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参照基準問題を考える : 経済理論の多様性とその教育(シンポジウム2 学士課程における経済(学)教育の目標と内容-学生実態,社会的期待,学問的真実の視点から学術会議の参照基準問題を考える-)

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Academic year: 2021

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Ⅰ.はじめに

 本稿での目的は 第一,「経済学の参照基準」の問 題を近代経済理論の立場から内在的に検討する。第二, 教育学の視角から検討する。これら二点は関連している。

Ⅱ.ケインズ経済学とニュークラシカル学派

 ケインズ経済学の特徴には 2 点ある。賃金や価格の 硬直性ゆえに市場の調整力が不充分なことと,流動性 選好によって有効需要の不足が生じることである。日 本に多いワルラシアンやヒックシアンが考えるような ものとは異なり,『一般理論』にはダイナミックな論 理体系がある。ケインズ理論をこのように解釈する経 済学者たちは「新古典派ケインジアン」として主流を なした。しかし,これは IS=LM 分析にケインズ体系 を押し込めたり一般均衡論の特殊ケースとして扱う解 釈になり,ケインズ理論の肝心な部分を捨象してしま うことになる。  均衡理論を母体に,マネタリズムを包括したとされ るニュークラシカル学派=主流派では,すべての経済 主体は合理的な行動(効用の最大化と利潤の最大化) をとり,合理的期待を形成する。さらに,完全雇用均 衡は価格と賃金の調整によって達成できるとしている。 数理的モデル化したケインズ理論も彼らのモデルのス ペシャル・ケースでしかないとしている。こうした観 点ではケインズの特徴は取り去られている。   戦後の現実ではケインズ経済学は福祉や環境への政 府投資ではなく,巨大資本と政府の連携によって運用 された。各国の政策当局は市場の調整能力が不充分で あるからこそ,常にその対応に追われており,各国民 は雇用の不安・価格変動への不安・所得への不安に直 面している。市場の感応度のみを不況の原因とみなす のは投資を中心とした,内生的な景気循環を無視する ことになっている。こうしたことになぜ目が向かわず, 市場の完全性を当然のように主張し,そこで生きる人 間を合理的経済人としか考えないのであろうか。  なお,実物経済から金融経済へと力点が移動しても, 乱高下する投資変動を無視しては現実の説明はできな い。そして,数学を使用するかどうかではなく内実こ そが問われるべきであろう。  他方,今日のニューケインジアンモデルは市場の不 安定性が強まれば不況に進み,安定化が強ければワル ラス均衡に近づくとして,ニュークラシカル学派に一 歩接近していると認められる。  ケインズの想念の根本には価格調整や数量調整に よって,市場が調整機能を発揮できない(かつて,よ く言われた「市場の失敗」,言い換えれば,市場の限 界)の本質があるからこそ,理論を展開したのであり, 参照基準がいうような「市場メカニズムの有用性が世 界全体の共通認識」になっているとは言えない。  現実は市場の調整能力の不十分さを政府と金融当局 の政策で緩和しようとしてきたが,累増してくる経済 問題に対応できていない事実がある。  無論,主流派の学説は資本制の枠内の分析であり, 資本制を人類史の一定の歴史段階において成立するも のとして相対化し,その枠組みを問題にするような発 想は元から存在していないし,拒絶している(なお, 市場経済は資本制経済を意味していると思われるが, それ以外に資本制以前の市場経済や中国のような社会 主義市場経済もある)。  現代社会で求められる経済的センスとは ①市場競 争原理はどのような特徴をもっているのか,②その中 でどのような諸問題が発生しているのか,③これらを 認識してどのように生きていくかという総合的なもの であるべきではないのか。経済学の教育はさまざまな 角度や視点から経済社会の現実を学べるものを提供す べきではないのか。

参照基準問題を考える

―経済理論の多様性とその教育―

The Journal of Economic Education No.34, September, 2015

Critical Comments on Benchmark Statement of Economics: The Variety of Economic Principles and

