保護責任の発生根拠についての考察 ―規範的観点
からのアプローチ―
その他(別言語等)
のタイトル
Die Forschung nach den Grunden der
Obhutspflicht ─Ansatz zum Gesichtspunkt der
Normen─
著者
瀬島 護嗣
著者別名
SEJIMA Moritsugu
雑誌名
東洋大学大学院紀要
巻
56
ページ
1-21
発行年
2020-03
URL
http://doi.org/10.34428/00011757
【要旨】 従来、判例は刑法218条の保護責任を基礎づける根拠として、法令、契約、先行行為とい った様々な要素を認めてきた。これらの要素は、不真正不作為犯の保障人的地位の発生根拠 と一致しているが、学説の中には、両者の違いを指摘するものも見られた。保護責任と保障 人的地位に差異を認める場合、保障人的地位とは異なる保護責任独自の発生根拠を示す必要 がある。そこで、本稿では、刑法218条の規定を手掛かりに、遺棄罪の客体が保護を必要と する者のうち、社会的にその必要性が定型的に高い者に限定されている点に着目し、要扶助 者との間に継続的に保護すべき関係があることが保護責任を肯定する前提となるとの見解を 示したいと考えている。具体的には、乳児とそれを養育している母親、幼児と保育契約によ り幼児を預かっている保育士との関係等が想定される。こうした要扶助者を継続的に保護す べき関係が認められるためには、そうした関係を基礎づける法令や契約上の義務といった規 範的要素が必要となると解すべきであろう。こうした理解は、先行行為や排他的支配といっ た事実的要素を保護責任を基礎づける根拠から排除するとともに、保護責任の独自性を示す ものと言える。本稿は、こうした従来とは異なる規範的観点からのアプローチにより、保護 責任を基礎づけることを試みたものである。 【目次】 第一章 はじめに 第二章 遺棄罪における「遺棄」の概念 第三章 保護責任と保障人的地位についての学説の整理 第一節 保護責任と保障人的地位を同一と解する見解(判例・通説) (1)保護責任の発生根拠についての判例の立場 ⅰ 未熟児不保護事件(最決昭和63・1・19刑集42巻1号1頁)
保護責任の発生根拠についての考察
―規範的観点からのアプローチ―
法学研究科公法学専攻博士後期課程2年
瀬島 護嗣
ⅱ シャクティ治療殺人事件(最決平成17・7・4刑集59巻6号403頁) (2)検討 第二節 保護責任独自の発生根拠を認める見解 (1)保護責任と保障人的地位の量的な違いに着目する見解 (2)保護責任と保障人的地位の質的な違いに着目する見解 (3)「継続性」要件 第四章 保護責任を基礎づける継続的保護関係 第一節 保護責任者遺棄罪の性質 第二節 継続的保護関係とその基礎となる規範的要素 (1)規範的意味における継続的保護関係 (2)継続的保護関係を基礎づけうる規範的要素 第五章 事例の検討 第六章 おわりに
第一章 はじめに
保護責任者遺棄罪(218条前段)、保護責任者不保護罪(218条後段)及びそれらの結果的 加重犯である遺棄等致死傷罪(219条)の主体は、218条に「老年者、幼年者、身体障害者又 は病者を保護する責任のある者」と規定されている(いわゆる保護責任者)。この規定によ り、本罪の主体は保護責任者に限定されていることになるが、どのような者がいかなる場合 に、「保護する責任」を負うのかは、もっぱら解釈にゆだねられているのであり、保護責任 の発生根拠と範囲が問題となる。従来、保護責任と保障人的地位を同一のものとする通説に 対し、両者に差異を認める学説からの批判があったが、そうした学説の多くは、両者の量的 違いを指摘するものであった。こうした見解に立脚した場合、保護責任と保障人的地位はそ の成立範囲を異にし、保護責任が認められるのは保障人的地位が認められる範囲よりも限定 され、両者は包含関係にあるということになる。他方、保護責任と保障人的地位の違いが質 的な差異なのだとすると、両者の成立範囲は、包含関係とはならず、一部の範囲のみで重複 する関係にあるということになる。筆者は、保障人的地位と保護責任は、その本質が異なる と考え、保障人的地位は、基本的に行為者が排他的支配を有することをその発生根拠とする のに対し、保護責任は、218条が要扶助者との間に継続的保護関係がある者の行為を対象と しているとの理解から、規範的観点からその成立要件を導くべきと考える。こうした私見に よると、保障人的地位と保護責任はその成立範囲を異にし、一部の範囲のみで重複する関係 にあるということになる。本稿では、両者の質的な違いに着目し、保護責任の根拠として、 排他的支配とは異なる規範的観点からのアプローチを試みるものである。第二章 遺棄罪における「遺棄」の概念
まず、本稿における主要な論点である保護責任についての検討に入る前に、遺棄罪におけ る「遺棄」の概念について錯綜する学説を整理しておきたい1。この「遺棄」の概念をどの ようにとらえるかという問題は、保護責任者遺棄罪及び不保護罪の成否についても、その結 論に影響を及ぼすものであり、保護責任を考察する際の先決問題といえよう。遺棄罪におけ る「遺棄」の概念をめぐっては、その内容、作為の遺棄と不作為の遺棄との区別、不作為の 遺棄の保障人的地位と218条の保護責任との関係につき、複数の学説が展開され、若干複雑 な状況にある。従来の多くの見解は、「遺棄」とは、場所的離隔を発生させることにより、 要扶助者を危険な状況に置くことという理解でおおよそ一致していた。さらに、従来は、「遺 棄」を、行為者が要扶助者を場所的に移転する移置と、行為者が要扶助者から離れていく置 去りとに区別し、前者を作為による遺棄、後者を不作為による遺棄としたのである。判例・ 通説は、不作為の遺棄の保障人的地位と218条の主体の要件である保護責任とを同一と解す るため、不作為の遺棄の保障人的地位が肯定される場合には、常に218条の保護責任が認め られることとなり、218条の「遺棄」には移置と置去りの双方が含まれるということになる。 こうした見解に対しては、217条と218条で「遺棄」という共通の文言が用いられているにも かかわらず、両者の内容が異なると解するのは、解釈の域を超えているのではないか、不作 為の場合にのみ刑が加重されることを合理的に説明できるのか等の批判が向けられている2。 こうした判例・通説に批判的な見解は、217条の「遺棄」と218条の「遺棄」は、同一の内 容であり、移置と置去りの双方を包含する概念であると主張するものであり3、この見解に よると217条の「遺棄」にも不作為による形態の存在が認められ、その際要求される不真正 不作為犯の保障人的地位と218条の保護責任との関係が問題となる。こうした立場をとる論 者の多くは、218条の保護責任は、217条の保障人的地位よりも重い処罰を基礎づけるものな のであるから、その発生根拠もより厳格に解すべきであるとの認識に立つものである。なお、 移置を作為による遺棄、置去りを不作為による遺棄とする区別基準に対しては、幼児が離れ ていくことを親が制止しないといった不作為による移置及び幼児が親に接近するのを妨害す るといった作為による置去りという形態も考えうるとの批判もあることから、単に作為の遺 棄と不作為の遺棄とに二分する見解4が現在では有力である。また、作為により要扶助者を 危険な状態に置く行為を「遺棄」、不作為により要扶助者を危険な状況に置く行為を不保護 とし、従来の「遺棄」を場所的離隔の発生とする理解から離れる見解も見うけられる5。し かし、要扶助者との間に物理的な距離がうまれるということは、それがない場合と比して、 救助の物理的な可能性まで喪失されるのであり、場所的離隔の有無により違いを設けること には、一定の理由があるといえるだろう。 