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寂恵本 拾遺和歌集 上一册 (調査報告1)

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(1)

﹃拾遺和歌集﹄の諸伝本に関しては、すでに諸家の調査・研究が刊行されている。それらによれば、今日知られている諸本の殆 どすべてが、定家筆本系統のものである。このような事態を将来した大きな理由の一つは、藤原定家が、少くとも四回l貞応元 年七月八日︵永正十五年書写本奥書︶、貞応二年九月十一日︵貞応二年本奥書︶、寛喜三年九月十二日︵明月記︶、天福元年仲秋︵高松宮家 本奥書︶の四回にわたって書写したことにあるだろうとされている。 さらに、この定家筆本の中の大部分は、天福元年仲秋書写の天福本系統である。その理由は、﹃拾遺和歌集﹄の場合、歌学の家 としての二条家と冷泉家とが、共にこの天福本を伝領し、家本として尊重したことによるのであろうといわれる。 右のような伝本状況から、定家筆本系統の諸本を流布本乃至は基準本とし、これと異なる本文を有するものを異本系統として立 てるわけである。これら現存諸本の重なものを、分類表示すると次のようになる。

A定家筆本系統

されて、﹁山岸文庫﹂として本学図書館に襲蔵されているものの一つである。 本書は、山岸徳平博士旧蔵書で、昭和四十五年五月二十五日附で、重要文化財に指定されているものである。今回、本学に移譲

調査報告一

一、拾遺和歌集の伝本

寂恵本拾遺和歌集上一

担当者阿部秋生・前田裕子

(2)

(2) 存在したことは、永正十五年書写本の長舜の識語のあとに、 頭註等が少ないこと、奥書に、拾遺抄の歌数、﹁集不見吾﹂などの記事のないことが特徴である。貞応元年書写本がかつて 貞応元年書写本の現存するものは知られていない。現存するのは貞応二年書写本だけである。天福本と比較すると、勘物・

仙貞応本

重以京極黄門禅門眞筆令校合之袰

①冷泉家流

定家筆の原本は、冷泉家に現存しているといわれる。この原本を忠実に書写したものが高松宮家本︵川のいとは別︶・中 院通茂本であり、同じくこの原本から鎌倉期に書写したものが伝慶融筆本・観慧筆本である。これらの諸本の奥書には、 天福元年仲秋中旬以七旬有余之 現存伝本の主なものに次の如きがある。 同十六日令校合此直付落字畢 とあることによる。貞応二年書 貞応二年九月十一日辰時以家 書写之功為後学之証本也 貞応元年七月八日申一点 柳有相違事例以朱注付之

㈹高

㈲中

天福本 盲目重以愚本書之八ヶ日終功 同夕令読合了書入落字 高松宮家本︵寛永二十年書写︶ 中院家旧蔵本︵京都大学図寶 貞応二年書写本の奥書には次のようにある︵中院家旧蔵本︶。 日辰時以家本重言写之 戸部尚書藤在判 ︵京都大学図書館蔵、大正十六年冷泉為満奥書︶ 戸部尚書藤在判

之件本奥書云

点重以家本終 − 6 −

(3)

以下﹁算合抄之証本﹂という項目をたてて、拾遺抄の歌数、﹁集不見寄﹂などを記す。 現存伝本の主なものに次の如きがある。

②二条家流

この流の本は、冷泉家流の本とほぼ同じ奥書を有するが、小異がある。すなわち右冷泉家流奥書の冒頭部の、 ⑧﹁八ヶ日終功﹂の後に、﹁為授鐘愛之孫姫也﹂とある。

⑤﹁此本付属大夫為相/頽齢六十八桑門融覚判﹂がない。

この点に関しては、冷泉家流本の中、前記の中院通茂本︵臨模本︶、家仁親王筆の奥書において、﹁為授鐘愛之孫姫也﹂を 削り消し、その上に、﹁此本付属大夫為相﹂と記し、その下に、﹁頽齢六十八桑門融覚判﹂と記してあることによれ ば、融覚︵為家︶が六十八歳︵文永二年八一三ハ五V︶の時、定家筆本の奥書に訂正・加筆したもので、その点からいえば、 二条家流の奥書が天福本本来の形であったと考えられる。ただし、二条家流本のこの奥書を有する本の中には、奥書だけ を、他系統本文の本に移記したものもあるらしく、奥書は天福本のそれであるが、本文は天福本のそれから離れてしまっ ているものが多い。このような奇異な結果を生じたのは、二条家が、歴とした天福本を相伝していなかったことに由来す ㈱家仁親王筆本︵宮内庁書陵部蔵︶ 。中院通茂筆本︵延宝五年書写、京都大学附属図書館部蔵︶ ルレ、|FFふみ秘毎匹三愛一〆く71|lノjLfよそ一二一1曲1|、例高松宮家本︵江戸切期書写︶ ②観慧筆本︵正応三年書写、呑勵観慧筆本︵正応三年耆写、宮内庁書陵部蔵︶ “仮瞳一勵葺オ〆管P院量陰惨立旦雁﹄ 本校合彼是取其要猶非無不審 ているものが多い。このような去 るのではないかといわれている。 ㈹伝慶融筆本︵宮内庁書陵部蔵︶

頽齢六十八桑門融覚判

此集世之所伝無指証本価以数多旧 此本付属大夫為相 羽一一[口︿祠菫証︿ロ聿筵

(4)

B 形態・内容において、

㈹十五冊本八代集本

㈲多久市立図書館本

㈲天理本甲本

㈲天理本乙本

㈱伝二条為忠筆本︵巻十四零

㈲北野天満宮本︵室町中期写︶ (3) 定家本の一種とみられるが、定家の書写年号の記されていない本である。 現存伝本の主なものに次の如きがある。 帥足利義尚所持本︵文明十二年校合北野天満宮本奥書︶ ㈲北野本︵北野克氏蔵、重要文化財︶ ㈹片桐本︵片桐洋一氏蔵︶ 心f﹄ノ 異本系統 ㈱・㈲は、異本系統中の第二系統とすべきかといわれる。 現存伝本の主なものに次の如きがある。 ㈹伝定為法印筆本︵静嘉堂文庫蔵︶ ㈲浄弁筆本︵嘉暦二年書写、尊経閣蔵︶ ㈹二条為明筆本︵寛元三年六月真観奥書、日本大学図書館蔵︶ ㈲東常縁筆本︵文明二年書写、宮内庁書陵部蔵︶ 天福本にもっとも近い本文を有する。 ㈱為重本︵康安元年為重奥書、宮内庁書陵部蔵、京都大学図書館所蔵菊亭家旧蔵︶ 無年号本 ︵巻十四零本、巻子本、鎌倉末期書写、北野克氏蔵︶ 定家の手を経ていないと考えられる諸伝本である。 ︵伝堀河宰相具世筆、宮内庁書陵部蔵︶ ︵室町中期写︶ − 8 −

(5)

見返しは、表裏共に金、表見返しの右上に、﹁安倍寂恵法師拾遺集□﹂という﹁琴山﹂の印のある極札が添付してある。本文の 料紙は斐紙、陽に焼けて薄茶色になり、時に水よごれの跡もある。全体は八括りで、綴糸は澄色である。第一括は七枚︵これに表 表紙一丁︶、第二括は、九枚で、これのはじめに一丁貼りつけてある。﹁書き落として補ったものか﹂︵山岸氏︶といわれるが、そ のようには考えられない。第三括から第七括までは九枚づつ、第八括も九枚︵これに裏表紙一丁︶であるが、この括の最初に一枚 ︵二丁分︶が、綴目近くに紙を補って、裏表紙の端でとめてある。第二括の場合と相応じている綴じ方のように思われる。従って 総数は、表裏表紙を除き一四三丁︵二八六頁︶である。 ○ 本文は、第一丁オを白紙とし、第一丁ウからはじめ、最初に各巻の内題﹁拾遺和歌集巻第こ︵巻三’十は﹁和詩集﹂︶の如く記 し、一面九行、歌は一首二行書︵上・下の句で分ける︶、詞は歌より約一’二字分下げに記す。各巻ごとに頁、又は丁を変えて内題 を記し、巻によって、巻末に白紙一頁をおくことがある。巻第十を第一四一丁ウ︵八行︶で終り、第一四二丁オに、 この集順教御房にこまかに 桐の外箱の蓋中央には金の雲形のある短冊様の紙片︵縦一二・○×横七・四糎︶に、﹁拾遺集﹂とあり、肩に﹁寂恵筆﹂とある。 本書は、巻一’十の零本である。縦二三・三糎、横一六・○糎の綴葉装の写本である。 本書は、右の如き諸本群の中のどこに位置すべきかを検討すべきだが、その前に、まずその形態の概要を述べる。 箱には紺色の平織の紐が附けてある。中は、まず白紙に包詮、包紙の表面に﹁拾遺和謁集/桑門寂恵筆﹂と二行︵二行目は約一字下 げ︶に記す。その中は、二枚の絹布で本書を包んである。 表紙は、表表紙裏表紙共に紺地に金の切箔をおき、金銀泥で雲・草木文様︵表は花木・裏は笹︶を描く。表紙の左上に赤地に金の 雲と木の葉の文様と墨の水文様のある題祭︵縦二・七×横三・三糎︶があり、これに﹁拾遺集﹂と墨書する。江戸時代の補修とさ れている。 よみきかせまいらせ候ぬ

