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日本脳炎に湿て北 岡

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Academic year: 2022

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(1)

一一

島一

北陸騎學會第一回學術大野演説要旨

日本脳炎に湿て

北  岡 正 見(豫防衛生研究所)

 1917年ウィーンのEconomoによって始めて記載さ れた嗜眠性隅炎(後には流行性急炎と云はれた)に画 する輝やかしい業績は其後彊炎と呼ばれる一つの疾患 群の嚢見への導火線となったt今日知られてみる懸炎 の種類は激多い,之等は入の密画と動物のそれに大別 されるが,その匪別は明瞭ではない.而もH新月歩の 警學と共に新しい謄炎は相i宍いで見出され追加されつ つあるのである.之等の縢炎の地理的分布について・一 言すれば世界各地に棄て夫々冤疫雷雨に異った種類の 艦炎が見出されてみる.人の畷炎についてみれば欧洲 では,嗜眠性腰炎,米山に点てはセントルイス騰炎,

馬畷脊髄炎東部型鈍に西部型, ヴエネズラ馬面脊騰 炎,ソ連には春夏畷炎〔森林麟炎とも云はれ,北満の 森林地帯にも存在する.このものは更に東部型と西部 型に匿別され,西部型はLouping−illに等しいと云は れてるる),濠洲にはX病(このものは日本騰炎と等 しいものであらうと云ふ事は三田村を始めHammon,

Olitsky等によって云はれてるる)がある. この他 に研究が末完ではあるが,アフリカに於てWest Nile 株とBwamba fever株の爾病毒が人の血液から夫ft 分離された.之等の病毒は動物試験によって向融経性 である事が確かめられてみる.更にアフリカに於て自 然界から探集した蚊からSemliki森林病毒及びBun−

ya皿weraと呼ばれる2種類の向碑経性病毒が分離さ れてみる.又カリフォルニアに於て採集した自然蚊か らHammon病毒が,また南来に於てAn⑪pheles A,

Anopheles〕B,及びWアeomアiaの3病毒株が,更に ブラジルに於てIlh6US病毒が,夫々自然界から探集 した蚊から分離されてみる.この様に述べると膿炎の 分類もR第に複雑になって來たことになる.

 さて臼本騰炎は,軍に日本のみでなく,極東各地に 於て,亜熱帯から温帯に亘り限定して存在してみる病 氣である.帥ち北緯17−8。あたり認印の北部地域か ら,北緯40。附近,大愚本洲の北端,北海道,青森の 間にある津山海峡までを境とした地域,部ち佛印,中 國(塁轡及び満洲を含む),朝鮮,沖縄,目本本土に 圭として存在してみる病である.之等以外の地風例 えばジヤバ,フaリツピソ或は北海道,樺太3沿海洲 のやうな所にも本病の病毒が存在してみないわけでは ない。た黛患者叢生の頻度が遙かに低いだけである.

嘗て沿海洲に起つたソ連の秋春炎とは日本臓炎と等し い屯のである.この日本懸炎は嘗ては語性騰脊髄膜炎

(高野),夏季騰炎(:二木),B油団炎(金子)と繕せら れたものであるが,その病原盟は1933年春山面大の 林敢授の猿への陽性移植試験によって始めて分離され た.不幸にして林の分離した株は保存出來なかったた め冤二二的の研究迄につき進む事が出來なかった.日 本麟炎の本格的研究の始められたのは工935年各研究 者達が病原腿をVウスを用ひて分離してからである,

印ち目本贋炎の研究は極めて容易とな軌感染経路,

病理,流行病學,豫防及び治療,其他の分野に於て短 日月の間に飛躍的進歩を途げたのである.そして日本 謄炎は先に述べた各種の隅炎と異るものである事が明 かにされた,

 我國に於て夏季に好謹する艦淡部ち:B型謄炎,夏季 臓炎,叉は今の日本臆炎と呼ばれる疾患は既に昔から 存在してみたものと思はれる.文献に現れたのは明治 4年で,其後明治39年及び40年に東京で流行した所謂 吉原風叉大正元年岡山で流行し高野博士によって假 性騰脊髄膜炎,また桂田博士によって流行性急性脊髄