本稿では、行為者と要扶助者との間に距離が生じることで、行為者による救助の可能性が 失われる点に遺棄罪の可罰性があるととらえ、「遺棄」の概念を行為者と要扶助者との場所的離隔の発生と解する。さらに、作為の遺棄と不作為の遺棄の区別基準については、行為者 が要扶助者から離れていく場合を作為による遺棄、要扶助者が行為者から離れていく場合を 不作為による遺棄と定義したい。このように考えた場合、217条の遺棄についても、作為の 場合であっても主体の限定作業が必須となり、多少不自然なようにも思われる。しかし、移 置の場合には要扶助者を移転させた者こそが行為者であるとみることもできるし、そもそも 「遺棄」が場所的離隔を発生させることにより、要扶助者を危険な状況に置くことなのだと すれば、要扶助者との間に距離が生じることにより要扶助者が危険な状況に置かれたと評価 できる者が行為者なのであって、主体特定原理は「遺棄」という行為自体に内在しているも のということができるだろう6。なお、どのような者が要扶助者から離れていくと危険と解 されるかといったより具体的な主体の要素も考える必要があるが、本稿は、保護責任の発生 根拠についての考察を主題とするものであるため、詳細な検討は別稿に譲ることとしたい。 こうした理解に立った場合、従来のいわゆる置去りは移置とともに、すべて作為による遺棄 とされることになる。置去りは、山中等の危険な場所にいる要扶助者から、行為者が離れて いくことであり、場所的離隔が行為者によって発生させられているのであるから、作為とみ るべきだろう。従来から作為による遺棄とされてきた移置も、要扶助者を危険な場所へ移転 させるという予備行為が加わるだけであり、最終的には、行為者が危険な場所にいる要扶助 者から離れていくのであるから、作為とみることが妥当であり、行為者が要扶助者から離れ ることによって場所的離隔を生じさせているのであるから、本質的には、置去りと同形態と いえよう。したがって、置去りも移置も行為者が要扶助者から離れることによって場所的離 隔を生じさせる行為であり、どちらも作為による遺棄と解することができるのである。この ように考えると、作為による遺棄とされる行為は、従来の置去りを取り込む分、その範囲が 広がることになる。例えば、いわゆる単純ひき逃げ(移転を伴わないひき逃げ)の事例は、 運転者が被害者を現場に残してその場から離れる行為であるから、作為による遺棄とされる ことになり、運転者が一旦、被害者を自車の中に引き入れて、その後別の場所に放置して立 ち去る場合(移転を伴うひき逃げ)と同様に扱われることになる。単純ひき逃げの事例にお いては、従来、道路交通法72条1項の救護義務違反の他、刑法上の不作為による遺棄に当た るかという点が問題にされ、保障人的地位の有無が争われたが、ひき逃げを作為による遺棄 と解する本稿においては、こうした問題も生じないことになる。
第三章 保護責任と保障人的地位についての学説の整理
第一節 保護責任と保障人的地位を同一と解する見解(判例・通説) (1)保護責任の発生根拠についての判例の立場 保護責任の発生根拠をめぐっては、従来、不真正不作為犯の保障人的地位のそれと同一か 否かという点が問題とされてきた。この点、判例は、大審院時代から一貫して、両者を同一のものと理解してきた。大判大正4・2・10刑輯21号90頁は、保護責任と保障人的地位が同一 であるとの前提の下、保護責任者遺棄致死罪と不作為の殺人罪は殺意の有無により区別され るとの判断をしている。その後の最高裁判例もこの立場を継承しているものと思われるが、 本節では、妊婦に堕胎措置を施した医師が、生きたまま排出された嬰児に生存に必要な措置 を施さず死亡させたことが保護責任者遺棄致死罪にあたるとされた未熟児不保護事件と、最 高裁判所が初めて不作為の殺人罪の成立を肯定したシャクティ治療殺人事件を取り上げる。 ⅰ 未熟児不保護事件(最決昭和63・1・19刑集42巻1号1頁) 本件の事実の概要は、以下のとおりである。被告人は、優生保護法(現母体保護法)上の 指定医師として、人工妊娠中絶等の医療業務に従事していたところ、妊娠満26週目をむかえ ていた妊婦Aから堕胎の依頼を受け、これを承諾し、同人に堕胎処置を施し、体重1000グラ ム未満の未熟児を生きた状態で母体外へと排出させた。被告人は、本件嬰児の養育に消極的 な態度を示していたAに対し、「子供は医院で預かるから、一日一回は見に来なさい。」旨言 い渡し、同人を退院、帰宅させ、本件嬰児を引き取ったものであるが、Aが退院した後も、 同児を保育器等に収容することもなくバスタオルに包んだ状態で院内に放置し、その結果、 54時間後に生活力不全により同児が死亡するに至った。 第一審(那覇地石垣支判昭和57・3・15刑月14巻3・4号259頁)は、同児を監護養育すべき 母親であるAとともに、被告人にも、同児に対して、その生存に必要な保護を与えるべき保 護責任があったとして、保護責任者遺棄致死罪の成立を認め、原審(福岡高那覇支判昭和 59・3・29刑集42巻1号32頁)も第一審の判断を是認した。これに対し、被告人側から上告が なされた。最高裁は、職権で以下のように判示し、上告を棄却した。すなわち、「被告人は、 産婦人科医師として、妊婦の依頼を受け、自ら開業する医院で妊娠第26週に入った胎児の堕 胎を行ったものであるところ、右堕胎により出生した未熟児(推定体重1000グラム弱)に保 育器等の未熟児医療設備の整った病院の医療を受けさせれば、同児が短期間内に死亡するこ とはなく、むしろ生育する可能性のあることを認識し、かつ、右の医療を受けさせるための 措置をとることが迅速容易にできたにもかかわらず、同児を保育器もない自己の医院内に放 置したまま、生存に必要な措置を何ら取らなかった結果、出生の約54時間後に同児を死亡す るに至らしめたというのであり、右の事実関係のもとにおいて、被告人に対し業務上堕胎罪 に併せて保護責任者遺棄致死罪の成立を認めた原判断は、正当としてこれを肯認することが できる。」というものである。 ⅱ シャクティ治療殺人事件(最決平成17・7・4刑集59巻6号403頁) 本件の事実の概要は、以下のとおりである。被告人は、自己の掌で患者の患部をたたくこ とにより、患者の自己治癒力を高めるとするシャクティパット治療(以下「シャクティ治 療」と称す。)を行い、信者を集めており、被害者及びその長男(以下「A」と称す。)も被 告人の信奉者であった。被害者は、自宅で脳内出血により倒れ、病院に入院し、意識障害の
ため痰の除去や水分の点滴等を要する状態にあり、生命に危険はないものの、数週間の治療 を要し、回復後も後遺症が見込まれた。Aは後遺症を残さずに回復できることを期待して、 被告人に被害者に対するシャクティ治療を依頼した。これを受けて被告人は、自身が滞在中 のホテルでシャクティ治療を行うとし、被害者を退院させることは無理であるとする主治医 の警告や、その許可を得てから被害者を運び出そうとするAの意思を知りながら、Aに指示 して、点滴等の医療措置が必要な状態にある被害者を本件病院から連れ出し、その生命に具 体的な危険を生じさせた。本件ホテルに運び込まれた被害者の容態を見た被告人は、そのま までは被害者が死亡する危険があることを認識したが、被害者にシャクティ治療を施すにと どまり、未必的な殺意をもって、痰の除去や水分の点滴等の被害者の生命維持に必要な措置 を受けさせず放置し、よって痰による気道閉塞に基づく窒息により被害者を死亡させた。 第一審(千葉地判平成14・2・5判タ1105号284頁)は、被害者を病院から連れ出し、本件 ホテルまで移動させ、生存に必要な措置を講じずに放置し、よって被害者を死亡させる、と いう一連の行為が殺人罪の実行行為にあたるとした。