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ISSN 0389-5254

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操縦士協会のめざすもの

(第204回理事会決議) 1. 私達の活動の目的は、 定款に定められた通り 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保 につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、 もって我が国航空の健全な発展を促 進する」 ことです。 2. 私達は、 定款の目的を踏まえ、 将来のあるべき姿として 「安全で誰からも信頼され、 愛 される航空を実現する」 というビジョンを描いています。 3. 私達は、 目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。  航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、 社会全体で安全意識を高めて行くこと)  地球環境と航空の発展との調和を図る。  航空に携わるものどうしが心を通わせ共存共栄を図る。

第44期 (平成20年度) 重点施策

操縦士協会の目指すもの を達成するために次のスローガンを掲げて取り組みます。 SAFETY ECOLOGY HUMANITY

航空の 「健全な発展と活力」 は、 操縦士だけでは維持できません。 社会とりわけ航空 関係者の理解が必要です。 操縦士が集い航空の現状と課題を幅広く伝え、 情報の共有化 を促進させます。 国際活動は、 参加目的を交流と情報収集の段階から一歩進め、 これま で以上に操縦士協会の存在を印象付けていきます。 ・操縦士組織の PR 活動 ・航空関連情報・知識の提供と技能支援 ・操縦士の専門知識と経験を活かす ・社会的な信頼の構築 ・関係団体との協力と交流 ・財務の健全化

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協会の会員は、 下記のように分かれます。 正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、 原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。 賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。 個人賛助会員は、 満16歳以上の操 縦士技能証明を持たない方で、 法人賛助会員の資格は、 特に定めはありません。 正会員の会費;60歳未満:月額 1,700円 (内訳1,500円:協会運営費、 200円:共済費) 60歳以上:月額 1,500円:協会運営費 個人賛助会員; 月額 1,500円:協会運営費 法人賛助会員: 一口年額 50,000円:協会運営費 皆 様 の ご 入 会 を お 待 ち 致 し て お り ま す !

社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail [email protected]

Home page URL http://www.japa.or.jp/

お申し込みは別途 「入会申込書」 をお送り致しますので、 事務局までご連絡下さい。 JAPAは公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。 目的 本協会は、 航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を 行い、 もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的とする。 入会すると? ①協会機関誌 (AIM・PILOT誌など) の無償入手 ②航空関連商品 (書籍等) の割引購入 ③会員向け、 空港施設見学や講習会への参加 ④協会契約割引施設の利用

●航空会館 ●JTB 日石三菱● ● 三 井 住 友 三 菱 東 京 U F J 銀 行 ● 日 本 酸 素 ● ● 森 ビ ル 20 ● 八 洲 電 気 烏森通り 至銀座 ■ 汽 車 NTTドコモ 赤 レ ン ガ 通 り 烏森口 ニ ュ ー 新 橋 ビ ル キムラヤ● 至品川 そ ば や ● カ フ ェ ・ ベ ロ ー チ ェ ● 西 高 楼 飯 店 至虎ノ門 入 口 は こ ち ら 側 に あ り ま す

至東京 外堀通り

J

R

歩道橋

● ●みずほ銀行 ● りそな銀行

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C O N T E N T S

社団

日本航空機操縦士協会

4 特集 シニア・パイロットのエピソード (第21回) 航空自衛隊の歴史と共に歩んだ 36年間を回顧する 阿部 博男 11 法政大学理工学部機械工学科 航空操縦学専修実技実習講座開講 福島空港が熱い! 柳井 健三 奥貫 博 14 飛行艇の操縦体験報告 必須!バック・サイド・テクニック −海上自衛隊第31航空群 (岩国) 第71航空隊研修から− 23 飛行艇あれこれ FT 委員会研修後に得られた情報 岩瀬 健祐 30 GA:ジェネアビ情報 枕崎空港 奥貫 博

36 World Safety Report

CALLBACK Number342 47 マスター CFI 市川 寛晃 49 航空気象 台風と数値予報 台風の中心位置と進路予想は乗員にとって重要か? 航空気象委員会 65 安全キャラバン (東京ヘリポート編) 前編 榎本 洋孝 70 特別寄稿 中国の航空交通管制と安全保障 ―「三亜飛行情報区」 を例にして 後編 安田 淳 77 航空史曼陀羅 その25. 熊川良太郎と昭和初期の 民間パイロット事情 徳田 忠成 83 I Aviation ―アメリカの空から想う― 第2回 Make it Simple!

No.310 2008 No.5 SEP

88 地球環境問題関連用語の解説 18 90 FAI ニュース 奥貫 博 91 参加報告 コウノトリ但馬空港フェスティバル'08 奥貫 博 95 開催予告 第30回 ATS シンポジウム開催のご案内 安全で効率の良い運航と航空管制 ATS 委員会 96 開催予告 第3回 航空気象シンポジウム 西日本支部だより 西日本支部 97 開催予告 機長昇格を目指す方々へ、 JAPA からの特別企画 平成20年度 機長養成講習会開催案内 エアライン委員会 98 開催予告 2008 FAI AEROBATICS 日本グランプリ 奥貫 博 99 開催報告 熊本タワー見学会 九州支部 100 開催報告 航空教室 in 西表島 中地 由希香 102 SP (シニア・パイロット) 懇親会のご案内 103 JAPA 通信 106 オススメ!情報ボックス 書籍 & Goods 紹介 107 JAPA で飛行訓練を! JAPA のシミュレーター Flight Training Device

FTD 訓練室

108 JAPA Aerial Photo Exhibition 110 編集後記

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徳田:今日はお休みのところ、 お時間をいただ き有難うございます。 早速ですが、 略歴を拝見 しますと、 満州 (現・中国大陸東北部) で終戦 を迎えられたのですね。 この頃から飛行機への 関心がおありだったのですか。 阿部:関心はありましたが、 パイロットになる ことは考えておりませんでした。 私は男ばかり 7人兄弟の6男として東京で生まれました。 父・ 俊男は東大で細菌学を専攻した医学者で伝染病 の研究をしており、 若い頃は、 長崎医大で教鞭 をとったりしておりました。 昭和10年、 満洲に 伝染病研究所を創るために、 家族で東京から渡 満したのです。 終戦時は新京 (現・長春) にお りました。 3男は海軍機関学校を出て一式陸攻 のパイロットでしたし、 すぐ上の5男は飛行機 好きで、 終戦の年4月に満州航空の乗員養成所 に入ったのです。 しかし、 私はパイロットなる ことは考えておりませんでした。 体が丈夫では なかったですしね。 徳田:そうですか。 今では考えられませんね。 それにしても帰国は大変だったでしょうね。 阿部:一時期、 家はソ連軍に没収されるなど大 変でした。 約一年後に、 父親と母、 弟を残して 帰国することになりました。 父は衛生行政継続の ため、 国連の指示を受け現地に残りました。 結 局、 帰国できませんでした。 過労からでしょうか、 22年4月に亡くなりました。 享年56歳でした。 徳田:帰国後の仙台では、 大変な思いをされた と思いますが。 阿部:父の郷里である仙台の家 (古くからの病 院) は戦災で喪失しておりました。 病院を引き 継いで開業していた叔父が郊外に疎開しており ましたので、 そこで一年ほど世話になりました。 やがて母と弟が引き上げてきて、 なんとか生き のびました。 それで高校卒業後、 満州での幼馴 染の友人が保安大学校 (現・防衛大学校) の願 書をもってきて、 面白いから受けようというこ とになったのです。 戦後、 満州で軍隊に守られ ていない不安感を体験していただけに、 漠然と 防衛の必要性は感じていましたが、 保安大学校 受験時の動機は、 この程度でした。 当時は陸の 保安隊と海の警備隊とでした。 海軍の兄の影響 もあって海上要員として受験したのです。 総数 400名で陸が300名、 海が100名でした。 徳田:在学中に航空自衛隊が誕生しましたね。 阿部:29年に航空自衛隊が誕生しました。 翌年 から航空要員が採用されるようになり、 在校生 全員が、 航空適性検査を受けることになったの です。 航空への期待が大きかったのですね。 幸 い合格することができました。 陸上、 海上の両 自衛隊にも航空部隊がありますが、 どうせパイ ロットになるなら航空自衛隊がいいという訳で 空へ進んだのです。 50名が空へ移りました。 海 上からは半数が航空要員と言われていましたが 7名だけでした。 この内、 46名がパイロット・ コースへ進んだのです。 徳田:防大ご卒業後の、 飛行訓練、 それから米 留時代の話をお聞かせください。

