︵こ
筆者はさきに、数次の政令に於て日附貨幣の特破、その蜜例並にその簡罫な珊論的根接を嘉した。而して日附
貨簡に封する世の興味は漸次高ま・りつ1あるかに見える。殊にフィッシャー数段が之に興味を持ち、時乏に開 ︵lこ 詮するに於て二倍世人の注意を喚起しつ∼ある械である。併し従来白附貨幣が紹介され、論究されて居る場合を 見るに、概して時事問題的に簡単に取扱はれてゐる場合が多い。然るに日附貨幣の着想は既に数十年前に於て蟄 ︵≡︶ 表されたるものにして、その磯案着 たるジルヴイオ・ゲゼル︵彼は日附貨幣といはす自由貨幣と呼んでゐる︶は常に倦ます撹ますその思想の宜俸に努めて衆た。夫故に著し嘗人が日附貨幣のことむ論ぜんとせば〓鑑ほ必すゲゼ
ルの門を叩き、その思想を嘉はねばならぬわけである。併し乍ら寮嘗に於ては僅かに猫過と瑞酉の二ケ問以外の
囲に於ては、日附貨幣に就いて未だ多くの研究が行はれてゐない。此の際に蕾つて筆者は発づゲゼルの所詮に耳
を傾けて璃き、厳に又他の賛否補論を励み、而して2が所見を明かにしたい希望を持ってゐる1併し吾人は日附 日附豊滞の理論的根城日野貨衝の理論的根揚
︵三五︶ 三五茂
︵三ハ︶=二ハ 第九巻 第 山 銭 貸幣の簡単なる訟明は新聞に雑誌に後見し得れども、ゲゼルの思想の全豹を兢ふに足る如き叙述の邦文を以て震 かれてゐるの払渡見しないが故に、筆者は本稿に於て、先以て此の別に主力を注ぎたいと思ふ。 ︵四︶ ゲゼルの思想、殊に日附貨幣︵自由貨幣︶の思想はその軍人性的紆臍制準正詳述されてゐるが、菊版約四百頁 の同書を限られたる紙面に於て全課畿表することは不可能なるが故に、吾人常面の目的に直接関係のある同書の ︵五︶ 第三部と第四軌を詳述したいと思ふ。特に詳述の形式をとるはゲゼルの叙述の梢冗長なるを簡約にする焉めと、 その思想を誤りなく侍へんとの努力を彿ひつ1も、仙般的理解を希求するが焉めである。 ︵こ 高埜偽商畢友食詰﹁白峰﹂第十入輩併職の拙文﹁宜俸の使命1経済叙鹿魔としての日附貨幣﹂ 通貨制皮研究合致術﹁贈兼の道化風刺度﹂斬弧の拙文︵払なし︶ 経済従来昭和九年二月琉所蔵の拙文﹁商品ドル案と日附貨幣案﹂等 ⊥二︶ 亨孟F訂訂r−B00∃Saコ止Depr旬SSぎニ8N・姐に≡星○コ二豊山参照 ︵三︶ SニくiOG2Se=はS−・≦−卜︵ヨaぎ2dy︶に生れ、Ed2コb2昌−aコieコ賢呉PrOく・Braコd2コbu﹁巴に於て岬九三〇年三 月十二日に殺す0彼は商用にてアルゼンチンに重り同園の罵幣制度にホ唆を待て自由化量寄を思付いた。その故初の 著葦は次の如し。 ロ訂刀eぎヨat5・コぎM富zweseコa−sBruckeNuヨSONをeコStaat・BueコOS⊇﹁es・⊥思−・ ヽ ︵四︶ SニくすGes2=もi2コa萱⋮cト2W嘉∩卜a諾Ordコuコ仏コaChFr2ニaコはuコdF−2百蓋∴ござfLエOnhh2ぎ嘉−・ Eコ隻shtraコS家名byP‖Pye.↓heZaturaiEc。コ。ヨ仙cOrde:爵p 蕊忙所謂コa冒一字eとは人間の本性に適合したといふ意味を衷はすものであるが故に︵第三版の序文金網︶之を﹁人
柏的﹂と謬した。
︵五︶ 讐二部及び菟四郡の題目は次の如くであり、共に一九叫山年の執筆忙かゝるものゝ如くである。
芦↓eニ、三eta〒uコd Pap訂r笥芦 ロas Ge−d wie es已.
︼<−↓eニーFre茸e声Das Ge瓦w訂es sei⊃SOニ亡⊃d seぎk当コ.
金属貨幣と紙幣
︼ 貨鮮の本性を解明す
貨幣の本質は貨幣耐の刻印を以て判定することはできない。暫時のプロシヤのクーレル貸には二二十クーレル 中に純銀表皮を包含す︵uO↓賢eコtha誉三ぎdF2をーb川こといふ様に純銀の含有量が表示してあつたが今 日の猫逸貨幣には之がない。そは之を除いた方が好都合だつたからである。若し三十クーレルと純銀表皮とが 同じであるとすれぼ、クーレルは銀を計量する馬めの単位にすぎないことになつて、この銀とクーレル貨とを概 念上院則することができなくなつて仕舞ふ。従つて叉銀の靡貸など1いふことは不可能事となつてしまふわけで ぁる。節し銀とクーレル貨とは別筒のものであつて、それは恰かも仙山の煉瓦と之を以つて作った家との関係に 化すべきものである。而してクーレル貸は造幣局で作られ空製品であるが銀はその材料にすぎぬ。そこで銀の 自由苺遁機を剥奪Lてみると、クーレル貨は鉄でもあつたが亦貨幣でもあイたといふことがわかり、貨幣の膿を 日附炭塵の理論的根捷 ︵三七︶ 三七別にして貸幣の覗のあることがわかった。 叉之までは自由鋳造樺が閑家の定めた法律であつて、立法者の意思により弄右され得るものであることを知ら なかったが、今や法律がクーレルを作り又法律が之を厳することを知った。菟に於て貨幣たるの特樺は山金属陀 内在してゐるものではなく、汝律によりどの金屠にも移輔し、附興せられるものであることがわかつて釆た。 次に銀行券の巷l前には支彿の約束をなした文言が記載してあつて、貨幣論はこの支梯の薦めに銀行券が流通す るのであるとなすが、併し此の銀行券が不換紙幣となつても侮流通するのである、之は如何にして可能である 。 銀窄葬は敏行銀行並にその背後にある閑寂の依務を表明してゐる、然るに此の銀行券といふ債務詮苔は他の債 汚辞書例へぼ依券や手形と興った一の特徴を縛ってゐる、それは後者に於てはその所持人︵債棟者︶が債務者から 利子を受取るのであるが、前者にあつてはその後行者たる債務者に利子の収入があるのである?然かも公債など は額面金融以下の相場を有しでゐるのに銀行券は額面通りに流通するのである。然かも現今の法律と僚幣論とは 之等両種のものを共に同山の債務者によつてなされた文雄の約束であるとなしてゐる。かくも矛盾した法律と似 両非科挙的理論とを叫掃してしまはねぼならぬ。 扱て然らば銀行券の替行者をして利子を受取る債棟者となし、その所有者をして利子を安沸ふ債務者となす力 は何虚から生するのか。そは銀行券をして貸簡たらしめる特榛がこの奇蹟を行ってゐるのである。失政吾々は此 第九春 希一班 ︵≡八︶ ≡八
