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古墳時代須恵器編年の限界と展望

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Academic year: 2021

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古墳時代須恵器編年の限界と展望

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植 田 隆 司

 要旨 陶邑須恵器編年を、古墳時代中期・後期資料の時期を判断する時間尺とし て活用する場合、その型式イメージの揺らぎは古墳時代研究の障害となっている。 古墳時代須恵器編年を再整理する作業の端緒として、窯跡での同時期生産群と古墳 での同時期消費群の設定を提起し、須恵器の形態変遷過程を相対比較することによっ て、実態的な須恵器様式の概念共有を指向する。  キーワード:杯身、高杯、横穴式石室、形態変遷の幅、同時期生産群、同時期消        費群 1.陶邑須恵器編年研究の成果とその活用における問題  陶邑窯跡群の須恵器編年研究は、森浩一氏によって先鞭が付けられ、田辺昭三氏によってほぼ完 成され、中村浩氏によって発展がなされた。その後も多くの研究者によって、詳細な検討が行われ てきた。田辺昭三氏がまとめられた須恵器編年 ( 以後、田辺編年と記述 ) は、1 つの窯の一括出土 資料を 1 型式とする相対型式編年で、「窯式編年」と呼称されるように、窯対窯の概略的な層序性 を保持している点が評価されてきた。つまり、標式とされる各々の窯の操業期間を個別の時間単位 として把握することが可能であるため、消費遺跡等からの出土資料を時期評価する際に、須恵器型 式の併行期として認識し、一定の時間幅を有した特定の時期を想定するのに有効である。ゆえに田 辺編年は、基礎的な編年の完成から 40 年を経た現在においても、古墳時代研究で用いられる須恵 器編年の主流となっている。中村浩氏をはじめとする大阪府教育委員会の研究者が、田辺編年をも とにして提示した須恵器編年 ( 以後、中村編年と記述 ) は、焼成床単位の資料にもとづく層序編年 を指向した「床式編年」と呼称されるものである。窯によって操業期間には幅があるため、窯の名 称をもって型式とするのは適切ではないと判断され、細分単位として「段階」が用いられた。結果、 型式学的に非常に整った変遷過程を示す型式編年が完成した。残念ながら、各段階に対応する個々 の窯の各焼成床がどれであるのか、その窯の灰原資料の中からどのような層序判定に基づいて選別 し、標式資料として採用したのかを、第三者が追確認することは現実的に困難である。すなわち、 編年の各段階間における標式資料の型式的な差異を確実な生産時期の差として追認しがたいため、 その活用は限定的なものとならざるを得なかった。  ところで、従前の陶邑須恵器編年を、古墳時代中期・後期資料の時期を判断する時間尺として活 用する場合、現時点においては、次の 2 つの問題点が内在している。1 点めは各型式の実年代比定 の問題である。古墳の築造年等を推定する際に、研究者によって須恵器の特定の型式に想定する実

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年代が大きく異なり、研究上の障害となりつつある。2 点めは、研究者間において須恵器編年観が 概ね等しく共有されていないことである。田辺編年を用いて特定資料の型式を同定する場合、各人 が標式として念頭に置く基準資料のイメージと照らし合わせることになるが、この観念的な基準資 料のイメージが研究者によって大なり小なり異なっている。このため、ある研究者が TK43 型式と 判断する杯身は、他の研究者には TK209 型式と判断されてしまう事態も発生する。また、加えて、 個々の須恵器の型式がさらに細分化可能と考えるむきもあり、陶邑須恵器編年の妥当性も適用方法 も混沌としている。  須恵器編年研究の成果の活用における障害のうち、その編年観の不等共有に関する問題を少しで も是正するためには、須恵器編年観を再度整理していく必要があろう。そして、生産地における須 恵器の型式編年の概念共有をはかった上で、古墳研究を円滑に進めるためには、供献・祭祀・副葬 等の用途で古墳において消費された須恵器の共伴関係を整理していく必要があろう。古墳主体部に おいて単一埋葬時に行われた供献行為に伴う須恵器の一括資料は、特定用途のために特別な意識の もとで揃えられた土器セットであるがゆえに、その同時代の社会における須恵器の普遍的な有り様 をそのまま反映しているとは言い難い。だが、使用状況での一括性が保証された須恵器資料の検討 作業の成果は、特定の目的のために特別な意識によって造営された施設である古墳を他の古墳と相 対比較しつつ研究していく上での一定の指標になり、新たな時間尺構築の一助となり得る可能性を 有していると私は考える。 2.窯跡出土須恵器の形態変化の実態  須恵器の型式変化の要因としては、製品生産供給量の変化に対応した製作工程の簡略化や、製作 技術の伝承を重ねることに起因する製作技法の粗雑化、あるいは需要に応じた機能改良や製品デザ イン等の改良が行われたことが挙げられよう。簡略化・粗雑化による型式変化は退化的変遷と捉え、 機能・デザインの改良による型式変化は進化的変遷と理解することができる。概して、前者の型式 変化はその機能に支障のない限り、消費者にとっては無意味で無関心な変化であるのに対して、後 者の型式変化は使用者の行為を充足する機能を備えるなど、消費者にとって有意義な変化であると いえよう。  古墳時代後期から終末期にかけて、須恵器の多くの器種は、形態が退化しながら変遷していく。 古墳時代後期には各地で群集墳の造営が活発化し、主体部に横穴式石室を採用する古墳 ( 以後、横 穴式石室墳と記述 ) も増加していく。前代に比して古墳を造営することが可能な人々が圧倒的に増 加し、また彼らが日常において使用する須恵器の総量も増加したことに加えて、古墳における祭祀・ 供献行為が棺上あるいは墳丘上での限定的なものから、垂直および前後方向への空間的な広がりを 持つ横穴式石室内あるいはその墓前における、一定程度の時間的継続性を有した祭祀・供献へと変 化したこともまた、須恵器の消費量増大に関係する要因であろう。大幅に増大していく需要に応じ て、必要とされる生産供給量をまかなうべく、6 世紀代に須恵器生産体制の拡充が図られたことは、 陶邑窯跡群における窯造営エリアの拡大傾向からも明らかである。須恵器を大量に合理的に生産せ んがために製作工程の簡略化が進み、製作工人数の増加に伴って次第にその技法も粗雑化していっ

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たであろうことは想像に難くない。  また、横穴式石室墳での祭祀・供献行為は、垂直と奥行き方向への広がりを持つ、薄暗い空間の 中で執り行われる。供献に欠かせない須恵器にも、その需要実態の変化に即した機能を持つデザイ ンが要求されたのであろう。特定の器種ではデザインが明らかに改良されていく。  須恵器の大量生産が展開された結果、製作工程の簡略化と製作技法の粗雑化が顕著に表れ、6 世 紀代を通じて一貫して形態の退化が進行する器種には、古墳時代の須恵器でもっともポピュラーな 器種である蓋杯がある。また、横穴式石室墳での祭祀・供献に対応して、機能・デザインの改良に よる進化的な形態変化が進行する器種の一つとして有蓋高杯が知られている。この項では、主とし て古墳時代後期における陶邑窯跡群出土須恵器の形態変化の実態を確認していく。本来的には、退 化的な形態変化を示す蓋杯と、進化的な形態変化を示す有蓋高杯の両方の器種について、窯跡資料 における変遷実態を把握する必要があるが、窯体内部および灰原からの有蓋高杯出土数は意外なほ ど少なく、出土した個体の遺存状況も、脚部上方の部位で切断されて接合等で同一個体と認定でき ない等、良好とは言えない。よって本稿では、蓋杯の杯身については、窯跡出土資料の型式ごとの 形態変遷を示し、古墳出土資料については、後述する方法で「同時期消費群」を設定した上でその 形態変遷を把握することに努めた。また、有蓋高杯については、古墳出土資料についてのみ「同時 期消費群」ごとの形態変遷を抽出することとした。  なお、各型式の範疇にその操業期間が収まると判断した古墳時代後期から終末期にかけての時期 の窯跡は、それぞれ次の通りである。  ・TK47 型式:TK47 号窯  ・TK85 型式:TK85-II 号窯  ・MT15 型式:MT15 号窯  ・TK10 型式:TK10 号窯、TG44-I 号窯  ・MT85 型式:KM128 号窯、TK118 号窯、TN5 号窯  ・TK43 型式:TK43 号窯、TK41 号窯、TN8 号窯、TK312 号窯、SI3 号窯