これに対し、原審(東京高判平成15・ 6・26刑集59巻6号450頁)は、被告人に殺人罪の故意を認めることができるのは、ホテルで 自ら被害者の様子を認識した以後であるとして、第一審の判決を破棄した。そのうえで、A らに指示して被害者を本件病院から連れ出すという先行行為に基づき、被害者にその生存に 必要な治療措置を受けさせるという作為義務を負ったとして、本件ホテルでの被害者に治療 措置を受けさせずに放置した不作為が不真正不作為による殺人罪に当たるとした。これに対 し、被告人側が上告したが、最高裁は、以下のような判断を示し、上告を棄却した。すなわ ち、「以上の事実関係によれば、被告人は、自己の責めに帰すべき事由により患者の生命に 具体的な危険を生じさせた上、患者が運び込まれたホテルにおいて、被告人を信奉する患者 の親族から、重篤な患者に対する手当てを全面的にゆだねられた立場にあったものと認めら れる。その際、被告人は、患者の重篤な状態を認識し、これを自らが救命できるとする根拠 はなかったのであるから、直ちに患者の生命を維持するために必要な医療措置を受けさせる 義務を負っていたものというべきである。それにもかかわらず、未必的な殺意をもって、上 記医療措置を受けさせないまま放置して患者を死亡させた被告人には、不作為による殺人罪 が成立し、殺意のない患者の親族との間では保護責任者遺棄致死罪の限度で共同正犯となる と解するのが相当である。」としたのである。 (2)検討 未熟児不保護事件は、妊婦に堕胎措置を施した医師が、堕胎後、母体外に排出された嬰児 に生存に必要な措置を施こさず死亡させたことが、保護責任者遺棄致死罪に問われた事例で ある。この事例で、裁判所は、被告人自身が堕胎措置を行ったこと、未熟児医療設備の整っ た病院の医療を受けさせれば生育する可能性があることを認識していたこと等の事実関係か
ら、被告人の保護責任を肯定している。ここでは、被告人自身が堕胎させるという先行行為 を行っていることが重視されているが、加えて、被告人は本件嬰児を自らが経営する医院に 引き取っているのであり、過去の判例の立場を前提とすれば、被告人に保護責任を肯定する ことにつき何の問題もない事例であった。その意味で、本判例は、従来の判例の立場を踏襲 したものと評価でき、保護責任の発生根拠について何か新たな判断が示されたわけではない だろう。これに対して、保護責任と保障人的地位を区別する論者から、嬰児を一時的に引き 取ったに過ぎない被告人に保護責任を肯定したことが批判されている7。 次にシャクティ治療殺人事件で示された裁判所の判断を確認する。最高裁判所は、その決 定要旨で、被告人の責めに帰すべき事由により患者の生命に具体的な危険を生じさせたこと、 患者の親族から患者に対する手当を全面的にゆだねられた立場にあったことを指摘している。 これは、先行行為や保護の引き受けを作為義務の根拠とする従来の判例の立場と同様の判断 をしたものと評価できる。また、いまひとつ本判例で重要な点は、「殺意のない患者の親族 との間では保護責任者遺棄致死罪の限度で共同正犯となる」とした点である。これは、殺意 のない被害者の親族は保護責任者遺棄致死罪の成立にとどまるが、殺意が認められる被告人 には不作為の殺人罪の成立が認められるという判断であり、つまりは、保護責任者遺棄致死 罪と不作為の殺人罪は、殺意の有無により区別されるということである。このことから、本 判例は前掲の大判大正4・2・10刑輯21号90頁の立場を継承していると評価できるだろう。本 判例は、作為義務の根拠及び保護責任と不作為による殺人の保障人的地位との関係につき、 何か新たな判断が示されたものではないが、最高裁判所がはじめて不作為の殺人罪の成立を 認めたという点、保護責任者遺棄致死罪と不作為の殺人罪を殺意の有無で区別するという大 審院の判断を継承していることが明確になった点が重要である。 さて、このように上記二判例を見てみると、判例は大審院の時代から、保護責任と不作為 の保障人的地位は同一のものであり、保護責任者遺棄致死罪と不作為の殺人罪は殺意の有無 により区別されるとの考えで一貫しているように思われる。このように考えると、前掲の未 熟児不保護事件は不作為の殺人罪の成立も肯定しえた事例であったように思われる。この事 例では、堕胎後に嬰児を引き取った被告人に保護責任が肯定されており、嬰児の死亡結果に ついても十分に認識しえた状況であったといえよう。こうした状況であったにもかかわらず、 被告人の罪名が不作為の殺人罪ではなく、保護責任者遺棄致死罪となったのは、一見これま での判例の見解と相いれないようにも思われる。しかし、本件は、あくまで被告人の殺意が 認定されなかったため、保護責任者遺棄致死罪の成立を認めるにとどまったのであり、殺意 の有無により両罪を区別するという判例の立場は、なお維持されているとみることは可能で あろう。未熟児不保護事件については、本件は殺人罪が成立する事案であったが、訴因が保 護責任者遺棄致死罪であったため、その限度で認定がなされたとの評価もあり8 9、この事件 のみ他の判例と異なる立場を採用したと評価すべきだはないだろう。通説も保障人的地位と
保護責任の区別が困難であるという実質的な問題を主な理由として、判例と同様に、両者を 同一のものと解している10。 第二節 保護責任独自の発生根拠を認める見解 (1)保護責任と保障人的地位の量的な違いに着目する見解 上記のような判例・通説の立場に対し、不真正不作為犯の保障人的地位と218条の保護責 任とに差異を認める見解が、近年、有力に主張されてきた。こうした見解の多くは、不作為 の遺棄を218条の保護責任者遺棄罪で処断した際に生じる、作為による遺棄との刑の不均衡 を問題視したものである。すなわち、殺人罪や放火罪といった通常の禁止規範違反の犯罪は、 その構成要件を作為、不作為のいずれの形態で充足したとしても同一の条文で処理され、そ の法定刑に差異がないのに対し、遺棄罪に限り、作為で遺棄した場合には217条の単純遺棄 罪が成立し、不作為で遺棄した際にはより刑が加重された218条の保護責任者遺棄罪の成立 を認めることになるのであって、遺棄罪のみ、こうした作為と不作為で異なる取扱いをする ことになる点を批判するのである。たしかに、不作為の遺棄を作為の遺棄よりも重く処罰す るのは、他の不真正不作為犯の取扱いと整合性が取れないとともに、自ら因果的原因を創出 した作為犯に比して、単に因果経過に干渉しない態度をとったに留まる不作為犯の成立範囲 はより限定的に解されるべきとする不作為犯論の一般的な理解とも相いれないものだろう。 そこで、こうした立場に立つ論者たちは、保護責任が認められる範囲を、保障人的地位が 認められる範囲よりも狭く解し、保護責任者遺棄罪の成立範囲を限定しようと試みるのであ る。平野龍一は、不作為の遺棄の保障人的地位と保護責任は義務の程度が異なるとの前提の もと11、「保護義務は作為義務よりも高度のものでなければならない。12」とし、保護責任を不 作為の遺棄の保障人的地位よりもより高度な保護義務としてとらえる見解を示し、山口厚は、 保護責任者は、「単純遺棄罪において不作為による遺棄の可罰性を基礎付ける保障人的地位 とは異なるものであり、それよりも重い処罰を基礎付けるべきものであるから、より限定さ れたものでなくてはならない。13」とし、両者に程度の差を認めている。平野龍一は、保護責 任と保障人的地位の区別を提唱した先駆的論者であるが、その見解の特徴は、保護責任は保 障人的地位よりも重い義務であるとして、両者を義務の程度で区別する点にある14。すなわ ち、不作為の遺棄の保障人的地位と保護責任とは同一の基盤を有する(同一の作為が要求さ れる)作為義務ではあるものの、保護責任の方がより義務の程度が重く、その成立範囲は、 軽い作為義務である保障人的地位よりも限定されるということである。これに対して、山口 厚は、保護責任が責任身分であるとの立場15から、違法性の段階においては、保障人的地位 も保護責任も義務の内容に差異はなく、保護責任者にはより重い責任非難が加えられると説 明する。このように、両者の見解は、保護責任者が保障人よりも重く処罰される理由につき、 作為義務自体に程度の差があるのか、あるいは作為義務自体は共通で、保護責任者のみによ
