るス パイ であ り、 抵抗 する 農民 を懲 らし める 用心 棒で もあ った
。だ から 逆に
、こ れま で仕 えて いた 主人 が仕 事を くれ ず、 適正 な 対価 を支 払わ ない なら
、嫌 がら せを する 力を 十分 に持 つ人 々だ った ので ある
。そ して 食い 詰め れば
、牛 泥棒 や追 い 剥ぎ をし
、他 の領 主に 寝返 って 仕え るだ けの 武装
・技 術・ 情報 を持 つ人 々だ った
。 この よう に、
﹁移 動す る人 々﹂ が農 村社 会の
﹁定 住す る人 々﹂ と共 存す るよ うな あり 方は
、一 九世 紀に 入る と大 きく 変化 させ られ た。 イギ リス は、 軍隊 に必 要な 鉄道
・街 路・ 運河 を建 設し て新 しい 情報
・人
・モ ノの 流れ を作 り、 軍隊 や警 察を 配置 して イギ リス 型の
﹁法 の支 配﹂ を敷 き、 土地 を徴 税可 能な 農地 とし て計 測し
、徴 税の 責任 を 負う 人を 決め て農 村社 会の 秩序 を刷 新し た。 その 裏返 しに
、ラ クダ やロ バに 荷物 を背 負わ せて 交易 する とか
、各 地 に乱 立す る領 主に 仕え て兵 士や 飛脚 をす るよ うな
﹁移 動す る人 々﹂ の仕 事は
、時 代遅 れの 不要 なも のに 変わ った
。 さら に、 影の よう な情 報・ 人・ モノ の流 れ方 は、 外来 の権 力に は危 険な もの とし て警 戒さ れた
。そ の結 果、
﹁移 動 する 人々
﹂は 疎外 され 迫害 され て、 ます ます 盗賊 のよ うな
﹁犯 罪﹂ を犯 すよ うに なり
、イ ギリ スは 彼ら を一 網打 尽 に﹁ 盗賊 集団
﹂と して 掃討 する 決意 を固 めた ので ある
。 一九 世紀 初め のピ ンダ ーリ ーの 掃討 作戦 にお いて は、 総督 が、
﹁ピ ンダ ーリ ーは 盗賊 にす ぎな い﹂ と声 明し なけ れば なら ない ほど
、ま だ﹁ 犯罪 者﹂ より も戦 闘上 の﹁ 敵﹂ に近 かっ たの だが
、イ ギリ スの 覇権 が拡 大す るほ ど、 言 うこ とを きか ない 現地 の武 装集 団は
、﹁ 法の 支配
﹂を 脅か すた だの
﹁犯 罪者
﹂と して
、﹁ ダコ イト
﹂と 見な され るこ とに なっ た。 現実 にも
、東 イン ド会 社軍 に対 抗し て戦 える よう な現 地の 軍隊 はほ とん どい なく なり
、イ ギリ ス人 を
避け て、 土地 の人 々を 襲っ て金 品を せし める よう な武 装集 団が 急増 した ので ある
。そ こで 次に
、そ うし たも のの 中 で独 特な 注目 を集 めた 強盗 団に つい て見 てみ よう
。 第三 節 タグ とダ コイ トの 掃討 作戦 一九 世紀 前半 に現 地の イギ リス 軍人 や役 人に 注目 され たの が、
﹁タ グ﹂ とか
﹁タ ギー
︵
t h a g i , t h u g e e
︶﹂と 呼ば れた 強盗 団で ある
。現 地か らの 要請 によ って
、東 イン ド会 社の みな らず
、本 国議 会で の新 たな 立法 措置 を必 要と した ほ ど、 イギ リス にと って 深刻 な﹁ 問題
﹂だ と認 識さ れた
。一 八三
〇年 代以 降、 徹底 的な 掃討 作戦 が実 施さ れ、 一八 四
〇年 代に はタ グの 全滅 が宣 言さ れた
。一 九世 紀後 半に は、 タグ につ いて の小 説が ベス トセ ラー にな り、 タグ は、 神 秘的 で危 険な イン ド社 会を 表象 しつ つ、 他方 では
、彼 らを 制圧 して
﹁イ ギリ スの 下の 平和
﹂を もた らし た帝 国の 強 さと 正し さを 体現 する 存在 とさ れた
。ま さに
、﹁ オリ エン タリ ズム
﹂的 な植 民地 に対 する 認識 の典 型が
、タ グを め ぐる 言説 だっ たと いう こと がで きる だ
( )
ろう
。
20
では
、そ のよ うに 騒が れた タグ とは どの よう な人 々だ った のだ ろう か。 イギ リス 側の 資料 では
、次 のよ うな 集団 だと 論じ られ てい た。 お金 を持 って 街道 を旅 する 銀行 家や 商人 など を特 に狙 う強 盗団 で、 一見 した だけ では 強盗 と はわ から ない
。狙 った 相手 の一 行に 対し て﹁ 街道 は危 険だ から 一緒 に行 きま しょ う﹂ と声 をか けて 仲良 くな る。 物 騒な 世の 中だ から こそ
