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社会的責任の理論的考察

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(1)

社会的責任の理論的考察

桜井克彦

第1節 序

第2節 責任論と経営学

(1)経営学の理論と経営倫理

(2)責任の論理と企業権力 第3節 現代企業と権力

(1)権力保持者としての現代企業

(i)ラザムの所説

(ii)ルムルの所説

(2)権力の概念

(3)企業権力の内容

(i)諸論者の説明

(ii)環境主体と企業権力

(4)企業権力の源泉

(i)リーガンの所説

(ii)企業への依存性および社会の工業化 第4節 責任の法則

(1)デイヴィスの所説

(i)権力と式任の照応性

(ii)照応の必然性

(iii)責任の実践と権力・責任の方程式

(iv)デイヴィスの所説の意義

(2)責任の法則と理論

第5節 責任肯定論の論理と妥当性

(1)式任肯定論の論理

(2)肯定論の妥当性

(2)

1 1 2  

6

節 責 任 否 定 論

( 1 )  

代表的見解

(  i  ) 

ハイエクの主張

( i i )  

フリードマンの主張

( i i i )  

レヴィットの主張 (2)  責任否定論の特質

(  i  ) 

論拠の多様性

( i i )  

視角の多様性

( i i i )

営利原則および、市場機構への依存

( i v )  

制度的枠組みの必要性の主張

( 3 )  

責任の問題点と意義

(  i  ) 

責任実践の不可避性

( i i )  

古典的多元社会と現代的多元社会

( i i i )

否定論の意義

第 l節 序

経 営 と 経 済

現代の代表的企業であり現代企業の名で呼びうるところの巨大株式会社企 業を中心に企業ないし経営者の社会的責任が,学界および実務界で論ぜられ るに至って久しい。責任に関するかかる論議は一般に,大企業が広範にして 強大な権力を保持しており,されば企業の経営者はかかる権力に照応した社 会的責任を引き受けるべきである乙とを強調するD

経営学が実践科学である以上,社会的責任論が企業への勧告という規範論 的もしくは技術論的な形態の理論として展開されて差し支えないことは当然 であり,またそのように展開さるべきであろう。しかしながら,そのような 責任論が単なる規範論あるいはお説教に終らず社会科学の理論として志味を もちうるためには,それは社会的責任に関する論理ないし法則によって基礎 づけられていなければならない。

本稿では,経営学の理論としての社会的責任論の条件,および責任の論理 ないし法則を尋ねつつ,社会的責任論の理論化の妥当性を明らかにする乙と にし

7 こ し

) 0

(3)

2 節 責 任 論 と 経 営 学

企業ないし経営者のいわゆる社会的責任なる問題への社会的関心が増大す るにつれ,企業による責任受け入れの必要性を主張する論議が各方面で発展 の傾向にあるD ところで,かかる論議は,少くともそれが科学としての経営 学の論議の名の下で展開されんとするならば,主題l乙対する非客観的角度か らのアプローチは排除される必要がある

o

むろん,企業責任のとり上げかた をめぐるこのような見解は,いわゆる経営学方法論,社会科学方法論にお いてつとに主張されているところであり,本節ではこの点について眺めよ

つ o

( 1 )  

経営学の理論と経営倫理

ヴオノレトマン

1)

は経営学

(management)

を,組織の諸目的の達成にあたっ て組織の諸活動を計画・組織・統制することに関する応用科学であると定義 する

o

かれは科学には基本的には二程のタイプ,即ち形式的(概念的)科学 (これは純粋論理や数学の如き分野であり,高次の確実性を要求する)と事 実科学

( fa c t u a l  s c i e n c e )  

(乙れは社会科学を含んでおり,経験的証拠に依 存する)とが存在し,経営学は事実科学の応用であって,その主張(

t r u t h ‑ claims

もしくは原則は, それが実践可能でありその後の展開によって論 駁されない限りにおいてのみ正当であるとする

2)

ヴォノレトマンのこのような見解は, それが経営学を事実科学とみる点で は,かつてサイモンめによって主張されたものと同一であることはいうまで もなし」サイモンは管理の諸原則が科学的命題たりうるかを尋ねつつ,科学 は理論的なものと実践的なものに分けうるが実践的命題(,しかじかの事態 を生ぜせしめるには, しかじかの乙とが行なわれるべきである。

J )

と理論的

注1 ) Max S .   Wortman

, 

] r .

, 

"A Philosophy f o r   Management

" 

Advanced 

Management

, 

October

, 

1 9 6 1  ( i n  Wi 1 l i am T. Greenwood e d .

, 

I s s u e s  i n   B u s i n e s s  and S o c i e t y :   Readings and Cases

, 

1 9 6 4 ) .  

2 )   W. T. Greenwood e d . ,  o p .   c i t . ,  p .   4 3 4 .  

3 )   Herbert A. Simon

, 

Administrative Behavior

, 

1 9 5 5  

(松田,高柳,二村訳

「経営行動 J

,昭和

4 2 年)。

(4)

1 1 4  

経 営 と 経 済

命題

( 1

しかじかの事態はつねにしかじかの条件を伴う

o J )

とはその命題を 使用する人間の動機に関して異なるにすぎないとし,管理の過程についての 命題は事実的な意味においてその真偽を断定しうるときにのみ科学的であっ て,この点では社会科学と自然科学との聞に差異はないとする。そして,経 営学は他の科学と同様,純粋に事実的な叙述にのみ関連し,科学l乙は倫理的 主張の入る余地は存在しないこと,また,経営学は理論的な形態と実践的な 形態のいずれもとりうるととを指摘するのである的。

むろん,経営学は技術論であるとともに,そこにおける実践的命題はサイ モンのいうような,理論的命題の単なる哀返しとしての実践的命題ではな い。それはともかく,ヴオノレトマンが指摘するような性格の科学として経営 学が展開されねばならないとするならば,企業責任を対象とする論議は事実 命題の提示の形で進められねばならない。つまり,責任に関する主張は,そ れが一見したと乙ろ規範論的な形態をとりうるとしても,かかる主張は,責 任についての客観的法則もしくは事実論理によって基礎づけられていなけれ ばならないのであるD

社会的責任の問題は換言すれば企業倫理の問題であるが,かかる問題への 考察がしばしば哲学的・倫理的角度からなされる

o

このこと自体は,後述の 如く必ずしも誤りではないが,しかしながら,社会科学としての経営学にお いて確立さるべき企業倫理ないし経営倫理は,いうまでもなく,哲学として の倫理学の観点から論ぜられると乙ろの企業倫理とは必ずしも同ーのものた りえない。前者は,企業をめぐって存在する客観的法則に立脚するところの 客観的・必然的な倫理であるO

経営学が事実科学たる以上,それが展開する倫理的命題は事実による検討 に耐えねばならず,またかかる命題がそれ自体として倫理的に適切であるか どうかは科学の範囲外にあるのである

o

経営学の基本的性格をかくの如く解 するとき,事実科学としての経営学において正当に論じうるところの企業倫 理ないし経営倫理がなにを意味するかも,自ら明らかとなるであろう口かか る倫理は,倫理学で論ぜられるような哲学的論理としての倫理と一致するか

4 )   H. A. Simon

, 

o p .   c i t .

