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密教文化 Vol. 1961 No. 57 003金岡 秀友「蔵文倶舎論随眠品三世実有論章和訳 P22-33」

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(1)

密 教 文 化

文蔵

(1) ( 三 世 の 有 無 ) (279b5) し か し 過 去 (atita) と 未 来 (anagata) と は 実 に 存 在 (sa ti) す る や、 せ ざ る や (nasti)? も し も 存 在 す る と な れ ば 恒 時 (sarvakala) に 存 在 す る が 故 に、 一 切 の 行 (samskara) は 常 (nityata) と 為 る。 も し 無 (nasti) な れ ば 如 何 に し て か (2) か る も の、 即 ち 所 繋 (samyukta) 乃 至 離 ( 繋 ) (visamyukta) 有 り と い う や ? ( 有 部 の 一 切 有 説 ) 毘 婆 沙 師 (valihasika) は、 有 為 (samskrta) の 諸 相 (3) (4) (lakasna) を 具 す る が 故 に 有 為 法 の 常 な る こ と を 認 め ず。 ( 三 世 の 実 有 ) ( 毘 婆 沙 師 は ) 世 等 (adhvanah) が 実 有 (hyasti) な る こ と は 明 ら か な り と 主 張 す。 い か な る 故 な り や と い う に、 ( 教 証 1 ) 世 尊 に よ つ て 説 か れ た る が 故 に。 芯 劉 (bhiksu) ら よ、 も し 過 去 の 色 (rupa) が 非 有 と な ら ば、 多 聞 の 聖 弟 子 (sruta v an aryasravaka) は 過 去 の 色 を 厭 捨 (anapeksa) す る こ と も で き ず。 何 と な れ ば 過 去 の 色 は (280a1) な る が 故 に、 多 聞 の 聖 弟 子 は 過 去 の 色 を 厭 捨 す。 も し 未 来 の 色 が 非 有 な れ ば 多 聞 の 聖 弟 子 は 未 来 の 色 に 欣 求 (abhinandana) な き こ と あ り え ず。 何 と な れ ば 未 来 の 色 は 有 と 広 説 せ ら れ た る が 故 に。 ( 教 証 2 ) 第 二 の 故 に。 識 (vijnana) は 二 つ の も の に 依 止 (asraya) し て 生 ず と 説 か れ た り。 二 つ の も の と は 何 ぞ や。 眼 (oaksu) 及 び 色 等 乃 至 意 (manas) 及 び 法 等 (manas ) な り 。 過 去 及 び 未 来 の 非 実 有 な れ ば、 縁 (alambana) な る 識 は 二 つ の

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(5) 所 依 (asraya) を 無 く す べ し。 更 に ま た 聖 教 (agama) に よ り て 過 ・ 未 の 有 が か く の 如 く あ り ( と せ ら れ た り、 更 に )、 ( 理 証1 ) 正 理 (nyaya) よ り も ま た ( 去 来 の 有 を 証 す べ し )。 境 (v-isaya) の 有 な る が 故 に。 境 有 れ ば 識 生 ず る も、 無 な れ ば 存 せ ず。 も し も 去 と 来 世 無 く ん ば 所 縁 完 く 無 く な り、 従 つ て 無 所 縁 な る が 故 に、 識 も 同 様 に ま た 生 ぜ ず。 ( 理 証 2 ) 果 (phala) の 故 に。 も し 過 去 が 無 な れ ば、 当 来 に お い て 業 (karma) は 善 (kusala) 乃 至 悪 (akusala) の 果 を ま た 其 の 如 く ( 得 る こ と を 得 ん や )。 果 を 生 ず る 時 は 現 因 (vartam (6) a na-vipakala hetu) な き ( が 故 に )。(280a6) こ の 故 に 毘 婆 沙 師 (vaibhasika) た ち は 去 ・ 来 の 正 に 有 な る こ と を 説 く。 ( 説 一 切 有 宗 ) ( こ れ よ り ) 一 切 の 有 を 決 定 し て 説 き、 か く 許 し 執 ず る ( も (7) の ) と 知 ら れ、 か く の 如 く 実 有 を 説 く が 故 に、 説 一 切 有 宗 ( Oarvastivadin) と 許 す。 ( 分 別 説 部 ) お よ そ、 過 ・ 未 ・ 現 一 切 の 有 を 説 く も の は 説 一 切 有 宗 な る も、 お よ そ 現 在 世 お よ び 未 だ 与 果 (phaladan) せ ざ る 業 (karma) の 過 去 た る も の は、 一 部 有 に し て、 未 来 と 与 果 せ る 過 去 た る も の は、 一 部 無 な り と 区 別 し て 説 か ば、 彼 は 分 別 説 部 (vibhajyavadin) な り。 第 二 項 三 世 の 別 に 関 す る 四 論 師 の 異 説 ( 三 世 の 別 に 関 す る 四 論 師 の 異 説 ) (8) 説 一 切 有 部 の 人 人 に も ま た ( 差 別 は ) 幾 ら 有 り や。 説 く。 そ は 四 種。 類 (bhava)、 相 (laksana)、 住 (avsatha)、 異 (9) (apeksa) な り と。 ( 一、 法 救 の 類 説 ) (280b3) 類 が 異 に な る と は 尊 者 法 救 (bhadanta) (の 説 ) に し て、 諸 法 が 世 (adhvan) に 行 ず る と き、 類 異 と な る も 体 (dravya) 異 有 る に 非 ず。 例 せ ば 金 器 が 破 す る に よ り 異 ( 物 ) と な る と き、 形 (samsthana) は 異 ( 物 ) と な る と い え ど も、 体 は 異 と な る こ と 無 く、 且 つ ま た、 例 せ ば乳 (ksira) が 酪 (dadhi) に 成 る と き、 味 と 勢 (prabhava 濃 度 ) と 成 熟 の 働 き 等 は 全 く 無 く な る も、 色 は 然 ら ざ る が 如 く に、 法 も ま た 未 来 世 か ら 現 在 世 に 至 り、 未 来 の 類 を 捨 す も 体 の 類 を 倶 舎 論 随 眠 品 三 世 実 有 論 章 和 訳