り重い責任非難が加えられるのか、といった相違はあるものの保護責任が認められる範囲の 方が、保障人的地位が認められる範囲よりも限定されるという点では一致しており、その意 味で保障人的地位と保護責任の量的な違いに着目した区別といえよう。 こうした見解の特徴としては、まず、保護責任と保障人的地位は同一のものではなくその 成立範囲を異にする、という点で判例・通説と異なり、さらに、保護責任の方が保障人的地 位に比してその成立範囲が狭くなるという点に特徴がある。換言すれば、保護責任が認めら れる範囲と保障人的地位が認められる範囲は、包含関係になるということである。こうした 見解によれば、不作為の遺棄の保障人的地位がある場合には、常に保護責任も認められると する判例・通説の不合理な結論を回避することができることになる。しかし、それと同時に、 不真正不作為犯の一般論としての保障人的地位の発生根拠とは別に、218条固有の問題とし ての保護責任の発生根拠を提示する必要が生じるのであり、それによって、両者を明確に区 別することが重要となる。山口厚は、上述のように、保護責任は、不作為の遺棄の保障人的 地位よりも重い処罰を基礎付けるべきものであるから、より限定されたものでなければなら ないとし、その発生根拠については、自身が保障人的地位の要件を「結果原因の支配」とし ていることを前提に16、「排他性など、より強度の支配関係がある場合に限定するのが妥当で ある。17」としている。また、遺棄罪の保障人的地位と不作為の殺人の保障人的地位の関係に ついては、危険犯である遺棄罪を基礎づける危険と殺人罪を肯定する具体的な危険はその程 度が異なるとして、その点で殺人罪とは区別されるとしている。つまり、山口厚の見解によ ると、不真正不作為犯の保障人的地位の根拠は、結果原因の支配で足りるが、保護責任を基 礎づけるには、さらに排他性等のより強度な支配関係が必要となり、遺棄罪の保障人的地位 と保護責任はその点で区別され、不作為の遺棄罪と不作為の殺人罪とは、危険の程度で区別 されるということになる。以上のように、不作為の遺棄の保障人地位と保護責任の区別を試 みる一つの方向性としては、両者の量的な違いに着目するというものであり、こうした見解 によると保護責任と保障人的地位は包含関係になるのである18。 (2)保護責任と保障人的地位の質的な違いに着目する見解 一方、保護責任と保障人的地位とに差異を認める論者の中には、両者の質的な違いに着目 するものもみられる。これは、保護責任と保障人的地位との違いを程度の差と理解するので はなく、両者をその本質が異なる存在ととらえるものである。たしかに、保障人的地位が解 釈論上認められる不真正不作為犯の主体の要件なのに対して、保護責任は、特定の行為(遺 棄及び不保護)につき刑法が218条で、あらかじめ主体として規定したものであり、両者は その性質を異にするものと言えよう。保護責任と保障人的地位は、どちらも主体の要件であ る。しかし、保障人的地位はそれが欠ければ行為主体性を満たさないという点においては、 たしかに主体の要件ではあるのだが、本来、保障人的地位は当該不作為の行為者は誰かとい
う主体特定要素なのであり、あらかじめ特定の者だけを行為主体に定めた身分犯における身 分とは、その性質に違いがあるように思われる。他方、保護責任は、他罪においては広く名 宛人とされている者たちの中から、行為主体を限定する機能を果たす主体限定要素なのであ り、この点が厳密には保障人的地位と異なるのである。さらに、保護責任は、不保護につい てはその処罰を基礎づける構成的身分としての性格を有するが、遺棄に関しては、その刑を 加重する加重身分としての側面があり、保障人的地位とは機能面においても異なる点を有す るのである。これらの点から、保護責任は保障人的地位とはその本質を異にすると考えるべ きだろう。このように考えた場合、保護責任と保障人的地位の発生根拠もまた、それぞれ異 なるアプローチをとることとなろう。両者は、その性質の違いから、求められる発生根拠が 異なるのであり、結果としてその成立範囲も包含関係になる必然性はなく、場合によっては、 一部が重なり合う関係になる可能性がでてくる。 辰井聡子は、遺棄罪の特殊性という観点から、保護責任の発生根拠は継続的保護関係を中 心に考察されるべきとする。辰井は、218条に遺棄と不保護が連続して規定されていること から、「遺棄罪が想定しているのは、生命(身体)への危険一般ではなく、日々の継続的な 保護から切り離されることによって発生する、特殊な生命(身体)への危険である19」との 理解のもと、平野龍一の見解20を参照する形で、「保護責任者には危険の不発生に向けた日々 の継続的な配慮が要求される21」として、継続的な配慮が要求されることを保護責任の基礎 としている。たしかに、遺棄罪で客体とされる老年者、幼年者、身体障害者、病者のうち扶 助を要する者(いわゆる要扶助者)は、一般的に他者の継続的な保護に服していることが多 いだろうし、本罪をそうした保護環境下から切り離されることによって生じる、要扶助者の 生命(身体)に対する抽象的危険を捕捉する趣旨と解することは可能だろう。こうした遺棄 罪の特殊性を前提とするならば、要扶助者との間に継続的保護関係があった者に保護責任を 認める見解には首肯できる。こうした見解に立脚した場合は、保護責任と保障人的地位の成 立範囲が包含関係にならないことも考えられ、この点が保護責任と保障人的地位の質的な違 いに着目した見解の最大の特徴といえよう。もっとも、両者の成立範囲が包含関係にならな いからといって、両者が一切重複する範囲をもたないというわけではないことは言うまでも ない。むしろ、一定の領域においては重複する範囲が存在することのほうが多いであろうし、 どの範囲で重複するのかを明らかにすることが重要なのである。 また、松原芳博は、作為義務に軽重の程度をつけられるかは疑問であるとし、保護責任と 保障人的地位は、本質的に異なる観点から導かれたものであるとの立場を示す。松原は、保 護責任が期待可能性を基礎づける責任加重身分であるとの理解のもと、保護責任者を「家族 関係に典型的にみられるような長期的かつ全面的な人的関係に基づいて、要扶助者の生存に ついて強い関心を持つべき者22」として、要扶助者に対する保護を強く期待できそうな者を 保護責任者としたのである。こうした排他的支配や先行行為といった保障人的地位の発生根