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前角炎の異型と記載されたものは今日の日本麟炎であ る事は臨床,流行病學及び病理解剤學的所見から明か である:

 元來流行性腰脊髄膜炎は夏季に流行する疾患ではな いに拘はらず,我國では大正8年頃まで一部の人kに よって夏季に流行するものと考えられてみた。流行性 畷脊髄膜炎が法定嬉染病として取扱はれるに至ったの は大正7年4月からであり,まだEconOmoの嗜眠性 藤炎の記載が大正6年で,大正8年頃より我國の學者 も騰炎と呼ばれる疾患に注目し始め,ここに於て從來.

流行性麟脊髄膜炎と混同されてるた目本章炎も猫立し た騒炎≧して駆動され始めるやうになったのである.

換言すれば大正8年以前には目本膿炎は夏季の流行性 艦脊髄膜炎として属出られた可能性が大きいのであ る。ここに問題となるのは日本にも嗜眠性騰炎がある か否かである.大正8年膿炎といふ新しい疾患が我國 の學者の間に知られ始めてから昭和3−4年頃迄の間 に冬の季節に観察された麟炎に關する報告が多敷あ る.その臨床的幾重は夏期の日本眼炎のそれと著しく 異るもので,例えば熱の有無も不明であり,あったと

しても播く,意識障碍も少く,眼瞼下垂,複食紅があ り,後遺症としてパルキソソニスムス〜が認められる.

何れかと云Economo型麟炎に近い症状が報告されてる る.この麟炎は金子によってA型畷炎,寒紅,高木に よって冬期畷炎と呼ばれたものである.ところが昭和 5年頃からも早やこの檬な麟炎に組する報告が見られ なくなった.

 他方に於て日本に於けるパーキンソン病の年別護生 流行を見ると目本に隔て大正8年頃から昭和7年頃に 障むEconomo言出炎が存在してみたが如き所見が認 められる(稻田進),之と同県な事は北米にも起つた.

師ち米國に鞭てもEcOn。mo型畷炎が存在すると双倉 されてるたのであるが,1926年齢來,も早やこの標な 華語が報告されなくなったのである.Olitskyは何故 にこのや弓なことが起つたかは一つの謎であると述べ てみる,餌て日本謄炎は夏以外の季節に於て,例えば       ア春,或は秋に於て若干の患者の護生する事は既に知ら れてみる.:又冬期(1月)}ご曾ても乳量に目本膿}炎病 毒の分離された患者に就て稀ではあるが三田村によっ て報告されてるる.たS 夏re以外の腰炎の診蜥は極め て箸置であって例えば東京或は大阪の如き大都會に於 て冬期の畷炎の遅出が比較的多いのに拘はらず,東大 病理敢室に於ける剖瞼断見は,悉くその誤診である

ことを指摘した.他方に於て日本騰炎病毒によって實 験的に猿をパルキソソニスムスに罹患せしめ得るの である.從ってパルキソソニスムスを起すものは悉く Economoの膿炎であるとの逆は成立しない.日本に 於て嘗て一過性にEc⑪nomo臓炎が存在したとの推定 が成立するには伺幾多の裏づけが必要であら5.少く とも現在の日本に於て,病毒が確かに分離されてみる 蝋炎は日本騰炎一種類である.

