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ボッスの「東方三賢王の礼拝」のトリプティックについて

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(1)

ボ ッスの「東方三賢王 の礼拝」の トリプテ ィックにつ いて

(昭和55年5月23日受理)

i.は

じめに マ ドリー ドのプラ ド美術館 に

,ボ

ッスの 「東方三賢王 の礼拝」の トリプテ ィック (図

1)が

ぁる。 同美術館 にはほかに 町Z草車」,「院楽 の園」の トリプテ ィックがあって

,い

ず れもボ ッスの代表作 で ある。真筆 かどうか問題 のあるウ ィー ンの造形美術 アカデ ミーの「最後 の審判」 を別 として

,そ

れにリスボンの国立古代美術館 の「聖 アン トニウスの誘惑」 を加 えると

,保

存 がよくほぼ完璧 なか たちで残 るボッスの代表的 な トリプテ ィックが揃 うことになる。これ ら四大祭壇画の うち,「随楽 の 園」 を除いていずれもボ ッスのゴシック書体 のサインがある。 ボ ッスの作品 には一切年記 がないか ら

,ク

ロノロジーの決定 にはこれまで多 くの美術史家 が携 わ って きた。今 日までのおおよその成果 をまとめた リッツォー リ版 の『ボ ッス』によれば

,中

乞草車」 は1500-02年 ,「悦楽 の園」は1503-04年,「聖 アン ト

=ウ

スの誘惑」は1505-06年 ,そ して「東方 三賢王の礼拝」は1510年頃の制作 とみなされている伊) 従 って本稿で扱 う三賢王礼拝図は

,ボ

ッスの晩年の作品

,お

そ らく彼 の最後の トリプテ ィックで ある。 もっともフ リー トレンダーは

,画

中の寄進者の衣裳 から推 して1495年頃の制作 とみている解) しか し

,

トルナイが衣裳表現 やモニュメ ンタルな画面から晩年の作品 と推測 して以来

,今

日ではそ の見解 が定着 しつつ ある伊) ところで

,ボ

ッスの作品 と伝 えられる三賢王礼拝図はい くつ か残 っているが

,こ

のプラ ドの トリ プテ ィックと

,フ

ィラデルフ ィア美術館 の板絵 (図

5)の

二点 が一般 に真筆 とみ なされている。フリ ー トレンダーは

,ほ

かにメ トロポ リタン美術館の板絵 (図

6)を

修復 の跡 が著 しいがボッスの初期の 真筆 とし

,ア

ンデル レヒ トの聖 ピエール・工・グュイ教会の トリプテ ィック (図

7)を

,保

存状態は 悪 いもののボ ッスの晩期の真筆 と認めている鬱

)し

か しそれ らは

,

トルナイ

,バ

ルダスをは じめ と す る多 くの研究者 が

,ボ

ッスの追従者の作品 ない し工房の模作 とみている炉

)も

っとも

,そ

こには ボ ッスの真筆 とされる三賢王礼拝図 には見 られないモテ ィーフがあって

,そ

れな りの独 自性 をもっ ているので

,原

作 とす るには疑 問が残 るが一見 に値す る。 本稿ではボ ッスの晩期の住作で あるプラ ド美術館の三賢王礼拝図 をもとに

,ボ

ッスの先駆者や同 時代 の画家が しば しば採 り上 げたこの伝統的 な主題 を

,画

家がどのよ うに扱 って独 自な絵画世界 を

(2)

56 F司 創 造 して い るか を観察 した い。 その前 にまず

,プ

ラ ドの三王礼拝 図 の予備的作 品 とみ るこ とがで き るフ ィラデルフィア美術館 の作 品 (図

5)と

,ェ

房 の模作 か も しれないが興味深 いモティーフの ある , メ トロポ リタ ンの作 品 (図

6),ぉ

ょび ア ンデ ル レヒ トの トリプテ ィック (図

7)に

つ いて一瞥 す る。

2.予

備 的観察 フ ィラデルフ ィア美術館 の 「東方三 賢王 の礼拝 」(6)を

,フ

リー トレンダー

,コ

ンブ

,

トル ナ イ, バ ル ダス をは じめ各研究者 はいず れもボ ッスの初期 の作 品 と推測 し

,チ

ノ ッテ ィもこれ を

1480-85

年の作品とみなしている

)そ

の頃のボッスの作品としてはほかに「十字架上のキリスト」

(ブ

リュ

ッセル・王立美術館),「 この人 を見 よ」(フ ランクフル ト・ シュテーデル美術 研 究 所

)が

挙 げられ る。 これ らの作品はいずれも前景 に諸人物 を緊密 に配 し

,背

景 に風景 を展望 させてお り

,後

年のボ ッス特有の構図法 をすで に予告 している。なおコンブは

,こ

の礼拝図 と「愚者の石の切除」(マ ドリ ー ド・プラ ド美術館

)中

の人物 や風景 との類似性 を指摘 している伊) 藁葺屋根の本造の粗末 な小屋 の前面 に

,聖

母子

,聖

ヨセフ

,そ

れに三賢王 が惰円形 を描 くかたち で集 っている。聖母子 は画面左端 に位置 し

,聖

母の膝 の上の幼児 キ リス トは娩づ く老王バル タザー ルか ら円筒形の聖餐杯 を受取 ろ うとしている。第二の王メルキオールは

,そ

の礼拝の情景 を見 るで もな く

,ほ

ぼ正面 を向いて意味 あ りげに立 っている伊

)一

,黒

人のエ ガスパールはやや離 れた所 か ら聖母子 を直視 している。聖 ヨセフは卓子の向 う側 に位置 し

,豪

華 な衣裳 を着 た三賢王の訪間 に 敬意 を表 しているためか

,そ

れ とも驚 いているためか

,手

を頭 にか ざしている (あるいは頭 巾をぬ ご うとしている

)が

,三

賢工 を見 るで もな く視線 をやや上方 に放 っている。降誕図 ない し三王礼拝 図において

,帽

子 をぬ ぐか帽子 を手 にもつ聖 ヨセフの描写 は多々あるけれども

,手

を頭 にかざす (も しそ うだ として

)聖

ヨセフは, ジャック・ ダレの 「東方三賢王 の礼拝」(図

8)を

合めても

,そ

の例 は少 ない。 晩づ く老工 と頭 に手 をや る聖 ヨセ フ

,そ

れに幼児キ リス トの身振 り動作 はそれな りに日につ くも のの

,画

面全体 は比較的平静で ある。熱気 に充 ちた雰囲気 よ りも

,む

しろ荘重 な宗教的儀式 めいた 雰囲気 が漂 よっている。事実

,三

賢工 は世俗 の贈物でなく

,聖

遺物箱 など典礼用の聖器 をもってい る。おそ らくボ ッスは三賢王 の礼拝 を ミサの原型 として把握 しているので あろ う。そのことは

,後

に観察す るように

,晩

期のプラ ドの礼拝図 においてはっきり示 されることで ある。 粗木 な木造の家畜小屋 を設定 し

,聖

母子 を画面中央ではなく端 に置 いて礼拝者 と対面 させ るとい う描写法 には先例 がある。例 えば

,フ

レマールの画家の「キ リス ト降誕」(デ ィジ ョン美術館

),ジ

ャック・ダレの「東方三賢工 の礼拝」(図

8)(ベ

ル リン・ ダー レム美術 館

)が

それで ある。 この作

品にそれらの影響を認めることができるが

,ギ

ブソンが

1旨

摘するように

'0

直接的にはむしろオラ

ングの写本挿絵 から影響 を受 けたと思 われる。1438年頃 に制作 された時澪書中の三王礼拝図 (図9)

(3)

ボ ッスの「束方三賢王 の礼拝」の トリプテ ィックにつ いて

57

(ハーグ・メールマ ノ・ ウエス トレーニアヌム美術館

)な

どその好例で ある。いずれか ら影響 を受 けたにせ よ

,ボ

ッスがこの作品で採 り上 げた藁葺屋根 の粗末 な木造小屋 は

,晩

期のプラ ドの礼拝図 において も見 られる。三賢王礼拝図の舞台 として

,当

時む しろ一般的だった石造や レンガ造 りの古 代の追跡 なり宮殿 な りを採用 しなかったのは

,お

そらく聖母子の清貧 を端的 に語 るためで あろ う。 粗末 な木造小屋 の描写 は後 にブリューゲルにも影響 を及ぼす ことになる。 三賢王 が華 麗 な衣服 を着ているのは礼拝図で は通例 だが, ここでボ ッスはつねに好んだ暖 たかな ば ら色 を多用 して

