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密教文化 Vol. 1983 No. 142 004檜垣 巧「対馬三部落における「家」意識の調査研究 P42-75」

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密 教 文 化

調

は じ め に 社 会 学 研 究 室 で は、 一 昨 年 の 長 崎 県 上 県 郡 上 県 町 大 字 佐 護 湊 部 落 ( 対 馬 ) の 調 査 に 続 き、 昨 年 は 上 県 郡 上 対 馬 町 字 唐 舟 志、 富 ケ 浦、 津 和 三 部 落 の 調 査 を 行 な っ た。 調 査 員 学 生 は、 社 会 学 専 攻 の 三 回 生、 四 回 生 を 中 心 と す る 計 十 四 名、 宿 泊 所 は 唐 舟 志 の 林 昌 寺、 調 査 期 間 は、 昭 和 五 十 七 年 七 月 八 日 か ら 十 四 日 ま で の 一 週 間 で あ る。 な お、 現 地 へ の 往 き 帰 り の た め に、 前 後 そ れ ぞ れ 一 日 ず つ を 要 し て い る。 私 達 の 調 査 は、 三 部 落 そ れ ぞ れ の 包 括 的 な モ ノ グ ラ フ を 作 る 調 査 研 究 で あ り、 そ の 全 体 を 紹 介 す る た め に は、 相 当 膨 大 な 頁 数 を 必 要 と す る。 そ こ で、 こ こ に は、 今 回 の 調 査 の 重 点 課 題 の 一 つ で あ っ た 三 部 落 の 村 人 達 の 家 ﹂ 意 識 の 調 査 に 焦

上対馬町地 図

1:100,000

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点 を し ぼ っ て、 そ の 結 果 を 紹 介 す る こ と に し た い。 調 査 員 氏 名 と 調 査 の 役 割 分 担 は 次 の よ う で あ る。 さ て、 一 昨 年 の 佐 護 湊 の 調 査 で は、 区 長 の 早 田 恵 氏 に 大 変 お 世 話 に な っ た。 昨 年 の 調 査 地 の 選 定 に つ い て は、 早 田 区 長 の 妹 さ ん が 唐 舟 志 の 園 田 生 男 区 長 の も と に 嫁 が れ て い る と い う こ と が 機 縁 で、 お 世 話 い た だ く こ と と な っ た。 昨 年 の 私 達 調 査 員 の 受 け い れ に つ い て は、 園 田 区 長 は、 宿 泊 場 所 の 設 定 以 下 万 般 の お 骨 折 り を し て 下 さ っ た。 そ の お 世 話 ぶ り は、 例 年 の 対 馬 調 査 で 歓 待 さ れ て い る な か に あ っ て も、 格 別 印 象 に 残 る こ と が 数 々 あ っ た。 私 達 の 宿 泊 場 所 林 昌 寺 は、 過 去 十 年 来 無 住 の 寺 で あ る が、 園 田 区 長、 木 野 田 部 落 会 計 兼 漁 業 長 以 下 唐 舟 志 の 人 達 の は か ら い に よ っ て、 寺 の 畳 の 上 張 り、 掃 除 ( 別 棟 ト イ レ 掃 除 を 含 む )、 風 呂 場 の 修 築 ま で し て も ら え て い た。 ま た、 唐 舟 志 の 婦 人 部 の 方 々 は、 私 達 が 現 地 に 着 い た 晩、 私 達 全 員 の 寝 具 を ご 用 立 て 下 さ っ た だ け で な く、 期 間 中 を 通 し て 食 べ 切 れ な い ほ ど の 野 菜 を 届 け て く れ て い る。 そ の ほ か、 庄 司 水 産 な ど か ら は、 大 量 の 鮮 魚 類 を 賜 り、 調 査 員 一 同、 対 馬 の 鮮 魚 の 美 味 さ に 舌 鼓 を 打 っ た の で あ っ た。 な お、 調 査 に あ た っ て は、 富 ケ 浦 の 立 花 一 夫 区 長、 津 和 の 武 末 祐 一 区 長、 そ れ に 唐 舟 志 の 古 老 糸 瀬 誠、 木 野 田 金 治、 園 田 栄 の 諸 氏、 津 和 の 糸 瀬 博 氏、 舟 志 の 古 藤 繁 守 氏、 そ れ に 三 対 馬 三 部 落 に お け る ﹁ 家 ﹂ 意 識 の 調 査 研 究

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密 教 文 化 部 落 の す べ て の 村 人 達 に ひ と か た な ら ぬ ご 協 力 を 賜 っ た。 調 査 員 の 多 く が、 調 査 に 回 っ た 家 で 食 事 を よ ば れ た り、 お 土 産 を 頂 戴 し た り し て、 嬉 し い ご 好 意 の 数 々 に 感 銘 を 受 け て い る。 な お、 調 査 第 三 日 目 に、 唐 舟 志 の 消 防 団 員 と 親 善 ソ フ ト ボ ー ル 試 合 を し て、 そ の あ と 生 活 館 で 反 省 会 と い う 名 の 酒 宴 を 開 い て く れ た こ と も 楽 し い 思 い 出 で あ る。 さ ら に、 調 査 の 最 終 日 の 晩 の 謝 礼 を 兼 ね た 打 ち 上 げ 会 に は、 津 和 の 糸 瀬 博 氏 を 含 め、 唐 舟 志 の 方 々 を 中 心 に、 つ こ う 十 八 人 参 集 し て 下 さ っ た こ と も 嬉 し い こ と だ っ た。 ま た、 翌 朝 は、 園 田 区 長、 木 野 田 会 計 の 胆 入 り で、 私 達 調 査 員 全 員 を 比 田 勝 港 ま で 車 で 送 っ て 下 さ っ た こ と に も 感 謝 し た い。 一、 唐 舟 志 ・ 富 ケ 浦 ・ 津 和 三 部 落 の 包 括 的 概 況 三 部 落 は、 対 馬 の 上 の 島 の 北 東 部 を 占 め る 上 県 郡 上 対 馬 町 に あ る。 同 町 の 首 邑 比 田 勝 は、 上 対 馬 町 の 首 邑 で あ る と と も に、 上 の 島 で も 最 大 の 集 落 ( 六 三 八 世 帯、 一 九 九 六 人、 昭 和 五 十 年 国 調 ) で あ る。 比 田 勝 へ は、 北 九 州 市 の 小 倉 港 か ら 一 日 一 往 復 の 定 期 船 が 通 っ て お り、 片 道 の 所 要 時 間 は 六 時 間 を 要 す る。 三 部 落 へ 行 く に は、 比 田 勝 か ら 東 へ 一 ・ 五 キ ロ で 網 代 に 至 り、 網 代 か ら 一 ・ 五 キ ロ 南 下 し て 三 部 落 の 一 つ、 津 和 に 着 く。 津 和 か ら、 南 東 々 へ 一 ・ 五 キ ロ で 富 ケ 浦 に 至 り、 ま た、 同 じ く 津 和 か ら、 南 々 東 へ ニ キ ロ 行 っ た と こ ろ に 唐 舟 志 が あ る。 比 田 勝 か ら 唐 舟 志 へ は、 津 和 経 由 の 一 日 三 回 の バ ス ( ス ク ー ル バ ス ) 便 が あ り、 そ の う ち の 二 便 が 富 ケ 浦 回 り で あ る。 さ て、 比 田 勝 は、 北 西 方 向 の 大 浦 ・ 河 内 経 由 で、 全 島 の 首 邑 厳 原 と の 間 を 南 北 に 結 ぶ 対 馬 の 交 通 の 動 脈、 対 馬 縦 貫 道 路 ( 総 延 長 一 二 一 キ ロ、 昭 和 四 十 三 年 五 月 完 成 ) の 始 発 点 で あ る。 こ の 幹 線 道 路 に 比 べ る と、 比 田 勝 を 起 点 に、 網 代 を 経 て :津 和、 富 ケ 浦、 唐 舟 志 に 至 る 路 線 は 裏 通 り 的 な 存 在 で あ る。 敗 戦 ま で の 対 馬 は、 一 部 の 町 村 を 除 い て、 全 島 が い わ ば 軍 事 要 塞 と な っ て い た の で あ り、 一 般 の 通 行 が 許 さ れ な い 軍 用 道 路 が あ り は し た が、 そ の ほ か の 道 は、 対 馬 で い わ ゆ る ﹁ 禽 鹿 の 径 ﹂ を 多 く 出 な い も の だ っ た。 加 う る に、 対 馬 は、 そ の 険 し い 山 島 的 地 形 に 災 い さ れ て、 臨 海 部 を 中 心 に 三-五 キ ロ 間 隔 で 点 在 す る 村 落 間 の 陸 路 の 交 通 は 極 端 に 不 便 で あ っ た。 そ の た め、 対 馬 に 本 格 的 な 道 路 が 作 ら れ る の は、 昭 和 二 十 八 年 に 成 立 を み た 離 島 振 興 法 以 降 の こ と な の で あ る。 島 内 六 町 に お い て、 道 路 網 が 次 第 に 整 備 さ れ て い く の は、 右 に み た 対

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馬 縦 貫 道 路 の 着 工 以 降 の こ と で あ り、 そ れ に つ な が る 支 線 の 造 成 に よ る も の で あ っ た。 そ れ だ け に、 歴 史 的 な 対 馬 の 村 々 は い ず れ も、 高 度 に 孤 立 的、 閉 鎖 的 で あ っ た し、 三 部 落 の 家 々 で 平 均 二 台 近 く の 自 家 用 車 を 所 有 し て い る と い う 現 在 で も、 そ の 事 情 が 大 き く 変 わ っ た と は 思 わ れ な い。 思 え ば、 三 部 落 に あ っ て、 昭 和 五 年 に 林 道 工 事 が 行 な わ れ、 そ れ に よ っ て、 リ ヤ カ ー 程 度 の 車 の 通 行 が 可 能 と な っ た。 唐 舟 志、 富 ケ 浦 か ら、 津 和 を 経 て 北 方 の 網 代 を 結 ぶ 網 代 道 が 拡 幅 さ れ た の が、 戦 後 も 昭 和 四 十 五 年 頃 の こ と で あ る。 次 い で、 唐 舟 志、 富 ケ 浦 か ら 津 和、 網 代 を 経 て、 比 田 勝 に 至 る 全 線 の 道 路 舗 装 が 完 成 す る の は、 昭 和 五 十 年 頃 の こ と だ と い う。 こ の 道 路 舗 装 の 完 成 を 機 会 に、 そ れ ま で 三 部 落 の 児 童 が 通 っ て い た 津 和 の 分 校 場 は 廃 止 さ れ、 学 童 ら は 比 田 勝 の 小 ・ 中 学 校 ヘ ス ク ー ル バ ス で 通 学 す る よ う に な っ た。 さ て、 唐 舟 志、 富 ケ 浦、 津 和 三 部 落 の 位 置 関 係 に つ い て い え ば、 小 さ な 津 和 湾 の 湾 入 部 中 央 に 津 和 が あ り、 そ の 北 側 を 掘 す る 場 所 に 富 ヶ 浦、 唐 舟 志 は そ の 南 の 入 口 に 拒 す る 位 置 に あ る。 唐 舟 志 か ら 富 ケ 浦 ま で は、 陸 路 で 行 け ば 三 ・ 五 キ ロ の 距 離 に あ る が、 海 上 距 離 で は ︼ ・ ニ キ ロ と 近 く に な る。 両 部 落 と も に、 小 さ な 半 島 部 の 行 き ど ま り に あ っ て、 隣 接 村 と い え ば、 津 和 よ り ほ か に な い。 一 方、 津 和 で は、 両 部 落 の ほ か に、 北 々 東 一 ・ 五 キ ロ に 網 代、 西 方 三 ・ 九 キ ロ 地 点 に 浜 久 須 が あ る。 次 い で、 唐 舟 志、 富 ケ 浦、 津 和 三 部 落 の 概 況 を 一 括 し て み て い く こ と に す る。 ま ず、 三 部 落 の 世 帯 数 か ら い え ば、 昨 年 の 調 査 時 点 に お い て、 富 ケ 浦 に 病 気 入 院 中 で 不 在、 し た が っ て 調 査 不 能 と な っ た の が 一 世 帯 あ る。 こ の 一 世 帯 を 含 め て い え ば、 三 部 落 の 総 世 帯 数 は 三 十 八、 そ れ を 各 部 落 ご と に 本 戸 寄 留 別 に 分 け て 左 に 掲 げ て お く。 右 の 表 に お い て、 本 戸 と い う の は、 江 戸 時 代 の い わ ゆ る 本 対 馬 三 部 落 に お け る ﹁ 家 ﹂ 意 識 の 調 査 研 究