 定型的彊炎の場合は,その病氣の輕重を問はずその 豫後の分れるのは第5黒日である.部ち第5暇日以内 に於て問に事え,或は眼を開き水を呑んだりする患者 は多くは豫後が良好である.この臨床所見と年内の病 毒量を比較すれば麟内病毒量は第5寧日以後に於て著 しく減少する.從って病毒學的には第5病日を以て好 轄日と名づけうる.病毒は主として中櫃融経並に末年 瀞経に於て見出されるのであるが内臓諸臓器,淋巴 臨等に於ても微量ではあるが護明される,ロ腔或 は,糞便,尿の申に病毒の謹明される事は病毒の排泄 経路と見徹すべきであって感染門戸を意味するのでは ない.上述の定型的畷炎患者の外に不全型畷炎が存在 する.熱があっても低く意識障碍が極めて輕く脊胆液 の細胞数の増多を見てや5やく診断が附く。更に内臓 型麟炎とも云ふべきものが考えられる.騰炎病毒の感 染を蒙っても麟脊臆以外の臓器だけの感染に止ま筍の である.この内臓型騰炎については亜目あまり學者が 注意してみない檬であるが,この病状は極めて甘い魁 のと推察される.

 日本麟炎病毒の感染を蒙った者は悉く磯炎に護症す るのではない.病理解剖學亜に病毒髄内分布の成績か ら騰炎帰陣に到るまでに二相が認められる.都ち病毒 感染によって病毒が内臓で壇算し,病臥を起す内臓相 が先づ現はれ次いで病毒が最も親和性のある中福姉脛 で極度に鍾愛し降職を惹起し麟症状を現はす畷相が認 めらる.この砂潜機轄から容易に理解されるやうに,

時には内臓椙に止り,畷相に迄進展しない場合があ り,時には騰相に迄進展する.この隆昌に達する者は 極めて稀で麟炎病毒の感染を蒙ったものの内,令夢知

られてみる最大の流行の時でも1000人に1入の割合で ある.何故に1000人の内の1人のみが選ばれて良相に 達するかに就て,未だ完全な説明が興へられてるない が,その圭なる因子は個盟の冤疫と撒布される病毒の 強さである.何れにしても日本謄炎は一撰揮病であ

る.

[ 113 ]

(3)

 さて流行地に於ける住民の殆んど総てが日本縢炎病 毒の感染を蒙るであら5ことは,流行末期に於ける該 地方住民血清の日本滑滑病毒に封ずる申和抗饅が凡そ 9⑪%の陽性を示す事から明かである.残りの10%は恐 らくはワクチン注射によっても血清内に抗燈の現はれ ない者と推察される,この檬に解繹すれば,流行地に 於ける人は100%に病毒の感染を蒙るに拘らず多くは 不関性感染に止ったことになる。そして1⑪⑪⑪人の内の

1入のみが麟炎に罹患するのである.更に注目すべき 事は流行地に於ける馬,牛,豚,犬,山羊,緬羊,家 兎,モルモット,水牛,黄牛,猫狐,鳥(鶴)等にも 不個性感染が認められる鮎である.その讃篠には之ら の血清内には動物の種類,年齢によって程度の差こそ あれ,中和抗髄が謹明される.從ってこの不潜性感染 の概究を更に掌大すれば恐らくは地上のもの及び室中 を飛ぶものの搬んど総ての動物が,いやしくも蚊の襲 撃の封象となるものは悉く目本駅亭病毒の感染を蒙る ものと思はれる.そして吉際,人のみならず,馬に鞭 ても隅炎の自然感染のあることは既に城井によって謹 明されてみるt更に昭和23年草隷界の熱心な調査砺究 によって牛にも自然感染のあること,また豚は日本腸 炎病毒の感染によって流産を起すであら弓ことは豚胎 兜拶からの病毒分離によって立謹明された,

 麟炎の診断法は臨床的と血下構的に分けられる.臨 床として突如寒熱謄症を毒し2−3日で昏睡に陥るが その畷症脚ま多種多檬で刻潅墾化することが特徴であ る,小児に於ては血液にを少し混ずる粘液便が認めら れることもあるから疫痢との風構が肝要である。小児 縢炎患者の顔面は熱性患者で見られるや弓な赤味を呈 するが疫痢患者に於ては顔面蒼白で而もその経過が急 激である.臨床的診断の額縁となるのは脊髄液の所見 である.細胞の増加は認められ,多くは水標遙明であ る.殊に糖含有墨が畷膜炎のそれと異なり正常以上に 堀加してみることが特微である.血清畢的診断法とし て中和試験は或る特別の場合は診断的債値があるが,