(3)

密 教 文 化 ( 捨 す こ と ) な き な り。 か く て 現 在 よ り 過 去 の 時 に 移 り、 ま た 現 在 の 類 を 捨 す も 体 の 類 は ( 捨 す こ と ) な し と 伝 説 す。 ( 二、 妙 音 の 相 有 異 説 ) (280b6) 相 が 異 と な る こ と は 尊 者 妙 音 (Ohosa) ( の 説 ) な り。 そ は ( 是 の 如 し )、 法 の 世 に 行 ず る と き、 過 去 は 過 去 の 相 に 合 し、 し か も、 未 来 と 現 在 の 相 等 を 具 せ ざ る こ と な し。 未 来 は 未 来 の 相 を 具 し、 過 去 と 現 在 等 も 欠 け る こ と あ ら ざ る な り。 そ の 如 く、 現 在 も ま た 過 去 と 現 在 等 を 具 せ ざ る に あ ら ず。 例 せ ば 男 子 が 或 る 女 人 を 愛 染 す る も 余 (sesa の 女 人 ) と 欲 愛 を 離 れ る (281a1) に は 非 る が 如 し と 説 か れ た り と 云 わ る。 ( 三、 世 友 の 位 有 異 説 ) 位 が 異 と な る こ と は 尊 者 世 友 (vasumitra) な り。 そ は ( 是 の 如 し )、 法 が 世 に 行 ず る と き、 位 ・ 位 に 至 り て、 位 に 別 ( あ る に ) よ り て 異 ・ 異 ( あ り ) と 説 く も 体 (qravya) ソ ロ バ ン に 別 有 る に 非 ず。 例 せ ば 或 る 篶 ( に 於 い て ) 一 の 桁 に 置 か る れ ば 一 と 名 け、 百 の 桁 に 置 か る れ ば 百、 千 の 桁 に 置 か る れ ば 千 と 名 け る が 如 し、 と 説 か れ た り と 云 わ る。 ( 四、 覚 天 の 待 有 異 説 ) ( 10) (281a3) 異 と 異 に な る こ と は 尊 者 覚 天 (budhhadeva) ( の 説 ) な り。 則 ち 法 が 世 に 行 ず る 時、 前 と 後 に 相 待 (apeksa) し て 異 異 と 説 く。 例 せ ば 或 る 女 人 が 母 と も 称 ば れ 娘 と も 云 わ れ る が 如 し と 説 か る、 と 云 わ る。 ( 論 主 の 批 評 ) 是 の 如 く 四 種 の も の は ( す べ て ) 説 一 切 有 宗 な り。 ( 一、 法 救 に 対 し て ) そ の 中 に て 第 一 は 転 変 (parinama) を 説 く が 故 に、 数 論 外 道 (oankhya) の 宗 (baksa) に 含 ま る べ し。 ( 二、 妙 音 に 対 し て ) 第 二 の ( 説 ) も ま た、 一 切 に 一 切 の 相 を 有 す る が 故 に、 時 の 雑 乱 (samkarana) た り。 人 が 或 る 女 人 に 貧 愛 を 現 行 す る と き、 余 に は 唯 成 就 の み (samavagamakevam) と 云 う も 何 ぞ 同 じ か ら ん や。 ( 三、 覚 天 に 対 し て ) 第 四 も ま た 一 世 中 に 三 世 が 一 度 に な り、 過 去 世 の 中、 前・ 後 の 刹 那 (ksana) 等 は 過 去 ・ 未 来 た り。 中 の 刹 那 は 現 在 と な る な り。