,一

層華やかな雰囲気 を画面 に与 えている。濃淡様 々な段階 をもつ ば ら色 と

,

き らきら輝 く白色

,そ

れに明緑色 が前景 を支配 して豪奢 な気分 をかも し出す賦彩 には

,国

際 ゴシック 様式め成果 を充分 に咀啜 している青年期のボ ッスの手腕 が うかがえる。 黒人の王 ガスパールの袖 には

,砂

漠で天 か ら落 ちて くる甘識 を歓喜 して受取 っているイス ラエル の民の場面力涼」繍 されている。(図19)そ れは

,ひ

とつの絵画の中にも うひとつの図像 を巧妙 に挿入 して絵画世界 を豊 かにす ると同時 に

,異

なった図像 との関連 か ら多様 な意味内容 をもたせ よ うとす る

,ボ

ッスが しば しば用 いた技法で ある。 ここに挿入 されている「マナの拾集」 につ いて

,

トルナ イはそれを聖体 と関連づ け

,そ

の旧約の場面 をこの絵 の主題で ある王韻節 と結 びつ ける。トルナイ はまたそれを最後 の晩餐 の原型 ともみ な している住D 牡牛 とろばのいる厩が横 に張 り出 しているために

,前

景の諸人物 は背景 から隔て られてい る。刻ヽ 屋 を大 きく置 くことで

,ボ

ッスは前景の情景 と背景の風景 とをはっ きり分離す る。一見緊密 に結 び つ いていないかのよ うに見 える諸人物 は

,書

割 りのよ うな役割 をもつ背後の小屋 によって限 られた 空間 に置 かれることになり

,相

互の関連性 を強める。 こうした描写法 はプラ ドの二賢王礼拝図 にも 見 られることで ある。 小屋 の左手 には二人の羊飼 いが上半身 を見せ

,礼

拝の情景 を眺めている。礼拝図 につ きものの三 賢王の従者たちの姿 は見 えない。小屋の左隅 には刻み 目の入 った奇妙 な形の柱 があるが

,そ

の柱 の 手前 に小 さな枯本 が意味 ありげに描 かれている。 その意味 はおそ らくキ リス ト降誕以前の世界の荒 廃 に対す る暗喩で あろ う。その一方

,壁

の割 れ目や屋根 には新鮮 な緑の若芽がのぞいている。 それ は

,キ

リス トの降誕 とともに新 しい世界

,新

しい生命 が出現す ることを意味す るので あろ う。晩期 のプラ ドの礼拝図 において

,こ

うした着想は一層 あざやかに映像化 されている。 背景 にはエルサ レムの街で あろ うか

,尖

塔 のある教会 などが望 まれる。風景 はまだ独 自な価値 を もたず添景 にす ぎないといえるが

,

しか し風景画家 としてのボ ッスの一面 をすで に示 している。 メ トロポ リタン美術館の「東方三賢工 の礼拝」(図

6)は

,D

ボ ッスの他 の礼拝図 とはい ささか趣 を異 に している。 その相違点は

,ま

ず第一 に聖母子 のいるところが粗末 な木造の小屋で はな く

,廃

墟 となった古代 の城砦 らしきところで あること

,第

二 に聖母子 が画面中央 に位置 してい ること

,第

三 に数人の天使 が登場 していることで ある。礼拝図の舞台 が城郭 ない し宮殿 の廃墟で あるのは通例

(4)

58 岡 で,イ タリア絵画はむろんのこと

,ネ

ーデルラン ト絵画 にも数多 くの作例 がある。また聖母子が備 図の中心 に位置す るのも

,ロ

ヒール・フ ァン・デル・ウ ェイデ ンやメム リンクの三王礼拝図 にその 例 を求 めることがで きる。 その意味では

,こ

の礼拝図はフラン ドル絵画の伝統 に即 した作品で ある といえよ う。 フリー トレンダーはこの作品 を真筆 とみて

,制

作年代 をフ ィラデルフ ィアの作品 よ りも早 い時期 においているよ

0

しか し トルナイは工房の模作 とし

,デ

ュー ラーの版画集 「聖母の生涯」中の「東 方三賢王の礼拝」 に見 られる建築 との類似性 から

,制

作年代 の下限 を1502-05年 としている

!0

た しかに

,円

塔 や半円アーチの使用はデューラーの作品 と共通で ある。 しか し舞台装置 をデュー ラー か ら借 りたとみ るには

,余

りにもその他 の面 に隔た りがある。む しろ両者 はほとんど関連 がない と みた方 がよいと思 われる。トルナイも認めているが

,人

物描写 はいかにもプリミテ ィブで

,そ

れだ けを見 ると1500年以後 の作品 とは思 えない。青

,赤 ,緑

,自

,裾

色系の色彩のほかに

,聖

母子 の敷 物

,三

賢工 の贈物 や衣裳飾 り

,宝

,天

使の翼 や外衣 など到 るところに金色 が使 ってあ り

,色

彩 に おいて もプリミテ ィブな面 をもっている。他方

,壁

面 にとり付 けられた木製の廂

,そ

ぞろ歩 く男女 の組

,橋

,川

岸の樹木

,丘

陵のある広々とした草原 など

,晩

期のプラ ドの礼拝図 と似通 った描写 が あり, きわめて興味深 い。 遠近法 によって整然 と配置 された石造建築の前面 に

,聖

母子

,聖

ヨセ フ

,老

王バル タザールがピ ラミッ ド型 の構成 をとって緊密 に結 びついている。正面 を向 く第二の王 と横顔 を見せる黒人の王 は, いわば遠近法 を補強す るかたちで画面右端 に立つ。 こうして諸人物 と建物 は無理 なくひとつの統合 体 にまとめ上 げられている。 左手の円塔の下部 に牡牛 が見 えるが

,ろ

ばは見当 らず

,プ

ラ ドの三賢王礼拝図の場合 とは逆で あ る。 その代 りで もあろ うか

,自

い犬 が最前景 中央 にいる。それは

,幼

児キ リス トに対す る三賢王 の 忠誠心 を意味す るので あろ うが

,色

彩的 にみ ると画面の一つのアクセ ン トとなっている。右手の半 円アーチの窓 か ら二人の羊飼 いが顔 をのぞかせ

,礼

拝の情景 を眺めている。その うちの一人 は傍 の 焚人 に手 をかざしている。焚火 はプラ ドの礼拝図 にも見 られるモテ ィーフで ある。 遠近法 による深奥空 間の暗示 は

,ボ

ッスの礼拝図の なかで最 も効果 をあげているけれども

,そ

の 背景 を仔細 に見 ると個 々の描写 はプラ ドの作品 にきわめて近 い。 この作品は

,重

量感 の乏 しい人物 描写

,金

色 を多用 した彩色法 にプリミテ ィブな面がある一方で

,堅

牢 な画面構成

,背

景の風景

,あ

るいは画面の随所 に見 られる個 々のモテ ィーフに晩期の作品 を思 わせ るところがあって

,模

作 にと か くあ りがちな様式の混治 を示 している。 アンデル レヒ トの 「東 方三賢工の礼拝」の トリプテ ィック (図

7)は

,0

フリー トレンダーの真筆 説 にもかかわらず

,一

般 にボ ッスの追従者の作品 ない し工房の模作 と考 えられている。 しか し

,今

日残 っているボッスの真筆 とされる三賢王礼拝図 には見 られないモテ ィーフが両翼パネルにあって,

(5)

ボ ッスの 「東方三賢王 の礼拝」の トリプテ ィックにつ いて 59 その点で注 目される。バル ダスは

,こ

れを現存 しないボ ッスの原作の模写 とみて

,そ

の原作の制作 年代 をフ ィラデルフ ィアの絵 とプラ ドの トリプテ ィックとの中間 においているが

,

トルナイはボ ッ スの死後1520-25年の工房作 と推測 しているよ0 祭壇画 を閉 じると

,左

翼パ ネルには岩屋 の中で祈 る聖ペテロ

,右

翼パ ネルには彼 と向 き合 うかた ちでやは り岩屋 の中で祈 るマ グダラのマ リアがいる。背景の風景 には連続性 があ り

,両

翼夕帥」の構 図は統一 がとれている。聖ペテロは「二人の隠遁聖者」(ヴェネツ ィア

,パ

ラッツ ォ・ ドゥカー レ) 中の聖 ヒエロニムスない し聖エギデ ィウス と

,マ

ググラのマ リアはプラ ドの三賢王礼拝図の寄進者 の妻 と類似性 がある。 祭壇画 を開 くと

,左

翼パ ネルには前景 に水 を汲む聖 ヨセフがお り, その背後 にイタリア風の石造 建築 が見 え

,戸

日から一人の男 が顔 を出 している。 この建物 に基づ いて

,

トルナ イはその制作年代 を推測 している。中景 には天使 が幼児 キ リス トの産衣 を焚火でかわか しているが

,プ

ラ ドの作品で は聖 ヨセフがその役 を果 している。なる

,明

らかに工房の模作 と思 われ るロンドンのベアステッド・ コレクシ ョンの「東方三賢王の礼拝」の左翼パネル内側 にも

,水

を汲む聖 ヨセ フとイタリア風の石 造建築のモテ ィーフが見 られる。 中央パネルはプラ ドの トリプテ ィックの中央パネルときわめて似 ているが

,構

図は左右逆 になっ てぃて

,描

写 もやや粗雑で ある。 右翼パネルには三賢王 の従者 たちが描 かれている。前景 には徒歩 の従者 が四人 ほどいて

,中

央パ ネルの聖母子の方 を向いている。袋 をかつ いでいる者 もいれば

,晩

拝 している者 もいる。従者たち に礼拝の姿 をとらせ るため に

,中

央パネルの構図が左右逆 になっているのかもしれない。中景 には 馬上の従者 がいる。ベアステ ッ ド・コレクションの右翼パネル内側 にも馬 に乗 った一群 の従者がい て