父は医学者

パイロットへの動機は航空適性検査後

米空軍の操縦教育に共感

特 集

防大生の頃 20歳 76歳

航空

空自

自衛

衛隊

隊の

の歴

歴史

史と

と共

共に

に歩

歩ん

んだ

3366年

年間

間を

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回顧

顧す

する

阿部

博男

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21

1回

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)

(7)

阿部:第1操縦学校 (山口県小月基地) で T-34 初級練習機 「メンター」 を修了しました。 教官は山口文一さんで、 戦時中は主に東南アジ アで活躍され、 総撃墜数19機という歴戦の勇士 でした。 初対面で、 第二次大戦での黒江保彦さ んの勇猛果敢な活躍を賞揚し、 私どもの修養目 標として示されたことが印象的でした。 それか ら第2操縦学校 (宇都宮基地) で T-6 の履修 途中、 突然、 米留の話が持ち上がったのです。 航空自衛隊の第2航空団 (北海道千歳基地) 創 設のための F86F 移動時の事故で、 操縦教育訓 練の流れが停滞してしまったのと、 丁度、 朝鮮 戦争の終結で、 米空軍の飛行訓練に余裕ができ た時だったことで、 20名 (陸士2名、 幹校8名、 防大1期10名) が米留しました。 徳田:米空軍での訓練では、 T-34、 T-37、 T-33、 F86L(注1) をお乗りになったようですが、 彼らの訓練手法に感心されたとか。 阿部:最初の初級操縦訓練課程で1人の教官が 3人の訓練生を担当したのですが、 進度の遅い 訓練生に対して、 先ず教官を替えて状況をみる のです。 それでダメな場合は、 別のグループに 入れて様子をみる。 それでもダメな場合は、 次 の期に落として再び様子をみる。 さらにダメな 場合に、 はじめて本人のパイロットへの道が無 理であることを説得し、 納得させてはじめて職 種変換をすすめていました。 あくまで本人の熱 意を尊重していたのが印象に残りました。 この 手法は、 多民族国家の故かと思いますが、 現状 分析をして、 徹底して対策を立てることで、 日 本人との違いを感じました。 日本人教官は、 以 心伝心に頼っているように思います。 単一民族 のためでしょうか、 伝統的に 「技術を盗め」 と いう考えが強いようです。 米軍の手法は、 何故、 このような結果になるかという分析に優れてい ると思いました。 これは操縦に限らないことで すがね。 徳田:ところで将来の幕僚長候補といわれた、 第2航空団所属の西光3佐 (海兵75期) が、 39 年4月、 F104J の最初の犠牲者になられまし たが、 事故にまつわるお話をお願いします。 F104J そのものに問題があったのでしょうか。 阿部:機種の問題ではありません。 只、 この F104J を導入することになったときに、 ECP (Engineer Change Proposal) という Option が多数提案されたようです。 予算の制約でこれ を全項目、 一度に買うことが出来なかったので す。 たまたま事故の原因になった Engine Noz-zle Closer Function の故障は、 機械的にこれ を閉めて推力を確保する必要があるのですが、 その ECP は採用されていませんでした。 この ため、 なす術がなく、 Nozzle は開きっぱなし で推力不足になり、 飛行場にたどり着くことが できなかったと聞いています。 西さんはベイル アウトなされば良かったのですが、 責任感が強 い方で、 新しく導入したばかりの飛行機を無事、 帰還させたいと思われたようです。 徳田:この事故は一般に F104J の欠陥のよう にいわれていますが、 背景を理解することがで きました。 それにしても西ドイツは、 この機体 で事故が多発し、 Widow Maker などと皮肉ら れていましたね。 阿部:それは Mission が違うからです。 われ われは高度のある要撃 Mission ですし、 西ド イツは低高度機動を要する対地攻撃任務でした から、 それだけ危険度も高いのです。

西光3佐の殉職の原因

防大時代、 学生服で T-6 テキサンに搭乗するところ

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徳田:帰国後、 第3航空団の F86D の 101飛行 隊 (教育部隊)、 そして小松基地、 六本木の航 空幕僚監部へ移られましたね。 阿部:42年8月に六本木の航空幕僚監部へ移っ た経緯をお話しましょう。 私が39年秋、 最初の 任地である第3航空団 (小牧基地) で、 飛行場 当直 (Air Base Officer) 勤務に就いていた時、 たまたま F86F で航空総隊の防衛部長だった黒 江さんが来られ、 半日間ほど話をする機会があ りました。 そこで F104J スターファイター戦 力化の話になり、 「F104J にロケット弾を搭載 しても、 ほとんど役に立たないのに全天候戦闘 機などというのはおかしい」 と、 多くの F86F 出身のパイロットが主張していることが話題と なりました。 その時 「役に立たなければ役に立 つようにすべきで、 批判だけする輩は国賊だ」 と、 私が言ったことになってしまいました。 このことを黒江さんが、 第2航空団 (千歳基 地 ) で 、 F104J の 戦 力 化 を 担 当 さ れ て い た F86F 出身の横田義夫さん (陸士58期) に伝言 したようです。 横田さんは、 その後、 FX 選定 の要になる人ですが、 その時、 「オレを国賊と 言った阿部という奴はどんな働きをするか使っ てみよう」 ということで、 六本木の航空幕僚監 部で第2次 FX 選定作業に従事するようになっ たのです。 普通、 このようなことを言った場合、 「生意気だ、 この野郎!」 ですが、 横田さんの 太っ腹には今でも感謝しています。 横田さんの お陰で、 その後の私の去就が大きく変わったと 思います。 この時は、 ご存知のように F4EJ ファ ントムに決まりました。 徳田:ロッキード事件では大変でしたから、 機 種選定には神経を使われたでしょうね。 阿部:いろいろありましたが、 ここでは、 大変 勉強させていただきました。 山田良市、 横田義 夫、 副島嘉豊、 甲斐省吾 (整備)、 後藤彰 (整 備)、 鷹尾洋保 (技術) の方々が参画されてい ましたが、 何か問題が生じると、 全員でパーッ と処理してしまい、 さながら台所のディスポー ザーのようで、 それは見事なものでした。 政治的な問題も、 身を潔白におき、 道理を説 くことで問題は生じませんでした。 私は関係各 方面からくる有象無象の怪文書処理係でしたが、 無理難題というより、 素人によるトンチンカン な文書が入ってくるのです。 例えば Angle of Attack (迎え角) を 「攻撃角」 などといって くる。 馬鹿馬鹿しいことですが、 それらにキチッ と対応することで切り抜けることができました。 米空軍のエドワード・テストセンターで F4 の実機による飛行テストを実施しました。 これ で F4 は F104 に比較して飛行性能に余裕があ ることが判りました。 最高速度は、 通常2.27マッ ハで抑えられていますが、 2.5マッハ (−) を 確認できたのです。 ズームアップ上昇能力は、

第2次新戦闘機選定作業に従事

F4 「ファントム」 をバックに、 エドワーズ空軍基 地テスト・センターにて エドワーズ空軍基地テスト・センターにて、 F4 「ファントム」 をバックに右が阿部氏、 左はマクダ ネルのテスト・パイロット。 この時、 マッハ2.4 (+)、 高度100,000ft を記録した。 注:日本人として最高記録