 ・TK209 型式:TK209 号窯、TK230-II 号窯、TN7-I 号窯、TN7-II 号窯、TN11 号窯、TN26-I 号窯、           TN28 号窯、KM3 号窯、SI5 号窯  ・TK217 型式 ( 古 ):TG10-I 号窯、TK79 号窯、SI1 号窯  ・TK217 型式 ( 新 ):TG11-II 号窯、TG61 号窯、TG68 号窯 (1)  杯身の法量  古墳時代後期から終末期にかけて、蓋杯の身である杯身(杯 H)は概ね形態の退化を進行させつ つ変遷していく。これを概括的に示す手法として、杯身の法量計測値のグラフがある。田辺編年の 各型式にほぼ合致する須恵器を生産する窯跡の資料に含まれる杯身の法量 ( 口径・器高 ) を図 1 の ように計測し、得られた法量データを分布グラフに落とし込んでいくと、それぞれの窯跡資料の法 量分布域を看取ることができる。それらの窯跡資料の法量分布をもとに、各型式ごとの分布域を求 めると、図 3 のような型式ごとの分布変遷を確認することができる。TK23 型式以後 TK10 型式に

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至 る ま で は、 器 高 5.0cm 前 後 を 維 持 し な が ら、 口 径 10.0cm 付近の分布域から口径 14.0cm 付近の分布域へと 拡大変遷を辿っていることがわかる。MT85 型式から器高 の低下が、TK43 型式から口径の縮小傾向が顕著となり、 TK217 型式古段階の器高 3cm 台・口径 10cm 台の分布域 へ向けて法量が漸減していることがわかる。TK217 型式 新段階では、さらに法量の縮小化が極限まで進行し、杯身 ( 杯 H) の器種としての終末を迎える。このように、型式 ごとの杯身法量分布は、各型式の法量幅を有しつつ、いわ ば「の」字形の変遷過程を辿っていくのである。  なお、各窯跡資料が、それぞれの型式の範疇に収まるか どうかの判定に際しては、口径と器高の標準偏差を求めて その生産品としてのバラツキを確認した。もし、これらの 杯身が現代のオートメーション化された工場で大量生産品 ならば、法量の標準偏差は限りなく 0 に近い数値を示す ことであろう。だが、古墳時代の須恵器工房で生産された 杯身は、まったく同じ日に同じ工人集団によって製作され たものであったとしても、標準偏差が完全に 0 となるこ とはあり得ないはずだ。とはいえ、1 型式に収まるであろ う比較的短い操業期間のうちに生産された杯身の法量の標 準偏差は、2 型式にまたがる長い操業期間が 想定されるそれよりも小さい数値を示すこ とになる。TK47 型式から TK217 型式古段 階までの窯跡資料で杯身法量の標準偏差を チェックすると、1 型式に収まる良好な資料 は、口径の標準偏差が 1.0 以下、器高の標準 偏差が 0.6 以下を示す。  図 3 に示した各型式ごとの法量分布域は、 あえて個体としての標式資料を抽出する作業 を行わないままの、その型式の杯身の形態幅 として認識されよう。従来のような須恵器型 式編年表を作成しようとする場合は、各型式の標式資料を抽出する作業は欠かせないものであった。 型式編年表は、須恵器形態の変化を具体的に把握するのに適切であるが、その背後に存在する「須 恵器型式の幅」は示すことができない。つまり、あえて資料の絞り込みを行わずに求められる各型 式の法量分布域は、それぞれの窯の操業期間を考慮する必要はあるものの、各型式の幅の実態を示 した、我々が認知可能な最小単位の生産群として位置付けられるものである。 口径 (cm) 器高 (cm) 図 3 陶邑窯跡群 杯身法量の変遷  図 2 有蓋高杯の計測箇所  図 1 杯身の計測箇所 

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 陶邑窯跡群中の窯跡資料の中で、操業が長期間におよばないと判断される窯跡の杯身法量を計測 して図 3 にドットしていくと、各型式の法量分布域とほぼ合致したり、あるいは 2 型式の分布域を またぐように散布していく。つまり、こうした一定の法量幅を有した状態で、杯身の生産が行われ、 それが漸次変遷していくのが実態なのである。このようにある一定の法量幅をほぼ同じくする窯跡 資料群は「同時期生産群」として捉えるべきものであろう。我々は無意識のうちに、同時期生産群 の中から形態変遷を把握するにふさわしい群をそれぞれ抽出した上で、田辺編年の「型式」という 便宜上のフレームを与えて理解しているのである。 (2)  杯身のたちあがり  杯身の法量と同様に、その口縁部のたちあ がり形状も、形態の退化を進行させつつ変遷 していく。従来から、個体の形状をチェック する際には、常にたちあがり形状を重視して、 型式同定が行われているのは周知のとおりだ。 遺物報告時においては、その高さのみを数値 化して観察表等に記録されてきたが、たちあ がりの直立・傾斜の度合いも杯身の退化変遷 を示す重要な要素である。私はたちあがりの 直立・傾斜度を数値化して記録することを提案してきたが  、残念ながら、同様の形状記録法は あまり普及していない。  たちあがりの直立・傾斜度は図 1 のような「たちあがり角度」で示される。つまり、杯身正置状 態の鉛直方向を 0°とし、たちあがり外面基部から口縁端部までを結んだ直線までの角度を計測す ればよい。これを横軸に設定し、たちあがり高を縦軸に設定すると、たちあがり形状を示す分布グ ラフを作成できる。田辺編年の各型式にほぼ合致する須恵器窯跡資料の杯身のたちあがり形状(た ちあがり角度・たちあがり高)を図 1 のように計測し、得られた形状データを分布グラフに落とし 込んでいくと、それぞれの窯跡資料のたちあがり形状分布域が形成される。それらの形状分布をも とに、各型式ごとの分布域を求めると、図 4 のような型式ごとの分布変遷を確認することができ る。TK47 型式から MT15 型式へは、たちあがり高 1.5cm ~ 2.0cm を維持しながら、たちあがり 角度 5°から 25°付近の分布域へと徐々にたちあがりの内傾斜を強めていく。TK10 型式では、たち あがり高が低下して 1.2cm ~ 1.6cm に、たちあがり角度が 15°~ 25°付近に分布して内傾斜が強 まる。MT85 型式では、たちあがり高の分布下限がさらに低下をみせて 0.7cm ~ 1.6cm に分布する。 TK43 型式に至るとたちあがり高の分布上限がさらに低下して 0.7cm ~ 1.3cm に分布する。TK209 型式ではたちあがり高の分布下限が 0.4cm にまで低下すると同時に、たちあがり角度の内傾斜が 極端に進行して 20°~ 60°付近にまで分布する。TK217 型式古段階では、たちあがり高の分布上 限が 0.9cm までさらに低下する。杯身の最終形態である TK217 型式新段階では、たちあがり高が 極限まで低下して 0.1cm ~ 0.4cm、たちあがり角度も内傾斜を強めて 27°~ 64°付近に分布する。 図 4 陶邑窯跡群 杯身たちあがり形状の変遷 たちあがり角度 (°′) たちあがり高 (cm) 〔註 1〕