二、寂恵本拾遺和歌集

(6)

寂恵に関しては、久保田淳氏が、﹁順教房寂恵について﹂︵﹁国語と国文学﹂昭和三十三年十一月号︶に、基本的な調査結果を報告 している。﹃勅撰作者部類﹄に、﹁法師。俗名安倍範光。号順教﹂とある。﹁範光﹂は﹁範元﹂の誤写であることは、﹃吾妻鏡﹂ ﹁寂恵法師文﹂︵尊経閣︶相互の関係から認めうることである。﹁範元﹂の名は、﹁尊卑分脈﹂﹁安倍氏系図﹄には見えないが、 ﹁祖父大監物宣賢﹂︵吾妻鏡︶とある。﹁宣賢﹂は、続類従本﹁安倍氏系図﹄に見えるから、晴明流の安倍氏と認めていいだろ う。﹁順教﹂は房の名である。﹃吾妻鏡﹄によると、鎌倉に下って幕府に仕えていた陰陽師であったが、むしろ歌人として知られ ていたらしい。将軍宗尊親王の身辺にいた歌人たちの一人であった。文永八年、為家に師事したが、四年ほどで為家が残したの で、以後嫡男為氏に師事した。弘安元年十二月二十七日奏覧の﹁続拾遺和歌集﹄をめぐって、寂恵は為氏にかなり激しい悪感情を もつようになったらしく、二条派とはいいがたいもののようである。殿年は明らかでないが、﹁寂恵法師歌語﹂によると、正和三 年︵一三一四︶にはまだ健在のようである。あるいは、後半生には、冷泉家に親近していたかと思われる節々が見える︵﹁柳風和歌 抄﹄﹁拾遺風躰和歌集﹄等︶。出家したのは、文永八年四月四日以前ということしかわからない。 寂惠の歌として遣るものは、﹁新後撰和歌集﹄以下の勅撰六集に九首︵新後撰1、玉葉2、続千載3、風雅1、新拾遺1、新続古今 1︶、私撰四集に二四首︵柳風4、拾遺風躰5、人家5、懐紙巻加︶にすぎない。 桑門寂恵︵花押︶ とあり、その後の第一四三丁オ・ウは遊紙となって、裏表紙見返しにつづく︵口絵2.3参照︶・ 本書には、数通の寂恵伝に関するメモ風のものその他が附属して残されているが、﹁重要文化財指定書﹂および指定通知の公文 が主たるもので、本書の伝来等を知りうる資料はない。 とあり、その裏に 所残所奉授糟屋賢郎也 筆也但於其説者傳受之分無 二第十等染愚筆其外所用他 右筆不合期之間上帖之内第 斯集雌有一部書写之志老病 一第 − 1 0 −

(7)

古今一部順教御房に﹂こまかにょ象きかせ﹂まいらせ﹂候ぬ﹂ ︵花押︶ とあり、花押もある。下巻末は、破損甚しく、大半の文字が見えないが、上巻末と同じ花押がはっきりとあり、その前に﹁きかせ □いらせぬ﹂︵﹁候﹂の有無は不明︶とよみうる文字が残っている。順教房寂恵が、古今、拾遺共に同一人から伝授をうけたことを 意味するかと思われ、この伝授者を、三条西公正博士は二条為氏とされ︵寂恵本﹃古今和歌集﹄解題︶、久曽神昇博士は京極為教とさ れる︵﹃古今和歌集成立論﹄︶が、いずれとも断定しがたいと考えられる。 この古今集の識語の次丁オに次の如き奥書がある。 この筆蹟の筆者は、寂恵本拾遺集の奥書と同一人と認められるもので、この寂恵本古今集と寂恵本拾遺集とが、密接な関係、つ まり一連の伝授関係のものであることを推測せしめる。そこでこの寂恵本古今集の奥書にいますこし検討を加えて象る必要がある その末尾に︵口絵4参照︶、 古今一部順教御房に﹂ この古今集の奥書の﹁弘安元年:。:桑門寂恵﹂と﹁此集読授英倫詑﹂とは、同筆ではあるが、文字の大小もあり、同時の筆とは 断定しかねるところがある。つまり、この古今集を寂恵が書写したのは弘安元年であるが、此集を﹁英倫﹂に﹁読授﹂したのは、 弘安元年以後、何年か時を距てているとみうる可能性がある。花押が﹁此集.:﹂に接して書かれている所以もそこにあるだろう。 つまり、この花押は、寂恵がこの古今集を書写したことを保障する花押ではなく、前頁の﹁古今一部.:﹂の後の花押と同じく、英 倫に読授したことを保障する意味のものかと考えられる︵口絵5.6参照︶。 もう一段推測を進めるならば、寂恵は、弘安元年十一月上旬、おそらくは師家の﹁証本﹂を書写することを許されて、その書写 だろう。 本書の書写年次は奥書にもない。が本書の識語とほぼ同じものをもつ写本が、宮内庁書陵部所蔵の寂恵本﹁古今和歌集﹄上巻で、 此集読授英倫詑 以証本書写誌 弘安元年十一 月上旬 口︵花押︶ 桑門寂恵

(8)

を誰り、その写本︵寂恵本古今集︶をもって、師家の説の伝授をうけ、これをこの写本に書き入れた、その末尾にその師が、﹁古 今一部順教御房に⋮﹂と記して、伝授の保障として花押を加えたのではあるまいか。その後、おそらくは何年かの後であろう、寂 恵が英倫に﹁読授﹂、即ち師説を伝授し、自分が伝授をうけた時の本をもってそのまま英倫に伝授するに当って、﹁此集読授英倫 詑︵花押︶﹂と改めて記したのではなかろうか。とするならば、寂恵が師説の伝授をうけたのも、この本を書写した﹁弘安元年十 一月上旬﹂の前にしても、後にしても、程遠からぬ時期であろうかとも考えうる。為氏の﹁続拾遺和歌集﹂撰進がこの弘安元年十 二月二十七日で、このことに絡んで、寂恵は為氏を恨むことになるのだが、その直前の時期に、この寂恵本古今集の伝授のことを 想定することは、その師家を為氏とするか否かは別として、いささか不安定な感を免れないが、この古今集の奥書、識語から推測 すると、﹁弘安元年十一月上旬﹂は、書写年時であると共に、伝授をうけた年時を意味するのではないかと思われる。 このような想定をしておいて、寂恵本拾遺集の奥書、識語に戻って染ると、この奥書は、寂恵本古今集の奥書、﹁弘安元年⋮﹂ と﹁此集・・・﹂との二つを一つにまとめた内容をもつものである。従って、その﹁桑門寂恵﹂の下部にある花押も、﹁糟屋賢郎﹂に ﹁無所残﹂﹁奉授﹂ったことを保障する意味のものとぷるべきだろう。また、この奥書の前頁に、﹁この集順教御房に:﹂と、寂 恵本古今集とほぼ同じ識語が寂恵の筆蹟で記され、その後に師家の花押はないが、﹁判﹂とあることは、寂恵の野心的な作為とま で見る必要はなさそうに思われる。とすると、この文面からみて、寂恵は、拾迩集の伝授をも、同じ師家からうけたものと思わ れ、それがこの奥書に、﹁但於其説者伝受之分無所残・・・﹂となるものであろう。おそらく、古今集の伝授の場合のように、寂恵 は、師家の証本を書写して、その本によって師説の伝授をうけたのではなかったろうか。伝授の終った時、師家は、その本の奥に ﹁この集順教御房に・・・﹂と識語を書き花押を加えたのであろう。さらに推測すれば、その本には、寂恵本古今集ほどでばないにし ても、師説が書き入れられてあったのではないかと思われる。が、そういう師説を書き入れた本を、﹁老病・・・﹂という理由はある にしても、一部分にもせよ、﹁他筆﹂で書写させることをするかどうかという点で、この書き入れ存在を推測することは、行きす ぎかもしれない。だが、これも推測にすぎないが、寂恵が拾遺集の伝授をうけた時期も、寂恵本古今集を書写した﹁弘安元年十 一月上旬﹂と割に近い時期であったのではないかとも思われる。しかし、その師説を﹁糟屋賢郎﹂なる者に伝授したのは、それか ら何年か後になることべ︲一あろうから、寂恵本拾遺集の書写年代は、弘安元年十一月よりはかなりあとであろうということになる。 因に、寂恵本古今集の﹁英倫﹂、同拾遺集の﹁糟屋賢郎﹂に当る人物は、目下のところ不明とすべきもののようである。また、寂 恵本古今集の﹁古今一部:﹂のあとにある師家の花押も、目下のところ誰のものと比定できなかった。 − 1 2 −