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F104 の80,000フィートに対して、 80,000フィー トでレベルオフしようとしたところ、 上昇余剰 ポテンシャルで100,000フィートまで上昇して しまいました。 まさにベトナムの実戦で活躍し た性能を確認することになったのです。 徳田:松島の第4航空団司令の時にブルー・イ ンパルス (空自アクロバット・チーム) を復活 されたのですね。 阿部:そうです。 F86F から三菱 T-2 に機種変 換をしたのが57年1月でしたが、 この年の11月 に浜松基地の航空祭で事故が起きました。 5機 が垂直降下して低空で四方に広がるレイン・フォー ルという科目でした。 私は59年6月に、 築城基 地から松島基地に赴任し、 復活に携わることに なりました。 事故後、 既に1年半を経過してお りましたが、 復活の目途はたっていません。 県 の仲介を期待していたようですが、 決局、 無駄 でした。 当事者である我々が解決しなければな らないと覚悟を固め、 先ず地元との信頼関係の 醸成から始めました。 幸い、 地元の矢本町長の 全面的な支援を受け、 一月半で再開に漕ぎつけ ることができました。 ブルーを松島へもってく るという地元の了解をとることから始めるので すが、 地元の首長の方々は決して了解はしてく れません。 「何とかしなければならない」 と皆 様思ってくれておりますので、 粘り強く交渉し、 二度と事故は起こさないことを理解してもらう 必要がありました。 松島で再開したのは59年7 月29日からでした。 約64,000人の観客で盛況で した。 正式には第21飛行隊 「戦技研究班」 とい います。 徳田:阿部さんの松島在任中は無事故でしたが、 退任後に、 再び事故に見舞われました。 阿部:残念ながら、 平成3年7月の金華山沖で 事故を起しました。 勿論、 あらゆる安全対策は 立てますが、 とにかく現場の過信が災いの元だ と思います。 極めて危険度の高いコントロール を練習する訳ですが、 それまでの訓練のプロセ スが充分とはいえません。 つまり安全な場所で のリハーサルが徹底していないのです。 歌舞伎 でも交響楽団の演奏でも、 徹底してリハーサル をやります。 これが不十分にもかかわらず、 無 理をしてしまうのです。 他面、 リハーサルには 意外なメリットがありました。 技量上の余裕も できますし、 基地上空で練習すると、 基地の隊 員が楽しむことができるのです。 彼らは航空祭 では忙しいですからね。 金華山のときは、 雲中 飛行による事故でしたが、 やはりリハーサルと しての場所としては不適でした。 その後、 川崎 T-4 に替わり、 幸いに現在まで展示での事故も なく、 航空祭のときは皆さんに楽しんで戴いて おります。 徳田:ブルー事故とも関連しますが、 飛行安全 対策には、 ご苦労があったと思いますが。 阿部:私の在任中も何回か航空事故がありまし たが、 幸いにも私の直接責任においての死亡事 故は起きていません。 私が新田原基地で飛行隊 長をしていたとき、 難波正樹 (航空学生23期) 訓練生が F104J の転換教育を無事終了し、 教 官要員として2∼3回飛行訓練を実施した時、 10,000ft くらいで Flame-Out して墜落した事 故がありました。 本人はベイルアウトして助かっ たのですが、 その事故原因を正直に言ってくれ ました。 専門的になりますが、 ガードが掛かっ てワイヤリングされている Main Fuel Shut-off V. スイッチと Tip Tank Feeding V. スイッ チとが並列に並んでおり、 誤って前者を切って

ブルー・インパルスの復活

「ハインリッヒの法則」 は生きている

第8航空団 (築城基地) でのファントムによるアラー ト勤務の頃。 F4EJ 「ファントム」 で (昭和57年)

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しまったのです。 お蔭で、 その後の同種事故を 未然に防いだ好例です。 更にこういうことがありました。 飛行教育集 団司令官のときに、 T-1 ジェット練習機の単独 飛行訓練で Split Flap になった事故で殉職さ せてしまいました。 原因は Flap をコントロー ルしている Flexible Shaft が、 要求性能を満 足していない規格外だったのです。 これも早速、 検討され改善されました。 徳田:飛行安全問題は、 航空に携る者にとって、 官民共に永遠の課題ですね。 阿部:その通りです。 珍しい事故原因がありま す。 アクロもやった優秀なパイロットである滝 川守正 (操縦学生5期) 飛行隊長が、 T-2 で主、 補助電源の両方がアウトの状況でなんとか降り てきました。 T-2 で両電源が不作動になると非 常に危険で、 彼の沈着さと技量あってこその結 果でした。 私は対策として UR (Unsatisfac-tory Report) を発出して、 徹底して原因究明 をしてもらったところ、 意外なことが分ったの です。 両方の電源制御装置が T-2 の後席に装 備されており、 旋回をするときの太陽光線で、 その機器に使用されているダイオードの容量が 変わり、 それが故障原因に繋がっていたのです。 国産技術の限界を見た思いがしました。 徳田:なかなか興味ある話です。 飛行機と人間 との技術開発の葛藤の歴史そのものです。 阿部:第4航空団 (松島基地) に行って思った のは、 事故が起こるときは、 起こるべくして起 こるということです。 1対29対300の 「ハイン リッヒの法則」 にもあるように、 事故が起こる ときは、 相当に抜けている、 分かりやすくいえ ば 「弛んでいる」 素地があると思うのです。 例 えば具体的には、 本当のことを言わない、 つま り報告が正しくない、 やっていないことをやっ たと言う、 いわゆる Discipline に欠けている のですね。 それが事故につながっていくと思い ます。 ハインリッヒの300は、 このような些細 なことを含むもので、 上下の意思の疎通が良く 図られ、 明るく溌剌として活動する組織には事 故は無縁であると思います。 徳田:63年7月に、 飛行教育集団司令官(注2) に 就任され、 いわゆる飛行教育のトップに立たれ訳 ですが、 教育の基本はどのようにお考えでしたか。 阿部:教育の基本は、 当たり前のことを確実に、 しっかりやることに尽きると思います。 よく、 実戦的訓練などというと、 何か攻撃的でむちゃ くちゃに思われがちですが、 要は基本の積み重 ねが最重要だということです。 基本がシッカリ していれば、 どんな状況にも対応できるはずで す。 パイロットに関しては、 飛行技術もさるこ とながら、 心技体のバランスのとれた人間を育 てたいという考えに終始しました。 徳田:教育指針は、 具体的にどのような内容で したか。 阿部:航空教育集団では、 飛行教育集団のみな らず、 術科学校や幹部候補生学校なども組織下 になりましたので、 教育部隊運営上の 「教育の 理念」 を確立・徹底すべく腐心しました。 自衛 隊というところは、 基本的に縦割りの世界です が、 上意下達の一方通行ではなく、 上位者は下 位者を確実に掌握している必要があります。 彼 らの働きに関心をもち、 その功績を認め、 褒め ることで組織が活性化する筈です。 かつてのヨー ロッパ戦線で、 アイゼンハワー司令官の参謀長

基本の積み重ねと部下を思う心が重要

飛行教育集団司令官に着任 (空将) の頃の阿部氏 (昭和63年7月)