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 法量分布域の変遷と同様に、たちあがり形状分布域においても、これらの型式ごとの分布域を、 我々が認知可能な生産ロットの最小単位群が有している形態幅として認識すべきであろう。たちあ がり形状の変化は、同時期生産群として把握すべきこの最小単位群が、徐々に退化傾向を辿りなが ら漸次変遷していくのが実態である。  なお、法量変遷と同様にたちあがり形状の確認においても、たちあがり角度とたちあがり高の標 準偏差を求めてその生産品としてのバラツキを確認した。たちあがり角度は、口縁部の内傾斜の度 合いという製作時に個体差が生じやすい要素であるため、TK47 型式~ TK209 型式の資料で 4.0 ~ 8.0 の標準偏差を示した。たちあがり高の標準偏差は、TK47 型式~ TK209 型式の資料で 0.3 以下 を示しており、たちあがりの高さは製作時に製品ごとのバラツキが出ないようにある程度配慮され ていたといえよう。 3.古墳出土須恵器の形態変化の実態  我々が古墳時代後期の遺跡成立時期や古墳造営時期を推し量る際に、その時間尺としてひとつの 指標としてきたのは須恵器編年である。しかしながら、前項で示したように、生産遺跡である陶邑 窯跡群において作成された須恵器編年の編年表の背後には、整然と並べられた標式資料の変遷イ メージだけでは正しく理解することが到底不可能な実態が存在している。法量・形状においてある 程度のバラツキをもった製品が同時期に大量生産され、それらの法量・形状が漸次変化しながら、 陶邑窯跡群中では生産が継続されていったのである。ある特定の古墳出土資料の型式同定を行おう とする場合、標式資料による型式変遷イメージのみに基づいた判断では、実質上は複数型式の分の 同時期生産群から恣意的にどれかのグループを選択したに過ぎないといえる。そのため、研究者に よっては、その古墳の造営時期の特定に揺らぎが生じているのである。  今後、このような問題点を払拭して後期古墳の調査・研究を進めるためには、供献・祭祀等の用 途で古墳において消費された須恵器の共伴関係を整理し、葬送という特定目的のために特別な意識 のもとで用意された一括消費群であることを認識しつつ、古墳出土須恵器の形態変化の実態を確認 していくことが必要であろう。同時期消費群であることを認定するためには、従来のように生産地 須恵器編年の型式併行関係から時期を設定するのではなく、古墳間の相対前後関係を認定しうる、 別の時間尺が必要となってくる。その相対的時間尺によって同時期消費群を特定し、それらの古墳 で用いられている須恵器の形態比較を行えば、客観的な消費動向をチェックすることができる。  後期古墳研究において、従来の窯跡須恵器編年に代わって時間尺を提供し得るのは、石室形態の 比較研究を差し置いて他に存在しないであろうと私は思う。畿内型横穴式石室の石室構造の変遷と、 その構築技術の情報伝播に関する精緻な考察を展開する太田宏明氏の畿内型石室の編年研究は、ま さに後期横穴式石室墳における相対的時間尺を提示してくれる。太田氏の石室編年研究では、畿内 の横穴式石室を、主として袖部と羨道側壁の変化とその組み合わせから、1 群から 9 群に分類し、 畿内型石室の変遷およびその構築技術の地方伝播について考察されておられる  。本稿では、太 田氏の分類に即して畿内の横穴式石室墳をグルーピングし、その中から追葬等の影響が少ない須恵 器一括資料を保有すると考えられる古墳を選択し、太田氏の分類による「群」を、畿内型石室の構 〔註 2〕

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造から抽出される現認可能な最小単位の「同時期消費群」と位置付けて、須恵器の蓋杯および有蓋 高杯の形態変遷実態を把握することに努めた。なお、この項にて検証を行った横穴式石室墳は、そ れぞれ次の通りである  。  ・畿内型石室 1 群:高井田山古墳、七ノ坪古墳  ・畿内型石室 2 群:南塚古墳、一須賀 WA11 号墳、寺口忍海 D27 号墳、塚穴 4A 号墳  ・畿内型石室3群:市尾墓山古墳、巨勢山 75 号墳、寺口忍海 H32 号墳、一須賀 B6 号墳、       平野大県 17-1 号墳、タキハラ 5 号墳  ・畿内型石室 4 群:鴨稲荷山古墳、ホリノヲ 1 号墳、井ノ内稲荷塚古墳、一須賀 B9 号墳、       新沢千塚 204 号墳、権現堂古墳  ・畿内型石室 5 群:小山 2 号墳、物集女車塚古墳、海北塚古墳、三里古墳、藤ノ木古墳、       珠城山 3 号墳、一須賀 WA7 号墳、一須賀 WA22 号墳、一須賀 B10 号墳、       一須賀 O5 号墳、タキハラ 4 号墳、平野大県 17-2 号墳  ・畿内型石室 6 群:平林古墳、烏土塚古墳、寛弘寺 75 号墳、巨勢山 421 号墳、一須賀 WA14 号墳、       一須賀 WA21 号墳、一須賀 B2 号墳、一須賀 I13 号墳、一須賀 O4 号墳  ・畿内型石室 7 群:牧野古墳、河内愛宕塚古墳、一須賀 WA15 号墳、一須賀 A9 号墳、       一須賀 WA1 号墳 (1)  杯身の法量・たちあがり  窯跡資料の杯身評価の方法と同様に、法量計測値のグラフとたちあがり形状計測値のグラフを作 成し、各古墳ごとにその数値データを整理して群ごとの分布傾向を観察した。  まず、群ごとの杯身法量分布について解説する。1 群の資料数は少ないものの、口径 10.0cm ~ 13.0cm・器高 4.0cm ~ 5.2cm 付近に分布する。2 群は口径 12.0cm 付近~ 14.0cm 付近・器高 3.9cm ~ 5.8cm 付近に分布し、1 群に比して口径の拡大傾向が看取できる ( 図 5)。3 群は口径 11.5cm 付 近~ 14.2cm・器高 4.0cm ~ 5.5cm 付近に分布し、やや器高に低下が観られるものの、2 群とほぼ 同じ法量をもつことがわかる ( 図 6)。4 群は口径 11.3cm ~ 13.0cm・器高 4.0cm 付近~ 5.5cm に 分布し、分布域は 3 群のそれにほぼ含まれる ( 図 7)。5 群は口径 10.7cm ~ 13.5cm 付近・器高 3.2cm 口径 (cm) 器高 (cm) 図 5 畿内型石室1群・2群の杯身法量  口径 (cm) 器高 (cm) 図 6 畿内型石室3群の杯身法量  〔註 3〕