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( 四、 世 友 の 説 の 評 取 目 有 部 の 正 義 ) (281a7) 故 に、 こ れ ら す べ て の 中 に て、 第 三 が 最 善 た り。 ( 則 ち ) 位 に 異 有 り ( と な す ) も の な り。 そ は 作 用 (kriya) に よ り 時 は 確 立 せ ら る。 法 の 作 用 が 未 有 (281b1) な る と き は 未 来 で あ り、 作 用 あ る と き は 現 在 な り。 作 用 已 滅 な る と き は 過 去 な ( 11) り と 説 か る。 ( 経 部 の 難 ) そ れ ら 一 切 は 具 に 知 れ る も、 も し 過 去 も ま た 体 有 に し て、 未 来 も ま た 体 有 な れ ば、 何 の 故 に 過 去 乃 至 未 来 と 為 す 説 明 を せ ん と す る や。 ( 有 部 の 答 ) 作 用 よ り 時 は 立 つ と 言 い し に 非 ず や。 ( 経 部 復 た 難 ず ) も し 爾 ら ば 現 在 の 眼 等 は、 如 何 な る 相 等 の 用 あ り や。 ( 有 部 の 答 ) 与 果 及 び 取 ( 果 ) な り。 ( 経 部 復 た 難 ず ) (281b3) 是 の 如 く ん ば、 過 去 等 の 同 類 因 (sabhaga-hetu) 等 も ま た (12) 与 果 あ る が 故 に、 作 用 乃 至 半 作 用 に 連 結 (prasang) し て 相 の 雑 乱 と な る べ し。 第 三 項 三 世 実 有 論 の 破 (実 有 論 の 破 ) ( 13) こ れ ま た 説 明 を 要 す。 (14) も し そ の 法 の 自 性 が 恒 有 な れ ば 一 切 時 に 作 用 を 為 さ ん も、 何 の 凝 力 (bratbandha) に よ つ て か 時 と し て 作 用 あ り、 時 と し て 無 し と い う や。 も し 衆 縁 (sambhuya) 不 和 合 な り と せ ば 理 に 非 ず。 恒 有 と 許 す が 故 な り。 作 用 の 過 去 と 未 来 と 現 在 と 為 す は 何 ぞ や。 そ は ま た 如 何 に ( 15) し て 作 用 の 中 に も ま た 何 ら か の 余 の 作 用 あ り と 立 つ る を 得 ん や。 も し 過 去 も ま た 無 く、 未 来 も な く 現 在 も 無 く、 然 も 有 も ま た 有 り と な ら ば、 そ は 無 為 な る が 故 に 常 有 と な す べ し 。 こ の 故 に、 何 時 に せ よ 法 の 作 用 滅 せ る と き 未 来 な り と 名 く を え ず。 ( 有 部 の 救 ) も し 法 に 作 用 異 ( あ り ) と な さ ば 失 が そ こ に も 生 ず べ し。 然 も 異 有 る こ と 無 く、 そ の 故 に 失 そ こ に あ る こ と 無 し。 ( 経 部 の 破 ) 倶 舎 論 随 眠 品 三 世 実 有 論 章 和 訳

(5)

密 教 文 化 も し 然 ら ば、 そ の も の は 世 に 許 さ れ ず。 も し 法 が 恒 に 作 用 あ ら ば、 そ の 法 と そ の 体 性 (svabhava) は 恒 有 (282a1) な る が 如 く な る が 故 に、 或 る と き に は 過 去 と い い、 或 る と き に は 未 来 と い い て、 世 を 安 立 (sthapita) す る こ と 成 ら ず。 ( 有 部 徴 し、 経 部 答 う ) も し 法 が 未 生 な れ ば、 そ は 未 来 な り。 も し 生 ず る も 未 滅 な れ ば、 そ は 現 在 な り。 も し 已 滅 な れ ば、 そ は 過 去 な り、 と 為 ( 16) さ る、 ( し か も ) ( 汝 の ) 得 ざ る も の は 何 ぞ。 ( 経 部 復 た 難 ず ) 是 く、 そ は 説 明 せ ら る べ し。 も し 此 く の 如 く 現 在 の 体 の 有 ( 17) な る が 如 く、 過 去 及 び 未 来 も ま た 有 な れ ば、 そ の 如 く、 何 の 故 に 未 生、 已 滅 な る や。 法 の 体 恒 有 な れ ば、 如 何 に し て 未 生 と い う や、 ま た 已 滅 と い う を 得 ん や。 何 の 閾 く る 所 あ り て 未 生 と い い、 そ の 先 に 何 を 未 有 な り と な す や。 何 の 欠 く る 所 あ り て 已 滅 と い い、 ま た、 後 に 何 を 閾 く る と な す や。 故 に ( 法 は ) ( も し ) 本 無 く し て 今 有 り、 有 り 已 つ て 還 つ て 尚 無 な る (18) こ と を 許 せ ざ る 限 り、 三 世 ( の 義 ) は 決 し て 成 立 せ ず。 凡 そ ﹁ ( 行 は ) 有 為 ( 巽 唇 爵 帰 蜜 ) の 相 を 有 す る が 故 に、 恒 の 性 と は 結 合 せ ず ﹂ と の 説、 そ は 生 及 び 滅 等 の 理 無 き が 故 に 虚 言 な り。 そ の 法 恒 有 な る も、 然 も ( そ の 性 ) 非 常 な り と 説 く 所 の 義 言、 こ は 未 曽 有 な り と 説 か る。 法 体 は 恒 有 ( と 許 し て )、 性 は 非 常 と 説 く も、 体 と 性 は 別 無 し。 ( 19) ( こ れ ) 自 在 (Isvara) の 作 と 明 す。 ( 第 陶 教 証 の 破 ) ま た、 ( 如 来 の ) 所 説 な る が 故 に と の 説 ( に 対 し て は ) 我 等 も ま た 過 去 ・ 未 来 は 有 な り と 説 く。 曽 て 有 り し も の は み な 過 去 に し て、 果 の 成 満 す る も の は 未 来 な り と 如 是 に (282b1) 説 ( 20) き て、 有 な り と は 実 と し て ( あ る ) に は 非 ざ る な り。 是 く の 如 き が 故 に 有 な り と そ の 説 を 説 く。 ( 経 部 反 徴 ) 別 に あ り と せ ば 如 何 に あ り や。 ( 有 部 の 答 ) 過 去 及 び 未 来 の 自 性 を 有 す。 ( 経 部 又 難 )