の特櫻の本質をもつと詳細に研究しなけれぼならぬ.。 二、賃鮮の不可映性ざ賃酵素材に射する民衆の無関心 吾人が消費する以上に財を生産し織るのは分党のおかげである。これによつて吾人は駐接生活必需品を攫得す るてとにのみ淡々とせすして、生夜手段を作る璃めに努力し得るのである。 生産潜の生産する物は多くは自家用の使用口朋や拘費物ではなくして大抵は販資する薦めのものである、殊に工 葉製品については此の事情が頼着である。大政に若し放資過程に故障が放ると労働も商品も共に打撃を受けるの であを。然るにこの労働の所産たる物の販賛、即ち交揆には貨幣が介在する。此の貨幣を媒介とすることなくし て如何なる商品と雄も消費者の手許へ行くことはできない。勿論物乍交換に依る分業製盃の底分も全く不可能と いふわけで虻ないが、併し之は至極他介なもので生産者はか1る面倒を惹き起す様な製品を作るよりもむしろ仕 事を止めてしまふであらう。 かくして商品は貸簡に勤して放資されなけれぼならぬ、従つて商品の僻赤鼻に礁じた丈けの貨幣が需要される わけである。而して分業が進めぼ進む程賃幣は⋮暦不可快のものとなつて来る。 併し乍ら此の交換の媒介をなすものは金や銀に限ることはない、その素材の如何に拘らす貨幣であればよい、 大政に繊維を以って作った紙幣も亦この交換を妓介し得るわけである。 日附貨幣の理論的根疲 ︵三九︶ 三九 ▲一
︵四〇︶ 四〇 第九啓 発 仙 渋 ところが金本位論は内在的僧侶を有するものでなけれぼ交換手段たり行ないと考へて、紙幣は僅かに允換の約 先により交換手段となり得てゐるのである、故に若しこの免換の約束が撤回されると全ての紙筒は反古紙となる、 よつてこの紙幣を支持してゐるのは単なる倖承的慣値︵註er富鷲コerWert︶に外ならない。之は恰かも船荷詑穿と その許容により代表されてゐる貨物との開係の如きものであつて、若しその貨物が滅失すれぼその蹄荷紆穿の慣 倦も消滅してしまふのに等しいとなす。 然るに寄警に於ては紙幣のみ流通してゐる阿がある。然かもそれが数百篤といふ#叡に達してゐる。若し紙筒 が幻想的なものに過ぎないとすればこの数百萬といふ数最も幻想的なものとなつてしまふ。かくてかゝる幻想的 な紙幣を厳し他のものを以て代らしむべきか、或はむしろその慣値論が幻数的なのか。
三 所 謂 ﹁償 億﹂
本箇に於けるゲゼルの論述は、故初ヘルフェリツヒ︵Kaニュe一替ich︶とアーレント︵Ott。空e。dt︶の史寮を引用 し、此の雨着をいはゞ代表的なる金属論者となし、之に封する反駁を以て始められてゐる。 此の二人の論者はやかましい﹁憤借問題﹂や﹁慣値研究﹂や﹁慣髄論﹂を知らず顔に登返應に﹁何倍﹂といふ育英を 用ひてゐる。此の両人にとつては次の如き字句、即ち﹁慣倍素材︵Wer什st。f〇﹂、﹁素材横倍︵StOぎert︶﹂、﹁内在的慣 伯︵ぎコ2r2rWerC﹂、.﹁慣値不野性︵We−tbest賢d質ee﹂、﹁慣値測度︵WertヨaSSヒ、﹁頂値保有封︵芳rtbew。hr。r︶﹂、﹁慣値配布︵WertkOコSe﹁くe︶﹂、﹁慣倍化石物︵Wert竹邑refakt︶﹂、﹁憤値貯赦︵Wertspeinhヱ﹂、﹁何倍移樽手段︵WerT訝コSpCrt・ ヨ≡e−︶﹂といふ如き字句がはつきり区別されてゐない。 慣他の本性を知らんとする者はゴツトルの﹁慣健児想﹂ ︵GO苧Ott≡訂コfe己こ﹀DerW2−tge計コkeu e︻コ<erh蔓tes ロ○山ヨa告r2atざコa一穿○コ○∃芯・ご︶を読むがよい。同教授は慣惜を幻想であり、室想の所産にすぎないとしてゐる。 凡掛る論者は惰値諭を以て経済上極めて盈要なものであるとなすが、若し之が車間上賓要なものであるならば 嘗生活に於ても重要なものでなければならぬ、然るに寮生活に於ては慣偲諭など一向わかつてゐないのであつて 佗格を問題にしてゐるのである。吾人は慣備を以ては評定するだけであるが、偶祐を以ては渕建をする。之が弼 者の陸別の存する應であり、従って叉憤柏の本質に関する説明は慣格にも慣侭にも適再するヱとができるのであ る。それ以外の﹁慣他論﹂は無用の長物である。 かくて償倍は幻想であり、叉ポエーム・バグエルク︵BOehヨ・B等erkしが﹁敬限りなき努力がなされたにも拘らず、 債佑論は粍臍塾申妓も不明瞭な、敢も混乱した、故も議論の多い部分セあつたし叉現にさうである﹂といつたの も尤もである。 現苦の経済生活に於ては容想を入れて竃く様な場桝がない、容想は無に掃してしまふべきものである。此の姦 忽的慣値を土姦として作り上げた串間は成長Lても結局賽想になり経り、現蜜の賞を結ぶことができない。.それ 政にこの憤髄論を士嘉としてゐ尭紅臍蓼は今以て利子諭庵賃銀論も地代論も恐慌論も貨幣論も作り上げてゐない 日附貨幣の理論的根城 品二︶ m竺 舶
ではないか、叉たとへ作り上げ梯としても駄目である。そんな啓開には散れ∵八として倍煩せぬであらう。 叉敢合主義者の頭の中にも偶借といふ妖怪が出没してゐる。叉世人は慣値論がよくわからないので呆然自失し てゐるのである。その間に慣佑論は理論上にも嘗際上にも多大の害毒を流したのである。 如何なる慣値論でも之を土養としてそこから出敬して行った健幣政策は無数であり、無力であつた。貨幣の﹁内 布憤値﹂でどんな政策が施せたか。憤倍といふ安想があるが馬めに貨幣制度の進歩を妨げたこと幾何であるか知 れぬ。かくして何故今日四千年前と同様の貨幣制度を罵守してゐるかは詮明するまでもない。少くとも貨幣理論 は依然琶態を改めね、然るに事賛上はひそかに紙職制度に移ってゐる。併しこの凄は漁れにも知らせてはならな いのだ。そは苦し教授蓮が之を聞きつけるとその寵ろきの飴りどんなことをしでかすかも知れないからである。 そは彼等の考では紙幣即ち内在的偶伯のない貨幣は不可態であり、不吋態事は崩壊するにきまつてゐるからであ る〇 四 紙を以で貨幣を造り得るや 晋 只 事 論者は内在的慣他のない紙幣は不可能だといふが寄壌に於ては之が大いに流通してゐる。而して金貨の全然な い閥さへもある。否殆んど全ての開に於て通貨は紙幣であのて、金属貨幣ではない。元来貨幣素材は何であつて 第九聡 第 山 舵 ︵四二︶ 四二
もそれが貨幣たるに差支ない。従つて紙を以て貨幣となすことができる、この紙幣をして紙簡たらしめてゐる力 は紙侍所に記載されてゐる支沸︵即ち允摸︶の約束に基いて生ずるものでもなく、叉紙常磯行の準備となつてゐる 金魔から来るものでもない。この力は後に詮く様に商業界以外から氷てゐるのである。 かく紙幣が貸簡たる朋以は支沸の紛束でもその準備金によるのでもないから、紙幣面の支彿の約束を排除して 只硝峯に、叫クーレルとか〓卿克とかこ心とか州法とか話して置けぼよい、或はもう少し字数を増して書くとす れば、 本券を以て一夕ーレルとす。 とか或は、 本券は商業上並に圃庫に封し文数判朗に於て草クーレルとして通用す。 など,1話しておけぽよい。 それはとに角かの紙幣をして貸簡たらしめてゐる力は何鹿から来るか之を女頓に於て述べる。 Bこの事晋の説明 各人が財を生席するのは自ら消費する蔑めではなくして之を以て他のものと交換する薦めである。而して此の 交換の見込が遜れぼ分業をわふ、分業が宥はれる以上は物々交換はできないからしておのづから交竣の妹介着た る貸篠が必要となつて来る。此の交換手段として選ばれたものは之を自由に造山させてはならぬ。若し之が追出 日附庶懲の捜論的根凍 ︵四三︶ 四三