﹁親 切な 旅仲 間が でき て良 かっ たな あ﹂ と相 手を 油断 させ て、 数日 間は その まま 旅を 続け る が、 当初 から 目印 とし てい た場 所に くる と、 被害 者た ちを スカ ーフ で瞬 時に 絞殺 し、 持ち 金を すべ て奪 い、 掘っ て おい た穴 に死 体を 埋め て逃 げた とい う。 その ため
、﹁ 絞殺 強盗 団﹂ とし て知 られ た。 カー スト や宗 教の 出自 は多 様 だが
、土 地の 女神 を信 仰し
、カ ーリ ー女 神や ドゥ ルガ ー女 神を 讃え て、 強盗 を行 う前 にも 後に も儀 式を 行っ て祈 り、 強盗 も女 神の ため の仕 事だ と信 じて いる とさ れた
。そ して
、他 の人 々に はわ から ない
、自 分た ちだ けに 通じ る
言語 を用 いる こと も明 らか にさ れた
。 けれ ども
、タ グを も含 む強 盗行 為に つい ては
、イ ギリ スの 権力 がま だベ ンガ ル地 方だ けに 限ら れて いた 一八 世紀 にも 問題 とさ れ、 対策 が練 られ てい た。 イン ドに おけ る﹁ 法の 支配
﹂を 確立 し、 徴税 制度 と裁 判制 度を 二つ の柱 と して イギ リス の支 配を 再編 しよ うと した ウォ ーレ ン・ へー ステ ィン グス
︵
W a r r e n H a s t i n g s
︶ 総督 は、 イン ドの ダコ イト は普 通の 犯罪 者で はな いの で、 司法 過程 にお ける 証拠 の立 証に つい ても 刑罰 につ いて も、 特別 な措 置を とる べ きだ と主 張し た。 一七 七二 年の 裁判 行政 一般 規則︵
G e n e r a l R e g u l a t i o n s f o r t h e A d m i n i s t r a t i o n o f J u s t i c e
︶第 三五 条に おい ては
、﹁ ダコ イト とし て処 刑さ れた 者の 家族 は、 国家 の奴 隷と され
、彼 らの 村は 罰金 を科 せら れる
﹂と いう 特 別な 刑が 指示 され た。
﹁生 まれ たと きか らそ の集 団に 属し てい るよ うな
、強 盗を 専門 に行 う集 団﹂ であ り、
﹁公 に悪 評の 高い
︵
p u b l i c n o t o r i e t y
﹂︶ 犯罪 だか らで ある
( )
、と
。
21
こう した 集団 的な 強盗 行為 につ いて の扱 いが さら に特 別視 され たの は、 東イ ンド 会社 の戦 争に よっ て新 しい 占領 地の 拡大 と保 護国 の範 囲が 急速 に進 んだ
、一 九世 紀初 めの ベン ティ ンク
︵
B e n t i n c k
︶ 総督 の下 であ った。イ ギリ ス の﹁ 至上 権︵
p a r a m o u n t c y
︶﹂が 強く 意識 され
、そ の統 治に おい ては
﹁人 間に つい ての 普遍 的な
︵
u n i v e r s a l
基︶ 準が 実現 され なけ れば なら ない﹂と いう 考え 方が 政策 に反 映さ れた
。イ ギリ ス本 国で 福音 主義 と功 利主 義の 思想 が台 頭 し、 そう した 考え 方を 学ん だ新 しい エリ ート 官僚 が、 腐敗 して 赤字 を垂 れ流 し、 野蛮 な統 治を 野放 しに して いる 旧 態依 然の
、い いか えれ ば絶 対王 制の 重商 主義 的な 遺物 とし ての 東イ ンド 会社 の経 営を 本格 的に 改革 しよ うと した か らで あっ た。 特に
、﹁ 文明 の使 命︵
M i s s i o n o f C i v i l i s a t i o n
︶﹂と いう 概念 は、 新し い統 治を 実現 する ため の諸 政策 を正 当化 する 言葉 とな った
。 たと えば
、タ グと 並ん でこ の時 期の 統治 者が 注視 した のは
、﹁ サテ ィー
︵
s a t i
︶﹂と いう 現象 であ る。 これ は、 亡 くな った 夫の 葬式 で、 夫の 身体 を焼 く火 の中 に妻 が自 分の 身を 投じ て殉 死す ると いう
、ヒ ンド ゥー 的な 慣習 であ
る。 この サテ ィー が、 一九 世紀 初頭 には イギ リス の軍 事的 な進 出に 比例 する よう に激 増し