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図 14 畿内型石室4群の杯身たちあがり形状  たちあがり角度 (°′) たちあがり高 (cm) 図 13 畿内型石室3群の杯身たちあがり形状  たちあがり角度 (°′) たちあがり高 (cm) 図 12 畿内型石室1群・2群の杯身たちあがり形状  たちあがり角度 (°′) たちあがり高 (cm) 口径 (cm) 器高 (cm) 図 10 畿内型石室7群の杯身法量  口径 (cm) 器高 (cm) 図 9 畿内型石室6群の杯身法量  口径 (cm) 器高 (cm) 図 11 横穴式石室墳 杯身法量の変遷  口径 (cm) 器高 (cm) 図 7 畿内型石室4群の杯身法量  口径 (cm) 器高 (cm) 図 8 畿内型石室5群の杯身法量 

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~ 5.2cm 付近に分布し、口径・器高ともにやや縮小傾向にある ( 図 8)。6 群は口径 11.0cm ~ 13.0cm 付近・器高 3.6cm 付近~ 4.9cm に分布し、器高の上限は低下するが分布域は 5 群のそれ に含まれる ( 図 9)。7 群は口径 10.0cm ~ 12.5cm 付近・器高 3.2cm ~ 4.0cm に分布し、法量が大 幅な縮小傾向にあることがわかる ( 図 10)。法量分布の変遷を概観すると、図 11 のように各群の 分布域が重複しているが、よくみると窯跡資料の法量変遷のような「の」字形の変遷過程が崩れた 形で変遷していることがわかる。  つぎに、群ごとの杯身たちあがり形状分布について解説する。1 群はたちあがり角度 15°~ 20° 付近・たちあがり高 1.9cm ~ 2.2cm に分布する。2 群はたちあがり角度 17°~ 38°付近・たちあが り高 0.9cm ~ 1.9cm と分布域が広い ( 図 12)。3 群はたちあがり角度 19°~ 42°・たちあがり高 0.8cm ~ 1.9cm に分布し、その分布域は 2 群のそれと大差ない ( 図 13)。4 群はたちあがり角度 18°~ 39°・ たちあがり高 1.1cm ~ 1.8cm に分布し、たちあがり高の分布上限が低下していることがわかる ( 図 14)。5 群はたちあがり角度 18°~ 46°付近・たちあがり高 0.7cm ~ 1.8cm に分布し、4 群よりも たちあがり高の分布下限が低下し、たちあがり角度の内傾斜の度合いが進んでいることがわかる ( 図 15)。6 群はたちあがり角度 11°~ 48°付近・たちあがり高 0.8cm ~ 1.4cm に分布し、たちあ がり高の分布上限が 5 群よりも低下している ( 図 16)。7 群は、たちあがり角度 23°付近~ 38°・ たちあがり高 0.8cm ~ 1.0cm に分布し、たちあがり高の上限分布がさらに低下している ( 図 17)。 たちあがり形状の分布変遷を概観すると、図 18 のように 2 群から 5 群までの分布域がとくに たちあがり角度 (°′) たちあがり高 (cm) 図 17 畿内型石室7群の杯身たちあがり形状  たちあがり角度 (°′) たちあがり高 (cm) 図 18 横穴式石室墳 杯身たちあがり形状の変遷  たちあがり角度 (°′) たちあがり高 (cm) 図 15 畿内型石室5群の杯身たちあがり形状  たちあがり角度 (°′) たちあがり高 (cm) 図 16 畿内型石室6群の杯身たちあがり形状 

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重複しており、たちあがり高が全体的にやや高めであることがわかる。窯跡資料のたちあがり形状 変遷のような右肩下がりの変遷過程は明瞭でない。  このように概観すると、横穴式石室墳出土資料の各群ごとの杯身法量および形状の変遷は、窯跡 資料のそれと較べると整然とした変遷過程を経ていないようにみえる。しかしながら、杯身計測値 の標準偏差は、各群ごとの平均値でも 2 群から 7 群では口径で 1.0 以下、器高で概ね 0.7 以下、た ちあがり高で 0.3 以下、たちあがり角度で 8.0 以下を示しており、同時期に消費された製品として のバラツキは、生産地のそれと大差ない ( 表 1)。古墳ごとの標準偏差は、口径 0.7 以下・器高 0.4 以下・たちあがり高 0.2 以下を示すものが多く、それぞれ非常にバラツキの少ない状態で祭祀・供 献に用いられているといえよう。これは、横穴式石室内へ運び込む前段階で、似たような法量の蓋 杯を選択してセットとして取り扱われた可能性を示唆する。また、同一消費群中で新しい型式の蓋 杯を用いる古墳と古い型式の蓋杯を用いる古墳が存在している可能性も考えなければならないであ ろう。古墳での祭祀・供献という使用の場では、蓋杯の厳密な容量等にはさほど関心が払われず、 大きさが揃っていて単に並べた際の見栄えが良ければ問題ないとされ、1 型式程度古めの蓋杯の セットが用意されることも多かったのかもしれない。退化的変化の度合による蓋杯の法量や形状の 違いは、横穴式石室内での器としての機能に何ら影響を与えなかったであろうと容易に想像できる。 (2)  有蓋高杯の法量・たちあがり・脚部形状  この項では、横穴式石室の普及に対応するように、進化的な形態変化が進行する器種の一つとし て知られる長脚有蓋高杯の形態変遷について述べる。前項と同様に、杯身の法量計測値のグラフと たちあがり形状計測値のグラフを作成し、各古墳ごとにその数値データを整理して群ごとの分布傾 向を観察し、その退化変遷の状況を確認する。また、長脚有蓋高杯の進化的な形態変化の状況を確 認するために、脚部伸長の度合いと脚裾部の開化傾向および脚基部の縮小化傾向を観察することと した。杯部の法量 ( 口径・器高 ) とたちあがり形状は図 1 と同様に計測して分布グラフを作成した。 脚部の形状については、図 2 のように脚高と脚基部径・脚底径を計測し、縦軸に脚高計測値、横軸 に脚底径と脚基部径の比率 ( 脚径比 ) を設定した分布グラフを作成した。  まず、群ごとの法量分布について解説する。1 群から 4 群までの資料数は、現状では少ないものの、 その概ねの傾向を観ることができる。1 群は口径 10.0cm 付近~ 11.5cm 付近・器高 4.6cm ~ 5.1cm に分布する ( 図 19)。3 群は口径 9.0cm 付近~ 15.8cm 付近・器高 5.3cm 付近~ 6.0cm に分布し、 極端に法量が大型化している ( 図 19)。4 群は口径 12.0cm ~ 12.5cm・器高 4.5cm 付近に分布する ( 図 19)。5 群は口径 12.5cm 付近~ 16.0cm・器高 4.0cm 付近~ 5.0cm 付近に広く分布する ( 図 20)。 6 群は口径 12.0cm 付近~ 14.0cm・器高 4.0cm ~ 5.0cm に分布し、その分布域は 5 群のそれに含 まれるものである ( 図 21)。7 群は口径 12.0cm ~ 16.0cm 付近・器高 4.0cm 付近~ 5.3cm に分布 し、その分布域は 5 群とほぼ同一である ( 図 22)。法量分布の変遷を概観すると、図 23 のように、 4 群以後は器高 4.0cm ~ 5.0cm 程度を維持しながら法量の拡大傾向を示しつつも、概ね同様の法 量分布域が形成されていることがわかる。有蓋高杯の法量変遷は、杯身の法量拡大・縮小過程とまっ たく異なった過程を辿り、少なくとも 5 期以後は概ね定量化していたと判断できる。