, 

p p .   248~253

(前担訳書,

3 2 2 " ' 3 2 8

頁〉。

(5)

もしれず,一致しないかもしれないのであって,それは,企業をめぐる客観 的・必然的な法則ないし論理の実践論的展開としての倫理である口涼利教授 も,この点をつぎのように述べておられる1"実践科学としての理論的経営 学において措定せられる規範は,超越的な主観的規範ではなくて,まさに内 在的な客観的規範であり,こうした意味において,超越倫理的でなくて,内 在{合理的な理論的規範をなすものである

5)

もっとも経営学における経営倫理ないし企業倫理の本質的性格をかくの如 く解することは,かかる倫理の把握に対する哲学的ないし純粋に倫理学的な 接近の有意義性を排除するものではない。その多様な利害関係者との聞に錯 綜した関係を有する大企業をめぐると乙ろの経営倫理の探究は甚だ困難であ り,乙乙

l

乙,哲学的な角度からの接近の意義も無視しえないであろうD 企業 の実践原則としての経営倫理をば経営の論理の実践論理的展開のうちにのみ ならず,倫理学的考察のうちに求める乙とは,それが経営倫理に関する発見 的方法を意味する限り,適切であるといいうるのであるO

( 2 )  

責任の論理と企業権力

現代企業によるその社会的責任の遂行の必要性が学界において,また事業 界においてしばしばその強調をみるに至っていることは周知の如くである。

今日の巨大企業ないしその経営者が社会的責任を果さねばならないという乙 とは,一般に,自明のこととされているようであるD しかしながら,責任引 き受けの必要性の主張が経営学的に芯味をもちうるためには,かかる主張の 論理的妥当性に対する杭主な吟味が必要である

o

責任履行の必要を説く見解においてしばしばみられる立場は,かかる必要 の依って生ずる根拠を企業における営利追求行為と社会の一般的利益との閣 の対立・矛盾のうちに求めようとするものである

o

すなわち,企業の大規校 化と寡占化による経済構造の変化に伴って市場のいわゆる自動調節力が弱体 化した結果として,企業の営利追求はその従業員,消費者,取引先,等の利 益を犠牲にして行なわれがちであるという見地かふ企業による社会的責任

5 )  

E若手IJilll~

r

経営学の法陀(改訂版)

,昭和4

4

8 7

(6)

1 1 6  

経 営 と 経 済

の履行の必要性を主張するものが, 乙れである

6)

。また,市場の自動調節力 の弱体化ということに加えて,大企業の存在とその盛衰が社会に対して有す るところの影響が著しく増大しているということをもって,社会的責任の根 拠とする見解も存在するわ。

これらの見解は,企、業による権力乱用の傾向,あるいは社会的影響の増大 という観点から責任引き受けの必要性を説くものであって,企業権力の増大 が社会的責任の問題化の根源、である以上,そのような見解は一応論理的に妥 当であるといえようO しかしながら,責任引き受けの必要性の主張が経営学 の論理として成立しうるためには,企業権力の存在をもってそのまま責任引 き受けの必要性と結びつけるのみでは必ずしも十分ではない。十全な責任論 の展開に際しては,第ーに,企業が権力を有するに至っており,またその維 持を願うことを立証することが,第二に,そのような権力の存在が企業をし て社会的責任の受け入れへと必然的,不可避的に導くような要因ないし法則 が存在することを立証することが必要である

o

なお社会的責任が企業におい て実践されるに至っているということについての証明を伴うならば,責任論 はより説得力をもつであろう

o

以下の二つの節では,企業への権力集中,および権力と責任の関係につい て考察を行なうことによって,責任論の論理的妥当性のいかんを明らかにす ることにするO

3

節 現 代 企 業 と 権 力

現代の巨大株式会社企業における基本的な特質の一つに,巨大な権力の存 在を挙げることができる。巨大企業をめぐって今日,社会的にも問題となっ ているところの社会的責任は,そのような企業権力に対する理解なくしては その本質を適切に把握しえないといっても過言ではない。

現代の大企業が強大なパワーないし権力を保持するに至っており,権力の 6)  例えば占部都美「経営者

J

.昭和34年. 266

'"''270

頁 。

7 )  

中西寅雄,鍋島達編著「現代における経営の理念と特質

J

.昭和

4 0

年.

4 4

' " ' ‑ ' 4 6

頁 。

(7)

乱用に対する社会の非難にしばしば直面するに至っていることは,改めて指 摘することを要しないD 多くの論者が,企業のもつかかる権力に着目して,

企業をば一種の政治的制度として論ずるに至っている程である。本節では,

大企業が権力のシステムであり,社会に対して直接・間接にさまざまな影響 をかなりに自由に及ぼしうるし,また,及ぼしつつある乙とを,明らかにし

ょう

O

( 1 )  

権力保持者としての現代企業

現代の巨大企業がその内外をめぐるさまざまなインタレスト・グループと 密接な係わりあいを有しており,その経営決定のいかんがこれら諸ク、ソレープ の利害を大きく左右しうることは,多くの論者によるその指摘をまつまでも なく明らかであろうO 数多くのクツレープがその利益の存続と発展を特定の巨 大企業の政策に依存するに至っている。また,巨大企業はその強大な市場地 位を背景にこれら諸グループに対してその意志をつらぬきうるのである。企 業の決定におけるそのような影響力と強制力は権力として要約しうると思わ れるが,現代の大企業はそのような権力の行使によって,その内外をめぐる 諸クゃループの運命をかなりに左右しうるのであり,その意志がこれらクツレー プの行為とあり方を規定するのである

o

乙の志味で,現代企業はまさに支配 を行なっているといえようO

例えば,イーノレズは,現代の代表的企業と考えられるところの巨大株式会 社の実態の把握のためにはさまざまな角度からアプローチが試みられるべき であることを指摘し,そのようなアプローチの対象領域として企業目標,企 業生態学,経営政策策定のプロセス,戦略的な決定領域,ならびに企業にお ける統治という五つの分野を挙げている