,こ

うした従者 を描 くボ ッスの原作 がかつてあったとも考 えられる。

3.プ

ラ ドの「東方三賢工の礼拝」 プラ ドの三点の トリプテ ィックの うち, 叱 草車」と「 悦楽 の園」は

,祭

壇画 としては主題 といい 表現 といいまことに破天荒 の もので

,怪

奇 な幻想の世界 を描 き出 している。 それ らはもはや礼拝の ための祭壇画ではなく

,ホ

レンダーがい うよ うに単 なる「枠形式」

(Rahmenfbrm)と

して トリプテ

ィックの形式を使用したにすぎないよ

それに対して「東方三賢王の礼拝」

0は

,伝

統的な主題を

扱 って お り

,描

写 その もの もフ レマ ールの画家以来 の ネーデ ル ラ ン ト絵 画 の伝統 にあ る程 度 もとづ いて い る。 これはボ ッスの作 品 と して は一際 モニュメ ンタル な効果 をも ち

,簡

潔 明快 な画 面構 成, 明澄 な自然の描写

,す

ぐれ た細 部 描写 など

,画

家 が晩年 に到達 した一 つ の帰 結 点 を示 した作 品 とい え る。 それ とともに

,や

は リボ ッス的 なモ テ ィーフが随所 に見 られ

,従

来 の三 賢王 礼 拝 図 とは異 な る独特 な絵 画世界 をつ くり出 して い る。 それ を検討 す るため に, まず トリプテ ィックを閉 じた場 合

(6)

60 岡 の夕M則の描写 から眺めることに しよ う。 両翼パネルタ絆1には薄 い黄掲色 の単色で

,教

皇 グレゴリウスの ミサの情景 が描 かれている。(図2) 聖 グレゴリウスの ミサの最中 に

,聖

餐の化体 の秘蹟 を疑 う者の前 にまさしく受難のキ リス トが姿 を あらわ したとい う故事 にもとづ いている。メッケネムの銅版画「聖 グレゴリウスの ミサ」(図11)(14

80-85年 )の

よ うに

,通

常 は聖 グレゴリウスの前 に顕現す るキ リス トと

,十

字架や円柱 などの受難 の象徴 が描かれるのだが

,こ

こでは受難のキ リス トの姿 とともに一連のキ リス トの受難劇 が示 され ている。 ところで

,周

知のよ うに14世紀頃 か らアルプスの北の国

,特

にネーデルラン トと ドインにおいて, 自由 に開閉の きく翼板 のある祭壇画 があらわれ

,そ

の両翼パネルの外側 は彫刻 ない しグリザ イユの 形象で節 られた。古 ネーデル ラン ト絵画では

,フ

レマールの画家

,フ

ァン・アイク兄弟

,ロ

ヒール ・フ ァン・デル・ウェイデ ンらによって

,両

翼パネル外判 を飾 るために聖告の場面 とか聖者像 とか をグリザイユで彫刻風 に描 く方法,と きにはそこに寄進者の肖像 を加 える方法 が確立 した。それは, ペ トルス・クリステ ィス,ヒ ューゴー・ファン・デル・グース

,ハ

ンス・メム リンクらに率盤承 され, ボ ッスにも流 れ込んでいる。 しか しボ ッスは

,グ

リザイユで彫刻風 に描 く方法 にさほ ど回執せず, 表現内容 も変更 した。従来のよ うに聖告の場面 とか聖者像 を彫刻 に擬 して ことさら生硬 に描 くので なく

,祭

壇画の内側 の描写 を考慮 した物語風の情景 をグ リザ イユで写実的 に描 いた。 ボ ッスの四大祭壇画の うち

,

呻乞草車」の両翼パネルタ抑 」は一人の巡礼者

,

呵党楽の園」の場合は 地球 と思 われる球体 が描 かれている。「聖 アントニウスの誘惑」の場合 には

,そ

れぞれのパネルに受 難の場面 ― キリス トの捕縛 と十字架 を担 うキリス ト ー がある。本図 を含めいずれも祭壇画 におけ る伝統の描写 と相違 しており

,ボ

ッスの工夫の跡 を知 ることがで きる。 ちなみに

,ウ

ィーンの「最後 の審判」の夕抑 」パネルには

,聖

ヤコブと聖バ ヴ ォンがそれぞれ描 かれていて

,比

較的伝統 にもとづ いた描写 となっている。 本図のよ うに

,三

賢王礼拝 を主題 とす る祭壇画の両翼パネル外側 に聖 グ リゴリウスの ミサ を描 く のは

,ボ

ッス独 自のもので きわめて異例 だが

,そ

の詮索 をす る前 にまず画面 を観察 しよ う。 教皇 グレゴリウスはキ リス トの石棺 をのせた祭壇 を前 に ミサ を行 なっている。祭壇 を正面 から捉 え

,そ

の向 うに石棺

,背

後 にアーチを配す るのは,メ ッケネムの銅版画の影響 があるかも しれない。 教皇 は顔 を上方 に向けているが

,キ

リス トの出現 に驚 くとい う風で もな く

,両

手 を合 わせ きわめて 平静 な祈 りの姿である。右端 にも う一人の信徒 がやは り静 かに晩拝 している。 その奥 には教皇 の三 重冠 を持 った者や顔 だけ見せた信徒 が群 がっている。反対側 の左端 には

,右

手で祭壇上のあた りを 差 し示 している男 (化体 の秘蹟 を疑 う者 か

)が

いる。そのほかにも大勢 いるが

,顔

がのぞ く程度で ある。右手 を差 し出 している男の前 に

,黒

帽 を被 り黒衣 を着 た寄進者 らしき年配の男 が晩拝 してい る。 この人物 と赤帽 と黒衣の子供 だけが

,グ

リザイユで なく彩色 されている。彼 らは寄進者父子 と も考 えられるが

,奇

妙 なことに両翼パ ネル内側 に描 かれている寄進者 とは別人で ある。共同寄進者

(7)