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密 教 文 化 百 姓 に 相 当 し、 耕 地、 山 林 を 所 有 し て 貢 納 の 義 務 を 負 う と と も に、 磯 場 権 ( 慣 行 権 )、 社 寺 の 維 持 管 理 権、 村 寄 り へ の 参 加 権、 村 網 の 行 使 権 な ど を 独 占 し て い た、 創 立 年 代 の 古 い 家 々 の こ と で あ る。 そ れ に 対 し て、 寄 留 と い う の は、 分 家 と 外 来 戸 の 双 方 を 含 む 対 馬 独 特 の 用 法 概 念 で あ る。 そ も そ も、 分 家 と 外 来 戸 を 同 一 の 呼 び 方 に よ っ て と ら え る 特 殊 対 馬 的 理 由 は、 両 者 が そ の 成 立 の 事 情 を 異 に し な が ら も、 と も に 本 戸 が も つ す べ て の 特 権 か ら 疎 外 さ れ た 無 権 利 状 態 に お か れ て き た か ら で あ る。 財 産 の 継 承 は、 長 男 に よ る 単 子 相 続 と さ れ、 そ れ が 厳 重 に 守 ら れ て き た 対 馬 で は、 そ れ だ け に 村 人 達 の ﹁ 家 ﹂ 意 識 と、 土 地 に 対 す る 執 着 心 が 強 か っ た の で あ る。 そ の た め、 分 家 と し て は、 同 じ 部 落 内 に 本 家 そ の 他 の 親 戚 関 係 を も ち な が ら も、 外 来 戸 と 同 じ く 無 産 ・ 無 権 利 の 状 態 に お か れ て き た。 そ こ で、 分 家 と し て は、 本 戸 集 団 と の そ れ よ り も、 沿 岸 漁 業 や 賃 労 働 と い っ た 生 業 面 に お い て 外 来 戸 と 利 害 関 係 を と も に す る 機 会 の 方 が 多 く、 む し ろ 両 者 の 結 束 が 強 め ら れ て き て い た。 私 と し て は、 以 下 の と こ ろ で は 必 要 に 応 じ て、 同 じ 寄 留 な が ら、 分 家 を 分 家 寄 留 と よ び、 外 来 戸 を タ ビ 寄 留 と し て 区 別 し て 使 う こ と に す る。 さ て、 前 の 表 を み て 分 か る 通 り、 三 部 落 と も、 津 和 の 三 世 帯 を 筆 頭 と し て、 い か に も 小 規 模 な 村 落 で あ る。 福 武 直 に よ る ﹃ 日 本 の 社 会 構 造 ﹄ に よ る と、 全 国 十 四 万 あ ま り の 農 業 集 落 の 一 九 八 〇 年 度 に お け る 一 村 落 あ た り の 平 均 世 帯 数 は 三 十 (1) 三 世 帯 で あ る。 三 集 落 の 規 模 は、 全 国 平 均 の 集 落 規 模 か ら み て い ず れ も 小 さ い が、 次 に そ れ を、 対 馬 全 島 の 集 落 規 模 か ら す れ ば ど の よ う に 位 置 づ け ら れ る か に つ い て み て お く。 資 料 は 少 し 古 い が、 昭 和 五 十 年 の 国 勢 調 査 を も と に 計 算 す る と、 対 馬 の 平 均 的 な 集 落 規 模 は 次 の よ う に な る。 対 馬 の 人 口 は 全 体 で、 一 四、 七 六 〇 世 帯、 五 二、 四 二 二 人 で あ り、 そ の 首 邑 厳 原 は 三、 四 四 八 世 帯、 九 九 八 八 人 と、 全 島 の 人 口 の 約 十 九 % を 集 め て い る。 そ こ で、 私 と し て は 十 一 地 区、 人 口 の 約 二 割 を 集 め る 厳 原 を 除 外 し て、 全 島 の 平 均 的 な 集 落 規 模 を 求 め る こ と に す る。 数 え 方 に よ っ て い く ら か の 開 き は 出 る が、 厳 原 地 区 を 除 く 対 馬 の 集 落 数 は 一 二 八 で あ る。 全 島 の 世 帯 数、 人 口 を こ の 集 落 数 で 割 れ ば、 単 純 平 均 の 集 落 規 模 は、 八 八 ・ 四 世 帯、 三 三 一 ・ 五 人 と な る。 一 二 八 集 落 の う ち で、 二 百 世 帯 以 上 の 規 模 を も つ も の が 十 三 ( 九 % )、 百-一 九 九 世 帯 の 規 模 で 四 七 ( 三 四 %)、 四 九 世

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帯 以 下 が 五 六 ( 四 〇 %)で あ る。 さ ら に、 三 十 世 帯 以 下 の 集 落 は 二 七 ( 二 一 ・ 一 %)と な る の で、 私 達 の 調 査 し た 三 集 落 は、 全 島 的 に み て も い ず れ も 小 規 模 な 集 落 に 属 す る こ と に な る。 さ て、 つ づ い て、 三 部 落 の 世 帯 主 の 主 な 職 業 は 次 の よ う で あ る。 津 和 の 主 な 職 業 が 農 業 で あ る こ と を 除 い て、 唐 舟 志、 富 ケ 浦 の 世 帯 主 の お も な 職 業 は 漁 業 で あ る。 富 ケ 浦 の 林 業 と い う の は 椎 茸 栽 培 で あ る が、 三 部 落 を 通 し て、 副 業 的 に 椎 茸 栽 培 が 行 な わ れ、 年 間 百-二 百 万 円 の 収 益 を あ げ て い る 家 は 十 世 帯 前 後 あ る。 次 に、 三 部 落 を 全 体 と し て み た ば あ い、 主 産 業 の 位 置 を 占 め る 漁 業 に つ い て、 規 模 別 所 有 漁 船 数 と、 過 去 三 年 間 の 海 産 物 の 水 揚 げ 金 額 を 掲 げ て お く。 右 の 表 で 分 か る よ う に、 唐 舟 志、 富 ケ 浦 と も に、 老 人 世 帯 を 除 け ば、 ほ と ん ど 全 戸 が 漁 船 を 所 有 し、 漁 業 で 収 益 を あ げ 対 馬 三 部 落 に お け る ﹁ 家 ﹂ 意 識 の 調 査 研 究

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密 教 文 化 て い る こ と が 知 ら れ る。 津 和 の 三 世 帯 で も、 表 に は 出 て い な い が 無 動 力 船 は 所 有 し て お り、 春 の ワ カ メ、 ヒ ジ キ な ど の 海 草 の 解 禁 時 期 に は 採 草 に 従 事 し、 一 世 帯 あ た り 三 十 万 円 前 後 の 収 益 が あ る と い わ れ て い る。 三 部 落 の 年 間 所 得 の う ち、 八 五 % ほ ど は、 漁 業 収 益 が 占 め て い る と み て よ い。 な お、 唐 舟 志 に 世 帯 数 の 倍 近 く の 漁 船 が あ る の は、 雇 人 四-六 人 を 抱 え る 庄 司 水 産、 森 江 水 産、 三 共 水 産 と い う 三 つ の 企 業 化 し た 定 置 網 経 営 体 が あ る か ら で あ る。 次 い で 三 部 落 全 世 帯 の 年 間 所 得 は 次 の よ う で あ る。 こ れ か ら す る と、 農 業 が 主 体 で 漁 業 に 縁 の 薄 い 津 和 の 年 間 所 得 が 低 く、 平 均 二 五 〇-三 〇 〇 万 円、 富 ケ 浦 が 中 間 に 立 ち 平 均 で 三 〇 〇-三 五 〇 万 円、 唐 舟 志 が 最 も 多 く て、 平 均 で 四 〇 〇 万-五 〇 〇 万 円 と な る。 し か し、 三 部 落 で 聞 く 話 だ と、 富 ケ 浦 の 人 達 は ﹁ 金 は 持 っ て い る ﹂ と い う こ と な の で、 実 際 の 所 得 は 唐 舟 志 と ほ と ん ど 変 わ ら な い の か も 知 れ な い。 私 が、 過 去 に 調 査 し た 対 馬 の 諸 村 落 で は、 年 間 平 均 所 得 は 二 五 〇-三 〇 〇 万 円 と い う の が 一 般 的 で あ っ た。 そ れ ら に 比 べ る と、 こ の 三 部 落 の 年 間 所 得 は、 総 じ て 百 万 円 余 り 多 い こ と に な る。 事 実 が そ う な の で あ ろ う と 思 う が、 あ る い は、 三 部 落 の 村 人 た ち が 極 力 正 確 な と こ ろ を 答 え て く れ た こ と も 手 伝 っ て い る の か も 知 れ な い。 次 に、 三 部 落 の 農 家 の 田 畑 ・ 山 林 の 所 有 面 積 に つ い て み て お こ う。