8 〉 o

ここに企業統治とは「会社政治

(corporatep o l i t y )

の構造と機能

9)

J :意味している。かれは,従来の企業理論において欠けていたものの一つが乙 の側面からの分析であるとみ,現代の大企業を『権力のシステム

10)

.nとして

8 )   Richard E e l l s

, 

The Meaning o f  Modern B u s i n e s s

, 

1 9 6 0 .   9 )   I b i d .

, 

p .   1 2 8 .  

1 0 )   R. E e l l s ,  The Government o f  C o r p o r a t i o n s ,  1 9 6 2 .  

(8)

1 1 8  

経 営 と 経 済

把握せんとするのである

o

またヴォタウも,大会社が「私的な統治システ ム」であり,ここからそれは,効率的にして生産的である乙とに加えて,自 由と公正の原則に従わねばならないことを挙げるD かれによると,権力とは 他者の行動に対しコントローノレもしくは影響を及ぼす能力であるが,大会社 はそのような権力をもっシステムである

o

会社権力システムの基底は経済で の権力であり,上部構造は多くの他の権力からなる。経済的権力は大会社へ の資産の集中に基づいており,かかる集中の主たる原因は近代工業技術であ って,乙の巨大な経済的権力の上に多数の派生的な権力が築かれているので ある

11)

このように,多くの論者が大企業の支配的性格を指摘しているD そ乙で,

つぎに,企業におけるかかる支配的性格をより認識するために,ラザムとノレ ムルの見解を追うことにする口

)  ラザムの所説

ラザムは,国家に対する大企業の政治的影響の存在については広く知られ ている一方,企業自身も「私的な支配

(government)

のシステム」として 政治的性格を有していることについてはさほど知られていないことを指摘す

12)

。かれによると大企業は,権力を保有し行使するための合理化された システムであり,すべての政治的統一体

(bodypo

1i

t i c )

に共通の特性を備 えているところの政治的統一体である

o

すべての政治的システムを調べると

( 1 )

権威ある形による,第一次的な機能ないし目的の付与,

( 2 )

団体のための 決定を行なうと乙ろの象徴的機関,

( 3 )

命令執行の機関,

( 4 )

報酬と処罰の制度,

( 5 )

共通的ノレーノレの強制のための機構という五つの要素をいずれのシステム にも認めえ,これらの要素を含むと乙ろの組織化された人間行動のシステム が政治的システムであって,企業も国家と同じくとれらの要素のすべてを示 しているのである

13)  o

こ乙

l

乙,そのような五要素とは企業にあっては,夫

1 1 )   Daw Votaw

, 

Modern Corporation

, 

1 9 6 5

, 

pp.  87~90.

1 2 )   Ea

r1 

La  tham ,  "The Body Po

1i 

t i c s   o f   t h e   Corpora t i o n , "   i n   Edwards  Mason e d . ,  The Corpora t i o n  i n  Modern S o c i e t y ,  1 9 6 0 .  

1 3 )   I b i d . ,  p .   2 2 0 .  

(9)

々,会社設立許可状

(CorporateCharter)

,取締役会,執行的経営者,対 内的ならびに対外的な報酬と処罰のシステム,および,ある程の内部的な審 判機構を指すとされるとともに,更にラザムは,今日の大企業においてはこ れらの要素がすべて企業官僚たる専門経営者によって掌握されていることを 強調する

14)

かくの如くラザムは,国家と企業との聞における性格の共通性を指摘する のであるが,結論としてかれは,現代の大企業は,かつてホップス

15)

が法 人企業に対して用いたと乙ろの「小国家

(LesserCommonwealths)Jなる

言葉によってさえも十分には説明しえず,それは規校と権力において国家そ のものにも匹敵すること,そして大企業についての法律的ならびに経済的な 研究のみならずその政治的性格についての研究もなされるべきことを強調す

るのである

16)

( i i )  

j

レの所説

また,企業におけるそのような支配の具体的な内容について,ノレムノレはル ール設定という観点から以下のように説明する

17)  o

乙の場合,かれにあっ ては,ノレールとは企業の内外をめぐる諸グループの行為とあり方を規定する ところの政策ないし方針であり,そのような

J

レールの設定と遂行が統治ない し支配であると解されているとみてよい。

さて,かれによると,社会のひとびとは,株主,販売先つまり,企業から みて仕入先,顧客,および従業員といった地位の一つもしくはそのすべての 形で企業によって支配

(govern)

されているのである

o

株主に対する支配 についていえば,株主は取締役を選出し取締役会が経営者を選ぶのではある が,株主は,株主総会の場合を除いては

j

レーノレ作成の権力を与えられていな い。大株主は,経営者の採用するノレーノレに大きな影響をもつかもなしれいが,

1 4 )   I b i d . ,  pp.  223~235.

1 5 )   Thomas Hobbes ,  L e v i a t h a n .   1 6 )   E .   Latham ,  o p .   c i t . ,  p p .   235~236.

1 7 )   B e a r d s l e y  Ruml

, 

Tomorrow' s B u r i n e s s

, 

1 9 4 5

, 

p p .   5 9 " " ' ‑ ' 6 7   i n   E a r n e s t  

D a l e

, 

Readings i n   management: Landmarks and New F r o n t i e r s

, 

1965

, 

p p .   94~96.

