敦 隍禅 宗資料 分 類 目録 初 稿 (田 中 )
敦 煌
禅
宗
資
料
分
類
目
録
初稿
II
禅
法
・修 道 論
〔
2
〕田
中 良
昭
6
修
行 最上大 乗 法 (擬 )S
.2973
S
.6958
P
.2104
{移 録 〕 田 中良 昭 厂r
南天竺 国 菩提達摩 禅師観門』 とr
修 行 最上 大乗法 』 (擬 )」 〔『駒沢大 学 仏 教 学 部研 究 紀 要』23pp
.128 −129
〕1965
. 〔論 文 〕 田 中良 昭r
南天 竺 国菩提達摩 禅師観門』 と 『修 行最上大乗法』 (擬i
) 〔r
駒沢 大学 仏教 学部 研 究 紀 要』23
〕1965 . 〔略 記 〕r
修 行 最上 大 乗 法』 とい う擬題 は, 本書の 最初 が 「夫 欲 修 行 最上 大乗法 者」 ( は 「夫欲 修
行
最上乗者」 で あ る。)で始 ま ると こ ろ か ら与えら れ た もの で あ る。 こ の 「最 上 大乗」 乃 至は 「最 上 乗」 の 呼称 は, 「小
乗」 を超え る 「大乗」 , 「大 乗」 を 超え る 「
最
上 大乗」乃 至 は 「最上乗」 とい う価値 批 判 的な用 語 であ っ て , 中 国仏教 に お け る歴史 的課 題を担 っ た重 要な意 味を持つ 。 特 に初 期の 禅 宗 文 献に あ っ て は, 五祖 弘 忍の 『修 心 要論』 が 『最上乗 論』, 六 祖慧 能 の 『壇経』 が 『南 宗 頓教 最上 大乗 摩訶般 若 波羅蜜経六祖恵能大 師於
韶
州 大 梵 寺施 法 壇経』, 浄衆宗 の 燈 史 であ る 『歴 代 法寶記 』が 『最上 乗頓 悟 法門』 とい う よ うに , 大乗中の 最上
大乗 と して 達 摩禅 の 位置づ けが 主張 さ れ たが, その 後 更に密 教 の 伝 来に
及 ん で , こ の 新来の 密 教 に 対 す る名称 と して 用 い られ る よ うにな っ た。 本 書 の 内容とす ると こ ろ は, 安心 出定後 真言 を 誦 しつ つ 観 想 観 念 を続 け, 遂に は 自身が観 世 音菩 薩そ の もの と な っ て 衆生悉 くを成 仏せ しめ る
こ とを説 く密 教の 儀 軌 で あ り, 狭 義には禅
宗
文 献 とは い え ない 。 し か し で は, 禅 宗文 献 の 『南 天 竺 国菩提 達 摩 禅 師 観 門』 の 末 尾に付せ られ た 「大 声 念 仏 十 種 功 徳」 の 第 3 以下 第 10 の 厂往生 浄土 」 ま で を 取 り去 り,そ れ に代え て
第
3 の 内容 と して本
書を将ち来
っ て い る こ と か らすれ ば, 明 ら かに禅 宗 文 献 が 密 教的に 改変 された と み るべ きで ある。敦 煌 禅 宗 資 料 分 類 目録 初 稿 (田 中) (
31
)更に は, 鈴 木 大 拙 氏が 『禅 思想史研 究』第
2
の 第7
篇 に, 「敦 煌 出 土本中, 禅 に 関 す る文献七 種 につ きて 」 と題 し て紹 介 された第 4 のr
禅 門 秘 要 決招覺大 師一宿 覺』 の 原 本 で あ る
P
.2104
(尚 こ れ と密 接な 関 係の あ る もの に P .2105 が あ り, そ の 写 真は昭和 47 年渡 欧 の 際 撮 影 を 依 頼し, 既 に 将 来済で ある。 )の 末 尾 に あ る タ ラ ニ 集の 最後 に 存 在す る もの で , こ の 一本 も永 嘉の 『證 道 歌』 や 三 祖僧 環の 『信心 銘 』 をは じ め とする禅 宗 文 献との 連写 で あ っ て , 禅 宗と密 教との 密 接な 関 係 を 示 す資 料で ある。こ の 意味 か らすれ ば, 本 書 は禅 と密教 との 交渉, 更に は 「大 乗」 と し て の
禅
と念 仏 を超え た 「最
上 大 乗」 と し て の密教
の 立場
を挙 揚 し よ うと した貴 重な資
料とみ るべ きで あ る。 尚, の 裏 (実 際は表 )に開宝3
年 (970
)8
月, に太平 興 国5
年(980
)5
月18
日の 日付が あ り, 共 に 宋 初に書写 さ れ た こ と が窺 わ れ る。7
證心論 〔澄心 論〕
S
.2669
S
.3558
S
.4064
P
.3434P
.3777
裳75
竜 谷 大 学所蔵 122r 観 門 法大 乗 法 論』本〔
移
録〕
鈴 木 貞太郎 (大拙 )『燉 煌 出土少室逸
書
』 影 印pp
.35
−361935
.鈴 木 貞太 郎 (大 拙 )『少室 逸書 及解 説』
pp
,52
−541936
.鈴木 大 拙 『禅 思想史研 究 』 第
2pp
.469
−4701951
.一 尚 これ は後に,
r
鈴木 大 拙 全集』巻 2pp
.443
−4441968
.と して 改訂 出 版。〔
論 文 〕 鈴 木 貞太郎 (大拙 )「證心論」及 び添 附の 五 行文 に つ い て 〔r
少 室 逸書 及 解 説』 pp .48 − 49〕1936 . 鈴 木大拙無心論及 観 門及倫 敦 本
S
.2669
号長巻子 〔r
禅 思想 史 研 究』第2
pp
.213 − 220 〕1951 .一 尚こ れは後に,r
鈴木 大 拙 全 集』 巻 2pp
.209
−2161968
,と して 改訂出版。 関 口 慈 光 (真大 )「證心 論 」 の 撰 者 に つ い て の 疑義 〔『宗教 研 究』 131〕1952 . 関 口慈 光 (真 大 ) 「證心 論 」(燉煌出 土 )に つ い て 〔
r
印度学仏教 学 研 究 』1
−2〕
1953 . 関 口慈 光 (真 大 ) 「證心論」(燉 煌 出土)の 撰 者に つ い て 〔r
印度 学 仏 教 学 研 究』2
−1
〕1953
. 関 口真大 燉煌 出土 「證 心 論」 は 天 台 大 師 の 撰述た る を論 ず〔
r
台門学報』1
〕 1956 . 関 口真大燉 煌出 土 「證心 論」 は天 台 大 師 の 撰 述た る を論ず (二 )
〔
r
台門 学(32) 敦 煌 禅 宗 資 料分 類 目録 初 稿 (田 中) 幸侵』
2
〕1957
. 関 口真 大「證心論」 と 天 台止 観 法 門 〔『達 摩 大 師の 研 究 』
pp
.246
−294
〕1957
. 〔略記 〕 本書は古 く 1934 年に, 禿 氏祐祥 氏が 竜 谷大 学図書 館所蔵 の 敦 煌 出 土長 策子 本r
西 天 竺 国 沙 門 菩 提 達摩 禅師観門 法 大 乗 法 論』を紹 介 さ れ た (「少 室六門集に就い て 」 〔r
竜 谷 学報』309
〕1934 .)際に , そ の 中 に 含 ま れ る4
種 の 文 献 中の 第2
に 『證心 論』 す なわ ち の ある こ とを報 告 され て 以来, その 存 在が知 られ る よ うに な っ た もの で ある。 た だ禿 氏氏 は , 僅か に そ の 名 を挙げた の みで , そ の 内 容 につ い て は何 ら触 れ られ なか っ た 。 と こ ろ が 同 じ1934
年 夏に, 北 京の 北 平 図 書 館で 敦 煌 出土文 献 の 調 査 に当 ら れた鈴 木 大 拙 氏が, そ の 中に の 北 京 本 裳75
を 発 見 され, 1935 年影 印 本r
燉 煌 出土少 室逸 書』で 紹介 さ れ る と 共 に, そ れ を解 説 し たr
少室逸 書 解 説』 で 本 文の 校 定と若干 の 解 説 を発 表 さ れ た こ と に よっ て . そ の 内容が知 ら れ る よ うに な っ た もの で ある。 そ の 中で 鈴 木 氏は本 書につ い て , 「元来禅 宗の 大 意 を述べ た もの で , 慧能, 神会 な どの 南宗 派 の 所産で あ ると 信 ず る。」 と述べ られ て い る。 更 に鈴 木 氏 は, そ の 翌 年の 1936 年, 今 度 は ロ ン ドン の 大 英 博 物 館で .