弟九巻 第一鍍
︵四囲︶ 四囲 を放任するときは貨幣制度が混乱して米て経ひに物々交換に逆戻りをしてしまふ。そこで観衆が之を統制する。 或物が貨幣として認められるときには周家磯紬の刻印が之に押されてゐる。貨幣は全て固定貨幣であり、黙らざ るもの牒贋簡ではない。現在では貨幣用金儀の生産が自由であり、自由鋳造構が認められてゐるので、貨幣達也 の自由を禁止してその統制を問つてゐる。 貨幣の材料は何でもよい、蓼は閑寂が之を貸簡となすや否やにある。 紙幣を理解するにもその材料に注目し之に囚はれてはならぬ、只之は紋く可からざる交換手段であり図表の保 護を受けてゐるものであるといふことを考へなければならぬ。 貨幣殊に紙幣は商品たるの性質を故も純粋に後押してゐる商品であるといふことができる、そは貨幣殊に紙幣 は交換用商品上してのみ有用なものである、大政世人は貨幣を買取って之をエ場や姦桝で消費しやうと闇しない のである。 貨幣隼氷久に商品であつて、そが交換用商品である鮎にその効用が存してゐるのである。然るに貨幣以外の商 品は何時かは滑費される、故に貨幣特に紙幣は唯劇の有用商品︵dieein茸コ監∼〓cごeWa−eしである。 紙幣諭甚於ては之等の問題を諭すべきであつたのにも拘らず従来の紙幣論者達は之を論じてゐない。彼等には 抑々貨幣はその材料の如何を問はず貨幣それ自牌として有用なものであり、不可紋のものであるといふ.ことが充 分わかつてゐなかつたのであり、従つて叉貨幣職能とは無関係な金とか利子とか小変とか労働とか土地といふが如きものを貨幣所有者に輿へる約束を紙幣面に記載しなけれぼ気がすまなかつたのである。そして商品の交換を
可能ならしめるといふ機能だけでは不充分だと考へてゐたのである。
然るに之が例外をなすものとして余はこ八六九年にべノス・アイレス州で潜行された紙微を知ってゐる、之は
その紙そのものが貨簡なりとされてゐて兜換の約束がない。その文面たは次の如く託してあつた。
﹁a PrOVぎ∩訂de B亡eコOS主宰eS
recOコOCeeSte B≡ete pOr
uコPeSO
ヨ○コeda cOrrie⊃te.10EコerO de︼無声
詩文−ぺノス・アイレス州は本券を劇ペソ囲貨と認む。 此の文言は一の達見に基くものか、或は現在のアルゼンチンの貨幣に記叔されてゐる魔の﹁本券の所持人には 幾干のベリを紙筒を以て叫党排す﹂といふ意味の文言︵﹁a2ac訂コPa笥raa−pOrtadOrya−a<istaypOrヨ整n Bann。計iaZa︵ぎ︼8謬s。S∃。コe旨コaCぎa一︶と同様窮酸の叫究に川てたものか知らない。と砿角この後の場 合の園貸︵三〇コeda⊃○︹iO蔓︶といふのは紙幣忙過ぎないのであるから、之は明かにノンセンスである。即ち樹立銀 行は允換の馬めに提出された紙幣と同じ紙幣を沸渡す約束をしてゐるのである。 背から現代に至るまで次の様な提案がなされてゐる、▼即ち園家が圃民の土地全部を買取るに必要な丈けの紙幣 日附貨僻の理論的根城 ︵四五︶ 四五
︵四六︶ 四六 第九容 男 山 渋 を敢行すれば地代を如何にして圃民に閲すぺきかといふ主婁な酢禽醸恋着二櫨にして解決し得るとなす。此の際 土地は紙筒の畿行準備となるのであつて、紙幣と引換に土地が引渡されるのではない。此の捉案に於ては商晶の 交換をなすことが紙筒の重職能であり、若し此の職能が保謹されてゐたならば他の詔の蹴能はあつてもなく七も まいものだといふことが看過されてゐるのであつて、この提案がいかに馬鹿々々Lいものがあるかゞわかる。 尭木賃飴素材は貨幣の存在を明かにし之を日に見える様にすれぼ足りるのであつて、此の目的の焉めには嵩の 少いもの程よい、金が銀より烏貨幣素材としてよいといふのは此の意味に於てゞある。貨幣以外の財に於ては多 けれぼ多い程よいといひ得るが貨幣に於ては少なければ少ない梓よいといひ得る。 叉貨幣素材として通常な物質はその用途の少いもの程よいのである、金は工業用に叉農業用にその用途が極め て少いから貨幣素材として多大の数能がある、紙幣に於ては一段とその放がある、紙幣制度の要諦は記に此の鮎 に存する。
五 紙幣の保澄ご損保
前節に於て漸く芽を出して米た紙幣に関する新しく苦々しい舶念を、鼓に庇護して育て1やらなければならな い。 兜づ紙幣は可能であるのみならず、それ笹は檎昧が備はつてをり且つそれが併設を持つてゐることを詮明Lなければならない。即ち余儀貨幣は之を鋳造夜行してゐる閥家が図法女手犯することなくして厳正することができ るのであるが、紙幣は観衆や図民とその運命及共にするものであることを立諾しょう。 著し閥家が金から貨幣としての猫占的性質を剥奪したとするならば、金の憤格は暴落するであらう、併し粗衣 はか1ることをしないといふ保讃を輿へてゐない。何時か1る方鷺に出でるかも知れない。之は眈に銀の厳偶に ょって営々の経験したところである。されば恨令金属貸特であつてもその確嘗牲即ち之が保護はないといはなけ ればならない。 加之若し金貨の外に紙弊や銀貨が流通してゐると所謂グレシャムの法則の葦動をみてこの際良貨たる金菅は悪 貨たる紙幣や鋏貨に駆逐されてしまふことがある。之は各問の不横紙幣の歴史の教へてゐるところであつて、こ の場合には金はその金凝といふ性質を有しっ∼も紙に封して封抗することができないのである。 今グレシャムの法則を度外視するも、金範の合宿偲が一腰離れに俣誇を由へてゐるのかといへば、それは流通 界にある四五十憶跡見の金貨を愈く入手した人にその保誇を輿へてゐる丈けである、然るに囲債や質詮券や手形 などの債務紙一観は仙兆腑克もあるのであつて、之忙勤して闘∬十億の金の如き■は物の敬でもない、之ぼかりの金 では何の保護にもならぬのである。斯くの如き閣僚や質謹券に書いてある狗逸の本位貨幣たる飾寛が何を意味す るかを規定してゐるのは法律であつて、金魔の含有畳がその肺先の保護を輿へてゐるのではない。 然らば金属貨幣の保謹は何虚に存するか。元来貨幣は観衆を必数とする、観衆なくして貨幣はない、一叉闘家の 日附貨幣の理論的根城 ︵四七︶ 四七
