読書カフェ 2018. 2. 17
篠田英朗『ほんとうの憲法 戦後日本憲法学批判』
(ちくま新書2017. 7) (著者プロフィール) しのだ ひであき:1968 年生まれ。専門は国際関係論。現在、東京外国語大学総合国際学研 究院教授。早稲田大学政治経済学部卒業。ロンドン大学(LSE)で国際関係学Ph.D.取得。 広島大学平和科学研究センター准教授などを経て、現職。著書に『日の丸とボランティア 24 歳のカンボジア PKO 要員』(文藝春秋)、『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇 賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)、『国際社会の秩序』 (東京大学出版会)、『平和構築入門 その思想と方法を問いなおす』(ちくま新書)、『集団 的自衛権の歴史 憲法九条と日米安保』(風行社、読売・吉野作造賞授賞)など。 (本書目次):はじめに/I ほんとうの憲法の姿:第 1 章 日本国憲法をめぐる誤解を解く/ 第2 章 日米関係から憲法史を捉えなおす/II 抵抗の憲法学を問いなおす:第 3 章 押しつ け憲法論への抵抗――歴史の物語を取り繕う憲法学/第4 章 国際化への抵抗――国際法と 敵対する憲法学/第5 章 英米法への抵抗――幻の統治権に拠って立つ憲法学/おわりに― ―9 条改正に向けて 以前、読書カフェで国際政治学者、細川雄一氏の『安保論争』(ちくま新書)を取り上げ た。そのときに感じたことだが、国際政治学者と憲法学者の間に、集団的自衛権をめぐる意 見対立があり、それが際立っていたことだ。今回取り上げた著者には、『集団的自衛権の思 想史――憲法九条と日米安保』という著作がある。イスラム政治思想研究者の池内恵氏が、 この本を取り上げて「グローバル標準のリベラル派が、日本ローカルの、擬似封建制的・身 分秩序的な「リベラル派」の論理を、思想史によって脱構築し相対化し、結果として戦後日 本思想史の秘部・恥部に光をあてることになっている」と評した。グローバル標準の国際政 治学者とローカル・ヒエラルキー世界に閉じこもっている憲法学者といった対比を使って、 篠田応援歌を贈ったような評だった。細川雄一氏もブログで池内評に賛意を述べていた。 『ほんとうの憲法』は、さらに遠慮会釈なく憲法学者に挑んだ本といってよい。当然、憲 法学者からの反発は必死である。篠田批判は憲法学者から上がっている。 本書は二部五章からなっているが、「I ほんとうの憲法の姿」を中心に紹介したい。 ▼立憲主義とは何か 本書タイトルの『ほんとうの憲法』とは、実に挑発的な題である。当然「いつわりの憲法」 が想定されるわけだ。「はじめに」の冒頭に憲法学者、長谷部恭男早稲田大学教授(元東京 大学法学部教授)の引用が置かれている。わざわざ元東大法学部教授を入れたことには意味 ある。暗に「いつわりの憲法」が、東大法学部系によって、戦後ずっと流布されてきた、とできるわけではないでしょうから、結局は法律家共同体のコンセンサスに頼らざるをえな いでしょう、ということだ。これは朝日新聞(2015.11.29 朝刊)の「考論 長谷部×杉田: 平和主義守るための改憲、ありえるか」からの引用である。著者はそこで「果たして憲法は、 憲法学者という肩書を持つ者だけによって独占的に解釈されるべきなのだろうか」と疑義 を呈する。「憲法の解釈も立憲主義の解釈も、憲法学者が独占的に行うべきとされ、総理大 臣も国際政治学者も、憲法学者の解釈にしたがうのでなければ侮蔑される。絶大な社会的権 力を誇る戦後日本の「抵抗の憲法学」のドクトリンである」と狼煙をあげる。(「抵抗の憲法 学」については本書「II 部」で展開されている。) ・憲法の一大原理——国政は国民の厳粛な信託による 著者のいう「ほんとうの憲法」とはどのようなものだろうか。まず、憲法前文には憲法解 釈の指針とすべき根本思想が書かれている。これまで憲法の「三大原理」は、国民主権、基 本的人権の尊重、平和主義だと教えられてきたが、これは自明ではない。「平和主義」は原 理ではない。「戦争回避」の決意や念願の目的だ。国際社会との協調、諸個人の自由、そし て戦争の回避が憲法制定の理由であり、目的である。「原理」と「目的」は違う。「原理」は 法体系の仕組みを言い表す一般性の高い原則的な規則だ。「目的」は、より具体的で、特定 の法律が目指す政策的な方向性を指し示す。法律を解釈する場合、目的が達成できるように 解釈するのが正しい態度だ。素直に前文を読むと「三大原理」ではなく、一つの原理である ことに気づくはずだ。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威 は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受す る。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである」。