(6)

も し 恒 に 有 な れ ば、 そ は 如 何 に し て 過 去 及 び 未 来 な る そ の ( 21) 性 に 住 す る や。 故 に ( 経 に ) 世 尊 は 因 と 果 と を 誘 る 見 を 遮 せ ん が 為 に、 曽 の 因 と 当 生 の 果、 曽 性 と 当 性 と の 称 を ば、 過 去 あ り、 未 来 有 り と の 説 を 為 す な り。 有 り と の 語 (ghosa) は 句 の 合 (pada-samavadhana) な ち が 故 な り。 例 し て 説 か ば、 燈 (dipa) が ( 先 に ) 有 る こ と な く、 後 に 無 き こ と あ り、 と 説 き、 ま た 例 せ ば、 燈 已 滅 せ る も 我 が 消 滅 せ し に あ ら ず と 説 く 如 く、 過 去 と 未 来 あ り と 説 く が ( 如 し )。 も し 爾 ら ず ん ば 未 来 の 性 は 不 成 な る の み な ら ん。 ( 有 部 の 難 ) (282b5 ) も し 爾 ら ば、 世 尊 は 如 何 な る 理 由 よ り、 彼 の 杖 髪 外 道 (La ( 22) qudasikhiyaka) の 徒 の 為 に 説 い て 業 は 過 去 に し て、 尽 し、 滅 し、 離 し、 壊 す る も、 然 も 猶 有 な り と 説 く こ と 是 の 如 く な る や 。 量 に 彼 ら が そ の 業 の 曽 有 性 を 許 さ ざ る 為 な ら ん や。 ( 経 部 経 を 通 ず ) そ の 業 は 現 相 続 に あ り て 所 引 の 与 果 の 効 能 有 る こ と よ り 密 説 し て 有 な り ( と な す )。 も し 然 ら ず し て、 実 有 性 が 正 に 存 せ ば 過 去 を 成 せ ざ る べ し 。 そ は 無 疑 ( な る こ と ) 是 の 如 し と 云 ( 23) わ る。 是 の 如 く 薄 伽 梵 は 勝 義 空 契 経 に お い て ﹁ 眼 が 生 ず る に 当 り て 何 よ り も 従 来 せ ず (283a1)、 滅 時 も ま た 何 ら 造 集 す る 所 な く、 故 に 善 男 子 ら よ、 眼 は 本 無 に し て 今 有 り、 有 り 已 り て 再 び 還 た 無 く な る な り L と 説 か れ た り。 も し 未 来 の 眼 実 有 な れ ば 本 無 よ り 生 ず と は 説 か ず。 ( 救 を 挙 げ て 破 す ) 現 世 に 関 し て は 存 せ ず し て ( 未 来 世 に ) 出 現 す と い わ ば、 理 に 非 ず。 世 は 現 在 と 体 別 に 非 ざ る が 故 な り。 も し 自 相 (sv a-laksana) に お い て 本 無 よ り 生 ず と い わ ば、 未 来 の 眼 に 非 ず と な す こ と 成 立 す る な り。 ( 第 二 教 証 の 破 ) さ て、識 (vijnana) は 二 つ の も の を 具 し て 生 ず る が 故 に と 説 く。 更 に こ こ に 意 (manas) と 法 (dharma) と に 縁 じ て 意 識 (manovijnana) 生 ず と な す は、 そ の 是 の 如 く、 意 が 能 生 (janaka) の 縁 と な る 如 く、 諸 法 も そ の 如 く ( な る と な す や )、 ま た は、 も し 諸 法 が 所 縁 (alambana) に の み な る と ( 24) な す や、 こ れ よ く 尋 思 す べ し。 も し ま た 諸 法 が 能 生 の 縁 な り と せ ば、 如 何 に し て 未 来 千 劫 に 当 有 乃 至 当 無 な る べ き も の が 倶 舎 論 随 眠 晶 三 世 実 有 論 章 和 訳

(7)