ス タ ィ ン 将
来
の 敦煌
文 献 を 調 査 され , そ の 際 に の S .2669 , のS
.3558
, のS
.4064
の3
種 に, い ず れ も五 相 弘 忍 の 『修心要 論』 に 先立 っ て 本 書が書写 され て い るこ と を 発 見 され, これ ら 3 本 を を 底本と し て を校 合 し,1951
年 『禅思想史 研 究 』第2
に発 表 さ れ た。 特に そ の解
説で は, ロ ン ドン の3
本がい ずれ も 『證心論』 とな っ て お り, それ ら が竜谷 本 , 北 京 本 よ り も秀れ て い る こ とを 述 べ , 本 書の 内 容 に つ い て は. 達 摩 系思想の 本 流に掉 さす もの で ある が, 慧 能以前と鑑定して よ か ろ う, とい う推 論を さ れ て い る。 す なわ ち鈴木氏は, 先 に は慧能, 神 会の 南 宗 系, そ して 今回 は慧 能以前の 達 摩 系思想の 本 流に掉 す もの とい う推 定を さ れ た の で ある。 た だ鈴 木 氏が , 「篇末 に 『謹上 聖王 』 とあ る か ら に は 作者 は誰 か そ の 時 の 地 方の 統 治 者 に こ れ を 奉 呈 し た もの で あ る。」 と 述 べ ら れ た こ と は, 次の 関 口氏 の 論 考 と 関 連 して くる重要な 点 で あ る。 こ の 鈴 木 氏の 説 に対 して , そ の 撰 者 につ い て の 疑 義 を 抱 き, そ れ を 問題に され たの が闢 口真大氏 で ある。 関 口氏 は 鈴木 氏の 著 書が 出版され た
翌
年
の1952
年か ら1953 年
に か けて,3
種の論
文に その 撰 者 につ い て の 疑 義 を呈 され, そ れ か ら3
年 後の 1956 年か ら 1957 年にか け て , 2 回 に わ た り本 書が 天 台 大 師 智 顕の 撰 述で ある こ との 論 証 を発表 さ れ た。 そ して それ ら を総 合 し
集約
され たの が, 1957年
公 刊の 『達 摩 大 師の 研 究』 に 収録され たrr
證心 論』(燉煌 出土 )と天台止観 法 門」 で ある。 関 口氏 の敦煌禅宗資料 分 類 日録 初 稿 (田 中) (
33
) 立論
の 根 拠 と さ れ た もの は, 永明 延寿の 『宗 鏡 録』巻100
に引 用 され た 「智考 大 師 與 陳 宣 帝書」 が , ま さ し く燬 煌出 土 『證心 論』 に外 な らない とす る点 で , その 他 種々 の 面 か ら天台止観 法 門 と初期禅 宗 との 関 係に つ い て 論述 され て い る。 こ うし て , 関 口氏 に よっ て本 書 が天 台 大 師 智 顎 の 撰 述 であ る こ と が主 張 さ れ, こ の 説 が今 日 ほ ぼ定説 化 す る に 至 っ て い る。 し か も本 書が, 常 に 五 祖弘忍の 『修 心要論』 と結 合 し た 型 で 書写 さ れ て い る こ と は , 初 期 禅 宗 と 天 台止観 法 門 との 交渉 を示す 資料 と して 貴 重 な もの と み るべ きで あろ う。尚写本 は , 上 記 の 他に ペ リ オ本 に も の P .
3434
, のP
.3777
の2
種 の 存 在が 知 られ る よ うに な り, は 王 重 民 氏 と藤 枝 晃 氏 に よ っ て , は井 ノ ロ泰淳氏 に よ っ て そ れ ぞれ撮
影 将来
さ れ て い る。 両者は共 に禅 宗 文 献 との 連 写 で あ り, は首部 を 欠い て い る ため に標 題は不 明で ある が, は 「澄心 論」 と なっ て お り, い ずれ もその 後 に 『修心要 論』 を伴っ て い る こ と は, 他 の 写 本 と ま っ た く同一 で あ る。8
請二 和 上答 禅 策十
道
S
,4113 〔略記 〕 本書は 未だ 学会 に未 発 表 の 禅宗 文献 で あ り, 近 い 将 来紹介を 予定して い る もの で ある。 その 標 題か ら も
窺
わ れ る よ うに,2
人の 和上 を 請 じ, 禅の 要 諦 に関す る10
種の 道理 に つ い て 第1
問か ら第 10 問 まで の 問を出 し, そ れ に 答 え させ た とい う問答 形 式 を と り, こ の ユo
問 答が 2 度 繰 り 返 さ れ て 全体で は 20 問 答に な っ て い る。 こ の2
人 の 和上 の 名は, 空 と 自で あ る が , 恐 ら く仮 空の 人物 と考え られ る。 最 初の
10
間 中に は, 第 1 問の 『禅経』, 第3
問 の 『般 若 経』(原 文 は 『般 経』), 第5
問の 『華 巌経』 (原 文 は 『花 巌 経』), 第6
問 のr
菩薩 戒経』 2 回 (原文 は 『菩 薩 戒』 と 『経』), 第 8 問 の 『経』 (経 名 は不
明) とい う よ うに, 経 典 中の 語 句 につ い ての 問が
多
く, 後 の10
問は,経
典
の 引用 は な く, 禅そ の もの に 関する問
答で あ る。 特に後 半 に は, 修禅と解脱, 言 と黙, 心 と境, 浄 と染, 無相 と有相,看心 と
無
心 , 方 便 と 真実, 定と恵 等 をテ ーマ に して , 禅の 要諦が説 示 さ れ て お り, 初期の 禅 思 想 を 示 す資料 と し て 重 視すべ き もの と 考 え られ る。9
先 徳 集 於 雙 峰 山塔 各談 玄理 + 二 P .3559
(移 録 〕 柳 田聖 山 「傳 法 寶紀 と その 作 者一 ペ リ オ3559
號 文 書 をめ ぐ る 北(
34
) 敦煌禅 宗資料 分類 目 録 初 稿 (田 中 )宗 禅研 究
資料
の 札 記 ・その 1− 」〔
『禅 学 研究』53p
.55
〕1963
. 柳 田 聖 山 『初 期禅 宗史 書の 研 究』 図 版 15B1967
.〔
論文〕
柳 田聖 山 傳 法 寶 紀 と そ の 作 者一 ペ リ オ3559
號文 書 をめ ぐる北宗 禅 研 究 資料の 札 記, その
1
− 〔r
禅 学 研 究』53〕
1963 . 〔略 記 〕P
.3559
の 全 体 に つ い て は, 先に伝 燈 ・嗣 承 論の 3,r
傳法費 紀』 の 略 記 に おい て 関 説し たの で , そ れ を 参照 され た い が, こ の P .3559
の出現は, 単に 中国 禅 宗に お け る最 初の 燈史で あ る北 宗系 の
r
傳 法寶 紀」を完 帙に し た の み な らず, 更に北宗 禅 に関す る多 くの
新 資
料 を 学 会に提 供 し た 点 で特 筆すべ き もの で ある 。本 書 も, そ の
P