(9)

以下本文に就いて述べる。

①歌数

本書の本文は、前述の如く第一丁ウから書きはじめられ ている。巻一’十の歌数は下表の通りである。この歌数 は、定家本︵中院通茂筆本︶の歌数と同じである。ただ

し、夏二八﹁さ象たれは﹂の下句に、誤って二九﹁う

たて人﹂の下句を記してしまったので、この上句下句の

行間に、二八の下句と二九の上句とを細目の文字で書

きこんである。筆蹟に変りはないから、巻二の筆者のしわ ざと考えられる。 しかし、本書の花押を、寂恵本古今集の花押と比較すると、何がしの不審な点が象える。というのは、本書の花押には、寂恵本 古今集の花押にはない筆画が加えられていることである。この余分の筆画l横に一本と縦に一本と右わきにはみ出す弧線と三本あ るように思われるlは、花押の本来の筆画より、少しく墨色が薄く、筆画のようにもみえ、また十文字と弧線とで、花押を抹消し たものとみられぬでもない。いずれにしても、この余分の筆画が何を意味するものか、判定に苦しむが、全く意味のないよごれの 如き性質のものではないように思われる︵口絵3.6参照︶。 右のような事実に当面して、さらに寂恵本古今集の花押と比較してみると、形の大小のみならず、本書の花押の筆画の線は、寂 恵本古今集のそれよりぎこちなく、精細をいささか欠くようにも思われる。このような印象的な比較は意味のないことにもなる が、前記の余分の墨色の異なる筆画の意味とあわせてみると、少くとも、一応問題のあることを指摘しておくべきかと思われる。 筆蹟に関しては、特に疑うべき節は見当らないだけに不審である。将来の検討すべき課題とする。 れている。 しかし、 ﹁此集読授英倫詑﹂の傍にある花押と同じものであることは確実であり、その故に寂恵の花押と認められたと考えてよいであろ ここで、一言加えておきたいのは、本書奥書の﹁桑門寂恵﹂の下部の花押についてである。この花押の筆画は、寂恵本古今集の う。このことは、この両本︵古今集・拾遺集︶の筆蹟、特に奥書の筆蹟の筆癖に共通するところがあることによって、さらに確めら 巻数 巻名 歌数 累計

12

春一夏

78 78 58 136 秋 3 78 214

冬 48 262 賀 一○ 38 300 別

6’7

「ー‘、 0 0 353 物 名 78 431

雑 卜

8’9

再 々 イイ 508 雑 下 67 575

10 45 620

(10)

次に本文の他本との異同を調査し、本書の本文の系統を弁別すべきであるが、本書が上巻の象で下巻を欠き、その奥書の様態を 知ることも不可能であり、また拾遺集諸本の調査が未了一等﹂あり、一応の結果を出すことにも無理があり、さらに、片桐洋一氏﹃拾 遺和歌集の研究﹄︵昭和四十五年十二月、桜楓社刊︶があるので、その研究の調査結果を借用する。 右によれば、本集の本文は大体において、定家本系統中の天福本と一致するが、 仰天福本以外の定家本のもっている特徴的な本文をもっているところがある。 組合せたものの記入されていることがある。﹁少﹂は﹁抄﹂の略号、﹁少佳上﹂は﹁抄雑上﹂、﹁少同﹂はその前の歌に﹁抄雑上﹂ 本書の歌の肩又は頭に、﹁抄﹂﹁少﹂﹁少雑上﹂﹁少佳上﹂﹁少同﹂﹁万葉﹂﹁万﹂﹁古今﹂﹁古﹂﹁後撰﹂又はこの二・三を

②肩言

○ ﹁少佳上﹂の如きがあるのをうけている略号である。﹁抄﹂はいうまでもなく﹁拾遺和歌抄﹂の意である。つまり、拾遺抄、万葉 集、古今集、後撰集との重複歌であることの註記である。この註記は、他の定家本にも性々にしてみえるものであるが、本書のそ れと定家本︵中院通茂筆本︶のそれとを比較すると多少の異同がある。その異同を整理すると次のようになる。 a本書にあり、定家本にない肩書︵﹁皿ォ﹂等は本書の丁数、﹁師﹂等は定家本の歌番号である︶。 ﹁少佳上﹂の如きが 集、古今集、後撰集 れと定家本︵中院通推 a本書にあり、 万l皿オ・町 後撰l瓢オ・ 古l型ウ・畑

b定家本にあり

C意味するところに変りはないが、本書と定家本とで記号が異なるもの。これは、本書では﹁少同﹂とあるものが、定家本で は﹁少佳上︵下︶﹂となっているものと、その逆のものとである。 別ウ・郷、皿ウ・畑、肥ウ・剛、鵬ウ・師、Ⅲオ・獅、剛ウ・沌、皿オ・醜 古l肥オ・棚 後撰l媚オ・恥 少19ウ・虹、妬オ・畑、和オ・洲、両ォ・州 定家本にあり、本書にない註記。 −1︽出L19J ● 144 、 52 オ ・ Z{6 − 1 4 −

(11)

本書は、以上の如き本文であって、定家本の中であるとしても、特異な位置をとるものであり、北野克氏所蔵本などと共に、拾 遺和歌集の研究にとって、貴重な資料としての存在理由があるものと考えられる。 本書は、片桐氏の前記著書中の定家本の校異に定家本︵中院通茂本︶との異同が註記されているが、全文が紹介されたことはな いので、以下できうるかぎり活字化しておく。大方の参考になれば幸いである。 ②異本系統の本文と共通するところもある。 従って、大体において定家本系統中の一本とは認めうるが、その中のいずれに所属せしめるべきかは判定しかねる。lというこ とであろうか。

(12)

︹白紙︺ 拾遺和歌集巻第一 春 平さたふんか家寄合によみ侍ける 壬生忠岑 抄

1はるたつといふはかりにやみよしのL

やまもかすゑてけさはぶゆらん 承平四年中宮の賀し侍ける時の屏風 のうた た異

紀文轄

2はるかすみたてるをみれはあらたまの

としは山よりこゆるなりけり かすみをよみ侍ける 山邊赤人

3きのふこそとしはくれしかはるかすみ

かすかの山にはやたちにけり 冷泉院東宮におはしましける時寄たて まつれとおほせられけれは

源重之

4よしの山ぶれのしらゆきいつきえて

けさはかすみのたちかはるらむ 延喜御時月次御屏風に 素性法師 2オ己 1ウ﹄ 1オ﹄ 抄

5あらたまのとしたちかへるあしたより

またる上ものはうくひすのこゑ 天暦御時吾合に

源順

6こほりたにとまらぬはるの‘たにかせに またうちとけぬうぐひすのこゑ

題しらす平祐挙

7はるたちてあしたのはらのゆき染れは

またふるとしの心ちこそすれ さたふんか家の奇合に

みつれ

8春たちてなをふるゆきはむめのはな

さくほともなくちるかとそ染る

題しらすよみ入しらす

9わかやとのむめにならひて象よしの上

山のゆきをも花とこそみれ 天暦十年三月廿九日内裏奇合に 中納言朝忠抄中務 少

加うぐひすのこゑなかりせはゆきLえぬ

山さといかてはるをしらまし うぐひすをよみ侍ける 大伴家持 no、才﹄ ハムウ/﹄ − 1 6 −

(13)

16 15 14 13 12 11 万葉 うちきらしゆきはふりつ上しかすかに わかいゑのそのにうぐひすそなく

題しらす柿本人麿

万古今 むめのはなそれとも見えすひさかたの あまきるゆきのなへてふれ上は 延喜御時宣旨にてたてまつれる牙の

なかにつらゆき

少 むめかえにふりか上りてそしらゆきの 花のたよりにおとるへらなる おなし御時御屏風に

みつれ

少 ふるゆきにいろはまかひぬむめのはな かにこそにたるものなかりけれ 冷泉院御屏風のゑにむめのはな ある家にまらうときたるところ

平兼盛

少 わかやとのむめのたちえや見えつらん おもひのほかに君かきませる 斎院御屏風に

みつれ

少 かをとめてたれおらさらむ上めのはな あやなしかすみたちなかくしそ も其そのにすみ侍ける前斎院屏風 3ウ﹄ 4ウ巳 4オ﹄ 17 19 18 22 21 20

につらゆき

少 しろたへのいもか衣にむめのはな いろをもかを‘もわきそかねつる

題しらす人麿

あすからはわかなつまむとかたをかの5才﹄

あしたのはらはけふそやくめる 恒佐右大臣の家の屏風に

つらゆき

少 野邊みれはわかなつゑけりむへしこそ かきねのくさもはるめきにげれ わかなを御覧して 圓融院御製 少雑上 かすかのにおほくのとしはつみつれと

おいせぬものはわかな入りけり5ウ﹄

題しらす大伴家持

万 はるの上にあさるき上すのつまこひに をのかありかを人にしれつ坐 おほきさいのゑやに宮内といふ人のわらはなりける 時たいこのゑかとの御まへにさふらひけるほとに おまへなる五葉にうぐひすのなきけれは 正月はつれの日つかうまつれる 少 まつのうへになくうくひすのこゑをこそ