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たちあがり角度 (°′) たちあがり高 (cm) たちあがり高 (cm) たちあがり高 (cm) 図 25 畿内型石室5群の有蓋高杯たちあがり形状  たちあがり角度 (°′) たちあがり角度 (°′) 図 26 畿内型石室6群の有蓋高杯たちあがり形状  図 24 畿内型石室1群・3群・4群の有蓋高杯たちあがり形状 口径 (cm) 口径 (cm) 口径 (cm) 口径 (cm) 口径 (cm) 杯部高 (cm) 杯部高 (cm) 杯部高 (cm) 杯部高 (cm) 杯部高 (cm) 図 23 横穴式石室墳 有蓋高杯法量の変遷  図 21 畿内型石室6群の有蓋高杯法量  図 22 畿内型石室7群の有蓋高杯法量  図 19 畿内型石室1群・3群・4群の有蓋高杯法量 図 20 畿内型石室5群の有蓋高杯法量 

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 つぎに、群ごとのたちあがり形状分布について解説する。1 群はたちあがり角度 6°~ 20°・たち あがり高 1.7cm ~ 2.2cm に分布する ( 図 24)。3 群・4 群はたちあがり角度 17°~ 35°付近・たち あがり高 1.1cm ~ 2.0cm に広く分布し、1 群よりも分布上限が下降している ( 図 24)。5 群はたち あがり角度 15°付近~ 40°付近・たちあがり高 0.8cm ~ 1.6cm に分布し、その分布域は 3 群・4 群よりもたちあがり高が低下し、たちあがり角度の内傾斜の度合いがやや進んでいることがわかる ( 図 25)。6 群はたちあがり角度 15°付近~ 43°付近・たちあがり高 0.9cm ~ 1.4cm に分布し、た ちあがり高の分布上限が 5 群よりも低下している ( 図 26)。7 群はたちあがり角度 25°付近~ 48° 付近・たちあがり高 0.8cm ~ 1.4cm に分布し、6 群よりもたちあがり角度の内傾化が進行してい る ( 図 27)。たちあがり形状の分布変遷を概観すると、図 28 のように、3 群・4 群は、1 群よりも たちあがりの低下と内傾化が進み、さらに 5 群はたちあがりの低下が大幅に進行している。6 群は たちあがりがやや低下し、7 群では内傾化のさらなる進行が看取できる。古墳出土の杯身では観ら れない、窯跡の杯身のたちあがり変遷に近似した右肩下がりの退化的変遷が観察できるのである。  おそらく、横穴式石室内での祭祀・供献においては、有蓋高杯の容量は蓋杯と同様にさほど重要 視されなかったのであろう。ただし、日常においても使用されていたであろう扁平な器形の蓋杯と は異なり、祭祀・供献の場での機能に特化した器種ともいうべき有蓋高杯では、その外観上の見栄 えに関心が払われていたであろうと推察される。そのため、法量の退化的変遷は顕著に発生せず、 ほぼ一定の器高を保ちながら口径の大型化のみが進んだのであろう。また、その外観を重視するが ゆえに、たちあがりの高さは概して同時期に消費された蓋杯よりも若干高めである。そして、たち あがり形状の変遷が生産地の蓋杯のそれと近似した退化的変遷を示す事実は、窯跡での検出個体数 が極端に少ないこの器種が専ら祭祀・供献用に限定生産され、さほど時を経ずに石室内へ持ち込ま れたであろうことを推測させる。  では最後に群ごとの脚部形状分布について観ていこう。1 群では脚高 4.0 ~ 7.0cm 程度・脚径比 1.7 ~ 2.0 付近に分布するが、3 群では脚高 11.0cm ~ 15.0cm 付近・脚径比 2.3 ~ 2.8 付近に分布し、 4 群では脚高 15.0 ~ 18.0cm・脚径比 3.0 付近に分布する ( 図 29)。2 群での有効な古墳資料をデー タ化できていないが、おそらくは、2 群以後に長脚化と脚裾への外反傾向が始まったのであろう。 5 群では脚高 12.0cm 付近~ 19.0cm・脚径比 2.7 付近~ 3.8 付近に分布し ( 図 30)、6 群では脚高 たちあがり角度 (°′) たちあがり高 (cm) たちあがり高 (cm) たちあがり高 (cm) たちあがり高 (cm) たちあがり角度 (°′) 図 27 畿内型石室7群の有蓋高杯たちあがり形状  図 28 畿内型石室墳 有蓋高杯たちあがり形状の変遷 

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11.0cm 付近~ 19.0cm 付近・脚径比 2.5 付近~ 3.8 付近に分布し ( 図 31)、7 群では脚高 13.0cm 付近~ 19.0cm 付近・脚径比 2.7 付近~ 4.3 付近に分布する ( 図 32)。図 33 に示したように、5 群 と 6 群では分布域が重複し、ほぼ同じ脚高と脚裾への外反度合いの有蓋高杯が用いられている。た だし、5 群・6 群は 4 群よりも脚径比が大きく、脚裾の開きが進行しているようだ。7 群ではもっ とも長脚化が進行した一群に極端な脚裾への外反化が認められ、基部が細くて裾部が大きく開いた 長脚化が極限まで進んだ有蓋高杯が用いられていることがわかる。概括すれば、1 群~ 4 群までは 脚の長大化と外反化が徐々に進行し、5 群・6 群では若干の長大化と大幅な外反化が進む。そして 7 群ではさらに外反化が進行したものと理解される。  ところで、有蓋高杯計測値の標準偏差は、各群ごとの平均値でも口径で 0.7 以下、杯部高で 0.3 以下、たちあがり高で 0.4 以下、たちあがり角度で 6.0 以下、脚高で 1.4 以下、脚径比 0.3 以下を 示しており、横穴式石室内出土の杯身よりも同時期に消費された製品としてのバラツキが少ない ( 表 2)。古墳ごとでの製品としてのまとまりが良好であることは言うまでもないが、同時期消費群の範 疇においてもその形態に製品としてのまとまりがあるということは、似通った法量・形状のものを ことさらに選択して祭祀・供献に用いたのではなく、有蓋高杯がおそらくは生産段階から形態的 図 29 畿内型石室1群・3群・    4群の有蓋高杯脚部形状 図 30 畿内型石室5群の    有蓋高杯脚部形状 図 31 畿内型石室6群の    有蓋高杯脚部形状 図 32 畿内型石室7群の    有蓋高杯脚部形状 図 33 横穴式石室墳    有蓋高杯脚部形状の変遷 脚底径/基部径 脚底径/基部径 脚底径/基部径 脚底径/基部径 脚底径/基部径 脚高 (cm) 脚高 (cm) 脚高 (cm) 脚高 (cm) 脚高 (cm)