セメント 基礎は貨幣を採用して定まる。貨幣は園民を結合さす有力な接合剤である。ローマ帝国の統劃はローマの貨幣に 侠つこと甚だ大である。金銀が消費し轟され、金銀貨幣の錯也が行はれなくなつてローマ帝閲は分裂した。 斯くの如く貨幣は閑寂にとり不可快のものであり、従って叉この貨幣統制健を囲豪がどうしても葦般しなけれ ぼならぬことゝなり、裁に閲家が貨幣に封し癖眼の支配権を獲得することゝなつた。此の絶大な圃豪権力の前に あつては金属の含有量の如きは夙に吹き飛ぶ株数の如きものである。大政に貸簡を保護しその確資性を保讃する のは開家である。 かく金属貨幣について云ひ得る事柄は紙筒についても同様に云ひ得る。紙幣の材料たる紙はその紙筒の所有者 にもその紙幣に封する請求撥を持ってゐる者︵閥低所有督や手形倍横着など︶にも何等の昧謹を輿へるものではな い、只国家のみが此の保護を輿へ各のである。 観家は允きに述べた如くいつでも金から貨幣の特権を剥奪することができる、之に比べると紙幣の法律上の地 位は憾めて張間なるものである。問豪が紙幣を智行するとそれと交換して何物かを得てゐる、その何物かを問豪 は紙幣朋有着から借りてゐるわけである。若し国家が紙幣の貨幣たる特樺を剥奪しょうとするならばその借りて ゐる何物かを桝済しなければならぬわけである。 猫逸隣家はクーレル貸の貨幣としての特権を剥奪した略その代償として新貨幣肺克を輿へたのでターレル貸の 所有者は何等損失を蒙ることがなかつた、閲家は法律上か1る代償の溢務を杓ってゐるわけではないが、か1る 弟九怨 第 山 渋 ︵四八︶ 四八
養務を履行する正富なる理由がある。例へば国家が人民に和税を課し且つターレル銀貨で之を支沸ふことを要求 したとする、その際仙人の農夫がゐて自分には銀貨は全く不用であるが租税を納付する蔑めに牝を仙匹穿つて銀 貸を得、之を以て租税を約めたとする、その牝の代金中租税納入忙用ひた残りの銀貨は此の澄夫にとつては全く 不用であるから閥家はその確りのターレル銀貨を費ることの出来る保詮を輿へなけれぼならぬ養務がある、此の 養務から代償の義按も誘導し得るのである。 然るに若し此の農夫が銀で借金をしてゐたが金本扱が採用されて銀の慣格が以前の年分になつたとすれぼ、此 の農夫ぬ契約通りの銀で、即ち銀仙封度の三十分の一が一夕ーレルに相督するのでその割合で計算して銀稚金で 此の債務を返済しょうとするだらう。之が契約に忠賓なる所以であるだらう。 金廃貨幣にはか1る不碓塚さが件ふのであるが紙幣には之がない。元来国家の代償義持を明示する棟な法律も なく、叉解繹上之の認められる櫨な法律もなく、叉この代償義務を欝泣する様な議論もない。かゝることをやか ましく云ふのは寧ろ快くるところあるむ認めてゐるものといはねぼならぬ。紙館は麟民が国家に封して抱いてゐ る思想や利啓と同程度に確蟹なものであるから代償の義務など云々する要はない、即ち紙幣は囲家と運命を共に するのである。 貨幣には閑寂のこの絶封的健力に基いて生ずる精締約保詮の他に﹁瘡保﹂、即ち経済的保謹が必要とされる。金 屠論者は、仮令樹家がその有する樵力を善用し、之を濫由することがなくても、之だけでは金魔貨幣の製造に使 日附蟹件の理論的根城 ︵四九︶ 四九
︵五〇︶ 混○ 発九巻 第 W 戟 用された金属を取戻し得る据置が輿へられてゐるとはいへ′ないといふ。そして余儀貨幣には﹁内在的憫値﹂があつ て、金属貨幣そのも∼中にこの保詮を典へる様な﹁措保﹂が傭へられてゐるが、紙幣にはか1る揖保はないとい ● ふ。 併し仔細に考へて見ると金愚貨幣でも充分な櫓保を持ってゐるわけではない、その詑嬢には駿貨となつた銀貨 の所有者は之を新貨簡と引礫へるではないか、若し充分な堵保があるとすれぼ、か1る引換の必要はないわけで ある。 世人が貨幣の嫁保といふときには、使用財の所有者が之を使用する際に生する嘩の故用を考へてゐるのであつ て、この効用は貨幣素材によつて得られるものである。著しこの横倍素材が何等かの効用を翳らすこと1なれば それは故卑貨幣ではなくなる。貨幣素材の敗用が必要であるならば、それを熔かして地金とすれぼよい、併しそ れでは貨幣としての存在を失ふ、然かも貨幣は不吋紋なものである、大紋に貨幣を油耗することはできないので ある。 世に分業が行はれ、生産者にとつては不用な商品が製造されてゐる限りは、之が交換手段たる餞幣をどうして も使用しなければならぬ、従つて貸幣の需婁近永久的なものだ。然るに此の交換手段が滑托される可能恍を商っ てゐるといふことは、分柴忙とり叉商品の交携により危険なことではないか。かく考へ来るならば上述した様な 貨幣の揖保などゝいふものは存在卜得ないわけである。貸幣を揖保しその経済上の需要を保諾するものは貨幣の
素材ではなくして、その交竣手段たるの職能である。
分業が行はれるからこそ商品が生威され、商品の供給があるからこそその交換手段たる償愕が需要されるので
ぁる。この貨幣の需婁が貨幣の虞の婚保である。その素材の如きは開ふ鷹ではない。かくして分業と商品と貨幣
の婚保とこの三つの者は異名同館である。
六 貨幣の侶格は如何にあるべきか以上に於て貨幣たる紙は然らざる紙よりも大なる憤格を有し得ることを詳述したのであるが、次に然らば紙幣
の慣格はその材料たる紙よりどれ程高く定むペきか、即ち貨幣と商品主の比率を如何に定むべきかの問題が生ず
る0 人々は響mを渡して貨幣を得、貨幣を渡して商品を得るのであるから貨幣憤格の攣動の如きはあまり開超にはならぬ様にも考へられるが、併しそれでも商品を貨幣に携へ、次にその貨幣を暫苫交換する迄の間に於ける婁
動は之を等閑に附することはできぬであらうし、叉債横倍務を有する者にとつては葡吏之は重大問題である、即
ち例へば債務者にとつては借金を支彿ひ利息を文彿ふ薦めには自分の生産物を何程に登らねぽならぬかといふ問
題となつて現れるのである。更に商業技術の問題として見ても、物慣間魔は商品の交携、郎ち分業の鳩彼の行は
れるか否かといふ経済生活の基礎を決定する重大問題となる。
B附庶衛の理論的根城 ︵五こ 五山葦九啓 発⋮渋
︵要こ 五〓 かくの如く畢大なる貨幣は時と場所とに閲係せす常に同”の慣格を解すペきものである。叉贋幣政策は∵筒人 の利寄に囚はれることなく、営々の紅臍生活叫般の利害を目概としてわふべきものである。 七 貨幣直情格は如何にして精密に定められるか 発つ玄に貨幣の同格といふのは一定額の貨幣と交換する馬めに引渡さなければならぬ商品蚤をいふのである。 さて著し貨幣の惰格が一定不欒のものであるペきだとするなら瞥現にそれが∵㌍してゐるといふことから詔明 してかゝらなけれぼならぬ。若し此の鐙眠ができないとするならば低横着や債務者は不満を感じてその慣格の引 上げや引下げを婁求するだらう。その不平の輩を静めるのにはどうしても貨幣の憫格が欒勤して居らないことを 語明してやらなければならぬ。 兎釆貸奮の償格は商品せ云ひ表はされるので、臥品の種顆と教凝とに應じて色々の言ひ素はし方がある。然る に商品の慣格は貨幣覇で簡単に云ひ表はされるっそこで貨幣憤格の轡勤を確かめるには、各場合に於ける商品の 平均慣格を決定して之を比較する方が僻利である。併し嘗際にはこの商品の平均慣格を算定することは困難であ る、従って従来からある物慣指数は甚だ不完全なものたるを免れない、併し之に代るものがないので之を以て満 足するより他仕方がたい。 八 紙幣の憤格ほ如何にして定まるか鶴品の交換比率は之を生産するのに要した労働濃によつて定まるといふ鎗は紙幣に適用することはできない。