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田 畑. 山 林 に つ い て は、 唐 舟 志 の 寄 留 十 軒、 富 ケ 浦 の 寄 留 一 軒 の 専 業 漁 家 で は、 い っ さ い 所 有 し て い な い。 そ の こ と は、 た と え そ の 例 は 少 な い に せ よ、 本 戸 層 の 家 々 の 間 で 土 地 の 売 買 が あ っ た と し て も、 土 地 取 得 者 が 寄 留 に は 及 ん で い な い こ と を 示 し て お り、 土 地 所 有 を め ぐ っ て、 本 戸 の 寄 留 に 対 す る 特 権 意 識 を 垣 間 み せ て い る と い え よ う。 さ て、 富 ヶ 浦 の 立 花 区 長 に よ る と、 対 馬 全 島 の 農 家 の 土 地 所 有 面 積 は、 休 耕 地 を 含 め た 平 均 で、 水 田 二 反 ( 二 〇 ア ー ル )、 畑 七 反、 山 林 三 町 歩 ( 三 ヘ ク タ ー ル ) だ そ う で あ る。 そ れ を 基 準 と し て み る と き、 三 部 落 と も、 山 林 で は 広 い が、 田 畑 に つ い て は、 ま ず 平 均 ど こ ろ と い う べ き だ ろ う か。 唐 舟 志 の 古 老 の 話 に よ る と、 藩 制 時 代 に は、 唐 舟 志 と 富 ケ 浦 は 豊 漁 場 に 恵 ま れ て い た た め、 漁 場 を 広 く も ら っ た 代 り に、 土 地 の 割 り あ て が 少 な か っ た と の こ と で あ る。 両 部 落 と も、 集 落 部 の す ぐ 近 く ま で 山 が 迫 っ て い て 平 地 畑 に 恵 ま れ な い が、 戦 前、 戦 後 を 通 し て 漁 業 の 現 金 収 入 は よ い と あ っ て、 近 隣 村 に 耕 地 ・ 山 林 を 買 っ て い る。 唐 舟 志 の 何 軒 か は、 津 和 と 浜 久 須 に 水 田 を 買 い、 富 ケ 浦 で も 網 代 に 山 林 を 買 っ て い る 家 が 二、 三 軒 あ る。 三 部 落 の う ち で は、 唐 舟 志 と 富 ケ 浦 の 所 得 水 準 は 高 く、 経 済 生 活 は そ れ だ け 安 定 し て い る。 生 活 が 安 定 し て お れ ば、 人 口 構 成 も そ れ ほ ど 老 齢 化 が 進 ん で い な い か と 思 わ れ る が、 次 に 三 部 落 の 性 別、 年 齢 別 人 口 構 成 を み て お こ う。 対 馬 三 部 落 に お け る ﹁ 家 ﹂ 意 識 の 調 査 研 究

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密 教 文 化 こ れ で み る と、 総 人 口 一 七 二 人 に 対 し て、 五 歳 未 満 人 口 は 六 人 ( 〇 ・ 三 五 %)と さ す が に 少 な い が、 十 六 歳 か ら 二 十 五 歳 ま で 青 年 人 口 は 十 七 人 ( 九 ・ 九 %)と 一 割 を 占 め て い る。 ま た、 二 十 六 歳 か ら 五 十 歳 ま で を 壮 年 人 口 と す れ ば、 人 数 に し て 五 十 五 人 ( 三 二 %)と 総 人 口 の 約 三 分 の 一 を 占 め、 青 年 人 口 と 合 せ て 七 十 二 人、 四 一 ・ 九 % と な る。 そ れ に 対 し て、 六 十 一 歳 以 上 の 人 口 は、 三 十 二 人 ( 一 八 ・ 六 %)で あ り、 対 馬 の な か で も と く に 過 疎 化 の 激 し い 辺 僻 な 諸 村 落 と し て は、 比 較 的 老 齢 化 が 進 ん で い な い と み て よ い。 ち な み に、 昭 和 五 十 三 年 に 調 査 し た 上 県 町 大 字 伊 奈 部 落 で は、 六 十 歳 以 上 の 老 齢 人 口 の 占 め る 割 合 は 二 一 ・ 二 %で あ っ た。 つ づ い て、 三 部 落 の 歴 史 的 な か か わ り を 簡 単 に み て お こ う。 三 部 落 の う ち で は、 唐 舟 志 と 津 和 両 部 落 の か か わ り が 歴 史 的 に 深 く、 両 者 は 長 い 間、 本 ・ 枝 村 と い う べ き 関 係 に あ っ た。 江 戸 時 代 に 編 さ ん さ れ た ﹃ 郷 村 帳 ﹄ に は、 次 の よ う な 記 録 が あ る。 ﹁ 津 和 原 ハ 豊 崎 郷 拾 七 ケ 村 ノ 内 本 村 ニ テ 候 得 ド モ 唐 舟 志 ノ 枝 村 二 相 立 居 候 事 ﹂。 右 の 文 中 に い う 津 和 原 と は 津 和 の こ と で あ り、 豊 崎 郷 と い う の は、 旧 豊 崎 町 の こ と で あ る。 現 上 対 馬 町 は、 昭 和 三 十 一 年 一 月 一 日 に、 旧 豊 崎 と そ の 南 の 旧 琴 村 と が 合 併 し て 誕 生 し た も の で あ る。 津 和 は 戸 数 が 少 な い と こ ろ か ら、 唐 舟 志 の 枝 村 の 位 置 に 立 ち、 そ の 関 係 は 大 正 年 代 の 終 り 頃 ま で 続 い て い た。 唐 舟 志 の 古 老 の 語 る と こ ろ で は、 そ の 頃 ま で、 唐 舟 志 の 村 寄 り に 津 和 の 村 人 が 出 席 し て い た し、 津 和 で 葬 式 が あ れ ば 唐 舟 志 か ら 加 勢 に 行 っ て い た と の こ と で あ る。 そ れ が、 大 正 の 末 年 頃 に 津 和 の 戸 数 が ふ え た た め で あ ろ う か、 唐 舟 志 か ら 分 離 独 立 し て 現 在 に 至 っ て い る。 し か し、 そ の 後 に お い て も、 二 十 人 あ ま り の 男 手 の 欠 か せ な い 葬 式 と も な れ ば、 唐 舟 志 の 村 人 の 加 勢 を 必 要 と し た の で あ る。 一 方、 唐 舟 志 と 富 ケ 浦 と の 歴 史 的 な か か わ り で あ る が、 両 部 落 問 の 距 離 は、 津 和 経 由 で 陸 路 三 ・ 五 キ ロ で あ る と は い え す で に ふ え た よ う に、 海 上 距 離 で は 一 キ ロ 余 り に す ぎ な い。 距 離 的 に 近 い 部 落 同 士 な の で、 も と も と、 唐 舟 志 に あ る 林 昌 寺 は 三 部 落 の 檀 那 寺 で あ り、 ま た、 唐 舟 志 の 氏 神 社 の 祭 礼 時

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に 巫 女 役 を つ と め た 同 部 落 の 地 野 田 家 の 祖 先 は、 富 ケ 浦 の 天 神 様 の 巫 子 役 も つ と め て 来 て い た。 し か し、 距 離 的 に 近 い が ゆ え に、 近 接 村 の 仲 が よ い と い う 保 証 に は な ら な い。 双 方 と も 歴 史 的 に 漁 業 が 盛 ん で あ り、 海 上 距 離 で 一 キ ロ 余 り の 距 た り と い え ば、 も と も と は っ き り し た 目 印 の な い 海 上 の こ と で あ れ ば、 当 然、 漁 場 争 い も 絶 え な か っ た こ と で あ ろ う。 富 ヶ 浦 の 立 花 区 長 に よ る と、 父 か 祖 父 の 代 か の と き、 唐 舟 志 と の 間 に 漁 場 争 い が 起 こ り、 そ れ を き っ か け に、 そ れ ま で は 唐 舟 志 の 林 昌 寺 の 檀 家 だ っ た 富 ケ 浦 の 全 戸 が、 津 和 の 西 方 三 ・ 九 キ ロ に あ る 浜 久 須 の 寺 の 檀 家 に 変 わ っ た と い う。 し か し、 昭 和 五 十 年 す ぎ に、 比 田 勝 に 小 学 校 が 統 合 さ れ る ま で、 三 部 落 の 子 供 達 は、 津 和 の 分 教 場 に 通 っ て い た と い う 事 情 が あ る。 だ か ら、 三 部 落 の 村 人 の 誰 に 尋 ね て も、 三 部 落 全 世 帯 の 夫 妻 の 出 身 地 を 聞 き 出 す こ と が で き る。 た だ、 私 達 の 調 査 時 点 に お い て、 三 部 落 間 の 通 婚 関 係 は 思 い の ほ か 少 な か っ た。 唐 舟 志 に は、 津 和 か ら 迎 え た 嫁 が 一 人 い る だ け で、 富 ケ 浦 か ら は い な い。 一 方、 富 ケ 浦 で も、 唐 舟 志、 津 和 か ら 迎 え た 嫁 は い な い が、 た だ、 唐 舟 志 か ら の 入 婿 が 二 人 い る。 こ れ が 三 部 落 の 通 婚 関 係 の す べ て で あ る。 そ の 代 り、 あ と で み る よ う に、 三 部 落 と も そ れ ぞ れ、 小 規 模 村 落 と し て は、 今 な お 精 一 杯 の 部 落 内 婚 率 を 示 し て い る と い え よ う。 実 際、 三 部 落 と も、 村 人 た ち は 生 活 上 の 必 要 か ら 部 落 外 に 出 る こ と は 少 な い。 そ の 理 由 は こ う で あ る。 三 部 落 内 の 店 屋 に は 酒 屋、 肉 屋 が な い し、 養 鶏 戸 も な い。 し か し、 部 落 内 の 店 に 頼 む か、 直 接 自 分 で 電 話 す れ ば、 比 田 勝 の 商 店 が 運 ん で 来 て く れ る し、 と れ た 海 産 物 も 漁 協 支 所 に 渡 せ ば、 仲 買 人 や 豊 崎 漁 協 の 保 冷 車 が 運 ん で く れ る の で あ る。 ち な み に、 島 内 の 大 き な 部 落 を 三 つ あ げ て、 そ こ へ 行 っ た こ と が あ る か 否 か を 尋 ね た 結 果、 行 っ た こ と が な い と 回 答 し た 者 の 人 数 は 次 の よ う で あ っ た。 難 知 は 美 津 島 町 の 町 役 場 の あ る 対 馬 第 二 の 首 邑 で あ る か ら さ す が に 行 っ た こ と の な い 者 は 少 な い。 豆 殴 は 対 馬 最 南 端 の 世 帯 数 五 百 を 上 回 る 大 部 落 で、 風 光 の 美 し い と こ ろ で あ る が 行 っ た こ と の な い 者 は 半 数 に 近 い。 鴨 居 瀬 は、 美 津 島 町 の 東 海 岸 に あ り、 世 帯 数 二 百 を 越 す 部 落 だ が、 四 人 に 一 人 は 訪 れ 対 馬 三 部 落 に お け る ﹁ 家 ﹂ 意 識 の 調 査 研 究