拠とされる事情とは異なる「長期的かつ全面的な人的関係」という事情を保護責任の根拠と することは、保護責任と保障人的地位を異なる観点から基礎づけるものであり、保護責任の 発生根拠を保障人的地位のそれよりも限定的に解する立場とは異なるものである。もっとも、 松原自身が指摘する通り23、同氏が保護責任を基礎づける事情とする「長期的かつ全面的な 人的関係」があれば、排他的支配といった保障人的地位を基礎づける事情が認められるのが 通例であろうから、結果として両者は包含関係となろう。しかし、上述のように、保護責任 と保障人的地位とは、その性質上の違いから、その発生根拠が異なるのであり、両者は論理 的に区別されるのであるから、同氏の説も質的な違いに着目した見解と位置づけられるだろ う。 (3)「継続性」要件 ここまで見てきたように、保護責任と保障人的地位を区別する見解は、両者の量的な差異 に着目するものと質的な差異に着目するものとに分かれる。ここで注目すべきは、量的違い に着目した見解と質的違いに着目した見解とは、その理論的な説明が異なるにもかかわらず、 どちらの説においても、保護責任の内容について、何らかの形で「継続性」について言及す るものが多いということである。保護責任と保障人的地位の量的な違いを指摘する立場の論 者である平野龍一は、保護責任者は、危険の不発生に向けた継続的な努力が要請される地位 であるとして24、保護責任者が負うべき義務は一時的なものではなく、継続的な義務である との見解を示し、同じく両者の量的違いを指摘する立場である林幹人は、保護責任は「長期 の密接な人的関係を基礎として、要扶助者を保護する動機をもつことが強く期待できる場 合25」に認められるとし、長期の人的関係を保護責任の中核に据えている。どちらの見解に おいても、何らかの「継続性」が保護責任の性質を特徴づけている点は共通しており、林幹 人に関しては、要扶助者との長期的な関係が保護責任の発生根拠として要求されている。一 方、保護責任と保障人的地位の質的な違いを指摘する論者からも、類似の言及がなされてい る。上述のように、松原芳博も長期の人的な関係を保護責任の根拠として要求しているし、 辰井聡子も「遺棄罪を日々の継続的な保護から切り離されることによって生じる特殊な危険 を想定した犯罪26」と解し、不作為の殺人の保障人的地位との比較で「199条の保障人的地位 が、具体的な死の危険を回避するための一回的な作為を義務づけるものであるのに対し、保 護責任は、抽象的な危険に対する継続的な保護を要求するものである。27」として、保護責任 者に要求される義務の内容を継続的な保護としている。このように、量的な違いに着目する 立場、質的な違いに着目する立場の双方から、保護責任について、継続性をその中核的な要 素とした説明がなされている。このことは、双方の見解に共通して、「継続性」こそが保護 責任の本質である可能性を示唆するものといえる。たしかに、継続性をその要件に求めるこ とは、保護責任の成立範囲の縮小に寄与するし、また、その関係が継続的なものであるなら
ば、そうした者による行為は非難の程度が重いとして、保護責任を責任加重身分とする見解 とも親和的である。量的違いを指摘する立場と質的違いを指摘する立場の双方から、「継続 性」についての言及があるということは、保護責任の本質を考えるうえで着目すべき点だろ う。 では、なぜ「継続性」が保護責任の本質と考えられるのだろうか。思うに、このことは、 保護責任者遺棄罪及び不保護罪の客体が要扶助者に限定されていることと密接に関連してい るものと考えられる。本罪の客体は、老年者、幼年者、身体障害者、病者のうち扶助を必要 とする者(要扶助者)である。218条においては、文言上は、扶助を必要とする明示の規定 はないが、217条の客体が扶助を必要とする者に限定されていることから、218条においても、 同様に解されている。これは、制限列挙であり、218条の客体をこれらの者に限定し、溺れ ている者、山中で遭難している者、妊婦等のその他の理由から扶助が必要となっている者を 本罪の客体からは除外する趣旨である。このように、本罪の客体となる扶助を必要とする者 は、老年者、幼年者、身体障害者、病者に限られるわけである。こうした本罪で客体とされ る要扶助者に共通することは、これら者は、皆、比較的長期にわたる保護を必要としている という点である。例えば、老年者や幼年者は、老年や幼年といった年齢が理由となって、要 扶助状態となっているのであり、こうした要扶助状態となっている原因が解消されるまでは 他者による保護が必要となる。老年者の場合は、老年が原因で要扶助状態となっている以 上、それが解消されるということは基本的には想定しにくいし、幼年者の場合も他者による 保護が不要となるまでには一定の期間を要する。また、身体障害者や病者の場合もその障害 や疾病の具体的内容にもよるが、要扶助状態を引き起こしている原因である身体障害、疾病 が取り除かれるまでは、保護が必要となるのであり、それにもやはり一定の期間を要するこ ととなろう。このように218条の客体の特徴を考えると、これらの者はその要扶助状態とな っている原因の解消に一定期間が見込まれ、そこで要求される保護も長期間にわたるという ことができるだろう。このことから、218条で保護責任者に要求される保護は、長期に及ぶ 継続的な保護であると解され、これが保護責任の根拠に「継続性」が求められる根拠となっ ているといえる。
第四章 保護責任を基礎づける継続的保護関係
第一節 保護責任者遺棄罪の性質 保護責任の発生根拠を考察する際には、その客体の規定が手掛かりになるように思われる。 刑法218条の規定によると、保護責任者遺棄罪及び不保護罪の客体は、老年者、幼年者、身 体障害者及び病者ということになるが、解釈上、それらの者のうち、他人の扶助を必要とす る者に限定されている28。この老年者、幼年者、身体障害者及び病者という規定は、制限列 挙であり、これら以外の者は、たとえ、生命を保続するうえで、他人の扶助を必要とする者であっても、本罪の客体とはならない。このように刑法218条は、生命を保続するうえで他 人の扶助を必要とする者の中でも、特定の者のみを客体として規定した条文ということにな る。では、なぜ本罪の客体は、これらの者に限定されているのだろうか。思うに、これらの 者は、社会的に見て、扶助の必要性が高い者の定型であり、刑法218条は、こうした定型的 に要保護性が高い者を特別に保護する規定と考えることができるだろう。社会には、扶助の 必要性という観点から様々な特質を備えた人間が存在するのであり、その中には、自らの力 のみでは危険を回避することが困難な者も存在する。中でも、218条に客体として列挙され る者は、特に、長期的な介護・養育等の扶養が必要な者であり、社会において保護の必要性 が定型的に高い者ということができる。218条は、こうした社会において、一般的に要保護 性が高いと考えられる者を類型化し、それらの者を保護する義務を保護責任者に負わせるこ とで、本質的に脆弱な法益の保護を図る趣旨と解することができよう。もっとも、社会には、 これらの者の他に妊婦や溺れかけている者等の218条に列挙された事由以外が原因で要保護 状態となった者も存在するが、こうした者は、本罪の客体に含まれない。218条は、あくま でも、法が社会において他人の助力が不可欠な者を限定的に列挙した規定なのであり、その 定型に含まれない者は、本罪の保護の対象ではないと解さなくてはならない。本罪の客体と なりうるのは、あくまで社会において高度な要保護性が本質的に認められる者なのであり、 こうした要保護性は認められても218条が想定する定型から漏れる者、保護の必要性はあっ てもそれが一時的である者は、218条の射程の外に位置づけられることとなろう。218条の客 体となりうるのは、社会において最も保護を必要とする一部の人間に限られるのである。 さて、要扶助者を以上のように考えた場合、保護責任の発生要件はどのような根拠に基く べきであろうか。そもそも218条の客体である要扶助者は、社会的に継続的な保護が必要と される者なのであるから、こうした者は、他者によってすでに保護されている蓋然性が高い といえる。このことから、本罪をこうした要扶助者との間に継続的な保護関係が認められる 者の行為をより重く処罰する趣旨と解することはできないだろうか。あるいは、こうした保 護をしている者が存在しなくても要扶助者ほど要保護性が高いのならば、こうした要扶助者 を保護すべき者は存在していることが多いとも考えられる。こうした要扶助者を保護すべき 関係を継続的保護関係として、これを保護責任の発生根拠と位置づけることができよう。こ のように考えた場合、保護責任と保障人的地位はその性質が異なるということになる。 第二節 継続的保護関係とその基礎となる規範的要素 (1)規範的意味における継続的保護関係 さて、上記のような理解に立った場合、要扶助者との間に継続的保護関係がある者に保護 責任が認められるということになる。これまで見てきたように、保護責任と保障人的地位を 区別する見解の中には、「継続性」について言及するものが多くみられた。しかし、それら