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バラツキが生じないように配慮されていたことを物語るのではあるまいか。  横穴式石室内での祭祀・供献は、垂直と奥行き方向への広がりを持つ、薄暗い閉鎖空間の中で執 り行われる。この際に欠かせない須恵器は、横穴式石室内での使用実態に即した機能性等が要求さ れ、高杯等の器種ではデザインが改良されていく。つまり、旧来の木棺直葬系の主体部を持つ古墳 では、概して平面的な葬送の場での使用であったため、高杯は蓋杯に較べて少し高いだけの器高で 事足りていた。だが、横穴式石室内で葬送が行われるようになると、石室内に安置した棺の手前や、 玄門部・羨門部における供献で須恵器が用いられるようになる。つまり、須恵器を供え並べる場の 奥側と上方に空間的余裕が存在するため、その並べ方は平面的な要素に加えて、高さ方向の空間利 用を意識した配置が必要とされる。このため、高杯には従前よりも長めの脚が備えられるようにな る。また、横穴式石室の大形化が進むに従い、高い天井高の石室内で見栄え良く供献物を並べるこ とができるように、一層長脚化した高杯が必要とされるようになると同時に、その場所に高杯を用 いた供献が行われていることを視覚的に強調せんがために脚裾が大きく外へと開いた高杯が好まれ るようになったのであろう。 群 古墳名 杯部口径 杯部高 T高 T角度 脚高 脚径比 1 高井田山古墳 0.39 0.19 0.15 4.16 0.63 0.07 3 タキハラ5号墳 0.69 0.28 0.36 5.37 1.32 0.21 4 井ノ内稲荷塚古墳 0.20 0.00 0.15 2.75 1.20 0.14 物集女車塚古墳 0.05 0.08 0.05 1.50 0.00 0.52 三里古墳 1.03 0.43 0.19 4.56 1.64 0.17 タキハラ4号墳 0.44 0.30 0.19 8.67 0.94 0.05 藤ノ木古墳 0.56 0.25 0.19 5.53 1.80 0.22 平林古墳 0.44 0.27 0.12 3.86 1.54 0.37 一須賀WA14号墳 0.12 0.21 0.09 6.68 0.52 0.22 河内愛宕塚古墳(玄室) 0.66 0.29 0.15 6.09 1.32 0.44 牧野古墳 0.31 0.15 0.08 3.94 1.22 0.09 一須賀WA1号墳 0.32 0.20 0.08 3.44 0.43 0.13 1群 0.39 0.19 0.15 4.16 0.63 0.07 3群 0.69 0.28 0.36 5.37 1.32 0.21 4群 0.20 0.00 0.15 2.75 1.20 0.14 5群 0.52 0.27 0.16 5.06 1.10 0.24 6群 0.28 0.24 0.11 5.27 1.03 0.29 7群 0.43 0.22 0.10 4.49 0.99 0.22 5 6 7 平均値 表1 横穴式石室墳出土    杯身計測値の標準偏差 表2 横穴式石室墳出土    有蓋高杯計測値の標準偏差 群 古墳名 口径 器高 T高 T角度 1 七ノ坪古墳 1.30 0.33 0.12 1.69 寺口忍海D27号墳 0.34 0.25 0.09 3.79 塚穴4A号墳 0.57 0.46 0.13 3.27 市尾墓山古墳 0.97 0.21 0.22 4.31 一須賀B6号墳 0.22 0.16 0.05 2.07 平野大県17-1号墳 0.63 0.09 0.09 1.78 4 井ノ内稲荷塚古墳 0.47 0.28 0.26 5.72 海北塚古墳 0.17 0.17 0.08 6.62 物集女車塚古墳 0.20 0.10 0.15 4.00 三里古墳 0.45 0.39 0.15 5.27 小山2号墳 0.43 0.13 0.07 3.18 一須賀O5号墳 0.51 0.25 0.10 7.49 一須賀WA7号墳 0.56 0.24 0.11 8.31 一須賀WA22号墳 0.50 0.09 0.12 4.81 平林古墳 0.52 0.05 0.14 2.78 烏土塚古墳 0.17 0.09 0.09 8.00 寛弘寺75号墳 0.50 0.05 0.05 2.25 巨勢山421号墳 0.21 0.18 0.08 5.51 一須賀B3号墳 0.68 0.20 0.13 5.50 一須賀O4号墳 0.42 0.28 0.14 11.55 7 一須賀A9号墳 0.76 0.19 0.07 4.61 1群 1.30 0.33 0.12 1.69 2群 0.91 0.71 0.23 7.06 3群 0.60 0.15 0.12 2.72 4群 0.47 0.28 0.26 5.72 5群 0.40 0.20 0.11 5.67 6群 0.42 0.14 0.10 5.93 7群 0.76 0.19 0.07 4.61 2 3 5 6 平均値 群 古墳名 口径 器高 T高 T角度 1 七ノ坪古墳 1.30 0.33 0.12 1.69 寺口忍海D27号墳 0.34 0.25 0.09 3.79 塚穴4A号墳 0.57 0.46 0.13 3.27 市尾墓山古墳 0.97 0.21 0.22 4.31 一須賀B6号墳 0.22 0.16 0.05 2.07 平野大県17-1号墳 0.63 0.09 0.09 1.78 4 井ノ内稲荷塚古墳 0.47 0.28 0.26 5.72 海北塚古墳 0.17 0.17 0.08 6.62 物集女車塚古墳 0.20 0.10 0.15 4.00 三里古墳 0.45 0.39 0.15 5.27 小山2号墳 0.43 0.13 0.07 3.18 一須賀O5号墳 0.51 0.25 0.10 7.49 一須賀WA7号墳 0.56 0.24 0.11 8.31 一須賀WA22号墳 0.50 0.09 0.12 4.81 平林古墳 0.52 0.05 0.14 2.78 烏土塚古墳 0.17 0.09 0.09 8.00 寛弘寺75号墳 0.50 0.05 0.05 2.25 巨勢山421号墳 0.21 0.18 0.08 5.51 一須賀B3号墳 0.68 0.20 0.13 5.50 一須賀O4号墳 0.42 0.28 0.14 11.55 7 一須賀A9号墳 0.76 0.19 0.07 4.61 1群 1.30 0.33 0.12 1.69 2群 0.91 0.71 0.23 7.06 3群 0.60 0.15 0.12 2.72 4群 0.47 0.28 0.26 5.72 5群 0.40 0.20 0.11 5.67 6群 0.42 0.14 0.10 5.93 7群 0.76 0.19 0.07 4.61 2 3 5 6 平均値

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4.まとめ -同時期生産群と同時期消費群、相対比較の可能性-  横穴式石室墳から出土するそれぞれ同一時期に使用されたと思しき杯身では、生産地資料に観察 されるような退化的形態変遷を明確に認めることができなかった。むしろ、それぞれの古墳で前代 と同じような法量と形状のセットを揃えて、石室内での祭祀・供献に用いたような感すら受ける。 対して、横穴式石室墳から出土するそれぞれ同一時期に使用されたであろう有蓋高杯では、その形 状変化に着目すると、たちあがりの退化的変遷および脚部の進化的変遷が進んだことが確認できた。 これは、横穴式石室内での祭祀・供献において有蓋高杯の外観的特徴が重要であったことの証左で あろう。  太田宏明氏による畿内型横穴式石室の石室構造の変遷およびその構築技術の情報伝播に関する研 究で示されている「群」とは、石室の袖部と羨道側壁の構築技術を共有するデータの集合であり、 氏の論考では、古墳時代後期における畿内型石室構築に関する技術情報は、畿内中枢部では「連鎖 型」、畿内中枢部から畿内各地域へは「政治的一元供給型」で情報が伝達されたことが明らかにさ れている。古墳時代後期において、古墳造営者たちにとっての最大の関心事の一つが石室構築に係 る技術情報であったことは異論がなかろう。すなわち、その最新情報の保有度合いが、後期古墳編 年の時間尺となり得る可能性は極めて高いといえよう。  ところで、太田氏は、それぞれの群の古墳が造営された須恵器の型式併行期について概ね次の通 りに考えておられる。  ・畿内型石室 1 群:TK47 型式  ・畿内型石室 2 群:TK47 型式~ MT15 型式  ・畿内型石室 3 群:MT15 型式~ TK10 型式  ・畿内型石室 4 群:TK10 型式~ MT85 型式  ・畿内型石室 5 群:MT85 型式~ TK43 型式  ・畿内型石室 6 群:TK43 型式  ・畿内型石室 7 群:TK209 型式~飛鳥 I 式  ・畿内型石室 8 群:飛鳥 I 式~ II 式  ・畿内型石室 9 群:飛鳥 II 式  杯身の退化的変遷状況について、窯跡資料との対照を行えば、太田氏の想定しておられる型式併 行期よりも若干古い同時期生産群に含まれてしまう資料をもつ古墳が散見できる。これは、古墳で の祭祀・供献という使用の場では、蓋杯の厳密な容量等や細かな形状の差異については問題となら ず、むしろ器を並べた際の大まかな見栄えのほうが重視されたために、古墳の造営時期よりも 1 型 式程度古い蓋杯のセットが用いられることもあり得たのかもしれない   。  このように、窯跡における同時期生産群および古墳における同時期消費群の資料には、それぞれ 形態的な幅が存在し、それが重複する形で漸次変遷し、生産・消費が行われていったとみられる。 そして、その形態的な幅は、生産地と消費地では必ずしも一致するものではない。  従来、後期古墳の調査・研究を行うに際して、各古墳の相対時期を示す概念としても田辺編年の 須恵器型式区分が用いられてきた。その各型式が実際の時間幅を反映していると評価されてきたか 〔註 4〕