はつれの日とはいふへかりけれ6オ﹂

(14)

29 28 27 26 25 24 23

題しらすた壁みね

少 子日するのへにこまつのなかりせは ちよのためしになにをひかまし 入道式部卿の承この子日し侍ける所

に大中臣よしのふ

少 千とせまてかきれるまつもけふよりは きみにひかれてよるつよやへむ 延喜御時御屏風に水のほとりに梅 花見たる所

つらゆき

少 むめのはなまたちらねともゆくぷつの そこにうつれるかけそゑえける

題しらすよみ入しらす

少 つみたむることのかたきはうぐひすの こゑするのへのわかな入りけり 少 むめのはなよそなからみむわきもこか 後撰 とかむはかりのかにもこそしめ 少 そてたれていさわかそのにうぐひすの 万 こつたひちらすむめのはなみむ 兵部卿元良親王 少 あさまたきおきてそゑつるむめのはな よのまの風のうしろめたさに Ru方/﹂ 7オ﹄ 36 35 34 33 32 31 30

みつね

少 ふく風をなにいとひけんむめのはな ちりくる時そかはまさりける 大中臣よしのふ にほひをはかせにそふともむめのはな いろさへあやなあたにちらすな よみ入しらす ともすれはかせのよるにそあをやきの いとはなかj、象たれそめける

屏風に大中臣能宣

ちかくてそいろもまされるあをやきの いとはよりてそ象るへかりける

題しらす几河内躬恒

少 あをやきのはなたのいとをよりあはせて たえすもなくかうぐひすのこゑ よみ入しらす 少 はな承にはむれてゆけともあをやきの いとのもとにはくる人もなし 子にまかりをくれて侍けるころ東山 にこもりて

中務

少 さけはちるさかねはこひしやまさくら おもひたえせぬはなのうへかな 題しらす 8ウ﹄ ︵ろ,オマ﹂ ワーウ/﹄ − 1 8 −

(15)

40 42 43 41 39 38 37 よしの山たえすかすみのたなひくは ひとにしられぬ花やさぐらん 天暦九年内裏吾合に よみ入しらす 少 さきさかすよそにてもみむやまさくら 暴れのしら雲たちなかくしそ 題しらす ふくかせにあらそひかねてあしひきの やまのさくらはうつるひにけり 菅家万葉集中 少 あさみとりのへのかす承はっ坐めとも こぼれてにほふはなさくらかな

題しらすよみ入しらす

少 よしの山きえせぬゆきと見えつるは みねつ生きさくさくらなりけり 天暦御時麗景殿女御と中将更衣 と計合し侍けるに

清原元輔

少 はなかす承たちなへたてそはなさかり みてたにあかぬ山のさくらを 平さたふんか家の吾合に

た些象ね

少 はるはなをわれにてしりぬはなさかり Q︾方/﹄ 9 才 願 47 46 45 44 48 こ坐るのとけき人はあらしな 賀御屏風に

藤原千景

さきそめていくよへぬらんさくらはな いろをは人にあかす見せつ坐 天暦御時御屏風

た些桑

少 はるくれはまつそうちぷるいそのかみ めつらしけなきゃまたなれとも

題しらす在原元方

少 はるくれはやまたのこほりうちとけて 人のこ上ろにまかすへらなり 承平四年中宮の賀し給ける時の 屏風に

斎宮内侍

少 はるのたを人にまかせてわれはた堅 花に心をつくるころかな 宰相中将敦忠朝臣家の屏風に

つらゆき

少 あたなれとさくらの象こそふるさとの むかしなからのものには有けれ 斎院屏風に山みちゆく人ある所

伊勢

、オ﹄ 皿ウ﹄ 皿オ﹄

(16)

52 51 50 49 f = 戸 0 0 54 53 少 ちりちらすきかまほしきをふるさとの 花みてかへる人もあはなむ

題しらすよみ入しらす

少 さくらかりあめはふりき画おなしくは ぬるとも花のかけにかくれん

もとすけ

少 とふ人もあらしとおもひしやまさとに 花のたよりに人めみるかな 圓融院の御時三尺御屏風に

平兼盛

花のきをうへしもしるく春くれは わかやとすきてゆく入そなき

題しらすよみ入しらす

少 さくらいろにわか身はふかくなりぬらん 心にしめてはなをおしめは 権中納言義懐家のさくらの花おし む吾よみ侍けるに

藤原長能

少 身にかへてあやなく花をおしむかな いけらはのちのはるもこそあれ

題しらすよゑ人しらす

見れとあかぬ花のさかりにかへるかり なをふるさとのはるやこひしき 胆オ﹄ 、ウ﹄ 59 62 61 60 58 57 56 ふるさとのかすぷとひわけゆくかりは たひのそらにやはるをくらさむ 天暦御時御屏風に

藤原清正

少 ちりぬへき花みるときはすかのれの なかきはる日も承しか上りけり

題しらすよみ入しらす

少 つけやらむまにもちりなはさくらはな いつはり人にわれやなりなむ

屏風によしのふ

少 ちりそむる花を見すて些かへらめや おほつかなしといもはまつとも

題しらすよみ入しらす

見もはて上ゆくとおもへはちるはなに つけてこ奥ろのそらになるかな 延喜御時ふちつほの女御寄合の評 に 少 あさことにわかはくやとのにはさくら はなちるほとばてもふれて桑む あれはて上人もはへらさりける家に さくらのさきぶたれて侍けるをゑて

恵慶法師

少 あさちはらぬしなきやとのさくらはな 喝ウ﹄ 過オ﹄ 妃ウ﹄ − 2 0 −

(17)

68 ハ 局 、イ 66 65 64 63 心やすくや風にちるらん きたの宮のもきの屏風に

つらゆき

少 はるふかくなりぬとおもふをさくらはな ちるこのもとはまたゆきそふる 亭子院寄合に 少 さくらちるこのしたかせはさむからて そらにしられぬゆきそふりける

題しらすよみ入しらす

少 あしひきのやまちにちれるさくら花 きえせぬはるのゆきかとそゑる 天暦御時吾合に

小試命婦

少 あしひきの山かくれなるさくらはな ちりのこれりとかせにしらるる

題しらすよゑ人しらす

少雑上 いはまをもわけくるたきの水をいかて ちりつむはなのせきと、一むらん 天暦御時吾合に

源順

少 はるふか象ゐてのかはな承たちかへり 象てこそゆかめやまふきのはな ゐてといふ所に山吹のはなのおもしろ 皿オ﹄ 型ウ﹄ 75 局 f l J O 72 71 70 74 69 くさきたるを見て

恵慶法師

少 やまふきの花のさかりにゐてにきて このさと人になりぬへきかな

屏風にもとすけ

ものもいはてなかめてそふるやまふきの 花に心そうつるひぬらん

題しらすよぷ人しらす

少 さは象つにかはつなくなりやまふきの うつるふかけやそこにみゆらむ 少 わかやとのやへやまふきはひとへたに ちりのこらなむはるのかたゑに 亭子院寄合に

坂上是則

少 はなのいろをうつしと上めよか奥みやま はるよりのちのかけやみゆると

題しらすよぷ人しらす

少 はるかすみたちわかれゆくやまゑちは 花こそぬさとちりまかひけれ 少 としのうちはゑなはるなからくれな上む 花ぶてたにもうき世すぐさむ 延喜御時春宮御屏風に

つらゆき

略オ﹂ 妬オ﹂ 妬ウ﹄

(18)

76 81 80 79 78 77 少 かせふけはかたもさためすちるはなを いつかたへゆくはるとかはゑむ おなし御時月次御屏風に 少 花も柔なちりぬるやとはゆくはるの ふるさと上こそなりぬへらなれ 閨三月はへりけるつこもりに

象つれ

少 つれよりものとけかりつるはるなれと けふのくる皇はあかすそ有ける 拾遺和歌集巻第二 夏 天暦御時の吾合に 大中臣能宣 なくこゑはまたきかれともせゑのはの うすきころもはたちそきてける

屏風にしたかふ

少 わかやとのかきねやはるをへたつらん 夏きにけりと承ゆるうの花 冷泉院の東宮におはしましける時 百首牙たてまつれとおほせられければ

源重之

少 花の色にそめしたもとのおしければ ころもかへうきけふにもあるかな Ⅳウ﹂ Ⅳオ﹄ 略ウ﹄ 87 86 85 84 83 82 夏のはしめによみ侍ける 盛明のゑこ錘艤鮴卦毒穂毒宮 上、 少 はなちるといとひしものを夏ころも ︵ママ︶