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として活躍したブラッドレーの言葉として、 デ モクラティックの軍隊で、 統率の意図するとこ ろは、 「厳格ではなく堅確」 「わからず屋ではな く和合」 「放縦ではなく正義」 「狭量ではなく人 間味」 「我が儘ではなく寛大」 「自己中心ではな く自尊心」 という言葉を肝に銘じ、 この考えを 実践するように努力しました。 徳田:今おっしゃった言葉は、 どの組織でも通 じることですね。 徳田:航空自衛隊退職後、 日本エアシステムの 顧問に就かれて、 自衛隊退職パイロットの民間 への移籍にご尽力されましたが、 経緯をお聞か せ下さい。 阿部:61年秋以来、 日本の内需は急速に拡大し ましたが、 この年6月、 「航空輸送の発展推進」 という運輸政策審議会の答申を受けて、 民間航 空は激しい競争時代に入りました。 業績をのば す条件として、 パイロットの確保が浮上してき たのです。 当時、 日本エアシステム (JAS) は、 日本 エアコミューター (JAC) に YS-11 と操縦者 を提供しておりました。 そこで、 YS の操縦者 をエアシステムの方に引き上げることを考えた のです。 その穴埋めとして航空自衛隊の定年退 職者を定期運送に必要な資格を取らせることを 考えたのです。 しかも、 より軽易な資格 (上級 事業用) で運航できる航空機サーブ 340B を YS の後継機として導入したのでした。 しかし、 定年になろうとする段階での資格取得は困難を 極め、 結局一人としてこの計画でサーブの乗員 になった者はなく、 新機種導入のため、 かえっ て JAS から貴重な操縦者を出向させることとな り残念な結果になりました。 その後、 定年退職 者については、 航空自衛隊の輸送機等で ATR を取得し、 運航に従事していた者が少数ではあ りますが JAC で活躍することになりました。 一方、 運輸省、 防衛庁など関係省庁は、 「割 愛」 制度を円滑且つ計画的に行うため、 割愛制 度発足当時に作成された覚書の骨子を再確認し、 これを改めて、 その後の方針・了解事項とした のです。 つまり 「割愛対象者は35歳以上」 「自 己都合退職者は2年間の冷却期間をおく」 とし ました。 自衛隊パイロット養成には、 巨額な税 金が投じられていますから、 防衛省としては、 少なくともこれらの条件は当然だと思います。 他方、 旺盛な民需に対応するためにも、 自衛 隊で存分に活躍し、 人格、 識見、 技量のすべて において、 申し分のない者が転職していっても らいたいものです。 組織にしても個人にしても、 後 顧 の 憂 い な く 官 か ら 民 へ 移 る べ く 、 私 が JAS 顧問になった理由も、 こういう背景があ ります。 Air Power の視点からみると、 パイ ロットというのは自衛隊にしろ民間にしろ、 一 朝一夕には生まれないにもかかわらず、 彼らが 蓄えた経験と知識が十分に活用されていません。 主要先進国は例外なく活用を図っています。 パ イロットとしての基本は同一ですから、 それぞ れに相互の意思の疎通を図りながら、 将来は一 元管理の道を探り、 恒常的な具体的割愛制度の 確立が望ましいと思います。 徳田:航空自由化の時代、 この問題はますます 重要な課題になると思います。 徳田:影響を受けられた人物ないし座右の銘が ありましたらお教え下さい。 阿部:身近な存在では、 横田義夫さんです。 空

パイロットの有効活用が不十分

座右の銘は 「先憂後楽」

日本エアシステム常勤顧問時代 (平成2年6月)

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将補のときにご病気で亡くなられましたが、 そ の器量に多くを学びました。 座右の銘は 「先憂 後楽」 です。 「他人より先に心配し、 他人より 後に楽しむ」 という意味です。 東京や岡山にあ る後楽園の名前の由来になっていますが、 少な くとも、 そのように心掛けるということです。 これはリーダーシップの必須条件だと思います。 徳田:最後に一言、 これからの自衛隊の在り方 について、 ご意見をお聞かせ下さい。 阿部:日本の防衛についての議論は続いていま すが、 少なくとも自衛隊なしでは、 日本の安全 は考えられません。 日本の国是ということもあり、 もう一つ防衛に対する国民の理解が浸透してい るとは言い難いのですが、 隊員諸兄姉は、 時代々々 の世論に左右されることなく、 目的意識をシッ カリもって任務に精励してもらいたいと思いま す。 是々非々で組織は動くべきですが、 日本人 に有りがちな情緒だけでは駄目です。 これから のハイテク技術を駆使する時代に対応すべく、 論理的な議論を積み重ねて、 皆が同じ方向へ行 くということが重要です。 これは同時に、 社会 のどの組織でも通用するのではないでしょうか。 徳田:ごもっともだと思います。 本日は長い間、 本当に有難うございました。 阿部博男氏略歴: 昭和7年8月29日 東京都生れ 昭和32年3月 防衛大学校卒 (1期生) 昭和32年6月 第一操縦学校初級操縦課程 (小 月基地) 修了、 (T34 「メンター」) 昭和32年12月 第二操縦学校中級操縦課程 (宇 都宮基地) 訓練、 (T6 「テキサン」) 昭和33年5月 2年間の米留 全天候要撃機操 縦課程 (T34、 T37、 T33、 F86L) 昭和35年5月 第3航空団 (小牧基地)、 F86D 全天候要撃戦闘機教官 昭和57年7月 第8航空団司令兼築城基地司令、 空将補 (F4EJ、 F-1、 T-2) 昭和59年6月 第4航空団司令兼松島基地司令 昭和61年3月 南西航空混成団司令官 (那覇基 地)、 空将 (F4EJ、 T-33) 昭和62年7月 西部航空方面隊司令官 (福岡県、 春日基地) (F4EJ、 T-33) 昭和63年7月 飛行教育集団司令官 (浜松基地) 平成1年3月 航空教育集団司令官 (浜松基地) 平成2年6月∼14年6月 日本エアシステム常 勤顧問 平成4年6月∼ディフェンス・リサーチ・セ ンター評議員、 研究員 平成12年3月∼15年6月 防衛大学校同窓生会々長 総飛行時間 3,951時間

論理的積み重ねが重要

注1:ノースアメリカン F86L は、 F86D 全天候戦闘 機の発展型で、 F86シリーズは、 A/D/E/F/H/ K/L があり、 航空自衛隊は、 供与も含めてF 型255機、 D型122機が使用された。 なお F86L 型は、 米国とタイ空軍でのみ使用された。 注2:航空自衛隊は、 主に現場を統括する航空総体、 これを支援する航空支援集団、 それに教育部 門の飛行教育集団の3本柱から成っている。 飛行教育集団は、 平成元年度から組織改編に より、 航空教育集団となって発展的に解消した。 取材を終えて:阿部家は、 祖父は緒方洪庵が 興した適塾に始まる西洋医学を修得した医学 者、 ご尊父、 親族、 兄弟とも医学・工学に関 わっている秀才揃いの家系である。 そんな中 で防衛大学校へ進学された阿部氏は異色の存 在であった。 昭和32年3月に防大をご卒業、 常に航空自衛隊の中枢を歩まれ、 その基盤を 築かれたことは、 略歴の示す如くである。 し かも、 退官後は日本エアシステム常勤顧問と して、 自衛隊退職パイロットの民間への橋渡 しにご尽力されたことは、 われわれの記憶に 新しい。 川崎市高津区にある梶ヶ谷の閑静な ご自宅にお伺いした。 かつての煌びやかな経 歴に奢ることなく、 往時を淡々と語られる口 ぶりは、 深く強い愛情によって部下をご指導 されたであろう心情が伝わってくるようだっ た。 ご夫妻共に、 心から末永くのご多幸をお 祈りします。 徳田 記