.3559
の 『傳法費 紀』 に続い て書写 され た もの で ,12
人 の 先徳 が雙 峰 山の 塔に集 っ て, 各 々 玄 理 を 談 じ た とい うの が標 題の 意昧 す る と こ ろで ある が, 勿論 こ れ は 歴史的事 実を 伝 え た もの で は な い 。標題の 最 後 に細字で 「十二 」 とあ るの は, 集っ た先徳 の 数 が十二 人 とい
うこ とで , そ の 十二 人 と は脇 比 丘, 馬鳴菩薩, 超禅師, 仏 陀禅 師, 可
尊
者, 旻 上 人, 敏師, 能
禅
師, 顕禅師, 道 師, 蔵 禅師, 秀禅 師で あ り, こ の 十二 人 の 名前 の 右 肩 に はす べ て △ 印 が 付 され て お り, 本書が こ の 十二 人 の 語 を 集 めた もの で ある こ とを 示 し て い る。 そ して 最 後 に, 「鯛 禅 師 意」 とあ るの は, その 名前に △ 印もな く, 次 に書写 さ れ た大 乗 安心 入道 法に 関す る問 答の 標 題で は ない か, と考え られ る。 こ れ ら先徳の 言 は, い ずれ もご く短 かい もの で ある が , そ こ に は脇 や馬 嶋等の 西 天の 祖 師 をは じ め , 仏 陀や 法敏の 如 き達 摩 系以外 の 禅師 を も
含み, し か も能 禅 師 と秀 禅 師の 言 を併記 して い る点 は, 南 北二 宗 の 対立
意識が, 未 だ明 瞭 にな る 以 前の もの で はない か を窺わ しめ る点 で 重要で ある。
周 知の 通 り雙峰 山は, 四祖道 信, 五祖弘 忍の い わゆ る東山法 門の 中心
地で あ り, こ の 門か ら出た 人々 に お い て 中国禅 の 発 展 する基礎が確 立 さ
れ た の で ある。 従 っ て, 本 書は, 東山法門 の 流れ を 汲 む 人 々 に よっ て,
東 山の 果し た 歴 史 的 役 割を顕 彰 す る た めに, そ の 法門の 淵源を西天 の 祖
師に求め て創 り出され た語 録 集とみ ら れ, し か も祖 師 自身の 言葉で ない もの が多い と考え られ る。
10
大 爲 警 策 彦 和 尚集P
.4638
〔
論文
〕 田中 良 昭彦 和 尚集と され る敦 煌 本 『大 潟 警策』 につ い て
〔
r
印度 学 仏 教学
敦 煌 禅 宗 資 料 分 類目録 初 稿 (田 中 ) (
35
) 研 究』22
−2
〕1974
.〔
略 記 〕 本 書は , 従 来 一 般に 『濾 山警 策』 の 名に よ っ て 知 ら れ , 特に宋 代に曹 洞 宗の 守 遂が ,
r
四十二 章 経』 『佛
遺教経』r
潟山警 策』 の 三 本 を 一 本と して 「佛 祖三経』 と呼ぴ, こ れ に注 を施 し て 以来, 禅 宗に お ける最 も
重要 な 仏 経祖録 と して 重ん じられ, 我 国 で もこれ に 注釈 を 加 え, 講 義 を
な し た もの が か な りの 数 にの ぼ っ て い る。
r
新 纂 禅 籍 目 録』 に よ れ ば,『濾山 警策』 は 『濾山大圓禅 師 警 策』 とい う題 名で,12 世 紀後半 頃大 日
能忍 に よ っ て 刊 行 され た こ と が 知ら れ, また 『
佛祖
三経』 に つ い て は,守 遂に よ る 『佛祖三 経註』 が , 門人 の 史 徳賢 に よっ て 開版 さ れ る に際し
て 付さ れ た張 銖 の 序に, 「紹興 十二 年」 (1139 )の 日付が あ る が , い ずれ
に し て も, 12 世紀以前の もの は, その 存 在が知 られて い なか っ たの であ る。
とこ ろで 今 回発見 され た敦
煌
出土 の 写本 は, その 紙 背 (実 際は表 )の 献 物 牒に , 敦煌 の 帰 義 軍時 代 (
846
−1036
?) に当 る五 代 後 唐 の 清 泰 年問 (
934
−936
)の 紀 年が ,3
回 に わ た っ て 存在す るか ら して , その 書写年代は 遅 くと も
980
年 頃 と み ら れ , 敦煌文 献で は他 に異 本 もな く, 現 存 最古の 写本 とし て , そ の 古型を伝え る貴重 な もの で ある。
そ の 標 題 の 『大 濾警 策』 の 下 に は, 「彦和尚集」 と あ り, こ の 彦 和 尚
は 『景 徳 傳 燈
録
』 巻 11 に,濾
山 霊祐の 法 嗣 43 人 中10
人見 録 の 附 見 として 名の み挙げ る もの の 中に, 「潟山 彦禅師」 と ある人 を指す と み ら れ ,
こ の 彦
禅
師が, 師の説
示 され た学
道 者の 警 策 文 を編 集して 一 巻と な し た の が 本 書 で あ ろ うと考 え られ る。写 木 は こ の 『大 潟 警 策』 に続い て , 同一人の 手に よ り 『隋 朝三祖 信心
銘』 (原 文は 『信心信 銘』
)
が書写 され, こ れ は流 布 本 『信心 銘』 の 最古の 写本 と さ れ る もの で あ る が ,
r
大潟
警 策』r
信心 銘』共 に , 今 日の 流 布本 と対比 す る と, 誤 字 脱 字が極 めて 多 く, 内 容 的 に は決 して よい 写 本と
はい え ない 。 た だ馬 祖 以 後, 陸 続 と して 成立す る
祖
師の語
録が, 敦煌
文献 に は ま っ た く影 をひ そ めて し ま う中に あ っ て , 本 書の 出 現した こ とは
特
筆 に 価す るとい っ て よい で あ ろ う。11
大 乗開 心 顕 性 頓 悟真 宗 論 〔大乗 開心 顕 解脱論 〕
S
.4286
P
.2162
〔移 録 〕r
大正 新 脩 大蔵 経』 巻85
古 逸 部pp
.1278a − 1281c 1932 .一 金 九 経 『薑園叢書』奉天 1934 .一 錚饒 宗 頤 「神会 門 下摩 訶 衍 之入蔵 兼 論 禅 門 南北 宗 之 問題」
〔
r
香 港大学五
十
週年
記念論
文集
』 1 図版〕1964
.(
36
) 敦 煌 禅 宗 資 料 分 類 目録 初稿 (田 中) 『鈴 木 大 拙 全 集』 巻3
pp .318
−3301968
.〔
論 文 〕 矢 吹 慶 輝 敦煌出土 支 那 古 禅 史並 に古 禅籍 関 係文 献 に就い て 〔r
鳴 沙餘 韻 解 説』第2
部 pp .538 − 540 〕1933 . 柳田聖 山 禅 門 経に つ い て 〔r
塚本 博士頌 寿 記念仏 教史 学論集』 pp .869
−882
〕1961
. 饒 宗 頤神 会門下 摩 訶
衍
之 入蔵 兼 論 禅 門 南 北 宗 之調和 〔r
香港 大 学五 十 週年 記念 論文集』 1
〕
1964 . 田中良 昭北
宗禅
研究 序説
一 『大 乗開
心 顕性
頓 悟真