紙幣には憤格はあるが、﹁憤借﹂はない、紙幣の製造にはとり立て1云ふ樺の努働が投ぜられてはゐない。紙幣は 労働の′エキス︵富“茸。寿什e︶ではない、紙幣に墜低値素材﹂もなけれぼ、﹁内部﹂偶佃も外部僧侶もない、従つて紙幣琴慣値貯戯﹂とか﹁偶値保空とか﹁慣倍移相手讐たるの職能を果すことができない、叉慣倍以上に評慣
されるとか慣値以下に許慣され渇こともない。紙倦の憤格はその﹁慣借を蚤心として振子運動をする﹂頗なことを
しない。
紙衛は礪自の途を進んで行くのである、即ちそは憤格を決定する力を有する需邸供給といふ唯叫の主人に従ふの
みである。
さて兜づ貨幣の需婁とは何ぞやといふに、之に封して矛惜した色々の返答が典へられる。汲も普通に輿へられ
る返答は次の如くである、即ち企発着や商人が鈍行で手形の割引をして貰ふ主が貸幣の需婁である。此の貨幣の
需要が増加すれば利率が高まる、大赦利率によつて貨幣の需安を測定することができる。闘家も亦預算の均衡を
阿ることのできぬ場合に借入金をなし、貨幣の需要を惹き起す、乞食とても亦同様に貨幣を需要するのである。
併し之は交換手段としての貨幣概念と姦したところの需要ではない、之はむしろ支執事段の鋼建といふ意味
での貨幣の需要である、従つて之を鼠の貨幣の需要といふことはできない。
需妥といふ場合には安換に際して何物かを引渡トてその代りに何物かを受取るといふことでなければならぬ、
日湘箆階の理論的根凍 ︵五三︶ 五≡︵五四︶ 五四
第九啓 発一光
然るに手形割引に放ては支彿の約束以外に何物をも引渡さなぃのに貸簡の需要といふことはいへない筈である用 閑寂の借入金にしても同様である。之は貨幣の入質Ce−註e旨ごであつて、貨幣の需要︵Ge亨。︵hfr。Se︶ではない。 貨幣の入要は利率を以て測定されるが、賛幣の常嬰は偶格を以て測定されるのであつて此の雨着は区別するを屡 する。而して茹では上述の音昧での貨幣の需嬰を諭するのである。 需要は供給と相合して、偶格即ち骨髄と財との交換比率を決窟するものである、然らば貨幣の需要をなすもの は何ぞやといふに、それは物質である、即ち分業から不断に流れて出て氷る商品である。 次に然らは商品の供給とは何であるか、之が内容を規定しなければならぬ。 貨幣を多く持ってゐる人は多くの貨幣を提供しなければならぬし、之を少く持つてゐる人は之を少く鴇供しな ければならぬ。世人がこの貸簡の捉供即ち供給を呼んで商品の需要といつてゐるのはjEしい。商品が多くあれば 貨幣の需要は大である、従って貸偶の多い場合には之の少い場合よりも商品の需要は多いとい払得る。尤も之に は多少の制限を附さなけれぼならぬがそのことは直ぐ後に述べる。 さて然らば貨幣の供給によつて示される以外に商品の需要があるか。之に答るに祭っては党づ商品に就いても 需要と入質との直別を設けて考へなけれぼならぬ。商品を入質する者は繹山あるであらうが、貨幣を提供する者 のみが商品の需要をなすのである。要する紅顔品の需要は貨幣の供給にょつて成立する、従って貸倦を有せぬ者 には商品の需要はなく、貨幣を有する者は商品の需嬰を起さねばならぬっ︵かくしなけれでならぬ理由は之を後に詮明する︶。故に冨額の貨幣がある差は多大の商品需要があるといふ意味である。新しい金山が蔑見されたな らば商品の需要を増し、紙幣本位閲が紙幣を増賛すれぼ商品需要が増大し物情が騰貴する。若し全ての人が銀行 券や政府紙幣や命貸を年分笹切り、その年分身こぺの完全なものとして使用する構利が輿へられたとすれぼ、そ れに應じて商品の需要や憤絡も二倍になるだらう。 更に進んで貨幣の供給と貸幣の僻春風とは間電義のものであるかどうか、即ち貨糖の布窓且を欝定すれぼそれ によつて貨幣の供給盈を算定したことになるかどうかを考へてみよう。之は常々の間電を解く上に蔵めて重要な 堺項であるから節を新たにして諭すること1する。
九 需要供給に及ぼす影響
商品は市場へ向けて生産され、その生産者は之を交揆の目的物となすのである、大政に商品の鋒稀有はその商 品を手許に止めて震いたのでは無益であるから常に之を手離さうとする、従つて商品についてはその併給と存在 莱とが相二激するのである. 而して商品の存在畳は次の二翠素によつて影響を受ける、即ち 血、分業即ち商品の生産により市場に流入し来り 二、交換の完了により市場から流用して行く 日附貨幣の理論的根城 ︵五五︶ 五五︵五六︶ 五六 第九啓 発 山 鍍 此の商品の流大流出に欒化がなけれぼ、その供給即ち貨幣の需要にも轡動がないわけである。併し革質に於て は不断に人口即ち労働者の増加することにより、或は分業の椀大によつて商品の市場への流入は増加するのであ る。商品の流入が増加すれぼ貨幣の需要はそれ丈け増加する。叉その間に生産方法の改良も施される。 併し乍ら商品の供給は単にその畳のみによつて測定せすその質をも考慮に入れなけれぼならぬ。同じ小変劇噸 でも二等晶は二等品よりも多くの貨幣む需要する。而して品質は不断に改良されつゝある。 次に綻乗用途のなかった材料に勤して多くの新用途が帝見されると商品の流入は増加する。 併し乍ら貨幣︵交横手段︶の需要は、商品の生産とは無関係な事項によつて影響を受ける。例へぼ財産の分配が 行はれると従来滑資財であつたものが多く商品になることがある、公有地を靴下げる如きもその一例である。叉 乏によつて地代や利息が彿はれる様になり多くの貨幣を必要とする。 人々が自分で建てた小屋に住まないで借家をする倭になつたり、叉都市などで供給寄柴が営まれる様になると 貨幣の需要を増す。 只此庭に注資しなけれぼならぬのは、何物と雄も買手の虚へ之を持って行か恵けれぼ商品とはならないといふ ことである。山なす鍛石や木材でも搬出されて買手の手に渡るのでなけれぼ貨幣の需要を増さない。 次に貨幣の需要を減少する場合がある、例へぼ労働時間の短縮の如き、哉寧、凶作、流行病の場合の如きであ る○