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このたび法政大学が理工学部機械工学科に、 いわゆる操縦専修講座を設置し、 実技訓練フラ イトのオープニングを披露するので、 取材にい らっしゃいませんかとの連絡を受けた。 法政大学とわが国操縦士の結びつきには80年 に及ぶ長い歴史が横たわる。 アマチュアの飛行 家組織、 「日本学生航空連盟」 の先駆として、 1930年には既に同学航空研究会があり、 後に同 学学生操縦士により、 訪欧飛行などが行われた と記録にある。 法政大学では急務である日本のパイロット養 成のため、 日本航空 (JAL) 国土交通省 (航 空大学) 等の企業、 機関の協力支援体制を構築 し、 福島空港および地方自治体のバックアップ を受け、 このたび航空機操縦学専修実技実習の 開講にこぎつけた。 実技実習の行われる場所は福島空港。 本学の ある東京から200km 隔たる地方空港とはいえ、 2500m の滑走路1本と精密進入施設、 大型機 材6機分の広いランプ、 CIQ 常設の国際線ター ミナルをもち、 福島県の紹介によれば 「2500台 分の無料駐車場」 を用意、 とある。 利用者にも これは魅力だ。 広さとトラフィックの少なさに違和感がある のは、 この空港に GA の活動がほとんど無い からだろうか。 ここに初めて、 エアライン以外 の活動拠点として操縦訓練専門施設が誕生した のだ。 開講式典は福島県副知事、 須賀川市長、 地元 玉川村村長、 アルファアビエーション代表の 祝辞と、 同学理工学部教授陣の挨拶があり、 同 講座開設の意義と理念などが紹介された。 近年の操縦士不足と航空産業の活性化を促す ため、 「日本の空でパイロットを育てる」 「操縦 できるエンジニアを育てる」 の2つの理念に基 づき、 福島空港と周辺企業、 住民の理解・協力 のもとに進める、 との内容であった。 同講座教授陣の一部は航空業界及び官界から の起用である。 また、 実技実習をアルファアビエーション が委託を受けて実施する。 敷地内には施設、 訓 練機材など斬新なものが用意されていた。 フライトスクール 法政大学 航空操縦学専修 日本航空(JAL) 海外の大学 航空大学校 メーカー 国土交通省 TEAM HOSEI 福島空港 訓練教室と訓練機 Diamond DA40型機

法政大学理工学部機械工学科

航空操縦学専修実技実習講座開講

写真

奥貫

編集委員 記事

柳井 健三

福島

島空

空港

港が

が熱

熱い

い!

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余裕のある敷地に建つ格納庫と教室には、 ラ ンプ地区を経ないとたどり着けない不便を残し てはいるが、 増設への敷地を確保するなど、 大 きく将来への展開を見越している。 私立大学が、 操縦士を養成する目的の学科を 設置するのは近年の傾向。 法政大学は理工学部 内に操縦学専修講座を設ける。 他の多くが実技 訓練を外国に委託するなか、 資格付与までの全 課程を日本国内で実施すると言う。 「モノ造りの国日本」 の将来は航空機を基幹 とする産業に変わる、 これらに従事する技術者 に操縦できる能力を付加する、 つまり 「飛べる エンジニア」 を育てるのが目標となっている。 大学4年次を通して29週間、 65時間以上の操 縦訓練を実施し、 自家用操縦士技能証明を取得 させるカリキュラムが組まれている。 一般産業 界の技術習得訓練の進度、 密度とは異なり、 緩 やかな設定だが、 本来の学業に加え、 個々の進 度に無理なく応ずるには適切な設定だ。 1年次ではエンジニアとしての基礎教育に重 点をおき、 学生の自覚と適性を見極めるため、 操縦実習は1週間と定め、 5飛行時間程度に留 める。 2、 3年次で初等操縦訓練を履修、 4年次に 自家用操縦士の資格を取得させ、 プロパイロッ トへの進路の見極めと、 併せて事業用操縦士以 上の資格取得を目指す。 さらに大学院1, 2年次では 「航空機操縦学」 を専攻し、 航空関連修士資格も併せ取得する。 「航空機操縦学」 とはフライトシミュレータの プログラミングを含む航空工学技術を指すとの ことである。 学生数は初年度24、 次年度以降30とし、 在学 総数120名を見込む。 法政大学では、 福島空港 での訓練が地方の活性化に繋がるとの地元産業 界の理解を得て、 訓練の一部をアルファアビ エーションに委託した。 同社ではこれを受けて、 空港内に専用施設 (格納庫、 および付随設備) を新設した。 初等訓練機材はカナダ Diamond Aircraft 社 の Diamond DA40型単発レシプロ機を初年度 2機、 最大11機 (多発機3機を含む) 配置し、 教官、 スタッフなど講座をサポートする専門の 人材を確保した。 訓練を通して、 学生と教官間の心の交流を図 り、 人格形成にも寄与したいと、 齊藤 静、 同 社代表は語った。 齊藤氏によれば、 法政大学の 計画を受けてから開設までに10年を要したとの ことである。 開講式典後のインタビューに応じる法政大学教授陣 アルファアビエーション社の新設格納庫

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訓練機材の選択にあたり、 ジェット燃料以外 の補給施設のない同空港で、 あえてガソリンエ ンジン機を選んだのは、 型式承認取得の手間を 少しでも簡素化したかったからで、 「それでも 3年かかった」、 と苦労の一部が紹介された。 しかし機材は順次ディーゼルエンジン機などに 変更させる計画と言う。 訓練関連経費について大学関係者の話では、 費用は学生の授業料 (一般学生の約2倍程度で あると) で賄うが、 産業団体のスポンサーシッ プ、 政府補助金なども当然視野にあるらしい。 学生への聞き取りによれば、 大学の指針とは 別に、 多くはプロパイロットへの道を目指して いるようだ。 大学もこの矛盾は分かっているようだが、 学 生たちが、 プロへの移行に4∼6年もの長い時 間と費用を掛ける、 気持ちと財布にゆとりがあ るのだろうか? これは辛口なコメントだが、 疑問も感じる。 この日、 第1期学生6名の実技訓練が2機の DA40型機により披露された。 路線機に合わせ た広い施設と環境を、 小型訓練機が占有する光 景は、 何とも贅沢で、 伸びやかではある。 都会地にある煩雑な空港とトラフィックへの 現実的な対処技術、 問題視されている操縦士の 実務外国語能力への対応など、 彼らが将来遭遇 するであろう場面を思うと、 「純粋培養」 とい う言葉のイメージが重なる。 訓練の安全という見地では、 産業界のように 集中訓練体系がとれない条件で、 学生の技量維 持と心身の管理に一段の注意が払われるべきで ある。 また福島空港の厳しい気象条件への特別 な注意喚起が望まれる。 「操縦できるエンジニア」 と 「プロパイロッ トになりたい学生」 の、 大学と学生間の思いの 隔たりが懸念される。 しかし、 アルファアビエー ション・スタッフ、 福島空港関係者や地元の理 解を得て、 「産学協調ベクトル」 の合力が、 法 政大学の理念に合致するであろうことを願う取 材となった。 問い合わせ先: 法政大学入試センター 〒102-8160 東京都千代田区富士見2−17−1 電話:03 3264 9300 (直通) web :www.hosei.ac.jp/ 航空機操縦学専修 web: www.hosei.ac.jp/riko/koku/ オープニングに選ばれた第1期生6名と教授・スタッ フ陣 プリフライトチェック異常なし! 航空操縦学専修1年生 熊谷 愛美さん

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1. 研修日時 梅雨の合間、 好天に恵まれた平成20年6月27日 (金) 1210∼1610 海上自衛隊岩国航空基地見学 が同部隊の全面的な協力・支援の下に実施された。 経緯:FT 委員会では、 毎年その活動の一環として、 委員所属各社・研究機関での安全で効率的 な飛行試験業務の遂行に役立てるべく、 日本国内の航空宇宙関連企業・機関等を訪れ、 その業務 について見学・研修を行っています。 本年は、 海上自衛隊第51航空隊 (厚木) の訓練指導隊を通 じて、 上記第71航空隊研修を依頼し、 上級司令部である航空集団の承認を経て実現したものです。 この企画実現に多大なご尽力・ご協力をいただいた海上自衛隊関係者の皆様に誌面を借りて厚く 御礼申し上げます。 なお、 当然ながら 飛行艇の操縦体験 は、 実機ではありません。 OFT?で す。 (文責:FT 委員会委員 岩瀬 健祐) US-1A の着水 US-1A

必須!