たつやをきと風をまっかな肥オ﹂

百首寄中に

しけゆき

少雑上 なつにこそさきか坐りけれふちの花 まつにとの象もおもひけるかな 圓融院御時屏風吾 平かねもり す象よしのきしのふちなゑわかやとの まつのこすゑにいろはまさらし

したかふ肥ウ﹄

むらさきのふちさく松のこすゑには もとのみとりも見えすそ有ける プチッホ 延喜御時飛香舎にて藤花宴侍

ける時に小野宮太政大臣清慎公

少雑上 うすくこくぶたれてさけるふちのはな ひとしきいろはあらしとそおもふ

題しらす躬恒

てもふれておしむかひなくふちの花

ぞこにうつれはなゑそおりける蛆オ﹄

たこのうらの藤花をみ侍て 柿本人声暦 − 2 2 −

(19)

95 94 93 92 91 90 89 88 たこのうらのそこさへにぼふLちなみを 万 かさしてゆかむみぬ人のため 山里の卯花にうぐひすのなき侍けるを

平公誠従五下周防守

少 うの花をちりにしむめにまかへてや 夏のかきねにうぐひすのなく

題しらすょ象人しらす

少 卯花のさけるかきねはゑちのくの まかきのしまのなみかとそゑる 廷喜御時月次御屏風に

承つれ

少 神まつるう月にさけるうのはなは しろくもきねかしらけたるかな

つらゆき

神まつるやとのうの花しろたへの みてくらかとそあやまたれける

題しらすよ象入しらす

山かつのかきねにさけるうのはなは たかしろたへの衣かけしそ 時わかすふれるゆきかとみるまてに 後撰 かきねもたわにさけるうのはな はるかけてきかむともこそおもひしか やまほと坐きすをそくなくらむ 別オ﹄ 岨ウ﹄ 102 101 100 99 98 97 96 少 はっこゑのきかまほしさにほと当きす 夜ふかくめをもさましつるかな 夏山をこゆとて

久米廣繩

少 いゑにきてなにをかたらむあしひきの 万 山ほと上きす一こゑもかな 延喜御時御屏風に

つらゆき

山さとにしる人もかなほと上きす なきぬときかはつけにくるかに

題しらすよふ人しらす

少 やまさとにやとらさりせはほと入きす きく人もなきねをやなかまし 天暦御時吾合に 坂上望城是則男 ほのかにそなきわたるなるほとLきす 象やまをいつるけさのはっこゑ

平兼盛

少 象やまいて坐夜はにやきつるほとLきす あか月かけてこゑのきこゆる 寛和二年内裏葛合に 右大将道綱母 少 桑やこ人ねてまつらめやほと入きす 皿オ﹂ 加ウ﹄ 皿ウ﹄

(20)

Fへ−㎡︾ 屍ⅡMU q11▲ 103 104 108 107 106 いまそ山へをなきていつなる 女四の象この家寄合に

坂上是則

少 山かつと人はいへともほと上きす まつはっこゑはわれのゑそきく 天暦御時の吾合に

壬生忠見

少 さよふけてねさめさりせはほと上きす 人ってにこそきぐへかりけれ おなし御時の御屏風に

伊勢

ふたこゑときくとはなしにほと上きす 後撰 夜ふかくめをもさましつるかな 北宮のもきの屏風に 源公忠朝臣 少 ゆきやらて山ちくらしつほと上きす いまひとこゑのきかまほしさに 敦忠朝臣の家の屏風に

つらゆき

少 このさとにいかなる人かいゑゐして 山ほと上きすたえすきくらむ 延喜御時葺合に よぷ人しらす さぷたれはちかくなるらしよとかはの 羽オ﹄ 諺ウ﹄ 躯オ﹄ 1T貝 LLJ 114 119 11ム 113 111 110 109 あやめのくさもゑくさおひにけり

屏風に大中臣能宣

少 きのふまてよそにおもひしあやめくさ けふわかやとのつまとぷるかな

題しらすよみ入しらす

けふ象れはたまのうてなもなかりけり あやめのくさのいほりの采して

延喜御製

少 あしひきの山ほと具きすけふとてや あやめのくさのねにたてLなく よみ入しらす 少 たかそてにおもひよそへてほと上きす はなたちはなのえたになぐらん 天暦御時御屏風によとのわたりする人 かける所に

壬生忠見

少 いつかたになきてゆくらんほとLきす よとのわたりのまたよふかきに しけることまこものおふるよとのには つゆのやとりを人そかりける 小野宮太政大臣の家の屏風にわたりした る所に郭公のなきたるかたあるに

つらゆき

少 かのかたにはやこきよせよほと入きす 理オ﹄ 詔ウ﹄ 一 ワ ィ ー ー ェ

(21)

123 122 121 120 119 118 117 116 ゑちになきつと人にかたらん さたふんか家の副合に

みつれ

ほと上きすをちかへりなけうなひこか うちたれかみのさゑたれのそら

題しらすよみ入しらす

なけやなけたかたの山のほと上きす このさみたれにこゑなおしみそ さみたれはいこそねられねほとLきす よふかくなかむこゑをまつとて うたて人おもはんものをほと上きす よるしもなとかわかやとになく 大伴坂上郎女 少佳上 ほと当きすいたくな奥きそひとりゐて 万 いのれられぬにきけはくるしも

中務

夏のよの心をしれるほと生きす はやもなかなむあけもこそすれ 少 なつのよはうらしまのこかはこなれや はかなくあけてくやしかるらむ 延喜御時中宮嵜合 よ象人しらす 夏くれはふかくさやまのほと上きす なくこゑしけくなりまさるなり 路ウ﹄ 記オ﹄ 型ウ﹄ 127 ↑ q か lム0 125 1土 ム エワル 129 128 春宮にさふらひけるゑにくらはし山に 郭公とひわたりたる所 藤原實方朝臣 少 さ月やみくらはし山のほと塁きす おぼつかなくもなきわたるかな

題しらすよみ入しらす

少 ほとLきすなくや五月のみしか夜も 万 ひとりしぬれはあかしかれつも 西宮左大臣の家の屏風に

源順

少 ほとLきすまつにつけてやともしする 人も山へによをあかすらん 延喜御時月次御屏風に

つらゆき

少 五月やまこのしたやみにともす火は しかのたちとのしるへなりけり 賀の 九条の右大臣の家の。屏風に

平兼盛

少 あやしくもしかのたちとの見えぬかな をくらの山にわれやきぬらん 女四のみこの家の屏風に

みつれ

少 ゆくすゑはまたとをけれとなつやまの 坊ウ・一 妬オ﹂

(22)

134 133 132 131 130 1q月 』 U U このしたかけそたちうかりける 延喜御時御屏風に

つらゆき

なつやまのかけをしけみやたまほこの ゑちゆき人もたちとまるらむ 河原院のいつみのもとにす上み侍て

恵慶法師

少 松かけのいはゐのみつをむすひあけて なつなきとしとおもひけるかな 家にさきて侍けるなてしこを人のかり つかはしける

伊勢

いつこにもさきはすらめとわかやとの 山となてしこたれにぷせまし

題しらすよみ入しらす

少 そこきよみなかるょ河のさやかにも はらふることを神はきかなむ

藤原長能

少 さばへなすあらふる神もをしなへて けふはなこしのはらへなりけり よみ入しらす もみちせはあかくなりなむをくらやま 秋まつほとの名にこそ有けれ 右大将定國四十賀に内より屏風て 詔オ﹄ ”ウ﹂ 幻オ﹂ うしてたまひけるに

た里みね

剛おほあらきのもりのしたくさしけりあひて

ふかくもなつのなりにけるかな ︹白紙︺ 拾遺和謁集巻第三 秋 あきのはしめにょ采侍ける

安法ど師

Ⅳなつころもまたひとへなるうたふねに

こLろしてふけあきのはつかせ

題しらすよぶ入しらす

剛秋はきいたったの山も見てしかな

しくれぬさきにいろやかはると 延喜御時御屏風に

つらゆき

刷おきのばのそよぐをとこそあきかせの

ひとにしらる上はしめなりけれ 河原院にてあれたるやとに秋来と いふこ坐ろを人γI∼よ承侍けるに

恵慶法師

Ⅷやへむくらしけれるやとのさひしきに

人こそ見えねあきはきにけり

題しらす安貴王

鋤オ﹂ ”ウ﹂ 2928 オ ウ L = と − 2 6 −

(23)