例示は之位にするが、とに角商品の供給はその市場からの流出にも依存するのである。商品が消費者の手に入 らない中は、商品は供給されてゐるのであり、貨幣が需要されてゐるのである。商品が苗場から流出するとそれ 悪け負幣の需要が減少するのである。斯く如く商品の供給、即ち貨幣の需要は、その商品が買手に買取られる迄 の速さ、換言すれぼ之れが最早商品でなくなる迄の速さによつて左右されるのである。速く買取られゝぼ自然速 く次の商品が供給されること1なる。 商品が交換されて生産者から滑費の手に渡る迄には数多くの商業機開が必要である。而Lて商品が市場から流 刑する速さは之等商溝横綱の有無乃壷はその能率如何に侠つこと大である。今日に於ては南光の技術は殆んど完 全に近い程度に迄畿達Lてゐる、そしてその進歩につれて商品が油資財となる速度を増すのである。今現代の銀 行別庶とか、手形法とか、郵便や電報の制度とか、領事とか、鹿骨術とか、印刷術とか、青年商人を育成する専 門的単校とか、統叫的した庶最術制度や貨幣制度、電話、タイプライター、復籍梯等の便益があり、且つ消費組 合や商店のあることを考へるとき思牛に過ぐるものがあらう。 分業が増大し市場に流入する商品が大になればなる程此の商業棟閥従つて商人の仔務は多きを加へる。若し現 代の商莞検閲がなかったとすれぼ、鹿膵商品は徒らに増加し、貨幣の需挙が均すことであらう。現代に於ても商 菜磯路の或働らき例へば信用制度が破壊されると商品の市場から流出することが遅延し、在塵商品が市場に溢れ ︵生産過剰︶、貨幣需要の逼迫となり物慣の下落となつて終ひに恐慌になることを吾々は屡々経験するのである。 日附貨幣の理論的横磯 ︵五七︶ 五七
信用制度はかくの如く韮要なるものであるから之につき今少しく述べよう。 北きに述べた如く商品の供給は貨簡の需要であるが、茨に著し貸簡を用ひないで商品の交換をなす方法が採用 されたとすれば、かゝる方法に基いて交換された商品畳だけ貨幣の需要を減少すること1なる。即ち此の場合信 用取引が貨幣の代坪をなし之を節約するのである。従つて信用取引が増加すれぼ貨幣の需要は減少し、信用取引 が減少すれぼ貨幣の需姿は増加する。手形や小切手等はこの信用取引を行ふ薦めの手段であつて、此の信用手段 が貨幣に代り之を節約する様なこともあるがそれは信用の隆盛なるときに於てだけである。
l O 貨 幣 の 供 給
貨幣以外の商品は早晩消費財となつて市場を去つて行くのであるが貨幣は只常に資買される丈けである。 商品は貨幣と交換する馬めに存し、貨幣は商品と交換する焉めに存する、従って商品は貸簡の需嬰を意味し、 貨幣は商品の需要を意味する。而して商品は本来要る蔑めに生産されてゐるものであり之を持ってゐて安らぬわ けには行かないからその存在盈は直ちにその供給宜即ち貨幣の需響堅を示すものであるが、貨幣に於てはその存 在盈は直ちにその供給泉即ち商品の需要最を示すものと蜂必ずしも云へない。そは貨幣は之を持ってゐて提供し ないでおくことができる。例へば猫逸の軍資金劇億八千萬肺寛がス.ハンダウ塔の下に四十年間も貯蔵されてゐ た。之は貨幣が馬鈴薯の様に腐敗しないからできたのである。とに角貸幣の存在盈とその供給盈、即ち商品を需 第九巻 欝 劇 就 ︵五入︶ 五入要する畳とは叫致Lない。併し貨幣の貯蔵があれぼ何時かはそれを供給することができるので、貸衛の存在盈は その供給の最大限庶を示すものだといふことは云ひ得られる。而tて叉その存在畳が大なれぼそれの少いと号よ りも概して之が供給も多いといひ得るであらう?
放て菟に於て育英を簡単にする焉め、需蓼供給の語を商品を中心として考へ、革に供給といふときは商品の供
給を意味し、単に需要といふときは商品の需要︵即ち簡幣の供給︶を意味するものとするゥ供給は分共によつて規はれ米牒滑費者の家庭へ杓えて行く∵り流れである。然るに需安は流れではなくして循
環運動むするものである、之が速く廻柑するときはそれ自牌封鎖的であつて又互に相関聯してゐる環の如きもの
として規はれる。又供給は一回の旅行を以て永久に杓えて行く、何時も新鮮な商品により形成されるものである
が。需要は同じ途を何回も旗行し然かも今後同様の族行をつゞける貨幣によつて形成されるのである。
かくの如き比餃封照をなすことにより常賢の堤ふ法則と供給の礎ふ法則との相違する左をさとることができよ
ぅ。叉貸篠は何回廻持してもその慣格は欒化しないのであるが商品はその消費者に至る道の放行に於てその所有
者の手を群る毎に益々大きくなり深くなり高低になる朝貰を見ても締着の相違を知ることができるのである。よ
って前節に於て述べた供給に影響を及ぼす諸の寮情は需要に勤しては適用されない。
供給に封Lて大切なのは豊餞なる自琴熟練せる努働者、完全なる遊具といふが如き生産上の諸事情であるが、 之等は需贅に封Lては無関係である、金は生座されるのではなく準見されるのである、即ち現代人の用ひてゐる 日附葺衛の理論的根墟 ︵五九︶ 五九弟九巻 第 ︼ 渋 ︵六〇︶ 六〇 金は過去の所有者から塘承したものである。この過去から蓄積された金によつて鴬野は多大の彫攣患家るのであ る。叉紙幣にしても人馬的に﹁数行﹂されるもので生産されるものではない。 併し寓畢は貨幣の流通速度により影響を蒙り、此の琉通速度は商発磯閲の改善により影響を受ける、此の鮎は 供給とその揆を∵にする。而して取引朗、手形交換所、手形、小切手などにより貨幣の流通速度は増大する。叉 貯蓄の形態が攣って従来の如く尭の申に入れて置かないで貯蓄銀行に預ける様な場合とか、虞に百貨店にて何物 で凍買へる様になれば流通速度は増大する。 かくして需要は貨幣の存在恩とその流通速度とによつて決定される、この両者の増大に精密に比例して需要は 増大する。 以上述べた事柄は不充分ではあるが、とに角需要と供給とにより物慣の決定される刷般的の模型を示したもの である。之により需姿といひ供給といひ共に架基的なものではなく具鰐的内容を伴ふものであることを知るので ある。即ち供給といふときには単なる取引とか投梯といふものを指さずして嘗質的事物の供給を意味L、需要と いふときには単なる入質を考へてゐるのではなく、吾々が手に取って計算をなすことの出水る貨幣を考へてゐる のである。この貨幣は循環運動を古き、その道勤中に〓蕃蚤の商品を掴んで之を消費者の家へ投げ込むのであ る。鼓に於て吾々はこの貨幣が他の商品を掴む薦めに市琴へ戻って氷る速さによつて需要が影響を受けるのを知 るのである、而し確信を以て次の如くいふ。即ち慣格は需要と供給とにより自・※的に決定されるものであると。
二 現時に於ける貨幣流通の法則
若し吾人が寓蓼と供給が重砲にして唯山の物慣統制着であることを認め、侶髄論は幻想を研究封象とするもの
であることを知り、更に生産は憤格を虜心としてその附近に於て振子運動をなすものである︵その道は虞でない︶ととを考へると、この偶格並びに憤格に影響を及ぼす全てのものが吾人の考察の焦鮎となり、従来糞婆でない様
に思はれてゐた薗噸が非常に重要なものとなつて来る。
かく盈蓼でないものとして看過されてゐたW軍資に次の如きものがある、それは従来の需要︵貨幣の供給︶の方 はたとへ一年おくれても何等直接の損害を受けることはないが、︵商品︶の供給のカはたとへ叫日でも遅滞するとそれだけその所有者に損害を及ぼすといふ寄賛である。