宗論』 の 北 宗 撰 述 につ いて 一 〔
r
駒沢大 学 仏教 学 部研究 紀 要』 25〕1967
. 〔略 記 〕 本 書は矢 吹 慶 輝 氏の 将 来 された 写真
に基 き, 1932年
『大正新脩
大蔵経 』巻 85 の 古 逸 部に, ペ リ オ 本の が収 録 さ れ て 以来, そ の 存 在 が 知
られ る よ うにな っ た全 巻
70
数番の 問 答か らなる唐 代の 文 献 で あ る。 標題の 下 に は 「沙 門 大 照居士慧 光 集 釈」 とあ り, 一方 尾 題 の 方 は 『大 乗 開
心顕 解 脱 論』 と な っ て い る。 矢 吹 氏は
1933
年 刊 行の 『鳴 沙 餘 韻 解 説』にお い て, 本 書をそ の 序 文に よっ て , 先 に 嵩岳 慧安, 後 に荷沢 神会に事
え た大照
禅
師 と, 俗 姓を李,名
を恵光 とい う居士 との 問 答で ある と し, そ の 内 容 を 「唐代南 禅 の 一流」 とい う よ うに, 南 宗 系の 資 料 と し て位 置 づ け られ た の で ある。 次 い で そ の 翌 1934 年に は , 奉天 の 金 九 経氏が 同 じ くペ リ オ 本 の と それ を収 録 し た 『大正新 脩 大蔵経』本 す な わ ち とを対 校 し,r
薑 園 叢書』
3
巻 中の 1 巻と し て安心寺 本 『達
摩 大 師 観心 論』 と合 刻で 出版
され た。 こ うして 先 ず 資 料 紹 介が な さ れ た の で ある が, そ れ か ら5
年 後の 1939年に 至 っ て,宇井 伯寿 氏が その 著 『禅 宗史 研 究 』の 第 5 「荷 沢 宗 の 盛衰 」
に, 本 書に 名 を 出 す 沙 門 大 照 を神 会の 弟子 と して 挙げ られ, ま た鈴 木 大
拙 氏 の 遺 稿 と な っ た 『禅思想史 研 究 』 第 3 は,
1968
年 『鈴 木 大 拙 全 集』 巻3
と して 初めて 世に 出さ れ た もの で あ るが, 既に 昭 和20
年す な わ ち1945
年 頃に そ の 稿が成 っ てい た とい う第1
篇の 「慧 能示 寂 直 後 の 禅 思想」 に おい て は, 南 宗研 究の材 料と して 10 種を挙げる
最
後に 本書
を挙 げ られ たの で ある。 こ の よ うに, 矢 吹氏 に始 ま り宇井氏 鈴 木 氏 を 通 じて ,本 書は 一 貫して 南
宗
系の 資料 とみ ら れて き た の で あ り, そ れ が通 説 となっ て い たの で ある。 そ れ は弘 忍 下 の 南 宗 慧 能と北 宗 神秀の 禅風 を, 南 頓
北 漸の 対 立とい うパ タ ー ン で把え, 従 っ て 頓 悟を主 張 す る本 書は当 然 南
宗禅 に属す る もの とい う立場か ら な さ れ た 主張 とみて よ い で あ ろ う。
と こ ろ が , 1960 年代 に入 ると, こ の 南 頓北漸 は新た な段 階 を 迎え る。
敦 煌 禅 宗 資 料 分 類 目 録 初 稿 (田 中 ) (37) そ の きっ か け と な っ たの は, 『禅門経』 と 『頓悟 大 乗正理 決』 が 敦 鰉 か ら出 現 し た こ とで あ る。 まず
1961
年 に敦 煌 出土S
,5532 のr
禅門 経』 を紹介 論究 さ れ た 柳 田聖 山氏は, こ の 『禅 門経』 の序 者 沙門慧 光 と, 本 書の 内題 に ある沙 門 大 照 居士 慧光 との 関 係 につ い て触れ られ , 結局両者 を 別人 と さ れ た の で あ る が, 一方 1964 年 , 神 会門 下の 摩 訶 衍 の 入 蔵 に つ い て 論 究さ れ , 同時に を 写真で 紹介 された 香 港 の 饒宗 頤 氏 は, 両者 の 同一人 説 を立 て ら れ た。 私は後 述 す る論 文で , 両者の 経歴 を比 較 検 討 し, 両 者 の 別 人 説 を 立 て たの で あ る が, こ の 問題 は更に本書 自体 の 内 題 に ある 「沙 門 大照居士慧 光」 を どの よ う に み る か, とい う問 題 と も関 連 す る。 す なわ ち 本文の 「居士 問日。 云 々 大照禅 師 答日 。 云 々 」 で 始 ま る問 答 形 式か ら, 「沙 門 大照 」 と 「居士慧光 」 を 別 人 と みて 両 者 の 問答 と み る見 方と, こ れ を 「時 有 居士, 俗 姓 李, 名 恵 光, 是 雍 州 長 安 人 也, 法 名 大 照。」 とい う序 文か らし て , 恵光は 俗 名, 大照 は 法 名, 従 っ て 両 者は同一人 物 とす る見 力 に分れ るの で あ り, 前者 を とるの が矢吹 氏 と饒
氏 , 後 者を と る の が 柳田氏 で ある。 私 も後 者 をと り, 同一人 物の 自問 自 答, 更に は 仮 空の 人 物 を 立て て の 問答か と もみ た の で ある が , 尚最終 的 結論
に は達 して は い ない 。 しか し な が ら,1960
年代 の 柳 田 , 饒 両 氏の 関心 事は, そ れ 以前の い わ ゆ る 南 頓 北 漸 の 対 立 と して 南 北 両 宗 を 固定 的に み る見 方 に対 す る批判と して , 新た な問題提起 を す る こ と に あ っ た。 共 に 1952 年, ポ ー ル ・ ド ゥ ミ エ ヴ ィル (Paul
Demi6ville
)教 授に よ っ て出 版 されたr
ラ サ の宗 論』 (“Le
Concile
de
Lhasa
”) で紹 介 さ れ た敦 煌 出土P4646
の 王錫撰 『頓 悟大乗正 理 決 』 に よっ て, 中国 側頓門 派の 代 表 で あ る 摩 訶 衍 が, 自ら 「依止 和上 , 法 号降 魔, 小 福, 張和上 , 准仰, 大 福 六 和上 , 同教 示 大 乗 禅 門, 自従聞 法已来, 経五 六 十 年。」 とい っ て い る こ と に 注 目 され , こ の 内, 降 魔, 小 福, 大福が, 神 秀 下の降
魔 蔵, 恵福
,義
福 をさし, 共 に 北宗禅 を 代 表す る 人 々 で あ る こ とか ら, 摩 詞 衍 の 「頓 悟 大乗」 の 主 張は, .既に北 宗 禅の 人 々 に芽 生 え始 め て い た もの で あ り (柳 田 説 ), 更 に摩 訶 衍は 南 北 両 宗 の 調 和 を し たの だ (饒 説 ) とい う新た な主 張が な された の で あ り, こ の 摩訶衍
と同じ立 場に立つ もの と して , 柳田 氏はr