流行地に於て幾度かの流行を耐過したものには不顯性 感染があるから,つまり所謂健康人にも中和抗燈が謹 明されるから診断的償値は少ないのみならず中和試瞼 はi爽ぎの補瞳結合明細と異なり日数を要するから實際 の診断には難しい。それに反し毒煙結合反懸は最近に 於ける感染を駆る良き診翫方法である.畷炎患者に於 て9⑪〜100%に陽性を示し,流行地に佳む非艦炎患者或 ほ所謂健康者の10〜2⑪%に陽性が認められる.この10

〜2⑪%の陽性は閃影結合反響が非特異的であるからで        ゴ

なく,之等の人々は病毒の感染を蒙ったが輕度な不全 型感染に止まったものと解すべきである。馬の場合で は一群の闇に駅馬が調印するとその多の多くのものは 補盟結合が陽性となり,一見健康の如く見へる馬の血 清の補盟結合反懸を行ふことによむ日本謄炎流行が起 ってるるか否かが推定出來る.この診断的債値の高い 野馳結合鞍懸の出現消侵を患者に就て追求すれば既に 5−7病日頃から陽性となり14−21病日に最高の慣に 達し50−7⑪軽罪も持潤し訳第に減退する.そして中和 献酬の如く永く持新しない.このやうな血清學的検索 も一材料の検査では誤りを來たすことがある。出來る だけ初期の材料と2−3週目,出懸れば2 一一 3月後の 血清に就て耳茸し,抗盟の上昇を確むべきでる謝.勿 論2−3週後に陰性となるやらな例もある.ワツセル 守ソ難解陽性再構が彊炎の抗原と陽性に出ると云はれ てるるが,そのやうな血清は正常マウス抗原に封して も陽性であり,畷炎の抗原とは關係はない.その理由 はHammonのペンジソ盧置抗原を用ひればこのやう な陽性反懸を示さないからである.

 目本騒炎患者に封ずる特異的療法として高度冤疫血 清を脊髄腔内或は筋肉に注射することは望みのある治 療法である(川喜田,≡1田村).問題は高債の冤疫血清 を作ることである.化學療法は未だ見出されてみな い.リケッチア病に有効であるパラアミノ安息香酸や ペニシリン等は日本騰炎病毒それ自身に馴し何等の作 用も認められない。但しペニシリンその他の抗生物質 を使用することは隅炎患者に於て屡々起る=訳的細菌 感染の豫防乃至治療の意味で使用しても宜しい.既に 述べたやうに第5病日 までに意識が恢復するや㍉多 量の食湖水や葡萄糖液を皮下に注射 したり,ビ穿ミソ 剤や榮県民を與へた蛎更に麟内の歴力を下げるため 高張葡萄糖や食盛水を翻脈内に注射したり,腰髄穿刺 を屡々行ひ,脊髄液を排除したむして危期を睨せしめ るや弓に努力する.

 日本麟炎の流行は津川殊に四温と密接な開原があ る.いま人ロ100萬人の中から毎日1入以上の患者が 謹生する朕況を流行と假定すれば,その流行の持績期 間は4−7週で多くは40日前後である。從って7月下 旬に流行が起〜しぼ9月下旬には流行は自然に消滅す る.流行は突如として現はれ突如として去るのが特徴 であるが,流行の始まる前(流行前帰期),或は流行が 終っても(流行後駆期)散獲例が認められる.一旦流

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(4)