供給となつて硯はれる全ての商品は時の経過と共にその重登や品質を滅癒し、新商品が出水れぼその慣格が†
がり、その他色々の原因による損賓を蒙る主が多い。著しこの損害を免れんとすれぼ之を保険に附するより他仕
方がない。併Lこの商品を陳列しておく店の家賃さへ梯ひ兼ねてゐる商人がかゝる保険を附けて保険料を支沸ふ傲裕があらうわけがない。夫故此の損寄を免れる唯⋮の方法は之を賛ることである。即ちその商品はその斯覇者
を強制して之堅質らしめる。若し之に服従しなければその麗罰・は商品に及び商品は滅失する。
琴似者も亦彼の財産たる労働能力を今日安らなけれぼ永久に沖波してしまふので之を安らんと努力する。
日附貨幣の理論的根凍 ︵六こ 大山第九懇 第 山 親 ︵六二︶ 六二 とに角商品は強制的に供給される、この供給を遅滞させることはできない、この強制的供給に封しその所有者 の意志を以て左右することはできない、慣格の高下や、損得なども問題にならぬ、夫故に商品の供給盈は南口⋮の 存在盟と相等しい。之に反して帝婁はかゝる弘制を受けることがない。駕要を構成する金は全世界の錐産物中で 例外的の地位を占め、自然の破壊力の影響を蒙ることもなく、その貯蔵盈の大なる馬めに新生産によつて影響を 受けることもなく、流行の攣遷もない。 金に封する唯仰の危険は紙幣の採用されることである、併し之とても人民の意志によつて採用されるのであり 且つ徐々に蜜施されるのでその間にこの危険を睨する方法を考へることができる。 かくの如く貨幣と商品、需婁と供給との問に差異の存すのは何故であるか、それは一方は滅失しない金克則るィ のであるが、他方は滅失する商品を繁ること、前者は持崩することができるが後者はそれができないこと、前者 は遅滞しても損失はないが後者はその損失を象ること、従つて商品の所有者は貨幣の所有者に左右されることに ょるのである。ブルードーン︵PrOudbOコ︶の富美を籍りて云へば、金は市場の門を開く経ではなくして之を閉ぎす 閏であるからである。 若し需嬰がその有する自由を活用し、市場から温いたならばどうなるか、その時には供給は舘欝を求めて止ま す、之を市場に引戻さんが馬めに需要に特別の利鎧を擾供するのである。叉舘嬰の雰は此の供給の強制的に行は るゝことを知って此の特別の利益を要求するのである。従つで貨幣を所有せる者が此の特別の報償を壷求Lない
といふことはなく、需要と供給とによつて慣格の決定される吾が粧消制度は隣人の困惑に乗じて利得することを その土盛として築き上げられてゐる。 今恨りに時魔を共にして粉屋と鍛冶屋とがあり、此の納入が粉と釘とを交摸せんとし、之が蔑めに貨幣を川ひ んとしたがその貨幣は村長の鹿分に重ねられてゐるとする。此の場合村長が此の交換の成層又はその時期を尤お する糠能を持ってゐるので、村長、はその樺能に勤して報酬を受けることを要求するだらうし、粉屋と鍛冶屋は交 換をしないでおくよりも多少の報酬を排っても交換を成立させ庇いと思ふに相違ない。かくして現代の貨幣は或 買約ハ穿笥b“︶を受くることによつて初めて商品の交換を媒介するのである。されば著し市場を商品の交換の行 ○ はれる通路としたならば、貨幣は往来止めの横棒であつて、之は通行料を排ふと初めて掃上げられるのである。 通行料、利潤、買約、利子共他如何なる名栴を以て呼ばうとも之なくぼ商品の交換は行はれないのである。 私が韮にいふ利潤一は商業上の利潤ではない、貨幣所有者がその貨幣を留保することによつて商品の交換を防帰 し得るのに之をせざる馬めに商品生産者から受取る魔のものである。需要はこの利潤があるからこそ現はれるの である。従って損失のある市場へは需妥は現はれぬ、そして市況の好縛するのを待つのである。此鮎損益の如何に 拘らず誠制約に市場に瑛はれる供給とその性質を異にする。需蓼は市場の情況が次の如き場合にのみ硯はれる。 ∵∵損失のないといふ充分なる保詮の存するとき 二、貨幣に軍師が授供されるとき 臼附箆衛の理論的根墟 ︵六三︶ 六三
第九巻 第 軸米 ︵六四︶ 六四 ヱの貢納は商品を販賛することによつてのみ寄現することができる、而してこの罵倒を賞現するに竺の條仰 が充されることを必要とする、その俺件とはその商品の賛貰される期間に於てその慣格が下請してはならぬと小 ふことである。それ蜂感慨が買慣を超過する菱緑の中にこの貰椚が含まれてゐるからである。費気の良い時には 物傾が騰り、商人はこの買嗣を受取り叉自己の利益を柑て飴りがあるが、景気の惑い時には物憤が下落し、試椚 を受取り得るや否や疑問であり、従って商品の買入は行はれない。 交換手段としての貨幣が市場に硯はれる蔑めに充されねぼならぬ上記の二つの傑件を考へると、物偶の下落し っ、ある時に商菜の行はれることは敬啓的に不可能である、併し之を不可能なりとなし得るのは只貨幣を廟有し てゐる者のみであつて、商品を所有してゐる者にはできないことである。 ● 併し瑚って考へれば物傾が下落するのは貨幣の供給がポ充分だからであり、そ抄結果物傾が下落すれぼ益々貨 幣の供給は減少する。 併し軍資上物傾が下落しなくてもUハ之が下落するだらうといふ見込みがあるとその馬めに需要の躊躇となり、 貸簡供給の減少となり延ひて物偶の事背上の下落を来すこともある。 需要が躊躇すると供給は益々増加する、供給が増加するといふ只単なるその理由によつて需嬰は躊躇する。 之は誤謬でも扶植でもない。経済恐慌は局外者から見れば全く滑稽な原因によつて起るものだ。需要は既に少 いから益々少くなり、供給は既に多いから益々多くなる。
併し富劇は後展して悲劇となる。商品の供給が多ければ多い程貨幣の需要は大となる。だが物々交揆や掛取引 により滑費者の手に蹄する商品は貨幣の需要を惹起さぬ、そこでか1る取引が多くなる”と需要の減退となつて物 憤の騰貴を釆たす、そは現金と交摸する馬めに堪供される商品量が減少するからである。之に反して研取引が減 少すれば物惜は下落し、現金の需要を増して来る。 物憤の騰落に條じて梯賛は増減するのである。之は何人もが知ってゐる事柄であるが、之を熟知してゐる者は 抄い。 物憎が謄☆し、需要が供給に超過するときは、梯取引が行はれ山部分の商品が貨幣と交換せられざることゝな って物慣真愈々騰貴せしめる。物慣が下落し、胡散引が減退すると商品が現金で資質されること1なり物情を更 に引下げることゝなる。 吾人は之以上経済恐悦の詭明を求める必要はないであらう。結局物慣が安すぎるから商品が安れないのであり 襲れないから益々物低を低下させるのである。之が恐慌なのだ。 恐慌が起ること、商人の資産は減少しその負債は増加すること、金銀債務の債務者は物慣の下落によりその履 行が困難になること、支挑の停止が生すること、商品の交換が賭博的行篤となることなど之等の珂由によつて横 取引が抑制され、掲金の需要が増加して来る。 多くの人は貨幣の流通速度五大にしてこの貸簡の需蜃不商品の供給︶の増加と均合はせようとする、而して此際 日附筐藤の理論的根源 ︵六五︶ 六五