ここに 一大原理がある。 この「信託」とは、統治契約であり、政府と国民の間の信託ということになる。こうした 社会契約はロックらの英米思想の社会契約の考え方だ。(ルソーの社会契約は、国民が自分 たち相互で結ぶものであり、国民=国家と考えることから、政府と人民を分離して契約する という考え方がない。)英米思想の社会契約論が日本国憲法に流れているものだ。国民主権 も英米流の人民に権威の源泉があるという考え方だ。英米思想は、国民が国家の最高権力者 だということを強調せず、人民と政府の間に結ばれている「信託」関係を強調する。「信託」 の内容を記したのが憲法典であり、これを人民も政府も、ともに根本原則として遵守する。 これを根本規範と考えるのが「立憲主義」と呼ばれるものだ。国民主権を不可侵の権力とす るドイツ・フランス思想の考え方ではない。日本の憲法学者は英米思想でつくられた憲法を ドイツ・フランス思想に当てはめで解釈してきたと著者は言う。 これまで「立憲主義」とは、法律は政府から国民への命令であり、国民を縛るものだが、 法律も野放図につくられるものではなく、憲法に立脚しなければならない、そうした縛りが あると教えられてきた。著者は、「基本的人権」も「国民主権」も、日本国憲法の原則であ る「信託」契約としての立憲主義がめざす「目的」だという。
▼九条の価値はどこにあるのか そうなると「平和主義」も原理ではないということで、「戦争の回避」が目的だという。 日本が国際社会との協調を図りながら、自らの生存を確保していくということになる。前文 にはもうひとつ「国際協調主義」が強調されている。著者は、9条よりも、前文の国際協調 主義のほうが憲法を特徴づけている、と言う。日本の憲法学では、9条を必要以上にロマン 主義的に捉えて、世界に類例のない画期的なものと説明したりする。国際社会に9条を見習 わせよう、などといったりする。本当の憲法9条は、最初から国際協調主義的なものだった というべきである。 9条は憲法前文の目的を達成するための手段として定められたものだ。国際協調主義こ そが9条を通じて、遵守することを強調しようとした「政治道徳の法則」なのだ。これは 当時の政治環境から当然のことだった。 9条の目的は、「正義と秩序を基調とする国際平和」である。絶対平和主義の原理では ない。ところが前文には「justice」を正義ではなく、当時の法制局によって公正と訳され てしまった。「people」を人民ではなく、国民と訳したりした。アメリカ人の概念構成をド イツ国法学になじむ言葉に作り替えたのだ、著者はと言う。 ・憲法の二重の社会契約 憲法は、戦後平和構築の論理にしたがって、「二重の社会契約」を達成するものであっ た。ひとつは、人民と政府の間の統治契約だ。軍国主義に至った歪な権力構造の反省から 民主主義的抑制が政府に働くように調整した。もう一つは、日本と国際社会との間の契約 である。歪な国際情勢の認識が帝国主義的拡張を招いたという反省から、国際的な規範的 枠組みの中で日本が行動する国際協調主義を掲げた。 憲法前文で掲げられている目的にしたがって、9条を読めば、国際法で合法とされる (個別的・集団的)自衛権と集団安全保障を、9条1項があえて違憲とするはずがない。 2項で禁止されている「戦力」は1項が禁止した「戦争」を行うために手段を指している と解するべきだ。戦争が違法化されている現在、「交戦権」は現代国際法には存在しない 概念である。それをあえて2項で否認しているのは国際法遵守の意図を宣言するためだ。 ・日本国憲法を捉えなおす三つの観点 著者は三つの観点から憲法を捉えなおすことを提唱する。 日本国憲法 第二章 第 9 条 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争 と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれ を放棄する。 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権 は、これを認めない。
第一は、戦争が破綻した政策にもとづくものという洞察から、二度とこの失敗を繰り返 さない、そうした政策目的から作られたものだ。これは「戦後平和構築」の政策的関心に もとづいていた。当然、紛争当事者間の協調的関係や周辺国との協調関係を確保する内容 の憲法でなければならない。憲法9条は独善的なロマン主義の産物ではなく、国際協調主 義の一つの表現であった。 第二は、9条は、1928 年の不戦条約、1945 年の国連憲章2条4項の「武力行使」の違 法化の流れを汲んだもので、国際法から見れば、「戦争放棄」条項には、何ら新しい要素 はない。日本は不戦条約の加盟国でありながら、満州事変以降、侵略行為を繰り返し、国 際平和を脅かした。そのため国際法の遵守目的のために9条が導入された。9条が放棄し たものは19 世紀の遺物である「国権の発動としての戦争」「交戦権」で、国連憲章で合法 的とされている集団安全保障と自衛権の行使については放棄していないと考えるのが、素 直な解釈だ。 