の見解は、いずれも保護責任の根拠を形式的に考えることを嫌い実質面からの考察を試みる ため、おおむね、事実としての「継続性」の要求であるように思われる。「長期の密接な人 的関係」等の要件も、事実として継続的に保護していたことや長期間密接な関係が継続して いたことを意味するものであろう。ここには、保障人的地位を法令や契約といった規範的側 面から基礎づけるかつての説明を捨て、実質的な側面からの説明を試みてきた作為義務論と 同様の姿勢が見て取れる。しかし、保護責任と保障人的地位は質的に異なる要素なのであ り、異なる観点からのアプローチが必要となろう。上述のように、客体とされる要扶助者が 継続的な保護を必要としている者であると解するなら、そうした者を保護すべき関係が認め られる者の行為を処罰するということが本罪の趣旨と解することができる。なぜならば、要 扶助者には、高度の要保護性が認められるのであり、そうした者を保護すべき関係が認めら れる者が存在するのならば、その者の行為(遺棄・不保護)には強い非難を加えることがで きるからである。すなわち、ここで想定されている関係は、現実に継続して保護していると いう事実ではなく、継続して保護すべきという規範的な関係なのである。このことから、保 護責任の根拠となる継続的保護関係は、社会的観点から見て、要扶助者を保護すべきといえ る規範的な関係と考えるべきだろう。したがって、私見では、継続的保護関係とは、継続的 に保護すべきとされる関係を意味する用語として理解されることになり、この点に従来の見 解との相違があるだろう。 さて、継続的保護関係の意味を以上のように解した場合、いかなる場合にそうした関係が 肯定されるのかという点が問題となる。思うに、継続的保護関係が社会的観点から認められ る規範的性格を有する以上、その根拠も規範的要素に基づくものと考えられる。法令、契約 といった規範は、当為性を基礎づける基準であり、保護すべきという関係の存在を肯定しう る要素となりえる存在である。継続的保護関係はこうした規範的要素による基礎づけを軸に、 その存否を認定していくべきである。 (2)継続的保護関係を基礎づけうる規範的要素 では、いかなる規範的要素が継続的保護関係を基礎づけうるのか。従来も不真正不作為犯 の作為義務論において、規範的要素は作為義務を基礎づける根拠の一つとされてきた。そこ では、法令上の義務や契約上の債務、条理や慣習など行為者に一定の作為にでることを期待 しうる要素が作為義務を基礎づける根拠として幅広く取り入れられていた29。しかし、上述 のように、作為義務の根拠をこうした規範的側面から考察する見解は、根拠として取り入れ られる規範的要素の範囲が不明確であることなどから、現在では、作為義務論においては、 あまり支持されていない。特に、条理や慣習等の道徳規範との区別が難しい要素を法的な義 務である作為義務を基礎づける要素とすることには慎重であるべきであろう。このことは、 継続的保護関係を基礎づけうる規範的要素を考察するうえでも留意すべき点であろう。すな
わち、継続的保護関係を基礎づけうる規範的要素を考察する際にまず問題となるのは、刑法 上用いることができるのはどのような規範的要素かということである。この点について、本 稿では、刑法において根拠として用いることができる規範的要素は、実定法上の義務に限定 すべきだと考える。刑法においては、罪刑法定主義の要請上、処罰対象となる行為は、法律 に規定される必要があり、単なる条理や慣習は、処罰を基礎づける法源とはならないのであ るから、規範的要素もまた、実定法上の義務に限定することが適切であるように思われる。 このことは、罪刑法定主義の民主主義的な原理とも合致するうえ、条理や慣習を規範的要素 から排除することで、明確性の要請にも応えるものである。規範的要素は、法令上の義務や 契約上の債務等の実定法において義務者を拘束する強制力を持つものに限定すべきだろう。 規範的要素をこのように限定することで、規範的要素の範囲が過度に広範なものとなり、そ の内容が不明確になりすぎるという問題に対しては、一応の解決策が示せたことになる。 次に、こうした規範的要素のうちどのような性質を備えた要素が継続的保護関係を基礎づ けることになるのかを検討する。従来、規範的要素というと、まず、親権者の監護義務等の 民法典の親族編に規定された親族間の義務が挙げられた。具体的には、民法730条の親族間 の扶け合いの規定、民法752条の夫婦間の協力及び扶助の義務の規定、民法820条の親権者の 監護義務の規定等が挙げられる。また、契約上の義務としては、保育委託契約に基づき幼児 を預かっている保育士の債務も保護責任の根拠となりうる。しかし、民法には多くの義務規 定が存在し、従来から挙げられてきたこうした義務の他にも、継続的保護関係を基礎づけう る規範的要素がないか検討する必要がある。例えば、売買契約では、売主は、主たる債務で ある財産権移転義務の他に瑕疵担保責任30を負う。さらに、道路交通法72条1項の救護義務、 労働基準法75条の療養補償義務等の特別法上の義務も存在し、規範的要素としうる規定は、 数多く存在する。こうした法律上規範的要素と考えられる諸要素のうち、どのような性質を 備えたものが、継続的保護関係の基礎となりうるのか。換言すれば、継続的保護関係を基礎 づけうる規範的要素の要件は何かということになろう。この点は、継続的保護関係を基礎づ ける要素である以上、自明のようでもあるが、要件として次の二点を挙げることができよう。 まず一点目が、義務者に生命・身体の保護を要求する規範であるという点であり、二点目が それが一時的なものではなく、継続性のあるものであるという点である。このような観点か ら、規範的要素の中から、継続的保護関係の基礎となりうるものを検討すべきだろう。した がって、実定法上の義務のうち、保護規範性と継続性の二つの要件を満たすものが継続的保 護関係を基礎づけうる規範的要素となるのである。 上記で挙げた規範的要素のうち、まず、民法730条の親族間の相互扶助義務、民法820条の 親権者の監護義務、道路交通法72条1項の救護義務等が保護をその内容とする規範と考えら れるだろう。こうした規範は、義務者に何らかの保護を要求するものであり、継続的保護関 係を基礎づける第一の要件である保護規範性を満たすものである。それに対して、売買契約