(10)

1 2 0   経 営 と 経 済

ノレーノレそれ自体は総会にもち出される少数のノレーノレを除けば経営者によっ て作られる

D

株主に影響する企業のノレーノレは広範であって,取締役会は,配 当支払額を決定するし,証券資本構成の形態や資産と収益への株主の権利に 大きな影響を与えるところの借入を決定する o また,新株に応募する権利を 株主に与えるのである o このように取締役会は多くの権限をもつが,他方,

企業のノレーノレ作成者から株主を保護するものとしては,企業を規制する法律 が存在する o また,株主は好ましからざるノレーノレ作成に対する最終的保護手 段として持株の売却をなしうるのである o

仕入先もまた,企業のノレーノレ作成下で統治されているクツレープであるが,

それは,買手企業のためのノレールを作成している他企業でもある。仕入先に 適用されるノレーノレとは,納入製品の仕様,支払価額,支払期日,数量,品 質,納入期日,返却規定といったものや,他企業への納入の制限,等にわた っており,このような条項を具体的に記した契約ないし協定は,国家の聞の 条約に似ている

D

かかる企業条約に加入することにより企業と仕入先の両団 体は,その後の行動の自由をある程度放棄するが, もし両団体が平等な交 渉力を有する場合は両者はともに,相手の課すノレーノレに喜んで従うであろ

つ o

顧客も被統治グループである。かれが選択の力を有するならば巨大企業の ノレーノレ作成者といえども,ノレーノレを被統治者の志向にかなわせしめねばなら ないが, しかしながら,ルーノレを作成するのはいかなる場合にあっても企業 である。なにをいつどこでいくらで提供するかを 決定するのは経営者であ り,顧客は j レーノレの作成ないしその強制の能力をもたない。ただ,顧客はか れが選択力を有するとき,いかなるノレーノレが最終的に生き残るかを決定する であろう。政府は,顧客の選択の力を有効ならしめるべく情報提供,等の形 で援助を行うのみならず,ある程の独占的な公益企業におけるが如く顧客に 選択の余地がみられない場合には企業の基本的なノレールに対する規制を行な

うのである

O

私企業によって統治される第四のクツレープは従業員全員であり,企業の社

長から労働者に至るまで企業によるノレール作成によって統治されている

D

(11)

れらのあるものは,それ自身,下位者に対する

J

レーノレの作成者であるD 企業 のノレーノレは,個人がど乙でなにを行なうか,たれがかれに命令したれがかれ から命令を受けとるのかを定めており,また,かれの昇進と処罰,賃金の大 きさ,休日の時期と長さを定めている。従業員は,ルールを作成し強制する 企業に比して弱い立場にあり,かかる弱さを補うものとして三つの相殺手段 が存在しているD その第一は,政府の労働法であり,その二は,労働組合で あり,第三は,転職の機会,あるいは労働によらずして生活しうるという条 件であるO 政府の労働法は,企業がその規制と決定をそのうちにとどめるべ き枠を設定するのであり,労働組合もまた,労働法同様に,程々の雇用の最 底条件の広い枠組みの提供,および,極端に劣悪な管理からの個人の保護と いうこと以上のことをなしえないのであるD

ノレムノレは企業によるルーノレ設定の具体的内容,つまり企業統治の内容を概 ねこのように示しているO 企業によって統治されるグループの種類は現代の 大企業にあっては,上記の四程にとどまらないし,また終営者を従業員のう ちに含ませるというようなク、ソレープ分類にも問題があるであろうO しかしな がら,企業における支配の具体的な志味と内容は,かれの説明のうちにかな

りに明らかであると思われるO

以上は,現代の大企業を権力の保持者として把えんとする見解の一端にす ぎなし

118

〉ロラザムやルムノレによって指摘されるところの企業のそのような 支配的ないし統治的性格は,競争市場下にある小規投企業においても,また現 代の巨大企業においても,程度の差こそあれ,共通に認められるであろう。

そして,小規模企業を対象とする限り,企業性格を統治的側面から分析する ことはさほどのな誌を有しないといえるかもしれない。しかるに,その内外 をめぐるさまざまなグループと複雑な関係を有しておりかれらへの立任が問 題となっているところの現代企業を対象とする場合,企業の政治的組織の側

( 1 8

企業を権力の問点から分析している論者としては,他にもパーリ

(Adolf  A. 

B e r l e

, 

Power without Property

, 

1 9 5 9  

(加限'侶,丸

J c n ' I

<.

閃口払~~尺「財

産なき文田

J

,昭和

3 6

)), ガノレプレイス(J

ohn Kcnncth  Galbraith

, 

The 

New I n d u s t r i a l   S t a t e s

, 

1 9 6 7  

(部自主人監訳 「新しい産業国家

J

,昭和

4 3

3

ド)),をはじめ多くを本げうる。

(12)

122 

経 営 と 経 済

面に注目し企業を権力保持者として把握していくことは基本的な重要性をも つといえようD

( 2 )

権 力 の 概 念

現代の大企業が強大にして広範な権力を有することは,前述の乙とから明 らかであるO ところで,企業の権力は,企業が社会に対して有する支配力と 影響力を意味するといいうるが, しかしながらiそれは必ずしも明確な概念 ではない。そこで,論議を更に進める前l乙,権力の概念について眺める乙と にする

o

権力

(power)

あるいは影響力

( i n f l u e n c e )がなにを意味するかは,論者

によって多少の違いを有する。ブレヒトは権力なる概念を自己の意図を達成 せしめるような能力

( a b i l i t y )

として把握し,かかる能力の根源、として暴力 ないしそれを背景とする脅迫,法律的もしくは非法律的な威信ないし権威,

金銭的手段,個人的魅力もしくはカリスマ,等を挙げている

19)

が,前記の イーノレズの場合, ブレヒトのかかる権力概念によりつつ, 権力を可能性

(capab

i1i

t i e s )

として理解する

20)

。なおイーノレズは権力の重要な構成要 素として権限

( a u t h o r i t y )

を挙げ,権限をば承認された権力(

recognized  power) ,つまり期待されかつ正当な権力として定義している泊三

また, リーガンは権力を

I

コミュニティのかなりな部分に対して影響を もつような, もしくは,より小規模のパブリックに対して相当なイムパクト を及ぼすような諸決定をなしうる能力

22) J

として定義する。また, かれに あっては影響力は,権力の仲間であるが,より弱いものを,すなわち

I 他

のものたちによってなされる社会的決定になんらかの方法で影響を与え る能力

23) J

を意味する

o

そして,かれは,権力および影響力という概念は 社会分析の概念であり,正確な測定が不可能な概念であるが,それにも拘ら

1 9 )   Arnold Brecht

, 

p o l i t i c a l  Theory: The Foundations o f  Twentieth Cen‑

t u r y  P o l i t i c a l  Thought

, 

1959

, 

pp

, 

346~347.