第三に、憲法を起草したのはGHQ のアメリカ人たちだ。アメリカ憲法思想の伝統の強 い影響下で起草された。この点を日本の憲法学者はあまりふれないできた。戦前からの伝 統である19 世紀ドイツ国法学の概念構成を憲法に当てはめて読み解き、フランス革命時 の議論を参照して読み解こうとしてきた。しかし、日本国憲法の解釈にあたっては、英米 の立憲主義を参照し、英米法の伝統を基本とすることが適切なのではないか。 以上の三つの観点について、「3 戦後平和構築としての憲法を見る」(p.45)、「4 国 際法規範の実現としての憲法を見る」(p.54)、「5 英米法思想の系譜として憲法を見る」 (p.60)で詳細に論じている。 ▼日米関係から憲法史を見る 太平洋を挟んで対岸にあるアメリカは、幕末の黒船時代から今日までさまざまな関わり をもってきた国である。敗戦後、日本はアメリカの占領統治下で憲法はつくられた。その 後は、日本国憲法は日米安保体制と共存するかたちで存続してきた。著者は、戦前の日本 は、神話的な天皇制が国体だった。「表」に神話的な国家体制、「裏」に天皇を一機関とす る「国家法人説」で説明してきた。「戦後日本の国体」は、「表」側の「国体」の支柱に憲 法9条を置き、「裏」側の自衛隊・日米安保体制によって維持されてきたという。 また、こうも言う。「戦後に構築された新しい「日本の国体」は、両国の対峙関係に、 一つの安定的な仕組みをもたらす機能を発揮した。敗戦国・日本は、軍事大国となる可能 性を放棄し、アメリカが主導する国際社会のネットワークのジュニア・パートナーとして 参加することに合意した。非対称関係にある二つの国の同盟である日米安全保障条約は、 過去70 年以上にわたって太平洋地域の構造的な安定を作り出した決定的な要素である。 この仕組みを国内制度から支えたのが、日本国憲法であった」。 ・冷戦構造の崩壊と「戦後日本の国体」の変化
後日本の国体」の中で日本国憲法がどのように扱われてきたかを論じた。国民主権=9条 絶対平和主義を「表」に掲げながら、「裏」では日米安保体制によって国家体制が維持さ れているという仕組みを、本書は「戦後日本の国体」と呼んだ。その「戦後日本の国体」 に中で、戦後日本の「抵抗の憲法学」は、「表」の看板を高々と掲げながら、「裏」の国体 を運営する者たちを貶める役割を担っていることを指摘した。」と書いている。戦前の東 京大学の憲法学者、美濃部達吉は、エリート層の国家運営を正当化する「密教」(立憲君 主制)を提供していた。天皇機関説を唱えた美濃部は、「顕教」(天皇絶対主義)の国体論 者たちの大衆先導(国体明徴運動)によって、排撃された。戦後になって、憲法学は国家 体制の「表」の部分の看板を掲げる役割を担った。そして「裏」が「表」を侵食しないよ うに「抵抗」しつづける機能を果たすことになった。しかし、この「戦後日本の国体」の 仕組みも冷戦構造の崩壊で変わらざるをえない。しかし、なお「戦後日本の国体」を維持 しつづける施策が取られている。 著者は、自衛隊が国際法にしたがって合法に活動するかぎり、9条の「交戦権」行使に はならないという。国際社会の一員として、国連PKO 活動にもっと積極的に関わってい く存在として、自衛隊の合憲性を認める9条改憲に賛成している。 ▼「抵抗の憲法学」とは 戦前の東大法学部系の憲法学者、美濃部達吉の「天皇機関説事件」がトラウマになっ て、戦後の憲法学は、国民の味方に立ち、権力者を措定して敵対するかたちをとることに なった。これが「抵抗の憲法学」だ、という。さらに宮沢俊義の唱えた「八月革命」(ポ ツダム宣言受諾によって、主権が天皇から国民に移行したとする説)によって、実際の憲 法制定権力者であったアメリカの存在を消し去ることに成功した。そのことで日本の憲法 学を自律的なものとすることができたわけだ。 また、「抵抗の憲法学」は、国際法にも抵抗してきた。集団安全保障、個別的・集団的 安全保障を否定して、9条を比類のない徹底した戦争否定の態度を打ち出したもので、国 際法規や他の憲法にないものだとする(芦部信喜『憲法』)。憲法と国際条約の関係では 「憲法優位説」を主張する。逆に、9条が国際法によって骨抜きにされないようにするた めの防波堤だと考えるようになる。また、アメリカへの猜疑心があるためか、憲法とアメ リカ主導でつくられた国連憲章、国際法の調和的関係まで憲法学者は懐疑的だという。 著者は、大学生の頃から難民支援NGO 活動や 1993 年にはカンボジア PKO 要員として 選挙監視に参加した。研究者として、アフリカ、アジアなどの紛争地の平和構築に携わっ てきた。平和構築に自衛隊がもっと積極的に関わるべきだという考えがある。しかし、こ うした憲法論議に一般の人たちがどこまでついていけるのか疑問である。国際協調主義は よいが、日米同盟は相変わらずジュニア・パートナーというか、アメリカの言いなりであ り、日米地位協定すら一度も変えられない強固な関係が続いている。アメリカ依存から、