Their Instruction

Iwata, Toshihiro

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Ⅲ.経済認識と教育政策の関連

1.人間の経済認識は誰であれ,まずは経済現 象の事実に接し反応していく。  人間が周りの環境を感じる原因は生きていくという 生命維持的な本性から来る。経済現象には景気循環・ 恐慌・所得格差・失業・不公正な競争・環境資源等の 問題があるが,これらは人間の生活に深く影響を及ぼ している。社会認識はその生活体験の広がりや変化に よって発展していく。家族,仲間集団,学校,近隣, 地域,報道などが児童や生徒・学生が社会認識を広げ 深める環境である。これらの社会の状況を若い層は敏 感にとらえ反応する。認識の発展はさまざまな学力を 形成する。苦しみを含む人生の体験が人間を形成して いく。好奇心・想像力・思考力はその契機となってい る。そして,この過程では,経済現象の実態に関心を 広げる中で,主要な特徴や因果連鎖の説明が現実的で あり,リアルな経済理論やモデル展開によって根拠づ けられることこそ必要である。参照基準は「(ミク ロ・マクロ経済学の)知識を持たず,正しい理解がで きない場合には,就業して収入を獲得し,各種の財・ サービスを購入し消費している人々が日常生活にあ たってさまざまな不利益を受ける危険がある」として いるが,このように一面的で楽観的な主張で不利益の 危険を述べるのでは,肝心のリアルな現実感覚が欠け てしまっている。不利益の危険を述べるのならば,多 くの社会的要因や政治学的要因があることの学習を中 間項に入れなければ人間の発達に寄与することにはな らない。なぜならば経済現象には増大し続ける矛盾を 含むものがあり,多元的な構造を持っているからであ る。何故このような現象が生じてきたのかという原因 の分析,その原理の考察を教育指導していくには,一 元的規範的分析では,教育という多元的知識の獲得の 作業においては無視するものが多すぎるのではないか。 いろいろな事象や学説に関心を広げることは応用能力 を養成することになる。研究の世界では一元的に掘り 下げる作業は大切だが,そのまま教育に持ち込む人で 足るとすることには無理があろう。また,安全・安定 を求める日本社会ではアメリカ社会のようなデジタル 的な意思決定にはなじまないことが多い。これらの点 についてはどうなのか。 2.元来,人間の教育活動が大学や学校の設立 を生み出したのは近代社会の発展(わけて も工業化の進展)の必要性があった。  学校は社会の統合の維持の役割をもっており,カリ キュラムを柱に時代とともに変化してきた。社会に とっての必要な知識の伝達や人の育成がその発展を然 らしめたと言える。もちろん,学校教育の目的や人間 像・学力観も時代の変化の中で価値観の対立を反映し て議論されてきた。  人間の発達は学校や家庭,地域社会の中で学ぶこと によって,さまざまな能力を発展させる。そして,人 間の発達は全く強制なしではありえない。この中で, 学生・生徒児童が主体的に学ぶことで発見や知的探求 をしていくことが望ましい。そのことを支える教育 (実践)活動は特別の価値を持つことになる。近代の 教育思想を切り開いた,J.A. コメニウスやJ.J. ルソー はこの根本的なことを主張していた。プラグマチスト の J. デューイは「単なる言葉の集積に過ぎない」よう な知識の集積ではなく,現象のなかにある歴史性や法 則性を探求する姿勢を教員に求めていた。教育の世界 ではこのような児童や生徒の認識を中心にした教育学 説と J.A. コメニウス・J.F. ヘルバルト・P. ナトルプ以 来の規範的・社会的必要からの教育学説の二つの思潮 が対抗的に継続してきた。  しかし,社会科学全般にイデオロギーの対立が拡大 し固定化している状況は教育の世界全般でも,とりわ け経済教育の世界でも明らかである。イデオロギーの 根本は経済的利害に発するとすれば,経済教育には非 妥協的な性質があろう。競争化・情報化と金融化が社 会を大きく変容させている今日,学校や大学といった 教育機関には社会統合のために,時代にふさわしいと される知識の整備が求められてきた。経済発展の中で, 今日の「経済学の参照基準」の提議はその一環として 捉えることができる。しかし,これ以外の科学的結論 はありえないとする考え方は体制側であれ反体制側で あれ教育活動の原理的意味から認められるものではない。 3.戦後日本の教育の変容と経済  戦後日本の経済はアメリカとの同盟の下で,低い軍 事費と政府による積極的な産業保護政策に支えられて, 右肩上がりの経済成長を支え,経済大国化してきた。 この過程では矛盾を含みながらも,「一億総中流」の 意識が生み出され,大学進学率を約 50%・高校進学 率を約 90%に押し上げてきた。戦後民主主義の平等 主義(教育の機会均等・全人的発達)の考えが徹底し ていく中では,「経済決定論」もまかり通る状況だっ た。戦後の日本社会は資本制経済でありながら,公平 性の高い,平等主義が底流していたといえる。これは 戦前の日本社会とも異なり,オイルショック以後の状