禅 門 経』 の 慧光 を, 饒氏 は 『禅門 経』 と本 書の 慧 光を位 置づ け ら れ た の で あ る。 一 方, 私 が本 書に関心 を持 っ たの は, む し ろ本 書の 内 容 の 上 か らで, 神尾弌 春 氏 に よ っ て 北 宗 の 大 通神秀 の 作 な る こ と が 論 証 され た 『観 心 論』 と本 書 との 密 接 な関係
に つ い て で あ る。 両者
共に巻頭
に 「観心 」 を 心要 とすべ きを 説い て い る こ と , 両 者に 『温 室 経』の 同一 部 分 の 引 用が あ り, し か もそ れ に よっ て大 乗 頓 悟 の 立 場 を主張 して い る こ と, 三 聚浄(
38
) 敦 煌 禅 宗 資 料分 類目録 初稿 (田 中) 戒 につ い て も同 一の 説示 の あ る こ と等 に よっ て , 本書の 北 宗 撰 述説を 主 張 し, 併せ て 『頓悟大乗正 理 決 』r
観 心 論」r
禅 門 経 』 を連 写 す る敦煌 出 土P
.4646 につ い て も, そ れ が北宗頓悟 の 思 想的 背 景を 示 す 資 料 で は ない か とい う推 論 し た の で ある が, 北 宗 頓 悟 説の 主 張 は, 柳田,饒
両氏 と変 る もの で は ない 。 尚 こ の 時 点 で , 私 は 饒 氏の 論 文 の 存 在 を 知 ら なか っ た の で ある が, 私の 論文 の 公刊 後, 柳田氏か ら特に 饒氏の 論 文の マ イ ク ロ フ ィ ル ム をご恵 贈い た だ き, そ の 内容 を 知る こ と が で き た 。 こ こ に 記 して 氏 の 学恩 に深 く謝 意を表し た い と思 う。12
大 乗五 方 便北 宗 〔大乗 無生 方 便 門, 北 宗 五 方 便 門 〕S
.735
S
.1002 123S .2503
S
.7961
P
.2058
12P .2270
生24
〔移 録 〕 3r 大正新 脩 大蔵 経』巻85
古逸 部pp
.1273b − 1278a 1932 .1 2r 大正新 脩 大蔵経』巻
85
古 逸部pp
.1291c
−1293a
1932
.一 212 久野 芳 隆 「流 動 性 に富 む唐代 の 禅 宗 典 籍一燬 煌 出土本 に
於
け る南 禅 北 宗の 代 表 的 作 品一」 〔r
宗 教研究』新14
−1pp
.123 − 136〕 1937 .一 (蘯)13 宇 井 伯 寿 『禅 宗 史研 究 』
pp
.449 − 4671939 .一 1 1 12 宇 井 伯 寿 『禅 宗史 研 究』 pp .468 −5101939
.一 2 2 宇井 伯 寿 『禅 宗 史研究』 pp .511 − 5151939 .一 3 t2 久 野 芳 隆r
北 宗禅 一燉煌 本発 見 に よ りて 明 瞭と な れ る神 秀 の 思想 一」 〔『大正大 学 学 報』30
,31
合 輯 pp .150
−164
〕1940
.一 2 2r 鈴木 大 拙 全 集』 巻3pp
.161
−1671968
.一 13r 鈴 木大 拙全集』 巻 3pp .167 −
1891968
.一 2 1r 鈴 木 大 拙 全 集』巻3pp
.19.0
− 2121968 .一 鉤32r 鈴 木 大 拙 全
集
』 巻3PP
.213
−2201968
,一4 1r 鈴 木 大 拙全集』 巻
3pp
。220
−2351968
.一 5〔
論 文〕
久野芳 隆 流動 性 に富む唐代 の 禅 宗 典 籍一燉 煌出 土 本 に於け る南禅北宗の 代 表 的 作 品 〔r
宗 教 研 究』新14
−1
〕1937
. 宇 井 伯 寿北 宗 禅の 人 々 と教 説 (二 ) 〔
r
仏 教 研 究』2
− 4〕1938 .一 尚 こ れ は後
に,r
禅
宗 史研 究』pp
.344
−3741939
.に収 録 。 宇 井伯寿北 宗 残簡
6
大乗 無 生 方便 門,7
大乗 五 方 便北宗,8
無題 ,9
無 題附
讃禅
門 詩〔
r
禅 宗 史研究』pp
.424 − 427〕
1939 . 久 野 芳 隆 北 宗禅一燉 煌本 発見に よ っ て明瞭 となれ る神 秀 の 思想一 〔r
大正大 学 学 報』30
,31
合 輯 〕1940
.敦 煌 禅 宗 資 料 分 類 日録 初 稿 (田 中) 増永 霊 鳳
大 乗 無生方 便 門の 研 究 〔
r
印度 学 仏 教 学研究』3
−2〕 1955
. 関口真 大神 秀の 大乗 五 方便
〔
r
禅宗 思想.史』pp
.102
−108
〕1964
.鈴
木 大拙慧 能示寂 直 後の 禅思想
1
〔r
鈴 木 大 拙 全 集』 pp .5− 40〕1968 . 武 田忠
大 乗五 方 便 の 諸 本の 成 立に つ い て 〔
r
印度 学 仏 教 学研 究』 19 − 1〕
1970
. 〔略 記 〕 本 書 は一論四経に 基き, 問 答 体で もっ て 北 宗 禅 の 要 諦を5
項目に わた っ て詳 説し た 長 篇の 北 宗禅 綱 要 書 で あ る。 嘗て は 北 宗禅 の 内容に つ い
て は, 圭 峰 宗 密の 『禅源 諸 詮 集都序 』 や
r
禅門師 資承 襲図』等に よ っ て , 間 接 的にその 概 要を 窺 うに す ぎず, し か も北 宗 系が早 く衰退 して , 後 代 は南 宗 系の みが隆 盛と な り, 南 宗 系の 代 表的 文 献 と し て重ん じ られて きた 『六祖壇経』 の 主 張に よ っ て , 北 宗
禅
を傍 系 と して 軽視す る風 潮が永 い 間 支 配 的であ っ た こ と は, 否 定で きない 事 実で あ る。とこ ろ が, 今世紀 初 頭の 敦 煌文 献の 出 現 は, 多 くの 北 宗禅 系 資 料を学
界に提 供 し, 初期禅 宗 史の 研 究 に 一 時 期 を劃 す る契 機 とな っ た。 す なわ
ち 北宗 系の 燈 史で ある 『傳法 寶紀』 や 『楞 伽 師資記』 が, 史 書と して の
北宗 禅の 根 本 資 料 と するな ら ば, 本 書は 『観心 論』 と共 に, 北 宗禅の 思 想, 教 説 を 示 す 根 本 資料と い うべ き もの で あ る。 これ ら新 資料 を最 初に
紹
介
し, その資
料に よ っ て 北 宗 禅の 学 問 的 研 究に劃 期的 な 業績をの こ さ れ た人 こ そ, 久野 芳隆氏と宇 井 伯寿 氏で ある。本 書が 最 初に 世 に出さ れ たの は, 矢 吹慶 輝 氏が大英博 物 館 で撮 影 し将 来 さ れ た 写真に よ っ て,
r
大正新脩大 蔵経』 巻 85 古 逸部に収 録 され た もの で , それ に は 3 と 2が含 まれ て い る。 元
来
こ の 写本 のS
.2503
は,か な り複 雑 な 形 態の 文 献で , 全
28
紙623
行 か ら な る長篇の 巻 子 本 で ある が, 紙質 は , 首 部
9
紙が非 常に 薄い 白っ ぽ い 紙, 第 10 紙よ りや や 厚 みを 増 し て罫 入 り とな り, 更 に 第13