、ベ ンガ ル管 区で は一 年 に数 千件 を越 える 事態 とな り、 多く の女 性が 命を 失う よう な様 相を 呈し てい た。 キリ スト 教徒 であ るヨ ーロ ッパ の 勢力 が入 り込 んで きた こと に対 して
、独 自の 宗教 的な 文化 を改 めて 誇示 する とい う形 での 植民 地社 会の 反発 だと 考 えら れた が、 ベン ティ ンク はこ うし た野 蛮な 行為 をイ ギリ スの
﹁至 上権
﹂は 容認 すべ きで ない と考 え、 一八 二九 年 には サテ ィー 廃止 法を 発布 し、 刑事 的な 殺人 事件 とし て徹 底的 に取 り締 まる 方策 を展 開し た。 その 結果
、イ ギリ ス 統治 に協 力し
、司 法制 度に つい て法 的な 助言 を行 う役 割を 果た して いた ヒン ドゥ ーの 僧侶 階級
、す なわ ちブ ラー フ マン 層か ら激 しい 反発 を招 くこ とに な
( )
った
。
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しか も、 亜大 陸に おけ る﹁ 至上 権﹂ を担 う政 府と して は、 徴税 機構 と裁 判制 度を 整備 し、 徴税 官で あり かつ 裁判 官で ある イギ リス 人を 一人 ずつ 配置 する
﹁英 領イ ンド
︵
B r i t i s h I n d i a
︶﹂の 直轄 地だ けで なく
、イ ギリ スへ の恭 順を 認め た上 で残 され た現 地の 王国 にお いて も、 同じ よう に﹁ 普遍 的な 基準
﹂、 つま り一 般的 な﹁ 法の 支配
︵
r u l e o f l a w
︶﹂が 実現 され なけ れば なら ない
、と ベン ティ ンク は考 えた
。﹁ 自然 法に よっ て、 ある いは 文明 の必 要に よっ て、 土着 の国 家︵
N a t i v e S t a t e s
と︶ イギ リス の関 係は 影響 を受 けざ るを えな い﹂ とい う方 針で( )
ある
。新 しく 併合 した 直
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轄地 であ る非 正規 区︵
n o n - r e g u l a t i o n d i s t r i c t s
︶ と、 会社 の政 務官 が派 遣さ れて いる、い わば 保護 国化 され た藩 王国
︵
P r i n c e l y S t a t e s
︶ にお いて、ど のよ うな 司法 と治 安の 政策 を取 るべ きか が、 熱心 に検 討さ れた
。た とえ ば、 藩王 国 にお ける 残酷 な死 刑が 規制 され たの は、 その 一例 であ る。 すで に見 てき たよ うに
、一 九世 紀前 半に イギ リス の支 配は ガン ジス 川・ ジャ ムナ 川流 域の 平野 地域 まで 急速 に拡 大し
、新 しい 占領 地域 にお いて 安定 的な 治安 を樹 立す るた めに は、 伝統 的に 武装 した 勢力 が活 動の 拠点 とし てき た
﹁内 なる 辺境
﹂地 域を
、一 刻も 早く 平定 する 必要 があ った
。そ して
、ピ ンダ ーリ ー、 サン シー ヤー
、ダ コイ ト、 バ ンジ ャー ラー など さま ざま な名 前で 呼ば れる 人々 が、 こう した 治安 対策 の対 象に なっ たこ とは すで に述 べた が、 な
かで も、 一般 のダ コイ トと は違 う特 異な もの とし て、 タグ が警 戒さ れた ので ある
。 一八 二九 年、 タグ の一 集団 に死 刑判 決が 下さ れた とき
、イ ンド 政府 の主 席秘 書官 は次 のよ うに 書い てい る。 これ
らの タグ は、 さま ざま な土 着の 王族
︵
N a t i v e C h i e f s
︶ の所 領に 住み 着い てい るが、統 治し てい る主 体が さま ざま に異 なる 地区 の住 民で ある ため
、自 分の 領地 で犯 罪が 起こ った と認 め、 彼ら を処 罰し よう とす る主 権者 ある いは 君主 が 存在 しな い。 だか ら、 誰を も敵 に回 す非 人間 的な 怪物 たち が、 毎年 移動 する ブン デル カン ドか らグ ジャ ラー トま での 地 域で
、自 らの 手で 殺人 を犯 さな かっ た国 はな い。 彼ら は、 社会 の法 など でご まか され ずに
、海 賊の よう に捕 え、 判決 を 下し て極 刑に 処す 必要 が
( )
ある
。