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密 教 文 化 て い な い。 唐 舟 志、 富 ケ 浦 と も、 村 人 ら は、 村 の ま と ま り の よ さ を 強 調 す る。 唐 舟 志 の 村 人 ら に 豪 飲 家 が 多 い と い う の も、 村 の ま と ま り の よ さ と は 無 関 係 で は な い だ ろ う。 富 ケ 浦 の 立 花 区 長 は、 ﹁ こ こ は ま と ま り が 強 く、 共 同 で 金 を 出 し 合 う 機 会 が 多 い。 共 同 で 金 を 出 し 合 う こ と が 多 い だ け に、 あ る 程 度 経 済 力 が な い と こ に は 住 み ず ら い だ ろ う ﹂ と 述 べ て い る。 三 部 落 別 の 歴 史 と 概 況 の 唐 舟 志 唐 舟 志 の 地 名 の い わ れ に つ い て は、 古 来、 三 説 が あ る。 一 つ は、 舟 志 湾 奥 の 舟 志 に 対 し て 東 方 に あ た る か ら と い う 説 で あ る。 唐 舟 志 は、 津 和 湾 の 南 の 入 口 を 擁 す る と 同 時 に、 舟 志 湾 の 北 の 入 口 を 拒 す る 部 落 な の で あ る。 二 は、 昔、 こ こ に 渡 舟 司 が い た と こ ろ か ら、 そ れ が 説 っ て 現 在 の 名 に な っ た と す る 説 で あ り、 昔、 防 人 が さ し 向 け ら れ た 土 地 と い う こ と に な る。 そ の 三 は、 東 塩 州 の 託 で あ る と す る 説 で あ る。 こ の 説 は、 昔、 唐 舟 志 の 西 方 に あ る 舟 志 部 落 に 塩 釜 が あ っ た こ と か ら、 そ こ が 塩 州 と よ ば れ、 そ の 塩 州 の 東 方 に あ っ た こ と か ら こ の 呼 び 名 が 生 じ た と す る。 私 と し て は、 唐 舟 志 の 地 名 の 由 来 を こ れ 以 上 詮 策 す る つ も り は な い。 た だ、 舟 志 の 郷 土 史 家 古 藤 繁 守 氏 ( 七 九 歳 ) に よ る と、 唐 舟 志 は、 そ の 南 の 五 根 緒 と と も に、 昔 は 朝 鮮 貿 易 の 基 地 で あ っ た と い う。 津 和 の 大 糸 瀬 家 に 残 る ﹁ 糸 瀬 家 文 書 ﹂ に は、 先 祖 の 一 人 に 唐 よ り も わ が 国 よ り も 船 路 え て 往 く も 帰 る も 唐 舟 志 か な と い う 短 歌 が あ り、 唐 に 往 来 す る わ が 国 の 船 が 舟 待 ち し た 港 だ と い う こ と に な る。 中 川 延 良 に よ る ﹃ 楽 郊 紀 聞 ﹄ に は、 唐 (2) か ら 舟 志 の 浦 か ら、 ﹁ 唐 土 の 年 号 の 銭 ﹂ が あ が っ た と い う 話 を 伝 え て お り、 渡 唐 船 の 寄 港 を う か が わ せ る。 唐 舟 志 は、 津 和 湾 と 舟 志 湾 の 二 つ の 入 口 を 擁 す る 地 に 当 り 豊 漁 場 に 恵 ま れ て い た こ と も あ り、 伝 統 的 に は 半 農 半 漁 村 で は あ る が、 古 く か ら 村 網 の 種 類 も 多 く、 漁 業 が 盛 ん で あ っ は せ く だ た。 唐 舟 志 の 走 下 り と い う 地 名 の 地 は、 昔 か ら タ ビ 寄 留 が 多 く 居 住 し て き た と こ ろ で、 明 治 以 降 も、 こ こ に 寄 留 し て 漁 業 で 蓄 財 し、 北 田 勝 へ 出 て そ こ で も 有 数 の 商 店 主 に な っ た 人、 ま た、 広 島 県 出 身 の 寄 留 兵 頭 氏 は 峰 町 の 佐 賀 ( 三 三 六 世 帯、

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昭 和 五 十 年 国 調 ) へ 転 住 し て 村 長 に な っ た と い う。 ﹃ 郷 村 帳﹄によると、唐舟志の項に、 ﹁元 竈 拾 六 軒 今 十 八 軒 家 十 八 軒 ﹂ と あ る。 唐 舟 志 の 本 戸 は、 藩 制 時 代 に 十 八 戸、 そ れ が 現 在 で は、 津 和 に 転 住 し て な お 唐 舟 志 の 本 戸 の 資 格 を も つ 糸 瀬 家 を 除 外 し て、 三 戸 を 減 じ て 十 四 戸 で あ る。 消 失 し た 三 戸 の 本 戸 の も つ 株 は、 部 落 内 の 何 軒 か の 本 戸 が な ん ら か の 方 法 で 買 い 取 っ た も の と 思 わ れ る。 さ て、 唐 舟 志 に つ い て 特 記 す べ き こ と と し て、 こ の 小 部 落 内 に、 庄 司 水 産、 森 江 水 産、 三 共 水 産 と い う 定 置 網 漁 の 企 業 的 経 営 形 態 が み ら れ る こ と で あ る。 そ の う ち、 三 共 水 産 は、 本 戸 三 戸 の 出 資 に よ る 協 同 経 営 体 で あ る が、 そ れ よ り 規 模 の 大 き い 他 の 二 つ の 経 営 体 は、 と も に 走 下 ( は せ く だ り ) に 居 住 す る 寄 留 に よ る も の で あ る。 こ の こ と は、 資 産 を も つ 本 戸 層 が、 資 産 を 失 う 危 険 の こ と を 思 っ て 保 守 的 と な り、 よ り 大 胆 に 漁 業 経 営 に 投 資 を 惜 し ま な か っ た 寄 留 の 進 歩 性 に 出 し ぬ か れ た 好 例 で あ る。 漁 業 の 企 業 的 経 営 体 の 例 は、 対 馬 の ほ か の 村 落 に い く ら も そ の 例 を 見 い だ す こ と は で き る。 し か し、 そ れ ら は い ず れ も、 世 帯 数 百 前 後 を 越 え る 部 落 の ば あ い で あ り、 唐 舟 志 の よ う に 二 十 四 世 帯 と い う 小 規 模 部 落 に 例 を み る の は 珍 し い。 そ れ だ け に、 唐 舟 志 に お け る 漁 業 の 企 業 的 経 営 体 の 存 在 に つ い て は、 豊 漁 場 に 恵 ま れ て い る と い う こ と の ほ か に、 な に か 特 別 の 理 由 が な け れ ば な ら な い。 そ れ に つ い て は、 唐 舟 志 の 近 海 が 豊 漁 場 で あ る が ゆ え に、 明 治 時 代 よ り 山 口 県 の 日 本 海 側 の い く つ か の 漁 村 か ら の 出 漁 が あ っ た。 ま た、 そ の 後、 上 県 町 佐 須 奈 の 網 主 が、 唐 舟 志 で 航 子 を 雇 っ て 大 々 的 に 網 漁 を 行 な っ て お り、 ま た、 現 在 は 西 泊 に 転 住 し て い る 奥 島 水 産 も こ こ で 舳 子 を 雇 っ て、 イ カ の 定 置 網 漁 を 行 な っ て い た こ と が あ る。 そ の ほ か に も、 す で に 述 べ た よ う に、 唐 舟 志 で 大 が か り な 漁 業 経 営 を 行 な っ て 蓄 財 し た 人 も い た の で あ る。 (3) た ん に、 漁 業 の 企 業 的 経 営 と い う だ け で な く、 戦 争 中 の 昭 和 十 六、 七 年 か ら 敗 戦 ま で 一 時 期 中 断 し た と は い え、 現 在 グ ラ ン ド に な っ て い る 場 所 に 缶 詰 工 場 も あ っ た。 こ の 工 場 は、 大 正 年 代 の 半 ば に 創 設 さ れ、 済 州 島 の 海 女 十 人 を 雇 い、 四-九 月 の 間、 サ ザ エ、 ア ワ ビ を 採 取 さ せ、 夏 場 だ け の 操 業 だ っ た。 缶 詰 の 月 産 は 三 百 缶 ほ ど、 従 業 員 は 海 女 以 外 は 六 人 で あ 対 馬 三 部 落 に お け る ﹁ 家 ﹂ 意 識 の 調 査 研 究

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密 教 文 化 っ た。 こ の 缶 詰 工 場 は、 昭 和 二 十 五 年 に 操 業 を 再 開、 そ の 後 数 年 間 操 業 し て 廃 止 と な っ た。 こ の 缶 詰 工 場 が 捨 て た 貝 殻 は、 付 近 の 海 岸 に う ず 高 く 積 ま れ て い た が、 こ れ に 注 目 し た 本 戸 の 一 戸 は、 昭 和 二 十 六 年、 そ れ を 原 料 と す る ボ タ ン 製 造 工 場 を 創 設 し て い る。 従 業 員 は 十 名、 そ の う ち 一 人 は 朝 鮮 人 の 専 門 職 人、 六 人 は 唐 舟 志 の 女 性、 残 り 三 人 は 上 県 町 佐 護 か ら 来 て い た。 缶 詰 工 場、 ボ タ ン 工 場 と も、 粗 末 な バ ラ ッ ク 建 て で は あ っ た が、 こ れ ほ ど の 小 部 落 に 二 つ の 工 場 が 並 び 建 っ た と い う の は、 対 馬 で は 異 例 の こ と で あ る。 し か も、 工 場 の 創 設 者 は い ず れ も 本 戸 の 人 で あ る。 守 旧 的 な 対 馬 の 村 々 に あ っ て、 本 戸 層 に 属 す る 村 人 た ち は 先 祖 譲 り の 財 産 を 減 ら す ま い と し て、 こ と の ほ か 保 守 的 で あ る。 だ か ら、 全 島 的 に み て、 対 馬 の 商 店 主 や 新 規 の 事 業 主 は、 多 く タ ビ 寄 留 に よ っ て 占 め ら れ て き て い る の で あ る。 さ ら に い え ば、 戦 後 津 和 に 転 住 し た 糸 瀬 家 の 先 代 と い う の が、 企 業 精 神 に 長 け た 人 で あ っ た。 彼 は、 右 に 述 べ た 二 つ の 工 場 が 創 設 さ れ る よ り も 早 く、 大 正 初 年 か ら 朝 鮮 人 を 雇 用 し て 木 炭 製 造 業 を 手 が け て い る。 そ の 経 営 範 囲 は、 適 材 を 探 し て 転 々 と 移 動 し つ つ、 旧 豊 崎 町 は も と よ り、 旧 琴 村 の 一 部 に ま で 及 ん で い た。 敗 戦 に よ っ て、 こ の 事 業 は 廃 絶 さ れ た と は い え、 右 の 二 つ の 工 場 も、 こ の 糸 瀬 家 の 先 代 の 企 業 的 精 神 に 触 発 さ れ て 創 設 さ れ た と い え る の で あ ろ う。 ボ タ ン 製 造 工 場 の 経 営 主 の 妻 は、 唐 舟 志 の 定 着 寄 留 の 出 で あ り、 彼 女 の 叔 母 が ま た、 企 業 的 精 神 の 旺 盛 な 人 だ っ た と い わ れ る。 寄 留 漁 家 に よ る 漁 業 の 企 業 的 精 神 と、 本 戸 層 の そ れ と が 相 補 的 な 関 係 と な っ て、 こ こ の 村 人 達 の 企 業 精 神 を あ お っ た の で あ ろ う か。 糸 瀬 家 の 当 主 が、 農 業 経 営 の 便 宜 と い う こ と も あ っ て、 先 祖 代 々 住 み な れ た 唐 舟 志 を 捨 て、 津 和 の 海 寄 り の 山 腹 の 地 を 選 ん で 転 居 し た と い う の も、 企 業 精 神 の 一 変 種 と い え る か も 知 れ な い。 津 和 津 和 の 南、 浜 寄 り の 畑 の 一 隅 か ら、 一 九 〇 〇 年 前 頃 の も の と 推 定 さ れ る 銅 矛 が 発 掘 さ れ、 唐 舟 志 の 庄 司 哲 治 氏 宅 に 保 管 さ れ て い る。 な か な か 重 量 感 が あ り、 祭 儀 用 と い う よ り、 実 戦 用 に 作 ら れ た も の の よ う で あ る。 ま た、 津 和 に は ﹁ か が み ﹂ と い わ れ る 地 坪 が あ る が、 そ こ か ら は 鏡 が 出 土 し て、 津 和 の