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況とも異なっていた。  経済競争は能力(学力)の競争へと向かい,さらに は教師の教育力も問われ,学校教育は大学入試のため のものとなり,目に余る受験戦争が過熱していった。 その大きなきっかけとなったのは 1963 年の経済審議 会人的能力部門の答申『経済発展における人的能力の 課題と対策』であった。結果は授業内容を理解してい るのは小学校で 7 割,中学で 5 割,高校で 3 割という 「7・5・3」の状態を生み出し,落ちこぼれや学級崩壊 が問題となった。むろん,知識の詰め込みの風潮が原 因であった。刈谷剛彦が言うように「低下が懸念され るのは学力水準だけでなく,学習意欲そのものでもあ る」。大学入試突破の実力は家庭の所得(経済力),親 の職業・社会的地位・学歴・家庭の人間関係の安定性 など若者の成長期の状況を背景に,本人の特性や資 質・努力といった複合的要因によって影響され決定さ れることになった。この根底には,中流意識の解体が あった。人間の行動の違いは学んだ内容の違いに影響 されざるを得ないが,教育の状況は大学生をふくむ若 者の生き方に深い影響を与えてきたことは確かである。 教育と社会の状況の深刻さに対して,1985 年の臨時 教育審議会以後,学歴社会の是正・個性の重視の考え 方が広がった。1991 年には中央教育審議会学校制度 小委員会が少数の中高一貫校がエリート大学の入学者 のかなりを占めている状態に対して警鐘を鳴らした。  経済同友会は 1994 年 4 月に「技術創造立国への転 換」を同年 6 月に「現代日本社会の病理と処方」を出 した。前者は 1995 年の『科学技術白書』と同年 11 月 の「科学技術基本法」に取り入れられ,国の方針とし て確定している。ここでは「次の世代に引き継いでい ける知的資産の整備」が述べられている。今日の『経 済学の参照基準』策定に向かう,日本の動機になった と言ってよかろう。  反転を繰り返す日本の文教政策は学力重視→ゆとり 重視→学力重視と変化してきたが,これにともなって, 1964 年まで行われてきた全国一斉学力テストも 2007 年に復活したが,2009 年に再び廃止,2010 年以後は 学校ごとに自主的参加となった(2012 年の参加率は 81.2%)。経済界の教育への要求は教育行政を通じて, 教育現場へもたらされていった。その場合,経済界が 人づくりの点で,依拠するのは経済社会の安定的でな い問題への関心を持つことよりも「合理的な」行動が できる人間を求めるニュークラシカル学派の経済学 , 及び同じ合理性の観点に立った経営管理能力をもつ人 間の育成に関わる経営学である。しかし,先にみたよ うに,これらは過去に積み上げられてきた経済学分野 の知的営みのかなりを無視することになっている。根 本的な問題は経済界が求めるような実学的な観点から しても,ニュークラシカル学派が考究するような最適 化行動を意識的にとっていないという決定的弱点があ る。このことについてはどうなのか。  情報化とグローバル化の中で,今日の若者を取り巻 く環境は急速に変化している。若者が成長していく上 で,過去にはない多くの問題が登場してきたのである。 少子・高齢化と核家族化による家庭のまとまりの弱体 化,子育ての困難の問題,スマートフォンやゲームへ の熱中による勉強意欲の弱まり,学習塾への依存が当 然のようになり,いじめによる身体と心の蝕まれ,教 師の疲弊などの問題が顕在化してきた。この中で,若 者も大人も地道に努力することを避けるようになった。 特に,就職難とリストラは努力しても報われないと感 じさせた。また,孤立化の中でコミュニケーション能 力は著しく低下してきた。にもかかわらず,こうした 事態の打開は『参照基準』のような市場原理を理解し た合理的経済人の育成によって可能だと言えるだろうか。  日本では日本社会の「上からの近代化」の影響が日 本の教育をふくむ制度にも国民性にも根強く効いてい ることにあるとみてよかろう。日本の今日の特徴はこ うした「上から」の意識を保持し,経済界が国民をモ チベートしてきた「効率」と戦後民主主義のもたらし た「公平」とを複合させた状況を国民が受け入れてき たことにこそある。  なお,アメリカの教育学界では教育方法についての 進歩主義と本質主義の流れがあるが,日本でそれに対 応するのは,経験主義と系統主義である。  最終案では「① 経済学に固有な能力として(抽象 的思考・演繹的思考・機能的思考・数量的スキル・問 題設定能力・全体を総合的に把握する能力)が,② ジェネリックスキルとして,論理的批判的思考能力・ 情報収集能力・数値データの理解活用能力・問題解決 能力・グローバルな市民としての社会的責任」が挙げ られている。概ね理解できるが能力とスキルが混在し ているのは残念である。  参照基準が出てきた背景には,1998 年の大学審議 会答申以来の大学の種別化(大学院大学・最先端志向 の大学・生涯学習提供大学・職業能力育成大学・教養 教育の大学)の進行の中で,経済学教育の「ミニマム エッセンス」を考慮しようとしたものであろう。しか し,アメリカの事情と違って,日本の経済学会は多様 性をもっている。