20)  R .   E e l l s

, 

o p .   c i t .

, 

p p .   1 2 7 . . . . . . . . . 1 2 8 .   21)  I b i d .

, 

p .   1 3

1. 

22)  M i c h a e l  D. Regan

, 

The Managed Economy

, 

1963

, 

p .   7 4 .  

23)  I b i d .

, 

p .   7 4 .  

(13)

ず,そのような概念が現実の説明にとり有用であるとみるのである

o

かくの如く,一口に権力といっても,それは,影響力や権限という概念と も関連する。乙乙では,権力を狭義には,影響力と区別される概念として,

ならびに広義には,影響力と狭義の権力とを合む概念として理解することに する。一般に企業権力なる語は,広義の権力を指すとみてよい。なお,権限 なる概念は,イーノレズに従って,了承され正当化された権力と解する乙とに する。

( 3 )  

企業権力の内容

現代企業が権力の保持者であることをより良く理解するためには,企業が 具体的にはどのような権力を保持しているのか,またかかる権力が依って生 ずる根源はなんであるのかを知ることを必要とする。まず,企業権力の内容 について眺めることにする

o

この場合,企業の権力が社会に対してどのよう なイムパクトを及ぼしうるかを検討する乙とは,ある意味では企業の社会的 責任の具体的内容を問うことにほかならないD 責任の内容については後に改 めて検討が加えられるため,乙乙では諸論者の説を参考

l

乙,権力の内容を簡 単に把握するに止めたい。

) 諸論者の説明

ノてーリは現代の大企業がその組織の内部および外部に対してさまざまな形 の強大な権力を有していることを指摘しており,かかる権力の具体的内容を つぎのように示している

24)  o

まず,その対内的な権力とは企業組織内の個 人に関係するものであり,それは,従業員の採用,解雇,雇用条件,昇進,

機会の提供,等をかなりな程度に左右しうるような能力を;意味するD つぎ に,対外的な権力はその行使形態によって六五日に分類される。すなわち,そ の第

1

は,企業の運営をいつどこで行なうかを決定する能力であって,大企 業の場合にはそれは,新しい都市を建設もしくはある都市からの撤収という ような能力を合みうる。その第

2

は,原材料やサービスを購入する能力であ り,その第一次的イムパクトは,企業に販売もしくは企業と契約することに

2 4 )   A. A. B e r l e

, 

o p .  

cit., 

pp.  81~83

(パーリ前jEj

23頁~24頁〉。

(14)

1 2 4  

経 営 と 経 済 よって生活を営むととろの組織および個人に対するものである

o

その第

3

は,企業が提供すると乙ろの生産物の種類を決定しうる能力であって,それ は,技術が新たな可能性を展開するにつれて重要性を増しているD なぜなら ばかかる能力は,単になにを生産し販売するかを決定する能力を含むのみな らず,それは,急速に増大する科学的知識が新たな可能性を明らかにするに 伴い新しい生産分野をば開発していくか,もしくは開発を遅らせるかどうか を決定する能力を含むのである。対外的権力の第

4

のものは,価格を決定し 管理する能力であるD 寡占的な体制の下ではこの能力は,小規模企業によっ て構成される自由市場制度の下におけるよりも著しく大きく,その一つの結 果として,価格の一部によって新資本を形成するという能力が生じている

o

4

のものには広告・宣伝によって消貨と販売を誘う能力も含められるであ ろうO その第

5

は,配当の程度,すなわち分配利潤を新資本形成の程度を決 定する能力であるO 最後に,新しい権力として,その資金の一部を慈善事業 に提供するという能力が存在するのである

o

ノ~~リの挙げる対外的権力のうち,第 l のものはいわゆる地域社会への権 力であり,第

2

のものは取引先への権力を,第

3

および第

4

は消費者への権 力を,第

5

は株主への権力を,そして第

6

は株主および社会への権力を意味 するといいうる。

つぎにリーガンは大企業のイムパクトを経済的なそれと社会的なそれとに 分け以下のように説明するおに前者については,第

1

~乙投資政策を通じて

の景気動向への影響を,第

2

~乙価格政策を通じての物価水準への影響を,第

3

に,所得分配政策を通じての従業員,仕入先,経営者および株主への影響 を,および第

4

~こ,消費パターンへの影響を通じての消費者および、パブ、リッ

クへの影響を挙げる

o

4

のものについて説明するならば, リーガンによる と企業はまず,消賀者i1昔好の操作,新製品導入の抑制,および原料提供先の 決定を通じて消賀者の利益に影響を及ぼすのである

o

また,企業は公共的セ クターの支出に対して,しばしば望ましからざる影智を及ぼす。すなわち,

不必要に大型かつ哀しゃな自動車を製造する企業が道路設備その他に対する

2 5 )   Michael D. Regan

, 

The Managed Econony

, 

1 9 6 3

, 

p .   9 9  

ff. 

(15)

公共的支出に影響を与えるというような形での社会的費用を発生せしめるこ とによって,公共的セクターの支出に影響を及ぼすのであり,また,その広 告活動によって個人的財と公共的財との聞のバランスに影響を与え

r

社会 的アンバランス」の出現を促すのである

o

リーガンによる大企業の経済的イムパクトの内容は,以上の如くである

o

更に,かれによると企業は,かかる経済的イムパクトに加えて,社会へのイ ムパクトを有する

o

かかるイムパクトとは要するに,非企業機関の進路に対 する影響であって,そのような影響の存在は,企業中心の単元社会の出現可 能性をもはらんでいるとされる

o r

より微妙なタイプの企業の影響のうちに は,非企業的諸機関がとる方向の形成に関して企業と事業家が演ずる役割が 存在する

o

学校,教会,および慈善・文化・市民の諸組織は,われわれの社 会に特定の気風を与えている複雑な価値の中の種々の要素をいずれも表明し ている。自由な社会においては,多様な価値形成機関の独立的な存在は,単 一の機関による生活の全領域の挑戦されざる支配として定義されるような全 体主義に対する不可欠なとりでである。そして,政府のみが,唯一の可能な 全体主義者なのではない白米国における情況は全体主義ではないが,他の機 関と一般的な社会価値とを自身のイメージの鋳型に入れようという企業の試 みを,また,その侵入を支える資金的利点を眺めるとき,ひとはその可能性 に関心を抱くようになっている切に」

乙の場合, リーガンは,かかる影響が三種の形でみられるという。その一 つは,教育機関への影容であって,企業は寄付・その他を通じて,例えば大 学では,教官の見解,教科目,研究内容に影響を与えている。そのこは,地 域社会に対する影響である

o

企業は地域社会の文化的・慈善的・市民的な諸 活劫への温情主義的寄付を通じて,地域社会への権力を行使しつつあり,ま た権力の基礎を確立しつつあるD その三は,コミュニケージョン・メディア に対する影響であって,企業はかかる影響を通じて世論の動向に対して作用 しているD そのような影響は,メディアの事業家と企業経営者との間の見解

2 6 )   I b i d . ,  p .   1 0 9 .  