密 教 文 化 ( 25) (26) 今 時 の 識 を 生 ぜ ん。 浬 葉 は 一 切 の 生 (pravrtti) と 違 す る が 故 に 能 生 な り と せ ば 理 な ら ず。 も し 諸 法 が 所 縁 の 境 な る の み と な さ ば、 過 去 及 び 未 来 も ま た 所 縁 な り と 説 く。 ( 有 部 責 ) も し 無 な れ ば 如 何 に し て 所 縁 と 成 る や。 ( 経 部 の 答 ) 我 は こ こ に、 そ が か く 所 縁 と な る が 如 く な り、 と 説 く。 ( 有 部 徴 す ) そ は 如 何 に し て 所 縁 な り と な す。 ( 世 親 答 う ) ( 27) 曽 有 と 当 有 と な り と な す。 過 去 の 色 (rupa) 乃 至 受 (ved ana) を 憶 う と き、(283b1) 有 な り と な す こ と 決 し て 見 ら れ (28) ず、 但 だ、 曽 有 な る こ と を 追 憶 す る の み。 ( 29) ま た、 現 在 の 色 相 を 領 す る が 如 く に 過 去 を 追 憶 ( し て 有 と な ) す。 未 来 は ( そ れ が ) 現 在 に 生 起 す る が 如 く な り と 諸 仏 に よ り 知 ら る。 も し そ が 如 実 に (tatha) 有 な り と せ ば、 現 在 と な る べ し。 も し 無 な り と せ ば 無 ( を 境 と し て ) 縁 ず る な り と の 義 成 ず る な り。 も し そ は 彼 の 色 は 同 じ く し て 極 微 ( baramanu) に 散 乱 (vidhvamsana) あ る の み に て 尽 く と な す や 。 然 ら ば 極 微 は 常 と な る べ し。 も し 極 微 は 聚 (samnic aya) と 散 乱 ( の 中 ) に あ り と な す も、 ( そ こ に は ) 少 分 の 生 ( 30) ず べ き も な く、 滅 (niruddha) も な き が 為、 邪 命 者 の 論 を 遵 ( 31) 崇 す る な り。 眼 は 生 ( 位 ) 以 外 の 何 よ り も 従 来 せ ず ど 広 説 す る 契 経 に も 棄 背 す る こ と あ ら ん。 受 等 は 極 微 の 聚 成 に 非 ず。 そ れ が 如 何 に し て 散 乱 す る こ と あ ら ん や。 そ れ ら も ま た、 ま さ に 出 現 せ る が 如 く に、 覚 (anubhuti)・念 (smrti) せ ら る ( 32) ( る べ し )。 も し、 そ れ ら が 現 に 有 り と せ ば 常 と な ら ん。 も し 無 な れ ば 無 も ま た 所 縁 あ り と な す ( 理 ) 成 ず べ し。 ( 有 部 難 ず ) (283b6) も し 無 も ま た 所 縁 な れ ば 第 十 三 処 (ayatana) も 亦 所 縁 た る べ し。 ( 経 部 の 答 ) も し 第 十 三 処 な し と 了 達 す る ( と せ ば、 こ の ) 識 の 所 縁 は 何 ぞ や。 ( 転 救 を 破 す ) 名 (nama) そ れ 自 体 所 縁 た る べ し。 然 ら ば 名 を 無 と な す べ き な る べ し。 も し 声 の 先 に 無 な り と 縁 ず る と き、 そ の 所 縁 は 何 ぞ や。 声 の み な り と な さ ば、 誰 に せ よ、 声 の 無 を 求 む る 者

(8)