における瑕疵担保責任と労働基準法75条の療養補償義務は、それぞれ、金銭的補填、補償を その中心的な内容とするものであり、債権者をその生命・身体に対する危険から保護するこ とまでは含まれていないのであるから、保護規範には当たらないだろう。したがって、売買 契約によりテレビ等の家電製品を売却した売主が、その商品の購入後に商品の瑕疵で負傷し た買主に対して、瑕疵担保責任を根拠とした保護責任を負うことはない31というべきである し、労働者が業務上、負傷し、または疾病にかかったとしても、使用者に、療養補償義務を 根拠として保護責任が認められることはない。また、売主については財産権移転義務が、使 用者については報酬支払義務が本質的な債務なのであるから、瑕疵担保責任や療養補償義務 を基礎として保護責任を負わせるのは、法の趣旨からも外れているともいえるだろう。 次に、そこで要求される保護が継続的なものかが問題となる。これは、要扶助者を継続し て保護すべき関係である継続的保護関係を基礎づけるためには、その根拠となる保護規範も、 継続的な保護を要求するものでなくてはならないためであり、これが継続的保護関係を基礎 づけうる規範的要素の第二の要件である。上記の保護規範のうち、この要件を満たすものは、 民法730条の親族間の相互扶助義務、民法752条の夫婦間の協力及び扶助の義務、民法820条 の親権者の監護義務、保育委託契約に基づく保育士の債務が、まず挙げられる。これらの規 範は、継続的な保護を予定したものであり、原則として、監護義務は監護の必要がなくなる まで、扶養義務は被扶養者が存在する間、保育委託契約に基づく債務は契約が継続する間継 続する。他方、道路交通法72条1項の救護義務は、事故が発生した際に、一時的な保護を運 転者等に課すものであり、被害者の回復まで保護を継続することまで要求するものではない だろう。したがって、上記の規範的要素のうち、民法730条の親族間の相互扶助義務、民法 752条の夫婦間の協力及び扶助の義務、民法820条の親権者の監護義務、保育委託契約に基づ く保育士の債務が、2つの要件を満たし、継続的保護関係を基礎づけうる規範的要素となり えるといえるだろう。
第五章 事例の検討
さて、ここまで保護責任は継続的保護関係が存する場合に認められ、継続的保護関係は、 規範的要素によって基礎づけられるとする私見を展開してきたが、本章においては、こうし た理論の下、どのような場合において保護責任者遺棄致死罪の成立が認められるのかを具体 的事例において検討することとする。 まず、第三章で扱った二つの判例について検討する。未熟児不保護事件では、堕胎措置を 行った被告人に保護責任者遺棄致死罪の成立が認められた。被告人は、妊婦からの依頼に基 き堕胎措置を施したものであるが、ここでの医療契約の内容は、あくまで妊婦に堕胎措置を 施すことであり、排出された嬰児の保護までは含まれないといえよう。被告人は、単に胎児 を堕胎させただけなのであるから、こうした一時的な関係は保護責任者遺棄致死罪が想定していた事態とは異なるのであろう。また、詳しい事実認定はされていないが、被告人が、堕 胎後に嬰児を預かる契約を母親と締結していなかったのだとすると、被告人には、嬰児を保 護すべき契約上の義務はなかったことになる。生まれた子を保護養育すべきは第一義的には 親権者なのであり、本件被告人には、こうした民法820条のような法律上の義務もなかった のであるから、被告人と嬰児との間の継続的保護関係を基礎づける規範的要素は存在しなか ったことになる。したがって、本件では、嬰児との間に継続的保護関係が認められない被告 人には、保護責任者遺棄致死罪は成立しないと解すべきであろう。この点において、上記の 辰井聡子の批判32は適切である。一方、被告人は、未熟児を母体外に輩出させ、自らの医院 に引き取っているのだから、むしろ不真正不作為による殺人の保障人的地位が認められる余 地があったと考えられるが、この点は別稿に譲ることとしたい。 次にシャクティ治療殺人事件については、被告人は、被害者の親族から治療の依頼を受け ていたのであり、被害者の親族と被告人との間に被害者を治療することを内容とする医療契 約が締結されていたと解することが出来るなら、これは継続的保護関係を基礎づける規範的 要素となりうるだろう。もっとも、被告人が引き受けたシャクティ治療は医学的にはなんら 治癒の効果がないものであったし、契約の内容がどこまで具体的なものであったかについて も疑問は残る。しかし、被害者親族は、被害者の回復を被告人にゆだねたのであり、被告人 もそのことを十分に認識し、その上で、治療を引き受けたのであろうから、こうした委任関 係を規範的要素として継続的保護関係を肯定してよいだろう。本件では、被告人と被害者と の間には継続的保護関係が認められ、被告人は保護責任を負うこととなる。 また、私見においては、以下のような事例で保護責任が認められることとなる。例えば、 母親が、子供に対し、食事を与えず、あるいは衣服を着せない等、必要な保護をしなかった 場合は、保護責任者不保護罪が成立する。これは、本罪が成立する典型的な事例である。親 権者は、民法820条の規定により子に対し監護義務を負い、かつそれは継続的なものである から、原則として継続的保護関係が認められ、保護責任者となる。また、この継続的保護関 係は、上述のように、要扶助者を保護すべき関係であり、現実に保護をしていたかどうかは 問題としない。したがって、現実には保護を開始していない出産直後の母親も民法820条に 基づき保護責任を負うのであり、嬰児を置いてその場から立ち去されば、保護責任者遺棄罪 が、必要な保護をしなければ、保護責任者不保護罪が成立することになる。 また、単身赴任中の父親が、自宅で子を養育していた母親が突然死亡したにもかかわらず、 子供を保護するための適切な手段を講じなかった場合も保護責任者遺棄罪が成立する33。親 権者である父親も保護責任を負い、子を保護しなかった際には、同罪の成立が認められるこ とになるが、単身赴任等で子を直接保護することができないような場合には、同居の母親に 保護を任せるなど、他人を介しての保護も可能であり、こうした間接的な手段でも保護責任 を果たすことができる。しかし、こうした養育を任せた者が死亡等により養育不能になり、
かつそうした状況を父親が知ったならば、父親の保護責任を認めることに差し支えはなく、 そうした状態を知ってなお子を保護するための適切な手段を講じないのであれば、保護責任 者遺棄罪に当たると解すべきだろう。具体的な保護の手段としては、上述のように、父親自 身が帰宅して直接保護をする必要はなく、親類や知人に連絡して、保護を依頼するなど、間 接的な手段でも保護責任は果たせることになる。 契約上の債務が原因となる例としては、保育委託契約により、幼児を預かっている保育士 が適切な保護をしなかった場合も保護責任者不保護罪が成立する。保育士は、保育委託契約 により、保育を引き受けている期間中は、幼児の生命、身体に危険が及ばぬよう保育する債 務を負うのであり、かつこうした保育委託契約は、一般的に長期に及ぶ保育をその内容とす るものであるから、継続的保護関係を基礎づけるということができる。こうした事例におい ては、保育士の他にも、保護責任者である親権者が存在するのであるが、親権者は保育士を 通じて間接的に義務を果たしているともいえるし、あるいは、他の者に保護を依頼している のであるから、その間は保護義務はあってもそれが顕在化しないと解すこともできよう。い ずれにせよ、保育士等の他の保護責任者が保護を引き受けている間は、親権者は現実として 子供を保護していなくとも、本罪に問われることはない。無論、保育所で子の保育を引き受 けていない間は、保育士は、保護義務者としての責任を負うことはないのである。
第六章 おわりに