148 147 146 145 144 143 142 141 少 秋たちていくかもあられとこのねぬる 万 あさけの風はたもとすLしも 延喜御時屏風寄

承つれ

ひこほしのつまLつよひのあきかせに われさへあやな人そこひしき

つらゆき

あき風によのふけゆけはあまのかは かはせになゑのたちゐこそまて

題しらす柿本入まる

万 あまのかはとをきわたりにあられとも 後撰 きゑかふなてはとしにこそまて あまのかはこそのわたりのうつろへは 万 あさせふむまによそふけにける ・よ象人しらす さょふけてあまのかはをそいて入見る おもふさまなる雲やわたると

湯原王

少 ひこほしのおもひますらんことよりも 万 見るわれくるしよのふけゆけは

人まる

少 としにありてひと夜いもにあふひこほしの 証オ﹄ 30 rフ グ / ー 可 155 1噸 』 J J 1R7入 リ ム 151 150 154 149 万 われにまさりておもふらむやそ 延喜御時月次御屏風に

つらゆき

少 たなはたにいきてかしつるからころも いと些なゑたにそてやぬるらむ 右衛門督源清蔭家の屏風に 少 ひと入せにひとよとおもへとたなはたの あひぷむあきのかきりなきかな 左兵衛督藤原懐平家屏風に

恵慶法師

少 いたつらにすぐる月日をたなはたの あふよのかすとおもはましかは 七夕庚申にあたりて侍けるとし

もとすけ

少 いと坐しくいもねさるらんとおもふかな けふのこよひにあへるたなはた

題しらすよみ入しらす

少 あひ見てもあはてもなげくたなはたは いつかこ上ろののとけかるへき 少 わかいのることはひとつそあまのかは そらにしりてもたかへさらなむ 少 君こすはたれに見せましわかやとの 躯オ﹂ 瓢ウ﹄ 鉋ウ﹂

(24)

160 159 156 162 161 158 157 かきねにさけるあさかほのはな をみなへしおほかるのへにはなす奥き いつれをさしてまねくなるらむ 少 てもたゆくうへしもしるくをゑなへし いるゆへ君かやとりぬるかな 小野宮太政大臣 少 くちなしのいろをそたのむをみなへし はなにめてつと人にかたるな を詮なへしおほくさける家に まかりて

よしのふ

少 を詮なへしにほふあたりにむつるれは あやなくつゆやこ&ろをくらん

題しらすよみ入しらす

の しらつゆ・をくつまにするをみなへし あなわつらはし人なてふれそ 嵯峨にせんさいほりにまかりて

藤原長能

少 ひぐらしに見れともあかぬをゑなへし のへにやこよひたひねしなまし 八月はかりにかりのこゑまつうた よみ侍けるに

恵慶法師

少 おきの葉もや上うちそよぐほとなるを 唖四方/﹄ 詔オ﹄ 168 167 166 1 戸 戸 164 163 10J なとかりかねのをとなかるらん 斎院屏風に よみ入しらす かりにとてくへかりけりやあきの野の はなみるほとにひもくれぬへし 題しらす あきの野のはなのなたてにをゑなへし かりにの承こん人におらるな

紀貫之

かりにとてわれはきつれとを詮なへし 見るにこ比ろそおもひつきぬる 陽成院御屏風にこたか坐りし たる所に 少 かりにの桑人のみゆれはをみなへし はなのたもとそつゆけかりける 亭子院のおまへに前栽うへさせ 給てこれよめとおほせことありけれは

伊勢

少 うへたて巽君かしめゆふはな里れは 後撰 たまと見えてやつゆもをくらむ

題しらすよみ入しらす

少 こてすくす秋はなけれとはつかりの きくたひことにめつらしきかな 少将に侍けるときこまむかへにまか 弱オ﹄ 弘ウ﹄ 弘オ﹂ − 2 8 −

(25)

169 174 1 万 句 lい 172 171 170

りて大試高遠

少 あふさかのせきのいはかとふみならし やまたちいつるきりはらのこま 延喜御時月次御屏風に

つらゆき

少せきの

あふさかの・し水にかけ見えて 今やひくらんもちつきのこま 屏風に八月十五夜池ある家に人 あそひしたる所 源したかふ 少 みつのおもにてる月な糸をかそふれは こよひそ秋のもなかなりける 水に月のやとりて侍けるを

よしのふ

あきの月なみのそこにそいてにける まつらむやまのかひやなからん 廉義公の家のかみゑに秋の月お もしろき池ある家ある所

源景明右衛門尉

あきの月にしにあるかと見えつるは ふけゆくよはのかけにそありける 圓融院御時八月十五夜かける所に

もとすけ

あかすのみおもほえむをはいか上せむ 弱オ﹄ 弱ウ﹂ ︾”命/﹄ 180 l79 178 1ワワ 176 175 111 かくこそはゑめあきのよの月 延喜御時八月十五夜蔵人所のを のことも月のえむし侍けるに

藤原經臣

少 こ上にたにひかりさやけきあきの月 雲のうへこそおもひやらるれ おなし御時御屏風に

みつれ

少 いつこにかこよひの月の見えさらむ あかぬは人のこLろなりけり

題しらすかねもり

少 夜もすから見てをあかさむ秋のつき こよひのそらにくもなからなむ 廉義公家にてくさむらのよるの むしといふ題をよ象侍けるに

藤原為頼

おほつかないつこなるらんむしのねを たつねはくさのつゆやゑたれむ 前栽にす上むしをはなち侍て

伊勢

少 いつこにもくさのまくらをす上むしは こ上をたひともおもはさらなむ

屏風につらゆき

少 あきくれははたをるむしのあるなへに 師ウ﹄ 訂オ﹄

(26)

184 183 186 185 182 181 からにしきにもみゆるのへかな

題しらすよみ人しらす

ちきりけむほとやすきぬるあきの野に 人まつむしのこゑのたえせぬ

象つれ

少 つゆけくてわか衣手はぬれぬとも おりてをゆかむあきはきのはな 亭子院御屏風に

伊勢

少 うつるはんことたにおしきあきはきを おれぬはかりもをけるつゆかな 三条のきさいの宮の裳き侍ける 屏風に九月九日の所

もとすけ

わかやとのきくのしらつゆけふことに いく世つもりてふちとなるらむ

題しらすみつね

少 なかつきのこ上ぬかことにつむきくの はなもかひなくおいにけるかな 右大将定國家屏風に

た上みね

古今 ちとりなくさほのかはきりたちぬらし やまのこのはもいろかはりゆく 廷喜御時の御屏風に 銘ウ﹂ 記オ﹂ 鋤オ﹄ 192 191 190 189 188 187 193

つらゆき

かせさむゑわか生らころもうつときそ はきのしたはもいろまさりける 三百六十首の中に

曽祢好忠

神なひのみむろのやまをけふゑれは したくさかけていろつきにけり

題しらす大中臣能宣

もみちせぬときはのやまはふく風の をとにやあきをき上わたるらん 少 もみちせぬときはのやまにすむしかは をのれなきてやあきをしるらむ よみ入しらす 少 あきかせのうちふくことにたかさこの おのへのしかのなかぬ日そなき あきかせをそむくものからはなすLき ゆくかたをなとまねくなるらん はつせへまうて侍ける象ちに佐保 山のもとにまかりやとりてあしたにき りのたちわたりて侍けれは

恵慶法師

もぶち見にやとれるわれとしられはや さほのかはきりたちかくすらん

題しらすよゑ人しらす

詔ウ﹄ 伽ウ﹄ 伽オ﹄ − 3 0 −

(27)

197 198 196 195 194 少 あき上りのた坐まくおしきやまちかな もぷちのにしきをりつもりつ入 大井河に紅葉のなかる上を見て

健守法師

水のあやにもゑちのにしきかさねつ上 かはせにな象のたLぬ日そなき 西宮左大臣家の屏風にしかのやま こえにつほさうそくしたる女とも 紅葉なとある所に

したかふ

なをきけはむかしなからのやまなれと しくるLあきはいろまさりけり 東山にもゑち見にまかりて又の 日つとめてまかりかへるとてょ象侍 ける

恵慶法師

を も あ も く ゑ さ み 題 ら ち け 大 く ち し の は る 井 も は ら や を に 河 見 の す ま け に え い の ふ 入 す る 名 は ユ や を に な ま ま し は を か か そ よ さ ぶ よ り は へ

i篭&證嚥

て の て ら い ふ ぷ る す と 侍 れ も は 虹ウ﹄ 狐オ﹄ 203 204 qJ当 ︽nⅡU nJノー 201 200 199 少 きのふよりけふはまされるもみちはの あすのいるをは見てや上みなむ 天暦御時殿上のをのことも紅葉 見に大井にまかりけるに 源延光朝臣大納言 も桑ちはをてことにおりてかへりなむ 風のこ上ろもうしろめたさに