は そ の 声 を 発 す べ き こ と と な ら ん。 も し 未 来 の 位 な り と な さ ( 33) ば ( そ が ) 有 な り と せ ば、 い か に し て 無 と 謂 わ ん や。 も し 現 在 な し と い わ ば ( そ は ) あ り え ず。 ( 体 ) 一 な る が 故 な り。 ま た こ の 差 別 あ ら ば、 本 無 ・ 今 有 は ( 其 の 理 ) 成 就 す。 ( 結 論 ) 故 に 識 の 所 縁 は 有 と 無 倶 に あ り ( 違 文 を 会 す ) (284a2) 然 ら ば、 菩 薩 が 世 間 に 無 き も の を、 我 は 知 り、 ま た 見 る は、 こ れ 処 無 し、 と い う は、 説 此 く の 如 し。 そ の 意 は、 増 上 慢 (abhimana) を 懐 く 他 の 人 人 ( あ り、 彼 ら ) は 現 無 の 如 く 有 を 観 じ、 我 は 唯 有 に お い て 有 な る も の を 観 ず る の み。 も し 然 ら ず ん ば、 一 切 の 覚 (buddhi) の 所 縁 有 性 な る と き、 こ ( 34) の 尋 思 (vitarka) 何 処 に あ り や 。 窪 た 差 別 (visesa) は 何 な り や。 ( 経 を 引 い て 証 す ) (284a5) そ は 決 定 し て そ の 如 く な り と な す。 此 く の 如 く 薄 伽 梵 は 余 ( 処 ) に ( 説 く )、 ﹁ 我 が 多 聞 の 芯 劉 よ、 善 く 来 れ る か な ﹂ と い う よ り ( 説 き 進 み て ) ﹁ 我 は 旦 に 教 え て 暮 に 勝 を 獲 し め、 暮 に 教 え て 旦 に 勝 を 獲 し む。 有 は 有 と 知 り、 無 は 無 と 知 り、 有 上 は 有 上 と 知 り、 無 上 は 無 上 と 知 る ﹂ と い え る を 説 く。 ( 第 一 理 証 を 例 破 す ) 此 れ に 由 り て ( 彼 の 説 け る ) ﹁ 識 が 有 な る は 境 ( を 有 す る が 故 に ﹂ と な す は 因 (hetu) を 成 ぜ ず。 ( 第 二 理 証 を 破 す ) ま た、 ﹁ ( 業 は ) 果 あ る が 故 に ﹂ と 説 く ( 有 部 説 に つ き て は )、 ( 経 部 の 種 子 相 続 の 因 果 説 ) 経 部 の 師 は ( 説 く )、 ﹁ 過 去 の 業 よ り 当 果 を 生 ず と 説 け る こ と 曽 て な し ﹂ と。 然 ら ば 如 何 に し て ( 産 み 出 さ る る や )。 そ は ( 業 を ) 先 と 為 す 相 続 の 差 別 の 業 に し て、 ( そ の こ と は ) 破 我 品 (284a1) に 広 く 顕 示 す べ し。 ( 別 破 ) も し 過 去 及 び 未 来 が 実 に 有 り と せ ば、 異 の 体 は 常 有 な る の み な れ ば、 ( 然 ら ば ) 業 の 功 能 (sakti) は 何 な り や。 能 生 な れ ば 則 ち 所 生 の 本 無 ・ 今 有 な る こ と 成 就 せ ん。 ま た、 一 切 の 有 な る も の 有 な れ ば、 そ は 誰 に お い て 誰 と い う 功 能 あ り や。 ( 数 論 に 通 ず る 過 を 出 す ) 倶 舎 論 随 眠 品 三 世 実 有 論 章 和 訳

(9)

密 教 文 化 恰 も 雨 衆 外 道 (varaagama) の 邪 論 に ﹁ 有 は 常 有 な る の み、 ま た 無 は 常 無 な る の み、 無 は 不 生 に し て 有 は 不 滅 な り ﹂ と の 説 み り。 ( 論 主 破(1)) も し 現 在 に な す ( 過 去 の 行 為 の ) 力 あ ら ば、 現 在 に な ら し む る と い う は 如 何 に し て そ や。 ( 論 主 破(2)) も し 余 方 処 に 引 く な り と い わ ば、 必 ず 体 常 な る べ し。 ( 論 主 破(3)) 無 色 の 法 等 は 如 何 に ( 引 く や )。 ( 論 主 破(4)) そ の 所 引 せ ら る る も の、 そ れ も ま た 無 な る べ し。 ( 論 主 破(5)) (284b5) も し そ の 体 の 差 別 な る も の あ り と せ ば 本 無 ・ 今 有 は 自 ら 成 ず べ し。 ( 論 主 非 を 結 ぶ ) 是 の 故 に、 次 の 如 く、 過 去 及 び 未 来 は 実 有 と 説 く 説 一 切 有 部 の ( 説 ) は 聖 教 に 善 説 と な ら ず。 斯 く 契 経 に 一 切 有 と 説 く が 如 く に 説 く ( が 如 く ん ) ば 善 き な り。 ( 有 部 の 問 ) (284b5) 経 に は 如 何 に 一 切 有 と 説 く や。 ( 35) 一 切 有 と い う は、 梵 志 (brahana) よ。 十 二 処 の み、 と な す 言 (sabda) な り と 説 く。 ま た 三 世 あ り ( や )。 そ の 如 く に 有 を 説 く。 ( 有 部 の 難 ) ﹁ ま た、 過 去 及 び 未 来 等 が 無 な れ ば 如 何 に し て 所 繋 有 り と い う や。 ( 経 部 釈 す ) 所 生 と そ の 因 の 随 眠 (anusya) あ る が 故 に 所 繋 の 煩 悩 よ り、 そ れ を 縁 ず る 煩 悩 随 眠 あ る よ り し て 事 を 具 す な り。 ( 有 部 の 正 義 ) 毘 婆 沙 師 は 過 去 及 び 未 来 は 有 る の み と な す。 こ は 説 明 不 能 な る も の な る が 故 に、 法 性 等 は 甚 深 に し て 決 定 を 尋 思 に よ り 成 就 す べ か ら ず、 と い う こ と 明 ら か な り、 と 云 え り。 生 ず る

(10)