ボッスの「束方三賢王の礼拝」のトリプティックについて 61 で あろ うか。あるいはこの夕抑Jに描 かれた年配の寄進者 は

,内

側 の寄進者夫妻の父親 かもしれない。 子供 のよ うにみ える刻ヽさな人物 につ いて

,フ

レンガーは聖餐 の化体 の秘蹟 を疑 いの眼で見 るローマ の女性 とみなしている

!9

しか し

,こ

の小 さな人物 は彩色 されて特別視 されていることか ら

,特

別 の意味 をもった人物ではなく

,お

そらく年配の男 と関連のある者で ある。強いて両翼パ ネル内側 の 寄進者夫妻 と関連づ けると

,年

配の男 は彼 らの父親

,小

さな人物 は彼 らの子供

,す

なわち年配の男 の孫 と思 われ

,両

翼パネルの内外 に寄進者三代 が描 かれているとみ るのが妥当ではあるまいか。 祭壇背後の衝立の前 に

,両

手 を身体 の前で交叉 させた受難 のキ リス トが周囲から孤立 して淋 しげ にたたずんでいる。弄」の冠 をつ け

,手

や脇 には聖痕 が見 える。その背後のアーチ形 の衝立 には

,九

人の天使 が浮彫風 に描 かれている。 さらにその夕抑Jの枠 を浮彫風 に飾 って

,一

連の受難 の場面が示 されている。前景の静的 な描写 とは対照的 に, この枠 を飾 る背景 は動的 な情景描写で ある。 アーチ 形 の枠全体 は

,枠

か らはみ出 している上部 のゴルゴダの丘 の場面 を含めて

,一

つの山の形状 をとっ ているとみなす ことがで きる。山の麓 にあたる部分

,す

なわち左右の下段 から上段 に向って見てゆ くと

,ゲ

ッセマネのキ リス ト

,キ

リス トの捕縛

,ピ

ラ トの前のキ リス ト

,笞

打 ち

,剃

冠 のキ リス ト, ヴェールを差 し出す ヴェロニカのいる十字架 を担 うキ リス ト

,そ

して項上部 には傑刑 が描 かれてい る。項上のゴルゴダの丘周辺の描写 にはボ ッス的モテ ィーフが随所 に見 られ

,興

味深 い細部描写 と なっている。メ ッケネムの銅版画では教会のヴ ォール トに相 当す る部分 が

,本

図では夜の空 になっ てお り

,悔

い改めた盗人の魂 を受取 るために降下す る天使や

,自

殺 したイスカリオテのユ ダの魂 を 奪 い去 る悪魔 などが見 える。 両翼パ ネル外側 にこ うした受難の情景 を描 くボ ッスの作品 としては

,先

に挙 げた リスボ ンの「聖 ア ン トニウスの誘惑」がある。 そのほかに祭壇回ぐはないが

,1504-05年

の制作 と思 われる「パ ト モス島の聖 ヨハネ」(ベルリン・国立美術館

)が

注 目される。そのパネルの裏面の円形枠 にグ リザ イ ユで

,プ

ラドの祭壇画 に先立 って

,ゲ

ッセマネのキリス トから傑刑 に至 るまでのほぼ同主題 の一連の 受難の光景 が見 られる。(図 12) 三賢王 の礼拝 を主題 とす る祭壇画の外側 に

,教

皇の ミサの情景 を描 いた理由 として

,コ

ンブ

,

ト ルナイは,ミ サを主題 たる「主顕節」(東方三賢王 の礼拝)との関連のなかで捉 える

PO

た しかに主 顕節 は聖餐 と密接 に関連づ けられてきた。幼児キリス トが三賢王 や羊飼 いの前 にあ らわれ るよ うに, キ リス トは聖餐 の折 に顕現す るわけで

,そ

の意味では三賢王の礼拝 を主題 とす る祭壇画の両翼外側 に ミサの情景 を描 くのは道理 にかなった表現で ある。 しか し,弁J冠のキ リス トの背後 に受難の情景 力淋田かに描 かれているのは

,そ

こに特別 の意味 があ るよ うに思 われる。 ブラン ト・フ ィリップはこの受難 の諸場面 に七つの大罪の表現 を認 めている▼り そ うした見方 にはやや無理 が感 じられるが

,

しか しキ リス トの受難 が世の悪 と愚行の結果 として表 現 されていることはまず間違 いない。 ここに示 されているのは

,同

主題 のメッケネムの銅版画のよ うに

,聖

グレゴ リウスの ミサの折 にキ リス トが頭現 したとい う奇跡 の描写であるよ りも

,む

しろ世

(8)

62 F司 立 口 の悪 の結果 と して あ らわれ る受難 のキ リス トの イメー ジで あ り

,背

後 の受難 の場 面 は その具体 的 な 提 示 で あ る。礫刑 の情 景 の近 くに首 を品ったユ ダの姿 があ り

,そ

れ を子供 に指差 してい る父親 が い る。 こ うした描写 は ウ ィー ンの「最後 の審判」 の左翼パ ネル外側

,聖

バ ヴ ォンの図 の背景 に も見 ら

れるが

,父

親のその身振 りを通 して画家は世の悪のイメージを観者に差 し示しているのである。リ

スボンの「聖アントニウスの誘惑」の右翼パネル外側

,十

字架を担 うキリス トの場面にも一人の子

を頭 にのせ, も う一 人の子 の手 を引 いた父親 がいて

,や

は り世 の罪 と忌行 を知 らせ る役割 を担 って い る。 ボ ッスが両翼パ ネル外側 に ミサ の情 景 を描 いたのは

,そ

れ を主題 た る主顕節 と関連 づ けたた めだ が

,あ

えて受難 の光景 を列挙 したのは

,世

の罪 と愚行 の結 果 と してのキ リス トの受難 を端的 に 示 すためで あった と思 われ る。 祭壇画 を開 くと,(図

1)中

央 パ ネルの前景 に大 きく粗末 な木造 の小屋 が見 え,その前面 に聖母子 と 三 賢王

,周

囲 に羊飼 い な どが い る。両翼 パ ネル には寄進者夫妻 と守護 聖人 がそれぞれ シ ンメ トリカ ル に描 かれてい る。 こ うした形式 は

,ロ

ヒール・ フ ァン・デル・ ウ ェイデ ンの祭壇 画 など

,15世

紀 初 頭以来 の トリプテ ィックの伝統 を踏 まえて い る。二つのパ ネル におけ る前景 の諸人物 の形 態 と色 彩 の対称 的配置 もまた

,ボ

ッス には珍 しく古風 な感 じを与 える。 町と草車 」や「 悦楽 の園」の トリプ テ ィックの よ うに

,時

間 の経過 が左翼パ ネル か ら中央

,右

翼 パ ネルヘ と展 開す るので は な く

,ま

た 「聖 ア ン トニ ウスの誘惑 」の トリプテ ィックの よ うに

,二

つ のパ ネルがそれぞれ異 なっ なシチ ュエ ー シ ョンを示 してい るので もない。 これはいわば一幅 の三 賢王 礼拝 図 とみて さ しつ かえない。背景 の風景 が統一的で あ り, また同一色調で整 え られて いることもそ うしたF「象 を強 め る。 こ う した構 成 は

,フ

ァン・ アイ ク兄弟

,ロ

ヒール・ フ ァン・デル・ ウ ェイデ ンらに負 うところが少 な くない。 背景 に眼 を移 す と

,青

空 の下 に明澄 な光 を受 けた丘 陵地

,草

,入

,都

市 な どが俯 轍的 に展 望 で きる。大 自然の眺望 を俯 賊的 に捉 える描写法 は

,の

ちに ヨハ ヒム・パ テ ィニール に直接 の影響 を 与 えることになるが

,正

常 な祝 点 か ら諸人物 を捉 えて い る前景 の描写 とは素朴 な矛盾 を示 して い る。 しか し

,全

画 面 にゆ きわた ってい る明 るい黄緑色 系 の色 調 が画面の統一 を助 け

,視

点 の不統 一 を緩 和 させ て い る。本図の色彩 の明 るさは特 にEP象的 だ が

,そ

れ は この明 るい黄緑色 によ るといって も 過 言 で は ない。前景 の諸人物 の明確 な色彩構 成 はやや図式的で単調 で あ るけれ ども

,中

景 か ら背 景 にお よぶ明澄 な地上 の光景 は緻密 な賦彩 で豊 か に表現 されて い る。円熟 した晩期 の作品 に相応 しく 細部描写 にもす ぐれ

,こ

とに藁葺屋根

,氾

濫 した川 の水 の描写

,あ

るいは樹 葉 の点描 などは秀逸 で あ る。 晩期 のボ ッスには再 び写 実 の伝統 に復帰 しよ うとす る傾 向 がみ える。 この作品 はその顕著 な例 で, 伝統 的 な主題

,堅

牢 な画面構 成

,緻

密 な賦 彩 と

,主

題 ・形式・描写 の いず れの面で もネーデ ル ラ ン ト絵 画 の伝統 を踏 まえてい る。実際

,粗

末 な本造小屋 はフ レマ ールの画家 や ジャ ック・ ダ レの影響 を示 して い る し

,聖

母子 はヤ ン・ フ ァン・ アイクの「ロ ランの聖母 」(ルー ブル美術館

),背

景 の丘

(9)

ボッスの「束方三賢王の礼拝」の トリプティックについて 63 陵地 の描写 はロヒール・ フ ァン・デル・ウ ェイデ ンの トリプテ ィック「十字架上 のキ リス ト」(ウ ィー ン

,美

術史美術館

)と

密接 な関連 がある。 しか し

,本

図 にもボ ッス特有の謎めいた細部描写 が あって

,独

特 の絵 画世 界 を提 示 している。 それを検 討す るために

,ま

ず中央パネルか ら観察 しよ ぅ。(図3) 青衣 を身にまとった聖母 は

,膝

に坐 る幼児 キ リス トに軽 く手 を添 えなが ら

,毅

然 とした態度で賢 王 たちに面 している。幼児 もまた上半身 を真直 ぐのば し

,フ

ィラデルフ ィァの三賢王礼拝図 とは違 って贈物 にほとんど手 を差 しのべず

,威

厳 にみ ちた態度で礼拝 を受 けている。その直前で朱色 の衣 をまとった老王バル タザールが

,恭

々 しく晩拝 している。帰依 と恭順 の感情 はこの老王の姿勢 に最 も端的 にあらわれている。老王 が差 し出 した贈物 は

,彼

と聖母子 との間 にE「象的 に置 かれている。 それは黄金製の容器で,「 イサ クの犠牲」をあ らわす彫刻 が施 してある。(図13)そ れはむろん新約 に おけるイエスの犠牲の予徴で ある。注意 して見 ると