バック・サイド・テクニック

錦帯橋

−海上自衛隊第31航空群 (岩国) 第71航空隊研修から−

飛行艇の操縦体験報告

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2. 研修目的

開発の経緯と飛行試験の概要等を研修し、 試験飛行操縦士としての見識を深めるとともに今後の 業務及び飛行安全の資とする。

3. 参加者 (計14名)

三菱重工 (3)、 川崎重工 (2)、 富士重工 (2)、 JAXA (5)、 JAMCO (1)、 JAPA (1) 4. 研修実施概要 ・岩国航空基地広報室が前述の研修目的に沿って作成し た、 分単位の基地見学支援計画書に従って以下のよう に研修が開始された。 ・12時30分より、 第71航空隊ブリーフィング・ルームに おいて、 岡本飛行隊長より第71航空隊概要及び U-2 飛行試験概要について説明を受け若干の質疑応答を実 施した。 第71航空隊司令笹見1佐を表敬訪問のため、 菅野 FT 委員会委員長のみ中座した。 ・13時15分頃、 参加者全員集合で US-2 を背景に写真撮 影。 ・13時20分より、 あらかじめ組分けした4組に分かれ、 シミュレータ (US-1A/MH-53E 後者は一 部の組のみ) 研修、 US-2 実機見学、 71空紹介ビデオ閲覧のローテイションで、 効率的な研修を おこなった。 ・研修の最後に、 菅野委員長および岩瀬協会顧問の2名で、 71空を統括する第31航空群司令 植月 海将補を表敬訪問し、 今回の研修へのご協力ご支援に対し謝意を表わした。

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5. 研修内容  71航空隊およびUS-2飛行試験概要等 ① 第71航空隊概要 第71航空隊は、 航空集団隷下の第31航空群に属する3航空隊の中の一つで、 主として、 遭難航 空機や遭難船舶等の捜索・救助等洋上における救難業務、 および都道府県知事等からの要請によ る離島からの患者輸送を任務としている。 隊員数は約200名、 保有する航空機は US-1A を5機 US-2 を2機。 ただし、 厚木航空基地において常時前進待機し、 任務の即応性を図っている。 飛行安全記録:47,022.9時間 (平成7年2月22日∼平成20年4月30日現在* ) * 「安全月報」 2008年第6号より ② 主任務である救難の流れ 上図は、 着水して救助となっているが、 現実には、 救難地点に到着後、 現場海面の波高測定の 結果、 着水の可否 (着水可能最大波高3.5m) を決定し、 着水後の直接救助または上空から物量 投下等による間接救助となる。 前者の場合、 直接救助法 (ボート救助、 泳者救助、 救命索救助、 接舷救助) の選択をして着水をする。 後者の場合、 物量投下の必要がある場合、 投下物量 (ハッ チ型、 弾倉型、 物量傘、 浮舟) の選択をして、 物量投下および付近航行中の船舶誘導等を行う。 救難実績は、 平成20年6月25日現在、 洋上救難・患者輸送・その他で総計815件・救助人員798 名、 災害派遣744件。

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④ US-2 開発の概要

US-1A を母機として、 洋上救難能力の向上を図るため、 諸性能の大幅アップをねらい、 エン ジンとプロペラの換装、 機内の与圧化、 FBW の採用、 グラスコクピット化等の改善が行われた。 当初は UA-1A 改と呼ばれたが、 途中から XUS-2、 実運用に伴い US-2 となった。

新明和での水上試験は、 2003年11月19日から5回実施され、 初飛行は2003年12月18日であった。 (PILOT 誌2008 No.8 JAN 参照) 飛行試験では、 基本性能の検証、 システムの機能検査、 想定 された故障時操作手順の妥当性が確認され、 その後、 機体は防衛庁技術研究本部に納入されて、 技術研究本部及び海上自衛隊による技術・実用試験が2003年暮から1号機で始まった。 翌年第2 四半期からは2号機が加わった。 全ての試験項目が終了したのは2006年末で、 試験用計装を取り 外し、 部隊での運用形態に戻した後、 第71航空隊へ引き渡され2007年4月より部隊運用が開始さ れた。 飛行試験は約500 (50) 時間、 飛行回数は約150 (15) hop を数えた。 カッコ内は新明和で の概略の数字である。

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技術・実用試験空域およびデータ送信経路等を下図に示す。  実機見学 4組のうち、 2組ずつにわかれ駐機中の US-2 (2号機) の見学を実施した。 全体的な説明を機 外で受けた後、 機内に入り一組は操縦室、 もう一組はキャビンの装備等の説明を受け、 時間を気に しながら見学箇所の交代をした。 操縦席に座った時の地面までの高さの感じは、 DC-10 や A-300 とほぼ同じであった。 各組多くの Q & A をしながら見学をした模様。

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 シミュレータ試乗

海上自衛隊では、 シミュレータを OFT (Operational Flight Trainer) といい、 今回の研修で は、 US-1A のシミュレータを参加者全員が、 また時間の都合で MH-53E のシミュレータを一部の 参加者が研修できた。 シミュレータ・メーカーは三菱プレシジョンで、 シミュレータの構成は、 当 然のことながら Cockpit, Instructor Panel, Visual System, Motion System,その他油圧発生部、 演算処理部等一般的なものであった。 US-1A のシミュレータでは、 13分に凝縮された典型的な離着水と荒海への着水、 離島 (父島) への着水、 離水のデモンストレーションを体験した。 荒海への着水後の機の動きは、 機が波に翻弄 された非常に迫力あるものであった。 静かな海への着水を実施した際、 No Shock でおかしいなと感じたら、 その直前に広報担当者が 次のスケジュールの時間が近いことを伝えにシミュレータに乗り込んできて、 モーションが切れた ためと判った。

40ton (約88,000lbs) の機体を速度53kts、 Sink Rate 300ft/m で、“かんざし”を水平線に合わ せ、 ピッチ角6.5度 (胴体下部の Swept Up の角度) を保ち、 No Flare で落着気味に着水するには、 バック・サイド・テクニック*

で、 ピッチとパワーをコントロールする必要があったが、 その操縦 技法に慣れる前に着水体験は終わってしまった。

6.5°Swept Up した後部艇体下部 Pilot Eye Position から見た“かんざし”

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着水後、 急激な頭下げを防ぐため Full Up の Elevator 操舵を必要とする。 停止までの時間は非 常に短く、 大型ジェット旅客機での Dry Runway 上の Max. Braking 位かと感じた。

(*バック・サイド・テクニックとは、 スピードは推力またはパワーで、 昇降率はピッチ・コン トロールでという従来の操縦法とは全く逆のやり方であり、 スピードはピッチ・コントロールで、 昇降率は推力またはパワーでという操縦テクニックである。) MH-53E のシミュレータは2組のみ体験できた。 何ら予備知識のない状態での操縦体験であっ たため、 機が惰性に流されることが多く、 折角のチャンスを無駄にした思いが強い。 計器類の照明 も赤色で夜間視力の低下した加齢パイロットには、 スキャンの悪さも加わり、 計器と Visual から の情報を活用できないまま、 悪戦苦闘をした体験搭乗であった。 (岩瀬) 6. Q & A のまとめ (Q⇒A:) 後日、 参加者から研修時の質疑応答を集めたので参考までに下記に記す。 (順不同) Q Stall Test 実施高度は ⇒A:9,500ft Q 新明和と海自でのテスト全体の比率は ⇒A:1対9位 Q Pilot Eye Height は ⇒A:陸上6m、 海上3m

Q EFC (Engine Failure Compensation) はどのエンジン故障にも対応か ⇒A:Yes、 着水時 のみ。

Q 水平尾翼は可動か ⇒A:No

Q 急減圧時の緊急降下試験は実施したか ⇒A:Yes、 降下開始時に大きなピッチ・ダウン必要、 降下率は8,000ft/m くらい (*操作手順の議論ができなかった)

Q 夜間着水は ⇒A:夜間着水は岩国水上飛行場では実施、 洋上夜間着水は実施していない。 Q US-1A と US-2 の操縦感覚はどちらが良い ⇒A:断然 US-2

Q 電波高度計アンテナの取り付け位置 ⇒A:No.2エンジンのナセル下側に一つ装備 胴体下面には水上機のため他のアンテナも無い。

Q 胴体下についているピトー管のようなものは何 ⇒A:水中ピトー管、 ただし現在は使用せず。 Q Landing Gear Warning ⇒A:Sea と Land で目的の形態でなければ音声メッセージ