も の は 滅 す る が 故 に 異 門 (baryaya) も あ り て、 色 生 じ 色 滅 す。 異 生 じ 異 滅 す る が 故 に 異 門 も あ り。 未 来 生 じ 現 在 滅 す。 世 生 じ、 生 は 世 に 摂 せ ら る る が 故 な り。 世 よ り も 生 ず。 何 と な れ ば 未 来 の 世 は 刹 那 を 有 す る が 故 な り。 か く、 こ の 未 来 は 成 就 す (285a4)。 ( 註 ) ( 1 ) 蘇 訳 の 底 本 は 影 印 北 京 版 第 一 一 五巻、bstan-hgyur, mdo-hgrel,

mnon-pahi bstan-bcos I, 279b5-285a4

こ れ に 大 正 大 学 及 び 東 洋 文 庫 所 蔵 の ナ ル タ ン

版 bstan-hgyur, mdo, gu, 260a3-265a5

を 対 校。 漢 訳 語 は 玄 肝矢 訳 ( 大 正 蔵 二 九 巻 一 〇 四 頁 a-一 〇 六 頁b) に よ り、 必 要 な 時 の み 真 諦 訳 ( 大 正 蔵 二 九 巻 二 五 七 頁 b-二 五 九 頁c) に よ り 補 正。

梵語は yasomitras sphutartha abhidharma

kosavyakhya, ed. by wogihara, 1932-35, tokyo pp. 468-471

を 参 照。 科 文 は 概 ね、 木 村 ・ 荻 原 訳 ( ﹃ 国 訳 大 蔵 経 ﹄ 論 部 第 十 二 巻、 四 一 三-四 三 二 頁 ) に 倣 つ た。 本 訳 文 に 相 当 す る チ ペ ッ ト 文 は 同 じ く 北 京 版 に よ り つ つ、 こ れ に y aomitra の 梵 文 註 と mchims pa の チ ベ ッ ト 文 註 と を 参 酌 し つ つ T h. stcherbatsky が そ

の、the central conception of buddhism,

or the meaning of the word dharma london 1923. の appen

q ix H (pp. 76ff.) と し て 英 訳 し た 所 で あ る。 こ の 英 訳 を 邦 訳 し、 須 要 と 思 わ れ る 術 語 に 該 当 漢 訳 と チ ベ ッ ト 原 語 を 附 し た も の を、 拙 訳 の シ チ ェ ル バ ト ス コ イ ﹃ 小 乗 仏 教 概 論 ﹄ ( 理 想 社 近 刊 ) に 附 載 し て あ る。 併 せ 読 ま れ れ ば 幸 で あ る。 倶 舎 論 随 眠 品 の 批 評 的 解 読 は 舟 橋 一 哉 博 士 の 綿 密 な 先 例 が あ り ( ﹁ 梵 蔵 所 伝 の 資 料 よ り す る 倶 舎 論 随 眠 品 の 註 釈 的 研 究 ﹂-特 に 玄 契 訳 の 本 文 批 判 を 中 心 と して-。﹃山口 博 士 還 暦 記 念 印 度 学 仏 教 学 論 叢 ﹄ 一 四 五 頁 以 下 )、 筆 者 も そ れ に よ り 多 大 の 啓 発 を う け た。 し か し こ こ に 示 す の は ﹁ 三 世 実 有 論 ﹂ 章 の 蘇 訳 で は あ る が、 批 評 的 解 読 と い え る も の と は 思 つ て い な い。 両 漢 訳 と 対 比 し つ つ 解 読 し て 行 つ た こ と は 云 う ま で も な い が そ の、 本 文 批 判 の 方 法 は 舟 橋 博 士 の 研 究 で 尽 き て お り、 今 は 唯 訳 文 を 掲 げ る に 止 め た。 倶 舎 論 の 三 世 実 有 の 論 証 と 批 判 の 形 式 は ( 従 つ て 大 毘 婆 沙 論 第 七 七 巻 の そ れ も )、 長 く 仏 教 の 定 形 と な っ て い た も の と 思 わ れ、 は る か 後 世 の santiraksita の tattvasamgraha に お い て も、 本 論 と 同 じ 四 論 師 の 所 説 が と り 上 げ ら れ、 そ の 批 判 が 行 な わ れ て い る の を 見 る こ と が で き る ( 菅 沼 晃 ﹁tattvasamgr に お け る 三 世 実 有 批 判 に つ い て ﹂ ﹃ 印 度 学 仏 教 学 研 究 ﹄ 第 八 巻 第 二 号、 一 五 六 ・ 七 頁 )。 (2) 玄 奨 訳 ( 一 〇 四a) は 能 所 繋 な る も、 旧 訳 ( 二 五 七b) は、sam ynkta が 相 応、visamyukta が 解 脱 と な つ て い る か ら、 装 訳 は 意 訳 と 思 わ れ る (yasomitra p. 467-8)。 (3) 北 京、 ナ ル タ ソ 共 hchahi と あ る も 不 明。 (4) 失 訳 こ こ に 偶 あ り ( 一 〇 四b)。 三 世 有 由 レ 説 二 有 二 境 果 一 故 説 三 二 世 有 一故 許 二 説 一 切 有 一 (5) lun. 真 諦 訳、 阿 含 ( 二 五 七c)。 倶 舎 論 随 眠 晶 三 世 実 有 論 章 和 訳

(11)

密 教 文 化 ( 6 )

da-ltar-rnam-par smin-pahi rgya.