︵六六︶ 六六 第九啓 発 仙 波 彼等は安償に商品が買へるので今迄貯蔵されてゐた貨幣が市場に出て氷るに相違ないと考へてゐるのであるが事 驚は正にその反封である。商人の蹄品仕入を肝臓するのは物偶の下落ではなくして之の胎貸である。銀行として も物憤が下落して、安全に通貨の流通をさせ得ないときには貨幣を引上げる。夫故銀行には、物惜の下落すると きに資金は飴り、物偶の騰貴するときに紋乏するのである。だから鈍行の桝有貨幣を預傭金として之にたより必 要な際に之を引出すことはできない、むしろ苗場に貨幣の敏乏せるとき、市場からその貨幣が引上げられてか1 る濠備金となるのであるからか1る預借金は市場を審する毒素である。 かくして、需要が市場に紋乏せるときそれが引上げられるといふことが常質の法則である。 次に物偶の職安せるとき舘婁が供給に比して大であるといふことは如何にして起り得るか、之は理論上も可能 であり文事麿上にも存することである。 商人としては今日高く買っても明日ご曙高く凍れゝば利益があるので、自分の資力と借入信用との許す限り出 来る丈け多く買ふ。そして買っては潜り、買っては要りするので貨幣の流通速度は益々増大する。 かくして物傾が騰貴すると貨幣の流通速度が均し、之によつて商品の舘要は増加する、併しそれと同時に掛取 引が増加して現金に封して縫供される商品量が減少する。大紋に物憎が騰貴するから、物憤は騰督する。需要が 非常忙多いから、需要は刺威される。需要に比し供給が少いから商人は思惑買をする。がくて供給が不充分であ る限り商品の需要は益々増大する。
貨幣はその果たす交摸手段たるの職能につき数欄が認められるのみならす、その素材に封し衷飾品としての紋
用が認められる。失政に好景気の時には世人はこの貨幣素材たる金を多く需質し、不景気の時には之を金匠の相
場の中へ蹄へすのである。
依って商品の生産が増大し、富が増加七貨幣妄携手段︶の需要が増大すれぼする程、より多くの金貨が金匠の珊咽へ躍って行くのである。之はあり得べからざることの楼であるが、間違のない事賛である。要するに商品
の供給が増加すると、その薦めに吾人は需嬰の保持者たる交横手段を熔解して需要を破壊するのである。而して
需要と供給とが物憤を決定するが政に之は物偶の下落となり、失発着と乞食とを作わ出すのである。
かくして金本位制は︵貨幣素材を装飾品の材料として利用することを許し︶率闊の芽を出す枝を切り落す鋸である。貨幣は分柴の前提億件で透り、分業は車幅を賂来し、而して此の拳帽は貸館を破壊する。
故に車礪は常にきつと親殺しをして経るのである。
金本位と乞食とは不可分のものである、失政フリードリツヒ大王は乞食を統治することを恥ぢたが、資金巌本
位制を採用する限り何魔の囲でも、その王は乞食の図民を統治するので、大王も敢へて恥ぢる必要はないロ金が
装飾品として用ひられ、叉同時に貨幣素材として用ひらるゝ限りは民衆の車隔は期して倹つべくもない。
若し他人が収入があつた場合にそれを以て協を⋮見入れないで生産手段を買入れたとすれば、商品の生産が増せ
ぼ増す程生産手段は︵所謂暦質資本︶は増加す蒐。併しせ人はかゝる賛質資本から利子を縛ることを期待してゐ 日附貸席の理論的根墟 ︵六七︶ 六七第九啓 発 叫 渋 ︵六入︶ 六人 る.然かも人口に比して嘗質資本が過剰把なるのに應じて此の利子は減少する。貸家が多くて借手が少けれぼ豪 貿は下落し、エ場が多くて労働者が少なけれぼエ場の利得︵エ場利子︶は少なくなる遣坤である。宵質資本が増加 して利率が従釆よりも下がれぼ故早かゝる生産手段に貨幣は投ぜられなくなる。利子なくして背、簡はあり得ない 之等の寄蜜を否定することはできない。 著し国民が勤勉であり叉諾の黎明をし、晴雨その宜しきを得て版接が多く、多くの丑床物を仕宅やエ場の増築 に用ひ得る械な場合に、方に之等の商品の交換を媒介すべき貨幣が市場を退き好親の到来を待つのである。貨幣 が減退し、需要が減少するから物偵は下落し、恐慌が起る。夫故恐慌は膏貿資本の増加によりエ場や住宅の投蛮 利迦が下るときにきつと起る。 之等の理由により閲民経済は恐慌から恐慌へと畿展する。金属貨幣の支配下にあつては、閲民はきつと宿なし の乞食生活をしなければならぬ。金といふ普等の世襲的の王は眞に乞食の王である。
一二 経済恐慌ビ之が汲防策
経済恐悦従って取引の沈滞や失莫やその附随的諸現象は扮憤の下落によつてのみ感知し得る。この物慣は次の 三箇の原因によって下落する。 一、金の供給と商品の生産とを任意に適合せしめ得るやう金の生産を調節サることのできないこと。二、商品の生産が増加し之と相伴って所謂資質資本が増加するとき、之に封する利子が下帯すること、並に新 たな蜜質資本を構成する馬めに貨幣の提供されないこと、従つてか1る賓質資本となるべき商品の取引が沈滞す ること〇 三、商品の生産が増し、車幅が増進するとき、金︵需婁︶は金匠の熔解するところとなり、然かも商品の供給が 増加するにつれて益々多く熔解されること。 之等三原因の何れの鵬つをとつても恐慌の原因となぞ而してその㌫原因が充分作用せぬときには他の原因 がその釈を祁って黎慌を惹癒す。之等三つの恐慌鹿因の劇が常にきつと閲民経済を破壊する。 エ兼用の金の沿費が増加するのにも拘らず、金が非常に樺山露出して物傾が著賓に︵少くとも年五空跨貸する 場合にのみ囲民経済は恐慌なくして肇展して行く。併し賓質資本利子が下れぼ貨幣の流通を疎止し物慣の騰勢豪 抑制することになるが之とても剛般的な物慣騰資の大勢には叶はぬ、蓋し物慣騰貴により貨幣が流通界へ押出さ れるからであるり併しか1る一般的な物傾聴貴はそれ自鰻貨幣制度を破壊するものである。 上述せる恐悦原因の詮明の中に既に恐慌防止寛が示されてゐる、それは物情を決して叉如何なる場合に於ても 下落させてはならぬといふことである。 然らば之を如何にして達成するか。 て貨幣と金とを切り離し、苗場の必要に應じて貨幣を造出する.ことC 日附定常の理論的櫨墟 ︵六九︶ 六九
︵七〇︶ 七〇 発れ巻 第 劇 鶉 二、紙を以て貨幣を作り、此の貨幣は如何なる場合に於ても商品に封して供給されることゝし、仮令資本利子 が︵即ち貨幣の利子と驚質資本の利子とが共に︶低下し滑滅する様な場合があつても、貨幣は商品に封して供給さ れる様にすること。 之が如何にして達成されるかは別の筒底︵自由貨幣を諭する茸︶で述べる。 ︵以下次鍍︶