紙か ら は茶 色 っ ぼ くな っ て , 罫 がな くな る代 りに
折
り 目 が つ くとい っ た具 合で ある。 紙 質ばか りで は な い 。 内 容 の 方 も, 首 部を 欠 い た 第 1 紙 よ り第 15 紙7
行 目まで で 一旦 擱 筆 して 以下
25
,5Cm の 余 白が あ り, こ の 部分 が 1 で ,宇 井氏の 『禅 宗史 研 究 』 第
8
「北 宗 残簡」 の 「第8
篇乙 無 題」, す なわ
ち 2の 下 の 部分, 及 び 近 年 出版 され た
r
鈴 木大 拙 全集』巻3
の 第4
号 本, す な わ ち 5に相 当す る。次に 第 16 紙 から第
18
紙 まで が 2で, これ は末尾 に 「讃禅 門詩 一 首」 と して , 七 言四句 の 詩 と, そ の 後 に 「丁 卯 年二 月 廿三 日沙 弥 明慧記」 とい う奥 付が あ り,
r
大正新 脩 大 蔵経』 巻85
で は 「讃禅 門詩」 の 首 題を新
加 して 収 録され た 2で ある。 し か し こ の 首 題の 新 加 は, 宇 井 氏 も 指 摘さ れ て い る通 り明 らか に誤 りで ,
r
讃 禅 門詩』 自体 は , 巻 末 の 僅 か 七 言 (39 )〈
40
) 敦 煌禅 宗 資料 分 類 目録 初稿 (田 中 ) 四 句にすきず , それ 以 外 はや は り本 書 の 一異 本 で ある。 こ の 部 分は字 井 氏の 「第9 篇 無
題」, す な わ ち 3 と, 鈴 木 氏の第
1 号 本, すなわ ち1 に相 当 す る。
最 後 に第 19 紙以下 第
28
紙 まで は ,r
大乗 无 生 方 便 門』 の首 題 で 始 ま る 部 分で , 尾 部 は断欠 して い るが, これ が で あ っ て ,r
大 正新 脩大 蔵 経』巻85
で は, 『大 乗無生 方便門』 の 標 題 で 掲 げ られ, 宇井 氏の 「第6
篇 大 乗 無生 方便 門」, すなわ ち 1 と, 鈴 木氏 の 第 2 号 本, す な わ ち 2 に相 当す る。こ の よ うに三 つ の 部 分か ら な り, しか も首 尾 共 に欠 く複 雑な 写 本 で あ り, ラ イ オ ネ ル ・ ジ ャ イ ル ズ (
Lione
正Giles
) 氏 は, そ の 目録 で 3 と 1 が接 続す る よ うに み て お ら れ る が, 内 容 的 に は 同 … で も, 接続の 点 に は 問 題 が あ り, 更 に氏 は 丁卯 年 を 607 年 ? と して , を 600 年頃の 写本 と み て お られ る が , 北宗 禅の 資 料が そ の 祖 と さ れ る 神 秀 (606 ?− 706) の 出世 以前に書写 さ れ るこ と は あり得ない こ とで ある。 因み に 宇井 氏 は, こ の 丁 卯年を 宣 宗の 大 中 元 年 (847
)と推 定 され , 一 方 鈴 木 氏 は787
年 (徳 宗の 貞 元 3 年 ) と み て お られ る。以 上 の 如 くス タ ィ ン 本で は , まず 最 初に が 『大正 新 脩 大蔵 経』並 に 宇 井 氏に よっ て 紹 介 さ れ たの で ある が, 一方 ペ リ オ本 中 に も
2
種 の 文 献 の あ る こ とをパ リ で 発見 され た久野 氏 が , 宇 井 氏 の 『禅 宗 史 研 究 』 (1939 )に先立 つ 2 年 前の 1937 年,r
宗 教研究』 新 14 一ユ に, 「流 動性 に 富む唐 代の 禅 宗 典 籍一 燉煌 出土本 に於け る南 禅 北宗 の 代表 的 作品 一」 と 題 する論文, すな わ ち 1 を発 表 さ れ, 巻 末に 「北 宗の 代 表作r
大乗 五方 便 北 宗』 南 禅 の 一作品 『絶 観 論』 の 原文 を, 二本 或は 三 本 対照 して 紹介 す る。」 と して , 本 書並 に 『絶 観 論』 の 本文 を 紹介さ れ た。r
絶 観 論 』 は, 今 日で は 関 口真 大 氏 に よっ て , これ が南 宗 禅 の もの で は な くて, 牛 頭 法 融の 手に な る牛頭
禅の 代 表 的 作品で あ るこ と が論
証され たが, 鈴 木大
拙 氏 に よ る北 京 本 閏84
と積翆軒 本の 紹 介 , 柳 田 聖 山 氏 に よ るP
.2045
の 紹介に先 立つ 『絶 観 論 』 の 学 会へ の 最 初の 発表と して 貴重 な もの で あ る 。 と こ ろ で , 本 書 に つ い て は, 上 記 論 文で のP
.2058
と の P .2270 の 2 本 を 別 々 に紹 介 された が , は首 部 約3
分の1
で 中断す る もの , は 首 尾 完 全 で あ る。 宇 井 氏 は こ の 久野 氏の 撮 影将来さ れ た と の 写 真 に よっ て ,r
禅 宗史 研 究』 第8
「北 宗 残 簡」 の 「第7
篇甲大 乗 五 方 便 北 宗」, すなわ ち 2 の 上 の 部分 に こ れを
掲
げ, その 下 に 1 の 「第8
篇 乙無
題」を対
照 しつ つ 両者の 校 定 を され たの で あ る。 従っ て , 2 は両 者 が 共 通 す る部分 以 外 は, 上 が 久野氏 撮 影 将 来 の ペ リ オ の と , 下が 矢 吹氏撮 影 将来 の ス タ ィ ン の tとい うわ けで ある。 更に鈴 木 氏は,r
鈴 木敦煌禅宗資 料分 類 目 録 初 稿 (田 中) 大 拙 全集』
巻 3
に お い て , を 前 半の 1 と後 半の 2と に分 け, 後者
を 前 者の 異 本と み て 別 出 し, と 1 を第 3 号 本 第1
部, す な わ ち 3 とし, 2を 第3
号 本 第 2 部, す なわ ち 4 と し て その 本 文を掲げ ら れ て い る。こ の 間に あ っ て , 久 野 氏 は前 記 論 文 1 が ,
1936
年滞 仏 中の 執 筆 で あ っ た こ と も あ り, あ ら た め て 帰国 後の1940
年,r
大正 大 学 学 報』30
,31 合 輯 に , 「北宗 禅一 燉煌 本発 見に よ りて 明瞭 となれ る神 秀 の 思 想一 」 と 題す る北 宗禅 を総 合的 に研 究 した論 文 2を発 表 さ れ, 再度
1 と 同 じ 本 書の 本 文 紹介 を行 っ てい る。以上 , 久 野 氏に よる ペ リ オ の 2 本 の 発見紹介, 宇 井 氏 に よ る ス タ イ ン の
1
本の 紹介と, そ れ ら を 総合し た 宇 井, 鈴 木両 氏の 秀 れ た業 績 を概 観 し, 従 来 本 書に関 して 3 本6
種 の 異 本の 存 在 した こ と を知っ た の で ある が, 近 年, 敦煌