,暮

がこの贈物 の下で押 しつぶ されている。本 図 には別の ところにも暮があ らわれる し

,ボ

ッスの他 の絵画 にも しば しば不気味 な暮が登場す る。 暮はボ ッスの場合特別の象徴的意味があって

,異

教 ない し何 らかの罪 を象徴 す る記号で あることが 常で ある。 とすれば,「 イサクの犠牲」を示す器の下 に暮カン甲しつぶされているのは

,キ

リス トが降 誕 し

,そ

して身 を犠牲 にす ることで

,異

教 の世界 ない し罪 と愚行 の世界が打破 されることを意味す るので あろ う。老王のこの贈物 の意味す ることが

,あ

るいはこの絵画全体 を貫 ぬ く主題 といえるか もしれないが

,そ

の詮索 は しば らく措 〈。 なお贈物の手前 に置 いてあるのは老王の被 り物で

,そ

の 項 は赤 い果実 をくわえる嘴の長 い二羽の′亀で飾 られている。 この鳥 は自分の血で雛 を養育す るとい うペ リカン(キリス トの象徴)とみ なせ ないこともないが,「パ トモス島の聖 ヨハネ」の裏面 (図 12) に描 かれたペ リカンとはおよそ似通 った ところがない。一般 にボ ッスの絵画では

,嘴

の長 い鳥 は邪

悪の鳥であり,赤 い果実も罪の象徴的記号として使われる。あるいはトルナイがいうように甲

の鳥は罪を象徴する白鳥であるのかもしれないと

ボ ッスの初期の三賢王礼拝図 と違 って

,本

図ではメルキォールも晩づ いているが

,贈

物 は手 にも ち

,上

半身は真直 ぐ起 こ している。一兄異様 にみえるが

,そ

の上衣 には金属製の銀色 の肩掛 けがつ いている。(図14)そ こにシバの女工 のソロモ ン王訪間の場面 が導 彫風 にあらわされている。それはま さしくベ ツレヘムヘの三賢王 の旅 の予徴で ある。 その下部 に見 える別のモテ ィーフは

,フ

レンガー によれば

'0

マノアの犠牲

,洗

礼者 ヨハネの受胎 がザ カリヤとエ リザベツに告 げられる場面で ある。 二人の王の背後 に

,豪

華 な白い外衣 を着 た黒人の王 ガスパールが立 ち

,そ

の後 ろに赤 い外衣の黒 人の子供 が従 っている。黒人の王 が手 に持つ白い球体 には浮彫 があって

,一

般 にダヴ ィデに水 を乞 う二人の英雄の表現 (主顕節 の予徴

)と

みなされている。球体 の上 にも羽 をひろげた′弓がいる。ペ リカ ンとみることもで きるが

,や

は り赤 い果実 をついばんでいるので邪悪の鳥 とみた方 がよいだろ う。黒人の王の外衣の裾 には

,人

頭の怪′弓や果実をつ いばむ′烏が刺繍 されている。 こうした′烏や彼 が左手 にもつ苺

,あ

るいは子供 の従者の頭の上 にある赤 い果実 (り んごか

)は

,い

ずれも罪 を示す

(10)

64 1司 部 記号で

,お

そらく好色 の罪 を象徴す ると思 われる。 ちなみに

,苺

や赤 い果実は 口党楽 の園」 に頻繁 に描 かれている形象である。 なお子供の従者の朱の外衣の裾 には

,足

のある魚 が魚を食 っている刺 繍があって

,貧

欲の罪で あろ うか, こ.こ にも罪の象徴 が見 られる。 このよ うに

,三

賢王の描写 だけに注 目 しても

,新

約の予徴 となる旧約 の表現 を別 として

,異

教 な い し何 らかの罪 を象徴す ると思 われる形象が見 られる。それは一体何 を意味するのであろ うか。そ の詮索 の前 に

,第

二の王 メルキォールの背後

,粗

木 な木造小屋 の戸 口に立つ謎めいた半裸 の人物 に 注 目 したい。(図14)彼 は未色の衣 を半ばまとい

,不

思議 な微 笑 を うかべて幼 児キ リス トを眺 めてい る。 この人物 にスポ ッ トをあて

,本

図 を綿密 に分析 したブラン ト・フ ィリップは

,彼

を偽 りのメシ ア

,反

キ リス トとみな している

?n

刑冠 は反キ リス トが受難 を偽 って模倣 したにす ぎず

,そ

の上の ガラスの筒の中の木の枝や花 は反キ リス トの魔術 を示 し

,脚

の傷 は頼病の しる し

,脚

の間 にあるべ ルは

,暮

のいることで知 られるように

,ユ

ダヤの司祭のベル とみ る。そ して彼 が左手 にもっている 容器は実はメルキオールの被 り物で あ り

,そ

の浮彫 には地獄 が図解 されているとみなす。 こ うした ブラン ト・フ ィリップの見解 を,ノドルダスも支持 しているPD 一方 トルナイは

'0

反キ リス トは通常ひげのない若者 として表現 されるとみて

,反

キ リス ト説 に 反対 し

,こ

の人物 は旧約のメシアで

,キ

リス トとその受難 を予徴す る人物 とみ る。金の鎖 はキ リス トの捕縛 を暗喩 し

,脚

の傷 は廉病ではなく受難の しるし,井」冠 はキ リス トのそれを示 し

,筒

の中の 木の枝 はメシアの王の象徴

,小

さなベルはキ リス トの到来 を告 げるベル

,左

手 にもつ器は賢王 の被 り物で なく自分の冠 を納 める容器

,そ

して彼 力湘虫れている木柱 は十字架 の暗喩 とみ る。 トルナ イが こ う観察するのは

,こ

の人物 が幼児キ リス トをいかにも親 しげに眺めているためで

,キ

リス トと対 峙す る人物 とはみないわけで ある?η しか し

,彼

の背後 にいる人々

,特

に彼 の肩 に手 を置いている蒼顔 の老人

,そ

の後 ろの男 などはい かにも醜悪 な感 じで

,

トルナイの言のよ うに

,彼

らを三賢王 を予徴す る人物 たちとみ ることはで き ない。シニ ョレルリの「偽予言者」(オ リヴィエー ト寺)を見 ると

,反

キ リス トは真の予言者のよう に振舞 っているものの

,そ

の傍 には悪魔 が離 れず につ き従 っている。本図の場合 も

,半

裸 の男 は微 笑 を うかベメシアの如 く振舞 ってぃるが

,そ

の傍 には悪の世界の住人 がつ き従 っているので ある。 むろん反キ リス トをあ らわす図像 が定 まっていない以上

,彼

らを反キ リス トとその仲間 と決 めつ け ることは無理だが

,彼

らが聖母子 と敵対す る存在であることはまず間違 いないことと思 われる。 コ ンブも小屋の中の半裸 の人物 などに異教徒のイメージをみているし,リ ンフェル トもリスボンの「聖 アン トニウスの誘惑」 における異教 の儀式の主H昌者 に似ていると述べている?0 とす れば

,彼

らと三 賢王 とは どの よ うな関係 にあるのだろ うか。三 賢王 は

,お

そ ら くは異 教 の世 界の住 人 た ちと聖母子 との中間 に位 置 す る存在で ある。三賢王 の うちで も

,バ

ル タザ ール とメルキ オール が聖母子 に近 く

,黒

人 のエ ガスパ ー ルは小屋 の戸 日 に群 が る人 々 に近 い。興味深 い ことに, 聖母子 は軒 および軒 を支 える柱 によって三方 を囲 まれ

,比

較 的孤 立 したE「象 を与 える。 フ ィラデ ル

(11)

ボッスの「東方三賢王の礼拝」の トリプティックについて 65 フ ィアの三 賢王 礼拝図 の よ うな

,聖

母 子 と三 賢王 とのわ けへ だての ない親 愛 の情 は

,こ

の作 品 には 見 られ ない。 とはいって も

,細

くまが りくね った幹 によって隔 て られてはい るが

,老

王 は聖母 子 に 最 も近 い存在で ある。次 がメルキオールで

,晩

づ き贈物 を手 に して差 し出 しつつ ある。半裸 の男 が 左 手 にもつ器 は色彩

,形

,大

きさの点で 第二 の王 の被 り物 で あ る と思 われ るが

,も

しそ うだ とす れ ばその意味 は

,第

二 の王 がかつ て属 していた異教 の世界 に背 を向 けて聖母子 に恭順 を誓 うこ とを 表 わ して い るので は あ るまい か。聖母子 か ら離 れて立つ黒 人 の王 ガスパ ールは