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要す るに
、併 合し たば かり でま だ本 格的 な直 轄地 とし ての 統治 を行 えな い地 域や
、イ ギリ スに 対す る戦 争さ えし かけ るか もし れな い、
﹁信 用で きな い﹂ 現地 の王 族が
、タ グの よう な犯 罪者 を含 めた 武装 勢力 を飼 い慣 らし
、彼 ら を操 って イギ リス の利 益と 安全 を脅 かし てい ると いう 認識 が、 イギ リス の辺 境政 策を 条件 づけ たの であ る。 すで に 指摘 した よう に、 ピン ダー リー と呼 ばれ た軍 隊と して の武 装勢 力は
、大 規模 な掃 討作 戦に よっ て一 八二
〇年 代に は ほぼ 存在 しな くな って いた から
、イ ギリ ス軍 を襲 うほ どの 力は 持っ てい ない が、
﹁殺 人﹂ や﹁ 強盗
﹂と され る犯 罪 行動 をと る輩 が出 没し 続け てい た。 しか し、 注意 すべ きな のは
、強 力な 軍隊 で守 られ るイ ギリ ス人 はほ とん ど襲 撃さ れな かっ たと いう こと であ る。 ベン ガル 地方 から ガン ジス 川・ ジャ ムナ 川流 域を 越え てブ ンデ ルカ ンド やマ ルワ ー地 方を 通っ てボ ンベ イへ 抜け よ うと する ルー トは
、イ ギリ ス人 に仕 えて いる 人々
︱︱ 東イ ンド 会社 軍に 雇わ れた イン ド人 兵士 や東 イン ド会 社の 事 業に 関わ る仕 事を する 銀行 家や 商人
︱︱ が通 行し
、他 の金 目の もの を持 つ旅 人と とも に、 タグ の餌 食に なる こと が
多か った
。し かも
、こ の﹁ 内な る辺 境﹂ を通 るル ート はア ヘン の流 通ル ート でも あり
、東 イン ド会 社の 独占 的な 貿 易を 脅か して
、地 元の 王国 や武 装勢 力が アヘ ンを 取引 して 利潤 を上 げて いた ので ある
。こ れに つい ても
、イ ギリ ス 側か ら見 れば
、タ グや ダコ イト とい った 人々 と﹁ 信用 でき ない
﹂王 族が 関わ って いて
、会 社と して は見 過ご せな い 利益 侵害 であ った
。 こう した 状況 を踏 まえ て、 一八 三二 年に ベン ティ ンク は、 次の よう な軍 事政 策を 発表 して いる
。 第一
に、 ヒマ ラヤ から コモ リン 岬ま で、 イン ド全 土に おい てイ ギリ スの 至上 権が 認め られ るこ と。 第二 に、 この 範囲 の中 で、 イギ リス 権力 に少 しで も反 抗で きる 土着 の君 主は いな いこ と。 第三 に、 マド ラス 管区
︵
t h e M a d r a s P r e s i d e n c y
︶に は防 衛す べき 辺境
︵
f r o n t i e r
︶ はな いこ と。 第四 に、 同じ よう にボ ンベ イ管 区︵t h e B o m b a y P r e s i d e n c y
︶ は、 シン ド︵S i n d
︶に 接す る領 土の 一部 を除 けば
、境 界線 が確 定さ れて いる こと
……
。 第五 に、 ベン ガル 管区 にだ けは
、ま だ襲 撃さ れる 怖れ のあ る辺 境が 残っ てい るこ と。 第六 に、 全イ ンド がイ ギリ スの 王国 であ り、 三つ の管 区の 軍隊 が一 つの 軍隊 だと すれ ば、 秩序 を維 持す るた めに どれ ほど の軍 隊が 必要 かを 想定 しな けれ ばな らな い
( )
こと
。
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した がっ て、 この 政策 に従 って
、三 つの 管区 を結 ぶ間 の地 域で
、つ まり
、タ グや ダコ イト が出 没す る地 域に おい て、 東イ ンド 会社 の直 轄地 を越 えて
、掃 討作 戦が 実施 され るこ とに なっ た。 一八 一七
︱一 九年 にマ ラー タ王 国か ら 奪っ て併 合し
、﹁ 非正 規区
﹂と して 総督 代理
︵
t h e A g e n t t o t h e G o v e r n o r G e n e r a l
︶ が派 遣さ れて いた サー ガー ルと ナ ルバ ダ諸 領で は、 まだ イギ リス 流の﹁法 と秩 序﹂ は導 入さ れて いな かっ た。 その ため
、総 督代 理は 総督 にあ てて
、