源兼光

えたなから見てをかへらむもみちは坐 おらむほとにもちりもこそすれ

題しらすふかやふ

かはきりのふもとをこめてたちぬれは そらにそ秋の山は見えける ちくふしまにまうて侍ける時も象 ちのかけの水にうつりて侍ければ

法橋観教

少 象つうみにあきの山へをうつしては はたはりひろきにしきとそ見る 二条右大臣の粟田のやまさとの障子 のゑにたひ人も象ちのしたにやとり

たる所恵慶法師

少 いまよりはも桑ちのもとにやとりせし おしむにたひの日かすへぬへし

題しらすよ象人しらす

哩ウ﹂ 妃オ﹄ 他オ﹄

(28)

211 210 209 208 207 206 205 少 とふ人もいまはあらしのやまかせに 人まつむしのこゑそかなしき 延喜御時中宮御屏風に

つらゆき

少 ちりぬへきやまのもみちをあき上りの やすくも見せすたちかくすらん

題しらす僧正遍昭

少 あきやまのあらしのこゑをきくときは このはならねとものそかなしき

つらゆき

少 あきの夜にあめときこえてふるものは かせにしたかふも象ちなりけり 少 こ上ろもてちらむたにこそおしからめ なとかもぷちに風のふくらん 嵐の山のもとをまかりけるにも ゑちのいたくちり侍けれは 右衛門督公任 少 あさまたきあらしのやまのさむけれは もゑちのにしきLぬ人そなき

題しらすよしのふ

秋きりのみねにもおにもたつやまは もぷちのにしきたまらさりけり 大井に紅葉のなかる坐を見侍て “オ﹄ 媚ウ﹄ 213 212 216 91民 凸 1 J n l l 4l4

壬生忠岑

いろ?I、のこのはなかる上おほゐかは しもはかつらのもみちとやみむ

題しらすよした奥

まねくとてたちもとまらぬあきゆへに あはれかたよるはなす上きかな くれの秋重之かせうそこして 侍ける返事に

平兼盛

少 くれてゆくあきのかたゑにをくものは わかもとゆひのしもにそありける 拾遺和謁集巻第四 冬、 延喜御時内侍のかみの賀の屏風に

紀貧之

少 あしひきのやまかきくもりしくるれと も承ちはいと上てりまさりけり 寛和二年清涼殿のみさうしに あしろかける所 よみ入しらす 少 網代木にかけつ坐あらふからにしき 日をへてよするも象ちなりけり しくれし侍ける日

つらゆき

“ウ﹄ 妬オ﹂ 4545 ウ オ L = ー − 3 2 −

(29)

9ワウ ムムム 221 220 219 218 717と 4 0 少 かきくらししくる坐そらをなかめつ坐 おもひこそやれ神なひのもり

題しらすよぷ人しらす

神な月しくれしぬらしくすのはの うらこかるねにしかもなくなり 奈良のみかと龍田河に紅葉御 覧しに行幸ありけるとき御と もにつかうまつりて

柿本人麿

たったかはも象ちはなかる神なひの 古今 みむろのやまにしくれふるらし ちりのこりたるもゑちを見侍て

僧正遍昭

少 からにしきえたにひとむらのこれるは あきのかたゑをた型ぬなりけり 延喜御時女四の承この家の屏風

につらゆき

なかれくるもぷちは見れはからにしき たきのいともてをれるなりけり

屏風に平兼盛

少 しくれゆへかつぐたもとをよそ入は もみちをはらふそてかとやゑん 百首吾の中に

源重之

仰ウ﹄ 仰オ﹄ 妬ウ﹄ 230 7ql と J 上 229 所JIO nJ白 、ノノ︼ n n p ムム0 ︵vAU ︹叩〃ノ] n0J︼ 225 ″1斗L njDご nJ﹄ ワワョ ー 一 J あしのはにかくれてす象しつのくにの こやもあらはに冬はきにけり

題しらすつらゆき

少 おもひかれいもかりゆけはふゆのよの かはかせさむぶちとりなくなり よみ人しらす ひねもすに見れともあかぬもゑちは坐 いかなる山のあらしなるらん 少 夜をさむ象ねさめてきけはをしとりの 後撰 うらやましくも象なるl、かな 少 ゑつとりのしたやすから画おもひには あたりのみつもこほらさりけり よをさむゑねさめてきけはをしそなく 後撰 はらひもあへすしもやをくらん さたふんか家の吾合に 少 しものうへにふるはつゆきのあさ氷 とけすも入のをおもふころかな

題不知右衛門督公任

少 しもをかいそてたにさゆるふゆのよに かものうはけをおもひこそやれ たちはなのゆきより いけみつやこほりとくらんあしかもの よふかくこゑのさはくなるかな 妃オ﹄ 妃ウ﹂

(30)

999 ム J O 236 235 234 q q O 4Dj 232 237

紀友則

とひかよふをしのはかせのさむけれは いけのこほりそさえまさりける よ象入しらす

少に定家卿自筆為相相伝本

水のうへとおもひしものをふゆのよの こほりはそてのものにそありける

屏風に平兼盛

少と

ふしつけしよ・のわたりをけさ見れは とけむこもなくこほりしにけり

題しらすよみ入しらす

少 冬さむみこほらぬみつはなけれとも よしの具たきはたゆるよもなし 恒徳公家の屏風に

よしのふ

冬されはあらしのこゑもたかさこの まつにつけてそきぐへかりける

もとすけ

少 たかさこのまつにすむつるふゆくれは おのへのしもやをきまさるらん

題しらす紀とものり

少 ゆふされはさほのかはらのかはきりに ともまとばせるちとりなくなり

人暦

⑬ウ﹄ 卵オ﹄ 鉛オ﹄ 244 、ノ] j4L q●/白 91, ム(tJ 241 240 239 古今 うらちかくふりくるゆきはしらなみの すゑのまつやまこすかとそ見る 廉義公家障子

もとすけ

冬の夜のいけのこほりのさやけきは 月のひかりのみかくなりけり

題しらすよぷ人しらす

少 冬のいけのうへはこほりにとちられて いかてか月のそこにいるらん 月を見てよめる

恵慶法師

少 ・あまのはらそらさへさえやわたるらん こほりと見ゆる冬のよの月 はっ雪をよめる

源景明

少 みやこにてめつらしと見るはつゆきは よしの入やまにふりやしぬらん 女をかたらひ侍けるか年ころにな り侍にけれとうとく侍けれはゆき のふり侍けるに

もとすけ

少 ふるほともはかなくみゆるあはゆきの うらやましくもうちとくるかな 副オ﹄ 別ウ﹄ − 3 4 −

(31)

250 249 248 加 246 245 ゐ 山あひにゆきのふりかLりて侍ける

を伊勢

少 あしひきの山井にふれるしらゆきは すれるころものこLちこそすれ 斎院の屏風に

つらゆき

よるならは月とそみましわかやとの 後撰 にはしるたへにふれるしらゆき

題しらすよしのふ

わかやとのゆきにつけてそふるさとの よしの坐やまはおもひやらる入 屏風のゑにこしのしらやまかきて 侍けるところに 藤原佐忠朝臣 少 われひとりこしのやまちにこしかとも ゆきふりにけるあとを見るかな

題しらすた上承

少 としふれはこしのしらやまおいにけり おほくのふゆの雪つもりつ具 入道摂政の家の屏風に

かねもり

少 見わたせはまつのはしろきよしのやま いくよつもれるゆきにかあるらん 田オ﹄ 砲ウ﹂ 別ウ﹂ 251 236 、 一 一 4羽 253 9J当 Ph1U nノム 257 251 題しらす 少 やまさとはゆきふりつみてみちもなし けふこん人をあはれとは見む

人まる

少 あしひきの山ちもしらすしらかしの 万 えたにもはにもゆきのふれ坐は 右大将定國家の屏風に

つらゆき

しらゆきのふりしくときはみよしの坐 古今 やましたかせにはなそちりける 冷泉院御時御屏風に

かねもり

少 人しれすはるをこそまてはらふへき ひとなきやとにふれるしらゆき

屏風によしのふ

少 あたらしき春さへちかくなりゆけば ふりの承まさるとしのゆきかな 右衛門督公任 むめかえにふりつむゆきはひとLせに ふた上ひさけるはなかとそ見る 屏風のゑに佛名の所

よしのふ

おきあかすしもと上もにやけさはぶな 兜オ﹂ 粥ウ﹄

(32)

内ⅡⅢ︺ nhU nJと 259 258 旬J“ 、R叩U 、〃/ば 261 ふゆのよふかきつゑもけぬらん 延喜御時の屏風に

つらゆき

少 としのうちにつもれるつ承はかきくらし ふるしらゆきと具もにきえなむ 屏風のゑに佛名のあしたに梅の 木のもとに導師とあるしとかはらけ とりてわかれおしみたる所

よしのふ

少 ゆきふかきやまちになに里かへるらん はるまつはなのかけにとまらて 屏風のゑに佛名の所

かねもり

人はいさをかしやすらむふゆくれは としのみつもるゆきとこそ見れ 斎院の屏風に十二月つこもりの 夜 少 かそふれはわか身につもるとしつきを をくりむかふとなにいそくらむ 百首吾の中に