(16)

1 2 6  

経 営 と 経 済

の一致という形で,また,企業批判を直接・間接に和らげるのに寄与するよ うな,広告や放送番組の存在という形で知られうるのであるD

リーガンの見解はかなりにパーリのそれと共通するとともに,パーリの指 摘にみられないものとして,景気動向への影響,物価水準への影響,社会的 賀用と社会的アンバランスの招来,およびとりわけ単元的社会への傾向の促 進を挙げることができる

o

なお, リーガンは,企業のイムパクトについてそ れを可能性というよりは現実として把握する。

更にヴォタウは権力を,経済での直接的な権力と社会・文化に対する影響 とに分け,後者を重視する

o

すなわち,前者についてはつぎのようにいうD そのような権力について具 体的にいうならば,従業員に対して企業は大きな権力を有するD 伝統的信条 では,重要なノレーノレと法の作成者は,それらによって影響を受けるものに対 しなんらかの形で説明義務をもたされるようにされねばならず,被影響者は その支配が受け入れ難い機関から脱退しえねばならない。そして,理論では 会社は従業員に説明義務をもたないし,従業員も常に移動可能であるとされ てきた。しかるに今日では,先任権,年金の権利,退職金・株式オプション

・後払報酬の諸プラン,等がそうした移動可能性を阻んでおり,ここから従 業員の私的権利の保護が問題となっているO また,使用者間のコミュニケー ションの発展はもし従業員がいわれなき汚名で解雇された場合に,その再就 職を極度に困難にしており,正当な手続が問題となっているのである。な お,かかる正当な手続きは,顧客,供給者,更には,地方工場の突然の閉鎖 によって大きな影響を受けるひとびとについても問題となるのである

27)

かくの如き企業権力に関してボタウは更に,企業が社会・文化に対して及 ぼしつつあるところの,必ずしも表面化してはいない影響を重視するD すな わち,ボタウにあっては,近代会社をめぐる最も重要な問題は,権力の直接 的行使に関連するそれではなく,大会社のシステムが文化および社会的,政 治的な諸概念にもたらしつつある多くの微妙な変化であるとされるO すなわ

2 7 )   D. Votaw ,  o p .   c i t . ,  p p .  9 1 ' " ' ‑ ' 9 2 .  

(17)

ち,長期的には,文化と知識の面での権力の影響は,権力の直接的な適用の 影響よりも重大であって,そうした影響としては,新しい中流階級の登場,

企業における所有概念の変化,民主々義社会における企業の正当性への疑 問,を挙げうるとされるのである

28)

乙のうち新しい中流階級についてはつぎのように説明される

o

すなわち,

大企業はその活動と存続のために,多数の管理・技術の専門家を要請してお り, 組織人 灰色のフラノ・スーツの男" 他人指向型人間"でもある大 規模な中流階級人を生み出している白かれらは,転勤によって移動するので あり,非永住的な,所有なき中流階級であるD かれらは財産による保障の代 わりに会社による保障を有するに過ぎず,会社から独立した基盤をもたな い。かれらは, リースマンがいうように国や州の選挙への政治的コミットメ ントを喪失しており

29)

地域への忠誠心をもたないのであって,地域の市 民でなく「会社の市民」であるD 財産所有と地域への忠誠心とを基礎とする 伝統的な政治システムに対し,かかる変化は,予期せざる,そして望ましか

らざる結果をもたらすかもしれない

30)

ヴォタウの所説は,地方自治あるいはコミュニティに対する企業の政治的 影響を強調する点を特色としている口

以上,企業権力の内容に関して,パーリ, リーガン,およびヴォタウの見 解を眺めてきた。企業の潜在的ならびに現実的な権力については,むろん,

かれら以外にもさまざまな論者が説明を行なっているD しかしながら,企業 権力の内容の把握のための手掛りとしては,上記の諸見解で十分であると思 われる。

(i

i )  

環境主体と企業権力

ノイーリらの説明は,主として米国の大企業に関するものではあるが,それ は,現代の企業が潜在的もしくは顕在的に有すると乙ろの権力をかなり包括 的に示しているといえよう

o

かかる企業権力は,それが社会の経済的領域に

2 8 )   I b i d .

, 

pp. 9 2 ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 9 3 .  

2 9 )   David Riesman

, 

The Lonely Crowd

, 

1 9 5 0 .  

3 0 )   D. Votaw

, 

op. c i t .

, 

pp. 9 4 ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 9 6 .  

(18)

1 2 8  

経 営 と 経 済

のみならず,政治的領域,更には文化・社会一般の領域にも影響を与える点 で,経済的のみならず非経済的でもある

o

更に,企業が保持あるいは行使し ている権力は,企業の内外をめぐるさまざまなグループ,すなわち環境主体 に応じて分類することができる

o

すなわち,企業はその従業員に対しては,賃金の大きさ,雇用条件,等の 面で,また,機会の提供,個人的自由,等の面でも,広範な経済的ならびに 非経済的な権力を保持するに至っている。所有者に対しでも,とりわけ配当 政策ならびに留保政策に関連して大きな権力を有する

o

消賀者l乙対しては,

製品と用役の程類,数量,価格,サービスに関連して影響力を有しており,

仕入先および販売先という取引先に対しても取引価格その他の面で影響力を 有するのである。小規模な同業企業に対しても,その存続を左右しうる力を 保持するといえようO 更には,地域社会に対しても,その経済的盛衰を左右 しうるという意味で,また寄付を通じてその諸局面に影響を及ぼしうるとい う意味で,更には,地方自治の動向に企業従業員が係わりあうという意味で,

経済的・文化的・政治的な影響力を有するのであるD また,政府に対して は,例えば,企業の活動が外国に影響を与える乙とを通じて政府の対外政策 を促進もしくは阻外しうるというような形で,影響力をもっ

31)

。更には,

社会全体に対しても,企業の政策が景気動向や物価の動向のような程々の面 で経済の全般的動向に影響を与えることを通じて,のみならず,教育機関や 世論への影響を通じて,大きな影響を及ぼしうる

o

乙のような影響力ないし権力の具体的な面については,後l乙責任内容に関 連して更に詳細に論ずるが,要するに現代企業は,その環境主体に対して多 様な影響を有しうるし,有しているのである。

( 4 )  

企業権力の源泉

それでは, 乙のような企業権力が依って生ずると乙ろの源泉はなんである のか。つぎに, 乙の点を眺めるととにしよう

o

なにが企業権力をもたらしているかについては,その完全な把握は困難で

3

1) 

I b i d .