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4 どの教育の現場でも「どのような教材を, どのように,どこまで教えるか」の点で教 員の力量が問われる。  特に,日本の大学では教育への関心は低く,さらに 教育とは教育方法のことと捉える傾向もあるが,どの ような内容が求められるかの観点が見直されなければ ならないのではないか。この中では,経済学派によっ て教育で求めている内容はなぜ,どのように異なるか の吟味も欠かせない。学習意欲がどのように高まるか は近代理論の主流派の場合は数理的展開の精緻さに関 心を持つ若者は魅了される。それ以外の経済学派の場 合は経済現象の発生原因の追究やその理論化に感動す ることになる。また,ニュークラシカル学派の主張で は,格差の拡大が社会を活気づけるという観点も根強 い,その学校やゼミが経済学の研究者として成長して いくことに自信を深めさせる状態か経済学を生かして 仕事に就く学生が多いのかでも経済学教育の在り方は 異なってくる。学校教育では経済分野を暗記科目とし てしか扱わない状態(大学時代に経済学を学んだ学校 教師が少ないことからくる)か経済現象を中心にした 学びを進める状態かで異なる。経済学は社会認識の基 礎であることに変わりはない。  近代教育の歩みの特徴は経済社会が生み出す,増大 していく知識の伝達に力点が置かれ,リアルな現実を 知ることや人間の交流,生き方にかかわる観点は次第 に希薄になってきた。Ⅱでみた「経済的センス」は筆 者の授業の実践では生き方に関わる話が関係すること によって,学生の反応は深まった。  新たなことを知った感動が広がる授業をどのように 作っていくか。ここで,経済教育学会が積み上げてき た成果をここでの議論に関係する限りで紹介し(順不 同)ておく。  以上の経済教育学会の研究や実践の中では,教育評 価に関してのものが少ない点が課題としてある。 ○ 結局は「経済学の参照基準」がどれだけ多様性 1 制度化等 経済学の制度化のいきさつ 経済学の多様性と教育の見方の違い 2 教科書 学生・院生間での各種の経済学のテキス トを読み比べた指導 近代経済学とマルクス経済学を融合した 教育 経済教育の学習構造化 経済教育のカリキュラム開発 経済教育のミニマムエッセンシャルズの 研究 3 大講義 数式シミュレーションを教えた経験 リレー講義(企業人と外国人による) オムニバス講義(他分野の学内の教員に よる) 会計学から見た利潤 ビデオの制作と発表 大講義でのディベートの指導 学生の体験重視型学習の指導 K J法を使った教育 株式ゲームをやってみて ケースメソッドを使った経験 教員と学生の双方向授業の追求 ゲーム教材の活用 新聞を教材にした講義 学生と TPP 問題を議論した経験 年金から始める授業 4 ゼミナール 学生のテーマ設定の指導 プログラミング教育を超えた情報教育 (日経 NEEDS 等の)大型データ処理の指 導 5 環境 各経済学派と環境への対応の違い 食と農と経済教育 環境勘定の算定 6 調査・地域 大学改革に対する教員の意識調査 金融教育と経済倫理観の関係調査  地域フィールドワークの実際 仮想企業プログラムの指導 地域商店街のホームページ作り 地域の起業家の経験調査 7 統計 統計科目と情報科目の担当者の連携 回帰分析と様々なモデルの実証的比較 8 キャリア 経済政策と進路指導 大学によって異なるキャリア教育のニー ズ 労働の実態とキャリア教育 キャリア教育と経済学のリテラシー グループ・ワークでの能力アップ 9 平和学 地域商店街のホームページ作り 平和活動を考える