文献の 調 査 の 進 展に よっ て , 更 に 『大乗無
生 方便 門』 の 異本
数種 の 存 在す る こ と が知 られ る に 至 っ た。その 第 1 は, 柳 田氏 の 『初期禅 宗 史書の 研 究』 巻末 の 「敦 煌 ・禅 宗 関 係 資 料一覧」 に よっ て 知られ た の
S
.735
, 第 2 は, 北京商務印書 館 編r
敦 煌 遺 書 総 目索引』 に収録 され た 「敦 煌石 室 経巻中 未 入蔵 経 論 著 述 目 録」 の 1295 に よ っ て 知 られた の 北 京本 生 24 ,第3
は, 私 が 東洋 文 庫 で の 調 査 で 知 っ た のS1002
, 第4
は , 昭 和47
年 (1972
)6 月 大英 博 物 館の書
庫で , ス タ イ ン 将 来の 未 整 理文献を 調 査 し た際 に発 見 し, 「イ ギ リス ・フ ラ ン ス 留学記」 〔r
駒沢 大学仏 教 学 部論 集』31972
,〕に その 存 在 を 報 告 し た のS
.7961
で あ る。 し か も後の 2 本 の 如 き は, 極 め て 短 い 断片 に過 きず , や は り本書 の 中心 は久野, 宇 井 両氏 の 紹介 にな る もの で あ る。特に本 書は, 異 本 相互 の 間 に極め て 出入 の 多い こ と が特 色 で あ り, 従 っ て 宇 井 氏, 鈴木 氏共に, 本 文 紹 介 に 当 っ て は, その 内の 一本を 底本と して 他 を対校 する と い う方 法 を と らず , 各 々 別 個 に掲 載さ れ て い る の で あ っ て , こ の 点 か ら して も本 書の
成
立, 伝承 に際して は, か な りの 曲折
の あ っ た こ と が窺
わ れ る。 鈴 木 氏は そ う した各異 本の 成立の 前 後関 係 に つ い て も考 察の 手 を加え て お ら れ る が, それ をふ まえ て近 年 武田忠 氏が, 「大乗五 方 便の 諸 本の 成立 につ い て 」〔
r
印度 学 仏 教 学研 究』 19. − 11970 .〕 と題す る論文 を発表 さ れ たの も, 本書の こ うし た特 徴 を如実 に物 語 る も の で ある。 (41
)13
大乗心 行論 稠 禅 師P
.3559
〔
移録〕
柳 田聖 山 『初 期 禅 宗 史 書の 研 究』 図版 16B −
18B
1967
.(
42
) 敦煌禅 宗 資 料 分類 日録 初 稿 (田 中 ) 〔論 文〕
柳田聖山傳 法 寶 紀とその 作 者一 ペ リオ 3559 號 文書 をめ ぐる北 宗 禅 研 究 資 料 の 札 記, その
1
− 〔『褝学 研 究 』53
〕1963
.〔
略
記〕
本 書は標題の 下 に 「稠禅師」 とい う内題が あ るが, もと よ り稠禅 師自身の もの か ど うか疑 問 視 さ れ, 他 の 稠禅師の 作 品 と同 じ く, 後人の 稠
禅師へ の 仮 託 に よ る もの とみ られ て い る 。 稠褝 師す な わ ち僧稠 (480 −
560
)は, 達摩 と 同 じ頃, 河 北で 神 異に よ る独 特 の 禅 風 を 挙 揚 し, 逮 摩と並び 称せ られ て い た こ と が, 道宣 の 『続 高 僧 伝』 の 習禅
篇
に よ っ て 知 られ て い る が , 彼 の 禅 法そ の もの は む し ろ 小 乗 的 な もの で あっ て , 大乗 の 立場 に 立 つ 本 書が, 稠禅師 自身の もの で あ る と い うこ と は あ り え ない , とい うの が柳 田 聖 山 氏 の 説で ある。とこ ろ で 本 書の 内 容 は か な り複 雑 な もの で あ る が , その 中心 的 立場は,
r
華 巌経』 の 三 界 唯心 に 立 っ て, 一切 は こ の 一心 に基 くとい う一 多相 即 を述べ , 心 性 清 浄の 立 場か ら 六波 羅蜜 や 十 善 業の 実 践 行に新た な 意 味 づけ を な し, 守心 を本と為 すべ きこ とを説 く等, 極め て 大 乗的 色彩 の 強い
もの であ る。
r
維 摩 経』 と初期禅 宗 との 密 接 な 関係は, か ね て か らい われ る と こ ろで ある が, 特に本 書が 守心 を
説
き, 華 巌の 立場を 強 調 す る と こ ろ は, 華 巌 禅の 傾 向の 強 い 北 宗禅系の もの で あ る こ とを示 し, ま た北 宗禅の 中心思想とい うべ き大 乗五 方便の 第四 門は ,r
思益 経』 に基 い て諸 法の 正性 を 明 らか に す る もの で ある が , 本書が 『維 摩 経』
r
華巌 経 』と共に,
r
思 益 経』 を重 視 して い る点 も, 本 書の 北 宗 系で ある こ と を物
語 る もの と考 え られ る。本書の 唯一 の 資料 で あ る は ,
r
傳法 寶 紀 』 をは じめ 北 宗 系 資 料 を 総 集 した もの で あ るが, そ の 中に本 書が書写 され て い る こ と も, そ うし た本 書の 基本 的 性格 を 示 す もの で あろ う。
14
大乗 北 宗論 S ,2581 〔移 録〕
『大正新 脩大 蔵 経』 巻
85
古 逸部pp
.1281c −1282a
1932 .一宇 井 伯 寿 『禅 宗 史 研 究』
pp
.447 − 4481939 .饒 宗 頤 「神 会 門下摩訶 衍之入蔵兼 論 禅 門南 北 宗之 調 和 問 題 」 図 版
〔
r
香 港大学
五十
週年
記念
論 文集
』1〕 1964
.〔
論文〕
字井 伯寿
北宗
残簡 5
大 乗 北 宗 論 〔r
禅 宗 史 研 究』 p .424
〕1939
. 饒 宗 頤 神 会 門下摩 訶 衍 之入蔵 兼 論 禅 門 南北 宗 之調 和 問題〔
r
香港 大学
五十
週
年
記念 論 文 集』 1〕
1964 .敦煌禅宗資 料分 類 目 録 初 稿 (田 中) (
43
) 〔略 記〕
本二 書は 矢吹 慶 輝 氏
撮
影 将 来の 写真
に よ り,1932
年 が 『大正新 脩大蔵 経 』巻
85
古 逸 部 に収 録 さ れ, 更 に 1939 年, 字 井伯 寿 氏が その 著 『禅 宗 史 研 究 』 第8
「北 宗 残 簡」 の 第5
篇に , と 『大正新 脩 大蔵 経』 本と を校 定 して再 録 紹 介 され た もの で あ る。 宇 井 氏は そ の 解 説 に お い て , 本 書 を 「極 め て 簡 単 な 文 で 而 も同一趣 意が繰返 さ れ て居ろ が , 最 重 要な 点 は偈の 第 三 句 に 心 を 忘 ず とあ る所に存す る。」 と述べ , 北宗の 忘 心 の 主張に 注 日すべ き を説か れ て い る 。 而 して そ の 最後 に , 「此論の 最 後 に 大