,手

に もつ苺

,外

衣 の刺 繍 にある怪′烏

,伴

の子供 の外衣 に見 える貧欲 な魚 などの罪 の象徴 的記号 か らみて

,幼

児 キ リス トを礼拝 す る前 の段 階で まだ異教 の世 界 に属 して い ることを表 わ してい るので あろ う。 コ ンブ も,

本図におけるガスパールは異教徒の改宗あるいは悪への回執という意味を表わす人物とみている

?9 そ うした描写 は

,マ

タイ伝第二章の記述 と照合 して納得のゆ くことで ある。東方 から来 た三賢王 は もともと異教 の人間で

,ヘ

ロデ王 に遣 わされてエルサ レムか らこのベツレヘムに来たので あ り

,幼

児キ リス トを礼拝 し贈物 を捧 げたの ちは

,ヘ

ロデ王 を避 けて自国 に帰 ることになる。 こうしたマ タ イ伝 の記述 そのままに

,本

図 における三賢王 は異教の世界 か ら真 の信仰 に至 るまでの三段 階 をそれ ぞれ示 しているとみ ることがで きよ う。 ところで

,今

にも倒 れそうな粗末 な小屋 は

,藁

葺屋根

,本

組 み

,漆

喰塗 りなどきわめて リアルに 描 かれていて

,ボ

ッスのす ぐれた技巧 を伝 えているが

,こ

こにもボ ッス固有の象徴的記号 を見出す ことがで きる。小屋 の垂木の部分 にある藁束 は

,半

裸 の男 たちの頭上で意味 ありげに放射状 に伸 び ているが

,そ

れはあるいは「偽 りの星」

00

を意味 し

,空

に節 く真 の星 と対照 をなすのかも しれない伊り また同 じく垂木 にいる不気味 な鼻 ととかげは

,や

は リボ ッスに馴染みの象徴的記号で

,何

らかの罪 の提示 がそこに隠 されていると思 われるξD ブラン ト・フ ィリップは

,本

造小屋 その ものを異教徒 のいる悪 の象徴 としての シナゴーグ (ユダ ヤ教会

)と

みなしている

'0

しか し

,必

ず しもシナゴーグとみ る必要 はなく

,聖

家族 の清貧 を明確 に表 わす形象 として この粗木 な木造小屋 が描 かれたとみて さしつ かえあるまい。女史 はまた牡牛 が 見 えず ろばだけが描 かれていることに特別 の意味 を見出 している 'つ た しかに

,降

誕図 ない し三賢 王礼拝図では

,牡

牛 とろばが並 んで表現 され るのが一般的で ある。ボ ッス自身初期のフ ィラデルフ ィアの作品では牡牛 とろばをともに描 いている。 しか しメ トロポ リタンの三賢工礼拝図で は

,本

図 とは逆 に仕牛 だけを示 している。ボ ッスの三点の礼拝図 におけるこうした三様 の描写法 が

,は

た し てそれぞれの作品 に解釈の相違 を与 えているで あろ うか。本図で ろばだけが描 かれているとしても, そこに画家の特別の意図があったとは思 えない。戸口を狭 く暗 くしたために二頭 を描 く余地 がな く, エ ジブ トヘの避難の折 に伴 をなすろばで代表 させたにす ぎないのではあるまいか。 半裸 の男 たちのグループを別 として

,こ

の礼拝の場 には五人 ほどの羊飼 いがいて

,柱

の脇 か らな かを覗いた り

,破

れた壁 から顔 をのぞかせた りして幼児キ リス トを見 よ うとしている。 なかには屋 根 にのった り

,屋

根 にのろ うと木 にのばっている羊飼 いもいる。礼拝の場 に羊飼 いがいるのは通例

(12)

66 岡 の こ とと して も

,本

にの ぼ った り屋根 にの った りしてい る羊飼 いの描写 は きわめて珍 しい。特 に屋 根 の二 人 は

,賦

彩 の面 か らも実 に典味深 い描写 で

,そ

の色 褪せ た青味 が かった灰色 や薄 い責緑色 の 微 妙 な色 調 は

,明

快 な色 面構 成 を好 むボ ッスの絵 画 にあっては稀 で ある。 羊飼 いた ちは その身振 り動作 によって神秘 の儀 式 をひ きたて る副次的人物 とい えるが

,は

た して それだ けの意味 の存在で あろ うか。三賢工 と違 って

,羊

飼 いた ちは4ヽ屋 によって隔 て られ

,礼

拝 の 場 に立 ち入 るこ とが許 され ない。彼 らは敬虔 な感情 に欠 け

,野

次,弓的 な好奇心 だ けを露骨 に示 して いる。「羊飼 いの礼拝」を予感 させ るよ うな感情表出は全 くない。む しろ彼 らはナイフを帽子 に束」し た り

,風

笛 をもって いて

,聖

母子 に敵対 す る邪悪 な存在 と して描 かれて い るよ うに思 われ る。 ちな み に風笛 はボ ッスの象徴的記号 の一つで

,罪

と愚行 の世 界 につ ね にあ らわれてい る。 なお羊飼 いた ちに隣接 す る右翼 パ ネル中景 には

,一

匹 の羊

,人

を襲 う狼 が描 かれてい るが

,お

そ ら く羊飼 いた ち と この羊 と狼 とは密接 な関連 がある。 そ して その関連 を説明す るの は ヨハ ネ伝 の記事で あ る。つ ま り

,小

屋 の屋根 にのった り

,壁

の破 れ 目か ら顔 をの ぞかせ る羊飼 いた ちは,「羊 の檻 に門 よ り入 らず して

,他

よ り越 ゆ る者 」(十

-1)で

あ り, 可良の きた るを見 れば羊 を棄 てて逃 ぐ」(十

-12)羊

飼 い で ,「 菩 き牧者」 た るキ リス トと対峙す る者 だ と推測 され るの令 あるよ) 小屋 の背後 には広大 な自然 が望 まれるが

,ボ

ッスは前景 と背景 を意識的 に区別 して描 いてい る。 前景では大型の人物 を真近 か ら捉 え

,背

景では自然 を俯敵的 に展望 し添景人物 を随所 に配す る。 そ して両者 をつ なぐ中間段階は

,意

識 して避 けているよ うにみえる。 この中央パネルにおいては

,小

屋の背後の レンガ壁 とやぶ とによって

,前

景 と背景の往来は逃断 されている。背景 はまた中景 と後 景 とに便宜上区分で き

,こ

の中央パネルの場合 には

,中

景 の丘陵地 と後景 の都市 とに分 けることが で きる。 まず中景 から観察す ると

,そ

こは丘陵 に富む美 しい草原で

,ロ

ヒール・フ ァン・デル・ウ ェイデ ンの丘陵描写の影響 があることはすでに指摘 した。一見

,伝

統 にもとづ く静 かで美 しい自然の景観 のよ うに思 われるけれ ども

,そ

こには活漆 な運動表現 が見 られる し

,謎

めいた細部の描写 がある。 まず橋 のある小川 を隔てて向い合 っている騎士の一回が注 目される。右側 の一回は橋 を渡 らず氾濫 した川の水 をこえて進 みつつ あるし

,左

側 の一団は一人の騎兵 を先頭 に密集 して牧草地 を進 んで い る。 アンデル レヒ トの トリプテ ィックでは三賢工の従者たちが右翼パネルにいるが

,本

図では従者 たちは明確 には示 されていない。 しか し

,こ

の左右の騎士の一回 と後方 に小 さく見 える風車の傍 の 騎士の一団 とを合わせて

,こ

こに三賢王の従者 が示 されていると解釈す るのが自然であろ う。 もっ とも別の解釈 がある。左右 の騎士団が相争 っているようにみえるので

,バ

ルダス

,

トルナ イはそこ に不信心者たちが戦争す る神不在の悪の世界をみ

,ブ

ラン ト・フ ィリップは黙示録 との関連 か ら世

の終末における最後の戦いの描写とみる90 こうした解釈は

,こ

の中景の到る所に悪のイメージが

見出せるだけに

,一

概 に斥 けることはで きない。あるいはボ ッスはここで三賢王の従者という伝統 のモテ ィーフを借用 しながら

,実

はそこに新 しい意味 を与 えて別種のイメージをつ くり上げる二重

(13)

ボッスの「東方三賢工の礼拝」の トリプティックについて 67 映像化 を試みているのかも しれない。 ほかにも興味深 い細部 の描写 がある。左手 に白鳥の看板 のある居酒屋 があって