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武 末 勇 家 に 保 管 さ れ て い る。 唐 舟 志 か ら、 昭 和 二 十 二 年 に 転 住 し 海 岸 に ほ ど 近 い 山 腹 に 一 戸 だ け ポ ツ ン と 立 っ て い る 大 糸 瀬 家 の 当 主 は、 近 隣 で は 郷 土 史 家 と し て 知 ら れ て い る。 こ の 当 主 に よ る と、 津 和 に は、 小 規 模 で 粗 末 な も の で は あ る が、 八 基 の 古 墳 が 発 見 さ れ て い る と い う。 さ ら に、 右 の 銅 矛 が 発 掘 さ れ た 畑 の 隅 に あ る 椿 林 の な か に は、 墓 所 ら し い も の が 残 っ て い る。 こ れ が も し 墓 所 な ら ば、 そ れ は お そ ら く、 還 流 す る 対 馬 海 流 に 乗 っ て、 対 馬 の 東 海 岸 を 南 下 す る 鯨 を ね ら っ て、 藩 制 期 に こ こ に い た 鯨 組 ( 秋 納 屋 ) の 胴 子 の も の で あ ろ う と 推 定 さ れ て い る。 津 和 は、 か っ て 津 和 原 と よ ば れ て い た だ け に、 近 隣 村 で は 珍 し く 広 い 平 野 部 と な っ て い る の で、 こ の 地 が 先 史 時 代 の 人 達 の 居 住 地 に 選 ば れ て も 不 思 議 は な い。 現 在 で は、 そ の 平 野 部 全 体 が 水 田 と し て 利 用 さ れ て い る が、 た だ 残 念 な こ と に は 水 利 の 便 が 悪 く、 昨 年 の 私 達 の 調 査 時 点 で も 干 越 の 危 機 に み ま わ れ て い た。 実 の と こ ろ、 津 和 で は、 こ の 水 利 の 難 点 を 解 消 す る た め に、 対 馬 で は 珍 し く 溜 池 が 作 ら れ て、 比 較 的 近 年 ま で 利 用 さ れ て き て い た の で あ る。 ﹃ 津 島 紀 事 ﹄ に 左 の 記 事 が あ る。 (4) ﹁ 承 応 年 中 吾 が 州 君 ノ 領 分 肥 前 国 基 緯 郡 田 代 ノ 農 民 ヲ 置 テ 断 絶 セ シ 村 ヲ 立 サ シ ム ﹂。 こ の 地 に は、 昔 か ら 鹿 が 多 く 出 没 し、 冬 の 野 菜 用 に 軒 先 に 干 葉 を か け て い る と、 一 夜 に し て 鹿 に 食 べ つ く さ れ る こ と が あ っ た と い う か ら、 村 の 断 絶 は こ の こ と に 関 係 が あ っ た の か も 知 れ な い。 藩 制 時 代 に、 対 馬 の 藩 領 と し て 現 在 の 佐 賀 県 の 鳥 栖、 基 山、 田 代 の 地 に 飛 地 が あ り、 こ の 地 の 農 民 を 津 和 に 移 し て い る の で あ る。 対 馬 で は ほ と ん ど 例 を み な い 溜 池 の 利 用 に よ る 水 田 灌 慨 と い う 方 法 は、 お そ ら く、 田 代 の 農 民 が 内 地 か ら 伝 え た 農 耕 文 化 の 産 物 で あ っ た ろ う。 津 和 の 過 疎 化 が 進 み、 溜 池 の 維 持 管 理 に 人 手 が 足 り ず、 そ れ が な く な っ た 現 在、 村 人 ら は 水 不 足 に 悩 ま さ れ て い る の で あ る。 今 に し て、 稲 作 農 民 の 知 恵 が 偲 ば れ る。 さ て、 私 の 知 る か ぎ り、 田 代 の 農 民 は、 上 県 町 志 多 留 の 北 方 に あ る 田 ノ 浦 に も 移 っ て 来 て い る。 貞 享、 元 禄 の 頃、 田 代 の 乙 成 伝 左 衛 門 ら が、 新 田 開 発 の 藩 命 を 受 け て 入 植 し た の で あ る。 た だ、 田 ノ 浦 の ば あ い は、 水 利 の 便 の 悪 い 津 和 と は 反 対 に、 排 水 の 便 の な い 芦 の 茂 る 広 い 湿 原 で あ っ た。 そ の 田 ノ 浦 は、 乙 成 ら の 排 水 事 業 が 成 功 し て、 数 町 歩 の 水 田 が 広 が っ 対 馬 三 部 落 に お け る ﹁ 家 ﹂ 意 識 の 調 査 研 究

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密 教 文 化 て い る。 津 和 の 過 疎 化 は、 近 年、 急 で あ っ た。 昭 和 四 十 五 年 国 調 で、 十 一 世 帯 ( 教 員 住 宅 に 住 む 教 員 四 世 帯 を 含 む ) 四 十 五 人 で あ っ た が、 五 年 後 の 国 調 で 六 世 帯、 十 七 人、 そ れ が 昨 年 の 調 査 時 点 で、 三 世 帯 十 一 人 と 減 少 し て い る。 海 岸 ま で 距 離 が あ り、 漁 業 に よ る 現 金 収 入 が 少 な い こ と が 過 疎 化 の 主 た る 原 因 で あ ろ う。 津 和 の 水 田 の 相 当 部 分 は、 唐 舟 志 の 村 人 ら の 手 に 移 っ て い る。 の 富 ケ 浦 ﹃ 郷 村 帳﹄によると、﹁元竈八軒今六軒又十一軒二成ル家 数 十 一 軒 ﹂ と あ る。 ま た、 わ が 国 の 応 仁 年 間 に、 李 朝 の 申 叔 舟 に よ っ て 書 か れ た ﹃ 海 東 諸 国 記 ﹄ に は、 富 ケ 浦 は 十 軒 と 出 て い る そ う で あ る。 唐 舟 志 の 古 老 か ら 聞 い た と こ ろ で は、 富 ケ 浦 の 草 分 け は 平 家 の 落 武 者 で あ る と い う。 そ の 事 実 を 証 明 す る 資 料 は な い に せ よ、 い か に も 平 家 の 落 武 者 で も 住 み つ き そ う な 辺 地 の 小 村 落 で あ る。 集 落 部 は、 山 が 海 岸 に 迫 る ご く 狭 い 平 地 と、 川 沿 い の 僅 か な 平 地 に 立 地 し て お り、 よ く も こ ん な と こ ろ に 人 が 住 め た も の と い う 印 象 を 禁 じ え な い 孤 立 村 で あ る。 う ち み た と こ ろ、 水 田 は も ち ろ ん、 畑 地 も あ り そ う に も 思 わ れ な い が、 し か し、 藩 制 時 代 以 降、 こ こ も 半 農 半 漁 村 だ っ た の で あ る。 立 花 区 長 の 語 る と こ ろ で は、 昔、 こ こ に 五 軒 の 原 住 戸 が あ っ た と こ ろ へ、 元 禄 九 年 七 月、 立 花 姓 四 軒 が 浜 久 須 の 島 の 浦 か ら 転 住 し て き た そ う で あ る。 そ の 前 後 に、 阿 比 留 姓 一 軒 も 転 住 し て 来 て、 合 せ て 十 軒 と な っ た が、 そ の と き 以 降、 極 く 近 年 ま で 戸 数 に 変 動 は な か っ た と い う。 昭 和 四 十 八 年 に な り 奥 村 家 が 入 村 し て 来 て、 現 在 は 十 一 軒 に な っ て い る。 こ の 奥 村 家 一 軒 だ け が 専 業 漁 家 で あ り、 在 来 戸 十 戸 は す べ て 耕 地 ・ 山 林 を 所 有 し て お り、 漁 業 の か た わ ら 農 業 も 行 な っ て い る。 ﹃ 郷 村 帳﹄や﹃海東諸国記﹄の記す富ケ浦の戸数と、現在の そ れ を 考 え 合 せ て、 こ こ で は 十 軒 く ら い が 戸 数 の 限 度 で あ ろ う。 (5) さ て、 富 ケ 浦 で は、 昭 和 十 年 頃 は 単 立 の 漁 業 組 合 を 経 営 し、 各 戸 に 配 当 さ れ る 金 額 の 中 か ら 天 引 き 積 み 立 て を 継 続 し、 相 当 な 資 金 を つ く り 上 げ て い た。 こ の 豊 富 な 資 金 は、 昭 和 二 十 四 年 に 富 ケ 浦 の 漁 業 組 合 が 豊 崎 漁 業 協 同 組 合 に 合 併 さ れ る と き、 そ の 使 途 を め ぐ っ て 大 い に も め て い る。 結 局、 こ の 資 金 は、 富 ケ 浦 の 護 岸 工 事 に 使 う と い う こ と で ケ リ が つ い