真 諦 訳、 果 報 因 ( 二 五 七c)。 (7) ナ ル タ ソ 版 danda 麦 り、 (8) 玄 癸 訳 こ こ に 偶 あ り ( 一 〇 四bc)。 此 中 有 二 四 種 一 類 相 住 待 異 第 三 約 二 作 用 一 立 レ 世 最 為 レ 善 (9) gshan. 玄 渠 訳 ﹁ 待 ﹂ な る も、 旧 論 稗 婆 沙、 雑 心 論、 真 諦 訳 倶 舎 釈 論 何 れ も ﹁ 異 ﹂ と 翻 ず。 今 こ れ に 随 う。 北 京 版 に よ れ ぽ、 こ の

所、rnam-bshi; (1) dnos dan (2) mtshan

n

id dan (3) gnas-skabs (4) gshan*hgyur shes-bya.

な る も、 ナ ル タ ソ 版 に よ れ ば*の 箇 所 に、gshan あ り。 故 に、 こ れ に よ れ ば、 ﹁ そ は 四 種。 類、 相、 住、 異 (待 ) の 異 な り と ﹂ と な り、 両 漢 訳 と 一 致 す る。 ( 10) dan? ( 11) 玄 突 訳 ( 一 〇 四c) こ こ に 非 ご 体 有 ツ 殊 と あ り。 ( 12) bya-ba-byed. 真 諦 訳 ( 二 五 八b) 半 功 能。 ( 13) 玄 肝矢 訳 こ こ に 偶 あ り ( 一 〇 五a)。 何 擬 レ 用 云 何 無 レ 異 世 便 壊 有 誰 未 生 滅 此 法 性 甚 深 ( 14) ナ ル タ ソ 版 danda な し。 ( 15) ナ ル タ ソ 版 danda あ り。 ( 16) ナ ル タ ソ 版 danda あ り。 ( 17) ナ ル タ ソ 版 danda あ り。 ( 18) thams-cad-du. 玄 桀 訳、 一 切 種 ( 一 〇 五a)。 ( 19) 玄 奨 訳 の 偶 ( 一 〇 五b) 左 の 如 し。 依 ニ如 レ 是 義 一 故 有 類 言 許 二 法 体 恒 有 一 而 説 ユ 性 非 常 一 性 体 復 無 レ 別 此 真 自 在 作 梵 文 左 の 如 し。 ( 20) ナ ル タ ソ 版 動 穏 曾 あ り。 ( 21) stoherbatsky こ れを ajivika の 見 と な す。 ( 22)

hdsa-pa dan (N. danda),

玄 契 訳 ( 一 〇 五b) "説 業 過 去 尽 滅 変 壊 而 猶 是有"。 真 諦 訳 ( 二 五 八c) "若 業 已 謝 滅 尽 過 壊、 此 業 亦有"。 ( 23)

don-dan-ap ston-pa nid-kyi mdo

samyuktagama xiii, 22 (McGovern).

真 諦 訳、 真 実 空 経 ( 二 五 八 c)。 ( 24) ナ ル タ ン 版 こ こ に skye と あ り。 ( 25) 玄 肝 矢 訳 こ こ に"能 生 の 縁 と な り て"の 句 あ り ( 一 〇 五c)。 (

26) mya-nan las hdsa-pa=nirvana.

ナ ル タ ソ 版 寡 な し。 ( 27) 北 京、 ナ ル タ ソ 両 版 共 に sam と あ る も ham な る か。 ( 28) ナ ル タ ソ 版 danda な し。 ( 29) Stcherbatsky こ こ に お い て、 ﹁ 論 破 せ ら れ た 説 一 切 有 部 の 第 三 の 論 拠 ﹂ と の 科 文 を 設 く。

(12)

(

30)

htsho-byed. Stcherbatsky, p. 87は (heretical) doctrine of

bjivikas と な す も、 荻 原 ・ 木 村 訳 ( 四 二 六 頁、 註 八 〇 ) は、 一 般 の 外 道 pasandin を 意 味 し、 勝 論 派 な ど を 指 す と 註 記 す。 ( 31) stcherbatsky ﹁ ま た、 そ れ が 消 滅 す る と き、 他 の 場 所 に 貯 わ え ら れ ん と す る と き に 非 ず ﹂ と 補 訳 あ り。 ( 32) 玄 癸 訳 ( 一 〇 五c)、"然 も、 受 等 に 於 い て、 追 憶 逆 観 す る も 亦、 未 滅 已 生 の 時 の 相 の 如 し "。 ( 33) blor (?) ナ ル タ ン 版 も 同 じ (264a3)。 ( 34) ナ ル タ ソ 版 danda あ り。 ( 35) ナ ル タ ソ 版 danda あ り。 ( 一 九 六 一 年 九 月 ) 倶 舎 論 随 眠 品 三 世 実 有 論 章 和 訳

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