乗 有 十也 と あ る一 句 は共 意 昧が 明 瞭で 無い 。」 と述べ て お ら れ る が, こ
の 「大 乗 有 十 也」 の 「也」 の 字 は, 原写本で は 「地」 で あり,
及 ぴ
宇
井 氏 が共 に こ れ を 「也」 と読 んだ の は, は な は だ疑 問で ある。 そ して この 最 後の 「大 乗 有 十地 」 の 一 旬は, 改行 して そ れ に続 く 「少 〔 = 小 〕乗
有七地」 以 下 , 小乗 大乗 の 修 道の 階位に つ い て述べ た 10 行 (但 し最 後の
3
行 は細 字 ) に接 続 すべ き もの で , 恐 ら くその 前 ま で がr
大 乗北 宗 論』 に属 する もの で あろ う。すな わ ち 本書は, その 標 題 の 下 に 「大乗心 」 とあ る よ うに, 大 乗心 に
つ い て これ を 「我尚 不 起 布 施 心 , 何況慳 食心 」 の 如 き 一定 の 形式 を持 っ
て 説 示した もの で あり, 宇井 氏が
第
三 句とい わ れ るの は, そ の後
に 「而重 説偈 」 と し て 「憂従 心憂, 楽従心 楽, 若 忘 於心, 何憂 何楽」 と ある 四
句 中の 第三句を指す。 尚傍 線 を付し た 「忘 」 は, 原 本 で は 「妄」 と あ っ て , 宇井 氏 が 改 め られ た もの で あ り, また 「何」 は, 宇 井 氏は原 本 に は
「可」 とあるとい わ れ るが ,
実
際は 「何」 で ある。 その 後 再 び 「有 文 有 字 名日生 死, 無文無 字 名 日 湟 槃」 の 如き一 定の 形 式 で もっ て ,13
句 を連ね て ,生 死 と涅槃を対比 し て 説示 して い る。 従 っ て 内 容 的 に は, と りたて て これ が北 宗の 主張を述 べ た もの とい う特 色は見 出せず, あ えて 求 め るとす れば, やは り宇井 氏が
提
起 され た 偈の 中の「忘 心」 に 注 目すべ きで あろ う。 その 後 本 書に関 す る論 文は,
1964
年の 饒 宗頤 氏の もの まで 侍た ね ば なら ない が, 氏は そ の 論文 に加え て , S .4286 の
r
大 乗 開心 顕性
頓 悟真
宗論』,
S
,1494
の 『臥輪 禅 師 看心 法 』等 と共 に, 本 書 の 写真
を資 料 と して掲
載
し, 神会
が大乗禅
定を論
じて 不 用心 , 不看 静, 不 観 空, 不 住心等 と い う が , そ れ が実 は 北 宗 に も同様の 説 法が あ ると い う例 証 と して , 本 書の 四句 の 偈 まで の 前 半の 部分 を 引 用 され て い る。 そ して 本 書の 説 く 「北 宗 的大 乗心 」 と 「南 宗 的 最上乗」 と は, 結 局別 の もの で は ない , とい う 氏の 南北 宗調 和説の 論 拠 と さ れ て い るの で ある。 こ の よ うに本 書 は, 先の 『大乗 開心 顕 性頓悟 真 宗 論』 の 略記 で 述べ た と同様に, 大乗頓 悟 を 主 張 す る北 宗 禅の 一 資料 と み る こ と が で き る と考
(
44
) え られ る。15
達 摩 禅 師論 敦 煌 禅 宗資 料分 類目録 初 稿 (出 中)橋本 凝胤氏 所蔵本 〔移 録 〕 関 口真 大 『達 摩 大 師 の 研 究』 首 部図版
関 口
真
大 『達摩
大師の 研究』pp
.445 − 4501957 . 〔論 文 〕 関 口真大「達摩 禅師論」 と達 摩 大 師
〔
r
達 摩 大師の 研 究』pp
.49 −81
〕1957
. 関 口真 大新 資料 「達摩 禅師論」 (燉 煌出 土 )に つ い て 〔
r
印 度学仏 教 学 研 究』6
−2〕
1958 . 中 川孝
達摩 禅師論 (敦 煌出 土)考 〔
r
東 洋学』2
〕1959 , 中 川孝
敦 煌 出土達 摩 禅師論に就 い て
〔
r
印 度 学仏 教学研 究』8
− 1〕1960
. 田 中 良 昭菩提達摩 に関す る 敦煌写 本三種 につ い て 〔
r
駒 沢 大学仏 教 学 部 研 究 紀要』31
〕1973
.〔
略
記〕
本 書 は奈 良 薬師寺長 老橋
本凝 胤 氏 の 所蔵に な る敦煌
本で , 他 に異 本 も な く, 我 国に 将 来 され 現 に 我 国 に そ の 原 本が 保 存 され て い る敦煌 文献と して , そ の 資 料的 価 値 の 極 め て 高い もの で あ る 。 これ を 広 く学界 に 紹 介 さ れ たの が, 関 口真 大 氏 で あ り,1957 年 に 出版 され た 『達摩 大 師の 研
究
』 は , 関口氏 自身そ の 序言 の 冒頭
に , 「本 研究は, 稀 覯の新 資
料 で あ る敦 煌 出土 『達摩 禅師論』一 巻 の 解説 を 中心 と して , 広 く禅観 思想史全般の 上 か ら, 達 摩 大 師の 思想の 解明 を試み た もの で あ る。」 と述 べ られ て い る よ うに, 本 書の 紹 介 と解 説 を中心 と し た達 摩 論の 総合 的研究 と し
て 上
梓
さ れ た もの で あ る。 従 っ て そ の 首 部に は, 原 写本の 写真を, 巻末 附篇に は, その 活 字に よる本 文を掲げる と共に, 本
論
で も, 本 書の 構成 と特色につ い て , そ れ を現
在達 摩の 唯 一 の 真説 と され る 『二 入 四 行 論』 と対 比 しつ つ , 詳 細な論 究を さ れ て い る。 た だ本 書が首部 を 欠 い て い る こ とは , は な はだ惜 しい こ とで あ る が, そ の 末尾 に は 「開 耀元 年六 月普仁 寺 主 道 善 受持 日宣」 と い う奥 付が あ り, 開 耀元 年 (681
) は, 唐 の 高 宗の 代 で あ り, 禅 宗で は 五祖 弘忍の 示 寂 後 僅か に6
年, 神 秀76
才, 慧 能44
才の 年に あた る。 も しこ の 奥付が本 来 存在 し た もの で あ る な ら ば, 達 摩論の 中で は 最 も古い成
立 にな る もの と して 更に一段 と価 値 を高め る もの で ある が, 関口氏 自 身 もこ の 奥 付 に は, 筆勢, 位 置, 文字 の 大 き さ, 墨 色 等 に つ い て疑 義 を 挾 ま れ , 単 に 「唐 代の 古写 本」 とい うに 止 め て お られ る。 しか し, そ の 内 容の 面か ら は, 一面 『二 入 四行 論 』 との 共通 点を挙げ て , これ が達 摩の 真 説 とする こ と も可能で ある とい う立場 と, 四祖 道 信敦 煌 禅 宗 資 料 分 類 目録 初稿 (田 中) (