源重之

少 ゆきつもるをのかとしをもしらすして はるをはあすときくそうれしき 拾遺和謁集巻第五 梨ウ﹄ 副オ﹄ 弱オ﹄ 弱ウ﹂ 263 266 、 〃 芦 釦 3 264 賀 天暦御時斎宮くたり侍ける時の 長奉送使にてまかりかへらむとて 中納言朝忠 少 よるつよのはしめとけふをいのりをきて いまゆくすゑは神そしるらん はしめて平野祭に男使たてし ときうたふへき奇よませしに 大中臣能宣 少 ちはやふるひらの入まつのえたしけ糸 千よもやちよもいろはかはらし 仁和の御時大當會の吾 よゑ人しらす かまふの皇たまのをやまにすむつるの ちとせは君か象よのかすなり 贈皇后宮の御うふやの七夜に 兵部卿致平のみこのきしのかたを つくりてたれともなくてうたをつ けて侍ける

清原元輔

少 あさまたき土りふのをかにたつきしは ちよのひつきのはしめなりけり 藤氏のうふやにまかりて

よしのふ

弱ウ﹄ 弱才﹄ − 3 6 −

(33)

272 。 可 ↑ ム11 270 269 268 267 少 ふたはよりたのもしきかなかすかやま こたかきまつのたれそとおもへは うふやの七夜にまかりて 少 き桑かへむやをよろつよをかそふれは かつノー、けふそないかなりける 右大将藤原實資うふやの七夜に 平かねもり ことしをひのまつはなぬかになりにけり のこりのほとをおもひこそやれ ある人のうふやにまかりて

よしのふ

ちとせともかすはさためすよのなかに かきりなき身と人もいふへく 藤原誠信元服し侍ける夜よ承ける 源したかふ 少 おいぬれはおなしことこそせられけれ きゑはちよませ,J1 采よしのすけた些か上ふりし侍ける時

よしのふ

少 ゆひそむるはつもとゆひのこむらさき ころものいるにうつれとそおもふ 天暦のみかと四十になりおはしま しけるとき山しなてらに金泥 雨釧古/﹄ 記オ﹄ 師オ﹄ W吋 々 ↓ U 274 276 、 け り ム(』 寿命経四十巻をかき供養した てまつりて御巻数つるにくはせ てすはまにたてたりけりそのす はまのしきものにあまたのうたあ してにかけるなかに

かねもり

少 やましなのやまのいはねにまつをうへて ときばかきはにいのりつるかな

仲算法師

少 こゑたかく象かさの山そよはふなる あめのしたこそたのしかるらし 承平四年中宮の賀し侍りける 時の屏風に

斎宮内侍

少 いろかへぬまつとたけとのすゑのよを いつれひさしとき象のゑそ見む おなし賀にたけのつゑつくりて侍 けるに 大中臣頼基 少 ひとふしにちよをこめたる杖なれは つくともつきし君かよはひは 清慎公五十の賀し侍ける時の屏風に

もとすけ

弱オ﹄ 記ウ﹄

(34)

282 281 280 970白 0 J 9甲0 ムiO ワ77会 0 1 283 少 君かよをなに入たとへむさ皇れ石の いはほとならんほともあかれは あをやきの詮とりのいとをくりかへし いくらはかりのはるをへぬらん

かねもり

少 わかやとにさけるさくらのはなさかり ちとせ見るともあかしとそおもふ おなし人の七十賀し侍けるに 竹のつゑをつくりて

よしのふ

少 きみかためけふきるたけの杖なれは またもつきせぬ世呉そこもれる 少 くらゐやまゑねまてつけるつえなれと いまよるつよのさかのためなり 一条摂政中将に侍ける時父の大臣 の五十賀し侍ける屏風に 小野好古朝臣 少 ふくかせによそのもふちはちりくれと きみかときはのかけそのとけき 権中納言敦忠母の賀し侍けるに 源公忠朝臣

少か

よろつよもなをこそあかねきみ・ため おもふこふろのかきりなけれは 帥ウ﹄ 帥オ﹄ 詔ウ﹄ 、 、 何 “ 0 284 nvR︺ nV八U nJ凸 287 285 五条の内侍のか承の賀民部卿清貫 し侍けるとき屏風に

伊勢

少 おほそらにむれたるたつのさしなから おもふこふろのありけなるかな

少ら

はるの野のわかな些・ねときみかため としのかすをもつまんとそおもふ 天徳三年内裏に花宴せさせ給 けるに 九条右大臣 少 さくらはなこよひかさしにさしなから かくてちとせのはるをこそへめ

題しらすよみ入しらす

少 かつ見つょちとせの春をすぐすとも いつかは呉なのいるにあくへき 亭子院寄合に

みつれ

少 みちとせになるてふも入のことしより はなさくばるにあひにけるかな 康保三年内裏にて子日せさせ給 けるに殿上のをのことも和寄つかう まつりけるに 藤原のふかた 他才﹄ 鉦ウ﹄ 伍才﹂ − 3 8 −

(35)

291 293 292 291 、ⅡU 289 、Ⅱ判U 、,f︼ 少 めつらしきちよのはしめのねのひには まつけふをこそひくへかりけれ 小野宮太政大臣家にて子日し侍ける に下らうに侍ける時よみ侍ける 三条太政大臣廉義公 少 ゆくすゑも子日のまつのためしには きみかちとせをひかんとそおもふ 延喜御時御屏風に

つらゆき

少佳上 まつをの桑ときはとおもふに世と入もに なかすいつみも桑とりなりけり

題しらすよみ入しらす

少 みな月のなこしのはらへするひとは ちとせのいのちのふといふなり 承平四年中宮の賀し侍ける屏風

参議伊衡

少 ぷそきしておもふことをそいのりつる やをよるつよの秋のまに,ノ、 天暦御時前栽のえむせさせ給 けるとき 小野宮太政大臣 少 よるつよにかはらぬはなのいろなれは いつれのあきかきみか象さらむ 侭オ﹂ 他ウ﹄ 298 297 ︽叩〃J卸nⅧ﹃unhU 295 廉姜公家にて人ノーにうたょませ 侍けるにくさむらのなかのよるのむしと いふ題を

平兼盛

少 ちとせとそくさむらことにきこゆなる こやまつむしのこゑにはあるらん 右大臣源のひかるのいゑに前栽あに せし侍けるまけわさをうとねりたち ばなのすけみかし侍ける千鳥のかた つくりて侍けるによませ侍ける

つらゆき

少 たかとしのかすとかは見むゆきかへり ちとりなくなるはまのまさこを 天暦御時清慎公御ふえたてまつる とてよませ侍けれは

よしのふ

おいそむるねよりそしるきふえたけの すゑのよなかくならむものとは か上ゑいさせ侍けるうらにつるのかた をいつけさせ侍て

伊勢

少 ちとせともなにかいのらんうらにすむ たつのうへをそみるへかりける

題しらすよゑ人しらす

“ウ﹄ “オ﹄ 錦ウ﹄

(36)

加きみかよはあまのはころもまれにきて

なつともつきぬいはほならなむ 賀の屏風に

もとすけ

別うこきなきいはほのばてもきみそ見む

0 をとめのそてのなてつくすまて ︹白紙︺ 拾遺和詞集第六 別 春ものへまかりける人にあかつき にいてたちける所にてとまり侍ける人 のよぷ侍ける よみ入しらす 少

汕はるかすみたつあかつきを見るからに

こ﹂ろそ上らになりぬへらなる 題しらす 少

弛さくらはなつゆにぬれたるかほ桑れは

なきてわかれし人そこひしき 少

畑ちるはなはみち見えいまてうつまなむ

わかる入人もたちやとまると ものへまかりける人のもとに人ノf、 まかりてかはらけとりて 曽祢のよした上 髄オ﹄ 6565 ウ オ亥罰 L = L = 、 n 才 列 I 308 306 305 304 310 309 少 かりかねのかへるをきけはわかれちは 雲井はるかにおもふばかりそ 天暦御時少試命婦豊前にまかり 侍けるとき大はん所にて饅せさせ たまふにかつげものたまふとて

御製

少 なつころもたちわかるへきこよひこそ ひとへにおしきおもひそひぬれ

題しらすよ象人しらす

少 わするなよわかれちにおふるくすのはの あきかせふかはいまかへりこむ 少 わかれてふことはたれかははしめけむ くるしきものとしらすやありけむ 少 ときしもあれあきしも人のわかるれば いと入たもとそつゆけかりける 天暦御時九月十五日斎宮くたり 侍けるに

御製

少 き桑かよをなかつきとたにおもはすは いかにわかれのかなしからまし 十月許にものへまかりける人に

た坐承

つゆにたにあてしとおもひし人しもそ 師オ﹄ 師ウ﹂ 師ウ﹄ 4 0

参照

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