, 

pp.  9 0 " ‑ ' 9

1. 

(19)

ある

o

なぜならば,権力の源泉は,今日の巨大企業に社会経済秩序とをもた らしているところの要因のすべてと関連するからである口しかしながら,主 要な要因の幾っかを挙げるととは可能である

o

以下,前記のリーガンの所説 を手掛りに権力の源泉の幾つかを示すことにしたい。

)  リーガンの所説

さて, リーガンは現代の大企業における権力の源泉として,さまざまのも のに言及しているが,それらは結局のと乙ろ,つぎの八程のものに要約しう

32)0

すなわち,富と資産との支配,企業への諸関係者の依存,コングロ マリット的な企業合併と超寡占

( s u p e r ‑o l i g o p o l y )

,規模の巨大さそれ自 体,資金の自力調達可能性,社会の工業化,社会による事業家の発言の重 視,および政府と企業との関係、が,それらである

o

かかる諸要因に関しての

リーガンの説明は,以下の如くである。

まず, リーガンは「宮と資産とのコントロー

j

レ」を企業権力の源泉の第

1

挙げるO つまり,かれは,少数の企業への資産の集中が市場における権力を もたらすとともに,かかる権力の結果としての安定的な利潤がまた権力を促 進するとみる。「現在の程度の寡占(二・三の企業による支配)は概に,かな りに大きな,市場権力,すなわち,いかなる程類と呈の製品がいかなる価格 で利用可能たらしめられるかを決定する権力の存在を意味する

33)

J  I

場権力の保持は,甚だ広い限界の中で企業がその価格を, したがってその利 潤をもまた論理しうることを怠味するD 価格競争を回避することによって諸 会社は,比較的に安定をしたかなりの剰余利潤を亭受しうるのであり,そし てかかる剰余利潤はかれらをして,限界に近い企業がなしえないさまざま な支出を通じて威信,影響力,および権力を腕入することを可能ならしめ

6 岳 〕

る o J 

源泉の第

2

のものとしての,企業への依存性については, リーガンは,大

3 2 )   M. D.  Regan

, 

o p   c i t .

, 

p .   76 

ff.. 

3 3 )   I b i d . ,  p .   7 6 .  

3 4 )   I b i d . ,  p p .   76~77.

(20)

1 3 0   経 営 と 経 済

企業に対する取引先の依存性の増大を挙げる o

i

伝統的な意味における,生産 的資源の集中のほかに…幾つかの会社の権力と影響力を更に強めると乙ろの 付加的な形の集中が存在する

D

…それらの一つは,本質的に依存的な性質の 関係の存在である o それは,その製造家に対するディーラーの依存であるか もしれぬ。…もしくはそれは,大規模な買手に対する売り手,とりわけ小規 模なそれの依存であるかもしれなし 135 〉 。 」

ある程の合併と寡占も,企業 l 乙権力をもたらす。

i

経済的権力の集中はま た,コングロマリット的な合併,ならびに超#占によって強化される。コン グロマリット的な合併は,別の製品ラインを加え乙とでその活動を多様化し ている企業の観点からは,単

l

乙,良き事業であろう o …恐らくは,競争者を 絶滅させるようその製品を一時的に値下げする乙とで,ある部門が損失を出 しつつある一方,他の部門の利潤が,会社の営業の継続を可能にする o …超 寡占とは,モ一トン・ S ・パラツ MortonS .   B a r a ‑ t z ) によって,多数の 潜在的に競合的な産業において同時に市場権力の地位にあるような企業とし て定義される 36)

第 4I 乙リーガンは企業規模の巨大性それ自体も,権力の源泉であるとみ る o

i

もっともしばしば市場権力と結び、ついている巨大さがある製品市場の 大きなシェアーから成り立っている一方,企業の絶対的な規校もまた,権力 の重要な源泉であろう。…巨人は,一般に小人に優っている

O

独占問題の綿 密な研究者たるコーウーン・エドワーズ (CorwinEdwars) の 論 ず る と こ ろによれば,市場支配が無い場合でさえ大企業は,それが資源・用地・発明 に関する競争に対してより大きなかねを支出しうるがため,また,部品を自 家製造しうる乙とで,小規模の製造家にみられない。潜在的仕入先との交渉 における主導権を有するがため,更には,ディーラーと仕入先にリスクを転 稼しうるがため,小企業に対して権力を有するのである 37)

第 51 乙,経済者が内部的に資金を賄いえ,それを資本市場のテストなしに 3 5 )   I b i d . ,  p .   7 7 .  

3 6 )   I b i d . ,  PP.  7 7 " ‑ 7 8 .  

3 7 )   I b i d .

, 

PP.  78~79.