行が始まると毎日の患者叢生激は急激に、壇如し(初 期),最高に聾する・(極期).匿いで患者獲生獲が衣第 に減少し比較的緩かに流行がやむ(末期)。贈爵は常に 流行の薗孚の方に偏し,その高さは流行の大さに比例 する.流行の山は1年を通し唯一つ認められるに過ぎ ない.この愚な流行曲線は短期蘭内に病原膣が動く撒 布される場合,例えば水道水撃への腸チフス菌混合後 の患者護生曲線に酷似してみる.流行は通常8月申旬 から9E中旬に亘って起るのが薔通であるが,時には 昭和23年の如く7月下旬乃至8月始めから始一まり9月 下旬に終燃する(早護性流行),逆にS月下旬から9 月に掛けて流行が起ることがある(晩護性流行〕.寒 具に或る時は早護性に或る時は晩嚢性に流行が起るか は主としてその年の氣象的要約に起るものと思はれ る.患者酸生数は人口と困睡李行ずるが,瀞戸市は例 外で著しく低い.本病が田園病と呼ばれる理由もここ にある,本病は交通,河川によって傷播されない.ま た職業,性,肚曾的地位には無帽係である.但し昭和 23年の東京の小児愚者に曾て男子は女子よりも多いの が目立つた.人から人へ傳1播した形跡が突きとめられ ない.誘因としで日射が叢生を促進するや弓な實験的 成績が騒げられた.更に興味あることは若し官民の冤 疫状態が李等であると假定した場合,氣象の推移と共 に,恰も櫻の開花が南から北へと北進するや5に丹心 流行叢生も北進するのである.昭和23年の如く關開申 國が寧ろ關東よりも彫れて流行が誕生したことは氣象 的証i異の他は關西,中國と關東との住民の免疫程度が 等しくなかったことが主因であらうと考へられる.岡 山に於ける過去の流行年と然らざる年との氣象學的調 査を行へば,一般には流行の始まる前の7月一8月に 亘り一定期間の雨の少ない暑い日が聴くのが逓則であ る(平均25〜28。C以上).之に反し束京に於て雨が 降って暑い年に流行が起ってるる.何故に岡山と東京 とに於て降雨の職で相反する所見を呈するのであらう か.恐らくは黒地秀の地勢の差異に基づく見掛上の相 反する現象が認められたのであら5.ここに一言すべ きことは流行平生に前騒し,暑い日の遅くことが必要 であるが,暑い日が奪いたからとて必ず流行が起るの ではない.また一旦流行が始まれば假へ雨が降り氣濃 が低下しても流行は一定期間持績するのである.よく 今年は前の流行から11年目或は113年目だから流行が起 ると云ふ入がみるが,離開の全國的大流行は10数年毎 に起るや弓である.しかし岡山のやうな恒當畿生地に

於ては1〜2〜3年毎に流行が認められ規則正しい週 期性は認められない.

 既に述べ:た各種難壁の殆んど絡ては米國の愚者殊に Hammo皿等によって昆轟媒介麟炎と呼ばれ,蚊或は ダニによって直播ざれる疾患である.そして1日本謄炎 も蚊によって傳播されることは既に三田村によって唱 へられて猛た。その簿嘉する蚊としてコガタアカイへ 蚊,アカイへ蚊が畢げられてるるが,一般家庭で見ら れるb一ゴーヤブ蚊,1ヒトスジシマ蚊,ヤ々トヤブ 蚊,オホグロヤブ蚊,シヂハマダラ蚊等屯實験的に傳1 播可能である.露国の蚊の有毒化の程度は飼育浬度に 支配され25。〜32。Cは好適温度である.20。Cでは 有毒化は弱く,8。Cでは有毒にはならない,勿論蚊の 有毒化は飼育濃度のみに支配されるのではなく,尚未 知の因子のあることを忘れてはならない.何れにして も騒炎流行期に於て自然界から蚊を探集し梅査すれば その流行の大さにしF行して日本旛炎毒毒保=有蚊が見出 されるのである.蚊以外の吸血昆鐡例へば衣颪或は南 京轟に就て傳胴裏験を行ったが何れも24時以内に匿内 から病毒が消失し再び病毒の増殖が認められない.家 蝿に討て實験を璽ねたが同襟の所見が得られた。つま り蚊以外の昆轟が病毒を傳催するとすればそれは全く 機械的なものであll )蚊の傳播と全く異ってみる.の みならず日本騰炎の流行病學的諸事項は,蚊以外の昆 轟による媒介では説明出來ない.蚊陣内では唾液腺 内で口本直炎病毒が増殖することが明かにされてみ