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た が、 現 在 の 港 の 防 波 堤 は こ の 自 前 の 資 金 に よ っ て 作 ら れ た の で あ る。 さ て、 こ の 辺 僻 な 小 村 落 に つ い て 特 記 す べ き こ と の 一 つ は、 唐 舟 志、 津 和 に 比 べ て、 昔 か ら 高 学 歴 者 を 多 く 出 し て い る こ と で あ る。 こ こ に は、 世 帯 主 夫 妻 で、 旧 制 中 学、 旧 高 女 の 学 卒 者 が 何 人 か お り、 唐 舟 志 に は い な い 大 学 卒 を 二 人 も 出 し て い る。 し か も、 そ の う ち の 一 人 は 東 京 大 学 へ 入 っ て い る。 東 大 に 息 子 が 合 格 し た 家 で は、 そ の こ と を 村 中 に ﹁ お ら ん で ﹂ 回 っ た そ う で あ る。 富 ケ 浦 に つ い て、 今 一 つ 特 記 す べ き こ と は、 浦 の 内 外 の 海 底 岩 礁 が 極 め て 豊 富 な 貝 類 や ウ ニ の 漁 場 に な っ て い る こ と で あ る。 こ の 点 は 唐 舟 志 も 似 て い る が、 む し ろ そ れ 以 上 で あ る。 私 達 の 調 査 期 間 中 が ウ ニ の 禁 漁 期 に 当 た っ て い た の で あ ろ う か、 海 底 の 岩 礁 と い う 岩 礁 に ム ラ サ キ ウ ニ が ほ と ん ど 二、 三 〇 セ ン チ 間 隔 に 群 棲 し て い る の に は、 た だ た だ 驚 く ば か り で あ っ た。 旧 士 族 糸 瀬 家 に つ い て 江 戸 時 代 後 期 の 天 保 年 間 ( 一 八 三 〇-一 八 四 四 )に 作 製 さ れ た ﹃ 八 郷 分 限 帳 ﹄ に よ れ ば、 津 和 に 士 族 は い な い が、 唐 舟 志 と 富 ケ 浦 の 士 族 の 家 格、 知 行 地 は 次 の よ う で あ る。 < 唐 舟 志 村 > 家 格 知 行 地 糸 瀬 家 御 馬 回 格 二 尺 五 寸 七 分 六 厘 五 毛 八 糸 瀬 家 御 馬 回 格 二 間 一 毛 八 糸 瀬 家 七 寸 六 分 五 厘 五 毛 四 糸 瀬 家 二 尺 二 寸 二 分 五 厘 五 毛 四 < 富 ケ 浦 村 > 比 田 勝 家 一 問 六 寸 八 分 三 厘 五 毛 二 比 田 勝 家 二 尺 一 寸 六 分 三 厘 一 毛 六 比 田 勝 家 一 尺 五 寸 八 分 六 厘 三 毛 八 瀬 崎 家 一 尺 二 寸 四 分 六 毛 六 対 馬 で は、 藩 制 時 代、 士 族 の 知 行 地 の 広 さ を、 長 さ の 単 位 で あ る ﹁ 間 尺 ( け ん じ ゃ く ) ﹂ に よ っ て 表 わ し て い る。 ﹁ 一 間 ﹂ と い う 広 さ は、 内 地 平 野 部 の 米 の 収 穫 量 に 換 算 し て、 極 め て 大 雑 把 に い っ て 一 町 歩 相 当 の 収 量 が え ら れ る 広 さ と み て よ か ろ う か と 思 う。 砂 礫 質 の 土 壌 が ほ と ん ど で あ り、 そ の 上、 山 島 的 な 地 勢 ゆ え に 水 利 に 恵 ま れ な い 対 馬 で は、 上 田 ・ 上 畑、 対 馬 三 部 落 に お け る ﹁ 家 ﹂ 意 識 の 調 査 研 究

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密 教 文 化 中 下 の 田 畑 で ま た 広 狭 の 差 が あ る が、 面 積 的 に は 相 当 広 く な る。 一 間 以 上 の 知 行 地 を 所 有 す る 士 族 ( 郷 侍、 城 下 町 厳 原 に 居 住 す る 城 下 侍 の 対 ) の こ と を ﹁ 大 軒 ﹂ ( 大 間 か ) と い い、 大 軒 の い た 村 は 多 く は な い。 な お、 一 間 を 尺 で 表 わ せ ば 四 尺 と な り、 尺 位 以 下 は 上 位 の 単 位 に 対 し て 十 進 法 が 適 用 さ れ る。 馬 回 格 と い う の は、 徒 士 に 対 し て 高 家 格 の 家 柄 を い う が、 そ れ に 該 当 す る の は 唐 舟 志 の 糸 瀬 家 二 軒 だ け で あ る。 天 保 年 間 に 四 軒 あ っ た 糸 瀬 姓 の う ち、 唐 舟 志 の 糸 瀬 本 家 ( 大 糸 瀬 と よ ば れ て い る ) と 分 家 糸 瀬 を 一 軒 残 し て、 他 の 糸 瀬 二 軒 は、 な に か の 理 由 で 倒 産 し た と い わ れ る。 こ の 大 糸 瀬 家 は ﹁ 二 間 取 り ﹂ と い う 大 軒 で あ り、 唐 舟 志 の ﹁ 永 代 知 行 役 ﹂ ( 万 年 村 長 ) と し て 長 ら く こ の 部 落 を 支 配 し て き て い た。 ま た、 大 糸 瀬 家 は、 か っ て の 唐 舟 志 の 檀 那 寺 林 昌 寺 の 開 基 で あ る と と も に 檀 頭 を 兼 ね、 さ ら に 今 も 氏 神 総 代 を し て い る。 し か し、 こ の 家 の 当 主 ( 六 十 二 歳 ) は、 昭 和 二 十 二 年、 唐 舟 志 が 住 み に く い と い う 理 由 と、 津 和 に 広 い 田 畑 を も っ て い て 通 耕 に 不 便 と い う 理 由 に よ っ て、 津 和 の 海 岸 に 近 い 山 腹 に 場 所 を 選 ん で 転 住 し て い る。 大 糸 瀬 家 で は ま た、 今 は そ の 言 葉 す ら 風 化 し て 覚 え て い る 村 人 も 少 な い が、 か っ て、 数 軒 な い し そ れ 以 上 の ﹁ 子 供 う ち ﹂ の 家 々 を 服 属 さ せ て い た。 ﹁ 子 供 う ち ﹂ と い う の は、 中 世 的 な ﹁ 郷 士﹂に従属していた﹁家の子郎党﹂の対馬的表現であ る。 彼 ら の ほ と ん ど は、 自 作 地 を も っ て 耕 作 す る 一 方、 大 糸 瀬 家 の 耕 地 を 借 り て 小 作 も し て い た の で あ る。 大 糸 瀬 の 当 主 に よ る と、 か っ て の 唐 舟 志 の 過 半 の 家 々 は 大 糸 瀬 の 小 作 人 か 用 人 で あ っ た ろ う と い う。 今 も、 唐 舟 志 の 古 老 た ち は、 大 糸 瀬 の 当 主 の こ と を ﹁ 親 方 ﹂ と よ ん で 一 目 お い て い る。 そ の ほ か、 こ の 家 に は、 同 家 の ﹁ 草 役 ﹂ を つ と め る 家 が 一 軒 服 属 し て お り、 村 人 た ち は そ の 家 の こ と を な お 記 憶 に と ど め て い る。 草 役 と い う の は、 無 上 納 で 親 方 家 の 耕 地 ・ 山 林 を 使 わ せ て も ら う 代 り に、 同 家 の 知 行 地 の 管 理、 小 作 人 か ら の 年 貢 の と り 立 て、 藩 へ の 上 納 の 世 話 な ど を し た 家 の こ と で あ る。 ま た、 大 糸 瀬 の 当 主 の 話 で は、 藩 へ の 貢 納 や 急 用 の 連 絡 の 御 用 を つ と め る 飼 子 役 の 家 も 二 軒 あ っ た と の こ と で あ る。 記 述 が あ と 先 に な る が、 大 糸 瀬 家 の 先 祖 は、 初 代 の 対 馬 大 守 宗 重 尚 の 第 二 子 下 野 二 ( 次 ) 郎 と い い、 下 野 家 の 創 立 は 応 永 九 年 ( 一 四 〇 二 ) で あ り、 現 在 の 当 主 は 二 十 六 代 目 な い し 二 十 九 代 目 に 当 た る と の こ と で あ る。 こ の 下 野 家 の 子 孫 は、

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上 対 馬 町 や 上 県 町 の 村 々 に も お り、 糸 瀬 姓 以 外 の 姓 を 名 乗 っ て い る の も あ る。 天 保 年 間 の 富 ケ 浦 に、 比 田 勝 を 名 乗 る 士 族 が 三 軒 あ っ た こ と は す で に 見 て お い た が、 こ の 比 田 勝 姓 も 下 野 二 郎 の 子 孫 筋 で あ る。 し か し、 ど ん な 理 由 に よ っ て の こ と な の か、 現 在 の 富 ケ 浦 に は 比 田 勝 姓 は な く な っ て い る。 こ こ の 士 族 は、 し た が っ て、 い つ の 頃 か ら か 瀬 崎 家 一 軒 と な り、 こ の 家 の 当 主 も 村 の 古 老 達 か ら は ﹁ 親 方 ﹂ と よ ば れ て い る。 な お、 士 族 の 糸 瀬 姓 は、 唐 舟 志 の 四 軒 の ほ か に、 南 の 方 の 五 根 緒 ( ご に ゅ う ) に も 三 軒 あ り、 近 隣 村 で は ﹁ 糸 瀬 七 軒 ﹂ と よ ば れ て い た。 両 部 落 の 糸 瀬 姓 の 総 本 家 筋 は 五 根 緒 に あ っ た と い う。 糸 瀬 姓 七 軒 で は、 危 急 の 用 件 で は 相 互 に 連 絡 し あ っ て い た し、 か つ て は 親 族 と し て の 交 際 は 深 か っ た そ う で あ る。 最 後 に、 津 和 に は 士 族 は い な か っ た の だ が、 武 末 家 が 新 士 族 ( 足 軽 士 族 ) で あ っ た。 幕 末 か ら 明 治 に か け て 藩 財 政 が 急 迫 し た と き、 藩 に 献 金 す る こ と に よ っ て 士 分 の 家 格 を え た と い う の で、 献 金 士 族 と い う よ び 方 も さ れ る。 ﹁ 家﹂意識の調査 対 馬 の 諸 村 落 は、 そ の 地 理 的 な い し 地 勢 的 な 環 境 に 制 約 さ れ て、 い ま だ に 旧 村 的 な 生 活 様 式、 村 民 意 識 を 強 く と ど め て い る。 産 業 化、 都 市 化、 情 報 化 が 急 速 に 進 む な か で、 伝 統 的 な ﹁ ム ラ ﹂ が 急 速 に 失 わ れ て き た が、 そ の 点 で は 対 馬 の 村 落 は 例 外 的 で あ る。 変 動 過 程 に あ り な が ら も、 多 分 に 旧 村 意 識. を と ど め て い る の で あ る。 そ こ で、 こ の 旧 村 的 な 村 民 意 識 に つ い て 考 察 し よ う と す る ば あ い、 い ろ い ろ な テ ー マ の 選 択、 方 法 が 可 能 で あ る。 私 と し て は、 昨 年 の 調 査 に お い て、 三 部 落 の 村 民 の 旧 意 識 に 探 り を 入 れ る べ く、 ﹁ 家 ﹂ 意 識 を と り あ げ て み た。 村 人 達 の 意 識 も、 よ う や く 近 代 化、 す な わ ち 個 人 主 義 化、 合 理 主 義 化 の 繭 し が 現 れ 始 め て い る と は い え、 私 の 年 来 の 対 馬 調 査 の 経 験 か ら、 こ の 島 で は 全 体 と し て は、 古 い ﹁ 家 ﹂ 制 度 は な お そ の 活 力 を 保 持 し つ づ け て い る 印 象 を 受 け て い る か ら で あ る。 ﹁ 家﹂意識を索出するための設問としては、私の在来のそ れ に 拠 り な が ら も、 新 た な 設 問 を 十 一 ほ ど 追 加 し、 つ こ う 二 十 九 の そ れ を 用 意 し た。 そ れ ら を 内 容 に よ っ て 分 類 す る と、 対 馬 三 部 落 に お け る ﹁ 家﹂ 意 識 の 調 査 研 究