,一

組の男女 がそ こに向い

,そ

の姿 を一人 の男 が意味 あ りげに覗 き見ている。傍 には,酉構 が置 いてあ り

,居

酒屋の藁 葺屋根 の周辺 を沢山の′烏が群 れている。 この居酒屋 は,「放 蕩息子 の帰遠」(図15)(ロ ッテルダム , ボイマ ンス・ファン・ブーニ ンヘ ン美術館

)に

おける居酒屋 ほ ど露骨 に示 されていないが

,そ

の意 味 することは同 じで

,明

らかに売春宿である。 その右手 には

,猿

をのせたろば を引張 っている芸人 らしい男 がいる。ボ ッスの他 の絵画 には見 ら、れないモテ ィーフで その意味 は明確 で ないが

,私

は聖 母子の「エジブ トヘの避難」のパ ロデ ィーだ と考 える。聖 なる図像 のパ ロデ ィー化 はボ ッスの常套 手段 の一つで

,例

えば リスボ ンの「聖 アン トニウスの誘惑」の 中央 パ ネルにも,「エ ジプ トヘの避 難」の置 き換 えとして

,子

を胸 に抱 く魔女 が大ねずみに乗 っている表現 が見 られる。 なお

,円

柱 の 上 に立つ異教の偶像 は

,

この地 が異教 の領域であることを明瞭 に示 している。 そのほか壊 れかかっ ている橋

,洪

水の情景

,橋

の傍 の空洞 のある本

,そ

の木の背後 に隠 れている人物 など

,謎

めか しい 細部描写 がある。丘陵の項 は樹木が繁 り

,馬

上の人物 が二人隠れるよ うに してそこにいる。丘陵の 背後 には騎士団

,そ

の後方 に風車 が見 える。風車はボ ッスの故国 に固有の風物 だが

,そ

の十字形の 翼板 はキ リス トの十字架 と意味上の関連 があると思 われる。中景 の個 々の細部 には

,意

味の曖味 な 形象 もあるが

,罪

と愚行 の提示

,異

教の世界の暗示 が美 しい自然の景観 のなかに潜んでいることは まず間違 いあるまい。 中央パネルの背景 には空想的 な都市 が見渡せ る。(図16)城壁のめぐらされたこの都市の城門 に向っ

,四

人ほどが一本道 を,局に乗 った り徒歩で進んでいる。城門 (と い うか塔

)は ,巨

大 な西洋梨 の よ うな異様 な建物で

,所

々に窓 があ り

,よ

く見 ると二

?の

窓 が両眼で

,問

が日のよ うだ。中世来 し ば しば描 かれた悪魔の口に似せた「地獄 の問」(本図の場合 は地獄 の入 口ではないが

)の

ヴァリエー ションで あろ う。城壁内の建造物 の多 くは比較的 リアルだが

,城

門のみ ならず その左右 にある円筒 形 の巨大 な二つの建物 がやは り奇怪で

,こ

れら異様 な建物 によって都市全体 の性格 が定 まっている。 それ らはボ ッスの空想の産物 だ`が

,本

図のほかにリスボ ンの 「聖 アン トニウスの誘惑」 にも類似 の ものを見 ることがで きる。 ところで

,こ

の空想的 な都市 は何処 を表 わ しているのだろ うか。ベ ツレヘムか

,エ

ルサ レムか, それとも他の都市 か。ベ ツレヘムの都市 とすれば

,そ

の郊外 に聖母子 らがいることになる し

,エ

ル サ レムとすれば

,東

方の三賢王 が集結 したエルサ レムが上方 に見 え

,そ

こからこの聖母子のいるベ ツレヘムに来たことになって

,地

理上の遠近感 が拡大す る。画面 を見 ると

,前

景 と背景 とでは相当 な距離 が予測で きるか ら

,エ

ルサ レムとみ るほ うが自然で ある。バルダス もエルサ レムの都市 とみ

なしている

しかし

,そ

れ以外の都市ということも充分に考えられる。リンフェルトは,空 想的

な円形 の建築 に陵墓 や仏舎 利塔 の変形 をみて

,古

代 ローマ とア ジアの建 築 に示 唆 を得 た

,三

賢王 の

故国を示す想像図とみなしている

'0

ホレンダーは

,空

想の建造物をバベルの塔の変形とし

,画

(14)

68 岡

の自由な遊戯の表われとみる一方で

,そ

こに偽予言者の住む異教の都市を想定している伊

9

ブラン

ト・フィリップは,黙 示録の世界の幻影をそこにみて

,「

新しきエルサレム」と考える

0

立場は異

なるものの, リンフェル トとホ レンダーが異教 の世界を想定 しているのは首肯で きることで ある。 この都市 をエルサ レムとみ なす ことも可能だが, とにか くキ リス ト降誕以前の世界 一 異教の世界 がそこに表 わされていると私 は考 える。 その根拠は

,こ

の都市の建造物 が異様でキ リス ト教世界 と 相容 れない要素 を強 くもっているためで ある。 ボ ッスは必ず しも常 に奇怪 な建物 を描 いたわけではない。 叱 草車」

,「

脱楽 の園」,「聖 アン トニ ウスの誘惑」 など罪 と愚行の世界 をあか らさまに描 いた絵画では確 かに異様 な建造物 が目立つ けれ ども

,初

期の「東方三賢王 の礼拝」(フ ィラデルフィア美術館

)で

はゴシックの尖塔 の讐 えるエルサ レムの都市 をはっきりと示 している。「十字架上のキ リス ト」(ブリュ ッセル・王立美術館),「パ ト モス島の聖 ヨハ ネ」(ベル リン

,ダ

ーレム美術館

)に

しても

,尖

塔 のある都市 を示 してキ リス ト教世 界 を端的 に表 わしている。 その観点 に立てば

,異

様 な建造物の 目立つ この都市 は明 らかに非キ リス ト教圏 を表 わ している。 そ して城 門近 くの路傍 に立つ十字架

,十

字形 の翼板 のある風車 は

,こ

の異 教 の都市 との対比 において初 めて意義 ある形象 として うかび上 って くるので ある。 次 に左翼パネルに眼 を転 じよう。(図

4)そ

の前景 には聖母 と同 じ濃紺の外衣 を着 た寄進者 が

,中

パネルの聖母子の方 を向いて晩拝 している。その背後 に朱色の外衣の守護聖者ペテロが立つ。その 傍 に紋章 があって

,寄

進者の名 はペーター・ブロンクホルス トだと知 られる。紋章の上 にEcn voer al (すべての者よリー人 を救 う

)と

銘文がある。二人の後方 には

,幼

児 キ リス トの産衣 を焚火で乾 か している聖 ヨセフがいる。降誕図 ない し三工礼拝図 において

,聖

ヨセフが家事 に携 わる描写 の例は, 15世ネ己の写本挿絵

4ど

にある。 しか し

,

トリプテ ィックにおいて

,聖

ヨセ フが聖母子 か ら遠 く離 れ 単独 に描 かれているのは

,ア

ンデルレヒ トの祭壇画 を別 として, きわめて異例 といわねばならない。 左翼パネルの中景 に位置 しているのは前景 に寄進者 と守護聖者 を置 くためだが

,中

央パネルに描 か なかった理由 については明確 で ない。ブラン ト・フ ィリップは

,シ

ナゴーグとしての小屋 が異教の 人々によって占め られているので

,聖

ヨセフを小屋 から離 したのだ と解釈 している!ゆ 小屋 がシナ ゴーグで あるかどうかは別 として

,結

果的 には半裸 の男 が聖 ヨセフの占めるべ き位置 にいるわけで, 画家 はその謎めいた人物 を聖 ヨセフの代 りに置 いて

,周

囲の羊飼 いともども聖母子 と対峙 させてい るので あろ う。そ してそ うした 嗽↓立」の図式 を

,ボ

ッスは両翼パ ネルにも適用 した と推測で きる ので ある。 聖 ヨセフは石造建築の廃 墟 に架せ られた廂 の下で

,ひ

っくり返 した鼈の上 に坐 り

,背

中を見せて 産衣 を焚火で乾 か しながら, しか し顔 だけは何 ごとか語 りかけるよ うに観者 に向 けている。その恰 好 は

,

リスボ ンの「聖 ア ン トニウスの誘惑」の右翼パネルにおける悪魔 に囲 まれた聖 アン トニウス に似 ている。聖 ヨセフの傍 には薪 を切 る斧 がたてかけられ

,焚

人の近 くに消火用の水の入 つた重が 紘

(15)