る。

 踏国士症は二大因子によって支配される.一一つは撒 布される病毒の彊さである.病毒の強さは主として外 界の温度によって支配される.夏期25。C以下の厨で は蚊の有毒化は弱く從って流行も起らないわけであ る.第2の重要な因子は個鰹の琵疫である.冤疫を論 ずるには組織冤疫と液態冤疫とを匪別して考察すべき であるが,組織冤疫を實際に測ることは不可能の揚馬 が多いから,ここでは砂胆冤液特に中和抗燈を獄象と して話を進めることにする.勿論中和歯髄は義挙の総 てであると断じたのではない.それにしても中和抗燈 の調質が農病阻止に特異的に作用してみることは加賀 縣柳蘭馬の年齢的差異(城井)及び岡山縣刊駁患 者家族の申和抗膣樵査(北山)の成績からも會得され る.更に撒布病毒と免疫の關係を過去に於ける流行特 に前年度の流行の程度と當年の暑さについて岡山縣下 に於て調査すれば暑い夏には患者亀多いがその霊年假

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へ暑くとも最早患者が出てみないのである.即ち畷炎 護症は病毒と冤疫のかね合によって定るのである.そ の他の因子として年齢が墨げられる.昭和8年頃まで は藩閥騰炎は老入病と考へられてるたが昭莉10年以來 小児と老人が比較的罹患しやすいことが明かにされ,

特に昭和23年には小兇が多かった.老入の罹り易いこ とは発疫のみでは説明出來ないが,小児は一般に低い 冤疫にあることもその一因であら5.老入,小兇が罹 b易いことから性ホルモンがこれに關写するのではな いかと考へ研究を進めたが動物實験では陽性の威績が 得られなかった.イソシュリy,その他植物紳経毒

(アトロピン,ピロカルピソeアドレナリン),ビタミ ンBl:B2等は嚢症に影響を興へたとは解されなかっ

た。

 豫防には感i染経路の方向と個盟の千千賦興の面から

考察される.感染経路の面では蚊の撲滅が根本的謝策:

であるが,これは排水その他の土木工事やD・D・Tの 撒布が畢げられる.しかし蚊を完至に撲滅することは 容易のことではない.清極的ではあるがワクチンが用

        あ

ひられる.ワクチンには罹患マウス騒から作ったマウ ス縢型ワクチンと鰐化期卵内に病毒を培養し全一を用 ひられた鶏胎兇型ワクチンが一般に用ひられてるる。

ワクチン1・Gccを皮下或は0・lccを皮内に1週間 間隔で2回注射すれば最後の注射から既に1週後に中 和抗盟或は締盟結合抗髄が謹明される.本ワクチンを 馬に用ひれば病毒を畷内に接種しても焉は罹患を隔れ ることが立謹されてるる(城井).因みに昭和23年農林 省は全暉暉に本ワクチンを馬に用ひ,そその有効であ ることを統計學的に立謹した.

隣攣

誌る,

紗ゆ魏元

璽,

籔N

胎欝_天、躍噸ン1一ワ

本罫ま胎盤二分が三智なる血液賦活無用を有するととに碧目創製された晶晶約製品にして、買なる ホルモン灘こ弗ず、其の露範園且つ適確なる効力は多鞍階家のひとしく認むる威にtて、從來のビ タミン・ホルモン療法に一新紀元を劃するに縁る。第十回日本血液學曾に於て、名大数珠、勝沼精 藏虚血は「悪性貧血と胎盤」と題し講演せられ本品の卓越せる効力を立謬された。

震適癒症}

   疲勢恢復  弼力な催乳  出藍婦のヤツレ防[丘    兜垂無痛  200×10    控概能の増強  醗育促廻  悪  佐  貧 血     皮下注射  2eeX 5●

      販 喪 元

= ● 株式會肚中村瀧商店   薗愚 東東u本荘木町三ノ五

    製 潰 元

興腋二業株式曹甦

名古屋市中匿宮町一ノ五

女下 戸呈

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