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密 教 文 化 次 の よ う で あ る。 1、 相 続 に つ い て 四 問 2、 結 婚 に つ い て 四 〃 3、 家 計 の 管 理 二 〃 4、 財 産 観 念 三 〃 5、 親 子 関 係 三 〃 6、 ﹁ 家 ﹂ と 個 人 二 〃 7、 祖 先 崇 拝 四 〃 8、 親 族 関 係 四 〃 9、 神 ・ 仏 信 仰 三 〃 計 二 十 九 〃 な お、 調 査 の 回 答 者 の 続 柄 ・ 性 別 お よ び 年 齢 は 次 の よ う で あ る。 回 答 者 の 年 齢 い う ま で も な く、 私 達 が 回 答 者 と し て 期 待 し た の は 世 帯 主 で あ る。 な お、 す で に 述 べ た よ う に、 富 ヶ 浦 で は、 病 気 入 院 の た め、 一 世 帯 が 調 査 不 能 で あ っ た。 な お、 私 達 の 調 査 結 果 に よ っ て 三 部 落 の 家 族 類 型 を 示 す と 次 の よ う で あ る。 右 の 結 果 に よ っ て、 核 家 族 十 三 世 帯 ( 三 五 ・ 一%)に 対 し て、 拡 大 家 族 ( 直 系 家 族 ) は 二 十 二 世 帯 ( 五 九 ・ 五%)と 約 六 割 を 占 め て い る。 老 夫 婦 だ け の 世 帯 が 一 世 帯 あ る ほ か は、 世 帯 主 夫 妻 の 父 母 ま た は 祖 父 母 は す べ て 子 供 と 同 居 し て い る。 世 帯 主 の 父 母 で、 子 供 夫 婦 と 同 居 し て い る と は い え、 同 じ 敷 地 内 に 別 棟 を 建 て て 別 々 に 住 ん で い る 例 は 相 当 数 み ら れ た。 <三 部 落> <峰 町 ・三 根上部落> (昭 和55年7月 調 査)

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さ て、 三 部 落 の 村 人 達 の ﹁ 家 ﹂ 意 識 に 関 す る 調 査 結 果 を 検 討 す る に あ た り、 初 め に ﹁ 家 ﹂ 概 念 の 定 義 を し て お か ね ば な ら な い。 私 が ﹁ 家 ﹂ を 括 弧 で く る ん だ の は、 い う ま で も な く そ れ が 伝 統 的 な 直 系 家 族 を 意 味 さ せ て い る か ら で あ る が、 そ の ﹁ 家 ﹂ は 次 の よ う に 定 義 さ れ る。 ﹁ 家﹂とは、家長がそれを代表し、その生産・消費を統轄 し、 家 産 を 管 理 し、 ﹁ 家 ﹂ の 神 や 墓 地 の 祭 礼 を 司 祭 す る と い う 特 殊 な 制 度 的 概 念 で あ る。 こ の 制 度 の も と で は、 長 子 残 留 に よ る 父 方 同 居 形 態 が と ら れ、 ﹃ 家 ﹄ 規 範 が 一 種 宗 教 的 な 権 威 を も っ て 成 員 を 統 制 す る。 家 長 は ﹁ 家 ﹂ の 伝 統 を 統 轄 し、 そ れ を 直 系 的 に 長 子 に 継 承 ・ 再 生 産 さ せ る こ と を 期 待 さ れ、 す べ て の 成 員 は ﹁ 家 ﹂ の も つ 伝 統 的 権 威 に 没 我 的 に 帰 順 し 貢 献 す べ き も の と せ ら れ る。 (6) ﹁ 家﹂が右のように定義されるとき、﹁﹃家﹄を支える柱と し て、 一 つ は 生 産 と 労 働 を 考 え る 必 要 が あ り、 他 の 一 つ は、 信 仰 の 側 面 か ら の 視 点、 つ ま り 祖 先 崇 拝 で あ る ﹂ と せ ら れ る。 家 業 と し て 農 業 生 産 を 支 え る 先 祖 譲 り の 田 畑 ・ 山 林 に 頼 り つ つ、 家 長 の 指 揮 監 督 下 に、 そ れ ぞ れ の 家 族 員 が 生 産 な い し 労 働 上 の 役 割 を 分 担 し て き た の で あ る。 そ こ で は、 た い て い の 生 産 ・ 労 働 は 家 族 単 位 で ま か な わ れ、 老 若 男 女 の 別 な く 没 我 的、 献 身 的 に 働 き、 働 く こ と が 人 々 の 実 存 そ の も の と す ら な っ て い た の で あ る。 ﹁ 概 先 崇 拝 と い う の は、 家 の 成 立 と 永 続 を 前 提 と し て、 そ の 創 始 者 で あ る 祖 先 と、 そ の 継 承 者 で あ る 子 孫 と の 関 係 に お い て 成 立 す る 宗 教 的 11 民 間 信 仰 的 現 象 で あ る ﹂ と い え る で あ ろ う。 < 相 続 > < 問 1 >お た く で は 相 続 は 次 の い ず れ で し た か。 次 男、 三 男、 長 女 に 婿 養 子 を 合 せ て、 非 長 子 相 続 ( D K を 除 く ) が 五 世 帯 ( 一 三 ・ 九 % ) で あ る が、 ま ず は、 ほ と ん ど 完 全 に 近 い 長 男 に よ る 単 子 相 続 制 が 維 持 さ れ て い る。 こ の 点 に お い て、 本 戸 と 寄 留 の 間 に は、 全 く 何 の 違 い も み ら れ な い。 次 の 質 問 に よ っ て も、 長 男 を 中 心 と す る 家 ﹂ の 継 承 意 志 は か な り 明 確 で あ る。 < 問 2 >あ と つ ぎ は お り ま す か。 対 馬 三 部 落 に お け る ﹁ 家 ﹂ 意 識 の 調 査 研 究

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密 教 文 化 DK五 人 を 除 外 す れ ば、 ﹁ す で に 家 を つ い で い る ﹂ と ﹁ つ い で く れ る 見 込 ﹂ を 合 せ て 二 七 人 ( 八 四 %)と な る が、 ﹁ つ い で く れ な い ﹂ は、 僅 か に 寄 留 に 一 人 ( 四 %)い る に す ぎ な い。 す で に 家 を つ い で い る 者 の ほ か、 家 に 残 っ て い る 未 婚 の 長 男 が 六 人 お り、 両 者 を 合 せ る と 十 九 人 と 半 数 強 が す で に 父 親 と も ど も 働 い て い る の で あ る。 参 考 ま で に い え ば、 昨 年 の 調 査 時 点 で、 長 男 の 他 出 者 は 八 人 い た。 ほ か の 村 々 で も 同 様 だ が、 父 親 が 働 き 手 と し て 十 分 元 気 な ら、 一 家 に お も だ っ た 働 き 手 が 二 人 は い ら な い と い う 理 由 に よ っ て、 近 年、 長 男 の 他 出 者 が ふ え る 傾 向 に あ る。 八 人 の 帰 村 の 見 込 を 尋 ね る と、 ﹁ 近 く 帰 る ﹂ 四 人、. 帰 る ま い L 二 人、 不 明 ﹂ 二 人 で あ っ た。 帰 る ま い と 答 え た 二 人 の 職 業 は 公 務 員 と 土 建 関 係 の ト ラ ッ ク 運 転 手 で あ っ た が、 こ の 二 人 の 親 の < 問 2 >の ﹁ あ と つ ぎ の 有 無 ﹂ に つ い て の 答 え は DKと な っ て い る。 こ の 結 果 か ら す る と、 対 馬 の 村 々 で も 早 晩、 あ と つ ぎ の 補 充 に 問 題 が 起 こ り そ う で あ る。 さ て、 唐 舟 志 で は、 長 男 が 満 十 六 歳 に な る と ﹁ 本 人 ﹂ と な り、 一 家 を 代 表 し て ﹁ 村 寄 り ﹂ 以 下、 村 の 諸 行 事 に 参 加 す る こ と に な る。 そ れ を 機 会 に、 親 は 村 の 諸 行 事 か ら は い わ ば 隠 居 分 と な る わ け で あ る。 た だ、 村 網 の ば あ い は、 昔 か ら、 本 人 が 嫁 を も ら う ま で は 両 親 が 出、 結 婚 す る と 本 人 が 出 る こ と に な っ て い る。 < 問 2 >の 質 問 に 対 し て、 ﹁ す で に あ と を つ い で い る ﹂ と 答 え た 十 三 人 は 既 婚 の 本 人、 ﹁ あ と を つ い で く れ る 見 込 ﹂ と 答 え た 十 四 人 の な か に は、 す で に 本 人 で あ り な が ら も、 未 婚 の 長 男 六 人 も 含 ま れ て い る。 < 問 3 >遺 産 相 続 は ど れ が よ い と お 考 え で す か。 こ れ で み る と、 旧 来 の 長 子 相 続 制 を 肯 定 す る 者 二 八 人 ( 七 五 ・ 七%)と 四 分 の 三 近 く を 占 め る の に 対 し て、 現 行 の 分 割 相 続 制 の 支 持 者 は 僅 か 四 人 ( 一 〇 ・ 八 %)に す ぎ な い。 し か し、 長 子 相 続 制 を 認 め ず、 ま た 疑 義 を 感 じ て い る 者 も 九 名 ( 二 四 ・ 三 % )と 四 分 の 一 を 占 め て い る 点 も 無 視 で き な い。 ﹁ 家﹂意識が弛緩するのに応じて、親としても、遺産の長子