(Go Around) +CAS (Crew Alert System) メッセージ (Gear Check) Q ピトー管の取り付け位置は ⇒A:機首上部 (写真参照)

Q 静圧孔の位置は ⇒A:左右胴体中部

Q HUD は装備されているか ⇒A:No、 搭載可能な Space は確保してある。 Q US-2 のシミュレータは ⇒A:現在製作中 (平成21年6月ころ納入される予定) Q 波消し板の素材は ⇒A:チタン合金 Q 水上ホバリングのやり易さ ⇒A:Blade Pitch がリニアにコントロールでき容易になった。 Q 離着陸時の横・方向コントロールは ⇒A:FBW になって US-1A より容易になった。 Q 錨をつける索へのアクセス ⇒A:床下の非与圧区画に降りてからアクセスする。 Q FMS や Autopilot はどの程度のもの ⇒A:FMS 未装備、 AP での着水進入及び ILS 進入可 Q PFD の横についている数字目盛りは何か ⇒A:Gメーターである。 +4から−2まで。 Q 着水後陸に上がるとき、 ギアはどのタイミングで出すか ⇒A:揚陸直前に出す。 Q チェックリストは紙か Electronic か ⇒A:電子チェックリスト、 ただし B777 のように自動 的に出て、 チェックオフされる等の機能はない。 Q 緊急出動に要する時間は ⇒A:昼間は1時間、 夜間は2時間で離陸

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Q コックピット上側の窓は ⇒A:脱出用でロープを使用する。 Q 着水間際の目標は何か ⇒A:かんざしを水平線に合わせ姿勢を維持し着水する。 Q 油圧ポンプは幾つ ⇒A:各エンジンに1個、 AC 電動が2個、 DC 電動が2個で計8個 Q FLIR の出し入れは ⇒A:人力で実施、 結構たいへんである。 Q 後部ドアを開いたときに入った海水は ⇒A:ドア付近の溝から排水 Q アイポイントの決め方 ⇒A:中央窓枠にある丸い球を参考に座席を上下・前後に動かす。 Q FBW 故障時は ⇒A:手動操舵となる。 Q FBW 等のブラックボックス類収納場所は ⇒A:天井の横のラック Q 操縦系統は FBW のみか ⇒A:FBW (3重系) +メカニカル・バックアップ (操縦索) Q US-1A と US-2 の混乗は認められているか ⇒A:No.

Q エンジン・コントロールは FADEC (Full Authority Digital Electronic Control) か ⇒A: Yes.

Q BLC (Boundary Layer Control) 用エンジンと APU はどこ ⇒A:胴体上部主翼後方 7. 研修を終えて 研修参加者からの率直な感想を紹介します。 (順不同)  有難うございました。 お蔭さまで密度の濃い研修が出来ました。 予定通りに進行し、 海上自衛 隊らしい、 スムースかつスマートな案内に感心させられました。  行動半径が増大した US-2 の今後の活躍に大いに期待したい。  海上で運用される機体であるため、 錨が装備されていること、 後部の作業区画は海水浸入の対 策が採られている等、 通常の航空機にない設備等があり、 興味深いものであった。 また、 コク ピットの計器配列も洋上での運用が考慮され、 過去の経験が随所に生かされており、 参考となっ た。

 US-1A の OFT 研修では、 US-1A の運用が良く判るデモの後に、 主に離着水の操縦を実施さ せていただいた。 動揺のある海面の離着水と通常の離着陸は想像以上に違っており、 カルチャー ショックを受けた。 洋上救難が非常に大変な任務であることを実感した。  多くの参加者が日帰りで行動できるようにとの配慮から、 岩国航空基地での研修が約半日とい う計画であったが、 内容の濃い効果的な研修であった。  岩国航空基地は、 飛行艇、 掃海機、 訓練支援機等、 多機種を運用しており、 他基地では見るこ とのできない機体も多く、 また民間組織のパイロットが自衛隊機を見学できる機会は貴重であ り大変有意義であった。  着水と着陸における US 独特のバックサイドアプローチを体験することが出来た。 着水後の揺 れは、 OFT とはいえ船酔いになりそうだった。  性能の良い HUD は着水の安全性に寄与するの ではないでしょうか。 ……… 参考文献等:  71航空隊紹介パンフレット等  新明和技報 No.30 (2008)  PILOT 誌 2008 No.1 JAN

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経緯 海上自衛隊岩国航空基地での FT 委員会の研 修時の実機見学、 OFT の体験と Q & A だけで は、 飛行艇とそのオペレーションを理解できた とは言いがたく、 次から次へと更なる疑問が沸 き起こりました。 そこで、 その後色々な資料を 読み、 関係者にお聞きした結果を、 飛行艇の 操縦体験報告記事のフォロー・アップとして まとめてみました。 もちろん正確性を欠く部分 があることを百も承知の上で、 エアライン・パ イロットから見た、 ユニークな飛行艇のオペレー ションを紹介します。 US-2 の機体構造・システム関連 水平安定板は固定である。 ただし、 HYD 故 障時に Nose Down とならないよう逆キャン バーとなっている。 操縦系統は、 FBW が3重系で、 メカニカル・ バック・アップがある。 IRU2台と ISU1 台が装備されている。

EFC (Engine Failure Compensation) 機能 は、 着水アプローチの際エンジンが故障した 時、 パイロットが回復操作を開始するまでの 時間の余裕を確保し、 飛行の安全性を向上さ せるものである。 FADEC から出力されるエ ンジン故障信号をもとに、 ロール及びヨー運 動を低減するため、 補助翼、 方向舵へのフィー ド・フォワード制御と、 補助翼、 外フラップ、 方向舵への姿勢信号のフィード・バック制御 により操舵する。 加えて、 高度低下を Mini-mize するため、 残存エンジンのパワー・レ バーを TDU (Throttle Drive Unit) により 作動させ、 パワーを増加させる。 内舷側エン ジンが故障した場合は、 故障していないすべ てのエンジンのパワー・レバーを作動させる が、 外舷側エンジン故障の場合は、 ヨー方向 のアンバランスが過大とならないように、 内 側エンジン2機のパワー・レバーのみを作動 させるようプログラムされている。 この EFC は、 数ある FBW 操縦系統機能の 一つで、 Flap50∼60度の間で作動する。 飛行艇にとって対水衝撃を少なくするために は、 着水時の速度をできるだけ小さくするこ とが必要である。 US-2 でも US-1A と同様 に BLC (Boundary Layer Control) が重要 な役割を担っている。 すなわち、 離着水のよ うな極低速時に、 内側フラップ、 外側フラッ プ、 昇降舵および方向舵の、 各動翼前縁部の ノズルから、 圧縮空気を吹き出すことで、 境 界層の剥離を防ぎ高揚力を得るだけでなく、 舵の効きを確保し、 姿勢制御を可能としてい る。 航空機における境界層制御には、 色々な 方式があるが、 US-1A や US-2 のように、 専用のエンジンを装備した機種は珍しい。 F-104 のような Flap 後端の Slit からエンジ ンの Bleed Air を吹き出す方式や、 ASUKA の よ う な ジ ェ ッ ト エ ン ジ ン の 排 気 を 翼 や Flap の上面に吹き出す方式は、 エンジンを 絞ると揚力が減るため、 絞るタイミングが重 要となる。 US-2 の BLC は、 吹出用空気源装置 (圧縮 機駆動エンジン・圧縮機) とダクト系および 吹き出し用ノズル系で構成されている。 (次ページ図1/2参照) (新明和工業提供)

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) 委

委員

員会

岩瀬

瀬 健

健祐

US-1A US-2 (新明和工業提供)