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らにほかならない。とはいえ、実際の運用に際しては、窯の標式資料や消費地遺跡等の類似資料か ら導き出した、各研究者ごとの「型式イメージ」をもとに、古墳から出土するわずかな須恵器を手 がかりに、型式併行期を推定しているのが実態である。相対時期区分概念として独り歩きした須恵 器型式期は、曖昧ながらもその時期幅のイメージを共有しやすいために非常に便利であった。また、 型式イメージの根本たる各型式の標式は、須恵器編年を理解し、それを共有する上において重要な 役割を果たしてきた。だが、実際における須恵器の形態変遷は、標式たり得る窯の操業期間を最小 単位とした一定の幅で漸次進行しているとしか実証できない。将来、良好な状態の焼成床面を複数 枚遺存した窯跡が検出されたり、非常に操業期間が短くてより一括性の高い灰原資料がみつかるか もしれない。しかしながら、いくつかの須恵器窯の調査に携わることができた者の私見をいえば、 生産遺跡で確認できる型式の細分化は、もうあまり望めないと思われる。  本稿では、横穴式石室墳で用いられた須恵器の良好な一括資料を、畿内型石室編年に基づいて分 類された群単位で同時期消費群と認め、その比較を試みたが、横穴式石室墳において葬送・祭祀・ 供献を行う古墳造営者の指示で、ある一定の目的意識をもって集められた須恵器の同時期消費群に は、その使用状況に関係が深い形態的特徴を持つ器種において、形態にある程度の同一性が存在す るであろうことが推察できたと思う。今後、後期古墳時代研究において、須恵器編年に代わる時間 尺として、主体部形態や副葬遺物組成の検討等から古墳の相対編年が確立・共有されれば、須恵器 の使用実態を反映した新しい消費地編年観が成り立つ余地があるかもしれない。そうして、窯跡の 同時期生産群の資料と古墳の同時期消費群の資料を相対比較し、実態的な須恵器の様式概念を共有 していくことが必要と考える次第である。  なお、本稿は、第 61 回古墳時代研究会 (2006 年 2 月 )・第 179 回ナベの会 (2006 年 8 月 )・龍 谷大学考古学談話会 (2006 年 12 月 )・第 188 回ナベの会 (2008 年 1 月 )・古代学研究会 2007 年 度3月例会 (2008 年 3 月 ) で発表した内容を基礎にしたものである。本稿を作成するにあたってご 指導を頂いた方々に、末筆ながら次に銘記して深謝の意を表します。(2008 年 1 月脱稿 ) ( 敬称略 ) 古墳時代研究会会員の方々、龍谷大学考古学談話会会員の方々、古代学研究会会員の方々、尼子奈 美枝、梅本康広、太田宏明、木許守、永井正浩、濱口芳郎、藤田和尊、森岡秀人、渡邊邦雄 1 以下の論考等で杯身の形態変遷に関する観察をおこなった。   拙稿 1998 「TK217 型式の類型化および他型式との相対評価 - 狭山池 1 号窯およびその近辺の窯跡資料の評         価 -」『狭山池』埋蔵文化財編、狭山池調査事務所   拙稿 1993 「ひつ池西窯 - 陶邑窯跡群の調査 -」『大阪狭山市文化財報告書』10 大阪狭山市教育委員会ほか 2 太田宏明氏の石室編年研究に関しては、下記の論考を参考とさせていただいた。   太田宏明 2003 「畿内型石室の変遷と伝播」『日本考古学』第 15 号 日本考古学協会   太田宏明 2003 「畿内地域における導入期の横穴式石室」『関西大学考古学研究室開設五拾周年記念考古学論       叢』 関西大学   太田宏明 2006 「古墳時代後期における物資と情報の分配 - 金銅装馬具の流通と畿内型石室構築技術の伝達       の検討を通して -」『日本考古学』第 22 号 日本考古学協会