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に よ る 単 子 相 続 制 に 疑 義 を 抱 く の は、 当 然 と い え ば 当 然 の こ と で あ ろ う。 次 に な さ れ る 質 問 に よ っ て、 遺 産 相 続 を め ぐ る 村 人 達 の 心 情 は、 さ ら に 突 っ 込 ん で 尋 ね ら れ る。 < 問 4 >遠 か ら ず 対 馬 の 村 々 に も 現 在 行 な わ れ て い る 遺 産 の 長 子 相 続 制 に つ い て、 次 男 な ど か ら 反 対 が 出 る 危 険 を 感 じ ま す か。 全 く あ り え な い 二 二 人 ( 五 九 ・ 五 % ) に 対 し て、 危 険 を 感 じ る が 十 三 人 ( 三 五 ・ 一 % ) と、 長 子 相 続 制 の 存 続 に 対 し て 自 信 を 表 明 す る 者 が 有 意 差 を も っ て 多 い。 し か し、 村 人 達 は、 同 じ 上 対 馬 町 内 に お い て、 鰐 浦、 大 浦 両 部 落 に 遺 産 相 続 を め ぐ る 紛 争 が 生 じ、 そ れ が ﹁ 親 子 裁 判 ﹂ と い う 事 件 に 発 展 し た 例 を 知 っ て い る。 そ の た め、 こ の 質 問 で は、 前 間 で 長 子 に よ る 遺 産 の 単 子 相 続 制 に 疑 義 を 表 明 し た 九 人 を 上 回 る 十 三 人 が、 そ の 存 続 に 対 す る 危 惧 の 念 を 抱 い て い る の で あ る。 < 問 5 >も し あ な た の 家 庭 で 子 供 さ ん が 女 子 ば か り の ば あ い、 婿 養 子 を と ら れ ま す か。 ( そ の 他 の 内 訳 は 二 つ と も ﹁ 子 供 の 自 由 に さ せ る ﹂ ) 婿 養 子 を と っ て ﹁ 家 ﹂ を 継 が せ る と い う の が 二 十 八 人 ( 七 五 ・ 七 % ) と 四 分 の 三 を 占 め る。 そ の 必 要 は な い と 答 え た も の の 内 訳 は、 本 戸 が 二 人、 寄 留 が 二 人 で あ っ て、 寄 留 の 比 率 が 高 い。 < 結 婚 > < 問 6 >あ な た の 結 婚 は 次 の ど れ で し た か。 恋 愛 結 婚 九 人 ( 二 四 % ) は、 近 年 に お け る 三 部 落 の ﹁ 嫁 日 照 り ﹂ の た め、 と く に 比 較 的 若 い 世 代 と 寄 留 に 多 い。 ま た、 見 合 結 婚 が 十 五 人 ( 四 〇 ・ 五 % ) と 最 も 多 い の だ が、 そ の 実 際 は、 親 の 意 向 を 受 け た 第 三 者 ( 伯 父 な ど ) の 仲 介 に よ る も の と み て よ い。 と す れ ば、 実 質 的 に は 親 の 一 存 に よ る 結 婚 は 見 合 を 加 え て 現 在 の 世 帯 主 夫 妻 の 七 五 ・ 七 % と、 約 四 分 の 三 を 占 め る こ と に な る。 対 馬 三 部 落 に お け る ﹁ 家 ﹂ 意 識 の 調 査 研 究

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密 教 文 化 実 際、 対 馬 の ほ と ん ど の 村 々 で は、 大 正 末 年 か ら 昭 和 十 年 く ら い ま で は、 少 な く と も 長 男 の 結 婚 に 関 す る 限 り そ の 八 割 て い ど は 親 の 一 存 に よ っ て と り 決 め ら れ て い た の で あ る。 し か し、 そ の 長 男 の 結 婚 す ら、 対 島 村 落 に 共 通 の ﹁ 嫁 日 照 り ﹂ 現 象 に よ っ て、 長 男 が ひ と た び 都 会 地 に 働 き に 出 て、 そ こ か ら 嫁 を 連 れ て 帰 る こ と が 多 く な り つ つ あ る。 そ の こ と を 思 え ば、 三 部 落 に お い て は、 伝 統 的 な ﹁ 家 ﹂ に 支 え ら れ て、 か つ て の 家 長 権 は な お 健 在 だ と い う こ と に な る。 そ れ と い う の も 三 部 落 の ば あ い、 親 の 眼 の 届 く 範 囲 内 で 八 方 手 を 尽 く し て 探 せ ば、 長 男 の 嫁 を 比 較 的 近 隣 の 村 か ら 探 し 出 す こ と が で き る と い う 事 情 が あ ず か っ て い る の で あ ろ う。 ち な み に、 三 部 落 の 世 帯 主 夫 妻 の 出 身 地 は 次 の よ う で あ る。 次 の 表 に お い て、 妻 三 十 五 人 に 対 し て、 夫 が 三 十 七 人 と 二 人 多 い の は、 唐 舟 志 に 男 単 身 世 帯 が 一、 末 婚 の 長 男 が 世 帯 主 と な っ て い る 家 が 一 世 帯 あ る た め で あ る。 下 の 結 果 か ら す る と、 三 部 落 出 身 者 は、 夫 で 三 十 二 人 ( 八 六 ・ 五 % )、 妻 で 二 〇 人 ( 五 七 ・ 一 % )、 そ れ を 上 対 島 町 内 に 広 げ る と、 夫 で 三 十 四 人 ( 九 一 ・ 九 % )、 妻 で 二 十 八 人 ( 八 〇 % ) と な る。 三 部 落 で、 子 弟 の 婚 姻 に 親 な い し 親 族 の 発 言 権 が 依 然 と し て 大 き い の は、 こ の 通 婚 圏 の 狭 小 性 に よ る も の で あ る こ と は 明 か で あ る。 次 に、 そ れ を 三 部 落 別 に 世 帯 主 夫 妻 の 出 身 地 別 を 洗 い 出 す と 左 の よ う に な る。 こ れ か ら す る と、 全 島 的 に み て も 小 部 落 で あ る 三 部 落 に お い て、 夫 の 三 分 の 二 以 上 が 自 部 落 出 身 者 で 占 め ら れ、 ま た、 妻 の 三 分 の 一 か ら 半 数 が 自 部 落 出 身 者 と な る。 < 問7>結 婚 は 家 の た め の も の か、 当 事 者 の た め の も の で

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し ょ う か。 都 市 部 に お い て、 結 婚 は 当 事 者 同 士 の た め と す る 個 人 主 義 的 な 結 婚 観 は、 ほ ぼ 定 着 し て い る と い え よ う。 三 部 落 の ば あ い、 結 婚 は ﹁ ど ち ら か と い え ば 家 の た め ﹂ と す る 考 え 方 が、 少 差 な が ら ﹁ 当 事 者 の た め ﹂ を 上 回 っ て い る。 こ の こ と は、 伝 統 的 な ﹁ 家 ﹂ 本 位 の 結 婚 観 が 個 人 本 位 の そ れ よ り 強 い こ と を 示 す。 た だ、 寄 留 十 二 世 帯 だ け に 限 っ て み る と、 前 者 を 支 持 す る も の が 五 人、 後 者 を 支 持 す る も の が 六 人 と、 僅 少 差 な が ら 形 勢 は 逆 転 し て い る。 < 問 8>初 生 児 の 出 産 は ど ち ら で な さ い ま し た か ( な さ い ま す か )。 初 生 児 の 出 産 は、 妻 の 実 家 と い う の が 二 十 六 人 ( 七 〇 ・ 三 % ) と 三 分 の 二 を 上 回 っ て い る。 婚 家 で す る と 答 え た 十 人 の う ち 七 人 は、 親 類 筋 が 部 落 に 少 な い 寄 留 で あ る。 と す る と、 少 く と も 本 戸 の 家 々 の 間 で は、 初 生 児 の 出 産 は 妻 の 実 家 で す る 慣 行 は 定 着 し て い る と い え る で あ ろ う。 問 9 V 子 供 が 結 婚 し た ら 親 と し て ど れ を 選 び ま す か。 ( ﹁ そ の 他 ﹂ は ﹁ す で に 同 居 し て い る ﹂ ) ﹁ ぜ ひ と も 同 居 し た い﹂と﹁できたら同居したい﹂とを合 わ せ る と、 二 十 八 人 ( 七 五 ・ 七 % ) が 同 居 を 希 望 し て い る。 そ れ に 対 し て、 ﹁ ぜ ひ と も 別 居 す る ﹂ と ﹁ ど ち ら で も よ い ﹂ を 合 せ て、 多 少 と も 別 居 を 考 え た こ と が あ る 者 は 六 人 ( 一 六 ・ 二 %)で あ る。 三 部 落 の よ う に、 両 親 が 息 子 夫 妻 と 同 一 敷 地 内 に 別 棟 を 作 っ て 住 ん で い る 者 も あ り、 ま た、 仮 り に 別 居 し て み た と こ ろ で、 軒 続 き の 狭 い 部 落 内 で 集 落 部 の 端 か ら 端 ま 対 馬 三 部 落 に お け る ﹁ 家 ﹂ 意 識 の 調 査 研 究

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密 教 文 化 で 歩 行 で 二、 三 分 距 離 を 出 な い と い う こ と で あ っ て み れ ば、 別 居 は か え っ て 不 自 然 で も あ ろ う。 < 家 計 の 管 理 > < 問 10>お た く で は 財 布 の ひ も は ど な た が 握 っ て お ら れ ま す か。 ( そ の 他 の 内 訳 は、 長 男 3、 各 自 1、 家 族 全 員 1 ) 主 人 が 財 布 の 紐 を に ぎ っ て い る の が、 僅 か 一 名 の こ と で は あ る が、 主 婦 よ り 多 い の は 特 徴 的 で あ る。 こ の 事 実 は、 今 ま で の 対 馬 の 村 落 調 査 で も み ら れ な か っ た と こ ろ で あ り、 ﹁ 家 ﹂ 意 識 11 戸 主 権 の 強 さ と 関 係 が あ る と み ら れ る。 た だ、 父、 母 と い う の が な か っ た こ と は、 三 部 落 の ﹁ 本 人 ﹂ 制 度 と 関 係 が あ り、 結 婚 し た 長 男 に あ と 目 を 譲 っ た 以 上、 若 い 夫 婦 に あ っ さ り 全 権 を 委 譲 し て い る た め で あ ろ う か。 < 問 11>一 万 円 以 上 の 買 い 物 を す る と き、 誰 が 決 定 し ま す か。 ( ﹁ そ の 他 の 内 訳 は、 ﹁ 買 い 手 に ま か す ﹂、 ﹁ そ の つ ど 相 談 ﹂ な ど ) 一 般 の 都 市 部 の 調 査 の ば あ い で は、 財 布 の 紐 を 握 っ て い る の は 主 婦 が 圧 倒 的 に 多 い が、 高 額 の 買 物 の 意 志 決 定 者 と な る と、 主 人 の 比 重 が や や 高 く な る も の で あ る。 と こ ろ が、 三 部 落 の ば あ い で は、 主 婦 と と も に 主 人 も そ の 数 を 減 じ て お り、 代 っ て ﹁ 家 族 全 員 ﹂ が 大 き く 登 場 し、 ﹁ 夫 婦 ﹂ と い う の も ふ え て い る。 増 加 分 に つ い て は、 都 市 の そ れ と 類 似 傾 向 を 示 す。 < 財 産 観 念 > < 問 12>跡 取 が 都 会 で 暮 ら し た い た め に、 郷 里 に あ る 家 や 土 地 を 人 手 に 渡 す こ と は や む を 得 な い と 思 わ れ ま す か。 右 の 回 答 の う ち、 ﹁ や む を え な い ﹂ と し た 七 人 の 内 訳 は、

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