本稿では、保護責任者遺棄罪の保護責任と保障人的地位は、質的に異なるとの前提のもと 保護責任の要件である継続的保護関係を規範的観点から基礎づけることを試みてみた。こう した試みは、不真正不作為犯の保障人的地位の根拠を事実的な観点に求めることを前提とす れば、保障人的地位と保護責任とを明確に区別することができるだろう。しかし、継続的保 護関係を基礎づけるのは、果たして規範的要素だけでよいのか、規範的要素とそれ以外の要 素を明確に区別することができるのか等の課題もなお残されているように思われる。特に、 継続的保護関係の基礎を規範的要素のみに限定してしまうことは、一面では、規範的要素が ない場合には保護責任が認められることはないとして、保護責任が認められる範囲の明確化 に資するが、他方、規範的要素が存在する場合には、必ず保護責任も肯定されるという結論 に行きつきやすく、この点はなお検討を要するだろう。しかし、規範的要素を継続的保護関 係を認める必要条件とすることで、保護責任の成立範囲を限定することには、一定の意味が あるように思われる。保護責任は、要扶助者を継続して保護する責任として、こうした規範 的観点から基礎づけていくべきだろう。 1 刑法典では、単純遺棄罪(217条)、保護責任者遺棄罪(218条前段)の他に、死体遺棄罪(190条)においても「遺棄」の文言が用いられているが、両者は別意に解されている。なお、 死体遺棄罪(190条)の「遺棄」概念について検討したものとして、萩野貴史「死体遺棄罪に おける『遺棄』の概念に関する覚書」名古屋学院大学論集第53巻4号(2017)187頁以下等。 2 平野龍一『刑法概説』(1977・東京大学出版会)164頁。 3 山口厚『刑法各論』(第2版・2010・有斐閣)35頁、曽根威彦『刑法各論』(第五版・2012・弘 文堂)43頁。 4 大塚仁『刑法概説(各論)』(第三版増補版・2005・有斐閣)58頁以下。 5 小暮得雄=内田文昭=阿部純二=板倉宏=大谷実ほか編『刑法講義各論』(1988・有斐閣)68 頁[町野朔]、大谷實『刑法講義各論』(新版第4版補訂版・2015・成文堂)68頁、西田典之 『刑法各論』(第七版補訂版・2018・弘文堂)〔橋爪隆補訂〕31頁。 6 酒井安行「遺棄の概念について―作為・不作為概念との関係を中心として」早稲田大学大学 院法学研究論集28号(1983)86頁。 7 辰井聡子「保護責任者の意義」『刑法判例百選Ⅱ(各論)』(第6版・2008・有斐閣)23頁。他 に、同旨の見解として、松宮孝明『刑法各論講義』(第5版・2018・成文堂)81頁、中森喜彦 『刑法各論』(第4版・2015・有斐閣)44頁。 8 原田國男 最判解刑事編昭和63年度1頁参照。 9 保護責任者遺棄致死罪と不作為の殺人罪との区別に関し、訴因制度との関係を指摘したもの として、萩野貴史「殺人罪と保護責任者遺棄致死罪の区別―わが国の判例の分析を中心に―」 『法政論叢52巻1号』103頁以下。 10 中森・前掲注(7)43頁、西田・前掲注(5)31頁以下、佐久間修『刑法各論』(第2版・ 2012・成文堂)59頁。 11 なお、平野・前掲注(2)164頁は、作為義務のある者の置去りは処罰されないとしているた め、不作為の遺棄が処罰されるためには、より高度な保護責任がある場合に限られることに なる。 12 平野・前掲注(2)164頁。 13 山口・前掲注(3)35頁以下。 14 平野龍一『刑法総論Ⅰ』(1984・有斐閣)159頁は、罪名の異なる不作為犯相互の区別につき、 「不作為の場合は、作為義務の強弱によって、重い罪から次第に軽い罪と、それぞれによって 処罰されることになるのである。」とし、作為義務の軽重の差による区別を提唱している。 15 山口・前掲注(3)37頁。 16 山口厚「不真正不作為犯に関する覚書」『小林充先生佐藤文哉先生古稀祝賀刑事裁判論集上 巻』(2006)31頁以下。 17 山口・前掲注(3)36頁参。 18 保護責任と保障人的地位との量的な差異に着目して両者を区別する見解として、本文中に挙
げたものの他、松宮・前掲注(7)77頁、林幹人『刑法各論』(第2版・2007・東京大学出版 会)42頁以下等。 19 辰井・前掲注(7)23頁。 20 平野龍一「単純遺棄と保護責任者遺棄」警研57巻5号10頁。 21 辰井・前掲注(7)23頁。 22 松原芳博『刑法各論』(2016・日本評論社)40頁。 23 松原・前掲注(22)41頁。 24 平野・前掲注(20)10頁。 25 林・前掲注(18)42頁。 26 辰井・前掲注(7)23頁。 27 辰井・前掲注(7)23頁。 28 大判大正4・5・21刑録21輯670頁。 29 大塚仁『刑法概説(総論)』(第四版・2008・有斐閣)153頁、大谷實『刑法講義総論』(新版 第4版・2012・成文堂)136頁以下。 30 瑕疵担保責任については、民法の一部を改正する法律(平成29年法律第44号)により、その 規定が変更されているが、本稿の理解に影響を与えるものではない。 31 もっとも、こうした事例は、不法行為責任の問題とされるほうが一般的であろうが、その場 合は、後述の継続性のある規範という要件を満たさないことになる。 32 辰井・前掲注(7)23頁。 33 すでに生じている場所的離隔を解消しないことも「遺棄」と解しうるであろう。
Zusammenfassungen
Nach wie vor hat die Rechtsprechung viele Faktoren, wie Gesetze, Verträge, Ingerenz als die die Obhutspflicht (ein persönliches Merkmal des Sonderdelikts §218 jStGB) fundierten Gründe anerkannt. Sie stimmen mit den Gründen von der Garantenstellung eines unechten Unterlassungsdelikts überein. Wenn man die Obhutspflicht von der Garantenstellung unterscheiden will, muss man den eigenen Grund der Obhutspflicht zeigen. In diesem Aufsatz vertrete ich für die Auslegung des §218 jStGB diesen Standpunkt. Nach meiner Meinung setzt die Obhutspflicht eine dauernde Schutzbeziehung zwischen der Obhut brauchenden Person und dem Täter voraus, weil sich das Objekt des Aussetzungsdelikts auf die Person beschränkt, für die die Obhuts besonders notwendig ist. Die Beziehung zwischen einem Kind und seiner Mutter oder die zwischen einem Kind und einem Pfleger, der auf Vertragsbasis verpflichtet ist, ihn zu versorgen, bilden die Beispiele für die Obhutspflicht im Sinne von §218. Diese dauernde Schutzbeziehungen sollten mit den Elementen der Normen, und zwar mit Gesetzen oder Verträgen begründet werden. Bei dieser Ansicht soll die Obhutspflicht nicht mit den Tatsachen, wie der Ingerenz oder der ausschließlichen Herrschaft, sondern mit den Elementen der Normen begründet. Dieser Aufsatz klärt den Inhalt der Obhutspflicht aus dem Gesichtspunkt der Normen auf.