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3 横穴式石室墳の検証作業に際しては、下記の文献をデータ検索に活用した。   横穴式石室研究会 2007『研究集会 近畿の横穴式石室』発表要旨集付録『近畿の横穴式石室資料集成』DVD 版   横穴式石室研究会 2007 『近畿の横穴式石室資料集成』web 版        ( 同研究会ウェブサイト http://www.skao.net/yokoana/ にて配信 ) 4 こうした古墳の例として、一須賀 B3 号墳がある。石室形態の分類で確認しきれない点があったため、本稿で   は取り上げなかったが、脱稿後に太田宏明氏から、やはり畿内型石室 6 群に分類すべき旨のご教示を頂いた。   氏は 6 群の時期として TK43 型式期を想定しつつ、この古墳の造営時期には TK10 型式期を想定しておられる。   杯身の法量・形状分布をみると、5 群もしくは 4 群の古墳資料と近しいものであり、やはり、須恵器は TK10    型式期もしくは MT85 型式期に生産された可能性が強い。とすると、1 ~ 2 型式分の時間差が発生しているも   のと解釈せざるを得ない。須恵器を時間尺に固定して考えると、畿内中枢部におけるこの須恵器型式期の主要   古墳は、3 群~ 5 群の畿内型石室を造営していたはずであるが、群集墳中の一古墳にすぎない一須賀 B3 号墳で   はそれに先行する形で最新である 6 群の畿内型石室を採用していたことになり、それ相応の特別な事由を考慮   しなければならない。そうではなく、畿内型石室 6 群の時期 ( 同時期生産群は TK43 型式 ) にこの古墳が造営さ   れ、石室内には 1 ~ 2 世代古式である TK10 型式あるいは MT85 型式の杯身が供献土器として持ち込まれたと   理解するほうが自然ではなかろうか。 参考文献 田辺昭三 1968 『陶邑古窯址群 I』 平安学園考古学クラブ研究論集第 10 号 田辺正三 1981 『須恵器大成』 角川書店 中村 浩 1978 「和泉陶邑窯出土遺物の時期編年」『陶邑 III』 大阪府文化財調査報告書第 30 輯 中村 浩 1991 『和泉陶邑窯の研究』 柏書房 中村 浩 2001 『和泉陶邑窯の歴史的研究』 株式会社芙蓉書房出版 中村 浩 2001 『和泉陶邑窯出土須恵器の型式編年』 株式会社芙蓉書房出版 白石耕治 1992 「第 IV 章第 2 節 須恵器の検討 谷山池地区の編年」『陶邑古窯址群 - 谷山池地区の調査 -』 和泉         丘陵内遺跡発掘調査報告書 IV 和泉市教育委員会 宮崎泰史他 2006 『年代のものさし - 陶邑の須恵器 -』 大阪府立近つ飛鳥博物館図録 40 坂  靖 1994 「二塚古墳の須恵器」『南藤井和田古墳群』奈良県文化財調査報告第 68 集 奈良県立橿原考古         学研究所 坂  靖 1994 「第 VIII 章第 1 節 出土須恵器の検討」『平林古墳』 當麻町埋蔵文化財調査報告第 3 集 當麻町         教育委員会 和泉市教育委員会 1992 『陶邑古窯址群 - 谷山池地区の調査 -』 和泉丘陵内遺跡発掘調査報告書 IV 大阪狭山市教育委員会 2004 「狭山池 5 号窯・狭山藩陣屋跡」『大阪狭山市文化財報告書』31 大阪市教育委員会・大阪市文化財協会 1988 『昭和 61 年度大阪市内埋蔵文化財包含地発掘調査報告書』 大阪大学稲荷塚古墳発掘調査団 2005 『井ノ内稲荷塚古墳の研究』 大阪大学文学研究科考古学研究報告第 3 冊 大阪府教育委員会 1962 『大阪府の文化財』 大阪府教育委員会 1969 『大阪府南河内郡河南町東山所在遺跡発掘調査概報』 大阪府教育委員会 1970 『大阪府南河内郡河南町東山弥生集落跡発掘調査概報』 大阪府教育委員会 1974 『一須賀古墳群発掘調査概要 1』 大阪府教育委員会 1976 『陶邑 I』 大阪府文化財調査報告書第 28 輯  大阪府教育委員会 1977 『陶邑 II』 大阪府文化財調査報告書第 29 輯  大阪府教育委員会 1978 『陶邑 III』 大阪府文化財調査報告書第 30 輯 大阪府教育委員会 1979 『陶邑 IV』 大阪府文化財調査報告書第 31 輯 大阪府教育委員会 1982 『陶邑 V』 大阪府文化財調査報告書第 33 輯 大阪府教育委員会 1984 『一須賀・葉室古墳群』 大阪府教育委員会 1991 『寛弘寺遺跡発掘調査概要 X』 大阪府教育委員会 1993 『一須賀古墳群 I 支群発掘調査概要』 大阪府教育委員会 1994 『泉州における遺跡の調査 1 陶邑 VIII』 大阪府文化財調査報告書第 46 輯 大阪府立近つ飛鳥博物館 2000 『一須賀古墳群 WA 支群』

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柏原市教育委員会 1996 『高井田山古墳』 柏原市教育委員会 1998 『平野・大県古墳群』 河上邦彦 2001 「大和巨勢谷権現堂古墳の測量調査と副葬品 ( 後期大型円墳の意義 )」『実証の地域史』 村川行         弘先生頌寿記念論集 同記念会 川端真治・金関恕 1955 「摂津豊川村南塚古墳調査概報」『史林』第 38 巻第 5 号 広陵町教育委員会 1987 『史跡牧野古墳』 広陵町文化財調査報告第 1 冊 御所市教育委員会 2002 『巨勢山古墳群 III』 御所市文化財調査報告書第 25 集 御所市教育委員会 2002 『巨勢山古墳群 IV- 巨勢山 74・75 号墳の調査 -』 御所市文化財調査報告書第 26 集 狭山池調査事務所 1998 『狭山池』埋蔵文化財編 新庄町教育委員会 1988 『寺口忍海古墳群』 新庄町文化財調査報告書第 1 冊 高槻市教育委員会 1993 『塚穴古墳群』 高取町教育委員会 1984 『市尾墓山古墳』 高取町文化財調査報告第 5 冊 高橋克壽・森下章司 1995 「III 鴨稲荷山古墳出土遺物の調査」『琵琶湖周辺の 6 世紀を探る』 京都大学文学部        考古学研究室 當麻町教育委員会 1994 『平林古墳』 當麻町埋蔵文化財調査報告第 3 集 中村 浩 1993 「大阪府茨木市海北塚古墳出土須恵器の再検討」『考古学雑誌』第 78 巻第 3 号 奈良県教育委員会 1960 「大三輪町穴師珠城山 2 号 ・3 号墳」『奈良県文化財調査報告』第 3 集 奈良県教育委員会 1972 『烏土塚古墳』 奈良県文化財報告第 27 集 奈良県立橿原考古学研究所 1975 『天理市石上 ・ 豊田古墳群 I』 奈良県文化財調査報告 20 集 奈良県立橿原考古学研究所 1981 『新沢千塚古墳群』 奈良県史跡名勝天然紀念物調査報告第 39 冊 奈良県立橿原考古学研究所 1977 『平群・三里古墳』奈良県史跡名勝天然記念物調査報告第 33 冊 奈良県立橿原考古学研究所 1990 『藤ノ木古墳第 1 次発掘調査報告書』 奈良県立橿原考古学研究所 1993 『藤ノ木古墳第 2・3 次発掘調査報告書』 奈良県立橿原考古学研究所 1998 「太田遺跡第 5 次発掘調査概報」『奈良県遺跡調査概報』1997 年度 日本古文化研究所 1937 『近畿地方古墳墓の調査 上野国総社二子山古墳の調査』4 濱田耕作・梅原末治 1923 『近江國高島郡水尾村の古墳』 京都帝國大學文學部考古學研究報告第 8 冊 向日市教育委員会 1988 『物集女車塚』 向日市埋蔵文化財調査報告書第 23 集 向日市教育委員会 1995 『物集女車塚古墳保全整備事業報告』 向日市埋蔵文化財調査報告書第 40 集 八尾市立歴史民俗資料館 1994 『河内愛宕塚古墳の研究』 横山浩一 1959 『世界考古学大系』第 3 巻日本 III 古墳時代 挿図の出典 図 1 大阪狭山市教育委員会 2004 「狭山池 5 号窯・狭山藩陣屋跡」『大阪狭山市文化財報告書』31、34 頁第    21 図 38 番の図面に加筆。 図 2 八尾市立歴史民俗資料館 1994 『河内愛宕塚古墳の研究』 37 頁第 14 図 57 番の図面に加筆。 (平成 20 年 2 月 4 日、受付)

図 14 畿内型石室4群の杯身たちあがり形状 たちあがり角度 (°′)たちあがり高(cm) 図 13 畿内型石室3群の杯身たちあがり形状 たちあがり角度 (°′)たちあがり高(cm) 図 12 畿内型石室1群・2群の杯身たちあがり形状 たちあがり角度 (°′)たちあがり高(cm)口径 (cm)器高(cm)図 10 畿内型石室7群の杯身法量 口径 (cm)器高(cm)図 9 畿内型石室6群の杯身法量 口径 (cm)器高(cm)図 11 横穴式石室墳 杯身法量の変遷 口径 (cm)器高(cm)図 7 畿内型石室

参照

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