(21)

運用しうるという事態,および,侵利な資金的地位を背景に大企業が有能な 人材を集めるという事態のうちにも,企業権力の源泉が存在するとされる o

「市場権力の地位にある企業にとっては,その希望する利益率を設定する能 力は・・・経営者に内部資金による拡張を可能ならしめる 38)

J

す な わ ち , 経 営者は資本市場のテストを受ける必要はない。 r より大きな資金をもっ企業 は,かかるテストを回避しうる

D

つまり,経営者はそれ自身の可能性を"判 定"し,消費者から受領した資金をその結果に従って投資する 39) J  r 企 業 全般にとり,侵れた資金的地位は,他の機関よりも,才能ある人材に高く値 を付けるという能力を意味する

O

……熟練したサービスを購入する侵れた能 力は,企業権力のもう一つの源泉とみなさねばならぬ 40)

第 6~乙,工業化もまた,企業権力の源泉であって,それは従業員および全

体経済に対する企業権力の一因となるのである r 工業化それ自体もまた,

企業権力の源泉である

O

工業化がより少数にしてより大規杭な生産単位をも たらすがために,生産の指揮迎営はより少数のものの手中に在るようになっ たのであり,かれらの各々はより大きな権限範囲を有している 41)

J  r 工 業化した国民経済においてはその個々の部分は,民業的,地方組織的なシ ステムの場合よりも, 全体に対してずっと依存している

O

このことは, よ り大きな企業単位の決定が生むイムパクトの範囲を拡大するという結果を 有する。……相互依存性と,それに加えての個々の製造家の規肢とはかれ らに国家全体の経済活動,すなわち雇用・生産・物価に対する権力を与え る 42)  o J 

ところで,経済に対する事業家の権力のかかる出現が,かれの発言の社会 的比重を増大せしめているが,発言の比重のそのような増大もまた,企業権 力の源泉を構成する。 r 事業家が述べることに対してわれわれが与えるとこ ろの乙の比重は,無形ではあるが基本的な,企業権力の源泉である

D

それが

3 8 )   I b i d .

, 

p .   8

1. 

3 9 )   I b i d . ,  P .   8

1. 

4 0 )   I b i d . ,  P .   8

1. 

4 1 )   I b i d . ,  P .   8 2 .  

4 2 )   I b i d . ,  PP. 8 2 " ‑ ' 8 3 .  

(22)

1 3 2  

経 営 と 経 済

意味することは,企業行動と社会の必要とを評価せんとする際にわれわれノマ プリックが,企業が捉示する基埠二を受け入れる傾向にあるということであ

43) o J  

[""……われわれは,企業にとっての普を社会にとっての菩と同一視 するような……問題に対する定義を受け入れる傾向にある

44)0 J

要するに リーガンは,大企業に好芯的社会的風潮が企業権力を助長する乙とを指摘 し,かかる風i':9jをもって権力の源泉の第

7

のものとみるのであるO

最後に,政府と企業との問の関係ないし椛造も企業権力の,つまり政府に 対する企業権力の源泉である。すなわち,一つには国防問題に対する,企業 への政府依存性が二つには,企業による政治工作を可能ならしめているよう な政治構造が,政府への企業の影響力を出現せしめているのである

45)

以上が,大企業が権力を有するに至っている所以についてのリーガンの見 解であるO かれの見解は必ずしも休系的ではないが,しかしながらそれは,

現代の大企業がなに故に大きな権力を保持しているかを知る上で有益である といわねばならない

o

(ii)  企業への依存性および社会の工業化

企業権力の源泉としてさまざまのものを考えうることは, リーガンの所説 のうちに明らかであるO それらの源泉は相互に関連しあっており明確な分離 は困難であるが,主要な源泉としての,企業への社会の依存者の増大を,お よび,技術の進展を特色とするところの工業社会化を挙げることができょ う口企業への依存性は権力出現の直接的要因であり,社会の工業化はより基 本的な要因であるO 他のさまざまな要因が,乙れらの主要な要因に直接・間 接に係わりあっている。

まず,企業への依存者の増大が権力の直接的主要源泉である乙とは明らか であろうD 多様なグループがその利益の維持と促進を特定の企業に期待して いるとともに,かれらは代替的な企業をもはや容易には見出しえなくなりつ つある。このことがかれらへの企業の影響の可能性を増大せしめることは,

4 3 )   I b i d . ,  p .   8 3 .  

4 4 )   I b i d . ,  p .   8 4 .  

4 5 )   I b i d . ,  p .   86 f f . .  

(23)

いうまでもない。むろん,かかる依存度の増大の根底には企業規枝の巨大化 と市場の寡占化とが存在するのである。

ところで,企業規模の巨大化と市場の寡占化を,ひいては企業への依存の 増大をもたらしたものは,社会の工業化を契機としての技術の進展である。

資本主義経済社会における企業競争は不可避的に技術の進歩を要請し招来す るとともに,かかる技術進歩は巨額の資金を企業に必要とする

o

しかるに,

株式会社制度のもとにおける資本の証券化は,証券市場の展開とあいまっ て,そのような巨額の資金の調達を企業に可能ならしめるのであって,企業 競争の激化は必然的に企業の巨大化と寡占化へと導くことになるのである

o

そのような巨大化と寡占化とが企業への社会の依存高を高め企栄権力をもた らすことは,前述の如くであるD なお,工業化が社会における分業をもたら し,企業へのひとびとの依存を高める乙とも忘れてはならない。かくて,工 業化こそは,企業権力出現の基本的源泉であるといいうるのである。

4

節 責 任 の 法 則

前節で眺めたところによって,現代の大企業が有すると乙ろの権力という ものがかなりに明らかになったと考えられるが,企業ないし経済者の社会的 責任なる概念は,そのような企業権力に目を向けることによって,初めて適 確に理解されうるとみて差し支えなし

L

本節では,企業権力が必然的に社会 的責任をもたらす乙とのうちに責任の理論を見出しうることを示そう

o

社会的責任について論ずる論者はむろん,程度の差はあれ,一般企業権力 との関連において責任をとり上げているが,そのような論者を代表するもの の一人にデヴィスを挙げうる

46) 

D よく知られているようにかれは,社会的

4 6 )   Keith Davis , Can Business Afford t o  Ignore S o c i a 1  Responsibi 1 i t i e s , "  

Ca 1 i f o r n i a  Managament Review  (Spring 1 9 6 0 )   i n  Wi 1 l iam  T.  Green‑

wood

, 

I s s u e s  i n  Business and S o c i e t y .   Second Edi t o n

, 

1 9 7 1

, 

pp.  4 2 8 ' " ' ‑ '   4 3 6 .

および,

Keith Davis and Robert L .   B1omstrom

, 

Business

, 

S o c i e t y   and Environment

, 

1 9 7

1.  なお,ブロムストロムとの共若の初版

(K. Davis 

R.  L .   Bomstrom Business and I t s  Environment

, 

1 9 1 6 )

におけるかれ の所前についての検討が高田教授によってなされている(日団幹「経営の目的と

武任 J

,昭和

4 5 年)。

参照

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