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を含むことになったかは日本の経済分野の担当 教員の努力の反映であることになる。 ○ アメリカの教育政策の表面的機械的適用は好ま しくはない。 ○ J.S.ブルーナーの『教育の過程』に始まる,科 学の学習構造化は学習者が科学の各分野の基礎 概念の理解を教員がどのように進めるかの過程 を実際に示し論じたもので,教育の現場で参考 になる。 ○ 課題の重要な一つは各々の経済理論の立場から, 経済現象の主要な特徴や発生原因を説明できる 理論の提議ではないか。ツールとして数理的モ デル形成的な展開か,叙述的な展開かは問題の 核心ではない。経済理論の世界での勝負と決着 が肝心である。 ○ 統計分析は公表されている資料そのものを解釈 的に意味を考えることに留まらず,計量的方法 による分析が有効である。 ○ 最後に,日本の大学の経済教育に関わる教員が 入念な教材研究など教育の実践面でも成果を上 げ蓄積されていくことが期待される。経済教育 に関する研究や必要な教材は情報ネットワーク も使って形成し発信していく必要があろう。 参考文献 経済学分野  [1] 日本学術会議経済学委員会経済学分野の参照基準検討 HP,http://www.iwamoto.e.u-tokyo.ac.jp/memo/SBS/ index.html  [2] 日本経済学会[2010]『日本経済学会 75 年史―回顧と 展望―』有斐閣  [3] ミンスキー,H.P.[1989] 『金融不安定性の経済学─ 歴史・理論・政策』浅田統一郎ほか訳,多賀出版   [4] マンキュー,N.G(足立英之ほか訳)[2005]『マンキュー 経済学』東洋経済新報社  [5] 吉川洋[2000] 『現代マクロ経済学』創文社  [6] アンデルセン,E.S.(八木紀一郎ほか訳)[2003] 『進 化的経済学ーシュンペーターを超えて』シュプリン ガー・フェアラーク東京  [7] 岩田年浩 [2009]『科学が明らかにした投資変動の予 測力』第 3 版,学文社 教育学分野  [1] 長田新[1955] 『教育学』改訂版,岩波書店  [2] 竹中暉雄ほか[1977] 『時代と向き合う教育学』ナカ ニシヤ出版  [3] 堀尾輝久ほか[1985] 『教育の原理』Ⅰ,Ⅱ 東京大 学出版会  [4] ブルーナー,J.S.(佐藤三郎・鈴木祥蔵訳)[1963]『教育 の過程』岩波書店  [5] 苅谷剛彦[1995] 『大衆教育社会のゆくえ』中央公論 社  [6] 岩田年浩[2007] 『経済学教育論の研究』関西大学出 版部 

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