ボッスの「東方三賢工の礼拝」の トリプティックについて 69 置 いて あ る。 こ うした風俗 画 的描写 は別 に奇異 で は ないが

,周

辺 にはや は り謎 め か しいモ テ ィー フ が見 られ る。アーチの上 には不気味 な暮 がい る し

,柱

頭 に立 つ偶像,そ の下部 の悪魔 な どを見 ると, この地域 が異教 の世 界で あることが推察 で きる。 あたかも リスボ ンの絵 画で聖 ア ン トニ ウス が悪 魔 に囲 まれてい るよ うに

,本

図 にお け る聖 ヨセ フ は異 教 の世 界 の只 中で孤立 して い る。 それは また中 央 パ ネルの聖母子 が

,賢

王 た ちの礼拝 を受 けなが ら周辺 に異 分子 がいて比較的孤立 して い る姿 に対 応 す る。聖母子

,聖

ヨセ フ ともに異教 の世 界 にい るとい う暗示 が

,中

央 と左翼 パ ネル とに示 されて

いる

k考

えられるのだ。そして右翼パネルにおいては

,後

に観察するように,聖母子

,聖

ヨセフに

対応す る聖 なる形象が羊であ り

,そ

の羊 と対立す るのが人 を襲 う欅矯 な狼 なので ある。 この聖 ヨセ フのいる廃 墟の石造建築 が

,背

景 の牧草地 を逃断 していて

,牧

草地への往来 は狭 いア ーチ門 に頼 る以外 にない。 ここで も画家は背景 を前景 から切 り離 して描 いている。 その草原 には, 二組の男女が風笛の音 に合わせて踊 っている。一見愉 しい風俗描写 のよ うだが

,風

笛 がボ ッスの絵 画 において特別の意味 をもつ ことはすで に指摘 した。プラ ドの 「乾草車」の右翼パネル外側1こは, 巡礼者の脇で風笛 に合わせて踊 る男女の組 が

,罪

と愚行の世界の点景 (おそらく性的 な象徴

)と

し て描 かれているが

,本

図における男女 の組 もまた同様 な意味 を有 しているであろ う。林 の方へ進み つつ あるもう一組の男女

,林

にいる鞍 のない馬 も

,あ

るいは好色 の象徴 とみ なされな くもない。 林 と柵 とで仕切 られた深奥部 もまた牧草地で

,そ

の手前の草原 と雰囲気 に変 りはないが

,人

影 は ほとん ど見 えない。青い三角屋根 の農家 が一つのアクセ ン トとなっているごく平静 な農村風景で, ボ ッスの故国の牧歌的 な田園地帯の景観 を想起 させ る。 次 に中央パネルを隔てて反対側 に位置す る右翼パネルを観察 しよう。(図

4)そ

の前景 は

,左

翼パネ ル とシンメ トリカルに

,寄

進者の妻 とその守護聖女 アグネスが描 かれている。聖母や夫 と同 じ濃紺 の外衣 を着 た妻の名は

,紋

章 からアグネス 。ボスユ イスと知 られる。両翼パネル外側 における寄進 者 に してもそ うだが

,こ

の内側 の寄進者夫妻像 にしても肖像画風 の描写 とはいえず

,顔

立 ちは類型 的で ある。肖像画の伝統のある古 ネーデル ラン ト絵画では例 外的 に

,ボ

ッス とブリューゲルはほ と ん ど肖像画 に興味 を示 さなかった。 左翼パネルの聖 ヨセ フと対応す る位置 には

,聖

女 アグネスのア トリビュー トで ある羊 がいる。 そ の羊 が

,背

後の狼 と中央パネルの羊飼 いとを結 びつ ける役割 を果 していることはすで に指摘 した。 羊の背後 は土手 になっているが

,そ

の中央部分 はとぎれていて

,他

のパネルとは異 な り深奥部への 往来 は容易で ある。 その通 り日には

,ボ

ッス に馴染みの空洞のある枯木 があ り

,ま

た土手 の上 にも 枯木 が折 れて倒 れている。通 り日か らさらに奥 に進む と

,左

翼パネルの一見陽気 な踊 りの情景 とは 対照的 に

,陰

惨 な光景 が眺め られる。一匹の狼 が旅人 らしい男 を襲撃 し

,別

の狼 は黒衣 の女 を威嚇 している。小高いところには

,死

体 を晒すためのウ ィール・ポールカ淮↓れ

,先

端 のないポールが一 本立 っている。死者の肉を求めてか

,黒

い鳥 が集結 し

,子

を連 れた】系が姿 を見せ る。 この地域 は刑 場で あ り

,ポ

ール とイ占木 と揮猛 な狼 が明確 に示 すよ うに

,死

と恐怖 と不安 にみ ちた地域で ある。

(16)

70 岡 こ うした描写 は一体何 を意味 しているのだろ うか。 これまでの観察ですでに明 らかのよ うに

,画

家はそれによって神不在の悪の世界 を具体的 に提示 しているよ うに思 われる。 ここに見 られる羊 と 狼

,そ

れと中央パネルの羊飼 いの三者 に

,ヨ

ハ ネ伝の記述 とのかかわ りを先 にみたが

,三

賢王 の礼 拝 とい う主題 はマ タイ伝 にもとづ くものだけに

,マ

タイ伝 との関連 が注 目される。中央パネルの謎 めいた半裸 の人物 が

,偽

予言者 ない しはキ リス トに敵対す る異教の徒であると推測で きることはす で に述 べた。 も しそ うだ とすれば

,右

翼パネルの羊 と狼 とはその謎めいた人物 とも密接 な関連 をも つので はあるまいか。その根拠は,「偽預言者 に心せよ

,羊

の扮装 して来 れども

,内

は奪 ひ掠 む る狼 な り」(十-15)とい うマ タイ伝 の記述で ある。 その文字通 りの表現 が

,中

央パネル と右翼パ ネル と に示 されていると思 われるのである。右翼パ ネルの羊 と狼 は

,

ヨハ ネ伝十章

,マ

タイ伝七章 の記事 にもとづいて

,そ

れぞれ中央パ ネルの羊飼 いたち

,半

裸 の人物 と結 びつ く。 と同時 に

,右

翼パネル に穏和 な羊 と揮猛 な狼 とを対照的 に描 くことで

,画

家 は中央パネルにおけるキ リス トと悪 しき羊飼 い

,偽

予言者 (ない し異教の徒

)と

の対立 を再 び強調 したので ある。 なお

,枯

本 とウ ィール・ポール とが象徴す るのは

,明

らかに死で ある。 それは神不在の世界の減 亡 を意味す る。枯本 は初期 のフ ィラデルフ ィアの三賢王礼拝図 にも印象的 に描 かれていて

,そ

の頃 か らの着想であることがわかる。興味深 いことに

,枯

木のある土手の周辺 には草木 が繁 ってお り, その土手 を扶 んで羊 と狼 とが対峙 している。 おそ らく画家は

,そ

れによって自然の衰退 と再生 を, 神不在の死の世界 と神 の降誕 による栄光の世界 とを対照 させたので あろ う。キ リス トの降誕 によっ て

,冬

と死の世界 に春の到来 と新 しい生命がもた らされることが暗示 されているのである。 右翼パネルの遠景 は

,陰

惨 な中景 の情景 を緩和す るよ うに薄明の光 を受 けて美 しく輝 く入江 が展 望で きる。 きわめて親 しみ易い写実的 な光景で,「パ トモス島のヨハネ」の背景 と似通 ったところが ある。 こうした入江 と平坦 な草原の景観 は

,た

ぶんボ ッスの故国の自然が反映 しているだろ う。前 景 の静

,中

景 の動

,そ

して再 び背景の静 と

,右

翼パネルも他 のパネル同様変化 に富む画面構成 が見 られる。

4.結

語 プラ ドの「東方三賢王 の礼拝」 をひとわた り観察 した。この トリプテ ィックの両翼パネルタ帥 」の ミサの情景 と内側 中央パネルの御公現 (東方三賢工 の礼拝

)と

が互 に関連 あることはすで に述 べた が

,そ

れだけではな く夕Ч則の受難のキ リス ト

,お

よび受難の光景 は

,内

側 の描写 と密接 な関連 をも つ と思 われる。夕

Mlで

は世の悪の結果 としてキ リス トの受難 が示 され

,内

側ではキ リス トは罪 と愚 行 の世 に生 まれた孤高の人物 としてあらわれている。悪の世界の救世主 としてキ リス トの降誕 があ るわけで

,賢

王 たちがまず帰依す る 一 それが本図の主題で ある。 しか し周囲はなお異教の世界, あるいは異教徒 がとりまいていて

,聖

母子 と聖 ヨセ フはそれぞれ孤立 したE「象 を与 える。ノ」ヽ屋 の戸

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