飛行艇あれこれ

FT 委員会研修後に得られた情報

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図−1 圧縮機駆動エンジン・圧縮機配置イメージ

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US-2 で採用された FBW (Fly By Wire) 操縦系統は、 低速時の安定性・操縦性を母機 に比べ一段と向上させている。 SCAS が組み 込まれて、 パイロットのワークロードを軽減 している。 SCAS は、 Stability and Control Augmentation System の略で、 安定性操縦 性増大装置と訳されている。 Flap30°まで の 基 本 的 3 軸 ダ ン パ ー 機 能 に 加 え 、 Flap 30°∼60°の範囲では、 エンジン故障時の安 定性操縦性も、 母機に比べはるかに向上する ようプログラムされており、 FBW 操縦系統 の最も重要な機能の一つで、 EFC も SCAS 機能の一部である。 電波高度計の指示高度は、 機の姿勢 (ピッチ 角、 バンク角) による補正はされていない。 地面または海面からアンテナまでの高さを示 す。 それはほぼパイロットの目の位置からの 高さになる。 操縦関連アレコレ

US-2 の母機である US-1A は、 ASE 制御 (Automatic Stabilization Equipment) で、 ウィング・レベルを基準としており、 旋回等 においては、 バンク角を保持するには常に操 縦輪であて舵を使う必要があり、 操舵力も重 く、 パイロットのワークロードはかなり高い。 一方 US-2 の US-1A との操舵感覚の違いは、 例えば旋回時は、 所望のバンク角になるよう 操舵をし、 力を抜くとその時のバンク角を正 確に保持でき、 操舵力も非常に軽くなってい る。 基本的には、 エルロン・エレベーターの 操舵力をゼロにすると、 その時の姿勢を保持 する機能を持っている。 飛行試験中は VMC が基本であったので、 上 記のような操舵入力法の違いや、 操舵力の相 違に対しては容易に対応できた。 いわゆるバックサイド・テクニックが定着す るのに要する飛行時間等は、 バック・サイド 時の飛行性を把握し、 ノーマル・サイド (フ ロント・サイド) からバック・サイドへの移 行テクニックを身につけるのに、 部隊勤務約 4年を要する。 飛行艇のパイロットは、 着水予定海域で、 着 水制限内の海面であるかどうかを、 下記3要 素をもとに総合的に海面評価を実施する。 ①波高・波長 波高計を使用して波高・波長を計測する。 ②海面上の風向・風速 GPS から得られる風向・風速と、 海面上 にスモークを投下して煙の流れる方向およ びたなびき方により風向・風速を判断する。 飛行艇にとっては、 着水時の対水速度が少 ないほど、 機体の対水荷重を軽減できるた め、 15kt 以上の海面では、 可能な限り風 に向首する針路を選定する。 ③うねりの方向 風が弱い場合には、 高度が低いとうねりの 方向の判別が難しくなるため、 ある程度高 い高度 (1,500∼2,000ft) が有効である。 昼間であれば、 波影が海面上に映るため、 波の方向は容易に判別できる。 うねりは1波だけではないので、 ある程度旋 回を実施して、 うねりが何波あるか確認する。 波が崩れてしぶきが白く見える海面は、 ほぼ 1.5m 以上の波高があると考えられ、 波長は、 海面上の航空機の機影、 航行中の船舶の長さ を利用して確認することができる。 着水の難しさの一つの要因は、 海面上には、 センター・ラインがないため、 機体を海面に 接水させる際に、 対水滑りを確実に止める操 舵が難しいことである。 横滑りの判断が重要な理由は、 たとえば接水 前に海面に対し左に滑っていた場合、 接水時 に機体が大きく左に傾き、 左フロートに大き な衝撃が加わり、 フロートの折損、 機体の損 傷を生起させる危険性があるからである。 さらに、 機体は、 高翼機であること、 プロペ ラ回転が時計周りであることから、 着水の最 終進入時でのバック・サイド飛行において、 飛行艇には、 左旋左傾 (左に旋回し、 左に傾 く傾向) という顕著な特性がある。 その主た る原因は、 大きな推力、 大きな迎角及び4発 のエンジン・ナセルの形状にある。 いわゆるかんざしを水平線にあわせ、 着水ピッ チ姿勢6.5°にした後は、 そのピッチを維持

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し、 航空機を適切にコントロールする技量が 要求される。 接水時は、 センター・ラインがない海面にお いて、 航空機の機軸と海面との対水滑りを止 める操作が要求される。 洋上では Bird Strike はほとんど経験されて いない。 漁船、 船舶等の周囲は渡り鳥等が多 いため回避して着水する。 シーレーン (基地 に隣接する海上の離着水帯) においても、 水 鳥が群れをなしているのを、 視認できたら着 水は取りやめている。 海面の浮遊物との衝突については、 シーレー ンにおいて、 木片、 竹竿と衝突して、 艇底を 損傷した事例はある。 台風、 雨のあとのシーレーンには、 河口から 多くの浮遊物が流れてくることから、 十分に 注意しても水中に沈んでいるものは見えない 場合が多く、 衝突する可能性は否定できない。 洋上においては、 潮目等に多くの浮遊物が存 在しており、 潮目を避けて離着水を実施して いる。 救難現場において着水できない場合の代替救 助手段として、 付近の船舶を誘導することが あるため、 海域での航行船舶の位置の把握に は Radar を最大活用している。 訓練時には、 操業漁船位置、 航行船舶の針路 を Radar で把握し、 近接しない海域を設定 して着水訓練を実施している。 海面に対して滑りが止まっていない場合、 や、 急峻な高い波高が出現した場合には、 着水を やり直す必要性があるので、 部隊教育におい て、 航空機の安全確保の面からも、 その点を 重視した教育をしている。 航空機が横滑りをして飛行している場合には、 ジェット旅客機と同じように、 IRS の風は 実際の風向・風速と異なっており、 GPS の 風向、 風速の方が近い値を示す。 飛行艇では、 洋上においては、 正確な風向を 得るため、 スモークの煙で判断することが主 となっている。 風速については GPSWIND を参照している。 出発する際の Clearance 等 ①洋上へ進出する場合、 捜索位置を緯度経度 で要求し、 IFR で出発し、 天候が良好な時 は、 洋上部で VFR に変更することが多い。 ②父島や硫黄島へ進出する場合のルート例; 厚木⇔父島;横須賀、 大島、 TEMAR、 B586、 UKATA、 2800N14149E/VFR CI 厚木⇔硫黄島;横須賀、 大島、 TEMAR、 3000N14036E、 2700N14100E OX ③シーレーン (Sea Lane) を利用する離発 着の管制用語例を、 次ページ図の下に紹介 する。 エプロンでエンジンを始動し、 すべ り (海中までのスロープ) を使い海面に進 水する。 到着後は逆ルートになる。 訓練・資格等 海上自衛隊の固定翼操縦士は、 教育課程を修 了後、 必ず P-3C の部隊に配属される。 この ことから、 ほぼ全員が P-3C の資格を保有して いる。 その後、 第71航空隊へ配置され、 水上 多発30ton 以上の技能証明を取得する機種転 換教育を実施し、 US-1A の搭乗資格を取得 する。 教育課程での機種は以下の通りである。 ①固定翼基礎課程:T-5 (KM-2) ②計器飛行課程:TC-90 ③実用機課程:P-3C (P-2J) 従って、 US-2 への転換訓練を受けるパイロッ トは、 全て US-1A の資格を持っている。 実機でのエンジン故障の訓練は、 上空の課目 として、 月約1回は実施している。 今後、 OFT での実施も検討されている。 離着水・離着陸訓練の場周径路・高度等を次 ページに紹介する。 (提供;第71航空隊) US-1A の上陸 (提供:新明和工業)

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着水の場周径路

着陸の場周径路

φ:Bank 角 θ:Pitch 角

着水管制用語例

Request landing instruction to sealane. Cleared for landing to sealane.

Request taxi for beaching. Cleared for beaching. 離水管制用語例

Request taxi for launching. Cleared to sealane.

Ready from sealane (departure). Cleared for takeoff.

参照

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